最新作 わたしたちは 無傷な別人であるのか?」 作・演 出:岡 田 利 規 2 0 1 0 年 2 月 1 4 日( 日 )∼ 2 6 日( 金 )/ 横 浜 S T ス ポット 3 月1日( 月 )∼ 1 0 日( 水 )/ 横 浜 美 術 館 2 0 0 8 年 3 月 に 行 わ れ た「 フ リ ー タ イ ム 」以 来 、約 2 年 ぶ り の チ ェ ル フ ィ ッ チ ュ 新 作 公 演 を 、横 浜 S T ス ポ ッ ト と 横 浜 美 術 館 に て 約 3 週 間 に わ た る 初 の ロ ン グ ラ ン 公 演 と し て 開 催 い たします。 い ま 、岡 田 利 規 が 考 え る「 演 技 す る 」と い う こ と 。俳 優 と 役 の 関 係 、あ る い は 表 象 行 為 の あ り よ う に 、新 た な 手 法 で 取 り 組 む 本 公 演 。そ れ は 、 「 わ た し 」が「 無 傷 な 別 人 」で も あ り え た こ と の 発 露 を 促 す 、岡 田 利 規 の ま っ と う な 視 線 そ の も の で も あ り ま す 。現 代 演 劇 の 限 界 を 常 に 更 新 し 続 け る 、チ ェ ル フ ィ ッ チ ュ の 新 た な 挑 戦 に 、是 非 ご 期 待 く だ さ い 。 お問い合せ プリコグ 03-3423-8669 [email protected] 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-10-34-305 チェルフィッチュWEBサイト http://chelfitsch.net/ 1 『わたしたちは無傷な別人である』によせて 2007 年、KUNSTENFESTIVALDESARTS07(ブリュッセル) 『三月の 5 日間』で海外デビューを果たした後、Festival D'automne(パ リ)、PUSH International Performing Arts Festival(バンクーバー)、Theatre de Gennevillier(パリ)を始めとする国際的に 名のあるフェスティバル•劇場に招聘されました。その先駆的な独自の表現方法は国内外において多大な評価を受けています。ま た 2009 年 10 月には、『クーラー』(「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005∼次代を担う振付家の発掘∼」最終 選考会ノミネート作品)の拡張版、『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』を、「VIE Scena Contemporanea Festival」(モデナ/イタリア)と「Asia Pacific Week」(ベルリン/ドイツ)にて世界初上演。現代の日本の若者の姿を独自の 身体を通して軽やかに提示するその先鋭的な表現は、ヨーロッパの観客に驚きとともに迎えられ、絶賛を浴びました。 また近年、国立国際美術館開館 30 周年記念公演、森美術館『六本木クロッシング展 2007』、Nam June Paik Art Center(ソウル) での招聘公演、岡田利規の大江健三郎賞受賞など、演劇界のみならず、美術界、文学界からも注目を集める存在となっています。 2009 年 7 月には金沢 21 世紀美術館にて美術作品とのインスタレーションという試みに挑戦し、新たな表現方法の可能性を提示 しました。そして今回も、会場のひとつとして横浜美術館を選び、美術館という他ジャンルの空間でのパフォーマンスに取り組み ます。金沢で連日おこなわれたパフォーマンスにおいて岡田利規と俳優によって経験された特殊な上演形態は、今回の新作公演に おける試みにもつながるものです。会場を変えての公演、また一般的な劇場とは異なる空間での上演は、チェルフィッチュのあら たな局面にとっての一助となるでしょう。 作者からの言葉 二〇〇九年八月三十日日曜日や、その前日の土曜日の夜が、この新しい作品の舞台です。 た と え ば わ た し た ち の 時 代 の 気 分 が 不 安 に 満 ち た も の で あ る こ と に 思 い を 馳 せ る と き、 そ う し た 不 安 を 共 有 し て い な い 人 た ち も い る か も し れ な い(と い う か 確 実 に い る ん だ け ど)と い う こ と を、で き る だ け 絶 え ず 心 に 留 め て お く こ と。そ し て、わ た し た ち が 感 じ る不安を共有していないのは、一体誰なのか? ということにも同じくらい思いを馳せて み る。た と え ば あ な た だ っ て、そ う な の か も し れ な い。つ ま り、す べ て の わ た し た ち が そうである可能性があるのだ。 今 回 は、上 演 の フ ォ ー ム を で き る だ け 固 定 し な い ま ま、最 後 ま で い き た い。上 演 と は、 そ も そ も 毎 晩 異 な る も の だ け れ ど、本 来 あ ら ゆ る 上 演 に 当 て は ま る は ず の そ の 真 実 は、 得 て し て 上 演 を 行 う こ ち ら 側 み ず か ら が、お ざ な り に し て し ま い が ち な こ と で も あ る。 そうではなく、そのことをむしろ露わにしてしまえたらいいのだけど。 岡田利規 −2− コンセプト 舞台は、一組のカップルが住むアパートの一室である。 ( 具象的なアパ 彼のような人物がああいった犯罪を起こしている、 といった考えは、不 ートのセットはない。 「アパートの一室であること」の表象は、異なる複 本意であるにしても、彼らの頭をついついよぎってしまう。しかし、なぜ 数の手段によって行われる。すべての手段が、非具象的なものである。 自分たちは、あの男のようにならずに済んでいるのか? 彼らは、自分 同様に、 「 ある登場人物がここにいること」や、彼らの行動、彼らの話し たちがここまで、うまいこと生き延びてきたような気がしている。それは たことの内容、などの表象も、それぞれ、異なる複数の、非具象的な手 なんら自律的な行為の結果ではなく、単に運がよかっただけであるよ 段によって行われる。)三十歳代の前半のそのカップルは、現在の自分 うな気がする。 たちの置かれた境遇を恨めしく思っていない、 という意味で、幸福な人 たちだといえる。たとえば、二 人とも、自分が満 足をおぼえることので きる仕 事に就けているし、やりどころのない鬱 屈 、のようなものを、比 無職の若い男が起こした事件に、彼らがさしたる関心を抱いていない 較的抱えずに人生を送れている。多くの人がそうであるわけではない のは、そのように努めている、 という側面もあるのだった。そうした事件 ーー特に、彼らの同世代はーーにもかかわらず。そのことに対して、罪 (そして過酷な生活を強いられている人たちのたくさんいる、この現代 深さのような感情を持つことがある。 の社会状況)に時代を象徴するような役割がおのずと担わされ、それ によって現代の閉塞感といったものが助長されるようなことに対して、 どこか抵 抗したい気 持ちが、彼らにはあった。ひとつの可 能 性として、 ところで、このカップルのあいだにも、個人的な問題はある。たとえば、 自分たちを覆うこの、先 行きの見えないどんよりとした感じは、フィク 男のほうは、そろそろ子どもができたらいいと思っているのだが、女の ションでしかないのではないだろうか?と考えてみる。そして、そんなも ほうは、あまりそう思っていないし、妊娠の兆しもなかなか訪れない、 のの存在を気に留めずに生きる、 ということをほんの少し試行している とか、二人の恋愛感情の関係がなんとなくぎくしゃくしはじめている、 のだ。もっとも、そのようなことは、この現 実の過 酷な側 面から目を背 といったようなこと。でもそうしたことは、些細な問題でしかない。 とい けて、自分たちの精 神を安 穏に保つという姑 息さでしかないのかもし うか、二人は、そんなのは些細な問題でしかないと思うべきである、と れない。ひどく不 寛 容な態 度かもしれない。そしてそうしたことをでき 思っているのだ。なぜなら自分たちは、恵まれているのだから。 るのは、彼らが恵まれているーーいわゆる「勝ち組」であるーーからな のかもしれない。 つい最近、二十代後半の無職の男が、凶悪な殺人事件を起こした。メ ディアは今 、この事 件で盛り上がっている、例によって。この類の事 件 表 現 形 式 的には、テキスト・レベルにおける変 奏とパフォーマンス・レ は、ここ最近、そんなにめずらしいものでもない。従って二人は、またか ベルにおける変奏を効果的に組み合わせて、特定の状況を、匿名的で 、 という印象をどこか抱いている。そのニュースの続報を熱心に追いか 、抽象的なものにまで拡張させていくということを、試みてみたい。それ けているわけでもないので、詳細も知らない。この手の事件̶̶という から、表象行為を、それが成立する最小限のレベルで行う、ということ のはつまり、ひきこもりであるとか、ニートであるとか、非 正 規 雇用労 に挑戦したい。たとえば、一人の男と一人の女が、舞台上にただ立って 働者である、 といったような若者が起こす凶悪犯罪̶̶が起きて世間 いるとする。その二 人の俳 優は、この物 語の登 場 人 物の男女を演じよ が騒ぐたび、二人はともに、ある一人の人物のことを思い出す。それは、 うと、特に躍 起にはなっているわけではない。むしろ、躍起に演じない 現在のアパートに移る前に二人が住んでいた今よりも「ランクの低い」 ように、作中のカップルに見えないように必死に努力することさえする アパートの隣室の住人で、やはり犯人と同年代とおぼしき男である。彼 かもしれない。にもかかわらず、二人が作中人物の男女であるようにし は、仕 事をしているのかしていないのか分からないように見 受けられ か見えない、という事 態は( 案 外 容易に)起こり得る。そういった仕 方 たし、それだけでなく、いつも生気のない表情をしていた。 であるにもかかわらず明快な表象行為、 というものに、関心がある。 3 プロフィール 岡田利規(おかだ としき) 演劇作家・小説家。 97年に 「チェルフィッチュ」 を結成。横浜を拠点に活動。 より遠くに行ける可能性のある作品を生み出すため、 ある方法論を持ちつつも、その方法論をそ れ以上「引き寄せないように、 それをいつまでも掴んでいないように、 すぐに手放すように」心がけ るという、 それ自体が不思議な方法論で演劇作業を実践する。 04年2月発表の『三月の5日間』 で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。選考委員からは、演劇という システムに対する強 烈な疑 義と、それを逆 手に取った鮮やかな構 想が高く評 価され、 とらえどこ ろのない日本の現在状況を、巧みにあぶり出す手腕にも注目が集まった。岡田の演出特有な身体 性 は 、時 に ダ ン ス 的 と も 評 価 さ れ 0 5 年 7 月 ダ ン ス 作 品『 ク ー ラ ー 』で「 T O Y O T A CHOREOGRAPHY AWARD 2005∼次代を担う振付家の発掘∼」最終選考会に振付家と してノミネート。振付に対する明確なコンセプトを提示し、 コンテンポラリーダンス・シーンに驚きと衝撃を残した。05年9月、横浜文化賞文 化芸術奨励賞受賞。07年10月神奈川文化賞・スポーツ賞において文化賞未来賞を受賞。 2006年6月ドイツミュールハイム劇作家フェスティバル Stuecke'06/International Literature Project in the course of the Football World Cup 2006 日本劇作家代表として参加。_同年12月新国立劇場 the LOFT(東京) にて 『エンジョイ』発表。06-07年 平田オリザが芸術監督を務めるアゴラ劇場の舞台フェスティバル「サミット」のディレクター就任。07年2月新潮社よりデビュー小説集『わ たしたちに許された特別な時間の終わり』発表し、翌年第二回大江健三郎賞受賞。08年『フリータイム』 を発表。 チェルフィッチュ 岡田利規が全作品の脚本と演出を務める演劇カンパニーとして1997年に設立。チェルフィッチュ (chelfitsch) とは、自分本位という意味の英単語セルフィッシュ (selfish) が、明晰に発語されぬ まま幼 児 語 化した造 語であり、現 代の日本 、特に東 京の社 会と文 化の特 性を現したユニット名 。 07年5月ヨーロッパ・パフォーミングアーツ界の最重要フェスティバルと称されるKUNSTENFES TIVALDESARTS2007(ブリュッセル、ベルギー)にて『三月の5日間』が初めての国外進出を果 たす。0 8 年 3 月には『フリー タイム 』をK U N S T E N F E S T I VA L D E S A R T S 2 0 0 8 、W i e n e r Festwochen(ウィーン、オーストリア)、Festival d AUTOMNE(パリ、 フランス) との共同製作 『フリータイム』 (2008 @SuperDeluxe) 作品として発表。現在ではHEBBEL AM UFER(ベルリン/ドイツ)、Salzburg Festival(ザルツブルグ、オーストリア)、Japan Society(ニュー ヨーク/アメリカ)、PUSH International Performing Arts Festival(バンクーバー、カナダ)などアジア、欧州、北米にて海外招聘多数。 一方、国立国際美術館30周年記念公演(大阪)、森美術館主催「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展(東京)、横浜トリエンナーレ2008 (横浜)、Nam June PaikArt Center( ギョンギ、韓国)など、演劇のみならず美術展へも参加している。2009年10月には、短編作品『クーラー』 の拡張版、 『 ホ ット ペ ッ パ ー 、ク ー ラ ー 、そ して お 別 れ の 挨 拶 』を ヨ ー ロ ッ パ ツ ア ー に て 発 表 し 、現 地 の 観 客 か ら 絶 賛 を 浴 び る 。 4 出演者プロフィール 山縣太一(やまがたたいち) 1979 年、横浜生まれ。2000 年家族劇団山縣家『日の出家の人々』で役者デビュー。 2001 年『団地の心への旅』よりチェルフィッチュ参加。以降全作品に出演している。 また、演劇作品だけではなく、ダンス作品への参加など 多方面への活動を展開中。 劇団山縣家や自身が作演出するユニット「Line 京急」でも注目を浴びている。 松村翔子(まつむらしょうこ) 1984 年、横浜生まれ。一人芝居「マリファナの害について」よりチェルフィッチュ に参加。以降、『三月の 5 日間』や『目的地』などに出演。中野成樹+フランケンズ 『暖かい氷河期』や、ポツドール『顔よ』など客演も多数。 安藤真理(あんどうまり) 1979 年、兵庫県生まれ。2006 年伊丹アイホールにて岡田利規ワークショップ & パフォーマンス『奇妙さ』に参加。以降、2008 年『フリータイム』、2009 年『記 憶の部屋について』(金沢 21 世紀美術館「愛についての 100 の物語」)に出演。 青柳いづみ(あおやぎいづみ) 1986 年、東京生まれ。チェルフィッチュには 2008 年『三月の5日間』ザルツブル グ公演より参加。岡田が非常勤講師を務める桜美林大学で行われた公演、桜美林大学 パフォーミングアーツプログラム『ゴーストユース』や、『記憶の部屋について』 (金沢 21 世紀美術館「愛についての 100 の物語」)にてに出演。 5 公演概要 チェルフィッチュ 「わたしたちは無傷な別人であるのか?」 2月14日(日)∼26日(金)/STスポット 3月1日(月)∼10日(水)/横浜美術館公演 作・演出:岡田利規 出演:山縣太一、松村翔子、安藤真理、青柳いづみ 他 ●日時 2月 14 日 15 月 16 火 17 水 14:00 19 金 休 18:00 19:30 3月 18 木 ■ ■ ■ ■ 演 20 土 21 日 ■ ■ ■ ■ ■ 22 月 23 火 24 水 25 木 26 金 休 ■ ■ ■ 演 STスポット横浜 ■ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 月 火 水 木 金 土 日 月 火 水 17:00 19:30 ■ ■ ■ 休 ■ ■ 演 横浜美術館レクチャーホール ■ ■ ■ ■ ※受付開始(当日券発売を含む)は開演の1時間前、開場は30分前になります ●場所 STスポット横浜 横浜美術館レクチャーホール 〒220-0004 〒220-0012 横浜市西区北幸1-11-15 横浜STビルB1 神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1 http://www.stspot.jp/ http://www.yaf.or.jp/yma/ ●チケット 一般発売 12月19日(土) <取り扱い> プリコグWEB http://precog-jp.net (携帯からもアクセス可能) <料金>(日時指定 入場整理番号付き自由席) 前売¥3,000/学生¥2,500/当日¥3,500 ●お問い合わせ プリコグ http://precog-jp.net [email protected] TEL&FAX 03-3423-8669 主催:チェルフィッチュ 神奈川県 共同制作:Theatre de Gennevillier(フランス/パリ)/Festival dユAutomne(フランス/パリ)/財団法人神奈川芸術文化財団 助成:芸術文化振興基金/財団法人セゾン文化財団/横浜市先駆的芸術活動助成/アサヒビール文化財団 会場協力:横浜美術館 協力:急な坂スタジオ 制作:プリコグ -6-
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