木を活かし、人を活かして88年 【歴史をつなぐ∼夢と危機感】 株式会社

株式会社 みうら
木を活かし、人を活かして88年
【歴史をつなぐ∼夢と危機感】
今回お訪ねしたのは、周南市にある株式会社みうらの本社。昭和2年
の創業以来88年、木材製材業で起業し、今日の一般企業向け梱包
物流資材、大手ハウスメーカー向けおよび一般住宅会社向けの構造
用プレカット材から内装材・家具事業、リフォームや新築の住宅事業、
中国事業と木にまつわる事業で変遷の歴史を歩んできました。現在、
同社をリードするのは、4代目の三浦敏裕社長。社員やその家族が誇
りに思える企業、社員・お客さま・地域社会に愛し・愛される企業を目
指し、強い情熱と深い愛情を注ぐ三浦社長にお話を伺いました。
海難事故による経営危機
本業の木材事業で会社再建
内装材などの工場を併設した本社
が、
この木造船は就航2航海目にして遭難。
船とともに、
大
切な7人の乗組員まで失ってしまいました。
当時私は小
学6年生でしたが、
父の苦悩と涙を子ども心に覚えていま
私どもの会社は昭和2年に創業し、今年88年目を迎
す。
まさにわが社の「存亡の危機」でした。
えました。祖父の三浦兵作が山林製材業で起業し、戦
翌年の昭和33年、
日新製鋼(株)
の周南製鋼所が創
前、戦中と木を挽き、割る作業を行っていました。戦後、
業されると同時に、
ステンレスの木枠の生産と、
構内での
三浦産業合名会社を設立し、製材に加えて、運送、海
梱包作業を受注することができ、
会社再建への道筋が
運事業に参入。昭和31年に父の三浦和雄が社長に就
開けました。昭和39年、
現在の本社所在地に製材工場
任して、
32年には待望の石灰石専用貨物船「東龍丸」
を移転、
竣工すると同時に、
海運業からは撤退。
当時、
父
を建造し、
「さあ、
これから」
と張り切っていました。
ところ
や兄
(3代目社長:義孝)
は苦労をしたと思います。
現在、
わが社は海難事故のあった12月12日を安全の日と定め
無災害の職場作りを目指しています。
父親の勤め先を言えなかった
Nちゃんのために改革
私は大学を卒業して近畿コカ・コーラボトリングに勤め、
その後家内の実家の家業を手伝っておりましたが、
昭和
53年に帰郷し、
三浦産業、
現在の株式会社みうらに入社
木製パレット
(左)、強化段ボールの「ハイプルエース」
( 右下)
など梱包材の
需要は根強い。近年開始した造船材事業
(右上)
8
ワイエムビジネスレポート 2015.11月号 No.85
企業レポート/株式会社 みうら
2店舗にてこれまで14,000件余りのお仕事をさせていた
だきました。
直接消費者からの情報が得られることは、
本
当にありがたいことです。一方「木材の付加価値」
を追
求したいと大手建材メーカーの開発部に飛び込みで訪
ねると、
付加価値は「切る、
削ることに加え貼る技術、
塗
る技術」が必要と教えていただきました。
このご指導がさ
らに次のステップとなりました。
リフォームを手がけて家が
戸建住宅の全面改装「周南市 K様邸」
洋風化
(畳→フローリング・襖や障子→ドア)
になると実感
し、
塗装品を主とした内装材事業に進出しました。
当初
しました。入社2年目のある日、
社内報の取材のため、
一
から全く未経験の仕事ゆえ技術習得に時間がかかり、
人の社員の自宅を訪ねました。
その家には小学校1年生
生産性どころではなく多大な設備投資とあわせ、
経営的
の娘さん、
Nちゃんがいました。
その団地に住む子ども同
には厳しいものでした。
その後、
平成9年の消費税5%の
士の「お父さんはどこに勤めているの?」
という会話の中
頃、
当時165万戸の住宅着工数がやがて120万戸台まで
で、
周南地区の大手企業に勤務する人が多かったので
減少する中で、
会社の業績も影響を受けはじめたことか
しょう。
Nちゃんは「みうら」の名前がなかなか言えないん
ら一般の住宅会社にも内装材を売っていきたいと考え、
ですよとご家族からお聞きし、
正直大ショックでした。
構造躯体プレカット事業への進出をすることにしました。
翌日、
中古の3トントラックを購入して貰い、
私は直ちに
新たな部門は、
これまた予想以上に難しい仕事でしたが
営業に出始めました。
そうせずにはいられなかったので
14年の歳月、
おかげさまで今では県内のたくさんのお客
す。
お客さまを一軒ずつ回ってご要望を聞かせていただ
さまとお取引させていただくようになりました。
また、内装
きました。
木も価格もわからない中でのまさに“夜討ち朝
材の方は建具・造作材のみならず、
その後造り付け家具
駆け”
でした。
クレームを受けると翌朝8時に門の前で待
等の事業に進み、
ようやく住宅部品がトータルで供給でき
ち、
お詫びをすることもしばしばでした。
自分なりに立てた
る体制が整いました。
目標が「特定企業に依存しない自立型企業」
「木材の高
付加価値化」
「消費者に密着した事業展開」の実現を
目指す営業活動でした。
がむしゃらに動いて5年後に念
願の、
積水ハウス
(株)
山口工場にご縁をいただくことが
住宅着工数の減少を見据えて
今こそ新市場・新顧客・新製品を開拓(開発)
できました。
住宅用の木材加工への進出は、
わが社の構
今後、
増税後に予想される住宅着工数は70万戸とい
造改革の大転換期となりました。
われる中で、
わが社は経営改革のキーワードである
「選
択と集中」に逆行し、
たくさんのメニューをもちました。一
木を知り尽くした企業として
住宅部品の一括供給に取り組む
件当たりの客単価を高めることが生き残る道であり、
他社
との差別化に繋がるとの信念で取り組んできましたが、
こ
れまでの30年は本当に「ヒト
・モノ・カネ」で苦難の連続で
昭和58年、
ハウスメーカーに木材加工品を納めると、
品質・コスト
・納期等、
これまでの経験では全く通用せず、
もっと
「住宅の勉強をしなくては真のご要望にお応えで
きない」
という思いから昭和63年に住宅のリフォーム事
業に参入しました。
初めての仕事で長い間苦労しました
が、
現在「リファインしゅうなん」
「リファイン大内みほり」の
「道の駅
(ソレーネ周南)
」
に構造用プレカット材の納入
ワイエムビジネスレポート 2015. 11月号 No.85
9
経営理念
LOVE COMPANY
社員満足
(社員を愛す、愛される会社)
顧客満足
(お客さまを愛す、愛される会社)
地域社会満足
(地域を愛す、愛される会社)
きな役割を果たしています。150人規模の会社で年3回
(以前は4回)の発行は大変ですが、
「変わらないもの
を大切に」
「継続は力なり」
という相談役の意思を引き
継いでいます。
また、継続といえば地域の皆さまに木の
温もりを伝えるイベント
「ふれあいフェスタ」
を開催し、
も
う11年になりますが毎年1,000名以上のご来場者があ
した。
ります。木工広場やわんぱく大工さんなどの企画を通し
現在の事業内容は「一般企業向け梱包資材販売」
て、
社員全員が地域の皆さまと関わりを持て、
感謝の気
「大手ハウスメーカー向け木材加工生産」
「一般住宅
持ちを伝える場として喜びいっぱいです。
向け構造材・パネル生産」
「内装材・家具生産」
「住宅リ
今日まで事業の多角化を進める過程において、
さま
フォーム・新築事業」
「中国事業」の6つです。
中国の大
ざまな技術の習得が必要でした。社員の皆さんの熱意
連には平成24年に「大連三浦建材有限公司」
を設立
と努力でご支援いただいたことに本当に感謝していま
し、
ハウスメーカー向け木材加工や内装材・家具等の生
す。現在、
住宅部品が一括して供給できる企業は全国
産を行っています。
各部門の仕事の質を深堀りして経営
でも数少ないと聞いております。今後一層の差別化を
品質を高め、
年商10億の会社が6社あるような体制が理
図るには人間力
(人を活かす)
、
商品力
(木を活かす)
、
想です。
技術力
(知恵を活かす)
の3点を継続的に強化し、
仕事
2017年問題を前にして「今備える時、
考える時∼新市
の深堀り
(徹底の徹底)
をしていく必要があります。
【金
場・新顧客・新商品の開拓
(開発)
」がキーワードです。
今
力有限 人力無限】
の人事理念をもとに社員の成長が
後、
注力していくのは建具・造作材・造り付け家具までトー
会社の成長につながると全員で認識し、
たとえ規模は
タルで室内空間の提案をしていく無垢材の「ラスティック
小さくても社員やその家族が「お父さんは
“みうら”
に勤
モダン」及び「スマート モダン」
シリーズ。
この自社ブランド
めています」
と誇りを持って言える会社にしたい…35
商品の一般販路拡大とそれを使用した自社リフォーム事
年前Nちゃんの背中に誓ったことを忘れず努力してい
業の強化を図ること。
さらには国産材・県産材の商品開
きたいと思います。
そして将来、
「変わらなく続いている
発や老健施設等の非住宅部門の強化。
昨年2月からス
から老舗なのではなく、変わってきたから老舗と呼ばれ
タートした造船材事業も将来楽しみな部門です。
るまでに長く続いた」
といわれる会社を目指したいと思
います。
社員の成長が会社の成長
【LOVE COMPANY】
を目指して
43年間発行し続けている
社内報「むつみ」
世の中には「変わるもの」
と
「変わらないもの」があり
ます。商品や価格・技術等の「変わるもの」を追求しな
いと企業は生き残れませんが、挨拶や礼儀・約束・時間
等の「変わらないもの」への取り組みは、
今の時代本当
に難しくなってきました。兄で前社長・現相談役の三浦
義孝は、
人材育成と心の交流を重視し、
43年前に社内
報「むつみ」を創刊しました。会社の方針や各部門の
動向を報告するとともに、社内行事や家族の紹介など
を掲載し、
社員同士のコミュニケーションツールとして大
10
ワイエムビジネスレポート 2015.11月号 No.85
建具や床材、家具を、同じ
無垢材で統一できる
「ラス
ティック モダン」
シリーズ
企業レポート/株式会社 みうら
社長に
お聞きしました!
私の朝時間
朝は6時に起床します。新聞を読み、
モー
ニングサテライトを見ながら朝食と、い
たって普通の朝を過ごし、7時すぎに出
取締役社長
三浦 敏裕
社します。でもこの1時間はとても貴重な
時です。出かける際、40年余、毎日家内
が靴を揃えてくれており、
これもありがた
いことと思っています。
好きな言葉
概 要
<所在地>
山口県周南市野村3丁目24-1
< 設 立 >
昭和21年(創業 昭和2年)
<資 本 金>
5,500万円
< 従業員数 >
約150名
< 営業内容 >
梱包物流資材事業(パレット・強化段ボール・造船材
等)/大手ハウスメーカー向け木材加工事業(外内装
「負けた後が大事」。中学時代、軟式庭
下地材)/住宅構造駆体事業(プレカット・パネル等)
球の県大会の準決勝で逆転負けした
/住宅内装建材事業(建具・造作材・オーダー家具等)
時、恩師に言われた言葉です。
「勝った
/住宅新築、増改築(リフォーム)事業/中国事業(木
時より負けた時こそ、人間しっかり考える
ものだ」
と教わりました。人生や仕事の
上で失敗や苦しい時、
どう捉え乗り越え
るかが人間の価値なのだと思います。
また、中国に出かけるようになって
「志在
千里」の言葉をかみしめています。
「戦場
で戦った駿馬が歳を取り、今では厩舎に
身を横たえているが、草原を千里も万里
も駆けめぐった若駒の想いをいつまでも
大事にしている」
という意味です。
これか
らも若い人の後押しができたらと思って
います。
材加工・内装材)
事業拠点
本社工場(周南市)/徳地工場(山口市)/新田工場(周南市)/高瀬
工場
(周南市)
/リファインしゅうなん
(下松市)
/リファイン大内みほり
(山口市)/大連三浦建材有限公司(中国)
企業沿革
昭 和 2 年 製材業で創業
昭和32年 石灰石専用貨物船「東龍丸」建造。就航2航海目に遭難
昭和33年 日新製鋼(株)周南製鋼所操業開始に伴い、木枠生産と梱包
作業を開始
昭和39年 現本社所在地に新製材工場を建設。海運業から撤退
(株)山口工場向けのハウス部
昭和56年 岩国工場を設立し、積水ハウス
材生産開始
昭和57年 山口市徳地町に徳地産業(株)設立(現:徳地工場)
私 の お 気 に 入り
ゴルフは若いころから好きですが、膝を痛
めてしまい、最近はスコアも伸びずアップ
アップです。今は時折、
家内と温泉に行く
こともありますが、
あちこちのお店に立ち
寄り、
インテリアや内装を見るのが楽しみ
です。時間があれば会社に行き、一番落
ち着く自分のデスクで過ごします。好きな
作家は司馬遼太郎、童門冬二、藤沢周
平です。
「グリーンハウスみうら」として建設業へ新
昭和61年 住宅事業部発足。
規参入
昭和63年 パナソニックのリファインショップ「リファインとくやま」へ移管
(現:リファインしゅうなん)
平 成 2 年 住宅用内装建材分野へ参入。塗装用設備を導入
平 成 5 年 周南市新田に新田工場開設
平 成 7 年 在来木造住宅パネル工法開発
平成12年 オーダー家具生産開始
プレカットとパネル本格生産開始
平成13年 プレカット設備を導入し、
平成16年 本社工場にてISO14001の認証取得
平成22年 防府市の「リファインほうふ」を移転して山口市大内御堀に
「リファイン大内みほり」オープン
平成24年 中国工場「大連三浦建材有限公司」の設立
平成27年 周南市高瀬に高瀬工場開設
ワイエムビジネスレポート 2015. 11月号 No.85
11