「名峰」紹介シリーズ第 7 弾・・『甲斐駒ケ岳と仙丈岳』 甲 峡 ニ 連 綿 ト シ

「名峰」紹介シリーズ第 7 弾・・
『甲斐駒ケ岳と仙丈岳』2015 年 8 月 31 日掲載
「
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二
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碧
芙
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月
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ヘ
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雲
間
独
リ
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ズ
鉄
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峰
甲
峡
ニ
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綿
ト
シ
テ
丘
壑
重
ナ
ル
これは、深田久弥『日本百名山』の77甲斐駒ケ岳(二九九六米)の最後に書かれているもの
である。
「鉄驪ノ峰」とは甲斐駒ケ岳であり、甲州側から詠じたもので、信州側から詠じたならば碧芙
蓉でなく白芙蓉ということになろうかと深田久弥はコメントしている。
筆者は 50 歳記念登山と銘打って 1995 年 8 月 11 日~13 日単独で甲斐駒ヶ岳と仙丈岳を登った。
その拙い山日記の一部を紹介する。
北アルプスの登山歴に較べると、私の南アルプスのそれは極端に少ない。鳳凰三山と白峰三山
の2回しかない。そのいずれも20歳代であり、以降無い。
今年50歳になってしまい、白山に登るのか迷っている時、急に南アルプスに登りたくなった。
当初計画していた夜行列車の行程を朝一番の特急列車に変更した。実は、当初計画だと初日か
ら午後3時半ころ、山小屋(6合目)に着く強行軍が予想され、無理しないようにした。
天気は 7 月23日から連日真夏日が続いており、山行も最終日、霧模様以外恵まれた。自然環
境破壊が心配されて作られたスーパー林道を村営リムジンバスに揺られて2030M 標高の北沢
峠に到着した。
山小屋は予約不要という頭があったが、現在は通用しないようで、シーズン中や人気ある山で
は、簡単に2食付にはありつけないのである。
北沢峠長衛小屋の親爺さんに頼み込み何とか一泊二食プラス翌日の昼食分を確保して眠りに
ついた。
翌朝、誰よりも早く3時に起床し、3時40分に出発。ヘッドランプを灯りを頼りに仙水峠へ
向かった。途中の仙水小屋に泊まった人たちは後で分かったことだが、当日一畳に3人寝させら
れたほど混んでいて3時半に皆起こされたそうである。
早朝の元気さをフルに利用して急登をこなし、漸く御来光を拝める仙水峠に着いた。遠くに黒
い地蔵岳のオリベスクが眺めることが出来、多少の雲海が太陽の素晴らしさを演出しているのを
感じる。登ってきた方を振り返れば、月が浮かび、明日登る仙丈岳が聳えている。
再び樹林帯の急登を息苦しく喘ぎながら耐え、ハイマツ帯に辿り着く。また登山道のハイマツ
の間にシャクナゲの白い花が、苦しさを和らげるように咲いている。駒津峰に登りついた後、甲
斐駒の広大な胸に取り付き、花崗岩の白砂を踏みしめながら駒ケ岳への最後の急登に取り付いた。
深田久弥は、日本百名山の中で、更に日本の十名山を選べと言われたら、この甲斐駒ケ岳を落
とさないだろうと書いている。花崗岩の白砂を敷き詰めた頂上の美しさを推している。確かに鳳
凰山の登山道の白さを思い出したが、富士山の黒さを逆に思い返してしまった。
甲斐駒ケ岳を讃えた古い漢詩、僧海量作の「駒ケ岳ヲ望ム」を掲げる。
・・・最初の方に掲載したのでここでは略す・・・
山頂にて仙丈岳、遠くは中央アルプスの峰々を眺めて、スケッチブックに水彩画を描いた。
駒ケ岳から駒津峰への直降下の岩場をかなり緊張しながら下った。結構きついものである。ま
た、実に多くの中年の女性方のグループに出逢い道を譲るのに辟易した。最近は高山植物を求め
てのツアーを組むそうであり、私も驚いてしまった。
お昼ころ、二日目の宿の長衛荘に着いた。長谷村の村営山小屋だそうで、前日予約した馬ノ背
ヒュッテの素泊を解約して、この小屋に泊まることにした。手伝いに来ている若者とかなり話し
込んでしまった。
翌日は、やはり3時に起きて、仙丈岳を、空身でピストン登山した。数多くの高山植物と出逢
った。雷鳥にも巡り逢ったが、カメラのフイルムが既になく、私の脳裏に焼き付けた。
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それから15年経過した2011年にははや66歳になったのに、過酷なルートと言われてい
る黒戸尾根から何と登山したのである。
YWVOB 会 HP に一度は日本語版を掲載しているが、英語版も併せて再掲してみよう。
『66歳老ワンダラーの黒戸尾根経由甲斐駒ケ岳と仙丈岳への挑戦記録:日本語版』
『66歳老ワンダラーの黒戸尾根経由甲斐駒ヶ岳と仙丈岳への挑戦記録:英語版』
完