和田 喜八郎

教育・スポーツ・芸術文化
■
/ 教育
かいたくしゃ
新教育の開拓者
和田
喜八郎
わだ きはちろう
出身地
北秋田市(旧鷹巣町)
1872年(明治5年)~1936年(昭和11年)
し はん
し
や
し はん
秋田県師範学校長として国際的視野に立った師範教
かいかく
じっせん
すぐ
育の改革を実践、多くの優れた教育者を育てる。そ
きょう ゆ
の教育観と教授法は、若い 教 諭時代から「進歩的
せん く
げ き しょう
ちょしょ
よう
教育の先駆」と激 賞 される。著書に『各科教授要
ぎ
義』がある。
たかのす
1872年
北秋田市(旧鷹巣町)に生まれる。
1900年
高等師範学校卒業。
1901年
『各科教授要義』を出版。
1903年
清国四川 省 成都高等学堂の招待に応じ、渡清。
し はん
よう ぎ
し ん こ く し せ ん しょう せ い と
がくどう
はこだて し はん
1914年
北海道函館師範学校校長となる。
1919年
沖縄師範学校校長となる。
1921年
宮城県第一高等女学校校長となる。
1924年
秋田県師範学校校長となる。
1927年
秋田県教育会会長となる。
1936年
秋田市で没。63歳。
おきなわ
みや ぎ
し はん
ぼつ
さい
と しん