八世紀の京内宅地と京職

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Title
八世紀の京内宅地と京職
Author(s)
宍戸, 香美
Citation
古代都市とその思想,pp.89-105
Issue Date
2009-02-15
Description
2008年に開催されたCOEサロンによる連続研修会『古代都市を考え
る』「都市と条坊」の成果
URL
http://hdl.handle.net/10935/1435
Textversion
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八世紀 の京 内宅地 と京職
宍戸
香美
は じめ に
都 城 に関 す る研 究 は形制 論 に は じま り多 岐 に亘 るが 、 そ の行 政 を担 う京 職 につ いて は平 安 京
期 の研 究 が主 で あ り、 平 城 京 期 の 実 態 にっ いて の 検 討 は限 られて い る1)。
京 職 にっ いて は天 武 ・持 統 朝 にそ の 存 在 を示 す史 料 はあ るが2)、具 体 的 な 活動 が うか が え る
の は平 城 京 期 以 降 で あ る。 そ の 行 政 上 の職 務 は、 宅地 班給3)に よ って京 に人 が 住 み っ き は じめ
た と こ ろか ら本 格 的 に始 ま る もので あ った はず で あ り、 京 内宅 地 に関 わ る職 務 は京 職 に と って
本 来 的 な もの と思 わ れ る。
先 学 の成 果 に よ って 、 遷都 時 の宅 地 班 給 に は一 定 の基 準 が設 け られ た とされ るが 、 そ の基 準
自体 の あ り方
主 に身 分 と面 積 の 関 わ り
に注 目が 集 ま り、 ま た そ の基 準 が いか に多 様 化
した か と い う点 が 発 掘 成 果 に基 づ き論 じ られ て きた4)。 しか し基 準 ば か りで はな く、 人 々が ど
この どの よ うな 宅 地 に どの よ うに住 ん だ のか を考 え る こ とで初 あ て、 京 の構 成 要 素 と して の宅
地 か ら実 態 的 な 京 の 姿 を捉 え る こ とが 可 能 な の で は な か ろ うか。
そ こで 本 稿 で は まず 、 遷 都 時 の宅 地 班 給 後 の京 内宅 地 に注 目 し、 そ の所 在 の分 布 を史 料 よ り
確 認 す る作 業 を 行 った。 次 に そ の分 布 の状 況 が い か に して生 じた か が 問題 とな るが、 そ れ は京
にお いて どの よ うに人 々が 住 ん だ のか を考 え る こ とで もあ る。 そ の考 察 の過 程 を ふ ま え て、 京
内 管 轄 の 行 政 組 織 で あ る京 職 が いか に京 内宅 地 に関 与 した の か に っ いて 論 を進 め て い きた い。
1.平
城 京 内 の宅 地 分 布
(1)宅 地 班 給 と京 内 宅 地
京 内宅 地5)に っ い て は、 主 に宅 地 班 給 論 の 中 で言 及 され て きた6)。宅 地 班 給 は藤 原 京 、 難 波
京 、 恭 仁 京 、 保 良 京 、 平 安 京 にっ い て の史 料 が 残 され て い る7)。平 城 京 遷 都 時 の班 給 記 事 は 見
当 た らな い が、 都 城 創 設 に際 して の慣 例 と して、平 城 京 に お い て も班 給 は行 わ れ た と考 え られ、
そ の基 準 が 問 題 と さ れ て きた。 従 来 、 平 城 京 の班 給 基 準 は藤 原 京 の基準 を適 用 した と考 え られ
る8)。藤原 京 で の 宅地 班 給 は 『日本 書 紀 』 持 統5(691)年12月
乙 巳条 にみ え 、
詔 日、 賜 右 大 臣 宅 地 四 町。 直 広 弐 以 上 二 町。 大 参 以 下 一 町 。 勤 以下 至無 位 、 随其 戸 口。 其
上 戸 一 町 、 中 戸 半 町、 下 戸 四分 之 一 。 王 等 亦 准 此 。
と あ る。 この記 事 か ら、 京 内宅 地 が主 に位 階 に応 じて 宅地 面積 を変 え班 給 され た こ とが わか る。
班 給 記 事 の 多 くは官 人 や諸 王 へ の班 給 を記 す が、 恭 仁 京 の 班 給 記 事 に は 「百 姓 」 へ の班 給 が み
え る。 いず れ の京 で も百 姓 は班 給 対 象 で あ っ た と推 定 され るが 、 そ の班 給 基 準 は不 明 で あ る。
ま た いず れ の班 給 記 事 も規 定 して い るの は面 積 の み で あ り、 そ の所 在 地 を規 定 す る記 述 は み ら
れ な い。
従 来 の研 究 にお い て は、 「五 位 以 上 官 人 は五 条 以 北 に居 住 す る」 で あ る とか 「平 城 宮 か ら離
一89一
れ る ほ ど宅 地 割 りの小 さ な ものが 出現 す る」 とい った よ うな形 で、 宅 地 の所 在 地 と面 積 、 身分
の関 わ りが示 され て きた9)。 そ れ らの説 は、 平 城 京 に お け る発 掘 調 査 で 一 町規 模 以 上 の 宅 地遺
構 の多 くが五 条 以 北 か ら検 出 され る こ と、 文 献 史 料 か ら五 条 以 北 に五 位 以 上 官 人 の 宅 地 が 存在
した こ とを 示 す 事 例 が複 数 あ る こ と。 ま た下 級 官 人 の宅 地 の状 況 を示 す 「月借 銭 解 」10)と
、発
掘 で検 出 され る小 規 模 宅 地11)の所 在 地 とが 合 致 す る こ とな どか ら導 き出 され た もの で あ る。 そ
して そ れ らは、 直 接 ・間 接 に遷 都 時 の班 給 基 準 と結 び っ けて論 じ られ て きた。
しか しそれ らの諸 論 で用 い られ る発 掘 成 果 や文 献 史 料 の ほ とん ど は宅地 班 給 時、 す な わ ち和
銅3(710)年
の平 城 遷 都 よ り下 る時期 の もの で あ り、 そ れ らを 遷 都 時 の班 給 基 準 に 直 ち に結 び
っ け る こ と に は疑 問 を覚 え る。 ま た発 掘 成 果 か ら、 京 内 宅 地 は平 城 京 期74年
の 問 に宅 地 割 り
を変 化 させ て い た こ とが 指 摘 され て お り12)、
決 して遷 都 時 の 状 況 が 平 城 京 期 を通 じて維 持 され
続 け て い た わ けで は なか ろ う。 宅 地 班 給 の 問題 は都 城 を考 え る上 で重 要 な 問題 で は あ る が13)、
平 城 京 で の宅 地 班 給 基 準 を うかが う こ とが史 料 上 難 しい以 上 、 む しろ班 給 後 に宅地 が どの よ う
な変 遷 を辿 り、 そ の際 班 給 時 の よ うに何 らか の基 準 が適 用 され た の か ど うか、 そ の こ と に注 目
し検 討 す る必 要 が あ るよ うに思 わ れ る。
そ こで本 稿 で は、 平 城 京 期 を通 じた文 献 史 料 か ら遷 都 後 の京 内宅 地 の姿 にっ い て 検 討 す る こ
とを 目指 した い。
京 内宅 地 に っ い て は、 身 分 、 面 積 、 所 在 地 とい う三 っ の側 面 が 見 え るが 、班 給 面 積 基 準 を 示
す史 料 はあ る もの の、 遷 都 後 の史 料 の 中 で 宅地 面 積 を 示 す もの は数 が 限 られ て お り、 充 分 な検
討 を加 え る こ と は困難 で あ る。 そ こで次 節 で は、 遷都 後 の 京 内 宅 地 にっ いて 、 身 分(位 階)と
所 在 地 に焦点 を 当 て て考 え た い。 主 眼 は、 従来 説 か れ て い る よ うな 「五 位 以 上 官 人 は五 条 以 北
に居住 」 とい った一 般 化 の妥 当性 の再 検 討 にあ る。
② 宅地 分布 の 変化
宅 地 の 所在 地 に関 す る史 料 は、 文 書 史料 を 中 心 に多 く残 され て い る。 まず 、 「○ 京 ○ 条 ○ 坊 」
とい った 条坊 表記 の あ る平 城 京 期 の 史料 を 集 成 し、 その 中 か ら宅 地 の所 在 地 、 あ る い は 「○ 京
○ 条 ○ 坊 戸 主 」 とい う内 容 を もっ 史 料 を取 り上 げ る と、123例 が 確 認 さ れ る。 本 節 で は身 分
(位階)と 宅 地 の 所 在 地 の関 わ り に着 目す る の で、 さ らに そ の 中 か ら位 階 記 述 を記 す 史 料 を抽
出す る と48例 が あ げ られ る14)。そ れ ら48の 事 例 に っ い て ま と め た の が表1で
あ る15)。表 の各
事 例 は、 下 図(平 城 京 宅 地 分 布 図)に 所 在 地 を 示 して お い た。
こ こで 、 各 事 例 の 条 坊 表 記 が 平 城 宮 か らど の く らい離 れて い る の か を、 平 城 宮 朱 雀 門 を起 点
に条 坊 の一 辺 を単 位 と して 、 そ の距 離 を 数 値 化 す る こ とを試 み た。 数 値 化 の しか た は、 例 え ば
左 京 四条 一 坊 で あれ ば 朱雀 門 か ら当 該 坊 内 の最 も宮 か ら離 れ た地 点 へ 到達 す る に は南 へ2条 分 、
東 へ1坊 分 な ので 、2+1=3と
した(後 掲 の 図 を参 照)16)。こ う して数 値 化 した結 果 は、 表
1の 「距 離 」 欄 に示 した。 そ して この数 値 を位 階 ご とに平 均 しま とめ た のが 表2で あ る。 そ の
際 、 各 事 例 を平 城 京 遷 都 ∼ 天 平 年 間 の奈 良 時 代 前 半 と天 平 勝 宝 年 間 ∼ 長 岡京 遷 都 の後 半 に分 け
一90一
位階表記を伴 う条坊史料
表1
No.
1
2
左右京 条 ・坊
左京
4。2
右京
5・2
距離
3
4
年 月 日
人 名
天 平勝宝∼天 平 藤原仲麻 呂
宝字8
位 階
規 模 、その 他'
天平勝宝 元正三 9∼16坪 の8町(10町
位 大納言 、天 平 説 もあり、奈 文 研
宝 字8正一位 大師 1995)
∼ 天 平7没
慶 雲4二 品 、神
元 ∼ 天 平7一 品
新 田部親 王
3
左京
1、2・2
2.5
遷 都 ∼ 養 老4(没) 藤原不 比等
4
左京
3・2
1.5
遷都 ∼天平元
(没)
5
右京
2・2
2
6
左京
2・3
3.5
7
左京
2・2
8
左京
9
9,10,15,16坪
の4町
一 条 の12
長屋 王
奈 良時代後期 ∼ 大 中臣朝臣清麻 呂
延暦7(没)
和銅 元∼養 老4正
,13,二 条
二位 、右大 臣
の9,16坪 の4町 か
和銅2従三位 宮内 1,2,7,8坪 の4町
卿 、神 亀元年 ∼
天平元 正二位 左
大臣
天平宝字6従 四位 11∼14坪 の4町 か 、
下参議 、天応 元 廃 都 後 も居 住
(致仕)正二位右
大臣
天平勝 宝3従五位 9,10,15,16坪 の4町
下、天応元 正三 か(四 坊3,6,11,14坪
周 辺 説 もあ り、吉 川
位 大納 言
分 類
史料 出典
宅地 『続 日本 紀 』宝 亀
8.9.18条,「諸 国 諸 庄 田
地 注 文 定 」(『
東大 寺要
録 』巻6),『平 安 遺 文 』
9/3471他(岸1956)
宅地
『続 日本 紀 』天 平宝 字
7.5.戊 申 条 他
宅地
続 日本 紀 』天 平 神 護
2.10.壬 寅 条 他
宅地
長 屋 王 家 木 簡(奈 文研
1995)
宅地
「中 臣 氏 系 図 」(『
群書
類 従 』62),『
鎌 倉遺文』
26/231他(岩 本1974)
奈良時代後期
石上 朝臣宅嗣
宅地
『
続 日本紀』天応1.6辛
亥条,『
建 久御 巡礼記』
法華寺(『
校 刊美術 史
料』寺院編 上)
2
天 平7∼8頃
藤原 麻 呂
天 平3∼9従 三 位
参議
1町 か
宅地
二 条 大 路 木 簡(奈 文 研
1995,2006)
4。4
6
養 老7.12.15
太朝 臣安万侶
従 四位 下勲五等
右京
3・2
3
∼ 神 亀6 .2.9(没)
小 治 田朝 臣安 万侶
従 四位 下
「
左京 四条四坊従 (戸 主) 太 安 萬 侶 墓 誌(橿 考 研
四位 下勲五 等太朝
1981)
臣安万侶」
「
右京 三条二坊 従 (戸 主) 『寧 楽 遺 文 』下/969
四位 下小治 田朝 臣
安万侶」
10
左京
4。2
4
天 平 宝 字2.11.28
市原 王
正五位 上
「
左京 四条二坊 正
(戸 主) 大 日古4/350
五位 上 市 原 王 」
治 部 大 輔(『万 葉 集 』
20/4500)
11
右京
1・3
5
天 平14.12.12
曽祢連伊 甘志
正 五位 上
戸頭
12
左京
5・3
6
天 平 勝 宝3.7.27
阿倍朝 臣嶋麻 呂
従 五位 上
13
左京
2。7
8
神 護 景 雲4.5.8
広上王
従 五位 ド以 下
14
左京
7・1
6
(宝 亀2).2.22
某 姓 〈ム 甲〉
外 従五位 ド
2007)
宝 亀5.8従 五 位 下
(『続 日本 紀 』)
「
左 京 七 条 一 坊[
戸主
大 日古2/321
戸主
大 日古3/513
宅地
大 日古6/1
(戸主)
大 日古6/119
]」
15
左京
6・2
6
(天 平 勝 宝9.4.7)
後部高笠麻
正 六位 上
戸主
大 日古13/220
16
右京
5・2
5
(天 平 勝 宝5.6.15
岡連泉麻 呂
正 六位 上
戸主
大 日古25/93
以 前)
17
左京
8・1
7
天 平20.4.25
山部宿禰安 万 呂
正 六位下
戸主
大 日古3/79
18
右京
3・3
4
(天 平5)
於伊美吉子 首
戸主
大 日古1/481
19
左京
7。1
6
(宝 亀2).2.22
(某姓 〈ム 甲〉の 父)
宅地
大 日古6/119
20
右京
右京
4・4
6
天 平14.11.15
秦大蔵連 弥智
戸主
大 日古2/314
21
7・3
8
(宝 亀2).2.22
(某姓 〈ム 甲〉の 父)
宅地
大 日古6/119
22
右京
7・3
8
(宝 亀2).2.22
(某姓 〈ム 甲〉の 父)
宅地
大 日古6/119
23
左京 力
1・3
5
天 平20.10.21
大原
下野国薬師 寺造
司工、従六位上
国守(相当位 は従 「一 区 元 物 」
六位 下以上)
従 六位 ド
国守(相当位 は従
六位 下以上)
国守(相当位 は従
六位 下以上)
正七位 下、兵 部
省 少丞
戸主
大 日古3/126
24
左京
5・7
10
宝 亀3。2.21
石川宮 衣
経 師 、正 七 位 ド
宅地
大 日古19/315
25
左京
6・2
6
天 平 宝 字8.2.9、
間人宿祢 鵜 甘
従 七位上
戸主
大 日 古5/477,613
人
城
天 平 神 護2.10.21
26
右京
4・1
3
天 平 神 護2.10.21
上毛野公 奥麻 呂
従 七位 上
戸主
大 日 古5/567,574
27
右京
9・4
11
(天 平 勝 宝9.4.7)
上主村 牛甘
従 七位 下
戸主
大 日古4/228
28
右京
5・2
5
天 平 神 護1.8.16
車持朝 臣若足
正八位上
戸主
大 日古4/520
29
右京
7。3
8
天 平20,4,25
次 田連東 万 呂
正八位上
戸主
大 日古3/79,10/265
30
左京
5・2
5
天 平 勝 宝8.8.22
小野朝 臣近江麻 呂
正八位 下
戸主
『大 日本 古 文 書 』家 わ
け 第18東 大 寺 文 書
7/55
31
左京
3・2
3
天 平14.11.23
槻本連 大食
従八位上
戸主
大 日古2/319
32
左京
4・4
6
天 平17.1.12
奈 良曰佐牟須 万呂
従八位 上
戸主
大 日古25/104
一91一
左京
8・3
9
宝 亀5.2.10
大宅首童 子
経 師、従 八位上
34
左京
6・3
7
葛井連恵 文
従 八位 下
35
左京
(天 平 勝 宝5.6.15
以 前)
(天 平20)
他 田 日奉 部直神護
36
左京
9・4
天 平16.12.10
漆部連 虫麻 呂
中宮舎人、従八
位 下海上国造
従 八位 下
戸主
大 日古25/164
37
右京
7・2
7
(天 平)8.10.29
台忌寸 千嶋
勲 十二等
戸主
38
左京
3。1
2
天 平 勝 宝8.8.22
阿刀宿祢 田主
大初位 下
戸主
『平城 宮 発 掘 調 査 出 上
木 簡 概 報 』24,『木 簡 研
究 』12
大 日 古4/181
39
左京
5・4
7
(天 平3)
鳥取連嶋 麻 呂
大初位 下
戸主
大 日古1/502
40
左京
6。1
5
(天 平14.11.15)
酒 田朝 臣三口
大 初位 下
戸主
大 日古2/315
41
左京
6・2
6
天 平7.閏11.5
安拝朝 臣常麻 呂
宅地
大 日古1/634
42
右京
6・3
7
(天 平 勝 宝5.6.15
赤染大 岡
左 大舎人寮少
属 、大初位 下
大 初位 下
戸主
大 目古25/93
7・ 一
6 上以 11
33
「質 物 家 一 区 地 十
六分一 板屋五 間」
「
左 京七条 人」
戸主
大 日古6/567
戸主
大 日古25/92
(戸主)
大 日古3/150
以 前)
43
左京
1・2
4
天 平 勝 宝9.4.7
丈部 臣葛 嶋
少 初位上
戸主
大 日古4/228
44
左京
5・3
6
(天 平 勝 宝5.6.15
村国連 五百嶋
戸主
大 日古25/92
戸主
大 日古1/494
右京
8・1
7
(天 平5)
秦常忌 寸秋庭戸
46
右京
8・3
9
天 平17。9.23
幡文広 足
少 初位上 、勲十
等
少 初位上 、図書
寮装横生
少 初位上
戸主
大 日古25/87
47
右京
9・2
9
天 平20.4.25
山下造 老
少 初位 上
戸主
大 日 古3/79,10/265
48
右京
9・4
11
(天 平 勝 宝9.4.7)
井守伊美 吉広 国
少 初位 下
戸主
大 日古13/220
以 前)
45
※ 史 料 出典 のうち『大 日本 古 文 書 』編 年 文 書 掲 載 の もの は 「大 日古(巻 数)/(頁 数)」と表 記 した。
『寧 楽 遺 文 』など 「『書 名 』1/1」とある表 記 も同 様 に(巻 数)/(頁 数)の 意 。 その 他 の 出 典 に つ い ては 註15を 参 照 の こと。
表2
2.0
四
位(2)
4.5
五
位(4)
5,0
六
位(9)
5,7
七
位(5)
5.0
八
位(10)
6.8
初
位(11)
7.2
3.2
2.8
2.0
2.8
4.5
5.8
●
●
にり
6
・
ρ0
RU O
7.0
6.2
7
5.4
[0
6.5
7.0
6.7
6.6
官位 不 明(52)
5.9
0σ
・
ρ0
00
・
農U
6.7
・
官職 のみ(23)
亡0
7
8
7
区 分 に 収 敏 さ れ て い く の が 見 て と れ る18)。
位(2)
6
数 値 が 集 ま り、 二
三
3.5
■
の に 対 し、 五 位 以 下 は6∼7に
2.0
全体
0
が後 半 に な る と、 三 位 以 上 が 小 さ い数 値 に集 ま る
位(3)
6
位 以 下 と い う三 区 分 に わ け る こ と が で き る 。 そ れ
二
り0
後 に ま とま る八
後 期
﹃0
の 五 位 ∼ 七 位 、7前
4.0
り自
∼ 四 位 、5台
まで に お さ ま る一 位
位(2)
0
り、 前 半 は 距 離4台
一
O
表2よ
前 期
3
の 平 均 値 は 「全 体 」 欄 に 示 し た 。
官 位(事 例数)
0
て 扱 っ た17)。ま た 前 半 ・後 半 を 通 じ て の 位 階 ご と
時 期 ご との各 位 の距 離 の平 均 値
こ こに見 え る よ うな数 値 上 の ま とま りは、 前 半
の状 況 に っ いて は次 頁 の図 の よ うな形 で ライ ンを 引 い て表 せ るの で はな か ろ うか。 す な わ ち奈
良 時代 前 半 に は、 四位 以 上 は宮 か らの距 離 が概 ね5ま で の範 囲 内(ダ イヤ モ ン ド型 の5の ライ
ンの 内側)に 宅 地 を構 え た。 ま た五 ∼七 位 は5∼7の
八 位 以 下 は距 離7の
範 囲(5と7の
ライ ンの 周 辺 に集 ま るが 、9や11な
ライ ンの 間)に 納 ま る。
ど京 縁 辺 部 に も及 ん だ 。 そ れ が 奈 良
時代 後半 に な る と数 値 が二 極 化 し、 高 位 者 は距 離 が3前 後 に集 中 して 内 側 の ラ イ ンが 収 縮 す る
一 方 、五 位 以 下 で は外 側 の ライ ンが解 消 して七 ・八位 間 の線 引 きが 意 味 を な さな くな り、 距離
6∼7を
中心 と した京 内 の広 い範 囲 に拡 散 し、 入 り乱 れ て 宅地 を 構 え る状 況 とな っ た19)。
もち ろん、 これ らの 区分 は あ くま で平 均 値 に基 づ くもの で あ り、 そ の 範 囲 内 に条坊 表記 が集
中 す る とい う こ とで あ って 、 表1のNo.38の
例 や 、逆 にNo.8の
よ う に初 位 で あ りな が ら2の 距 離 に本 貫 を もっ
太 安 万 侶 の事 例 の よ うに 四位 以 上 で あ って も6の 距 離 に宅 地 を構 え るな ど、
一92一
躍晒
圏醒
羅謂
踊鵬
踊融
旺
距 離5の
城
宮
距 離7の
醐
平
ライ ン
旺
田田旺 旺
團
蟹鰯
睡 庫睡 田
②
國
薬師寺
囮回
(距 離3)
國同嗣
開 騒騨
曝
國鯛⑪
⑧⑳
囮
図
紀寺
大安寺
羅
羅
左京
四条一坊
興 福 寺
元興寺
⑫
ライ ン
⑳
⑰
凡例 ・奈 良時 代前 期=①
⑯
國
西市
奈 良時 代後 期 罵[コ
彌醐
※数宇 は表1のNo欄
東市
⑭
⑰
と対応
平城京宅地分布図
ライ ンを ま た ぐ事 例 も複 数 存 在 した。
従 来 も、 平 城 宮 に近 い と ころ に高 位 官 人 の宅 地 が 集 中 す る、 とい った よ うな形 で宮 か らの距
離 とい う要 素 に注 目す る指 摘 は な さ れ て は い た が、 距離 とい う視 点 か ら史 料 を一 っ ず っ評 価 す
る作 業 は行 わ れ て こな か った。 本 節 の作 業 は、 事 例 数 が少 な い た め算 出 した数 値 を絶 対 視 す る
こ とは で きな いが 、 数 値 の分 析 を通 じて 「
五 条 以 北 に五 位 以上 が 居 住 す る」 とい った よ うな漠
然 と した もの で は な く、 よ り明確 な形 で宅 地 と宮 との 距離 と身 分(位 階)が 連 関 し階層 差 が あ
る こ とや、 奈 良 時 代 前 半 と後 半 とで階 層 差 の あ り方 に差 が み られ る こ とな ど を示 す こ とが で き
た と思 う。
但 し分 析 に 関 して は い くっ か注 意 す べ き点 が あ る。 まず 、 先 述 した よ うに表1の 事 例 は平 城
京 遷 都 時 の もの で は な く、 班 給 基 準 そ の もの が み え るわ けで はな い こ と。次 に これ らの事 例 の
多 くは戸 主 の 本 貫 記 載 を取 り上 げ た もの で あ るが20)、そ の 本 貫 が 宅 地 の所 在 地 とイ コー ル と は
限 らな い可 能 性 が あ る こ とな どで あ る。 この う ち後 者 の 点 にっ いて は、 戸 主 関 連 の 史料 に分 析
対 象 が偏 る以 上 、 宅 地 と戸 籍 ・計 帳 な どの 戸 籍 史 料 との 関 わ りを 考 え る必 要 が あ ろ う。
そ こで次 章 で はま ず、 戸 籍 史 料 と宅 地 の 問 題 か ら本 貫 記 載 史 料 の扱 い方 を 考 え る。 そ こ にみ
え る戸 主 を は じめ とす る京 戸 の動 き は、 京 内 宅 地 に様 々 な変 化 を もた ら したが 、 次 章 で は宅 地
が どの よ うな動 態 を示 した か にっ い て も多 角 的 に検 討 して い き た い。 ま た、 検 討 の過 程 で は必
要 に 応 じて 庶 人21)の宅 地 にっ いて も随 時 述 べ る こ ととす る。
一93一
2.京
内 宅 地 の動 態
(1)京 内 宅 地 と戸 籍 史 料
まず 平 城 京 に 関連 す る戸 籍 史 料 の うち、 天 平5(733)年
の 「右 京 計 帳」 を と りあ げ る。 本
文 書 は各 戸 か らの手 実 を は り継 ぎ成 巻 され て い る が、 そ の 中 の一 っ 、 国寛 忌 寸 弟 麻 呂戸 手 実 の
加 筆部 分 が 注 目 され る。 『大 日本 古 文 書 』 編 年 文 書(以 下 、 「大 日古 』 と略記 す る)第1巻495
頁 によ る と、
右京八條一坊
戸 主 国寛 忌 寸 弟 麻 呂戸 手 実
天平五年
(中 略)
輸調銭
(朱書)「 依 居 住 移 左 京 」
課 戸 主 国覧 忌 寸 弟 麻 呂
年参拾騨
正丁
(以下7名 分 略)
とあ る。 本 手 実 を影 印本22)で確 認 す る と、 朱 書 に よ る加 筆 部 分 「
依居住移左京」 は 「
輸調銭」
の行 と 「
課 戸 主 …」 の行 の 中 間部 分 の上 欄 に記 され て い る こ とが見 て取 れ る。 この 「
居 住 に依
り左京 へ移 す」 とい う文 言 は、 国覧 忌 寸 弟麻 呂戸 が左 京 の某 坊 へ転 居 し移 貫 した こ とを う けて
の 加 筆 と考 え られ る23)。
この他 、 細 川 椋 人 五 十 君 戸 手 実(『 大 日古 』 第1巻490頁)に
も、 四坊 の 箭 集 宿=禰石 依 戸 へ
の移 貫 を 示 す加 筆 が あ る。 これ も転 居 に よ る と され、 これ らの加 筆 は、 造 籍 作 業 と関 わ り施 さ
れ た もので あ る との指 摘 もあ る24)。この よ うに京 戸 の居 住 地 の 京 内 で の移 動 は、 戸 籍 史 料 に反
映 さ れ る もの で あ った 。戸 籍 史 料 にみ え る本貫 記 載 は、 基 本 的 に戸 主 の 居住 地 と合 致 す る と考
え た い25)。
ま た、 同 じ く天 平5年 の 「右 京 戸 口損 益 帳」(『大 日古 』第1巻502頁)26)に
は 「折生 戸 弐 姻」
が見 え るが 、2姻 が新 しい戸 と して析 出 す る前 提 と して 、 各 戸 が戸 口15口 、8口 ご と に戸主 路
真 人 何 某 と同一 坊 内 で別 居 して いた 実 態 が 想 定 で きる27)。京 戸 戸 籍 に み え る京 戸 の うち 京 内 に
住 む の は単 婚 家 族 規 模 で あ り、 他 の戸 口 は京 外 、 主 に畿 内 に居 住 した と の指 摘 が 既 に な され て
い るが28)、戸 口が京 内 で わ か れ て居 住 す るケ ー ス が あ った可 能 性 も考 え られ よ う。
〕
以 上 、 京 内 で は転 居 に よ る居 住 地 の変 化 が 起 こって お り、 それ らが 戸 籍 史 料 に反 映 され た こ
とや、 戸 口が 京 内 で別 居 して い た可 能 性 を指 摘 した。 これ を宅 地 の側 か ら見 れ ば、 居 住 者 とそ
の身 分 の変 化 で あ り、 あ る い は宅 地 以 外 の土 地 利 用 が な され て 地 目が 変 化 した り、 宅 地 の面 積
や、 内部 の建 物 の棟 数 な ど とい った宅 地 の利 用 状 況 が 変 化 した可 能 性 もあ ったで あ ろ う。 また
転 居 以 外 に も、 後 述 す る よう に、 律 令 の規 定 上 宅 地 は売 買 や 相 続 の対 象 で あ り、 そ うい った要
因 か ら も変 化 は起 こ り うる。 次 節 で は上 述 の よ うな宅 地 に もた らされ る変 化 の諸 相 の うち、 宅
地 の利 用 状 況 につ い て見 て い く。
一94一
② 宅 地 の利 用 状 況
宅 地 内 の状 況 にっ い て み る前 に、 京 内宅 地 の特 徴 に っ い て こ こで述 べ て お きた い。 都 城 内 に
口分 田 は存 在 せ ず 、 京 戸 は京 外 の主 に畿 内 に 口分 田 を班 給 され、 京 内 で は 口分 田耕 営 と切 り離
さ れ た暮 ら しを 送 って い た こ とが 指 摘 され て い る29)。ま た史 料 にみ え る諸 国 の 宅 地 は、 田畑 と
一 体 の耕 作 経 営 拠 点 と して の 「ヤ ケ」 的 性格 の もの と して あ らわ れ る こ とが多 い30)。しか し京
内宅 地 は、 家 庭 菜 園 的 な耕 作 地 と一 体 的 に存在 した可 能 性 は あ ろ うが 、 そ の多 くは
もの は特 に
狭小 な
居 住 に主 眼 を お い た もの で あ った と考 え られ る。
さて、 京 内 宅 地 にっ いて 述 べ る際 に必 ず 取 り上 げ られ る史 料 が 「月 借 銭 解」 の う ちの、 宅地
とそ こに建 っ 建 物 を借 銭 の質 草 と して い る もの で、 計7通
あ る31)。そ こに み え るの は写経 所 の
下 級 官 人 の 狭 小 な宅 地 だが 、 それ らは借 銭 の担 保 能 力 を もっ 財 産 と して 利 用 され た。 北 村 優 季
氏 は史 料 よ り、 これ らの狭 小 宅地 は1/16町
を基 準 と し、 基 本 的 な 規 模 は1/64町
に対 し板 屋1
間 で あ る と述 べ て い る32)。
同 じ く官 人 の 宅地 の様 子 にっ いて うか が え る のが 、 唐招 提 寺 文 書 の中 の 「
家 屋 資 財請 返解 案 」
で あ る。 本 文 書 は書 札 礼(書 式 見 本)の 一 種 と され、 そ こ に記 され た状 況 そ の もの が天 平 宝 字
年 間 頃 に実 在 した とは限 らな い33)。だ が そ の 内容 は極 め て 具 体 的 で あ り、 文 書 の 内容 に近 い も
の が実 態 と して あ った との前 提 で扱 い た い。
本 文 書 は官 人 「ム 甲」 に よ る宅 地 「家 四 区 」 の 書 き上 げ と、 そ の宅 地 の相 続 に関 す る訴 訟 文
とか ら構 成 され て い る。 以 下 に本 文 を掲 げ る34)。
解
申依 父 母 家 井 資 財 奪 取 請 口 ∼ 口 事
某 姓 ム甲
合家騨区
左 京 七 条 一 坊 □ ∼ □ 外 従 五 位 下 ム甲
一 区元 物
□
在左京七条一坊
壱区 板倉参宇忌蔑餐穰叢屋二舌雑蜜墓_宇物在
覆灘『肇ず
並父所口[
並在雑物口[
在右京七条三坊 壱区震量≦宇]□□i萎
葺□ 〔
板力〕敷東屋_宇
在右京七条三坊 壱区覆董垂菖i宇劾[]所
□[
謬謹
匙 孝並空篶瀦口奎…il口 口口口 〔
在 大 和〕国口[
上件弐家父母共相成家者
以前 ム甲可親 父 ム国守 補 任 旦 退 下 支然 間 依 去 宝 字[
死 去 然 ホ父 可妹 三 人 同心 旦 処 々ホ[
奪 取 此 乎ム甲実 患 良久口 〔
父力〕口我 口 口 〔
礼 喪 力〕[
(中略)
即職 乃 符 波久汝 可 申事 口 〔
諾 力〕 口 ∼ 口[
遣 旦所 々 家 屋 倉井 雑 物等 乎[
期 限波不 待 呈更 職 乃使 条 令[
倉 稲 下 井 屋 物 等乎毛口[
一95一
前 半 で は 各 家 あ 利 用 状 況 が 記 さ れ る 。1つ
目 の 家 に は 板 屋6宇
、 倉3宇
の 計9宇
。3っ
目 の 家 は 建 物 が な か っ た よ うだ が 、 最 も多 い2っ
目 は4宇
以 上 、4っ
目 は6宇
以上 の建物が存在 し
た よ う だ 。 こ こ で 先 述 した 北 村 氏 の 示 す 狭 小 宅 地 の 基 準 を 適 用 す れ ば 、2っ
3つ
目 ・4っ 目 の 家 は1/16町
規 模 で あ っ た と 推 定 さ れ 、 合 算 す れ ば1町
目 の 家 は1/8町
、
規模 とい うことにな
る。 本 文 書 か ら、 一 人 の 人 物 が 複 数 の 家 を 京 内 の 異 な る地 に 所 有 す る形 態 が あ っ た こ と が う か
が え る35)。ム 甲 の 父 の 官 位 は 文 書 中 に は あ らわ れ な い が 、 国 守 を 務 あ て い た こ と が 記 さ れ て お
り、 「月 借 銭 解 」 に み え る よ う な 下 級 官 人 よ り は上 位 ク ラ ス の 官 人 で あ っ た と思 わ れ る36)。
以 上 は官 人 に 関 す る史 料 だ が 、 『日本 霊 異 記 』 に は 庶 人 の 宅 地 の 様 子 が 描 か れ て い る37)。
な
中巻 第34縁
ら
うえっき
みな しご
をみな
は、元 々富 裕 で あ っ た 「
諾 楽 の右 京 の殖 槻 寺 の 辺 の里 」 の 「
一 の 孤 の 嬢 」 が、
聖 武朝 に父 母 が死 去 した後 貧 窮 した が、 自宅 の仏 堂 の観 音 像 の 霊 験 によ り再 び富 を 得 る話 で あ
ゆたか
たか ら
あまた
る。 そ の 中 で 、 父 母 生 前 の様 子 は 「
多 く 饒 に して 財 富 み、 数 屋 と倉 とを作 り」 と描 写 され 、
この他 に仏殿 が あ り奴 碑 や牛 馬 を所 持 して い た。 父 母 の 身 分 は記 され て いな いが、 お そ ら く庶
人 戸 と推 測 され る38)。多 数 の 建物 を 備 え 、 下 級 官 人 の狭 小 な宅 地 よ り も大 規 模 な もの を作 り上
げ たの は、父 母 の 経 済 力 で あ ろ う。 父 母 亡 き後 、 娘 が 相 続 は した もの の 、 屋敷 だ け は立 派 な 貧
乏 暮 ら しを 送 って い たわ けで あ る。
まつ
この他 、 中巻 第28縁 で は大 安 寺 の 西里 に、 中巻 第42縁 で は左京 の九 条 二 坊 に 「
極 め て窮 し」
い女 性 が 暮 ら して お り、 第28縁 の 家 に は門 前 の 椅 や 庭 も描 写 され て い る39)。
これ らの説 話 にみ え る よ う に、 庶 人 た ち は 自 らの宅 地 を そ の経 済 力 に応 じて 整 えて い た と推
測 され る。 そ れ は官 人 で 言 え ば 身 分(位 階)や 出 自集 団 の経 済 力 に応 じた規 模 の宅 地 を持 っ こ
とに な ろ う。 ま た 「家 屋 資 財 請 返 解 案 」 で ム 甲 の父 が複 数 の宅 地 を所 持 して い た よ うに、 様 々
な規 模 の宅 地 を組 み合 わせ て 所 有 す る場 合 もあ った。 い ず れ に せ よ、 京 内宅 地 の面 積 や利 用 状
況 に は身 分 差 ・経 済 力 が 反 映 され て い た と言 え よ う。
こ こで財 産 と して の京 内宅 地 と い うあ り方 を思 い お こす と、 そ れ は借 銭 の担 保 能 力 を もち、
被 相 続 対 象 で あ った。 特 に後 者 にっ いて は、 『日本 霊 異 記 』 中巻 第34縁
で は相 続 を機 に家 が傾
い て お り、 再 び富 み を得 て い な け れ ば、 売 却 や損 壊 な どに よ り宅地 の状 況 が大 き く変 化 した可
能 性 もあ った で あ ろ う。 次 節 で は宅 地 の あ り方 に影 響 を与 え 、 変化 を もた らす契 機 とな り う る
相 続 につ いて み て い く。
(3)宅 地 の相 続
相 続 に関 す る基 本 法 令 は律令 に み え る戸 令応 分 条 で あ り、 被 相 続 対 象 と して 家 人 、 奴 碑 、 田
宅 、 資 財 が あ げ られ て い る。 この 田 宅 は、 主 に耕 営 拠 点 と して の ヤ ケ的 性 格 を 意 味 す る もの と
され40)、そ こ に京 内 宅 地 の要 素 が どれ ほ ど見 込 まれ て い るの か は不 明瞭 で あ る。 しか し次 章 で
後 述 す る よ うに、 律 令 の 「田 宅 」 の 指 す 内 容 に は宅 地 も含 まれ る と考 え られ 、 京 内 宅 地 の 相 続
も戸 令 応 分 条 に基 づ いて 行 わ れ た と考 え た い。
こ こで 前 節 で取 り上 げ た 「家 屋 資 財 請 返 解 案 」 の後 半 部 分 に着 目す る と、 そ こで は ム 甲が 父
一96一
親 の死 後 、父 母 の家4区
と資 財 が 父 の妹3人
に よ り奪 取 され た こ と を訴 え て お り、 い うな れ ば
遺 産 相 続 争 い が起 こ って い る。 「
奪 取 」 と い う文 言 で 訴 え られ て い るの は、 戸 令 応 分 条 に基 づ
けば ム甲 や そ の 弟 が相 続 す るで あ ろ う4っ の 家 に父 の妹 た ちが 居 住 す る な ど して 占有 し資財 を
お さえ て い る状 態 を 指 す と思 わ れ る。 こ こか ら、 ム 甲 の父 の親 族(戸 口)が そ れ ぞ れ 別 々 の家
に居 住 して い た状 況 が うか が え よ う41)。
前 節 で は 「右 京 戸 口損 益 帳 」 か ら戸 口 の一 部 が戸 主 家
と別 居 して いた 可 能 性 を考 え たが 、 本 文 書 にみ え る状 況 も別 居 の可 能 性 を示 す事 例 と して あ げ
られ る。
ま た、 父 の妹 た ちが 「奪 取 」 した家 の うち の2家 は 「父 母 共 相 成 家 」 で あ って 、 父 母 の 婚姻
後 に購 入 す るな ど して 父 母 が新 た に入 手 した もの と思 わ れ る。 他 の2家 の入 手 方 法 は不 明 だが 、
ム 甲 の祖 父 か らム 甲 の父 へ の相 続 に よ る もの を含 ん で い た か も しれ な い。
被 相 続対 象 で あ る宅 地 は、 相 続 を契 機 に そ の所 有 者 を変 化 させ る。 「
家 屋 資 財 請 返 解案 」 の
場 合 、 ム 甲が 相 続 す る前 の 居 住 状 況 が変 化 しな い状 態 で訴 訟 が 起 きて い るよ うだ が、 『日本 霊
異 記 』 中 巻 第34縁
で は居 住 者 は父 母 や奴 碑 を 含 む状 態 か ら、 相 続 後 は奴 碑 も逃 げ娘 一 人 の暮
ら しへ と変 化 して い る。
さ ら に、 大 路 に 門 を 開 い た三 位以 上 の官 人 の 邸 宅 を 没 後 ど う扱 うか を め ぐる史料 が 『続 日本
紀 』天 平3(731)年9月
戊 申条 な ど に あ る42)。そ れ らか らは、 三 位 以 上(及 び四位 ・参 議)官
人 の 没 後 もそ の子 孫 が 引 き続 き その 邸 宅 に居 住 して お り、 奈 良 時 代 前 半 か ら宅 地 が 相続 され て
い た こ とが 指 摘 さ れ て い る43)。
宅 地 の相 続 に際 して 居 住 者 及 び そ の身 分 が変 化 す る こ と は、 身
分 の高 下 が 宅 地 の 面 積 、 所 在 地 と必 ず し も連 動 しな か った こ とを意 味 す るが 、 それ は遷 都 後 早
い段 階 か らみ られ る現 象 で あ った。 この よ うに相 続 に よ る宅 地 の所 有 者 の変 化 は、 宅 地 の 居 住
者 や 利 用 状 況 な ど の変 化 も もた らす 可 能 性 が あ った の で あ る。
以 上 、 転 居 や 相 続 に よ る京 内 宅 地 の変 化 を見 て き た が 、 居 住 者 の変 化 は1節 で 取 り上 げ た
「右 京 計 帳」 の 加 筆 の よ う に、 戸 籍 史 料 に反 映 さ れ た。 相 続 にっ い て も戸籍 史 料 にお け る戸 主
名 の変 更 とい う形 で そ の変 化 は把 握 さ れ た で あ ろ う。 そ して そ れ らの 変化 を把 握 した と思 われ
るの が、 京 職 で あ る。 次 章 で は京 職 が い か に して そ れ らの 変 化 を 把握 し、 行 政 上 どの よ うな対
応 を と った のか を検 討 す る。
3。 京 内宅 地 と京 職
(1)京 職 の職 掌 と宅地 へ の 関 与
まず は じめ に、 京 職 が職 掌 上 京 内 宅 地 に関 与 す べ き立 場 に あ った こ とを史 料 か らお さえ て お
きた い。 京職 の職 掌 は、 律 令 の 職 員 令 左 京 職 条 に規 定 さて い る。 そ の職 掌 が国 司 の それ と重 複
す る点 の多 い こ とは先 行 研 究 に よ って 指 摘 の あ る と こ ろで あ る44)。い まそ の 異 同 につ いて 検 討
す る こ と は しな いが 、 本 稿 の内 容 か ら注 目 さ れ る のが 、 「田宅 」 とい う職 掌 で あ る。
これ は職 員令 諸 国 条 、 大 宰 府 条 、 摂 津 職 条 に も見 られ、 地 方 行 政 機 構 一般 に共 通 す る職 掌 で
あ るが 『令 集 解 』 の左 京 職 条 に お け る 「田宅 」 に 関 す る諸 説 で は、 諸 国 条 ・大 宰 府 条 ・摂 津 職
一97一
)
条 に見 られ る 「
勧 課 農 桑 」 とい う職 掌 が本 条 に は規 定 さ れ て い な い こ とを指 摘 して い る45)。
さ らに朱 説 、 穴 説 で は 「知 売 買 事 耳 。 不 可 校 知 田宅 実 。」 「宅 地 売 買 、 有 知 事 耳 。」 と あ り、
宅 地 の売 買 を 「田宅 」 の主 な職務 内容 とす る解 釈 を 示 して い る。 穴 説 は 「問、 田者 戸 口之 分歎 。
答 、然 也 。 問 、 宅者 依 田令 、 知 売 買歎 。 答 、 然 也 。」 と も述 べ て お り、 「田宅 」 が 「田」 と 「
宅」
を合 成 した 語 で あ る こと を明 瞭 に示 して い る46)。そ こで 用 い られ る 「宅」 の内 容 は主 に は売 買
対 象 た る宅地 で あ り、 京 職 はそ の職 掌 上 、 宅地 に 関与 すべ き立 場 に あ った と考 え る。
こ こで、 京職 が京 内地 所 のや り と りに実 際 に関 与 した こ とを示 す 史 料 を一 例 あ げて お きた い。
随 心 院 文 書 の な か の 「東大 寺 宮 宅 田 園施 入 勅 書 案 」47)は、 天 平 勝 宝8(756)年
に孝 謙 天 皇 が左
京 五 条 六 坊 の 園 を 東大 寺 に施 入 した 際 の文 書 の写 しと され る。 そ の奥 に は 「
左 京 職 勘 図案 」 が
は り継 が れ、 そ こ に は施 入地 所 の 図 と、 左 京職 が地 所 を勘 会 した 旨 が記 され て い る。 対 象 とな
る地 所 は宅地 で はな く園 で あ り、 行 為 も売 買 で はな く施 入 だ が、 京 職 は京 内地 所 の所 有 者 や地
目 の変 更 作 業 に関 与 す る職務 を担 って い た と言 え よ う。
以 上 の点 を 前 提 と して 、京 職 は前 章 で 見 た よ うな、 京 内 宅地 の変 化 の要 因 で あ る転 居 ・相 続
や上 述 した売 買 にっ いて い か に関 与 し、 どの よ うな職 務 を果 た した の か を 次節 で見 て い こ う。
(2)宅 地 に関 す る京 職 の 職 務
まず 京 内宅 地 の売 買 に っ い て は、 長 岡 ・平 安 京 期 にっ い て は売 券 が 確 認 され て い るが48)、平
城 京 内 で の事 例 を示 す 史 料 は残 され て い な い。 しか し宅 地 に限 らな けれ ば、 相 模 国 調 邸 や 佐 伯
院 の用 地 な ど、 平 城 京 内 の 地 所 が 売 買 さ れ た事 例 が文 書 史 料 か ら確 認 で き る49)。
前 章で述べ た
とお り、 宅 地 は借 銭 の担 保 能 力 を もち相 続 の対 象 で あ る な ど、 財 産 と して扱 われ た。 そ うい っ
た こ とか ら、 平 城 京 に お い て も宅 地 売 買 は行 わ れ て い た と推 測 さ れ て い る50)。
宅 地 の売 買 は田令 宅 地 条 にお い て公 認 され て お り、 売 券 を立 て て 申牒 す るさ きの 「
所部官司」
は、 京 内 にお いて は京 職 で あ った と され る51)。長 岡 ・平 安 京 期 の京 内 宅地 の売 券 で は、 東 西 四
坊分 の統 括 者 た る 「
条 令 」(坊 令 の異 称)が 売 券 を立 て、 そ こ に京 職 が職 判 を加 え る形 式 を と っ
て い る。 また平 城 京 期 の諸 国 の宅 地 売 券 で は国 判 が 加 え られ お り、 平 城 京 内 の宅 地 売 買 に際 し
て も京 職 が職 判 を加 え る職 務 を負 って い た と想 定 で きよ う52)。
次 に相 続 にっ いて 見 て み る と、 「家屋 資財 請 返 解 案 」 の後半 部 分 に は 「
職 乃符 」、 「
職 乃使 条 令 」
と い っ た文言 が 見 え る。 条 令 を使 い に出 す 「
職 」 す な わ ち京 職 が、 本文 書 の作 成 の前 段 階 に お
いて 訴 訟 に関 わ る職 符 を下 して い た こ とが わ か る。 こ こで 京 職 が 訴 訟 に対 応 して い るの は、
「訴 訟 」(職 員 令 左 京職 条)の 職 掌 に よ る と思 わ れ るが、 相 続 の 分財 状 況 を 申告 す る規 定 は律 令
な ど に は見 あ た らず 、 訴訟 が 発 生 して いな けれ ば、 京 内 宅地 管 理用 の 帳 簿類 の存 在 を想 定 しな
い限 り、 京 職 が 父 の 妹3人 の 居 住地 を 把 握 す る機 会 は生 じて いな か っ たで あ ろ う。 京 職 は相 続
に よ る宅 地 の 居 住者 の 変 化 す べ て を 把 握 で きて い た と は限 らな か った の で あ る。
転 居 にっ いて は、 そ の 変 化 が 「右 京 計 帳」 に加 筆 され、 京 戸(戸 主)の 居 住 地 が戸 籍 史料 の
本 貫 記 載 に反 映 され て い た ことを 前 章 で 指 摘 した 。 京 戸(戸 主)の 居 住 地 の 変化 とそ れ に伴 う
」
一98一
本 貫地 の変 更 に 行 政 上 対 応 して いた の は、 籍 帳 作 成 を 担 当 す る京 職 で あ る。
職 員 令左 京 職 条 に は 「戸 口名 籍 」 が 規 定 され て お り、 戸 籍 史 料 の作 成 は京 にお いて は京職 の
職 務 で あ った 。 岸 俊 男 氏 は 「右 京 計 帳 」 の検 討 か ら、 各 手 実 が 基 本 的 に各 戸 の 戸主 に よ り作 成
され 、 それ を 坊 令 に提 出、 坊 令 が 署 名 部 分 に全 体 的 な整 理 を加 え、 そ れ らを京 職 で 装 漬 し一 巻
に仕 上 げ る とい う手 順 を 想 定 して い る53)。
史 料 に は奴 埠 や 女 性 の戸 口 が 別 の戸 へ移 付 され た り
別 の戸 か ら来 付 した りす る状 況 もみ え るが、 居 住 地 を把 握 す る最 大 の 目的 は租 税 負 担 者 の所 在
確 認 で あ っ た と考 え られ 、主 眼 は京 戸 の 中で も特 に戸 主 の 居 住地 の把 握 に あ った と思 わ れ る54)。
以 上 、 宅 地 の変 化 の諸 要 因 に京 職 が どの よ うに 関与 した の か を 見 て きた。
京 職 は職 務 上 、 売 券 によ って宅 地 所 有 者 の変 化 を把 握 で き る立 場 にあ った。 宅 地 売 買 は、 田
地 と異 な り、 租 税 負 担 者 の居 住 地 の 変化 と直結 す る可 能 性 が あ り、 そ の把 握 が京 職 の職 務 と し
て重 視 され た と も考 え られ る。 しか し京 内 宅 地 の 把 握 は基 本 的 に、 戸 籍 史 料 を 居住 地 の移 動 に
伴 い変 更 させ る と い う形 で 行 わ れ、 そ の把 握 す べ き対 象 は、 租 税 負 担 者 た る戸主 の 居 住地 と し
て の 宅 地 を主 眼 と して い た とみ るべ きで あ ろ う。
(3)平 城 遷 都 後 の宅 地 と京 職
こ こで京 職 が宅 地 に行 政 上 ど う関 与 した か を遷 都 時 に遡 って捉 え な お し、 さ らに そ の把 握 の
程 度 に つ い て、 も う少 し述 べ て お きた い。
宅 地 班 給 記 事 に は、 班 給 作 業 に 関与 した と思 わ れ る官 人 が記 され る場 合 が あ るが、 い ず れ の
遷 都 に 関 す る記 事 に も京職 は登 場 して いな い。 また 宅地 班 給 を実 施 す る前 提 と して 京 に住 む人
間 が編 成 され 、 そ の情 報 が 宅地 班 給 作 業 に活 用 され た こ とが 想 定 され るが 、 宅 地班 給 を は じめ
とす る遷 都 に関 わ る作 業 に京 職 が 関 与 したか ど うか は不 明 で あ る55)。
京 職 の行 政 上 の職 務 は、
新 都 創 建 に際 して 宅 地 班 給 が 実 施 され 、 京 に宅 地 建 物 が 建 設 さ れ人 が 住 み始 め た時 点 か ら発 生
した で あ ろ う。 遷 都 後 は 「田宅 」 とい う職 掌 に基 づ き、 京職 は京 内宅 地 に職 務 上 関与 して い く。
京 内 宅 地 は宅 地 班 給 後 、 相 続 や 売 買 な ど処 分 に よ り変 化 す る もので あ り、 宅 地 の変 化 は平 城
京 にお ける常 態 で あ った。宅 地 班 給 時 の状 態 が そ の ま ま維 持 され た わ けで は なか った の で あ る。
で は そ の よ うな 中で 京 職 は ど の程 度 宅 地 の変 化 を捉 え て い た の で あ ろ うか。
京 職 は京 戸(戸 主)の 居 住 地 の変 化 を戸 籍 管 理 に伴 う形 で把 握 し、 売 券 によ り宅 地 の所 有 者
の変 化 も把 握 で きた。 しか し相 続 の分 財 申告 の規 定 は見 あ た らず 、所 有 者 ・居住 者 の把 握 は部
分 的 な もの で あ った と思 わ れ る。 この他 の宅 地 面 積 、 利 用状 況 にっ い て は、売 券 に記 され た も
の に っ いて 部 分 的 に は把 握 して い た で あ ろ うが、 相 続 ・購 入 ・転 居 後 の 造作 まで を捉 え て い た
形 跡 は み あ た らな い。
ま た宅 地 の相 続 ・売 買 に際 して は、 相 続 の 分 財 比 率 以 外 に は なん らか の規 制 を 加 え る史料 は
見 られ ず、 宅 地 自体 へ の 規制 は、 営 繕 令 私 第 宅 条 にみ え る楼 閣 建 物 の 禁 止 や 、 前 章 で と りあ げ
た三 位 以 上 宅 の 大 路 へ の開 門 に関 す る一 連 の記 事 に限 られ る。 これ らは大 規 模 邸 宅 を 対 象 と し
た 規制 で あ り、 そ の他 の宅 地 の所 在 地 、 所 有 者 ・居 住 者 、 面 積 、 利 用 状 況 な ど あ らゆ る要 素 に
一99一
っ い て把 握 した上 で そ の変 化 を規 制 ・制 限 す るな ど、 宅 地 の あ り方 を統 制 す るよ うな動 きが積
極 的 に と られ た様 子 はみ え な い の で あ る56)。
こ こで1章 の 図表 を用 い た分 析 を振 り返 る と、 奈 良 時代 後 半 に は高 位 官 人 以 外 の 宅地 が京 内
の広 域 に拡 散 す る状 況 が読 み取 れ た。 そ れ は売 買 や相 続 な ど によ る所 有 者 ・居 住 者(と そ の身
分)の 変 更 や、 転 居 先 の宅 地 の所 在 地 にっ い て規 制 が行 わ れ な か った状 況 が、 数 値 に あ らわ れ
た もの と解 釈 で き るの で は な か ろ うか。 宮 近 傍 に高 位 官 人 が集 中 す るの は、 彼 らの身 分 ・経 済
力 に起 因 す る もの と捉 え れ ば 、 矛 盾 は無 い よ う に思 わ れ る57)。また 奈 良 時 代前 半 にっ い て は、
三 区分 が班 給 基 準 を何 らか の形 で反 映 して い る可 能 性 はあ ろ う。 しか し前 半 の史 料 も大 半 が遷
都 後 数 十 年 を経 た 時期 の もの で あ り、 ま た宅 地 の変 化 は遷 都 後 の早 い段 階 か ら起 こ って い た と
思 わ れ、 三 区分 や表2に み え る数 値 が班 給 基 準 そ の もの で あ った とは考 え な い。
以 上 述 べ て きた こ とよ り、 京 職 は宅 地 の所 有 者 ・居 住 者 に 関 す る変 化 のす べ て を把 握 して い
た わ けで は な く、 ま た面 積 な ど宅 地 の諸 要 素 に踏 み込 ん だ管 理 は して お らず 、 宅 地 や そ の変 化
に 際 して の統 制 は、 ご く限 られ た もので あ った と考 え るべ きで あ ろ う。
お わ りに
以 上 本 稿 で は、 京 内宅 地 が 平 城 京 期 を 通 じて 変 化 す る もの で あ る こ と、 そ して そ の変 化 の様
子 を、 文 献 史 料 か ら検 討 す る こと を試 み 、 ま た そ の変 化 に京 職 が ど う関 与 した のか とい った 問
題 に っ い て論 じて きた。 宅 地 班 給 論 に偏 りが ち な京 内宅 地 に関 す る議 論 に対 し、 遷 都 後 の京 内
宅 地 を考 察 す る こ との有 効 性 を訴 え 、 宅 地 史 料 に限 らず戸 籍 史 料 を援 用 す る ことで 多 少 の新 知
見 を得 る こ とが で きた と考 え る。 最 後 に、 本 稿 で述 べ た 内容 を ま とめ て お こ う。
ま ず条 坊 記 載 の あ る史 料 を集 成 ・検 討 し、 宅 地 の所 在 地 を宮 か らの距 離 に よ り数 値 化 し分 析
した。 そ こか ら、 奈 良 時 代 前 半 に お いて は宮 か らの距 離 の遠 近 に三 区分 の身 分 差 が 見 え た の に
対 し、 後 半 に な る と身 分 差 の二 極 化 が 進 み高 位 官 人 以 外 の宅 地 が京 内 の広 域 に拡 散 す る状 況 を
読 み取 った。
次 に戸 籍 史 料 に注 目 し、 そ こに京 戸(戸 主)の 実 際 の居 住 地 が反 映 され て い る こ とを指 摘 し
た。 班 給 後 の宅 地 は相 続 や売 買 の対 象 で あ り、 転 居 も含 め京 戸 は そ の居 住 地 を変 化 させ た が、
そ の変 化 は本 貫 を居 住 地 に リンク させ る形 で、 京 職 に よ って把 握 され た。 但 し居 住 地 を規 制 し
た よ うな形 跡 は み あ た らな い。
一方
、 京 内宅 地 は身 分 差 や経 済 力 を反 映 した規 模 で営 まれ、 様 々 な要 因 で所 有 者 ・居 住 者 と
そ の身 分 、 面 積 、 利 用 状 況 な どの諸 要 素 を変 化 させ た と考 え られ る。 京 職 は そ の職 掌 上 、 京 内
宅 地 に行 政 的 に 関与 す る立 場 に あ ったが 、 京 内 宅地 は宅 地 自体 で はな く、 どの よ うな人 間が ど
こに住 ん だ の か、 とい う視 点 か ら取 り扱 わ れ、 京 職 は戸 籍 史 料 を軸 に して京 内宅 地 の変 化 に対
応 した。 京 職 は す べ て の京 内宅 地 に関 わ る あ らゆ る要 素 を完 全 に把 握 して い た わ け で は なか っ
た の で あ る。 統 制 とい う側 面 は弱 く、 京 職 の宅 地 に 関 す る職 務 内容 は、 徴 税 とい う観 点 か ら戸
主 の居 住 地 の把 握 に絞 った もの と して描 く こ とが で き る。
一100一
従 来 の京 内宅 地 に関 す る議 論 で は、 班 給 基 準 や そ れ に準 ず るな ん らか の規 制 が奈 良 時 代 全 般
を通 して存 在 した こ とを、 暗黙 の うち に前 提 と して 展 開 され て き た よ う に思 う。 しか し本 稿 に
お け る検討 か らは、 身 分 差 に応 じた宅地 の統 制 は遷 都 当 時 の み の ことで あ り、遷都 後 は そ うい っ
た統 制 は事 実 上 成 り立 た って お らず、 京 内 宅地 が 常 に変化 を く りか え して い た状 況 が み え て き
た。
様 々 な要 因 を背 景 に して 宅地 は変 化 し、 京職 はそ れ らの 変 化 を 一 部 な が らも把 握 して い た。
京 内 の 絶 え 間 な い変 化 に柔 軟 に対 応 す る京職 の 姿 は、 す なわ ちそ の活 動 の場 で あ る平 城 京 の、
権 力 者 とそ れ を 支 え る人 々 が 住 み 暮 らす都 市 と して 絶 え ず 変 化 す る あ り方 の反 映 で あ ろ う。
本 稿 で は京 内 宅 地 とそ こ に関 わ る京 職 の 職 務 を 主 な論 点 と したが 、 宅 地 の把 握 は戸 籍 史 料 を
軸 に行 わ れ た。 次 に は、人 々 が どの よ うに戸 籍 に把 握 され 、 実 際 に宅 地 に住 ん だ の か とい う点
が 問 題 と な ろ う。 ま た京 職 が 把握 した の は京 の戸 籍 史 料 に載 る人 間(京 戸)に 限 られ た で あ ろ
うが 、 京 内 に は京 戸 以 外 に、 諸 国 に本 貫 を もっ 多 くの下 級 官 人 が 暮 ら して い た58)。さ らに京 外
か ら通 勤 す る官 人 や 農 作 に関 わ る京 戸 の京 内 外 へ の 出入 りな ど もあ った。 京 戸 を 含 め、 京 に暮
らす 人 々 に京 職 が 行 政 上 ど の よ う に対 応 した のか にっ い て考 え る ことが 次 の課 題 とな ろ う。
注
1)市
川理恵 「
八 世 紀 に お け る京 職 の財 政 と そ の機 能 」 「延 喜 式 研 究 』151998年
の京 戸 管 理 に っ い て」 『日本 歴 史 』604号1998年
2)『 日本 書 紀 』 天 武 天 皇14(685)年3月
3)宅
、 同 「京 職
な ど。
辛 酉 条 、 持 統3(689)年7月
丙 寅条 。
地 班 給 は遷 都 時 の み だ け で な く、 遷 都 後 も随 時行 わ れ た可 能性 が あ る。 遷 都 後 の班 給 の
有 無 に っ い て は京 貫 論 と も関 わ り問題 の あ る と こ ろで は あ るが 、 この 間 はい ま だ検 討 中 で あ
り断案 を もた な い。 そ の た め本 稿 に お い て 「宅地 班 給 」 と言 う場 合、 特 に断 らな い 限 り遷 都
時 の班 給 を指 す語 と して用 い る こ と とす る。
4)田
中琢 「
古 代 都 市,住 民,生 活 」 『古 代 日本 を発 掘 す る3平
城 京』 岩波 書 店1984年
、奈
良 国立 文 化 財 研 究 所 『平 城 京 左 京 四 条 二坊 十 五 坪 発 掘 報 告 藤 原 仲 麻 呂田村 第 推 定 地 の調 査 』
1985年 な ど。
5)史
料 用 語 と して の 「宅 地」 は、 売 券 文 書 な ど よ り、 土 地 とそ こに建 っ 建 物 を 含 む 語 と して
用 い られ る こ とが 多 い。 本稿 で 宅 地 と い う場 合 、 土 地 と建 物 を含 め た語 と して 用 い る こ と と
す る。 た だ し班 給 当 初 の 宅地 は当 然 更 地 で あ ったで あ ろ う。
6)注4参
照 。 この他 、 北 村 優 季 「京 戸 にっ い て一 都 市 と して の 平 城 京 一 」 『史 学 雑 誌 』93編
6号1984年
、 市 川 理 恵 「京戸 に関 す る一 試 論 」 「日本 律 令 制 の 構 造 』 吉 川 弘 文 館2003年
、
中村順昭 「
平 城 京 の 京 戸 に っ い て 一 天 平 五 年 右 京 計 帳 手 実 を め ぐ って 一 」 『律 令 官 人制 と地
域 社 会 』 吉 川 弘 文 館2008年(初
出1995年)な
一101一
ど。
7)藤
原 京 『日本 書 紀 』 持 統5(691)年12月
月辛 未 条 、 恭 仁 京 同 天 平13年9月
京 『日本 紀 略 』 延 暦12(793)年9月
乙 巳条 、 難 波 京 『続 日本 紀 』 天平6(734)年9
己未 条 、 保 良 京 同天 平 宝 字5(761)年
正 月丁未条、平安
戊 寅 条。 な お 『日本 書 紀 』天 武12(683)年12月
庚午
条に 「
故 先 欲 都 難 波 。 是 以 百 寮 者 各 往 之 請 家 地 。」 と あ り、 宅 地 班 給 に準 じ る事 例 と して 挙
げ られ る。
8)田
中琢 注4前 掲 論 文 。
9)田
中琢 注4前 掲 論 文 。
10)正 倉 院 文 書 に は複 数 通 の月 借 銭 文 書 が 残 され て い る。 そ の うち宅 地 に関 す る もの は 『大 日
本 古 文 書 』 編 年 文 書 第6巻274、426、427、510、526、584頁
、 第19巻315頁
の7通 が 確 認
で き る。
11)小 規 模 宅 地 割 りは、1/8町 、1/16町 、1/32町 の事 例 が検 出 さ れ て い る。
12)奈 良 国立 文 化 財 研 究 所 注4前 掲 報 告 な ど。
13)北 村 優 季 氏 は、 身 分 に応 じた法 則 性 を も って宅 地 班 給 を行 う こ とを可 能 に した点 に 日本 都
城 の条 坊 制 の意 義 が あ る と論 じた。 ま た宅 地 班 給 は主 に京 へ の支 配 者 層 の集 住 を実 現 さ せ る
た め、 実 態 と して ほぼ官 人 対 象 に行 わ れ、 天 皇 を 中心 と した身 分 秩 序 を反 映 す る形 で階 層 性
を も って実 施 され た と述 べ て い る(「 条 坊 の論 理 一 日本 古 代 都 市 論 覚 書 一 」 『日本 律 令 制 論 集
上 巻 』 笹 山晴 生 先 生 還 暦記 念 会 編
吉 川 弘 文 館1998年)。
氏 の指 摘 か ら も明 らか な よ うに、
宅地 班 給 は 日本 古 代 国家 の支 配 体 制 と も深 く関 わ る重 要 な論 点 で あ る。
14)こ の他 、 舎 人、 写 経 生 な ど何 らか の 形 で 国 家 機 関 に 出仕 す る身 分 を もっ事 例 が23例 、 身
分 記 載 が な く官 人 か 否 か 不 明 な もの や 庶 人 の 事 例 が52例
あ っ たが 、 そ れ らは検 討 対 象 か ら
は除 外 した 。
15)表1の
各 事 例 は宅 地 の所 在 に関 わ る もの と、 戸主 の本 貫 を示 す もの とに大 別 され る。 い ず
れ に属 す るか を 「分 類」 欄 に示 した 。 また 、表 中 に示 した論 文 の 出 典 は以下 の通 り。 奈 良 国
立 文 化 財 研 究 所 『平 城 京 左 京 二 条 二 坊 ・三 条 二 坊 発 掘 調 査 報 告 長 屋 王邸 ・藤 原 麻 呂邸 の調
査 』1995年 、 同 『長 屋 王 家 木 簡 』 平 城 京 木 簡1,21995年
32006年
、同 『
二 条 大路 木 簡 』 平 城 京 木 簡
、 奈 良 県 立 橿 原 考 古 学 研 究 所 編 「太 安 萬 侶 墓 』 奈 良 県 史 跡 名 勝 天 然 記 念 物 調 査 報
告 第43冊1981年
(初 出1956年)、
、 岸 俊 男 「藤 原 仲 麻 呂 の 田 村 第 」 『日本 古 代 政 治 史 研 究 』 塙 書 房1966年
岩本次郎 「
右 大 臣 大 中 臣清 麻 呂 の 第 」 『日本 歴 史 』319号1974年
「
法 華 寺 の鳥 居 」 『シ リー ズ歩 く大 和1古
代 中 世 史 の探 求 』 法 蔵 館2007年
、吉 川聡
。
16)同 じ坊 内 で も一 坪 で あ れ ば距 離 は1に 限 りな く近 い もの とな り、 十 三 坪 で あ れ ば3と な る。
いず れ の坊 で も坊 内 の ど の坪 か に よ る距 離 の相 違 は生 じる。 しか し平 城 京 期 の 史 料 で は条 坊
表 記 が 坪 まで 記 さ れ る こと は な く、 坪 レベ ル の厳 密 な距 離 を求 め る こと は難 しい。 そ こで 坪
が不 明 な事 例 にっ い て は、 宮 か ら最 も離 れ た坪 と の距 離 で 数 値 化 した。
17)天 平 末 年 を 時 期 区 分 の基 準 と した の は、710年 か らの74年 間 の平 城 京 期 の 折 り返 し地 点
で あ るほ か、 聖 武 天 皇 の平 城 還 都 、 養 老 律 令 の施 行 な ど、 この時 期 を境 に諸 制 度 が 大 き く変
一102一
革 し、 奈 良 時 代 を通 じて の画 期 とな る と考 え た た め で あ る。
18)表2よ
り、 一 位 の平 均 値 が二 位 よ り も大 きい な ど、位 階 の 高 下 が 距 離 の遠 近 と比 例 しな い
場 合 が あ る。 ま た、 四位 に は後 期 の事 例 が 見 られ ない たあ 、 四 位 を 三 位 以上 と合 わ せ るか、
五 位 以 下 と合 わ せ るか、 どち らの 区 分 で考 え るか が 問 題 とな ろ う。 ここで は仮 に前 期 と同等
な数 値 と して、 高 位 者 の 区 分 に含 あ て 扱 った。 ど ち らの問 題 も、 高 位 者 の事 例 数 が 少 な い こ
とを考 慮 す る必 要 が あ る。
19)そ もそ も宅地 を 距離 に注 目 して 数 値 化 した の は、 官 人 の立 場 か らす れ ば、 毎 日の通 勤 先 で
あ る宮 へ の 距離 が重 視 す べ き要 素 で あ った と考 え た た め で あ る。 坊 内 の詳 細 な所 在 地 が不 明
なた め 坊 と い う区 画 を単 位 に数 値 化 したが(注16参
照)、 図 示 す る際 は距 離 とい う観 点 か ら
道 路 沿 いの 経 路 に注 目す べ き と考 え、 坊 を横 断 す る形 で ライ ンを 引 い た。
20)表1の
分 類 欄 に 「(戸主)」 とあ る もの は、 史 料 に 「○条 ○坊 何 位 某 」 な ど とあ る もの で、
戸 主 で あ る か は不 明 で あ る。No.35の
他 田 日奉 部 直 神 護 は京 戸 で あ るか否 か の議 論 が あ る と
ころ で あ り(平 澤 加 奈 子 「中 央 下 級 官 人 の 「京 貫 」 か らみ た古 代 国 家 の 展 開 過 程 」 『ヒス ト
リア』206号2007年
な ど)、 京戸 を ど う理 解 す るか は重 要 な問 題 で あ るが 、 本 稿 で は これ ら
を ひ と まず 「
京 内 で の 居 住 を 示 唆 す る史 料 」 と位 置 づ けて 扱 った。
21)本 稿 で は、 皇族 ・官 人 以 外 の 人 間 を指 す 語 と して 「庶 人 」 を用 い る こ と とす る。
22)宮 内 庁正 倉 院 事務 所 編 『正 倉 院 古 文 書 影 印集 成 」1正 集 巻1-21八
木 書 店1988年
。
23)岸 俊 男 氏 は、 この朱 書 を 本 文 とは別 筆 で あ る と判 断 して い る(「 右 京 計 帳 手 実 につ い て」
『日本 古 代 籍 帳 の研 究 』 塙 書 房1973年
、 初 出1972年)。
24)中 村 順 昭 注6前 掲 論 文 。 但 し朱 書 の正 確 な加 筆 時 期 は不 明 で あ る。
25)前 章 で は この点 を戸 籍 史 料 以 外 の戸 主 関 連 の 史料 に も敷 術 させ 、 戸 主 の本 貫 記 載 ≒居 住 地
と して 、 戸 主 関 連 史 料 を宅 地 関 連 史料 と同 等 に扱 っ た。
26)『 大 日古 』 で の 文 書 名 は 「
右 京 計 帳 」 と な って い るが、 岸 俊 男 注23前 掲 論 文 よ り、1節 で
扱 った 「右 京 計 帳 」 と区 別 す る意 味 か ら も 「右 京 戸 口損 益 帳 」 と した。
27)こ の2戸 は元 の戸 と同 一 坊 内 へ 所 貫 され て お り、 別 の坊 へ 転 居 した わ け で は な い。
28)北 村 優 季 注6前 掲 論 文 。
29)北 村 優 季 注6前 掲 論 文 、 浅 野 充 「
律 令 国 家 に お け る京 戸 支 配 の特 質 」 『日本 古 代 の 国家 形
成 と都 市』 校 倉書 房2007年(初
出1986年)な
ど。
30)吉 田孝 「イ へ と ヤ ケ」 『律 令 国家 と古 代 の社 会 』 岩 波 書 店1983年(初
31)注10参
出1976、78年)。
照。
32)北 村 優 季 注6前 掲 論 文 。 な お北 村 氏 は、 大 宅 首 童 子 の事 例(『 大 日古 』 第6巻567頁)の
み本 貫 地 記 載 が あ る もの の 質 物 で あ る家 の 所 在 地 の記 載 が な く、 逆 に本 貫 地 記 載 の な い他 の
事 例 に は悉 く所 在 地 が 明 示 され て い る こ とか ら、 月 借 銭 解 の諸 事 例 はい ず れ も本 貫 地 と家 の
所 在 地 とが一 致 して い た と指 摘 して い る。
33)橋 本 義 則 「「唐招 提 寺 文 書 」 天 之 巻 第 一 号 文 書 「
家 屋 資 財 請 返 解 案 」 にっ い て」 『
平安宮成
一103一
立 史 の研 究 』 塙 書 房1995年(初
出1987年)。
34)本 文 書 に関 して は数 種 類 の釈 文 が 存 在 す るが 、 本 稿 で は橋 本 義 則 注33前 掲 論 文 を 参 照 し
た。 橋 本 氏 は従 来 の 釈 文(『 唐 招 提 寺 史 料 』 掲 載 の もの)と 対 比 させ る形 で、 原 本 調 査 に基
づ く独 自の 釈 文 を示 され 、 また 、 従 来 の釈 文 を 元 に した諸 論 考 に対 す る批 判 も加 え て い る。
た だ し橋 本 論 文 以 前 の諸 論 考(北 村 優 季 注6前 掲 論 文 な ど)に も参 考 とす べ き点 は多 くあ り、
本 文 書 の解 釈 に あ た って は それ ら も参 照 した。
35)橋 本義 則 注33前 掲 論 文 で は、4っ 目の家 は大 和 国 に所 在 した と して い る。
36)ム 甲 自身 は外 位 で あ るが 、 国 司 官 人 は基 本 的 に 内位 で 、 下 国 国 守 の相 当位 は従 六 位 下 で あ
る。
37)以 下 、 引 用 に際 して は 『新 日本 古 典 文 学 大 系
日本 霊 異 記 』(岩 波 書 店)を 参 照 した。
38)「 日本 霊 異 記 』 の他 の説 話 にお い て は、 主 人 公 及 び そ の家 族 が 官 人 で あ る場 合 、 官 位 と姓
名 が 記 され るの が 通 例 で あ る。 しか し本 縁 で は官 位 も記 さ れず 「姓 名 詳 な らず」 とあ る こ と
か ら、 庶 人 と判 断 した。
39)い ず れ も女 性 た ちが 礼 仏 に よ り銭 を得 る話 で あ る。 第28縁
の家 の「椅 」 は宅 地 を 区画 す る
溝 にか か る橋 と解 釈 され て お り、 「門 」 とあ るの も大邸 宅 を 意 味 しは しな い とさ れ る(注37
前 掲 書 脚 注 参 照)。 二 っ の説 話 に 見 え る宅 地 は、 恐 ら く下 級 官 人 の そ れ に準 ず る規 模 の もの
だ っ た と想 定 され るが 、 い く ら狭 小 で あ って も門 な ど の区 画 施 設 が備 わ って い る居 住 形 態 が
見 て とれ る。
40)義 江 明 子 「日本古 代 奴 碑 所 有 の 特 質 」 『日本 古 代 の 氏 の構 造 』 吉 川 弘文 館1986年(初
出
1980年)。
41)ム 甲 の父 母 と父 の妹 た ち の別 居 とい う点 は 田 中琢 氏 も指 摘 して い る(注4前
42)こ の他 、 『日本 三 代 実 録 』 貞 観12(870)年12月25日
掲 論 文)。
条 や、 『延 喜 式 』 左 右 京 職 大 路 門 屋
条 が知 られ る。
43)山 下 信 一 郎 「宅 地 の班 給 と売 買 」 『古 代 都 城 制 研 究 集 会 第3回 報 告 集 古 代 都 市 の構 造 と展
開 』 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所1998年
。
44)岸 俊 男 「大 宰 府 と都 城 制 」 「日本 古 代 宮 都 の研 究 』 岩 波 書 店1988年(初
45)但
出1983年)。
し古 記 に は 「
莫 課 殖 桑 漆 。 価 勧 課 農事 耳 。」 とあ り、 大 宝 令 に は 「
勧 課 農 桑 」 の文 言 が
存 在 した と思 わ れ る。
46)本 条 に関 して 下 鶴 隆 氏 は、 穴 説(9世
紀 初 頭 成 立)に 基 づ く解 釈 を8世 紀 に敷 術 しう る と
の 論 を 展 開 さ れ て い る(「 日本 律 令 に お け る 「宅 」 と 「田地 」 一古 代 的 土 地 所 有 の特 質 一」
『ヒス トリア』164号1999年)。
穴 説 は ま た 「師 云、 京 職 不 可 勧 課 。 但 有 田之 国、 可 勧 課 故 、
此 職 不 注 勧 課 也 。」 と も述 べ て い る。 京 外 に班 給 され た京 戸 の 口分 田 は班 給 地 の 国 司 の 管 轄
下 に あ っ た の で あ り、 「田宅 」 の 「田 」 に関 わ る京 職 の職 務 は諸 国 司 の もの に比 べ 限 られ た
もの で あ った ろ う。 これ は地 方 行 政機 構 と して は特 殊 なあ り方 で あ り、 京 職 の 特 徴 の 一 っ と
言 え る。
一104一
47)『 大 日古 』 第4巻118頁
。 山本 信 吉 「佐 伯 院 関 係 文 書 」 『古 文 書 研 究 』5号1971年
、 櫛木
謙 周 「佐 伯 院 関係 随 心 院 文 書 の諸 問 題 」 『随 心 院 門 跡 を 中心 と して 京 都 門 跡 寺 院 の 社 会 的 機
能 と歴 史 的 変 遷 に 関す る研 究 』2006年 を参 照 。 な お 『大 日古 』 で は、 「左 京 職 勘 図 案 」 とあ
わ せ て 「孝 謙 天 皇 東 大 寺宮 宅 田園 施 入 勅 」 の表 題 で採 録 され て い る。
48)延 暦7(788)年
(同317頁)な
「六 条 令 解 」(『平 安 遺 文 』 第1巻2頁)、
延 喜12(912)年
「七 条 令 解 」
ど。
49)天 平 勝 宝7(755)年
「相 模 国 司 牒 」(『大 日古 』 第4巻58、83頁)、
伯 宿 禰 今 毛 人 同真 守 連 署 送 銭 文 」(『大 日古 』 第23巻615頁)な
宝 亀7(776)年
「
佐
ど。
50)北 村 優 季 注6前 掲 論 文 、 山下 信 一 郎 注43前 掲 報 告 な ど。
51)日 本思 想 大 系 『律令 』(井 上光 貞 等 校 訂 注 岩 波 書 店1976年)頭
注 よ り。
52)田 宅 売券 の手 続 き過程 を論 じた加 藤 友 康 氏 は、 郡 と国 が関 与 し国 判 の作 成 に至 る のが 田令
宅地条の 「
皆 経 所 部 官 司 、 申牒 」 の主 な内 容 で あ る とさ れ、 売 買 当事 者 た る戸 主 は立 券 の主
体 と して は位 置 づ け られ て い な か っ た と述 べ て い る(「 八 ・九 世 紀 に お け る売 券 につ い て」
『奈 良 平 安 時 代 史 論 集 上 巻 』 吉 川 弘 文 館1984年)。
これ を京 内 に あ て は め れ ば、 売 券 作 成
過 程 に お い て は坊 令 の関 与 が重 視 され た とい う こ とに な ろ う。
53)岸 俊 男注23前 掲 論 文 。
54)市 川 理 恵 氏 は注6前 掲 論 文 にお いて 、 同 様 の史 料 か ら 「京 戸 の貫 附 地 と居 住 地 との 一 致 が
図 られ て い た」 と指摘 して い る。
55)平 城 遷 都 の 詔 が 発 せ られ た和 銅 元(708)年
は造 籍 年 で あ っ た。 平 城 京京 戸 の最 初 の戸 籍
につ いて は、 この年 に既 に京 戸 戸 籍 が 造 られ た の か 、 造 籍 とい う形 は次 の造 籍 年(714年)
まで 見 送 りそれ まで は計 帳 で 補 った のか な ど、 様 々 な可 能 性 が考 え られ るが、 現 在 の と ころ
こ の問 題 にっ いて 詳 細 な検 討 を加 え る準 備 はな く、 断 案 は持 た な い 。
56)単 行 法 令 に よ る統 制 が 全 く行 わ れ な か った と は言 い切 れ な い。 だ が 複 数 宅 地所 有 が 行 わ れ
る な ど、 宅 地 の諸 要 素 す べ て を把 握 す るに は、 宅 地 管 理 用 の 帳 簿 の存 在 を想 定 しな い限 り困
難 で あ った ろ う。 統 制 の形 跡 を示 す 史料 が 大 規 模 邸 宅 対 象 の もの以 外 に み られ な い こと は、
統 制 が ゆ るや か で あ った こ とを物 語 るの で は な か ろ うか 。
57)高 位 官 人 の集 住 は、班 給 基 準 の維 持 が 政 策 と して 目指 さ れ た結 果 で はな く、 強 い もの が好
い土 地 を 占拠 す る とい う よ う な、 いわ ば都 市 の生 理 が働 い た結 果 、 と捉 え るべ きで は な か ろ
うか。
58)田 中 琢 注4前 掲 論 文 、 平 澤 加 奈 子 注20前 掲 論 文 な ど。
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