1′ 州 利 k25118,1 1 11(1, │ t」 予り ,t神 社 11人 1長 れ ,1.引 t "l17); :│ 「 Jtた 発Fi.■ ,1,,t‖ ′ 25118 1 117り ,I:ヽ 11:委 :● ,1会 「li年 11水 ]11 1[11026-232035; FAX026 `1委 2,3272,, ∫ 神宦久牟え宦 l r ︶ ´ 、‘ヽ :‐ ︲ ︲ . │ 鉾ν、一黎〓一 写真提供 一=中嶋製件所 代表取締●社長 中嶋君思氏 ヽ , (117=) 州 神 (2) 平成25年 8月 1日 県内各神社 の神職 総代 の皆様 に於かれましては常 日頃、本社神社 の護持運営はもとより、神社神道興隆 何卒、皆様方 の 一層 の御指導、御鞭撻を賜りますよう切にお願 い申し上 。 げ ま す の では第六十 二回式年遷官 に向けた諸準備も大方整 神 宮 御 事 い、天皇陛下 の御治と 夕ι仰ぎ内官 外宮 の遷御 の日時も決まり、全国民 幸 い気心も分かり、人格円満有能な近藤 宇治橋両氏共 に副庁長 に再 任されましたので心強 い限りで御座 います。 共 に力を合わせ理事様を初め役員様 のお力を頂き、長野県神社 界が 一体 となり発展するよう尽くし て参りた いと存じます。 で御座 います。 の為 に御尽痒賜ります事 に深甚なる故意を表します。 亦、神社庁 々務推進 に深 い御理解と絶大なる御協力を 戴き、誠 に有り難く厚く御礼申し上げます。 が待ちに待 った今秋 の国家的重儀 の御遷官はもう直ぐであります。 この御遷宮を大きな契機として神官参拝が愈 々盛んになり、神社神道 が益 々興鷹する事を皆様と共に願 い御挨拶と致します。 就 任 の御 機 拶 去る二月八日の定例協 議員会 に於 いての役員改選により、不肖私が庁 長に再任され、再び重責を担う事 になりました。 元より浅学茉オ で、大任を思ヽ つと荷が重く、責任 の重大さに不安が弥 増しますが、大神様 の御加護を仰ぎ、微力ながら精 一杯務めて参る所存 に事業 に つきましては近年 でも特 に集中しております。 マスメディア等 でも盛 んに取り上げられておりますが、諸祭儀 の中 でも最高潮を迎える 長薔 希 ■″ 庁長 鳥 井 茂 信 就 任 の御 挨 拶 ﹁ 遭御 の俵﹄ に向か って、日を追うごと に御神威も揚 々と増しているよ う に思えます。各御社頭 に於 いて本宗奉資 の意義と更なるそ の精神 の高 揚 に努めて戴く ことを中心とし て、 二十年 に 一度 の私達民族 の 一+蒸ホ 典 を、厳粛な中にも楽しく晴れやかに完遂す べく、総代会 一丸となり、神 量 置 榊 〓熔 ■ 父 公癸 み 澤 庚 雄 常 日頃、神職 氏子総代 の皆様 におかれましては、 長野県神社総代会 の諸事業に多大なる御協力を戴 いて おります こと、哀心より感謝申し上げます。 宮大麻頒布促進事業を根幹とし て 一層力を入れて参ります。 一年を通 し、そして十支、榊社 の式年笙笙一 を経 て再び若 々し い生命 に生まれ変わ 常若﹂ の精神。神社神道 の神髄 であります この精神を式年遷宮 の機 る ﹃ 会 により多く の皆様に御理解戴けま す ことを願 つて■みません。 拶と致します。 県総代会会長就任 にあたり、県下氏子総代各位 の益 々の御健勝と、県 神社庁をはじめ各御社頭が弥御隆昌されますことを祈念し、就任 の御挨 二月 二日の定例代議員会 に於 いて、三期九年 に亘り 長野県神社総代会を帝引された行日増次郎会長 の御勇退に伴 い、後を受 け て会長就任 の御推挙を賜り、その使命と責任 の重さを2了えますと身 の 引き締まる思 いであります。神社庁 の諸施策 に協力し、総代会役員、ま た支会長 の皆様 の大・ きな支えを戴きながら、県下各神社 に祀られる大神 様 の御加護により、心も新たに 一歩ず つ献身努力 して参 る所存 でありま す ので、御指導御鞭撻 の程何烹 ■しく御願 い致します。 ,年遷宮 の本年を迎え て、関係諸祭儀並び 拠、△二年は第六十 二回神宮式 ︶ 就任 の御挨拶 熊 丼 茂 信 2 ■■ の御挨拶 湯澤 虜雄 2 日誌抄 口茨 編集委 員会 か ら 3 長 野県神社庁 新役 員神社総代 会員 支部 長 支 会長 教化 部役員 5 と行事 曰叶 6 遭 御 にま つわ るな組 ︵ 山奏 n 林 権御料 固余を本 仕 し て 8 o 第十 人回r供参富 M l 2 熟田神■ 刷祀■た百年人茶 に参列して 1 , 4 神職 の横 顔 神社 本庁表杉 式 1 3 出雲大 社 平 成 の大遭 ● 1 新 辞令 5 ︲ 平成 5 2年度 長野県神 社庁茂 人歳 出 6 予算書 1 平成 お年 度災害救 助慰結特 別会計 歳 人茂出 予算書 曰譲り 成 ・ 夏E 1年 , *教 教化部 の略 一 月 ︱ 辞令 伝達式 十 一︱ ︱ 十 人 ヽ十七 ︱ 束れ五呼神社十■務研修会 ■静 同県 一 ■#■“^ム 凛 二 二1 一 1 ︱ 教化部今 回委員会 一■︱ 文化庁■= 不活動宗 教 一 人日 法人対‘八 ●蔽 於都道府県会 “ 正副庁ヽ会 別表 =別神社■﹁会 贅々員会 ■社 庁社乱■■検一 ︱ 五 ︱ :: i :l l l 七 六 ニ ブt'L人 ︱ 七 ︱ 工副Fi会 ■政■ 長野L本部性員会 理■人ム 北信地区工 ■総代研修会 東信地区氏 ■恰■■修会 神■人 “F“修イ■祭 〓一 月 i 口 神■人■l 招 l ,了本 告祭 神■人麻圧”布F 神 大““●■■季推進 , 於 神●会“ 会議 教 ■少年■■■進委員会 人十 二回神社庁ルた剌 ,議員会 協 ︱ 教 刊企委員会 十 四︱ ︱ 十 五︱ ボ教 法 人 の管 理 道 ■年 に , 関す る■あ説明会 於 II県松本企同十→ ︱当イ会 i二月 事 務︱ ︱ 二二1 1 神■社会 I ヽ二人H 第卜 人口子供参■田 一人 口 嗅太子段下御 一家抑本 迎 ●八日 正副 ヽ会 子峨下m ・家御本 送 ■九 日 ■人, ー 神政赳■叶県本部代議員会 ニー ー ー 三十 日 ■”識演会 理■会 令伝達式 人 , 海 I県 神 社 庁 断 時 同 ︱神●会, 会議 於 熱 ︱ ︱ 館 四 次 7 暑中見舞 1 四︱七 日 〓 野 県 迪 族 会 一“ 把 信 洪 のオ慰■茶 ﹂ 本 ■ 大北支椰 五日 = 社庁規社富嵐委 員会 ︱ 教化部県外研修旅行 大 ヽ七︱ tl i 南信地区氏子給■研修会 十 一日 教 刊■委 員会 1 ︱ 一ヽ十”1 東海 五県神社庁教化神崚連 合 口会議 於 証岡県 │ 月 十 五日 神■人麻唇頒布委員会 ││ lI ll ll 目 0 せんぐ う館 2 │ 「 ]i 二 い t ― プ t ││口 ,l FI 1l ii , (117■ 州 神 25`F8,, 1 日 (3) 1`i霙 ■フ + 四日 +七 日 辞令 伝達式 十 一日 神 政 連 本 部 長会 事 務 局 長 連絡会 於 神社本庁 十 一日 神政遭同会議員懇談会総会 於 ホテルニューオータ ニ 神政迪中央委員 会 於 神 社本庁 十 日 神社庁事務 担当者会 於 神社 本庁 +七 日 中信地区連絡協一 啜一 二十 日 神政連 長野県本部役 員会 二人口 “ 宮大麻居漬布委 員会 藤 藤 井 金 ″翌 倉 生 全員 近 宇治橋 澤 金 ″報編集委 員 罷 委員 長 し ております。 記事 の投 稿 など も お待 ち 望 があ り ま し た ら、 ど う かお寄 せくだ さ い。また、 庁 報 編集 委 員会 へのご 要 本 号 のご 感 想 ご 意 見 、 委員 淳 彰 信 基 森 彦 明 文 之 勉 吾 文 東 海 五県神 政連 臨 時 合 同 ^ 至武 於 愛知県 平 林成 元 諏訪 大 社 前 富 = 退任慰労会 於 穂高ビ ューホテル l 全l i神社 総代会 代議 員会 本片 表 彰 式 於 明治記念館 ′表 二五 日 神社本庁先 例評議員会 班幣式 神社庁長会 教化部役 員会 一 ハ 月 神社検完 於 神社庁 四柱神社 庁報編集〓自^ 会 お自 石持行事事 務説明会 教化 計 営 業 ズ員会 伊 武 自 平 齋 保 松 一 封 一 四日 五日 五日 神 社 本 庁 政 茂 秀 洋 光 幸 後 秀 英 十 五日 天皇皇后 両陛 下御奉 迎 合 同会 議 新 旧 員歓 送 , 迎会 五 月 十 六日 天皇阜后両L 下御ヽ 送 十七 ∼十八日 第 二 同 遣 i 皇 広報研修会 “一 神●スム 館及び神■神ユ ■t H 東海 五県連合総会企画 二 二ヽ 十 △ 〓 “^口 ホ内東海五県評議員会 に 二五 日 庁報編集香 員会 一 ■日 東海 五県神社庁評議 員会 二七 日 於 岐白薔十 東海 五県神社庁連合誌会 於 L E僣宗 :二 十 五 二 九 日 日 日 人日 ll藤 尊 井 崎 藤 者 鳥 (117号 ) 神 {4) 平成3年 8月 1日 == ■ナ 飯 伊 上伊那 松塩筑 南安曇 南佐久 上 小 諏訪部 茅野市 上伊 那 下伊那 飯 田市 木 曽 松塩筑 南安曇 大 北 忠 静 直 光 信 晃 陸 俊 更 級 更 埴 須 高 中 高 ■水 内 飯 水 長 野 教化部役員 L回 林 中 藤 村 村 ― 丼 出 倉 行 良 科 幸 下 原 伸 則 勝 広 一 官由 岡 清 彦 副委員長 中 山 美恵子 〓 ■萎 碁 ヽ 等 々力 と す●情 牧 子 盾 沢 光 忠 副委員長 一 彗 含量 副委員長 清 住 邦 廣 副委 ] 星長 諏 訪 雅 彦 教讐 蔓 平 林 秀 文 祭正会員長 些ユ 城 憲 和 青対担当 山 田 充 春 調査担当 伊 藤 光 ´ 旦 教化担当 武 藤 美 登 教化部長 宇︶ ●脩 一 浮 祭 祀担当 ﹂ 退 藤 久 芳 加 上 北 児 西 松 田 一 近藤 政彰 ︵ 飯 伊︶ 本 庁 評議 員 藤 井 茂 信 ︵ 上水内 ︶ 事 曽 あ年4月∼2年3月 事 大 北 埴 更 級 更 下高丼 木 曽︶ 浦澤 英 一 ︵ 同谷市︶ 長日 正康 ︵ 工藤 久吉 ︵ 北佐久︶ 北佐久 飯 水 上水 内 上高井 長 野県 神 社 総 代会 飯田市︶ 会 長 一 を洋 廣雄 ︵ 副会長 ・藤村 吉彦 ︵ 松塩筑︶ 長 野 ,︵ 五県評議員 穂高 光雄 南安曇︶ 諏 訪︶ 北島 和孝 ︵ 飯 伊︶ 市原貴美雄 ︵ 本年度より二年間のな期で蓋をきれました。 間 哺 芳 健 彦 カ ー 木 理 善 重 候 博 保 を す治橋 一 ︵ 松塩筑︶ 監 長 野県 沖 社庁 役 員 上水内 ︶ 庁 長 藤井 茂信 ︵ 飯 伊︶ 副庁長 近藤 政彰 ︵ 宇治橋 淳 ︵ 松塩筑︶ 井出 舜 ︵ 南佐久︶ 瀧澤 基 ︵ 長 野︶ 上水内︶ 宮下 俊樹 ︵ 上伊那︶ 伊藤 光宣 ︵ 遠藤 久芳 ︵ 松塩筑︶ 長 野︶ 加藤 保彦 ︵ 高橋 登 ︵ 南佐久︶ 理 事 上村 力 ︵ 飯 水︶ 山田 充春 ︵ 南^ 各ぎ 湯澤 廣雄 ︵ 飯田市︶ 近藤 政彰 諏訪市 諏 訪︶ 宮坂 清 ︵ 滝 人 本 曽︶ 和 ︵ 武藤 美登 ︵ 上 小︶ 藤村 吉彦 ︵ 松塩筑︶ 浮 を す治退坤 一 自一 〓 昌鳳ロ エ 監 事 依日 延嘉 ︵ 上 小︶ 同谷市 0受 全会長 大 北︶ 官澤 正廣 ︵ 竹内 忠男 ︵ 更 埴︶ 依田 延嘉 ︵ 上 小︶ 春日 義直 ︵ 上伊那︶ 南佐久 佐 々木 一 不 昭 北佐久 金 井 重 恭 上 小 清 住 一 不 廣 諏 訪 有 賀 寛 共 ◆支部長 顧 間 藤井 茂信 行日増次郎 警﹂ ︵ 志口 〓 上伊那︶ 唐沢 忠孝 澁川 謙 一 重 局 守 村井 仁 齋藤 吉仁 阿部 守 一 平林 成元 行日増次郎 男 夫 彦 雄 廣 ― 男 明 1召 彦 男 彦 彦 雄 文 彦 ― 雄 登 直 郎 康 行 水 嘉 吉 登 安 li滋 幹 義 益 正 善 芳 延 久 内 内 内 高 坂 島 谷 鳥 日 野 味 田 藤 橋 澤 口 村 澤 澤 桐 日 齋 鷲 宮 博 勝 竹 堀 竹 穂 宮 宮 熊 自 松 井 藤 浦 湯 片 志 堀 長 清 五 依 工 高 藤 尾 川 日 徳 喜 吉 英 廣 顧 ) (]17号 神 (5) 平成25年 8月 ]口 ι一 一 罵 手l お し ら いしも ち 〓 ょう し 御自石持行事 t月 二十六 ロー九月 一日 新 官 の新敷 地 に敷き つめる ﹁ 御白 石﹂を 勢 の市 民を はじ め 全 国 の崇教者 が奉献 , す る. 皇太神官 5 日 0時 9月 1 ︲ 0 9月 3 1日 1■ 鏡 軒︸ 一 一 サ r ・ あ ら いき よ め ォ奢 言 彼 〓 l l ll ll tち え さ い 11 1i 鉄 ι猜爆蟷ホ 皇太神官 豊受大神宮 珍 工を よろこび 平安 であ ることを 洗 清 0時 皇大神官 9月 И日1 大宮地 の神 に析 る I)11 新 訓された御装東神宝を 照合す る 0月 4日1 0時 単受 大神官 1 0時 阜人神官 Ю月1日1 御 装 東神 宝読 合 0時 豊受人神官 9月 あ目1 ″ Tした新宮 のす べてを洗 い清 める 心 御柱 奉 建 皇太神吉 9月昴日”時 豊受人神官 9月″日“時 御■般中央 の床下に心御柱を本建する ︺月 歩●D■ 杵 築祭 呈■捕一呂 1¨ 91 ♪日mL 川原大祓 豊■人神官 新宮 の御柱 の ■人神宮 6時 Ю月 ︱日1 根本を白杖 で つき 同める 豊受 大神官 0月 4月1 6時 1 御装束神■をはじ め遷御 に奉仕す る 者を祓 い清 める ││ ^ ‖ 8│ 後鎮築 川原大祓 御戸 祭 豊受大神官 御正殿の御扉を造りま つる 御船 代奉 納 式 0時 皇太神官 9月I日1 9■m時 豊受人神宮 9月 1 御神 体を お鎮 めす る御 船代を御正段 に本納 御白石持行事 , (117け 神 ∫ 1 (6) 8り ]1 ` r成 25`「 , {117け 州 神 8111n(7) 平成25年 御飾 皇太神宮 些ユ ニ ス+ ︿ 製告[ 祐 0月 2日正午 1 0月 5日正午 1 御 装東 て新 般を装 飾し、遷御 のご準 備をす る せんざ よ 遷御 0月 2口”時 皇太神官 1 0時 豊受キー H m月 5H2 御神体を新宮 へと違しま つる 大御 餞 皇大神富 Ю月3日6時 豊受十電 H O l月 6日6時 新 宮 では じ め て の大 御 餞 を た て ま つる 皇太神富 “月 6日m時 Ю月 3●■L 奉幣 x 些〓ど +命埋冨 新宮 の人御前 に勅使 ︵ 天阜 の使 い︶が幣鳥 を春 莫される . 大御餞 古物渡 4時 阜大神宮 0 1月3日1 4時 豊受大和営 Ю月6日1 古殿に奉納されていた神生類を新官に移す み か ぐ ら み け 0月 3日1 7時 皇太神宮 1 7時 0月6日1 豊受大神宮 1 御神楽 に先立ち、大御韻をた てま つる ◆ 選御の日は陛下が御治定 式 年 遷宮 のな か でも 特 に大 事 な 祭 共 に つ いては 、 古 来 より 陛 下 か らお定 め いただ いてま い りま した。 こ の御 治 定 に基 づ いて、 細 か な 式 典 の日時 が決 めら れ 内 宮 第 一別営 の荒 祭 官 と 、外 吉 第 一 別宮多 賀 官 の遷 御寺 の日程 も 決 定 されました。 : ' 山葵田御料圃祭 より 一大 産地と し て有名 であり ます が、 こ の安曇 野 の 観光 客 で賑わう人 工わ さび戻 場 ︵ 深澤沖 正 回主 ︶ の 一角 に 神営 の山葵 御 料圃 があ り、 例年 伊勢 の神 宮 から奉 仕員 が三 省回し、そ の年 の豊作を 祈順致 し ており ます。 仰ぐ清 地 で 穂 高光雄矢 原神 明宮 小合 諏 祭 典当 日は、晴 天 に恵ま れ、霊峰穂高 を 伊 勢 の神 官 の祭 典 で供 え ら れ る米 野 訪神社 官司様 、穂高神社 神職 の方 々 のご奉 水 によ って育 てら れた安曇 野山葵 は、明治 北 アルプ スの賛 の、恵 ま れた清 らか な湧 載き、現在 に至 っております。 氏 子総代 の方 々から、ご献納 のお申 し出 を であ ったご縁 で 地 元矢 原御鎮座 の神 明宮 を 中心とす る安 曇 野が、中世 に神 官 の御 厨 ま す。戦後 間も な い昭和 二二年 、失 原 の地 穂 高 で栽培 さ れたも のを ご献 納戴 いており 祭 一月 の元始 祭 二月 の建 日 記念 祭 に、 そ の 一つであ る山 葵 は 、 二 一 月 の天 長 に御供え させ て載 いております。 められた方 々に栽 培を お願 いし、大御 神様 は作 ること のでき な い作物 に関し ては 定 ら、ごく僅 か ではありま す が 伊勢 の地 で と が 基 本 と な ってお り ま す 。 し か し な が 菜 果物 は 神 宮神 口 御 同 で調製 す る こ と共 に奉仕 させ て戴きま した。 本年 の神官担 当と し て、本 城泰 興神官宮 掌 神ヤ権補宜 葦 津 健次 郎 山奏 口o 沐檎御 料 回祭を本 仕して 二月 七 日 長野県安曇 野市 穂高 にお いて ′ ′ 高 列な山葵田 山葵 =御料 回祭を 、また 五月 八日、同安 `成 曇 野市 三郷 小倉 にお いて林捨 御 料 回 祭 を 、 Ir こ ′ 「 (117,, 神 (8) 25年 8月 1口 ・ `● , , ・ ■● ヽ . 二月 の祈年祭 にご献納戴 いております。 の、林檎 献納 に対 す る熱 い思 いには、心を け、大切 に有袋 栽培 が行わ れ て いると のこ 方法 を お取り戴 き 一つ 一つ丁寧 に袋を掛 のこと かと は思 いま す。 しかしな がら、 こ 係 の、 ほん の 一瞬 に関わ らせ て載 いただ け 私ども は 歴史 あ る安 曇 野と神 官と の関 打たれ、感激致しま した。 と でありま す。 これも 偏 に、和 官 に対 す る の二〇年 に 一度 の両 工宮 ご遷 御 の住 年 に、 神宮 用林檎 の栽 培 は、今 でも普 な がら の お気 持ち の表 れと 、深く感謝致 し ておりま そ の重 みを感 じる、貴重 な経験を させ て載 し上げます。 ご関係 の皆様 の更 な るご発展 を お祈り中 いたと感謝致 し ております。 す。 降幡 隆亮 固 神言御 料圃 があ るり んご国 ︵ 主 ︶ では 晴 れ渡 る空 の下 林檎 の白 い可 憐 な花 が咲き 誇 っており、神官 か ら参 向 し た私ども は、 そ の美 し さ に見 と れ ておりま した が、本年 は四月 二 一日 の雪 で 大変 な 被害を受 け、収穫 が危 ぶま れ て いると のお 話 しを 聞き 、ご関係 の皆様 のお気持 ちを 思 い、心が痛 みま した。 皆 様と共 に、降幡宗 年神宮御料 り んご奉 賛 祭 典 では、穂高官 司様 、穂高神 社神職 の 社も戴 き 、深澤溢 寿矢 原神明宮 総代様 始 会 会長様 始 め、 ご関係 の方 々多 数 ご参 列 の いる 、 花 形 浩 実 J Aあ づ み小 倉 支 所 長 様 でも、り んご奉賛会 の窓 口を ご担当戴 いて 様 々な お話 しを お間 が せ載きま した が、中 直会 の■ など では 、 ご関 係 の皆 様 から 、 させ て載きま した。 め、ご関係各位 ご参 列 のも と、神宮 祭式 で し出を戴 き 安曇 野 の林檎を 、伊勢神 宮御 に 地 元小倉 御鎮座 の諏訪神社 様 からお中 一方 、林檎 に つき ま し ては、昭 和三 五年 戴 きま した。 もと 、林檎 生長 の無事を 、心を込 め て祈願 林携御料□祭 豊作 祈願 のお祭りを 、滞 りなく奉 仕 させ て ` 十 ' 料 り んご奉賛 会様 から、 二 一 月 の天長 祭 豊かに実った林構 : ・ _,「 ヽ、fよ ■17サ ) 神 (9) 平成25年 8月 l口 , (l17■ 1 (]o) 平成25,8月 ﹁ 第 十 八 口子 供参 官 団﹂ ∼子供達から学い か 事∼ 名 役員 及び保護者 三F 二名 、総勢 一二〇 県内 各 地 より 児 童 八十 五名 未 就 学 児 二 親 子参 官 団か ら子 供参 官 田と 名 称 を 戻し、 の 一泊 二日 の日程 で行 わ れま した。今 年 は 回 の子供参 官 国が 二月 二十 五 日∼ 二L 六 日 式 年遷官を 迎え る平成 二十 五年 第十 八 ︱ 、 文 の提 ︱ ︱ では 各 々がし っかりと 思 いを書 火議 り に挑 戦 し ておりま した。 そ の後 、作 生 懸 命 聴 き 入 る子供 辻 .何 人も手 を挙 げ り の見 学 の時 間.神宮官掌 さん の説明を 一 な った大 講堂 に於 いて有 り難 い計 話と火鑽 へ到 着 . 夕 ■ のあ と 夕 食 を 戟 き 、 新 し く おは ら い町お かげ積 丁を散策 し、神〓会 館 青 少 年 対 策 推進 委 員 十 薔 美 恙 子 名 の参加 により実施 されま した。 天 の岩 屋、夫婦岩 にも お参 り しました。神 ス毎 に参 拝 を し、夫 婦岩 を 背 に記念 撮 影 . の吹き付 け る中、列を組 み神 社 へ到着 . バ 二見 興玉神 社 へと歩 いて向 か います 。浜風 まず始 め に二見 ヶ滞 へ到着 し、浜参 宮 の に﹂と、心から願 いました。 した時 は ﹁ 思 い出深 い良 い旅 になります様 結 し、元気 一杯 の大勢 の子供達 の姿 を日 に 宮 を 迎え る真新 L い御 正宮 の屋 根 が並 び 、 に参 キを終え ま した。隣 の御敷 地 にはご遷 の中、誰 一人 口を 開く者 はなく、心を 一つ く行う姿 が日 に行き ま した。朝 に残 る静寂 近付 く に つれ、真剣 な 面持 ち で手水も 正 し 歩く姿も 。 しか し、年治橋 を渡り御 正官 が う に日を擦 りな がらも 、列 に遅れな い様 に 絆 .朝 から元気 一杯 の子供も いれば 、 眠そ 二 日日 は 早 朝 よ り 内 官 御 垣内 特 別 参 思ヽ 2■分楽 しそう に遊 んでおりました. をとり 、 三時 間 アト ラクシ ョンを 巡り 皆 お待 ち かね の長島 スパー ランド です。 昼食 た,外官 へ移 動 し 自 由参キ の後 は な 々 れ も 忘 れ 皆 、 真 剣 に見 入 ってお り ま し 拝 に続き 、御神楽 と舞楽 の奉奏。 足 のしび 全戻り、朝食を戴 き出発 ︱内官 に て正式参 皆感 慨深 い思 いで眺 め ており ま した。宿合 ムヽ 留 め て いる姿 が印象的 でした。 の御使 いと される ■見 蛙が境内 に多 く献 納 二十 年 の節 日 のお姿 を 日 にす る事 が でき 、 各地 より出発 した バ スコ台 は恵 那峡 に集 さ れ 払達 を 迎 え てく れま した 。 そ の後 、 (l17け ) 州 神 ],(11) 平鹿 51:8月 二期 日六年 日を迎え るス は こ の旅 で毎年 す。 て、予定通リ スムーズ に運 んだ様 に思 いま 加 者 の子供 達 は と ても 元 気 に挨 拶 が 出 来 今 回は、 両 日に亘り 天候 に恵 ま れ 参 く お し ゃ べり 、 アド レ ス の交 換 も 。 そ の い?﹂と言 ってく れま した。 それか ら楽 し 座り、﹁ も っと話 し た いか ら隣 に来 ても い れ て いる はず の少 女 は 、 私 の座 席 の構 ヘ 緒 に帰 路 に着 き ま し た 。 進 国 地 で遊 び 渡 愛 い女 の子 でした。 二日日 に共 に行 動 し 一 られ ると言う事 ︱ま た子供達 が理解出来 る る機 会 を 戴 き た だ 教 え ると は 逆 に、 教 え 、 く ﹃ ´ ﹂ 縁 一を戴 いて 大 勢 の子供達と接 す 戴 いて いる のではな いでし ょう か ?せ っか が それ によ って自身も大 変貴重 な時 間を 預 か ると 言 う事 は 大 変 な事 で はあ り ま す 重 要な役割 ではな いでし ょう か ,そ んな中 か ら 、意 義 のあ る ﹃ 心 と 会 話 のキ ャ ッチ 。 1 様 々な1 ︱逢 いや学 びを 経 験 し ており ま す がそ の感性を誉 め ると少女 は大変 喜び 。 そ ボ ー ル﹂ が出 来 た ら す ば ら し いと 思 いま 様 に、 いか に解 り易く 教え る ことも私達 の れから即 興 で十 の歌 を私 にプ レゼ ントし て す。 際 少女 のメ モ用紙 の端 に 一つの短歌 を くれま した。そ の作品 の中から 。 そし て今 年も 私 にと って忘 れられな い、感 ﹁人と 人 、手 を 繋 げ れば 、実 い合 い、見 知 他 の旅行 と は違う 、青少年 対策推進委 員 。 会 だ から こそ出来 る事 を追 究 し て いけ る の 見 つけま した。 そ の歌 がと ても素 敵 で、私 らぬ人と、触 れ合う時間﹂ だと思 います。 慨深くと でも有意義 な旅となりま した。 初対面 の少女 は、小六 のと ても実顔 の可 ﹁ 梅 の花 、 春 一番 に 花 が咲 き ウ グイ ス 翌朝 、早速少女 から旅 のお礼 メー ルが属 縁﹄ の大 切 さを 、子供達 にも伝え ら れ る様 ご 楽 し み です 。 委 員 会 の仲 間 と 、 こ の ﹃ 二期 七年 日が始まり ます。今後 の活動 が き ま し た。 こ の子 に載 いた歌 も 思 い出も 、 に大切 に育 ん で行き た いと思 います。 鳴 いて、春 の訪れ﹂ 私 にと つて大 切 な 大 切 な 主 物 と な り ま し 第 一に思 い出作り のお手 伝 いを す る。私 は 法 などを 通し て神道 教化を計 り、 ■ つ安 全 私達 の役 日は 子供達 にお官 の歴史 や作 です。 て、 ここで出逢え たご縁 は今後 も続き そう な い程 の出 逢 いが 沢 山 あ り ま し た 。 そ し 今 回 の旅行 では まだ ここには書きき れ た。 こう 解釈 し、 こ の委 員会 はと ても 重 要な役 割 を果 たし て いると 思 って います。 子供を (117=) 州1 神 (12) 平成25年 8月 l日 口 神 官 達 にも わかり やす く熱 回神 宮 の啓家 を され て います。 熱 日神言 では辺 る こと平成 二十 一年 には は 景行 天皇 四十 三年 ︵一 一三年 ︶ 日本武 理 高 城治延少 宮司 奥 田n総代会 長を始 が本庁幣献幣使 を勤 めら れ 北白 川道久 統 参 列者 の見守 る中 、神 社本庁 田中恒清総 長 運営 の見事 さ に何時も感激 させられます。 毎 年 のよう に次 々と施 設 が更新 さ れ 護持 には、神 楽 殿 や授 与所 も 改 築 さ れ るな ど 、 社 殴 の鋼板 屋根茸き替 え 工事 が行 われ、■ 本 殴選座茶 が齋行 され、本言 拝 殿など の 車 の妃 の言貴 媛命 が、 三種 の神 器 の 一つで め代表者 に合 わ せ参列者全 員 で上串 拝礼を 名 古 屋 市 の熱 口 神 宮 ︵ 小中和夫宮司︶ あ る草薙神 剣を熱 日 の地 に奉齋 ︵ 創 祀︶な 行 い笙盤 ^ は無事 業了しま した。 招 待 さ れ 宮 司 が参 列 さ せ て いた だ き ま し 川 に鎮 座す る大 宮熟 m神社 は今 回 の大祭 に 千九 百年大祭 が齋行 されま した。松本市 梓 り、 五月 八 日 ^ 伝 日本武尊 御命 日︶ に創 祀 う です 。そ し て、ま んが で読 む古事 記 ﹁ 倭 の記念行事 が数 日 にわ たり執 り行 われた そ ト タケ ルと熱 田神 宮﹂ などと、 そ の他多 く ど の御神楽 や弓 馬術礼法 記念講座 ﹁ ヤマ 本祝事 業と し ては出 雲国大 原神主和 楽 な 満 々しく参 続け てこら れた事積 に ただただ有 り酢く こと なく 国家 の平安 と阜室 の弥栄 を祈願 し 創 祀 千九 百年 ● 水き にわたり 常 も変 わ る す る社 段を臨 み、晴 天 に恵ま れた熱 出神宮 ま れ、ゴ ミ 一つ無 く清掃 された境内 に鎮座 枚 に及 ぶ大 き な パネ ルが 展 示 さ れ ており す る参 道 には、創 祀 から現代ま で の二十数 た。 ただきま し 拝 させ て い 午前十 一時 より人 祭が始まり 、約千名 の とが できました。 く熱 田神 宮 の信仰 の高 さがよく理解す る こ により+易 に解 説さ れ ており、古代 か ら続 物と熱 田神官と の問わり など が絵 画 や写真 や織 田信長 単 臣秀吉 徳 川家康 など の人 熱 口神 宮創祀 の神 話 から古 代 中 世 の歴史 人万坪 の広大 な境内 の中、参 列者 が集合 た。 建命 〓草薙神剣﹂なども刊行 され 子ども 大愉 が何本も樹 立す る緑多 き神 南備 に包 され てから、本年 十九百年 の慶節 の年と な 大宮熱 田神社富司 山 田充春 祀十 九百年 大祭に参 列して 熱 創 (117,) 州 神 平成る 年 8月 1日 (13) 出 雲 入 社 出雲入社手咸②大塁雪 去 る五月十日、勅使御参向、三笠営彬子 諏訪 大 社 権 禰 宜 遠 山 赳 大 社 本 殿 遷 座 祭 ﹂ が 厳 か に斎 行 さ れ ま し 我 が国最吉 の神 社と し て広く崇敬 を集 め た。 もと、全国各地から の 一万 二千名 に及 ぶ参 る出 雲大 社 の大 国主大神様 は、諏訪大 社 の 女工殿下、高円宮典子女工殿下 の御参列 の 出雲 列者 が見守 る中 六十年 ぶりとなる ﹁ 建御名 方大神様 の祖神 であり 、今 日本 殿遷 座 祭を奉拝 す る為 に諏訪を出発 し 一路出 雲を 目指 しま した。当 日は早朝 から雨が降 り出 し、到着 し ても 時折強 く降 って いま し た が、昼過ぎ には雨 は上がり、参 拝者 も次 第 に増え てま いりました。 ま した。六十年 ぶり に御修 造 が整 った御本 スクリ ー ンを通 し て祭典を奉 拝 させ て頂き した が、境内 に設け られた特 設 テ ント内 の から、悠 久 の時 を経 て連綿 と受 け継 がれた り です 。神 威 の発揚を 願 つてき た先 人 たち てそ の機会 に恵ま れた こと に感謝 す るば か な いであ ろう祭典 の場 に居ら れた事 、 そし 祭典中 は荒 垣内 に入 る事 は叶 いま せ ん で 段 へ大神 様 がお遷り にな る浄間 の空気を感 伝 続 を後 世 に引 き 継ぎ 伝 え てゆく為 にも 、 しま なければ ならな いと実感 しま した。私 じな がら、ただ ただ 感動を党え る時 間が流 今 回 の本殿遭座 祭を奉拝 さ せ て頂 けた こ に これから の御奉 仕 の指 針を指 し示 し て頂 これからも より 一層 に日 々の神明本 仕 に勤 と は私 にと って忘 れられな い経験 となりま けた貴重 な参 手 となりま した。 れました。 した。 一生 の内 に、幾度 も めぐり 合う事 の 新 任 神 職 の 横 顔 難 しく 任命 された神職を紹介 します これからは 神 職と建築 十 の兼業 では ご 神社 本庁 去形式 一 t汁=社● ﹁ 計訪 ■社●司 ︱ ■■︱ ︱〓社●● 一 二奮 言 ■■t島柿 ■●■ 聾 一 二委 胃 一 二一 有 表彰燎結奎〓一 条第二号 表彰状 本県 では次 の大名 がヽ ¨ ■一 を受けた。 平ユ 二十四年度功績表彰 員 絆代年 二百t卜 一名が喧 れ の■ に浴した. 労‘ 散神 の合 が 任 一 ● く多 年 神社 の経 仲 ■ に協力 した功労 一 者 と し て神凧 役 ・. け ¨ 奮 樹 獅 州相 ﹃ “ ムが御臨席のもと、平一 東京 の明治記念館 表・ で行われた。 丁 い い に 制 に 制式 御 同 . ざ います が、神明 のご奉仕と神 ■ の護持 道 営 、また次 の世代 への橋渡 しと し て 一所 懸 命 に努 めさせ て頂 く所存 でござ います 。 よ ろしくお願 い致 します。 更 級支 部 松 澤観 光 一 干 四歳 一 武水別神社権禰宣 私と神道と の出会 いは、回學 院大學出 身 の先生方 の著昔 との出会 いが始まり でした。 当時感銘を受 け 社会 人と いう施¨ から外 れ 大き メ験を試 みた事は、 神職と いう 現在 の白 ,の大き な分岐点 であ ったと言えます。 分へ 入学後も志 の高 い先輩 や先生方 に恵まれ 道を違う事 なく無事卒 業を迎えられました。 そう した多 く の方 の御蔭 で、 現在 の自 分が いる のだと身をも つて感 じ て いる次第 です. こう した 思 いを無駄 にしな い様 、私自身 も 、神 明奉仕 に励 ん で いく所存 です。ご指 ご鞭撻 の拌、 導、 ■しくお願 い中 し上げます。 寓 川 和 工 一 ・ 手一 ・ 晟 矢本八幡宮宮司 上水内支部 社家 に生ま れ育 ち、 い つかは神職 にと い う 漠然 と した イ メージ は持 って いたも のの 高校大 学と 理系 の道 に進 んだ こと から、神 職資格を 得 るタイ ミ ングを逸 し ておりま し 鬱 ■ ■ 邦 じ 夫 │´ 義 延 IⅢ ■ ■ J: ■■■大礼役■ 山家神社敬神奸大会 価円 ,せ ftt iζ , な た が、 こ の度 幸 いにも幾 つか の機会 、ま た様 々なご縁を 頂き 、矢 本 人幡 宮宮 司 の大 任を拝命致しま した。 露 晨 くシ ) (l17け 神 平成251:S′ 1]│(14) されました. 1対 4神社から の中計 によ0 下記企■ の常 附イ 1 ,本納 いただ いた+■ に改 め て感計 の 赤減 の■, 心を し感計状が つ“″ ■下勝■ 参拾万円以上寄附 意を大します. 故■峰 多 [ ■伊那支赴 ー ー ー■ ︵ ¨”■オ 駒 ′祉︱ , ︱一 [ 飯伊, 支赴 ■野■ ︵ 飯Ш市︶ ︱ 鳥”建設に多 のユ財 央 ︱ ︱●杉 [ 松塩筑支芭 , ︱ 同︱ ︱“■ ︵ 松本市︶ 多れ の“財 小■ “ ︻ 泄■ ︵ ■■市︶ 多術のュ財 牧I小野れ 証●〓 “I勝■ , ] 史埴支芭 古大人神社 ︵ ■山市︶ ︱和■ 4 位のュ財 内 ︱ ︱ , ■■人帳〓 ^ 坂城町︶ i ■1 t性に多社 の“財 小ホ■址 , , ︻ 上高井受部] 小 神社 ^ 氣収市︶ , 和社 局m 一 ■不光■ [ ■水内支部] t百方神社 ︵ 長野市●■■岡︶ 1 多狐 の“財 原山t■ 代大 原1 1tn 辞今 福 澤 屋 孝 右■ 一 寛 奥 富 岡 耐 一﹃ 柳澤 恵 志 兼 宮 司 兼 宮 司 青 副 一 P莉 五十 嵐 輝 業 懇 大蔵 清 之 北條 多 息 子 桝繹 一 子十五 一 〓十五 留吉 兼 宮 司 な面 景一 兼 富言 丸¨ 長久 兼 兼 理〓 宮司 兼 構 廻 宜 せ罰 兼 宮 司 兼 権福■ 兼 権補 ■ 兼 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145∞ 0 支1`負 IH金 “ 370m 神社負担金 神職負:1金 ■ ,1寄 贈金 特別協賛全 有付金 0 財 E利 子 配 当全 O① 2∞ 鰤 19つ 説 2Q∞ 0 神社本│十 より △ 600∞ l● 附 :こ 0 神社本庁 より参事給与補助金 0 神職任命 登録│1 承●ll 各種手数11 証明ll 階仕授与交付金 0 贅 物 1又 入 雑 1又 人 0 庁,管 理費収入 関係団体管理費収入 0 △ 15ユ 圃 0 O∞ 歳出の部 款 責 本年 度予 算 額 前年度予算頷 日 附 46調 l10 216● 27 幣 吊 幣 鶴 丼 S250m 8鰤 つ00 0 ,1姜 議 責 4却 Qα Ю 43Ю Ю∞ 0 会議旅費 諸費 ● T 務 費 42“ Sm 42127Ю OO 負 担 金 26Ю 260⑩ 26101616 資 1811● αЮ 211● 63∞ 神官神徳宣揚贅交│1金 2 3 4 上 弦増 減 △ 24"7 l 48′ 記 説 明 文部を通 して各神社べ l=別 11 1務 業務111 晟幣使参向 ■ lα Ю 神事費 俵 │し 費 幣籠IIよ 進神ll 蠍幣使 籠賞旅費等 "1 役員報酬 詣給与及び福利厚生責 "要 贅 △ 75螂 神 神:本 庁 べ △ 304Q鰤 大 関ヽ資 摯 賣 F報 贅F賣 神iJ理 対策資 長貝研l,癸 東海五県連,会 貫キ 6 事 7 研 8 庁 舎 椎 持 費 116Qα Ю 11∞ Ю∞ 0 修構資 9 交 付 全 3403囲 34∞ Ю∞ 0 神職会 錯代会 10 積 立 金 1011α 0 基本全種立全 `,蔵 員退職薇立全 五県連今ヽ会積立全 神道昂掲資金ヽ立壼等 ll 補 助 全 5Qα " Ю 4αいつ∞ 費 loma・ s3 10∽ 5384 2101" 計 167∞ QαЮ 1676Ю Ю00 0 12 業 修 諸 備 予 費 2101Dl 鰤 Ю∞ lι 0 神社庁研 1,語 “ “査 mЮ ∞ 設備資 火災保険費 災喜慰書特別会計各々付金 0 時局対策費 平成25年 度長野県神社庁災害救助慰藉特別会計歳入歳出予算書 (単 位 1円 ) 歳入の部 ■ 本年度予算額 前年 度予 算 額 比較増減△ 日 l 負 担 金 3"Oα D 33mt o 2 操 入 金 η QαЮ 動 ,mo 3 本 lT見 金 lα Ю 0 4 雑 ,又 入 10" 5 操 越 金 l m2o∞ 12α 計 ,数 αЮ 53.● 舞 合 l∫ 3186000 金 215,Om 21mmO 本庁 災害慰書 費 58Ю ∞ 2 神 3 4 運 樹 営 費 計 6)0" ,劉 lX 説 明 絡代会 ,1職 j・ 金積 立 金 Ю 0 雑‖ 又入 0 `"0 000 2%600 災 言 慰 薔 費 載 llⅨ 〕 ● " lj記 本年度 予算 額 II年 度予算額 比 較増 減 △ 日 l 記 0 支部負担金 神職掛金 △ 1∞ lXD 神■ ● T mo 歳出の部 責 附 0 椰 `つ ∞0 53コ “ ∞0 △ l∞ p" 0 神駿警1全 薇立金 0 神職掛全支払金 災害対 策 資金 0 事務費 旅費 格費 △ 1∞ !Ю0 説 明 神社災害慰藉費 神社構代慰書費 神職災害慰薔費 一 孝 柱 神 社 司官 坂 信 廣 同 他 職 員 一 ヽ ヽ 、 , 〓 〓● ■ ■‘´ o一 ‘ 〓● ●ぃ o o ● ● 0 ¨ 手 長 神 官 司 宮 坂 若 一 王 子 神 社 嶽 神 野 皇 神 大 軽井沢町碓水峠鎮座 熊 問唐 沢 忠 社 社 孝 社 庁 宮 司 市 原 貴 美雄 職 員 総 代 一日 富 士 山 稲 荷 神 社 飯田市浜井 町 破魔射場錬座 神 名誉宮司 滝 重 則 官 司 滝 和 人 御 木 曽神 嶽 千滝 曽 長 野 県 神 顧 海 神 則 夫 社 社 三 社 行 繁 F 久 総 新 出 谷 佐 久 市 田 日 錬 座 官 司井 i 夏 細 軽井沢町旧軽井沢鎮座 倉 官 司水 祢 宜水 i 員 佐 長 澤 澤 藤 神 軽井沢町中軽井沢鎖座 会 名誉言 澁 川 謙 富 司北 島 和 穂 高 神 社 名普官司 穂 一 局 守 自 司 小 平 弘 起 同 職 員 一 松 本市 美 須 々六番 一号 長 野 縣 護 國 神 社 長責 司 社 也 人文 男 木 御 L伊那郡箕輪町三日町 一人 人 , 上 国市 長 口 一代崇 敬 社 光 貴 静 社 男 文 雄 社 夫文男 .= 心 諏訪市茶自山鎖座 深 官 司竹 内 直 彦 大町市大字大町 二〇九七 盛貴光 康守 宮 武正 官 官 司奥 谷 一 文 他 職 員 同 崎藤口 神 藤井 大 宮蔭 近今 星 岡工 関 男昭 社 敏高和 社 神 辺澤澤 訪 渡水水 諏 曾 ]][: 社 哲 一貫光 同登 居 屋澤澤 r、 代 土水水 神 風嶽 骨 長宜司 一美 . 絡 祢 宮 代 会 員藤 社 同芳 社 社 清 同入 島 他 神 神 員藤 武 絶 称 官 大 ll官 総 別 員内 ―久 一潔 足 1同 信 職遠 職堀 社 職武 社 島 ―茂 司 大 司 宮 水 司 訪 生 神 他 他 諏 宵 1員 井 (l17=) 州 神 (17) 平成25年 8月 1日 十 λ 孝⑤ 菅 神 尾 嶋 島 隆 勝 正 社 男 秀 稔 射 山 鎮 沢 克 沢 光 日 幸 三 忠 忠 雄 社 田 神 正 利 充 士 彦 昇 春 上 水内 部小 川村 小 根 山鎮 座 ll官 御 8 司唐 祢 t 唐 喰 夏 春 木曽郡木曽町福島鎖座 田 田 水 壺¨ 神 社 名蒼呂 司宮 官 司 宮 座 国 選定 重 要 建造 物 群 宿場 街 中山遺茶良井省 鎮 熱 田 田 安 國 神社 称 i 坂 神 り 長野県敬神婦人連合会爾問 長野県女子神職会顧間 長 幡 開回 高原 西 野 社 下高丼郡木島平村 ん 宮 司矢 澤 龍 一 三工綺へ 北 島 一 員 ^ 率 計 成 田 好 雄 守 t 二会鋏座 式 内 社 代 飯山市小菅 の星銀座 小 富 司鷲 髯食 真 矢 上” 那 郡 辰野 町 晨 誓 上伊那都飯島町 梅 一 戸 神 社 官 司 ︿ フ 井 泰 称 宜茅 野 理 也 権称宣 今 井 佑 宮 司 山 ゆ き 乃肇 上 那郡長野町小野 , 大 富 英安 社 勇人 成 一樹 田田 神 尚之 幸 陽俊 藤藤 彦 清 松本市梓川梓鎮座 泰 社 口山 神 原田 田 円下 神神 矢 社 官 司立 澤 寿 江 祢 宜立 澤 俊 輔 貧 夏 赤 羽 利 雄 神 彦 明 子 彦 侑 長野市城山鎮座 健御名方富命彦 神別神社 吉 吉 魂 神 藤 藤 社 睦 社 睦 宮 司 齋 藤 士 口 睦 司 齋 長野市東町鋏座 官 招 司齋 濃 長野市上松鎮座 信 宮 山 長野市松代呵銀座 象 官 司 瀧 澤 基 祢 せ 瀧 澤 け い子 権曽 瀧 澤 理 恵 岡谷市 小井川鰊座 寛 典 小 井 川 賀 茂 神 社 1賀 食 岡 武 鳥 俊 鳥 操 岡 清 須 弘 有 御 富 白 白 富 赤 司 大 宮 司 祢 せ 櫨薔 腋薔 1 員 富 井巣 増 太宮 齋齋 之彦 塚飯 長宜司 宜司 11 宜 i │1曾 官 貫 i司 縫 傷称官 祢 宮 (18) 平成万年 8月 1日 え 孝⑤ 八 幡 宮 ^ 重要文化財誉 田別尊神像︶ ヶ 嶺 飯田市 八幡町 一九九几 鳩 神 明 宮 官 司伊 原 義 雄 牛工 打″ た神 氏r総代受 枷側 科 秀 吾 一 穂 箕 輪 南 宵 司唐 祢 宜 唐 曾 負 矢 沢 沢 澤 宮 克 光 房 神 忠 忠 利 社 箕 輪 町大 学 中箕 鈴 木 ド 塩尻市中西條鎮座 〓一 嶽 神 宮 司 宇治 橋 祢 宜 宇治 橋 権 祢 宜 宇 治橋 権 祢 宜 宇 治橋 社 那市御回区鎖座 , 司 伊 和 長野市三輪鎮座 美 宮 司 斎 権警 矢 藤 神 藤 澤 駒 ヶ根市赤種鎮座 光 吉 龍 宣 社 睦 一 大 宮 五 十 鈴 神 社 長野市松代町皆神山 奥州 一之官睦壺神社何分社 安 曇 野市 豊 科南 穂 高 飯山市五束鎮座 国重文着宮 人幡社︶ ^ 三 子三 荷 佐久市自 田鎮座 稲 営 司伴 1 員 井 神 野 出 健 徳 一 三 社 官 司 高 橋 勧 称 宜 高 橋 穣 1 員 伊 澤 春 一 健 御名 方富 命彦 神 別神 社 彦雄 社 仁 井 日 塩尻市北小野鎖座 神 忠 忠 純 昭節 明 大町市社宮本 営 司 松 懲 衰 松 那市荒丼区 野 克 光 正 社 同登 和民 竃 藤大大 神 森澤澤 神 平澤 小 官 司白 鳥 俊 明 祢 責 白 鳥 操 子 〓¨ ヽヽ一 一 ∽ CN ”﹂一 ●一 ”﹂も、 も¨ 沢 沢 崎 霧野 長萱司 景 :波 社 賞資 ,言 璽 社 ―子 行 社 官 司 宇治橋 淳 祢 官 宇治橋 邦 彦 i 具 古 m 光 孝 長野市大町鎮座 官 司唐 祢 宜唐 特食 山 殿村 八 幡 宮 誠 房忠 総 祢 営 代 山 上伊 那 都市 箕 輪村 神 沼 沼沼 沼 長長長 長野県女子神賊会顧問 神明音官司 全国女子神職協議会副会長 長野県故神婦人連合会会長 長野県女子神職会顧間 柴神社営司 宜宜 司 , 神 , 長野 市岩 石 町鎮 座 山 ■ 祢宮 洲 自 長 権 祢 宮 子彦 彦 淳 社 子 子 えび す の神 夫忠 忠 社 同肇 社 牧 邦克 な tヽ 達光克 社 代 神 藤沢沢 西 宮 神 宮 司 丸 山 役員総 明 は け 員宜司 安長野市穂高有明学官城 彫刻 で名高 き裕明円 有 持 澤 荒 総 祢 ● 代 井 斎唐 唐 等 々力 満 永 瀧 十 λ 矛 ) (l17号 州 神 (19) 平成25年 8月 1日 ネ 申 平峻 5`=8り 1 1 11 (m) 11 り (H7ケ ' /1・ 言 で 出 峰 う、感 動 の 豊 菅 式年選宮記ttん ぐう瑣官 袢 営 式 年 邊 菅 が 伝 えてきたことを広 く伝 え、 未 ネ ヘ の継 承の意 義を伝 える 第六 │ :‖ 式■ι11を 記念して、外II ‐ 」1池 Wrに 新しい●I■ iが ,I館 しました. Iiく か ら参,卜 の‖11は 外■からとされてお り 「式 1:連 ,11J念 せん “ ぐう鉗 Jは 多 くの参′│′ に イ逃■Jへ の■ とって参11の 人 [と なり 「 │11=人「 解を深めるll iと して参■のないの場 としての Illを 人たしています。 ' ││=式 年層ド,を わ りやす くlltポ /1・ 式年遷,げ 伝えてきた技術や 制を示す資料や イl,i へ伝えてい くこと 証 l■ l十 ■により、た●を木来 “ の大 “切さを学んでいただけます。 同l通 をもっと身近に 遇IIシ アターや様々な●lll央 像により、 神,1 人年遅 I本 人の いの さとJ ■ わ1道 に円するヽ,Illや といわれるII■ の美しい1映 像を組介します.^る 1“ 針 ,と ● rを も´ =工 に │,城 の申かなr然 景観を来 しみなから、ゆたりとくつ ろいていただける休憩施,■ を備えています。 「渡御御列模型J せん ぐう館所蔵 写真提供 :神 官司庁
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