英語 1 第 11 章 ART

英語 1 第 11 章
ART
Introduction
Eiko Imahashi
芸術が好きな者にとって、特定の芸術家個人やテーマに焦点を絞っている展覧会は、普段は世界中にばら
撒かれている作品たちを同時に見る絶好の機会である。そのような展示を見たあとで、帰るときに目録を買
って持って帰る人がどれほどいるだろうか。展示を既に見た後で、目録を買うことは意味を成さないと、多
くの人が考えるかもしれない。
しかしながら驚くべきことに、これらの展覧会目録は、何百部、何千部も売れている、隠れたベストセラ
ーなのだ。欧米とは違って、日本で売られるほとんどの展覧会の目録は、国際標準図書番号(ISBN)がない
ため書店を通して売られることがない。そのため、これらの色とりどりで本格的にデザインされた目録をか
なり購入しやすくなるのだ。良い目録というのは、学術指向の解説と多くの書誌学的情報を含む。それゆえ、
これらの目録は手に入れにくいかもしれないものではあるが、確実に買う価値がある。これらの目録は芸術
関係の研究の基盤をなすと主張されることさえある。さらに近頃の絵画展が、有名な絵画作品をただ並べた
ものから、芸術と芸術以外の分野(文学、歴史、民俗学、文化人類学、科学史など)の結びつきをある共通
のテーマに基づいて研究することへと姿を変え始めているため、そういった展覧会の目録は、その企画の目
的を私たちにもよく考えさせてくれる。
以下の前半の文章は、絵画の目録とテーマを持った展示の重要性についての、この点を発展させている。
後半の文章では、主題にいささか違う角度からアプローチしている。日本の英字新聞社から出版された記事
から抜粋されたものであり、ロンドンを本拠地とする芸術の専門家が 2002 年に、「クリストファー・ドレ
ッサーと日本」という展示を見に日本へと訪問したことを扱っている。展覧会とその目録との両方で特集さ
れた、鍵となる重要な絵画作品を貸してしまっていたので、アンドリュー・マッキントッシュパトリックは、
新しいテーマに基づいた展示の中でそれらの作品を見ようと、日本にやってきたのだ。
The Pleasures of Exhibition Catalogs
Eiko Imahashi
以前の私の生徒の一人は、私に驚くべき質問をした。「展示を既に注意深く見た後、どうして目録を買う
必要があるのか」と、彼女は言った。この生徒は、イベントや展覧会は本や目録と同じであると理解してい
たのだ。この観点からすると、目録というのは実際の展覧会を見ることができない人たちが買うものとして
捉えられている。少なくとも、目録は学生が購入するには高すぎることが多い。さらに目録を読んだ人は、
絵画作品の前で訪問者が感じる「本物の」感動の気持ちを再現できないため、失望する人が多い。絵画作品
は文学作品と異なり「今ここ」でしか会えないものなのである。
しかし、私たちは展覧会の目録を、そこには不必要なものとして簡単に片付けてよいのだろうか。最近出
版された大量の高品質の目録の存在は、そうではないとはっきり示している。目録がある理由は、単に美し
い絵画作品を再生産するためではない。これらの目録は、展示された作品のデータ、それらの文化的背景、
作者の人生、展示の背景と目的、他の関連する供給源といったあらゆる種類の情報によって、それらを自然
につなぎ合わせることで展覧会の中の絵画に新しい光を投げかける。
目録は、読む人に良い作品を思い出させことができる。それらが含む情報もまた、斬新な興味の対象につ
ながるような新しい発見の材料となりうる。私は以前、たまたまハンガリーの応用芸術の展覧会に行った。
当時何も知らなかった中央ヨーロッパの素晴らしく豊かな文化に私は深く感動した。目録を読むにつれて、
私はハンガリー文化を学ばなければならないと決心しかけたほどだ。1920 年代に亡命生活を送っていたパリ
で活躍したバレエ製作者のディアギレフの展覧会にも行った。その展覧会には、展示に情報がありすぎて全
体像をつかみにくいと感じたので、私は展覧会の重要性を後ほど学ぼうと、目録を買った。
目録が展覧会と分離されることはできないことは事実であっても、目録はそれ自体として考えられるべき
である。最近の目録は CD や DVD といった、それらの製作者達が展覧会全体を三次元で再建設することを可
能にするような、本以外の媒体で発売されている。しかし、ほとんどの目録は出版され、私がここでもう少
し深く考えたいのは、出版される目録なのだ。
本当に絵を鑑賞することを楽しむ人々の間でさえも、特別なテーマに基づく展覧会に定期的に訪れる人は、
おそらく少ししかいないだろう。私もその少しに含まれないことを認めねばならない。しかしながら、日本
の美術館は実際、特定のテーマに基づく展覧会を催すのがむしろ得意であるため、これはかなり残念なこと
だ。たとえば、外国の美術館の浮世絵の作品集と、有名な寺の宝物を展示した素晴らしい展覧会が毎年行わ
れる。これらの展覧会が客をがっかりさせることはめったにない。その点では、特定の事実に基づいたこれ
らの質の良い展覧会は見逃すべきではない。
日本の美術館でよく繰り返し展示されるもうひとつの同じくらい重要なテーマは、ジャポニスム(ヨーロッ
パにおける日本好みの傾向)だ。ジャポニスムは既に、芸術史だけでなく比較文化、異文化交流、比較芸術な
どの学問的分野でかなり多くの研究を生み出している。例えば、多くの人が浮世絵の構図とゴッホの絵につ
いての何らかの関係を知っているだろう。しかし、今のジャポニスムの研究は、学者が単に現代の西洋美術
と日本の絵画の相互の影響と衝撃を調査していた初期の段階の研究から、いくらか離れている。
この種の研究から離れていくことは、比較文学や比較文化が、いまや単に「A と B の間の比較」という観
点からは、もはや理解されないという認識に関係している。単なる比較であった初期の研究から離れるこの
傾向は、従来のジャポニスムの比較の研究から、「西洋に観察される対象であった外部の東洋」という抽象
的枠組みの中にあった現象をさらに注意深く分析するよう学者たちを移行させた、エドワード・サイードの
オリエンタリズムという作品以来、特に強くなった。日本におけるジャポニスムの研究は今、欧米主義の機
嫌をとろうとする歪んだ国家主義という落とし穴に入ることを避け、西洋に認識されることで自らのアイデ
ンティティを確立しようと、内省的であるように迫られている。
この新しい研究の傾向は、特にここ 15 年ほどにジャポニスムの展示が目に見えるほどに洗練され、「深み
のある」ようにさえなったことを意味する。この新しい時代における最初の重要な展覧会は、フランスと日
本の大掛かりな共同制作の結果である、1988 年に東京とパリで開かれた大規模なジャポニスムの展覧会であ
った。この展覧会では、欧米ではよく見られるような 400 ページもの目録を作った。
この大きな展覧会のあと、二つの重要な傾向がジャポニスムの展覧会に表れた。どちらも「日本」だけで
なく「西洋」や「絵画」の概念を再調査しようとしている。言い換えれば、彼らは、西ヨーロッパの概念と
そのスタイルの絵画の、新しい見方を必要としているのだ。
一つ目の傾向というのは、ジャポニスムのある特定の側面を明確にしようと試みている。というのも、ジ
ャポニスムは西ヨーロッパの外の地域では驚くほど多種多様であることが判明したからだ。研究の焦点は、
アメリカ合衆国、英国、ウィーン、プラハを含むほどに拡張され、その結果、ジャポニスムの研究はより詳
しくより面白いものとなった。アメリカ合衆国では特に 2000 年以降になって、世紀の変わり目にジャポニ
スムの影響を受け、それを独創的な教育システムに発展させた版画家のアーサー・ダウの作品に、学者達は
注目し始めた。ベルリンの壁崩壊以来、中央ヨーロッパの芸術を研究する価値がどんどん認められ始めたこ
ともあり、これは最近のジャポニスム展の傾向にはっきりと衝撃を与えていた。
最近のジャポニスム展のもう一つの重要な傾向は、視野を広げて絵画以外のジャンルを含めることであっ
た。先述した 1988 年のパリ-東京展は、陶磁器や版画、家具、写真の展示を含むことによって、この傾向の
先駆けとなった。1990 年代には、装飾的な美術工芸品に焦点を当てるのが、ジャポニスムの主流となった。
小さいが堅実に行なわれた展覧会がいくつかあった。1994 年のモード展は、その革新的なアプローチの仕方
ゆえに注目を集めた。ここ数年では、主となるテーマとして工芸品を中心に置いた展覧会がある。私たちは
アールヌーヴォー展だけでなく、アーサー・リバティ、チャールズ・レニー・マッキントッシュ、クリスト
ファー・ドレッサーといった熟練した装飾芸術家たちのスタイルや作品に焦点を当てている良い展覧会を見
た。ジャポニスムのあらゆる展覧会は、このようにして、異文化間の交流のあらゆる側面の理解を再概念化
する、わくわくする方法を提供するのだ。
見物する私たちにとっての価値があるのは、これらの装飾美術、つまり芸術と工芸が関係した展覧会の目
録は、洗練されたデザインによって同情をもって表現されていて、たくさんの生き生きとした写真を含んで
いることである。スケッチブックや本などの展覧会と関係のある資料を見ることも有意義であり、目録は今
や実際の絵画作品と同じくらい力を入れて作られている。私は、様々な展覧会で、多くの客がこれらの関連
する資料に注意深く目を通しているのを見て感動した。このように、展覧会の目録は、重要な芸術現象に対
する鑑賞力や理解力を高めるのに、実際の展覧会と同じくらい重要な役割を担いうる。
Christopher Dresser and Japan
Angela Jeffs
アンドリュー・マッキントッシュ・パトリックはロンドンのボンド通りにある Fine Art Society(FAS)の
社長である。彼はまた熱心な収集家でもある。そのため、彼は福島県の博物館に芸術品が貸し出されている
のを見ようと去年の(2000 年の)4 月に日本を訪れた。この重要な展覧会は 5 月 25 日に東京にやってきて、
その後に富山や栃木へと移っていく。世界で最初の工業デザイナーのクリストファー・ドレッサーの作品を、
日本で初めて見ることができるのだ。
ドレッサーはスコットランドのグラスゴーで 1834 年に生まれた。彼は植物学者として教育され、有機化
合物に興味を持ちデザインの道へと進むことになった。彼は産業革命にも魅力を感じていた。それは物質が
機械的に再現することができるということを意味していたからだ。彼は、工芸の技術は失われるべきではな
いと強く信じていたウィリアム・モリスと同世代の人間だった。さらに、陶磁器、金属細工、家具、備品、
壁紙といった彼らの興味は共通点が多々あった。
「ドレッサーは並外れた経歴を持っていた。」パトリックは説明する。「彼には大量生産の商品が良くデ
ザインされるべきではないという理由がわからなかった。1876 年のフィラデルフィア万博を訪れ、そこでア
メリカの芸術家でデザイナーのティファニーに出会い、その後横浜行きの船を求めてサンフランシスコに行
った。明治天皇との謁見で、彼は、西洋との貿易可能性の報告の見返りとして、費用は全額支給で日本の工
場や工芸品の販売店を回る機会を与えられた。」
ドレッサーはイギリスから日本に 2,000 点の工芸品を持ってきた。その中のひとつは青白いガラスの花瓶
で、東京国立博物館で見ることができる。彼は日本から 8,000 点の芸術品を持ち帰り、それをロンドンのヴ
ィクトリア・アンド・アルバート博物館に寄贈した。彼はイギリス全土の産業からとても大きな支持を得て、
ティファニーの職人の集団を含む一団と共にここに戻ってきた。
アンドリューは彼の師である収集家の先駆者のチャールズ・ハンドリーレッドを通してドレッサーに興味
を持った。そのときから FAS は常にドレッサーのものを展示したり売ったりしている。パトリックは初めに
陶磁器を買ったが、清掃員の女性にいつも壊されてしまうため、金属細工を買うようになった。「カタログ
の表紙に写っているティーポットを 1985 年に買えたのは十分に幸運なことでした。オークションの前日に
眠れぬ夜を過ごした後、40,000 ポンドで購入しました。」
彼は、それを手に入れるために物をいくつか売らなければならなかったが、それは今までのところ知られ
ている唯一の現存する見本であるので、たいへん値打ちがあると彼は信じている。日本の影響を受けたティ
ーポットやティーセットは、イギリスで社会的に飲まれている紅茶には無用なものなので、極少数しか残ら
なかったとも彼は考えている。
現在、銀メッキされた幾何学的なティーポットは、有名な版画にちなんで「北斎の波」と呼ばれている曲
がった花瓶と共に、郡山の展覧会のカタログの表紙に掲載されている。「ミランの展覧会の 30 パーセントは
私の個人的な収集物です。ここに私が貸し出したのは総数 9 点で、セットのものもいくつかあります。」そ
の展覧会は日本の後に 2003 年にアメリカに行く予定である。「それ(彼のティーポット)を見たいと思う
ことはあと数年はないと思います。寂しくなってもいつでも会いに行くことができますから。」