2 ページ「香西(こうさい)洋樹(ひろき)の「方位と方角」

香西台長の星四方山(よもやま)話 ~方位と方角~
4.伊勢神宮と宇治橋
内宮は南面
宇治橋は冬至の日の出方向
お伊勢様として日本人に親しまれているのが伊勢神宮です。内宮(ないくう)と外宮(げくう)の二つの社
(やしろ)があり、内宮には日本書紀や古事記でお馴染みの「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が、外宮
には「豊受大神(とようけのおおみかみ)」が祀られています。アマテラス大神はイザナギ、イザナミの2
柱の神の直系の女神で、出雲でお馴染みのスサノオの姉に当たります。このアマテラスの直系の子孫が
日本の高千穂に降ってきて日本が始まり開けて来たと言うのが、日本に伝わる神話です。このアマテラ
スを日本の皇室の祖先として、また日本人の心の拠り所として祀り、崇拝してきたのが私たち日本人で
す。江戸時代から、日本人はどうしても生涯に1度は「お伊勢参り」をしなくては!と思い続けて来た
ようで、当時の物語や芝居、落語にも見られているそうです。私のように戦前の中学生など、修学旅行
は必ず「伊勢参り」、もっとも激しくなった戦争の所為で中止されましたが。このお参りの対象は勿論、
内宮と外宮です。
いま、ここでお話ししようとするのは内宮。外宮の豊受大神は内宮
に祀られているアマテラスに捧げる為の食品の生産と管理がお役目だ
そうです。内宮には、先ず五十鈴川を渡り、玉砂利の道を進みます。
檜の白木造りの社殿は20年毎に建て替えられる遷宮が行われてきま
した。簡素な造りで、日本人の心に染み入ります。伊勢神宮の創建は
定かではないそうですが第11代垂仁天皇の時代だろうと言われ、第
12代景行天皇の子供と言われるヤマトタケルがあずま征伐に行く
際、伊勢神宮の斎王であった叔母の倭姫(ヤマトヒメ)に報告に行き、
草薙の剣と言われる様になった十掌剣(トツカノツルギ)を頂いたと
いう記事が日本書紀などに見られることから、少なくても2000年
の歴史があるといわれています。
内宮の社殿は、南から拝せる様になっています。つまり、ご神体は
社殿の内部で南向きに鎮座されている事と思われます。まだご神体を
目の前で拝した事はないので詳しいことは判りませんが。これが事実なら中国伝来の「天子は南面する」
という考えに一致しますね。皇室のご先祖であるアマテラスが南向きに祀られているのが事実なら、そ
れ以降の神社、特に大和系の祭神を祀る社が南向きであることは頷けますね。更に、天皇の住まいも同
じように南向きに建てられているのも同様でしょう。この内宮を参拝するのには、五十鈴川を渡らねば
なりません。渡るのは「宇治橋」。京都の宇治にある宇治川に掛かる橋ではありませんので注意。京都
の宇治川の平等院近くに掛かる橋も「宇治橋」。紛らわしいのですが、これは源平合戦の平家物語に登
場する橋で「橋合戦」として知られています。閑話休題。
内宮に参拝する際に渡るのも「宇治橋」。この橋を西側から
東向きに渡ります。そこで注意して欲しいのはこの橋の向きで
す。東からやや南へ向かって橋が架けられています。今、国立
天文台編の理科年表2016年版を見ると、冬至の日の出の方
位は東から南へ28.4度と記載されています。この数字と橋
の向きがほぼ一致します。冬至は、言うまでもなく太陽が最も
南にある時を指します。そして、この日を境に日の出は北へ北
へと移動していきます。太陽の甦りです。太陽神とも言われる
のがアマテラス。冬至を境に息を吹き返し、勢力を甦らせるのです。見事な設計と感じずにはいられま
せん。若し、伊勢神宮を参拝される機会があったら確かめて下さい。貴方も勢力が甦るかも知れません。
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