【ページ公開⽇:2009年3⽉13⽇】 ・こちらのページに掲載している写真は全てイメージです。現地へ来訪される時期や、当⽇の天候等によって景観は異なります。 ・掲載の事実考証(料⾦、開催期間等含む)については公開⽇時点の情報となりますのでその後、変更されている可能性があります。あらかじめご了承 ください。 福岡⼀の観光名所とも⾔える太宰府天満宮。学問の神様・菅原道真を祀 るこの神社には、年間650万⼈を超える参拝客が訪れる。⽂武両道に秀 でていた菅原道真は、時の天皇の信頼を得て55歳で右⼤⾂を命ぜられ るなど異例の出世をする。 だがその後の901年、左⼤⾂・藤原時平にあらぬ噂を流され、太宰府の 地に左遷された。異例の出世を周囲に妬まれたことが原因と⾔われてい る。都を離れ、太宰府の南館の⼀室で謹慎の⾝となった道真は、その寂 しさをこのように詠んでいる。 太宰府天満宮へと続く⽯畳の参道を進んでいくと、ずらりと並ぶ⼟産物 屋の店先から、⽢い⾹りが漂ってくる。⽶粉ともち⽶粉で作った⽣地の 中に⼩⾖の餡が⼊った名物・梅ケ枝餅(うめがえもち)だ。餅の中央に 梅の紋が⼊っているものが本物とのこと。 梅ヶ枝餅の発祥には諸説あり、浄妙尼という⽼⼥が不遇な道真公に献上 した、あるいは道真公の棺に梅の枝をさしてお供えした餅といった伝説 が残っている。いずれにしても道真とのゆかりの深い焼餅で、1100年 以上の歴史を持つと⾔われる。 参道を登りつめた曲り⾓にある『神⽜』の像は、いつも⼈だかりでにぎ わっている。⾃分と⽜像の同じ部分を互いに撫でると病気が全快すると ⾔われている。道真と⽜は関わりが深い。道真の死後、亡骸を乗せた⽜ ⾞を引く⽜が、突然伏して動かなくなった。「道真公の御⼼である」と ⾨弟たちは、その地に亡骸を葬った。それから2年後、墓所の上に建⽴ されたのが太宰府天満宮の本殿である。 朱塗りされ堂々とした姿を⾒せる楼⾨(⼤正3年に再建)の向 こうに、太宰府天満宮本殿が姿を現す。1100年の歴史を持つ この社には、逝去後、無実が判明して罪が解かれ神の位となっ た道真の亡骸が埋葬されているという。現在の本殿は1591年 に再建されたもので、国の重要⽂化財に指定された。 楼⾨をくぐって太宰府天満宮本殿に対⾯すると、重厚かつ華麗 な佇まいに圧倒される。五間社流造り、檜⽪葺きなど、桃⼭時 代の様式を持つ本殿の右には、神⽊『⾶梅』がある。この梅の ⽊には、京を離れるときに道真が詠んだ歌を聞いて、⼀夜のう ちに都から⾶んできたという伝説を持つ。道真の想いがそうさ せるのか、今も境内に約6000本ある梅の中で、まっ先に花開 くという。 天満宮参拝の帰路では、九州でただひとつの枯⼭⽔の庭がある『光明禅 寺』に⽴ち寄りたい。天満宮から徒歩3分、参道に交差した路地に⼊る と、喧騒が静まり、瀟洒な寺が現れる。寺の⾨をくぐるとさらに深い静 寂が⾝を包む。畳敷の⼤広間にあがり、庭に⽬をやれば、緑深い苔を陸 に、⽩砂を海に⾒⽴てた枯⼭⽔が広がっている。 ⾮業の死を遂げた菅原道真。しかし、その魂を祀る太宰府天満宮の本殿 で⼿を合わせると、不思議と⼼が静けさに満たされる。それはきっと、 この地が、誰を恨むこともなく、穏やかに過ごしたいと願った道真公の 祈りに満たされているからではないだろうか。 (取材協⼒:太宰府天満宮)
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