A 飛鳥発祥シリーズ A-1 国名「日本」の起源 飛鳥が「日本」という国名発祥の地であることご存知ですか? * 飛鳥時代以前はなぜ「倭」とよばれていたとわかるの? 我国が「倭(わ)」と呼ばれていたのは中国が名付けたもので最も古い史料は中国史書 「漢書」に「楽浪海中に倭人あり」と記されていることと我国の史料で漢の皇帝より下賜 されたとされている金印「漢倭奴国王(かんのなのぬのこくおう)」(国宝)が九州の志賀 島で発見されていることです。 その後邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)が中国・魏に朝貢し(239 年)、答礼の使者が我国にやってきた紀行文が「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にあり、「親 魏倭王(しんぎわおう)」の金印を授けたと記されているがこの金印は発見されていない。 更に 5 世紀には倭の五王(賛、珍、済、興、武)が中国・宋に朝貢して官位を貰っていた ことが「宋書」にあることからも我国が「倭」と呼ばれていたのは事実で、中世まで中国は 自国が世界の中心であり四周の国は全て属国視していた(中華思想という)ことと関係が あります。 「中国」とは世界の真ん中にあり道徳・価値の基準になる国という意味で、こ の呼び名はとても新しく、この地域を最初に統一したのは「秦」でそれ以降王朝名で呼ば れているが国名ではない。その王朝名がシルクロード経由でローマに伝わり、訛ってヒイ ナとかシノワと呼ばれ、英語でチャイナとなっていますが語源は「秦(しん)」です。 *いつ頃「日本」と呼ばれるようになったの? 現在文献史料から「日本」という国号が使われ始めたのは飛鳥に都があった飛鳥時代で あることが通説となっており、これが飛鳥を「日本のふるさと」とする由縁でもあり歴史 的事実です。 戦前は神武天皇即位(紀元前 660 年)以来「倭(やまと)」=「日本(やまと)」(大和朝廷) とされてきましたが、これは天皇を絶対視する歴史観である「皇国史観」によるもので戦 -1- 後否定されました。 しかし飛鳥時代でも推古朝(7C初)から文武朝(8C初)までの六説があり、江戸時代以 来歴史学者により論争されてきましたが、現在では七世紀後半の天武・持統朝で国号「日本」 が使われ始めたとする説が有力です。但しこの時期は白村江(しらすきのえ)の敗戦後遺 症で中国・唐との交流(遣唐使)は休止中の為「日本」国号が国際的に公認されるには大宝(た いほう)の遣唐使(702 年)・粟田真人(あわたのまひと)を派遣するまで待たねば成らなか ったが、新羅との交流や国内では使用していたと考えられています。 *なぜ「倭」から「日本」に国名を変更したの? 我国の史料に明記されたものは無いが外国史料にその理由が記されており、我国は日出 ずる国「日の本」と自称したとする説、「倭(わ)」の名は雅(うるは)しくないので嫌って「日 本」と改称したとする説があり、更には新・旧「唐書」に「日本国」と「倭国」は別の国だったが 全国統一した結果として「日本」国号に改称したとしている。これは皇国史観からすればと んでもない話で我国の建国の根幹に触れる問題であり、戦前まではタブー視されてきたが 戦後はこのタブーも解禁され天皇制を含めて言論の自由となった結果として使用開始時期 とからめて諸説が提案されています。 諸説の中で天武・持統朝発祥説の根拠にもなっているが「壬申の乱」(672 年)で独裁権 を手中に収めた天武天皇は現人神(あらひとがみ)となり、従来の大豪族による合議体制 を解体して天皇専制統一国家という新しい国造りをめざしたことが新国号「日本」への改 称理由として有力です。 *漢字の「倭」や「日本」はどう読まれていたの? 当時の漢字の読みは国内では和訓(わくん)を使用していたので「日本」はヤマトと読ま れており「倭」も同じくヤマトで同じ発音のため国号変更の意識はあまり無かったが、「日 本」は漢音ではジッポン、呉音ではニホン、ニッポンと読まれたため外国人にとっては「倭 (わ)」から「日本(じっぽん)」への国名変更は重大事件と考えた。これは中国では王朝の交 替で必ず自らを王朝名で呼び変更したことに依るものです。 ちなみに中国・元の時代(13C)にマルコポーロが我国を「ジパング」として世界に紹介 したのは漢音「ジッポン」の中国人の発音を欧州語化したものです。 720 年に編集された日本紀(日本書紀)は「ヤマトノフミ」が正式呼称ですが日本国を外国 に紹介する目的があり漢字で記されています。 「ヤマト」の漢字には「倭」・「東」が使用され,「日本」の使用は朝鮮半島関連記事が最多の 37 例あり註の引用等を含めて 54 例でほとんど外国関連記事で、万葉集でも「倭」・「日本」 を使用していますが、「大和」は全く使用されず 752 年の「続日本紀」で初めて奈良県に限定 して使用されていることから「大和朝廷」という言葉は飛鳥時代には無かったことになり ます。 -2- <註> 楽浪:漢の時代(紀元前 108 年)現在の北朝鮮の首都・平壌付近に植民地・楽浪郡を設置 した 白村江の戦:663 年百済国復興のため半島に出兵したが唐・新羅軍に大敗し唐軍の進 駐を受けた 粟田真人:春日臣の一族で同族に小野妹子や柿本人麻呂がいる 外国資料:半島史料「三国史記」,「三国遺事」等、中国史料「通典」、「唐会要」等 壬申の乱:天智の歿後、天武が挙兵し後継者・大友皇子(弘文)を倒し新政権を確立した -3-
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