紀行文(No.1)

高知学芸高校関東支部里山トレッキング紀行
(日和田山~富士見茶屋~物見山~ヤセオネ峠~宿谷の滝~鎌北湖)
平成 27 年 7 月 25 日(土)
今日は台風襲来など悪天候で延び延びになっていたトレッキングの日。昨日
は土用の丑の日、「地獄の蓋もあく」と謂われる炎天のなかで、平均年齢 70 歳
に近い前期高齢者が熱中症も恐れずトレッキングに出かけるのもチームリーダ
ー宮君の熱意の強さから。今日の天候は薄曇り、朝のテレビは高温予報、熱中
症に注意を呼び掛けている。いざ出発と我が家の玄関を一歩出ると、ムッとし
た熱気が身体に纏わりつき、汗が一気に噴きだしてくる。ちなみに今日の最高
気温、埼玉県熊谷市で 37.1 度だった。
電車が飯能駅を過ぎ西武秩父線に入ると急に田園風景が広がり、人家の庭に
立葵のピンクの花や百日紅の赤い花が目に入る。東飯能駅から歴史と清流の
里・高麗に近づくと玉蜀黍の畑や桑畑が目に入り、向日葵が咲いている。
今日のコースは高麗駅~日和田山~富士見茶屋~物見山~ヤセオネ峠~宿谷
の滝~鎌北湖まで。トレッキング歩行距離は約 7 ㎞。10 時半に高麗駅に集合し
た本日の参加者は、男性 3 人、女性 2 人の精鋭 5 人組、今日のコースに初めて
挑むのは歌の先生クリキナコさんです。出発前にリーダーの宮君から、「小ま
めな水分補給、小休止を多めに、気分が悪い時は我慢せず早めに皆に知らせる
こと、高麗駅から日和田山登山口までの 20 分間は木陰がないので要注意」など
の注意事項がある。
出迎える
気を抜けば
朱の大門や
高麗の夏
トレック地獄
(岡崎君
猛暑の日
作)
(國見
作)
高麗駅を出てほどなく「台の高札場跡」、勝海舟揮毫の「筆塚」を経て「水
天の碑」の高台に出る。この碑は干魃や高麗川の大洪水などの天災だけでなく、
西川材の筏流しによる水難事故を鎮めるために建てられたとある。畑でゴマの
薄紫の花が咲き、隣の畑では栗の木が沢山の緑の毬をつけている。
高麗川の橋を渡って左折、緩やかな坂道を上り、キナコ先生に「高麗」の地
名の謂れについて説明。高句麗が 668 年に唐と新羅によって滅ぼされた。『続
日本紀』文武天皇大宝3年(703 年)に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と
1
記されている。高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)は元正天皇霊亀2年(716
年)、未開の原野であった高麗郡の首長として関東・東海各地から移り住んだ
高麗人(高句麗人)1,799 人とともに当地の開拓に当った。国を滅ぼされて日本
に逃れてきた人達に対する日本人の「おもてなし」の心が偲ばれる。
ここ
は高麗本郷の集落、民家の庭に芙蓉の花が咲き、日和田山登山口近くの畑では
大輪の酔芙蓉やオミナエシが咲いている。猛暑のなかにあって自然は少しずつ
秋の準備を始めている。
日和田山登山口に到着、木陰のベンチにリュックを下して水分補給。隣の5
~6人のグループは焼き鳥などバーベキューの準備中。休憩を終わって上る準
備を始めて周りを見ると 5 基ほどの石碑や顔の欠けた石仏が並んでいる。難し
い漢字を使っていることから高麗の人達の使っていた言葉と推測する。
ゆっくり、杉木立の中の巻き道を上るとやや平坦な登山道に鳥居があり、大
きな自然石を挟んで道路が二つに分かれている。左が男坂、右が女坂。小休止
を取っている間に3人組の若い男性が我々を抜いて男坂を上っていく。
右の女坂を上り始めると、不動尊のある大きな岩が行く手を阻む。見上げると
中年男女が下ってくる。彼らを待って道を譲る。我々も岩の右から足場を探し
慎重に上る。岩場を上った先の広場にベンチがあり小休止。
キナコ先生が、「山の中にカエルがいる。グーグーと規則正しく鳴いている」
という。実は、私が昨夜遅くまで六本木と銀座で行儀の悪い行いをしてお腹が
鳴っていたため。一同、大笑い。
の上 かわず鳴くかと
思いきや
山
夕べの宴
お腹で続く(季夏子さん作)
緩やかな上り坂を行くと、樹林越しに前方に社が見えてくる。樹林の小道を抜
けると前方に鳥居が見える。鳥居の下に立って麓を眺めると、高麗の市街と桜
の青葉で縁取られた巾着田が箱庭のように見える。靄で霞んでいるが西武ドー
ムや都内のビル群も確認できる。金刀比羅神社の前で先行の3人組の若者が休
憩し、景色を眺めている。
金刀比羅神社にお参りして右から上に登り始める。右の岩盤に木の根が絡む
急坂、慎重に足場を探し一歩一歩進む。急坂を上り切った先の平坦地で小休止、
前方にはお椀を伏せたような日和田山が見える。山百合の脇で、山を下ってき
た二人の青年に出会う。
2
日和田山を下ると暫らくは緩やかな下り坂。登山道で宮くんが真剣な顔で、安
全保障法制の国会論議の中で、周辺軍事環境の厳しさに応じた抑止力の必要性
の議論が少なく、その抑止力を担保する方策が議論に欠けていると言う。
3
広葉樹の登山道を進むとやがて杉と檜の針葉樹林の上り坂に入る。近くで鶯の
鳴き声がしきりに聞こえてくる。高指山の NTT 無線中継所の方からで、澄ん
だ
上手な鳴き声、1 羽だけのようだ。
老鶯の
声澄み渡る
猛暑にも
(國見
作)
高指山に続く舗装道を下ると駒高の富士見茶屋が見えてくる。ここでキナコ
先生、杉と檜の違いを葉の形で区別できるようになった。道路右の崖に咲く山
百合があまりの暑さに首を落としているように見える。茶屋近く、屋根のある
休憩所で昼食休憩。これまでに既にペットボトル 2 本が空になり、汗が全身か
ら滴り落ちる。薄曇りの中、手前の蝋梅越しに、西方を見ると靄の中に奥武蔵
の山並みが七重八重に連なって見え、墨絵のようだ。
蝋梅を 観たる場所かや 夏昼餉
山百合も
首を垂れるか
(岡崎君
昼下がり
(國見
作)
作)
昼食休憩後、駒高から物見山へと行動開始。登山道入り口にオートバイが 1
台止まっている。滑りやすい花崗岩の登山道だが今日は程々に乾いていて、滑
る心配はない。登山道右手の林は最近伐採したらしく、杉林が明るい。
坂
を上ると右奥の高台に小さい祠が見える。登山道を分け入り社前に出るも神社
の名前は分からない。大黒様の小さい像にお賽銭をあげてお参りし、道中の無
事を祈る。獣道のような小道を進み登山道に戻る。
登
山道は杉や檜に覆われ太陽光が地表に届かないため滑りやすい。足元に目を凝
らし、慎重に足場を探して進む。道路脇に自生するミズヒキ草の穂先が少しピ
ンクを帯び始めている。麓では穂先が緑のままだったので、標高差と気温差を
感じる。そのうちに道は少しずつ上り坂に。暫らく進むと稜線上の木立の間か
ら光が見えてきた。下ってきた中年男性に聞くと頂上に人はいないという。
頂上は広い開闊地にベンチがある、標高375mの物見山に到着です。その
名に似ず展望は利かないが何よりも涼風がありがたい。リュックを下ろし水分
補給と小休止。一人いた男性登山者に記念写真を撮ってもらう。この男性、車
で駒高まできて、ここで休憩しているうちに居眠りをしていたという。人懐こ
い、話好きの中年男性。我々にこれから行くルートを尋ねるので、宿谷の滝に
下り、鎌北湖まで行くと言うと、そのコースは知らないので一緒に付いて来る
という。ブナの木が小さな青い実をつけている。
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(No.2 に続く)