徳島市内の小学校で女性臨時教員に複数男性教員が「不倫交遊しよう」と

▼火葬場の改築事業に取
り組む小松島市。建設関
係の総事業費は約10億
円。平成29年4月の供
用開始を目指す。
濱田保徳・小松島市長
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▲旧吉野村時代の吉安郷。日本式住宅が
建ち並んでいた。稲作の他にも、サツマ
イモやトウモロコシなどを栽培していた。
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▲役員の年齢制限などを定めた内規に従
い、中央会の荒井会長が今期限りで退任す
る JA グループ徳島。内規に抵触する他の
役員らの去就も注目されている。
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第一期入植が成
功 し た 吉 野 村 は
▲
一九一七年 大
第二期入植も無事完了
( 正 六 仏も揃い、講堂や診療
し、最終的に村民の数 年 、)村民の一人である 所も布教所内に建てら
が千百名に達した。北 川端満二氏により村内 れた。吉野布教所
海道から九州まで様々 に真言宗高野山派の﹁吉 は村住民にとって
な土地の人々が集まっ 野布教所﹂が建てられ 無くてはならない
たが、その多くは被災 た。真言宗の寺院が建 場所になった。
いずれ周辺に
者達で構成された。
立されたのは、真言宗
月日が経ち、日本人 徒が多い徳島県民が多 住 む 地 元 住 民 ら
の立ち居振る舞いや仕 かったためで、この布 も 参 拝 す る よ う
事に対する真面目さな 教所は吉野村民の心の に な り、 日 本 式
の風習が徐々に
ど を 見 た 原 住 民 達 も、 拠所となった。
開所時には、地元徳 浸透していった。
少しずつ心を開いて日
やがてこの地
本人との交流の中から、 島から運んだ弘法大師
日本人としての同化が 像を安置し、大師像に で 生 ま れ た 二 世
始まって行く。同地を 同行した真言宗の僧侶 は﹁ 湾 生 ﹂ と 呼
追われていた原住民ら がお経を読んだという。 ば れ 吉 野 村 の 中
も民間レベルで和解し その後、本堂内には不 心 的 存 在 と な り
始めたのだ。
動明王と毘沙門天の脇 最盛期を迎える。
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慶修院の正門。
桐紋と三つ巴紋の
陣幕で飾られ、日
本国内の寺院のよ
うな錯覚を感じる。
▶寺院内回廊に鎮
座する四国八十八
箇 所 霊 場 の 本 尊。
この回廊を一周す
るとご利益がある
という。
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▲走行中に炭酸ガスで犬猫を窒息死させる殺処
分車。全国で保有するのは徳島県だけ。過去 11
年間で殺処分された犬猫は 61,539 頭だ。
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徳 島 市 内 の 小 学 校 で 女 性 臨 時 教 員 に 複 数 男 性 教 員 が「 不 倫 交 遊 し よ う 」 と ア タ ッ ク 攻 勢 説。 風 紀 乱 れ た 教 育 現 場 に 顰 蹙 の 声。
石井町長選で河野陣営演説会を急遽欠席したと言われる飯泉知事。劣勢候補に距離を置く機を見るに敏な対応が評判を呼ぶが、﹁河野氏は知事側のジャンパーを着て公用車で先導、粉骨砕身知事を応援したのに﹂と知事のドライ度が話題に。
な競争ができないと
判断した状況です﹂。
調査を終えた市議会
の調査特別委員会は当
時 の 稲 田 市 長 に 対 し、 告示された﹁大阪都構想﹂の住民投票
﹁
事業を中止す
べし﹂との意見書を提
大阪都構想の主な狙
四月二十七日に告示
中 央 会 の 荒 井 会 長 導﹂が二十一%、﹁購買﹂ 保身のためにルールを
出。市側は﹁不適切な さ れ た﹁ 大 阪 都 構 想 ﹂ い は 府 市 の 二 重 行 政 の
が 今 期 限 り で の 退 任 が 十 八 %、
﹁ 販 売 ﹂ が 守ろうとしない役員に
点はない﹂との認識を の 住 民 投 票。 本 番 突 入 改善。カリスマ人気を持
を 表 明、﹁ 荒 井 体 制 ﹂ 十七%だった。
対 し、 職 員 が 失 望 し、
で推進派と反対派の対 つ橋下市長が強引に進
老朽化した火葬場の改築に取り組む小松島市。
公募プロポーザルで選ばれた委託業者は、 推進調査﹂の二つを総 示 し た が、 議 会 の 意 立
が終焉する
グ
グ ル ー プ 徳 島 やる気を失くしている
めたため、説明会の会場
が先鋭化している。
額八百五十万円で随契 見 書 を 重 く 受 け 止 め、
過去に頓挫した
ル ー プ 徳 島。﹁ ポ ス ト はアンケート結果を受 ということです。再選
事業で物議を醸した火葬炉メーカーだった。市議会が調査特別委
推 進 派 の 旗 頭 は 橋 下 で野次、怒号が飛び交う
事業を断念し
委 託 し て い た も の で、
荒 井 ﹂ を 巡 り 水 面 下 けて自己改革プランを に 意 欲 的 だ っ た 荒 井
員会で随意契約やメーカーのコンサル調査への協力問題を追及、
事業を中止に追
市 長。 激 務 の 市 長 職 を な ど 市 民 間 の 反 発 も 強
議会から﹁この種の調 た。
で 多 数 派 工 作 が 展 開 策定。新体制がそのプ 会長が退任を決めたの
こ な し な が ら、 合 計 い。
い込んだ約三年前の﹁ドタバタ騒動﹂は一体何だったのか。
方式から通常の公共
査
を
実
施
で
き
る
組
織
、
さ れ て い る。 最 有 力 ランを実行していくこ も内規を再確認したた
賛 成、 反 対 派 が ぶ つ
事業方式へと整備手法を百八十度転換した同市。民間のノウハウと資金活用による﹁コ
団体は複数存在する﹂ ﹁応募資格を満た 三 十 九 回 の 住 民 説 明 会
候補は
ア グ リ あ とになるが、プランを めです。ルールを守る
と指摘された。
している﹂と市当局 を 開 催。 都 構 想 の 必 要 かりあう﹁大阪都構想﹂。
ストダウン﹂を売りとする
事業の看板倒れの一端も浮き彫りになっている。
な ん の 中 西 組 合 長 だ。﹁ 絵 に 描 い た 餅 ﹂ に 終 ということを我が身で
政治的思惑も渦巻いて
性を訴えた。
コンペに参加表明し
新 体 制 は 今 年 六 月 末 わ ら せ な い た め に は、 持って範を示した荒井
反 対 派 の 急 先 鋒 は 自 いるが、判断基準は、市
プロポーザル方式を採 入。 業 者 選 定 の 段 階 たグループ企業の調査
約三年前に頓挫した に発足するが、組織・ 役職員一人ひとりのや 会長。内規に引っ掛か
民 党 府 連。 告 示 日 も 大 民 生 活 に プ ラ ス に な る
用。応募二社を審査し ま で 進 ん だ が、 議 会 業 務 へ の 協 力 問 題 は、 事業で物議を醸
事 業 の 自 己 改 革 問 題、 る気が肝要だ。
る他の役員の去就が注
か
ど
う
か
。
大
阪
市
民
の
住
阪
城
公
園
周
辺
で
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ベ
ン
た結果、県外業者の
から様々な問題点が 同市から
可 能 したメーカーを火葬炉 ト を 開 催。 都 構 想 反 対 民 自 治 の 在 り 方 が 問 わ
阿 南 中 央 医 療 セ ン ﹁ ア ン ケ ー ト 結 果 で 目されています﹂ (
社を優先交渉権者に選 指 摘 さ れ、 事 業 は 中 性調査などを委託され 整備業務等の委託業者 をぶち上げた。
ター 仮
れている。
(称 建
) 設問題 分 か る よ う に、 現 在 関係者 。)
び、契約に向け詰めの 止 に 追 い 込 ま れ た。 た日本
に選んだ小松島市。
﹁同
など課題山積だ。
徳島厚生連の
の
グループ徳島
組織・事業の自己改 では職員が組織の先行 阿 南 共 栄 病 院 と 阿 南
作業を進めている。
事 業 で 失 態 を 協会に対し、グループ 社は公募プロポーザル の参入を遠慮するもの と、 火 葬 場 の 運 営 を
革 問 題 は 退 任 す る 荒 きに危機感を抱いてい 市 医 師 会 の 中 央 病 院
事業スケジュールに 演 じ た 同 市。 今 回 は 企 業 で あ る
社 が 資 の応募資格要件を満た ですが⋮。同社が再度
方式でやった
井 会 長 が 残 し た 宿 題。 ます。問題の一つが役 を 統 合 す る 阿 南 中 央
よると、同市は今年度 通 常 の 公 共 事 業 と し 料を提供していたとい し て い る ﹂ 市
( 民 生 活 エントリーしてきた背 場 合、 二 十 年 間 で 約
グ ル ー プ 徳 島 は 員のコンプライアンス 医 療 セ ン タ ー 仮
中に用地取得と実施設 ての再トライだ。
うもので、コンペ参加 課 と
(称 )
) して﹁問題なし﹂
景
に
は
そ
う
い
う
業
界
事
五
億
二
千
五
百
万
円
か
か
昨 年 役 職 員 約 七 百 人 問題です。役員間には 建 設 問 題 も 重 要 課 題
計、建物の建築工事の
事業時に議会 表明が一グループだけ との見解だ。
情 も あ る の で は ﹂ 建 ることになっている。
に対しアンケートを実 年齢制限や任期制限を だ。 中 央 病 院 か ら 施
(
入札を行い、工事に着 が問題にしたのは次の という現象を招いた一
調査特別委員会を立
同
市
市
民
生
活
課
に
よ
設
業
界
関
係
者
。
施。約九割が事業の仕 定めた内規があります 設 と 用 地、 経 営 権 を
)
ち上げ、コンサル調査
手する。建設関係の総 三点。①
事業者 因になった。
る
と
、
﹁
公
共
事
業
方
式
組 み で﹁ 改 革 が 必 要 ﹂ が、そのルールが蔑ろ 無 償 譲 渡 し て も ら い、
事業費は約十億円。供 を選定するコンペの参
当時の市議会調査特 に協力した同社の企業
の場合、火葬炉の保守
疑問呼ぶ
と答えていた。改革が にされている実態が指 厚生連が新病棟などを
用開始は平成二十九年 加表明者が一グループ 別委員会でコンペ参加 姿勢を﹁コンペ参加資
管
理
の
ほ
か
、
施
設
の
維
事
業
の
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必要な分野は﹁営農指 摘されています。自己 建設して運営するもの
四月の予定だ。
だった②調査業務を特 を辞退した企業関係者 格喪失に該当すると判
持
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理
費
も
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る
﹂
と
効
果
だ が、 総 事 業 費 は
定のコンサル会社に随 はその問題点を次のよ 断せざるを得ない﹂と
いうが、施設の維持管
約 九 十 八 億 円。 財
厳しく指弾した市議会
議会が随契問題な 契委託した③コンペ参 うに指摘した。
源確保のため新体
理
費
は
既
存
施
設
の
実
績
方
式
か
ら
通
﹁ 小 松 島 市 さ ん の も、今回はものわかり 常の公共事業方式へと ベ ー ス に よ る と 二 十
どを追及、三年前に 加グループのメンバー
制には国などとの
中止に追い込まれた 企業が、コンサルの調 ホ ー ム ペ ー ジ で 資 料 のいい対応だ。
タフな交渉能力が
整備手法を百八十度転 年 間 で 約 二 億 四 千 万
特定企業を名指しし
査業務に協力していた。 の 公 表 が あ っ た 時 点
事業
問
わ
れている。
円
。
火
葬
場
の
保
守
管
換
し
て
火
葬
場
改
築
事
業
同市は
事 業 で、 資 料 の 中 の 一 部 て 問 題 点 を あ げ つ ら に再トライする小松島 理 と 火 葬 業 務 も あ わ
農 協 をターゲッ
事業を中止 市。 整 備 手 法 の 転 換 せ る と、 二 十 年 間 の
火葬炉メーカーの選 を委託する企業グルー に﹃ 文 書 作 成 者 ● ● ﹄ い、
五 千 九 百 ㎡。 火 葬 炉
ト に し た 規 制 改 革
公募プロポーザル は大型炉を三基設置す 定 を 終 え た 同 市 だ が、 プを平成二十四年五月 と 表 示 さ れ て い る 文 にまで追い込んだ三年 で﹁コストダウン﹂を ラ ン ニ ン グ コ ス ト は
の余波を受ける
グループ徳
で火葬炉メーカーを る。拾骨を行う告別室 選んだのは約三年前の に公募したが、応募し 書 が あ り ま し て、 こ 前のドタバタ騒動は一 売 り と す る
六九一万円だ。
方 五億一、
島。 自 己 改 革 プ ラ
と待合室をそれぞれ三
選定
事業で物議を醸 てきたのは六社で構成 の ● ● さ ん と い う の 体何だったのか。
方式の売り
式の﹁看板倒れ﹂の一
ンを実行し職員が
された一グループだ は火葬炉メーカーの
﹁ 火 葬 炉 メ ー カ ー は 端が図らずも浮かび上 は、民間のノウハウと
室整備する。駐車場は した企業だった。
やる気を起こす風
社 の 執 行 役 員 と 同 全 国 で 数 社 し か 存 在
同 市 が 火 葬 場 の 改 け。市議会が﹁競争性
小松島市が進める葬 普通車約三十台、マイ
資
金
の
活
用
に
よ
る
コ
が
っ
て
い
る
。
通しのいい組織に
祭場建設事業は、老朽 ク ロ バ ス 四 台 分 の ス 築 に 取 り 組 む の は、 が 担 保 さ れ て い な い ﹂ じ、 同 姓 同 名 な の で し な い 特 殊 な 業 界 で、
同 市 に よ る と、 建 ス ト ダ ウ ン 効 果 だ が、
生まれ変わること
す。したがってこの資 メーカー間で地域的な 設 し た 火 葬 場 の 保 同 市 の 資 料 に よ る と、
化した火葬場の代わり ペースだ。
実 は 今 回 が 二 回 目。 と問題視した。
が で き る か。 六 月
調査業務の随契問題 料 は
社 が 作 成 し た 棲み分けができている
事業は現在、火葬炉 一 回 目 は 平 成 二 十 四
に新しい火葬場を建設
守
管
理
と
火
葬
業
務
は
方
式
の
方
が
今
の役員改選が注目
するものだ。既存の火 の整備と保守点検、火 度 に 事 業 化 し た。 整 は、 東 京 の コ ン サ ル ものと考えました。こ とも言われます。建設 火 葬 炉 メ ー カ ー に 委 回の公共事業方式より
されている。
のことから不正がうか 業 界 な ど 他 の 業 界 で
葬場は解体して駐車場 葬業務を委託する業者 備 手 法 に 民 間 の ノ ウ 会 社・ 日 本
託
す
る
。
予
算
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ー
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が
か
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る
こ
と
に
がえ、当社にとって非 は、発注者側に迷惑を
を選定する段階だ。同 ハ ウ と 資 金 を 活 用 す
にする。
協会に﹁
結果は二、
五一四票差
暴行事件では冤罪を訴
の
委
託
料
は
両
業
務
あ
な
っ
て
い
る
。
方 式 を 導 可能性調査﹂と﹁事業 常に不利であり、公正 かけた業者は入札等へ わ せ て 二 十 年 間 で
新施設は敷地面積 市は業者選定に公募 る
え、立件した警察、有 でニューリーダーが誕
同市が総額八百五十
罪判決を出した裁判所 生した。前町長は﹁ア
慶修院は、一九八三年 二億七、六九一万円。 万円の調査費を投じて
時は流れ、入植者も
台湾を日本が した。この土地は、地 者 は 先 発 隊 の 知 人 縁
を批判。各マスコミや イラブ石井町、グッバ
ところが、同市が三 導入に動いた火葬場の
二世から三世の時代に 昭和五十八年 に火災
統治していた時 元原住民たちの先住地 者から始まり、半田村
(
)
徳島選出の国会議員ら イ石井町﹂の言葉を残
︻ 祭りの後始末 ︼
事業。三年後の
なった頃、第二次世界 に遭い、寺院の建物の大 年 前 に 日 本
現
代、台湾東海岸 だったが、入植の二年
( つ る ぎ 町 、) 松 茂
が﹁自分を陥れている して町政の表舞台から
協 会 に 依 頼 現 在 か ら 振 り 返 る と、
大戦の敗戦国となった 部分が消失した。しかし
部には多くの日 前、 大 暴 動 事 件 七
統一地方選が終わっ のだ﹂と強調した。被 姿を消した。
(脚 村 現
( 松茂町 の
) 住民
導 入 ﹁中止にして正解だっ
日本は台湾から撤退す このときも地元住民たち し た﹁
本人が移住して 川 チ
た。徳島では知事が四 害妄想としか表現しえ
﹁町長選﹂という祭
( カソワン 事
) 件 ) ら被災した人たちが大
る。新統治者の中華民 が中心になって寺院再建 可 能 性 調 査 ﹂ に よ る た﹂ということか。
い た。 現 在、 慶 があり、旧日本軍が接 半だったという。
選を果たし、県議選や ない妄言は石井町民を り が 終 わ っ た 石 井 町。
国 政 府 は 吉 野 村 の 住 に尽力したという。
当時の吉野川流域で
修院のある花蓮 収した場所だった。
今 後 の 課 題 は﹁ 政 争
徳島市議選で激戦が展 唖然とさせた。
秘密厳守
民達にも国外退去を命
そして努力が実り
県吉安郷にも明
当初は荒涼とした不 は稲作より藍染に使う
逆に新町長は前町長 の 町 ﹂ の 汚 名 を 返 上
開された。首長選では
じ、 今 度 は 生 ま れ た 一九九七年 平
治四十三年に日 毛地帯のようだったが、 藍の作付けが主流だっ
石井町に三十代の若い の挑発の一切を無視し し て、 住 民 融 和 の ま
( 成九年 )
﹁憎しみは新たな憎しみ ち づ く り を い か に 進
町長が誕生した。
ときから慣れ親しんだ には台湾の歴史文化遺産
本本土から移民 手始めに稲作から手を たが、一九〇四年頃か
暴行事件や多選自粛 しか生まない﹂と政争 め る か。 祭 り の 後 は
同村を追われる羽目に に相当する﹁国家第三級
がやって来た。
付けた先発隊は、この ら ドイツより輸入が開
条例改正問題などで話 の解消、町の融和を訴 新 し い ま ち づ く り の
なった。吉野布教所も 古蹟﹂に指定された。
その移民の多 地を故郷徳島に因んで 始されたインディゴ染料
スタートだ。
題を呼んだ前石井町長。 えた。
く は 徳 島 県 人 ﹁吉野村﹂と名づけた。 に市場を追われ、これら
取 り 壊 さ れ か け た が、
現在、慶修院は地元民
日本人と共に暮らした らの寺院として愛されて
だ っ た。 数 年
やがて正式に第一期 に携わっていた人々も入
る県当局。委託業者 は 正 確 に 時 間 を 記 入
が
、
隣
県
・
高
知
で
は
地元民らの手により保 いる。台湾の人々に弘法
前から毎年のよ の入植が始まる。入植 植団に加わったという。
ヘのアンタッチャブ していく﹂ 西
町にある民間の焼却 焼却処理を委託した
( 條課長 )
護 さ れ、
﹁ 慶 修 院 ﹂ と 大師像が崇められ、四国
うに氾濫する吉
ル
な
対
応
は
要
ら
ぬ
誤
と の こ と だ が、 基 本
施
設
に
運
び
込
ん
で
焼
業
者
名
は
公
開
扱
い
だ
。
して正式な寺院になっ 八十八ヶ所霊場を模した
野川に苦しむ流
解を招くだけだ。
ができていない杜撰
却 処 理 す る が、 焼 却 焼 却 処 理 は 年 間 約
た。 そ し て 日 本 人 達 回廊を手を合わせて廻
域住民達の中か
殺 処 分 車﹁ ド リ ー な 事 業 実 態 は ﹁ 殺 処
業務を委託した業者 二千五百万円の公金
か ら 伝 え 聞 い て い た る人々がいることは日
ら、先発隊とし
ム カ ー﹂ の 運 行 管 理 分 削 減 の モ デ ル 自 治
名
は
非
公
開
扱
い
。
﹁
ド
リ
ー
ム
カ
ー
﹂
と
が
投
入
さ
れ
る
公
共
事
﹁ 八 十 八 ヶ 所 霊 場 ﹂ の 本人としてまた徳島県 呼 ば れ る 殺 処 分 車 を
て九家族二十名
も 形 骸 化 し て い る。 体 だ ﹂ と 胸 を 張 れ る
非 公 開 理 由 は﹁ 公 業。 殺 処 分 に 対 す る
風習も同寺院内に再現 民として至上の喜びで 全 国 で 唯 一 保 有 し 、 開 す る と 相 手 方 に 県 民 の 理 解 を 深 め る
が最初に入植
﹁ドリームカー﹂は動 も の で は な い 。
した。慶修院内の回廊 はないだろうか。
物愛護管理センター
四選果した飯泉知
年 間 二 、二 九 〇 頭 平
( 不利益を与えかねな ためにも事業実態は
に八十八霊場の本尊が
面白いことに、毎年
が あ る 神 山 町 と 焼 却 事 。 殺 処 分 数 を 平
成
二
十
五
年
度
の
) 犬 い ﹂ と い う も の だ できるだけ公開すべ
奉られ現在まで保存さ 正月には地元住民らが 猫 を 殺 処 分 し て
施設のある東みよし 成 三 十 年 度 ま で に
きだろう。
れているのだ。
浴衣を来て同寺院で初 い る 徳 島 県 。 環
町を年間二四五日往 七 十 五 % 減 少 さ せ る
交通事故等で
詣を行う風習が残 境 省 か ら 犬 猫 殺
復 す る が、 県 有 車 両 と い う ﹁ 犬 猫 殺 処 分
死 ん だ 犬 猫 は﹁ 一
されているという。
使 用 簿 に よ る と、 使 ゼ ロ 作 戦 ﹂ を 打 ち 出
処
分
削
減
事
業
の
般
廃
棄
物
﹂
だ
が
、
これはかつて吉野 ﹁ モ デ ル 自 治 体 ﹂
用時間は毎回九時か す が、 そ の 効 果 は 未
動物愛護管理セ
村の村民達が行っ に 選 定 さ れ て い
ら十二時までのきっ 知 数 だ。 動 物 愛 護 管
ンターが殺処分
ていた風習を地元
ち り 三 時 間。 車 両 の 理 セ ン タ ー に 収 容 さ
る
が
、
そ
の
事
業
し
た
犬
猫
は
﹁
ご
民達が受け継いだ
使用時間は天候や交 れ た 犬 猫 は 一 週 間 後
実
態
は
﹁
モ
デ
ル
み
﹂
で
は
な
く
﹁
愛
というものだ。
通事情で多少は変動 に﹁ ド リ ー ム カ ー﹂
自治体﹂にはふ
護 動 物 ﹂。 死 体 の
このエピソード一 さ わ し く な い お
す る は ず。 毎 回 き っ に 載 せ ら れ る 運 命 。
処理方法などを
つを見ても当時の民
ちり三時間の運行記 犬 猫 を 殺 処 分 の ピ ン
寒
い
有
様
だ
。
定
め
た
法
律
は
存
間交流の温厚さが分
録は実態をきちんと チから救うためにも、
そ
の
一
つ
が
情
在 せ ず、 殺 処 分
かるというものだ。 報 開 示 度 の 低 さ
反映しているとは言 積 極 的 な 情 報 公 開、
した犬猫をどう
全てを失い、ゼロ だ 。 殺 処 分 を 担
いがたいシロモノだ。 ル ー ル 遵 守 の 業 務 運
処理するかは県
からやり直すために 当 す る 動 物 愛 護
運行管理の形骸化 営 で 殺 処 分 事 業 に 対
の 自 由 裁 量。 焼
台湾花蓮にやって来 管 理 セ ン タ ー
問 題 に つ い て 県 安 全 す る 県 民 の 関 心 と 理
却処理業務を毎
た先人達の思いが伝 は 、 殺 処 分 し た
衛生課は﹁人事課長 解 を 深 め る こ と が 不
年同一業者に随
わる寺院である。
から怒られた。今後 可欠だ。
犬猫を東みよし
意契約で委託す
▼新天地を求めて徳島からやってきた旧吉野村
の村民達が建立した吉野布教所は、慶修院と
なった今でも多くの人々に愛されている。
佐 那 河 内 村 で 浮 上 し た 東 部 七 市 町 村 の ご み 処 理 施 設 計 画。 村 内 で 流 布 す る﹁ 放 射 性 廃 棄 物 受 入 れ ﹂ 情 報 を 打 ち 消 す た め に、 村 当 局 が 村 議 選 期 間 中 に﹁ 放 射 性 廃 棄 物 の 受 入 れ は 困 難 ﹂ と の 認 識 を 示 し た 県 の 公 文 書 を コ ピ ー し て 全 戸 配 布。
昭和 31 年 2 月 27 日 第三種郵便物認可 第 1234 号 平成 27 年 4 月 25 日(土曜日)