日ごとの糧 校長 阿南 孝也 「主の祈り」は、イエスご自身が教えてくださっ

▼日 ごとの糧 ▼
校長
阿南 孝也
「主の祈り」は、イエスご自身が教えてくださった祈りです(マタイによる福音書6章9∼
13節、ルカによる福音書11章1∼4節)。洛星では、毎週の合同朝礼のはじめに、皆で
心を合わせて唱えています。
私事ですが、主の祈りで「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください」という祈願を
唱える度に、メタボに気をつけるよう医者から警告を受けている大きなお腹を眺めては、
心の痛みを覚えます。
貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンでわたしを
養ってください。
箴言30章8節
「日ごとの糧」とは、文字通り「その日一日分の食べ物」のことです。日ごとの糧と聞いて、
人々はこの箴言の聖句を思い浮かべたことでしょう。イエスの周りには、その日の食べ物
に事欠く人々が集まっていました。食べ物や糧を得る仕事が手に入るか不安の中で、唱
えられていた祈りなのです。
現代社会に目を向けると、世界72億人全員が健康に生活できるだけの穀物が生産さ
れているにも関わらず、8億人が飢餓に苦しんでいると聞きます。飢餓の原因は、貧困や
紛争といった人災が大きいのです。裏を返せば、人の手で改善できるということです。
「日本人1人と発展途上国の4人がいて、パンが5つあった」としましょう。「日本人が4
つを食べて、残った1つを途上国の4人で分けている」のが現状です。資源の分配も同
様です。植民地時代にコーヒーやカカオ等の輸出用作物の生産を押しつけられてきた
歴史を抱えた途上国も少なくありません。土地を持たず、大規模農場で小作として働く労
働者が貧しさから抜け出せずにいます。穀物が投機の対象とされ食料価格の高騰を招
いたことが、食糧不足に拍車をかけました。道路等のインフラ整備が欠かせません。
マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」と言われました。科学
science の語源は「知る」という意味の言葉です。洛星で学ぶ皆さんが、世界の現状に
関心を持ち、広く学ぶことを通して、全ての人々に「日ごとの糧」が与えられる世界実現の
ために働く人となって活躍してくれることを願っています。
この秋、洛星の生徒たちは、一人ひとりが神からいただいた能力を発揮し、協力し合っ
て、素晴らしい文化祭、体育祭を創りあげてくれました。校長として嬉しく、また生徒たち
を誇らしく思っています。前期末考査でも、日ごろ培った力を十分に発揮してくれること
信じています。