豪傑 金子十郎家忠と咳地蔵の一幕 源平盛衰記より 朗読原稿(5分) 衣笠合戦、最大の語り場であり、事前に、付近の状況説明や登場人物の概略を話しておく。 金子十郎家忠:武蔵村山から入間に広がる村山党の一派。金子党は入間郡(八高線金子駅 近くに史跡あり)、山科台に陣屋を置き、約300人の頭領。1216年79歳で没。 ちかのり ちかざね 金子与一近範:十郎家忠の弟?。 三浦与一近実:弓の名手で強力。 和田小太郎義盛:大介義明の孫。鎌倉幕府初代侍別当。弓の使い手。 三浦大介義明:三浦一族繁栄の祖。衣笠合戦総大将。 時は、治承4年8月26日の昼近く・・・・。 いれか いれか ひと しりぞ 入替わり入替わり戦いける中に、人は 退 けども家忠は退かず。 敵は替われども十郎は替わらず、一の木戸打ち破り、二の木戸打ち破りて攻めたりける。 城中よりも散々にこれを射る。 かっちゅう 十郎の 甲 冑 に矢の立つ事、二十と一本。 おり か 折懸かり折懸かりても、退く事なかり。 城の中より銚子に酒を入れ、盃を持たせて出しけり。 いくさ おどろ 大介云うは、 戦 に人多く見え給えども、貴殿の振る舞い、我が目を 驚 かしける。 いくさ さぞかし疲れたりければ、この酒のみて今ひときわ、面白き 戦 し給えと伝えれば、十郎、 盃取りて三度飲みて力(ちから)付けぬ。 こ れい 軍中に酒を送るは法なり、戦場に酒を請うは礼也。 みなひと 義明の行いと云い、家忠の作法と云い、興あり感ありとぞ、皆人申しける。 やぐら いくさ 更に、 櫓 の下まで攻め来るに、大介曰く、一騎当千の兵とは是なるべし、 軍 はかくこ そく ふせ そ有る べけれ。 (一束:親指以外の両手の指を合せた長さ。 一伏:指一本の巾 てきなり 惜しき者なれど 敵也。 (弦の強さ = 一人張り:普通、二人張り:強弓、 あれ射つべき者はなきか!。 三人張り:豪腕でないと引けない弓) 大介、小太郎義盛を招きて、あれを射止めよと下知しける。 じゅうさんぞく ぶせ 三人張りに 十 三 束三伏の弓ぞ 射ける。(一束と三つ伏せの説明をする。約2m10) しば 次第次第に攻め寄りて、櫓の中に入らんとする処を、和田小太郎義盛、十三束三伏を暫し 固めて、兵(びょう)と放つ。(強弓の音を強調する。 “ヒュー”ではないと解説する) かぶと 金子の 甲 に懸かりたる一の板、ガラ と射抜き、額の方より顎の下を つと通り、胸板 ひ りん の、はた覆輪にぞ 射付きたる。(赤抜きは感情を強く込めて読む・・) 痛手なれば少しもたまらず、十郎“どうっ”と倒れる。 これはならぬと金子与一、駆け寄りて、十郎をば肩にかつぎて木戸口の外に出したれば、 その首を獲らぬと三浦与一追いし来て、打ち懸かる。 余りに手しげく追いたれば、金子与一、十郎をば打ち捨てて、太刀を抜いてぞ打ち返す。 ・・・・・・・・・。 (話はここで止めて、このあと、咳き込んで不覚を取り、村人が今日 まで線香を欠かさずに手向けている事を軽く話してお終いにする)
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