「全国空襲都市ネット」 総務省「一般戦災ホームページ」の充実に向けて 前大戦において、多くの市町村で機銃掃射を含む空襲や艦砲射撃で被害を受 け、沖縄では地上戦などよって多数の犠牲者を出しました。空襲都市には、 「記 録する会」 「語り継ぐ会」 「遺族会」、資料館、図書館などがあります。それぞれ にホームページがあり、関係する個人ブログがあります。これらの目的には、 当時の悲惨な人的・物的被害状況を記録するとともに、追悼の意義も含めて、 公的に死者数を把握する作業が含まれると思います。 毎年 8 月 15 日の終戦記念日に、軍人軍属の死者 230 万人、民間死者 80 万人 (内 50 万人が国内、30 万人が海外)、計 310 万人という死者数が報道されます。 軍人軍属は、厚生省で把握し靖国神社に名簿が送られているようです(遺骨は 別として)。 一方、民間人死者の 80 万人は、総務省は何かを根拠として把握したのでしょ う。戦時中に空襲を受けた市区町村は、ある基準に沿って死者数や負傷者、財 的被害を調査していると考えられます。混乱する状況下で調査が困難であった としても、戦後において公的調査をするのは自治体としての重要な役目。戦中 は「戦時災害保護法」があり、執行されていたのです。 終戦当時、日本国家は混迷状態で、占領下 GHQ の支配下にあって、新憲法 (1946/11/3) が発行してもなお、戦争被害に関わる情報と政策(国民の人権) は制限されました。政治や社会はアメリカナイズされ、その風土は独立(1952) 後の今も続いています。 前大戦で日本が勝ったとしても、又は他国間の戦争に巻き込まれた結果で犠 牲者がでたとしても、被害調査は行うべき役目があるでしょう。そして対象国 に賠償を求めることができない状況にあれば、わが国民、すなわち国会と行政 は、日本国憲法の下、被害を受けた人たちを救済・援護をするのが当然です。 戦後の地震、台風など自然災害による被災者の損害に対して、憲法の定める 最低限の生活を保障するために、「災害救助法」(昭和 22 年)、災害対策基本法 (昭和 36 年)、「災害弔慰金法」(昭和 48 年)、「被災者生活再建支援法」(平成 10 年)、などが制定されています。これら救済・援護法を執行するに当たって は、詳細な被害調査がお行われていることでしょう。 ▼ 総務省の『一般戦災ホームページ』の中に、「国内各都市の戦災の状況」と いうページがあります。 「先の大戦において被害を受けた各都市の戦災の状況を ご確認いただけます。」とあり、全国の 93 市区の軍・民を含む戦災状況を紹介 しています。しかし被害都市の一部で、その被害状況記事は画一的、平淡に感 1/3 じます。最大の欠陥は、全国死者数の統計をとることを考慮していないという ことです。 その他に、全国各地 180 余の追悼施設と追悼式などを紹介しています。 今後、掲載内容を追加していく予定なのかも知れませんが、総務省の外注業 者は被害都市の調査記録から取材していると思われます。人的にも物理的にも 限界があります。 ▼ やはり戦争被害調査は、自治体の各被害市区町村が自ら主体になって調査・ 整理し、独自の記録を作成、ホームページに公開するのが適切ではないか。 調査で作成された「空襲等死者名簿」あるいは遺族が了解する死者の「名簿」 を公開するかしないかは、その市区町村によるが、実際の男女別・年齢別死者 数は公開するのがよいでしょう(全国の市区町村数は、1920 年当時は 2,000 以 上)。 そして総務省の「一般戦災ホームページ」は、各市区町村のホームページに リンクすることがベターでしょう。死者数・負傷者数は、市区町村ホームペー ジから転記して集計・更新、全国に公表する。 ▼ 東京大空襲・資料センターの山辺昌彦さんが、「本土空襲地域別死者数諸調 査」(『決定版 東京空襲写真集』東京大空襲・資料センター)を作成し、11 の 資料について全国市区町村(831)ごとの死者数を載せています。 上記諸調査で挙げられている諸表の下表合計死者数は、それぞれに大きな違 いがあることを提示しています。しかし、全国的な調査では原爆を除く一般空 襲の民間人の死者数は約 20 万で、数万人の違いはあって大きな違いはありませ ん。一般に報道されている総務省の、民間人 80 万人(国内 50 万人、海外 30 万人)という数字の根拠は、国内は原爆の死者約 20 万人、一般空襲の死者約 20 万人、沖縄戦の死者約 10 万人と思われます。 第 1 復員省(1945)「大東亜戦争戦災害状況概見図」 238,475 5,026 同上復員省第 2 次調査(1946) アメリカ戦略爆撃調査団報告(1947) 266,452 経済安定本部(1949)「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」 277,471 戦災都市連盟(1956)「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」 510,539 戦災都市(1959)建設省編『戦災復興史』 330,665 非戦災都市(1959) ―― 同上 ―― 6,073 戦災遺族会報告書(1977) 日本戦災遺族会「全国戦災都市別被害状況表」 186,446 日本の空襲(1981)三省堂刊『日本の空襲』の「全国都市の被災一覧」 455,711 東京新聞(1994)東京新聞日曜版 557,848 地域史 413,058 各地域史等に載る資料から軍人軍属を除く民間死者 (原爆死を含む) 2/3 ▼ ホームページ「全国空襲都市ネット」 この中の「空襲被災都市死者数」のページには、 「空襲統計資料」の「本土空 襲地域別死者数諸調査」表における地域史の欄から、831 市区町村の死者数を 転記しています。 その右側に、総務省「一般戦災ホームページ」の国内 93 都市の戦災の状況の 文章に現れた死者数を並記し、比較しています。 この表で、皆様の属する自治体の地域史に記されている死者数をチェックし、 出来るだけ自治体として公表できる死者数に変え、総務省「一般戦災ホームペ ージ」の死者数との違いを総務省に連絡・修正をお願いする作業を提案します。 同時に、 「一般戦災ホームページ」で皆様の属する市区町村の「戦災状況」を チェックし、更新をお願いする。状況未記入の市区町村の皆様は、該当自治体 と共に状況を調査・作成し、総務省「一般戦災ホームページ」に追加を申請す ること。 「空襲被災都市死者数」には、軍人軍属の欄を設けています。本来、軍・民 は同じ国民で人権と命の重さに変りはありません。死者は出身市区町村で把握 し、記録にとどめるのが筋でしょう。この問題はいずれ日本遺族会との関係で 協議などする必要があります。このホームページの目的は、 「空襲被災都市死者 数」を完成させることよりも、総務省の「一般戦災ホームページ」の充実への 要望の手段と位置づけましょう。 戦後 70 年の節目を、全国の「記録する会」等が、前記趣旨に基づき、空襲等 死者数の調査について、総務省との協同へ向けて再出発する年と位置付け、今 後、フェイスブックを通して、皆様の相互協力への発展を期待します。 東京空襲犠牲者遺族会 3/3 西沢 俊次
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