論 文 内 容 の 要 旨 論文提出者氏名 万 井 弘 基 論 文 題 目 How does the Ca2+-paradox injury induce contracture in the heart? - A combined study of the intracellular Ca2+ dynamics and cell structures in perfused rat hearts -. 論文内容の要旨 カルシウムイオン(以下 Ca2+)は心筋細胞の興奮・収縮連関の要となるイオンであり、その 細胞内濃度は反復する心拍に応じて巧妙に調節されている。しかし虚血や再灌流などの心筋傷 害により細胞内 Ca2+濃度の調節機構が破綻すると、細胞内 Ca2+過負荷が生じ収縮・拡張障害や 興奮伝導異常を惹起することが知られており、Ca2+は様々な心筋傷害の病理基盤を考える上で 重要な細胞内シグナルであるともいえる。心筋 Ca2+パラドックスは、心臓を無 Ca2+液で短時間 灌流した後 Ca2+を再灌流すると不可逆的な Ca2+過負荷と心筋拘縮が引き起こされる簡便な虚 血・再灌流傷害の実験モデルである。これまでこの現象は多面的に解析されてきたが、発見後 半世紀近く経過した現在も発症機序は十分に解明されていない。これは Ca2+パラドックスが主 に固定標本を用いて解析され、その経時的な変化を直接観察することが困難であったことに起 因する。近年、機能している丸ごとの心臓において心筋細胞の Ca2+動態を高い時間・空間解像 度で観察できる in situ リアルタイム共焦点レーザ顕微鏡が開発され、様々な病態における Ca2+ 動態異常とその病態生理学的意義が解明されてきた。申請者はこの光学的手法に着目し、Ca2+ パラドックス傷害心の Ca2+動態を細胞レベルで高速観察すれば、Ca2+過負荷ならびに拘縮の機 序、ひいては心筋傷害の機序の解明につながる知見が得られると考え、以下の実験を行った。 Wistar ラットの心臓をペントバルビタールの腹腔内投与による全身麻酔下に摘出、直ちにラ ンゲンドルフ灌流し Ca2+蛍光指示薬 fluo3/AM(488nm 励起、530nm 蛍光、22μM)を負荷(n = 42)、 その後標準 Tyrode 液の持続灌流下に in situ リアルタイム共焦点レーザ顕微鏡下に置き、 Argon-Krypton レーザで心外膜直下の心室筋組織を励起、得られた fluo3 蛍光を細胞レベル(512 ×480 ピクセル、0.885μm/ピクセル)で 30 コマ/秒で観察した。個々の細胞形態は膜電位感受性 色素 RH-237(10μM)による細胞膜上の蛍光(568nm 励起、>665nm 蛍光)から得た。Ca2+パラドッ クスは 37℃下に 10 分間無 Ca2+液を灌流(Ca2+ depletion)し、続いて 1mM Ca2+を含む標準 Tyrode 液を再灌流(Ca2+ repletion)し作成、1 分毎に蛍光画像を取得した。得られた蛍光画像は X-Y デ ジタルイメージとして取得、Image J ソフトウェアを用いて fluo3 蛍光強度変化と細胞長や細胞 間距離を解析した。 健常心では、電気的収縮期に同期して個々の心筋細胞が空間的に均一な Ca2+トランジェント を示したのに対し、Ca2+ depletion では、Ca2+トランジェントは消失し緩徐な細胞内伝播を示す Ca2+波が散発、介在板において細胞間に間隙(~7μm)を生じた。続く Ca2+ repletion では、2 分以 内に個々の細胞で非同期性に細胞内を伝播(伝播速度 90±21μm/秒)する高頻度(123±21/分/細 胞)の Ca2+波が観察され、個々の細胞は振動性収縮し、進行性に細胞長は短縮、細胞間隙は開 大し、10 分以内に心筋は拘縮に至った。Ca2+ repletion による細胞内 Ca2+過負荷と拘縮について、 L 型 Ca2+チャネル阻害薬 verapamil(20μM)や Na+-Ca2+交換機構阻害薬 SEA0400(3μM)を灌流して も Ca2+波も拘縮も抑止されず、ryanodine(10μM)と thapsigargin(0.5μM)により筋小胞体の Ca2+放 出を枯渇させると Ca2+波は消失したが拘縮は抑止できなかった。これに対し NiCl2(5mM)の灌 流下では Ca2+波と拘縮のいずれも抑止された。これらの結果から Ca2+パラドックス傷害による 心筋の Ca2+過負荷は、細胞膜を介する非特異的な Ca2+の細胞内流入によるものと考えた。とこ ろが saponin(0.4 %)の灌流により細胞膜を透過化し細胞内を Ca2+過負荷におくと、個々の心筋 は Ca2+パラドックス傷害時と同様の高頻度(121±9/分/細胞)でより高い伝播速度(118±11μm/ 秒)を示す Ca2+ 波と振動性収縮を示したが、細胞間隙の開大や拘縮は生じなかった。また 2,3-butanedione monoxime(以下 BDM, 30mM)による心筋収縮の抑止下に Ca2+を再灌流しても Ca2+波も心筋拘縮も生じなかったが、BDM を洗い流すと高頻度の Ca2+波が生じ個々の細胞は 拘縮に至った。このことから心筋の拘縮には機械的収縮そのものが必要不可欠と考えられた。 以上より、心筋拘縮の機序を心筋と細胞外基質や心筋・心筋間の機械的結合の異常に求め、 心筋線維と細胞外基質を連結する心筋コスタメアを形成する膜蛋白質 dystroglycan 複合体と cadherin の Ca2+ depletion に よ る 変 化 を 検 討 し た 。 健 常 心 と Ca2+ depletion 心 を 2 % paraformaldehyde で灌流固定したのち、β-dystroglycan (以下 β-DG)と cadherin の各抗体により免 疫組織化学を共焦点レーザ顕微鏡を用いて行ったところ、β-DG の発現は Ca2+ depletion によっ て有意に減弱していた。二次元免疫ブロットにおいては、健常心では β-DG が複合体(オリゴマ ー)を形成し、これが Ca2+ depletion により顕著に消失していることが判明した。また cadherin の免疫組織化学では、Ca2+ depletion において介在板での細胞間隙の開大が確認された。 以上、心筋 Ca2+パラドックス傷害による Ca2+過負荷と拘縮につき機序解明を試みたが、Ca2+ depletion では、細胞間ならびに細胞・細胞外基質の機械的結合の破綻が個々の心筋の振動性収 縮を惹起する基盤を形成し、引き続く Ca2+ repletion により何らかの細胞膜を介する Ca2+の細胞 内流入、おそらく個々の心筋の振動性収縮による機械的伸展により transient receptor potential (以下 TRP)チャネルが活性化され Ca2+の流入が増強し、拘縮をもたらすものと推測する。本実 験モデルは実際の心臓の病態を反映するものではないが、虚血心において β-DG などの細胞膜 蛋白質が発現低下しているとの報告もあり、虚血再灌流などの傷害心においても細胞・細胞外 基質間結合の異常、TRP チャネルなど膜の機械的伸展を介する Ca2+過負荷などが関わっている ものと示唆される。本研究により心筋拘縮における Ca2+動態、細胞・細胞間、細胞・細胞外基 質の関与が明らかになった。傷害心筋の形成機序を考える上で重要な知見であると考える。
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