日本人が知らない京都・祇園

日本人が知らない京都・祇園
訪日外国人はここでナマ芸妓・舞妓に会っている
2015年7月6日(月)水津 陽子
京都五花街の1つ、祇園東にある祇園喫茶Rinkenで月1回程度開かれる芸舞妓パーティ
ー。5月出演の芸妓のつね桃さん(右)と、舞妓の富津愈(とみつゆ)さん。美しさ
と煌びやかさ、優美さに溜息
先日発表された日経MJの「2015年上期ヒット商品番付」で東の横綱に「インバウンド旋風」が選
ばれました。旋風という言葉が訪日観光のもたらす変化や恩恵の大きさを示していますが、中でも大
きな変化は私たち日本人の中で日本の価値の問い直しが始まったことではないでしょうか。最近、各
メディアでは外国人に人気のスポット等の特集が目白押し、日本人はそれを見て初めてこんなところ
があるのかと注目し、人気を呼ぶ観光も少なくありません。
さて、本コラムのタイトルは「日本人が知らない新ニッポンツーリズム」なのですが、ここで質問
です。皆さんは舞妓さんと直に会って話した経験をお持ちですか? あるいは、かつて東の「鹿鳴
館」以上とうたわれた優美で豪奢な歴史的建造物が祇園にあることをご存知ですか?
実は京都を訪れる人の約6割は、訪問回数10回以上のリピーターです。NBOの読者の方であれば、
出張も含め数十回を数える方もおられるでしょう。しかし、その中で舞妓さんと直に会って話したこ
とがある方はどれだけおられるでしょう。さらに、京都にある国立の迎賓館は2005年に建設されたも
ので、明治から大正にかけて京都の迎賓館といえば明治の煙草王が建設した「長楽館」であり、現在
は極上の時間を提供するオーベルジュに生まれ変わっていることをどれだけの日本人が知っているで
しょうか。
京都観光総合調査によれば、2015年に京都市を訪れた観光客は5162万人。訪問地のトップ3は1位
嵯峨嵐山周辺(38.3%)、2位京都駅周辺(37%)、3位清水・祇園周辺(34.8%)。この中で清水・祇園エ
リアは女性の人気が高く39.4%で1位。京都市内で最も人気の訪問地は清水寺(61%)で、同率9位に八
坂神社と祇園コーナー(17.7%)が入りました。伝統文化体験では「着物・浴衣」(23.2%)、「茶道」
(19%)、「舞妓・侍」(12.6%)の人気が高く、祇園周辺では今、若い女性が着物で観光する姿がよく
見られます。
京都に行ったことがある人なら誰もが一度は訪れる人気観光地の祇園。特に河原町駅から八坂神社
へ至る四条通りは近年急増する訪日客で平日も人であふれ、休日ともなると道路は渋滞、歩道は人と
すれ違うのにも苦労するほど混雑します。四条通沿いのアーケードにある祇園商店街の店には観光客
が押し寄せ、花見小路通に連なる巽橋やお茶屋街では常に記念写真を撮る人の順番待ちができていま
す。しかし、そこを歩く大半の人は祇園の深部、真正の祇園に触れる機会を持ちません。
日本にいながら、祇園に来ながら、舞妓さんと話すこともなく、日本の良さを外国人に教えてもら
う日本人。でもそろそろそれも卒業したいところです。これを読めば、あなたも舞妓さんと話すこと
ができる? 祇園を10倍楽しめる? 今回は少し趣向を変え、多くの日本人が知らないそんな京都・
祇園の楽しみ方をご紹介します。
京都五花街・島原の今
本題に入る前に、京都の花街と芸舞妓の世界の基本を押さえておきましょう。まず「花街」は「は
なまち」ではなく「かがい」と読みます。現在、京都には祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町、上七
軒の五花街があります。古くはこれ以外にも多くの花街が存在し、少し前まで島原を入れて京都六花
街とされていましたが、1980年島原は地方・立方の芸妓の不足から脱退。現在、島原にはかつて芸妓
の最高位とされた太夫がいますが、京都花街組合連合会には加盟していません。
ところで皆さんは京都に今、何人の舞妓がいるかご存知ですか。今年1月箱根温泉の芸者芸能を取り
上げた際も花街の現状に触れましたが、京都には2010年時点で芸妓194人、舞妓89人がいました。し
かし、最新の数字で2015年現在、舞妓は68人にまで減少しています。近年、花街における接待など
のビジネスの需要は減少しています。それは京都であっても例外ではありません。一方、ここ10年、
京都では観光での花街の利用が増えており、その比率は50%近くに高まっているといいます。
ところで花街と一括りにしていますが、下の表にあるように五花街は起源や個性もそれぞれ異なり
ます。踊りの流派も歌舞練場も5つが5つとも違います。その中で舞妓、芸妓は各々の花街の歴史と看
板を背負い、独自の伝統文化の継承を行うため、日々舞踊や三味線、お囃子、お茶などの稽古に励ん
でいます。日頃の研鑽の成果はお座敷の他、花街それぞれ踊りの会や発表会等の場を設けるほか、京
都で行われる様々な祭事の場で披露しています。
京都の伝統文化産業「京都五花街」
祇園甲部
祇園東
先斗町
八坂神社の門前町、
場所・起 水茶屋に始まる。
鴨川と高瀬川の間
源
(1886年京都府が二 舟運の要所だった
宮川町
上七軒
四条河原の芝居、
北野天満宮前の
歌舞伎と関係深い
水茶屋に始まる
つに分けた)
踊り(余
都をどり 祇園をどり
興・観
鴨川をどり(5月)
(4月) (11月)
光)
流派
京舞井上
藤間流
流
温州会
発表会 (10
月)
ゆかた会
(7月)
京おどり(4月)
北野をどり(3
月)
尾上流
若柳流
花柳流
水明会(10月)
みずゑ会(10月) 寿会(10月)
お茶屋
64軒
('10年)
12軒(現在
27軒
11軒)
37軒
10軒
舞妓数
24人
('15年)
6人(仕込
8人
4人)
22人
8人
宮川町歌舞会
上七軒歌舞会
歌舞会 祇園甲部 祇園東歌舞
先斗町歌舞会
HP
歌舞会 会
共通の取 1996年設立「おおきに財団」で京都五花街合同伝統芸能特別公演「都の賑わ
り組み い」等の事業を行っている。
出典:祇園東お茶屋組合、おおきに財団HP・各花街HP、日本評論社「京の花街」、溝縁ひ
ろし著「京都五花街」等から作成
京都では1996年「おおきに財団(公益財団法人京都伝統伎芸振興財団)」が設立され、京都の伝統文
化や花街の伝統伎芸を保存継承し、日本の文化として発信する活動がなされています。ただ財団設立
の背景には京都の花街が置かれた厳しい現状があります。1つに京都の花街は注目度は高いものの、
その歴史や文化が正しく認識されているとは言い難いこと。加えて都市開発による町並みの破壊や後
継者不足は深刻です。また京都のお茶屋でのお座敷遊びは基本「一見さんお断り」。敷居が高く、一
般の人はなかなか受け入れられないという印象があります。それは観光客のみならず、京都に生まれ
育った人も一緒で京都に住んでいても舞妓さんと直に会って話す機会はほとんどありません。
そんな中、こうした現状を変えたいと活動を始めた人がいます。
写真左:八坂神社向かいにある祇園東の歌舞練場「祇園会館」。 中:祇園東では相続
等もあり開発が進み、徐々に古い町並みが失われていった。 右:夜ネオンに灯がとも
り、歓楽街となる祇園東界隈
若き喫茶店経営者が仕掛ける芸舞妓パーティー
祇園喫茶Rinken 林健さん
写真左:他の花街が何度も火災にあう中、祇園東は観亀稲荷社のご利益で火災を免れ
たと信仰を集める。 中:月1回の芸舞妓パーティが開かれている青い列車の祇園喫
茶Rinken。 右:京都最古の癒し所といわれる日吉堂がある通りは風情ある町並みが
残されている
林健さんは1983年生まれ。大阪経済大学を卒業後、フレンチや居酒屋、実家の喫茶店で修業した
後、30歳の時に祇園東に「祇園喫茶Rinken」をオープンさせました。両親が喫茶店経営していたこと
から、喫茶店経営は小学生からの夢だったといいます。林さんの喫茶店は1階が一席一席に入り口があ
る青い列車という特徴的な形をしており、地階には40人を収容しイベント等ができるスペースも備え
ています。
林さんは大学卒業後、芸術家や伝統産業の友人達とRinkenの地下室で映画を撮ったり、個展やライ
ブを開催するなどの活動も行ってきました。林さんにとって喫茶店は単に飲み食いする場所ではな
く、地域の人が集まるコミュニティであり、活動の拠点でもありました。
祇園東は五花街の中でも規模が小さく、近年開発によって古い町並みの多くは失われています。観
光客で賑わう祇園甲部や先斗町等と違い、昼間は歩く人もなくひっそりしています。一方、夜になる
と街はネオンに被われ、歓楽街へと姿を変えます。祇園東で趣きがあるものといえば、今では火伏の
神の「観亀(かんき)稲荷社」や京都で最古の癒し所といわれる「日吉堂」など一部のエリアに限られ
ます。
しかしRinken開店後、祇園東の芸舞妓と接するうち、林さんはどんどん花街に魅せられていきまし
た。芸舞妓の世界は華やかに思われますが、長唄・清元等を発表する7月の「ゆかた会」や11月踊り
を披露する「祇園をどり」等のため日々鍛錬し芸を磨く、その世界の厳しさを垣間見るうち、祇園東
の魅力をもっと知って欲しいと思うようになりました。
はじめて芸妓さんを呼んだのは、店の1周年記念パーティーの時でした。実はこの時、同世代の友
人達の反応や感想を聞き、地元京都でも芸舞妓を知る機会が少ないことを知り愕然としました。そこ
から花街の文化を知ってもらえる環境を作ろうと決心。祇園東お茶屋組合との話し合いを重ね、半年
後、月に1度、祇園東の芸舞妓を店に呼び、芸舞妓パーティーを開くようになりました。
パーティーの参加者には京都在住の人や外国人観光客も多く、間近で芸舞妓の踊りを見たり、お座
敷遊びを体験するのは初めてという人がほとんどです。そのためイベントでは踊りの説明や芸舞妓へ
の質問や写真撮影コーナーなども設けており、説明はすべて英語と日本語のバイリンガルで行われま
す。
5月初め、林さんの案内で祇園東お茶屋組合の取締、中西三郎さんにお話しを聞かせてもらったもの
の、人生で一度も間近で舞妓さんを見たことがない筆者は、どうあってもこの機会に京の芸舞妓さん
に実際に会いたいと、5月中旬再び京都を訪れました。今回は周年記念のため、大々的な宣伝はしてい
ないのでまだ空きがありますよと林さんに言われ、その場で申し込んだのでした。
パーティー当日、開始時刻より少し早めにRinkenに入り、名物のハンバーグセットを夕食にとり、
パーティー会場がある地階に下りて行きました。
京都で芸舞妓を呼ぶことができるのは通常、お茶屋がおつきあいしている料理屋や旅館などに限ら
れます。京都の芸舞妓はコンパニオンではありません。場所も舞などの芸が披露できるお座敷を用意
してもらうのが普通です。Rinkenの地階にお座敷はなく、フロアに簡易の畳を3枚用意し、舞踊やお
座敷遊びのスペースとしています。そういう場所でも芸舞妓さんが来てくれるのは、林さんが京都の
伝統文化を伝える場を作り、祇園東を盛り上げたいという思いを持ってお茶屋組合と話し合い、屋形
やお茶屋、芸舞妓さん等の厚い信頼を得ているからです。
Rinkenの芸舞妓パーティーは定員40名、2人の芸舞妓さんが来てくれて2ドリンク付きで5000円と
いうリーズナブルな価格設定、決して収益率の良いイベントではないはずです。しかし、パーティー
の目的はあくまで京都に住んでいる人達に少しでも芸舞妓を見て知ってもらうこと。林さんはこの月1
芸舞妓パーティーを今後も続けていきたいと言います。
英語が話せる舞妓さん、芸妓さんの美しさと話術に感動
写真左:祇園東の芸妓、つね桃さんの優美な踊り。 中:お座敷遊びのルールを実演
し教えてくれる。 右: 富津愈(とみつゆ)さんは英語も話せる舞妓さん。この日参
加者の半分は外国人客で通訳も務めた
夜9時、パーティーの開始時刻となり、会場に祇園東の芸妓つね桃さんと舞妓富津愈(とみつゆ)さん
が姿を表すと、まず挨拶と踊りの説明が行われ、その後、舞踊の披露となります。客席との距離はほ
とんどなく、手を伸ばせば届く場所でその美しい姿や優美な踊りを目にすると思わずため息が漏れま
す。舞妓が舞うと花かんざしやだらりの帯が揺れ、まるで映画でも見ているようで、ただただうっと
りして見とれてしまいます。またそれにも増して心奪われるのは芸妓、つね桃さんの舞の妖艶さで
す。本当に感動して息をするのを忘れるほど、日本はなんて美しい国なんだろうと心から思います。
京都の花街用語
屋形・お茶 舞妓が共同で生活する住居は「屋形(置屋)」、仕事場となるお座敷のある
屋
地方・立方
場所は「お茶屋」
音楽を受け持つ人「地方」は特に少なくなっている、舞を専門とする人は
「立方」という
舞妓・引祝 舞妓は原則20歳まで、中には22歳くらいまで続ける人もいる。芸舞妓を辞め
る「引祝」も
仕込み・見 屋形に住み、舞妓さんを目指す「仕込み」、はじめて白塗りの化粧をし髪を
習い
結う「見習い」
店出し・衿
舞妓さんデビューを「店出し」、舞妓から芸妓になること「衿替え」という
替え
花名刺
芸舞妓さんが名刺代わりにしている源氏名を書いた千社札「花名刺」はシー
ルになっている
踊りが終わると質問コーナーが始まり、この日進行を務める年長のつね桃さんの話術で会場は一転
してリラックスした雰囲気になり、次々に質問の手が上ります。この日の参加者は37名、うち12名が
外国人。外国人の方からも多くの質問が飛びます。舞妓と芸妓の違いは何ですか。英語では舞妓も芸
妓もGEISHA(芸者)と訳されますが、違いはあるのですか。京都とほかの地域の芸者は何が違うのか
という基本的な質問から、どうして舞妓になろうと思ったのか、舞妓の修行や日々の暮らし、髪形や
着物などへの質問が次々と寄せられます。
質問・回答はすべて英語の通訳がつきます。驚いたことにこの日の通訳は舞妓の富津愈さんが務め
ました。京都には英語が話せる芸舞妓さんがおられるんですね。筆者からは普通に、どこで英語を勉
強されたかを質問しました。答えは舞妓になる前、ということで多くは語られなかったのですが、そ
れを「特別なこと」とするのを良しとされなかったのかもしれません。考えてみれば、無粋な質問で
すよね。それにしても10代にしてそんな配慮ができるとは!
舞妓はそもそも京都特有の制度で他の地域には見られません。舞妓になろうとする人の多くは中学
を卒業して半年ほど「仕込みさん」として屋形に住み込み、様々な修行を行います。その後「見習い
さん」となり、初めて髪を結い、白塗りの化粧をすることが許されます。舞妓としてデビューする日
を「店出し」といい、そこから本格的に舞妓としての日々が始まりますが、舞妓でいられる期間は短
く、一般には二十歳までとされています。二十歳になると花街を去る人、衿替えをして芸妓の道を進
む人それぞれです。
質問コーナーではそうした疑問に1つ1つ丁寧に答えてくれます。特につね桃さんの人を笑わせ、
引き込む話術は素晴らしく、敷居の高さなど一切感じさせません。芸舞妓と観客の距離はどんどん縮
まっていきます。質問を適当なところで打ち切ることもせず、他にはないですか? と何度も声を掛
けてくれ、一度質問した人がまた手を挙げて何度も質問します。会場には笑いが絶えず、和気あいあ
いとした雰囲気が漂います。その後、写真撮影のコーナーではほとんどの参加者が二人と一緒に記念
写真を撮り、満面の笑みを浮かべていたのが印象的でした。
写真左:お座敷遊びの体験では京言葉の掛け声や合いの手が場を盛り上げる。 中:つ
ね桃さんの話術は実に巧みで臨機応変、時に笑いを誘い、場を和ませる。右:地階の
ドリンクコーナーに立つのはRinkenの若きオーナー林健さん
イベントはこの後、お座敷遊びへと進んで行くのですが、ここでは積極的に参加する外国人の姿が
多く見られました。お座敷遊びは箱根でも体験させて頂きましたが、京都のお座敷遊びが他と決定的
に違う理由の1つは京言葉の存在にあります。ここでは負けた方がお猪口につがれた酒を一気飲みす
るのですが、その時の掛け声や合いの手が実に京都らしく、優美なのです。その盛り上がり、ライブ
感、気持ちが高揚する感じは観光客向けのちょっとしたお座敷遊び体験とは一線を画する、まさに本
物の体験です。お茶屋通いをしてしまう人の気持ちが分かったような気がしました。
イベントの最後は店の外に出て参加者全員で記念写真を撮影します。時間は夜11時。参加者は皆高
揚し、とても満足そうにRinkenを後にします。
今回、取材を申し込んだ際、林さんは芸舞妓パーティーではなく、祇園東を取り上げてくれるなら
受けますと言われました。今後、林さんの熱い思い、取り組みが内外の人を巻き込み、新たな祇園東
の魅力づくりに繋がっていくことを願うものです。皆さんも林さんや祇園東の芸舞妓さんに会いに行
ってみませんか。
かつては京都の迎賓館、祇園のオーベルジュ「長楽館」
写真左:長楽館の3階「御成の間」。折上格天井にはバカラ製のシャンデリアが。
右:1階旧食堂、現在はフレンチレストラン「ルシェーヌ」はヴィクトリア朝のネオ
クラッシック様式
[画像のクリックで拡大表示]
八坂神社の本殿を抜け、円山公園に入ったところに106年前、明治の煙草王・村井吉兵衛が建てた
明治の洋館「長楽館」があります。総敷地面積は2000平方メートル超。イオニア式門柱の玄関を入る
とルネッサンス風の広間を中心に、1階にはロココ様式の迎賓の間やイギリス・ヴィクトリア朝のネオ
クラシック様式の食堂、書斎、サンルームなど5室。そこから華麗な円形バルコニーを有する階段を上
がった2階にはアールヌーボーなどヨーロッパのほか、中国やイスラムなどの建築様式を施した6つの
部屋があります。最上階の3階には金箔が施された見事な折上格天井にバカラ製のシャンデリアを組み
込んだ書院造の和室「御成の間」、表千家の残月亭を模したとされる茶室という趣の異なる和の空間
が広がっています。家具調度まで贅を尽くしたその建築はかの鹿鳴館以上と評されたと伝えられてい
ます。
長楽館の名は、伊藤博文が中国のおめでたい吉祥文「長い楽しみはまだ半ばにもなっていない、ま
だこれから」という意の長楽未央にちなんで名付けたもので、2階にある「喫煙の間」入り口には伊藤
博文直筆の扁額(建物の名を記した看板)が飾られています。ここは大正天皇の即位式「御大礼」の
際、海外の使節団の宿泊施設として利用されるなど、明治から昭和の初めにかけて、京都の迎賓館の
役割を果たしました。宿泊客には国内外のVIP、アメリカの副大統領やロックフェラー、イギリスの
ウェールズ殿下、皇族や伊藤博文をはじめ、大隈重信、山形有朋ら歴代首相の名もあります。
絢爛たる歴史を刻んできた長楽館の部屋の多くは、現在、レストランやカフェスペースとして一般
に提供されています。しかし、ここに至るまで長楽館は数奇な運命をたどってきました。一時は荒廃
していた時期もあったといいますが、それを買い取り、修復に情熱を傾けた人がいました。
煙草王・村井吉兵衛と長楽館の数奇な運命
写真左:総敷地面積は2000平方m超、長楽館の入り口。 中:本館1.2階の10の部屋
は現在カフェやレストラン、喫煙スペースに、3階には茶室や書院造の間がある。 右:廊下も豪華絢爛 (画像提供:すべて長楽館)
1909年に建設された長楽館の歴史は、3つの時代に分けることができます。村井吉兵衛が国産初の
両切り紙巻煙草「サンライス」の製造に成功したのは1891年。その後、1894年に発売した「ヒーロ
ー」の成功で、1897年には先に成功していたもう一人の煙草王、岩谷松平の岩谷商会の売り上げを抜
きました。村井が設立した村井兄弟商会は、1899年にアメリカ煙草トラストと資本提携、株式会社化
すると海外輸出が急増。しかし、村井最大の幸運は1904年、煙草が国家専売制となったことです。村
井は莫大な補償金を手にし、それを元手に銀行等の事業を行い村井財閥を形成。その財を投じて長楽
館の建設に着手、1909年に竣工に至ったのでした。
しかし、1926年に村井が没すると、翌27年に起きた昭和金融恐慌のあおりを受けて村井財閥は解
体、長楽館は売却されます。その後何人かの手に渡った後、進駐軍に接収。現オーナーの土手素子さ
んの義父、土手富三氏が長楽館の土地建物を購入したのは1954年でした。
京都の迎賓館から祇園のオーベルジュへ‒煙草王、村井吉兵衛と「長楽館」の歴史年表‒
1864年(元治元
村井吉兵衛、京都の煙草商の二男として生まれる
年)
1891年(明治
国産初の両切り紙巻煙草「サンライス」の製造に成功
24年)
3月米国葉をブレンドした「ヒーロー」発売(その後、生産量20億本で日
本一となった)。
1894年(明治
5月義弟と事業拡大を計画、兄を誘い、合名会社村井兄弟商会を設立。
27年)
先にたばこ王として君臨していた岩谷松平「岩谷商会」のある東京・日本
橋に進出
1897年(明治
30年)
内国勧業博覧会で高さ38mの広告塔を立て、村井兄弟商店の名を知らし
めた。
明治30年代後半、村井兄弟商会の売上が岩谷商会を追い越す
1899年(明治 アメリカ煙草トラストと資本提携、株式会社となり、村井兄弟商会の海外
32年)
輸出が急増
1900年(明治
パリ万国博覧会で「ヒーロー」が金賞を受賞
33年)
煙草が国家専売制となり、その補償金を元手に銀行等の事業を行い、村井
1904年(明治 財閥を形成。
37年)
長楽館起工。設計は米の建築家J.M.ガーデナー、建築は清水満之助(現、
清水建設)
1907年(明治 夏目漱石の日記に「祇園に行く。公園は俗地なり。…村井兄弟の西洋館建
40年)
築中」の記述有
1909年(明治 円山公園内に長楽館竣工。(長楽館の名は窓からの見事な眺望から伊藤博
42年)
文が命名)
1915年(大正4 長楽館が御大礼(大正天皇即位式)でロシア、イタリアの使節団の宿泊施設
年)
となる
1916年(大正5 東京赤坂山王台に本宅(近代御殿建築の代表作)築、豪華さから「山王御
年)
殿」といわれた
1926年(昭和元
年)
村井吉兵衛没
1927年(昭和2
昭和金融恐慌のあおりを受けて村井財閥は解体。長楽館売却
年)
1928年(昭和3 本邸を比叡山延暦寺に移築(迎賓館「大書院」として天皇や国賓の接遇場
年)
所となる)
1954年(昭和 土手富三氏が土地建物購入し修理。株式会社ホテル長楽館(現(株)長楽
29年)
館)設立
1965年(昭和 長楽館の隣地にレディースホテル・レストランを建設、開業(1968年本
40年)
館で喫茶店開業)
1986年(昭和
長楽館の建物と多くの家具調度品が京都市有形文化財の指定を受ける
61年)
2008年(平成 新館を設け、1/1ホテル長楽館オープン。3‒4階フロアにわずか6室の贅沢
20年)
な空間
2009年(平成 築100周年の年、京都市の「市民が残したいと思う"京都を彩る建物や庭
21年)
園"」に認定
出典:長楽館資料・HP、角川書店「ライバル日本史3」、荒俣宏「黄金伝説」等から著者が
作成。
写真左:長楽館を創った明治の煙草王、村井
吉兵衛。 右:1894年に発売した米国葉を
ブレンドした「ヒーロー」は、1904年に生
産量20億本で日本一となった
次の100年を見すえたオーベルジュに
当時、長楽館の建物は手つかずであったため、相当傷んでいて、現オーナーの土手さんはなぜ義父
が長楽館にこだわったのか理解に苦しんだといいます。富三氏には購入時、長楽館をどう使うか具体
的な構想もなく、ただひたすら修復に情熱を傾け、私財を投じました。そうして1つ1つ部屋が元の
形を取り戻すにつれ、これを京都に来た人に提供できたらと思うようになったといいます。
隣地にレディースホテル・レストランをオープンさせたのは1965年、長楽館購入から実に11年目
のことでした。その後、1968年には本館内に喫茶店を開店。現在、有形文化財に指定された本館には
7つの部屋とバルコニー、カフェスペース、フレンチレストラン等を備えています。2008年にはホテ
ル棟を建設し、オーベルジュとして営業を始めました。
写真左:今年4月、長楽館で開かれた第2回オーベルジュの日のイベントでは島原の菊
川太夫の道中が披露された。 右:この日のイベントには全国から130名が参加。白
の着物姿が長楽館オーナー土手素子さん
今年4月、長楽館で「第2回オーベルジュの日」というイベントが開催されました。オーベルジュの
日は日本オーベルジュ協会が日本初のオーベルジュが誕生した4月21日にちなんで制定したもので、
国内のオーベルジュへの理解とオーベルジュ文化浸透のため、昨年よりこの日に全国のオーベルジュ
オーナー等が集まっています。第1回の会場は日本初のオーベルジュ、箱根のオー・ミラドーでした
が、第2回に選ばれたのが長楽館でした。
新館の1階には80席のイタリアンレストランを新設。客室からは、春には円山公園のしだれ桜、夏
には京都五山送り火、秋には古都を染める紅葉を眺めることができます。冬には全室に備えられた暖
炉に薪がくべられ、その中でゆったりと読書や映画、音楽、酒やお茶、あるいは何もしない贅沢な時
間を過ごすための設えや配慮が随所になされています。全室にジャグジーを備え、バスルームからも
東山が一望できます。
4階には宿泊者専用のラウンジがあり、常時飲み物が用意され、午後にはパティシエ手作りのスイー
ツが提供されます。ライブラリーには京都や洋館、料理、美術関係の本、CDやDVDもあり、宿泊客は
展望ラウンジや部屋で自由に鑑賞することができます。
回遊式オーベルジュを謳う長楽館は、館内では文化財の部屋や調度品の見学、外に出れば回遊式庭
園の円山公園の散策、少し歩けば知恩院や高台寺等の神社仏閣や京都らしい風情ある町並み散歩を楽
しむこともできます。宿泊客には通常非公開の「御成の間」の見学も許され、オープン前、誰もいな
い貴重な文化財の部屋やバルコニー等に案内してもらい、写真撮影を行うこともできます。
しかし、長楽館は急増する訪日客を当て込んだ富裕層向けのラグジュアリーホテルとは似て非なる
ものです。新館を建設するにあたってコンセプトとしたのは「豪奢を嫌い、絢爛を避け、流行を疑
い、本質を見る」という、民藝運動に力を注いだ京都出身の人間国宝、故黒田辰秋の言葉。床や家具
が100年の時間を超えて飴色に変化していく美を思い描き、家具や調度、アメニティの1つ1つにこ
だわり、客に尽くす真摯さ。伝統文化を守るために費やされる日々の献身を、宿泊した人ならきっと
肌で感じるでしょう。
新国立競技場のデザインが議論されています。そこに100年先を見すえる思いはあるでしょうか。
今回、祇園で100年続く伝統文化を守る人たちに出会いました。そこには美しい日本があり、美しい
日本人の生き方がありました。皆さんもそんな日本に会いに行ってみませんか。
旅で見つけたお気に入り(19)
世界遺産・石見銀山の手仕事の店+茶店ギャラリー
写真左:1日20食限定のおまかせ昼定食。 写真中:暖簾をくぐると右手に野の花、左手
に風工房孝がある。 写真右:風工房では地域や山や川にある素材を活かした工芸品を作
っている
世界遺産「石見銀山」のある島根県大田市、JR大田市駅から5分ほど山あいに入ったところに、店主自ら山で採
ってきた山菜や野の花を使った野趣あふれる食事を頂ける店があります。夫婦二人で営む店は、主に妻が営む「野
の花」と夫が営む「風工房孝」があり、食事だけでなく、ギャラリーとしても人気です。
おまかせ昼定食は1日20食限定。手の込んだ9品のおかずにご飯とお味噌汁がついて600円。この日メニューに
は野の花のヨメナの炊き込みご飯に赤つめ草の天ぷらもあり、えっ、ヨメナや赤つめ草食べられるんだ!?と。蕗
は山に自生しているもので味が濃く、野いちごは綺麗なオレンジ色、まるで宝石のようです。こんな値段で商売が
成り立つのかと心配して「これなら1000円でも誰も文句は言いませんよ」というと、店主は「夫婦二人だし、も
うずっとこの値段でやっていますから」と笑っています。
夫の和田孝夫さんは元は名古屋でデザイン会社を経営していましたが、コンピューターグラフィックが主流にな
り、手描きの良さが失われていくのを見て、出身地の島根に戻ってきました。孝夫さんが手描きした石見銀山等の
絵はがきは観光客に人気で、ギャラリーには地元の山や川にある木や竹、石などを使った作品が多数置かれていま
す。
石見銀山がある大森の町中には食事や休憩ができる店が少なくて困ったという声もよく耳にしますが、ここなら
軽食や黒豆珈琲などヘルシーなカフェメニューも充実しています。石見銀山は間歩だけでなく、山側の大森の美し
い町並み、海側の温泉津の鄙びた温泉街のまち歩きをゆっくり楽しみたいスローな世界遺産。そんな石見の旅に出
掛けてみませんか。
手仕事の店 風工房孝・茶店ギャラリー野の花
島根県大田市大田町出口イの1492
営業時間:10:00‒16:00
定休日:毎週火曜日、日曜日、第三金曜日
日本人が知らない新・ニッポンツーリズム
2020年に訪日外国人客2000万人という国の目標を受けて、訪日観光(インバウンド)ビジネスは盛
り上がりを見せています。これまでの訪日観光は、東京・大阪間の名所を数日で回るゴールデンルー
ト・ツアーが主流。ところが、日本人が普段あまり訪れないのに外国人を惹きつけ、人気を集めてい
る意外な場所が実はあちこちにあります。
このコラムでは、訪日客は今、どんな場所を訪れているのか。どうして彼らはそこに行くのか。何が
彼らを惹きつけているのかなど、日本人が気づきにくい視点から見た日本の魅力、観光資源を「復
古」と「革新」という2つの切り口で捉え、先進的な地域や企業のマーケティング戦略を紹介。新たな
観光市場の可能性を探ります。
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