亀の命を贖 ひて放生 し、現報を得て亀に助けらえし縁 第七 禅師 弘済 は

あか
はうじやう
亀の命を贖ひて 放 生 し、現報を得て亀に助けらえし縁
ぜん
じ
ぐ
さい
くだら
第七
びんご
みたにのこほり
禅師 弘 済 は百済の国の人なりき。百済の乱れし時に当りて、備後の三 谷 郡
だいりやう
いくさ
めぐ
おこ
の 大 領 の先祖、百済を救はむが為に遣はさえて、 旅 に運りき。時に誓願を発
まう
も
かへ
をは
もろもろ
かみたち
が
らん
して言さく、「若し、平らかに還り卒らば、 諸 の神祇の為に伽藍を造り立て
つひ
すなは
う
きた
まつらむ」とまうす。遂に災難を免れき。即 ち禅師を請けて、相共に還り来り、
が
らんさは
三谷寺を造る。其の禅師の造り立てまつりし所の伽藍多なり。諸寺の道俗之を
み
きむきやう
な
観て共に 欽 敬 を為す。禅師、尊像を造らむが為に、京に上る。財を売りて既
なには
に金丹等の物を買ひ得たり。還りて難破の津に到りし時に、海辺の人、大亀を
四口売る。禅師、人に勧めて買ひて放たしむ。即ち人の舟を借りて、童子を二
ゐ
わた
く
ふ
おこ
び
ぜん
かばねじま
人将て、共に乗りて海を度る。日晩れ夜深けぬ。舟人、欲を起し、備前の 骨 嶋
あたり
ら
な
しか
の 辺 に行き到り、童子等を取り、人を海の中に擲げき。然る後に、禅師に告
すみやか
いへど
なほ
げて云はく、
「 速 に海に入るべし」といふ。師、教化すと 雖 も、賊猶し許さ
ここ
ぐわん
おこ
ず。茲に於て、 願 を発して海中に入る。水、腰に及ぶ時に、石の脚に当りた
もち
びつちゅう
あたり
るを以て、其の暁に見れば、亀の負へるなりけり。其の 備 中 の海の浦海の 辺
うなづ
にして、其の亀三たび 領 きて去る。疑はくは、是れ放てる亀の恩を報ぜるな
らむかと。
だにをち
よき
はか
あか
時に賊等六人、其の寺に金丹を売る。檀越先に過り、量り贖ひ、禅師、後よ
たちまち
あはれ
り出でて見る。賊等慌然に退進を知らず。禅師、憐愍びて刑罰を加へず。仏を
かざ
すで
をは
とどま
造り、塔を厳りて、供養已に了る。後には海辺に 住 り、来れる人を化す。春
をは
いか
いはむ
秋八十有余にして卒りぬ。畜生すら猶し恩を忘れずして恩を返報せり。何に 況
ひ
と
や、義人にして恩を忘れむや。
亀を買い取って命を助け放してやり、この世で報いを受け、亀に助け
られた話 第七
ぐ
さい
くだら
しらぎ
弘 済 禅師は百済の国の人であった。百済の国が新羅と唐の侵略を受けた時
びんご
くにみ たに
こおり
に、備後の国三谷の 郡 の郡長の先祖に当るある者が、百済を救うために派遣
軍の一員として出征した。その時、「もし無事に帰還することができたら、諸
神諸仏のために寺を建て、お堂をお造りしましょう」と誓いを立てた。そのた
がいせん
めか災難を免れ、凱旋することができた。そこで彼は、弘済禅師を招き、禅師
を伴っていっしょに帰って来て、三谷寺を造った。そのほかこの禅師の造った
お寺は数多くある。諸寺の僧も俗人も、それらを見てともども尊びあがめてい
た。弘済禅師は仏像を造るために都へ上った。私財を売って、黄金や赤の顔料
なにわ
つ
などを買った。三谷寺に帰る途中、難波の津までやって来た時に、海辺の人が
大きな亀四匹を売っていた。禅師は功徳のため、人に勧めて買い取らせ、海に
放してやった。その後、帰宅しようと思い船を見つけ、童子二人を連れて海を
び
ぜん
かばねじま
渡った。日が暮れ、夜もふけた。船乗りたちは欲心をおこし、備前の国の 骨 嶋
のあたりにさしかかったころ、童子たちをつかまえて、海に投げ込んだ。そし
て禅師に向って、「おまえも早く海に飛び込め」と言った。禅師はこんこんと
がん
教え諭したけれど、賊はどうしても聞き入れない。そこで禅師は仕方なく願を
起して、それからおもむろに海の中に入って行った。水が腰の深さぐらいまで
つかった時、ふと石が足に当っているように思えた。そこで、夜明けの光で見
ると、亀の背の上にいるのであった。禅師は亀の背に乗せられて備中の国の海
岸あたりまで送られた。ここで亀は、頭を三べん下げて去って行った。これは
おそらく放してやった亀が恩を返したものであろうか。
一方、賊たち六人は三谷寺に、盗んだ黄金や赤の顔料などを売りこみに来た。
寺の信徒の者が先に出て、値ぶみをして買うこととし、禅師は後から出て見た。
賊たちはびっくり仰天、進退きわまってしまった。禅師は賊たちを哀れみ、な
んらの刑罰も加えなかった。その後、仏像を造り、塔を飾って、十二分に落成
の供養を終えたのであった。その後禅師は海辺に住みつき、往来の人々を教え
導いた。長命で、八十歳余りでこの世を去った。畜生でさえも受けた恩を忘れ
ないで恩返しをする。まして道理をわきまえた人間たるもの、恩を忘れてよい
ものであろうか。
中田祝夫校注•訳『日本霊異記』(完訳日本の古典)、小学館、1986 年 11 月