リズム

リズム
リズムも情念を表わす非常に重要な要素である。リズム (rhythm) の語源はギリシャ語のリュトモス
(rhythmos) という言葉で、これは「形象」を表わす語である。すなわち、リズムとは元来、楽句の形
そのものを意味する言葉だったのである。
音楽の構造としては、均等割りのパルスがあり(例えば四分音符)、それが融合したり(例えば二
部音符)あるいは不均等になって付点付きのリズムに変化したりしたと考えると、それぞれの変化
にはそれなりの理由があったと考えられるのである。
西洋音楽に内在する時間的概念には、テンポ、ビート、パルスという大枠がある。テンポとは、そ
の楽曲の適切な音楽的流れを言う。流れの第一要件はスピードであるが、流れの速さ以外にも流
れにはそれぞれの性格といったものがある。(ちょうど川の流れと同じである。)そういった特徴や性
格も広義には含んでテンポの概念は形成される。パルスとは、周期的に打たれる打点であり、無
限で連続である時間の流れを、ある間隔で印をつけていくことで、有限・離散の形に区切るもので
ある。パルスは前後の間隙を一瞬の打点によって区切るものであり、前後の文脈、予兆、余韻、起
伏といった表現とは無縁の、むしろ機械的・非音楽的な拍動である。ビートとは、音楽的な拍であ
る。ビートには上げ拍 (upbeat)、下げ拍 (downbeat) の区別があり、あるいは強調される拍と弱い拍
とがある。歌唱における呼吸や舞踏におけるステップは、これら上下拍と密接に関連している 1 。
ビートは単なる打点ではなく、これからどちらへ向かうのか、どこから来たのかという変化率の情報
(加速度的な情報)を含むものであり、常に運動のイメージと連関し、方向性を持つ概念である。パ
ルスによって区切られる時間間隔を基本としながら、ビートは必ずしもパルスと一致するものでは
なく、音楽とその運動性の要求するところに応じて、適宜、伸縮するのである。
ビートの持つ強弱、上下、表裏、といった陰影が、周期的な構造となるとき、ここに拍節 (metre)
が生まれる。しかし、世界にはビートはあっても、周期性を持たない、すなわち拍節構造を持たな
い音楽もいくらでもあり、拍節感は音楽の必然ではない。逆に、拍節がさらに上位の周期性を持つ
場合もある。例えばリュリの舞曲などは、 4 小節でひとつの楽節、ふたつの楽節(つまり 8 小節)で
終止形というように、小節単位での周期性を持っている。こういった周期構造をペリオーデと呼ぶ。
1. テンポ:
2. パルス:
3. ビート:
音楽の要請する適切な音楽の流れ 。
テンポによって決まる枠組みとなる均等な時間分割を示す打点。
パルスの中に収められた動的・音楽的な拍動感。パルスと完全には一致せ
ず伸縮も可能。方向性があり、時間的な点ではない。
4. リズム:
ビートに乗せて、一定の形で長さの異なる音符を配列した音型。
5. 拍節:
ビートが周期性を持つ場合、その一周期分の構造
6. ペリオーデ: 拍節がさらに上位の周期構造を持つ場合の、その構造 西洋音楽の時間構造はこのような階層構造になっているのである。リズムというのは、それだけで
長短の音価を持った音符を組み合わせれば自然と音楽的になるものではなく、むしろ、リズムの
1 dpnwbeat, upbeat に関しては強拍、弱拍という訳語が定着しているが、 首をすくめる、あるいは足を打ち鳴らすな
どして強拍を下向きにとる人が非常に多い。(首を前後に振ってリズムの調子をとるようにしてみるとき、一拍目と三
拍目で首を前に振る人は下向きである。)しかし、本来の舞踏のステップを考えると、足を強く踏む拍はジャンプの
拍なのであって、体はむしろ上向きに伸び上がるべきである。ヒップホップを踊る人などは、この感覚を “アップ” と
呼んで重視しているが、クラシック音楽でも同様である。ダンスの伝統のない日本では拍の方向性の感覚に乏しい
人が多く、また downbeat を下向きに重くとる人が多い。これはひとつには強拍という訳語の持つ “強” のイメージ
が楽器を叩きつけるような動作と結びついているからではないかと考える。
背後でテンポ、パルス、ビートが構成する音楽的な枠組み、音楽的な性格、時間的な必然性と
いったものをよく感得することが必須である。リズムの性格というのは、その上で決まる。要するに、
リズムというのは音楽表現の源泉なのではなく、逆に、音楽が要請する表出なのである。
リズムを一種の表現手段としてみたときに、当然そこには意味が込められている。バロック音楽に
おいてリズムに関連づけられた情念的な解釈の典型例として次表を掲げる。(実際の音楽が必ず
しもこの表通りの意味を込められているとは限らず、リズムは表現の一要素に過ぎない。決してこ
の表を辞書的に使わないこと。) リズム
情念
演奏方法
シンコペーション
おもねり
強拍と弱半の違いは作る
叫びの音型
復讐
走らず、力強く
速いパッセージの突然の中断
恐怖
フォルテから突然の静寂へ
保続音に対する短い音型の繰 嘆き
り返し
ゆっくりと
保続音と符点付リズムの組み合 深刻、感傷
わせ
長い音符と短く速い音符の組 威厳、崇高
み合わせ
太く和声づけされた長い音符 真剣さ
だけで構成されるコラールのよ
うな音型
響きの豊かさを保つ
短く速い音符
素早いボーイングで
楽しさ
長い音符と官能的な休符の組 愛情、親愛
み合わせ
穏和に静かに
遅いテンポでの付点つきリズム 大胆さ、偉大さ 走らないように注意し、付点
のリズムは強調して寄せて
もよい
速いテンポでの付点つきリズム 快活さ
付点は鋭く短く
遅い歩み
憂鬱
足を引きずるように
規則的なアクセント
勇気、決意
幽玄な歩み
崇高
正確な歩み。短すぎず、し
かしよく区別して
スキップするような速い音符
希望と喜び
軽く短く
こういったテンポ感は、舞曲の性格との結びつきを強く持っているので、舞曲の項も参照のこと。
また、リズムの細かい要素に関しては、長い伝統を持つ詩作の知識の援用がある。古代ギリシャ語
やラテン語では、母音の長さに長短の区別があったため、詩のリズム(詩脚)には母音の長短に応
じた様々なタイプが考えられる。
二脚詩 (dimetres)
詩脚
名称
++
phrrhus, dibrach
+―
iamb
―+
trochee, choree
――
spondee
三脚詩 (trimetres)
+++
tribrach
―++
dactyl
+―+
amphibrach
++―
anapest, antidactyl
+――
bacchius
――+
antibacchius
―+―
cretic, amphimacer
―――
molossus
四脚詩 (tetrametres)
++++
tetrabrach, proceleus matic
―+++
primus paeon
+―++
secundus paeon
++―+
tertius paeon
+++―
quartus paeon
――++
major ionic, double trochee
++――
minor ionic, double iamb
―+―+
ditrochee
+―+―
diiamb, diamb
―++―
choriamb
+――+
antispast
+―――
first epitrite
―+――
second epitrite
――+―
third epitrite
―――+
fourth epitrite
――――
dispondee
五脚詩 (pentaetres)
詩脚
名称
+ ― ―+ ―
dochmius
―++―x
adonic
七脚詩 (trimetres)
―++―++―
xx―++――
hemiepes
pherecratic
八脚詩 (tetrametres)
+―+―+―+―
iambic tetraneter
―++―++――
hemiepes
― + + + + ― + ― glyconic
x x ― + + ― + ― glyconic
x x ― ― + + + ― glyconic
次に示すのは二脚英語詩の例である。英語詩の場合は、以下の五種類でほぼ網羅される。
(1) iambic ( + ― ) :
That time of year thou mayst in me behold.
(2) trochaic ( ― + ) :
Tell me not in mournful numbers.
(3) spondaic ( ― ― ) :
Break, break, break. On thy cold gray stones, O Sea!
(4) anapestic ( + + ― ) :
And the sound of a voice that is still.
(5) dactylic ( ― + + ) :
This is the forest primeval, the murmuering pines and the hemlock.
シェークスピアに一番多いのは、iambic な五脚詩であって、劇中のセリフでもこのリズムにはまっ
ているものが多い。(貴族階級のセリフは脚韻を持ち、身分の低い者の発言は散文調であることが
多いのもシェークスピアの特徴である。) 次のセリフは『ロミオとジュリエット』からであるが、見事に
五脚の iamb となっている。
But, soft / what light / through yon- / -der win- / -dow breaks?
こうした詩脚のリズムは、古くからよく研究され、分類されてきたものであるが、音楽にそのまま用
いるのは危険な面もある。英語、フランス語、ドイツ語ではそれぞれ口にしやすい脚韻が異なるし、
古代ギリシャやローマ時代の理屈をそのまま各国語に同じようには適用できないのである。
さらには、音楽と詩とでは、同じ言語話者にとっても、好みが変わってくる場合がある。例えば、
英語詩を口にする場合には、 ( + ―) の iamb は逆の trochee ( ― + ) よりも容易である。最初にス
トレス・アクセントを置くよりも、軽い発音をした後でストレス・アクセントを置く方が、口が疲れないか
らである。
音楽のリズムでは、逆に長い音符を弾き、しかる後に短い音符を弾く方が、その逆よりも楽である 。
短い音には高い密度のエネルギーが必要だからである。Johann Joseph Fux は対位法の有名な教
科書 “Gradus ad Parnassum” の中で、第五種・華麗対位法の音譜分割について、 ( ― + + ) のリ
ズムは良いが、 ( + + ―) は許容できないと述べている。この理由は、前者の方が滑らかに演奏が
可能であり、後者は余剰なエネルギーにより、滑らかさが損なわれるからであると考えられる。
こうしたエネルギー感というのは、音楽におけるリズムと、各国語における詩脚とでは、一致しな
い場合が多い。その意味では、詩学の成果はそのまま音楽に援用できないのである。しかし、バ
ロック期の作曲家たちは前項に掲げたような詩脚の分類には通じていたし、韻文と散文の違い、
韻文を書くといった感覚を、現代人に比べて遥かに強く持っていた。もちろん純粋な器楽曲では
なく、声楽曲の場合には、歌詞にともなって脚韻を踏ませるのに、こうした詩学の知識が大前提と
なっていたのである。
各国語によってリズム感が異なるという問題は、バロック期にオペラが始まり、各国で歌劇が盛ん
になるにつれ、相応しい言語はイタリア語か否かという議論が 18 世紀末まで続いたことからも、か
なり根が深いことが窺い知れる2。
声楽曲ではなくとも「語る音楽」としての性格の強かったバロック期の器楽曲でも事情は同じであ
る。社会思想家ルソーは、自らがフランス語話者であるにも関わらず、アクセントを持たないフラン
ス語は音楽には向かないと断言して大きな議論を巻き起こした。ルソーによれば、激怒や嫉妬と
いった激しい感情を表現するシーンでは音楽のアクセントと歌詞のアクセントが合っていなければ
ならないが、そもそもアクセントを持たないフランス語はこうした場面の言語的な描写には適さず、
フランス語に適するのはもっと穏やかで平明な描写だとして、こうした考えに基づいてルソーはメロ
ドラマという新しいジャンルを提案するに到ったのである。
ルソーは、他にも、当時のフランスでリュリの後継者として「王室音楽家」の肩書きを持ち、権勢を
振るっていた和声学の大家ラモーとビュフォン論争と呼ばれる論争を巻き起こしている。ラモーは、
リュリの悲歌劇アルミードから<アルミードのモノローグ>を転調や和声進行の素晴らしい例として
自著の中に引用していたが、ルソーはまったく同じその曲の転調や和声進行が、曲想や劇中人
物の感情とまったく乖離し、単に教科書的なルールに従っているだけだとして攻撃したのであった。
ここにも、「言葉と音楽との一致」ということが論争の根拠になっていることがわかる3。
2 有名なのは、1750 年代に起こったグルック=ピッチンノ論争である。フランス語を擁護するグルックと、オペラに合
うのはイタリア語しかないとするピッチンノの間で起こった論争である。
3 ラモーは最初に機能和声の考えに進んだ和声学者であり、その点でも、旋律を和声進行より上位に考えるルソー
とはそりが合わなかった。ルソーの立場は伝統的なバロック音楽の表現方法、ラモーの方が時代を 100 年ほど先
取りして後期ロマン派の考え方に近いと言える。(そのことは必ずしもラモーの方が先進的であるという意味ではな
い。)