名古屋市民コーラス ヴォーン イギリス音楽研究会 ウィリアムズ作曲 Dona Nobis Pacem の解説だよ 対訳と一緒に読みながら演奏 CD を聴いてみてね。 曲の流れがよくわかるよ。太鼓とソプラノソロの “Dona nobis pacem”に注目! この曲は 1936 年 64 歳の時に作曲、同年10月2日に初演された。ハダーズフィールド合唱協会 100 周年のために委嘱された作品である。 第二次世界大戦への人々の恐怖が増す中、自身の第一次世界大戦の悲惨な体験から戦争に言 及することによって、人類への警告と平和への願いをこめて作りあげた。我々に”戦争は必ず悲惨さと損 失をもたらす”ことを思い出させてくれる。 ただし、4曲目の“Dirge For Two Veterans”(二人の戦士のための挽歌)は、すでに第一次世 界大戦前の 1914 年に作曲されていたが、出版されることも演奏されることもなかった。ちなみに親友の ホルストも、1914 年にこの詩に曲をつけている。19 世紀の終り頃イギリスの作曲家達は、アメリカの詩 人ホイットマンの詩に魅了されていた。ケンブリッジ大学の学生だったヴォーン ウィリアムズは 1892 年に ホイットマンに紹介されている。 ヴォーン ウィリアムズは音楽家として戦争への恐怖を警告する役割を担うのに何の躊躇もなかった。 この曲は第二次世界大戦へと向かう不安な時代に、何度も演奏された。 この曲の歌詞は、Ⅰ.ミサ典礼文の一部(ラテン語)、Ⅱ〜Ⅳ.ホイットマンによる3つの詩(詩集「草の 葉」〈DrumTaps 軍鼓の響き〉の章より)、Ⅴ.イギリスの政治家ジョン・ブライトによる演説の一部と聖 書からの引用、Ⅵ.聖書からの引用の、6つの章で構成されている。オーケストラ、合唱、ソプラノとバリト ンソロにより、全6章が休むことなく演奏されるが、主題となる“Dona nobis pacem”のフレーズが、い ろいろ形を変えて全体の中にたびたび登場してくる。 Ⅰ.Agnus Dei このラテン語の歌詞はローマカトリック教会のミサにおける最後の楽章に由来する。 ソプラノソロが最初の短い章で、オーケストラと平和を願う合唱を導くように、“Dona nobis pacem” 「我々に平和を与えたまえ」と嘆願する。しかし、それにもかかわらず最後には、戦争の太鼓がずっ と遠くから聞こえてくる。 Ⅱ.Beat!Beat!Drums! 無慈悲な軍への入隊を呼びかけている詩である(一部割愛)。 南北戦争開戦の頃に北軍を鼓舞する愛国的な詩として作られた この詩は、「教会に集う人々、学者たち、婚礼の2人、農夫、その 他、いろいろな普通の人々の平和な生活」を混乱させ、「ドアや 窓を突き抜けていく」戦争の太鼓やラッパを描写している。人々 を戦争に駆り立て鼓舞するように、打楽器が打ち鳴らされ、ファン ファーレのように金管楽器が響き渡る。そして、次第に戦争の太 鼓が、ひたひたと波が打ち寄せるようなリズムに変わっていく。 南北戦争時代の軍楽隊 Ⅲ.Reconciliation(和解) 同じく〈Drum Taps〉からの詩であるが、Ⅱとは対照的に、美しく、心をしめつけられるような描写 である。戦争と虐殺で亡くなったすべての死者のための、やさしい子守唄のような章である。バリト ンソロが詩の前半部分を導入し、それを合唱が形を変えてくり返す。次にバリトンソロが詩の残りの 部分を続け、合唱が前半の新しい形を展開しながら後に続く。最後にソプラノソロが合唱の上に、 忘れ難いように、高く響き渡るように“Dona nobis pacem”を、形を変えてくり返す。 Ⅳ.Dirge For Two Veterans (二人の戦士のための挽歌) この章は最初 1914 年に作曲され、後にこの曲に組み入れられた。 ここで太鼓が再び現れるが、今度は『戦争のため』ではなく、戦争の結果…つまり『死と埋葬のた め』に打ち鳴らされる。一緒に死んだ父と息子のための葬送行進曲の中にあるのだ。母(月で描 写されている)は、彼らのために新しく掘られた墓へ向かう悲しい葬列の行進を見張っている・・・。 これは人生を断ち切られた父と息子、家族を失った母、それぞれの悲しみを表している。 にもかかわらず、それに続くホイットマンの詩における愛と希望の一節が、ヴォーン ウィリアムズの 曲と合唱の荘厳な展開により、聴くものに高揚感をもたらす。それはまるで第一次大戦の大虐殺 を忘れ難い人々を安心させるかのように。 Ⅴ. バリトンソロで始まる歌詞は、1855 年にイギリスの政治家ジョン・ブライトが、クリミア戦争に反対し て議会で行った演説から引用されている。彼は、旧約聖書の出エジプト記の『過ぎ越し』に関する 有名な一節に言及し、「(戦争の)災いを免れるすべなど無い」と説いた。 次にソプラノソロと合唱が悲痛に“Dona nobis pacem”と歌い、エレミア書からの陰鬱な引用に続く。 “Dan ダン”は北イスラエル北端にある町。バビロニア軍の軍馬の声が近づいてきている事を表す。 ★エレミア書はイスラエルの歴史において、悲劇的な時代、つまりユダ王国がバビロン 捕囚という破局に向かって進んでいた時代に、預言者エレミアが書いたとされる。 Ⅵ. 悲嘆にくれる人々を安心させるかのようにバリトンソロが、「恐れるには及ばない・・・勇気を出し なさい」と歌い、合唱とオーケストラが“Gloria”の短い英訳の曲を含めて、「新しい国、平和な未来」 へのより楽観的な主題を展開し、歓びあふれるコーダとなる。しかし最後にそれは、 ppで歌うソプ ラノソロの“Dona nobis pacem”に導かれ、平和の終わりを告げるかのように合唱が低音のppで加 わり、“Dona nobis pacem”の静かなコーダで終わる。ソプラノソロの声だけが、闇の中の唯一の希 望の光のように、消えずに残る。 ★対訳Ⅵの2行目の former(house)「前の家」は「ソロモンによる神殿」のこと。 神殿は建物そのものというより「神」の存在をあらわしている。latter house「後の家」は、 破壊された後に新しく創られた神殿の意味。 ホイットマン アメリカの詩人 随筆家 ジャーナリスト ヒューマニスト 超越主義から写実主義への過渡期を代表する人物の一人で、しばしば 「自由詩の父」と呼ばれる。 代表作「草の葉」は評価が大きく割れ、その表現から「猥褻」と評されたり、 両(同?)性愛者とよく話題にされる。 〈Drum Taps 軍鼓の響き〉は南北戦争の悲惨な経験をもとに書かれている。 日本には夏目漱石によって紹介された。 Walter Whitman(1819-1892) ジョン・ブライト イギリスの政治家。クエーカー教徒であり、反戦活動家。 反穀物法同盟の代表的人物として知られる。 自由貿易の拡大や選挙権の拡大を目指し、帝国主義に批判的であった。 John Bright(1811-1889) 参考:Wikipedia 他インターネット 日本キリスト教団名古屋中央教会 柳川真太朗伝道師にご助言いただきました。
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