大都市近郊酒造メーカーのビジネスモデル

大都市近郊酒造メーカーのビジネスモデル
橋本行史・西野宏太郎(関西大学大学院ガバナンス研究科)
Keyword:酒造メーカー、大都市近郊立地、ビジネスモデル
【問題・目的・背景】
は、資本力に限界のある後者の中小酒造メーカーに対象
古い伝統的な酒造りを復活させることは、近代化が進
を絞って研究する。
む社会において神秘的イメージを持ち、また失われた味
各地の酒造メーカーはその置かれた地域特性によって
や香りの復活への興味もあってロマンを誘う。地方では
採るべき戦略が異なってくる。ここでは、多様な条件を
古い酒蔵を地域おこし拠点として利用する例も少なくな
持つ中小酒造メーカーの中から、一定の共通する環境を
い。ただ、酒蔵を過去の遺産でなく、生活や生業と結び
有する大都市近郊立地、特にその代表事例として大阪府
ついた場とすることで、雇用確保の場や観光拠点として
下の酒造メーカーを調査対象として選び、どのような戦
の魅力も高まる。
略が有効かについて考察する。その上で、最近の環境変
食生活の変化によるビールやワインなどへの嗜好の変
化を前提として新たなビジネスモデルを提唱し、その成
化、飲酒機会の減少、人口減少等による長期間に亘る日
否を公表データの分析と酒造メーカーへのヒアリングに
本酒(酒税法上の正式名称は清酒)の消費量の減少から、
よって検証する。
酒造メーカーは何処も苦しい経営環境に置かれ、廃業が
【大阪の酒】
続いている。
そもそも大阪の酒とはなにか。天野酒、交野の酒、
日本酒の製成量(アルコール分 20 度換算)は、昭和 48
池田の酒、泉大津の酒など、大阪には独自の歴史を持つ
(1973)年に 1,421 千 Kl のピークを迎えるが、以後、複
酒がある。これらの歴史上の酒と現在残る酒造メーカー
合要因によってその製成量は一貫として減少、数字に多
の酒との間には断絶があるが、大阪にもかつて多くの酒
少の浮き沈みはあるものの平成 25(2013)年には最盛期
造メーカーがあった。
の3分の1以下の 444 千 KL(国税庁資料)にまで減少し
江戸時代には、大阪は「天下の台所」とされ、米に不
ている。その要因として、先の要因以外にも、戦後に始
足することはなかったが、幕府が飢饉をみて米の買付け
まった醸造アルコールや糖類、調味料の添加による「三
を制限したため、大阪の酒造りは衰退しはじめる。米を
増酒(三倍増醸造酒)
」の増加による質の低下、大手酒造
確保出来なかった弱小業者は廃業に追い込まれた。
メーカーによる「桶買い」や大量生産体制による味の均
それでも昭和 50 年頃、40 社〜50 社存在した酒蔵も、
一化によるコアな愛好家の育成の失敗など、多様な分析
現在、大阪府酒造組合の加盟社は 17 社、実際に日本酒造
がなされている。
りを行っているとして国税庁調査に答えた会社は13 社と、
減少している。2013 年現在の製造能力は 787kl で、全国
酒造メーカーが置かれた環境は、事業規模、立地場所、
販売市場の違い等によって一様ではないが、市場規模の
の 0.18%、近畿でも 0.36%しか占めていない。残存する
縮小が続く以上、従来からの経営を続けるだけでなく、
蔵の全てが、機械的整備を要する三季蔵・四季蔵でなく、
生き残りのために、原料調達、生産加工、流通販売の何
冬期蔵のみということから、製法からも、事業規模の小
処かの部分を工夫して、ビジネスモデルの再構築が求め
規模性が明らかになる(国税庁 HP「平成 25 酒造製造年度
られている。
における清酒の製造状況等について」
)
。
【研究方法・研究内容】
その稼働率(現有製造能力に対する製成数量の割合)
は 44.9%。大手酒造メーカーが存在する京都の 91.9%、
日本酒メーカーは、高級酒から大衆酒まで日本酒をフ
ルラインで揃える灘、伏見に代表される大手酒造メーカ
兵庫の 74.7%に比較して、大阪の 44.9%は全国平均の
ーと、製造設備の関係から日本酒の品揃えに限界がある
53.0%よりも低く、経営の難しさを表している。
「桶売り」
中小酒造メーカーに大きく2つに分類できる。本研究で
が行われていないところから、大手の傘下に入らず独自
1
の文化、伝統を守ってきた誇りが読み取れる。13 社のう
伴って、国内の観光先の一つとして、古い酒蔵や建物、
ち、
9 社が小売り・卸兼用で、
小売りのみが3社存在する。
伝統的な酒造りに関心が高まり、酒蔵ツーリズムが人気
この傾向自体は一般的で格別な特徴は見いだせない。
を呼んでいる。古い酒蔵を舞台にした酒造りの説明会や
【日本酒を巡る環境変化】
その蔵で製造された日本酒の試飲も多くの人を集めてい
日本酒の消費量の長期低迷のなかで、明るい話題も生
る。
まれている。日本酒の消費全体は縮小傾向にあるが、良
【関連する環境変化】
質の酒の代名詞である特定名称酒の消費量は増えている。
最近の動きとして、アジア各国の所得向上と観光立国
海外では日本食ブームがおこり、それに合わせて日本酒
を掲げた政府キャンペーンが奏功して、インバウンドの
の輸出量も増加している。また、日本でも伝統的な酒造
訪日外国人観光客数が飛躍的な伸びをみせ、その消費に
りが文化として見直され、古い酒蔵見学が人気を呼んで
期待が集まっている。急増するインバウンドの外国人観
いる。以下、詳細に見てみよう。
光客数は、日本文化への関心の高さを示すとともに、消
近年に至り、日本酒の製成量が横這いないし微増の傾
費者、購入者としての比重を次第に高めている。
向を示している。1994年日本酒の製成量は1,000千klの大
年度別訪日外国人旅客数、出国日本人数の推移(単位:万人)
台を割り込み、2008年488千kl、2009年469千kl、2010年
年度
アウトバウンド
インバウンド
447千kl、2011年440千kl、2012年439千klと数値を下げて
2009
1,545
679
きたが、2013年には444千klとやや盛り返している。
2010
1,664
861
2011
1,699
622
この現象を日本酒全体の復活として位置付けることは困
2012
1,849
836
難であるが、大衆酒の市場が依然として減少を続けるな
2013
1,747
1,036
かで、良質な酒の代名詞である特定名称酒の良さが評価
2014
1,690
1,341
その一因に、特定名称酒の製成量の伸びが上げられる。
され、人気が定着し始めたということはできよう。
出所:政府観光局
特定名称の清酒のタイプ別製成数量の内訳(単位:Kl)
人口減少時代に入った日本社会にあって、日本人によ
平15
平20
平23
平24
平25
る日本酒の消費減少が避けられないとしても、増え続け
吟醸酒
31,428
22,836
20,311
22,053
23,105
る外国人観光客を相手に、日本酒の消費増が期待できる
純米酒
52,014
54,062
51,993
52,757
56,089
そんな環境が生まれている。
純米吟醸酒
31,267
31,552
31,582
35,640
40,101
【新たなビジネスモデルの提案】
本醸造酒
84,634
57,659
49,266
50,771
48,328
日本人にも人気が高まってきた古い酒蔵や建物、伝統
199,343
166,109
153,152
161,221
167,623
的な酒造りが残されている中小の酒造メーカーを、日本
594,826
492,781
450,909
448,581
452,353
文化を象徴する観光拠点と位置付けて、お土産品として
計
総製成数量
の日本酒の店売りと飲食の提供をセットにして、外国人
出所:国税庁HP「酒のしおり」、統計:酒造年度7月〜翌6月
次に、海外における日本ブーム、日本食ブームを受け
観光客を呼び込めば、外国人による消費増とともに、そ
て、日本酒の輸出量が増加している。貿易統計によると、
れが話題を呼んで日本人観光客を惹き付け、トータルと
2009 年 11,949kl、2010 年 13,770kl、2011 年 14,022kl、
しての日本酒の消費増が期待できるはずである。
2012 年 14,131kl、2013 年 16,202kl、2014 年 16,316kl と
このような「古い酒蔵と伝統的な酒造り、外国人観光
絶対量は多くないものの、輸出量は順調に伸びている。
客をターゲットとする日本酒の店売りと飲食の提供」を
最近の輸出上位3カ国はアメリカ、韓国、台湾である(国
内容とするビジネスモデルを成功させるためには、外国
税庁 HP「酒のしおり」)。
人観光客の立寄易い立地が求められる。
また、大衆観光(マスツーリズム)から個人・グルー
外国人観光客が日本を廻るゴールデンルートとして、
プ観光(ニューツーリズム)への観光トレンドの変化に
成田空港から入国し、東京、箱根、富士山、京都、大
2
阪を見学して、関西国際空港から帰国するルートと、
級」「一級」「二級」等の級別制度があった時代は、酒
その逆のルートが存在する。大阪府下の酒造メーカー
販店が事実上の販売銘柄選択権を持っていた。しかし、
は、正にこのゴールデンルートに近接しており、その
級別制度が酒の品質に連動していないとして平成2
数パーセントの人数が「ちょっと立ち寄る」だけで、
(1990)年から特定名称酒等の分類体系が導入され、平
大きなビジネスチャンスが生まれる。
成4(1992)年に級別制度が完全に廃止され、価格統制
【一般的な酒造メーカーの戦略】
がなくなり、顧客が銘柄や情報によって選ぶようになる
日本酒の消費低迷を受けて行われた、酒造メーカーの
と、顧客に銘柄選択権が移った。
代表的な取組みを見てみよう。
これによって、従来、酒販店を大事にするだけで経営
(1)商品・市場の多角化:大手酒造メーカー
が成り立っていた酒蔵は、同じ銘柄を継続的に買ってく
財務や設備において優位に立つ大手酒造メーカーは、
れる顧客(リピーター)を確保しなければ経営が成り立
大衆向けのワンカップ酒から、吟醸酒までフルラインア
たなくなった(山野社長によれば「酒蔵は、販売店の顔
ップの品揃えを展開する。また、スパークリングや梅酒、
を見ながら商売していた」)。結果として、中小酒造メ
あるいは化粧品、健康食品などの新製品の開発・販売、
ーカーは、伝統的で良質な酒造りに回帰・収束すること
海外市場への進出等、製品と市場の双方の多角化によっ
になった。
て経営危機の乗り切りを図っている。
(2)銘柄間の競争
(2)M&A:オエノングループ
「日本酒の味や香りの違いは似たり、寄ったり。ワイ
焼酎メーカーを母体とするオエノンは、地方の日本酒
ンなどと違って、良いもの悪いものを巡って、ものすご
メーカー、灘の老舗日本酒メーカー等へのM&Aによって、
い狭い範囲で競争している」(山野社長)。日本酒は、
事業規模の拡大、酒類の多角化を押し進めている。
嗜好品であって生活必需品でない。好まれなければ買っ
(3)ブランド化:獺祭、久保田
てもらえないので、各社とも品質に最大限の配慮をはら
中堅の酒造メーカーである新潟県朝日酒造の久保田、
う。免許制度があって新規参入もない代わりに、急に潰
山口県旭酒造の獺祭は、自社の日本酒のブランド化に成
れることもない。また、同じ瓶を使用し、使用する酵母、
功した例として有名である。久保田は酒販専門店への直
麹も大差がない。酒米や酒米産地の違いが日本酒に与え
送によって希少価値・品切れ状態を創り出し、獺祭は、
る影響もそう大きくない。
社員杜氏による純米吟醸酒造りに特化、輸出にも積極的
そんな同質性が強い日本酒の特質から、
「良質で伝統的
に取組んでいる。
な酒造りへの回帰にも限界があって、マーケティング重
(4)縮小均衡:中小酒造メーカー
視に移行せざるを得ない」
(山野社長)とされる。
(3)流通
中小の酒造メーカーは、消費市場の縮小に合わせて生
産規模を縮小させるとともに、折からの地酒ブームもあ
大手酒造メーカーに対する中小酒造メーカーの最大の
って伝統的な酒造りに回帰している。卸を通じた販売、
弱点は流通にある。日本酒の販売には酒税法に基づく販
自社配送によるなじみの小売店への販売に加えて、店頭
売免許が必要とされるが、酒税の安定徴収と酒販売業者
での小売りやネット販売のほか、居酒屋やそば屋、料理
保護を目的に新規参入は厳格に制限されていた。しかし、
店の経営など、様々な方法で生き残りを模索している。
2001年1月に距離基準、2003年9月に人口基準が廃止され、
【中小酒造メーカーの特質】
酒類の販売が事実上自由化された。
資本力に劣る中小酒造メーカーが大手と同様の方法を
これによって、日本酒の販売は、酒販店から、スーパ
採ることは難しい。中小酒造メーカーが抱える問題を業
ー、量販店、コンビニなどに拡大し、これまで中小の酒
界へのヒアリング(2015.6.29、大阪府酒造組合理事長・
造メーカーを相手にしてきた中小卸も大手に統合されて
山野酒造社長、山野久幸氏)をもとに分析しておこう。
数が激減した。小売免許場の業態別構成比を見れば、1995
(1) 中小酒造メーカーの酒造り
年に、一般酒飯店78.8%、コンビニ11.8%、スーパーマ
昭和15(1940)年に誕生した税率決定の基準となる「特
ーケット4.7%が、2005年に一般酒販店49.3%、コンビニ
3
25.4%、スーパー11.4%、2012年に一般酒販店33.1%、
も販売量が増えて、農家との契約栽培によって酒造好適
コンビニ31.5%、スーパー12.5%と業態別構成比が変化、
米を調達しはじめると、従来の規格では収まらない米を
一般酒販店の数が激減している(国税庁「酒のしおり」
「酒
使用する必要が生じて、創り上げたビジネスモデルが
類販売事業者の概況」
)
。
徐々に変化しつつある(山野社長)。
これらの新しい店舗に商品を卸す大手卸は、例外もあ
【大阪の酒ならではメリット】
るが、大量安定供給の要求が強く、欠品を嫌い、生産能
中小酒造メーカーは、消費減退の影響を強く受け、す
力と在庫能力を酒造メーカーに求める。そのため、中小
べてが生き残ることが困難である。そんな中、「古い酒
酒造メーカーが大手卸に喰い込むことは難しい。
蔵と伝統的な酒造り、外国人観光客をターゲットとする
こうした流通の変化によって、中小酒造メーカーは大
日本酒の店売りと飲食の提供」をビジネスモデルとすれ
きなエリアに入り込む余地がなくなり、地元を中心に小
ば、大都市近郊立地の中小酒造メーカーは生き残れるの
さなエリアで勝負するしかなくなった。そのため、「中
ではないか。
小の酒造メーカーの販売先は、メーカーによる違いはあ
大阪の酒は、近くに観光やグルメスポットが多く、酒
るが、地酒専門店への直販、卸を介在しての百貨店・高
蔵の存在やその価値は見過ごされるか、過小評価される
級スーパーへの販売、地元の酒販店・自社蔵での直売・
傾向にあった。また、地元の稲作農家が少なく、有名な
ネット販売がそれぞれ約3分の1」(山野社長)となっ
酒造好適米の産地でもない。しかし、成熟社会において
ている。結果的に、小売りの強化にしか頼るしか頼るも
東京以外の大都市の位置付けは、経済成長を唯一の目標
のがなくなってきた現実がある。ただ、「大手のレギュ
としたものから、産業と生活が高いレベルで両立するま
ラー製品を飲んできた60歳から70歳代の家飲みが減少し、
ちへと変化しつつある。都市化したとはいえ、伝統製法
その傾向は続くが、地酒=地方の酒蔵が造る酒は経営の
で酒造りを行う酒蔵は、大都市に残された貴重な文化資
浮き沈みはあるもののその消費量は横這いか微増」(山
源であり、シゴトを造り出す産業資源でもある。大阪の
野社長)と見られている。
酒には、大都市近郊立地という要因を逆に活かして、外
(4)ブランド化
国人観光客を中心とする新たな需要を取り込む可能性を
流通の変化に関連して、量販店向けの大量生産か、地
見いだすことができよう。
酒専門店向けの良質少量生産か、中小の酒造メーカーは
【考察・今後の展開】
販売戦略の岐路に立たされている。
個別メーカーの事例分析はこれまでにもなされてきた
酒販店は、これまで大手メーカーの酒を並べてもビジ
が、特定地域の複数の酒造メーカーに調査範囲を広げる
ネスができたが、今やブランド化した商品を並べていな
ことによって、より深い分析と知見を得るものである。
いとやっていけない。さらに地酒専門店のコアなファン
中小酒造メーカーのオーナーはビジネスモデルの再構
は、大手スーパーで同じ商品を売っていると離れていく
築の必要性を認識しつつも必ずしも積極的でない。人材
し、シングルブランドでないと満足しない。その一方で
難、リスク回避、駐車場や進入路の確保という技術的な
先の久保田は、販売量確保を目的に地酒専門店向けの「ま
問題等が理由でもあるが、根底には、消費量の減少に応
ぼろしの酒」からの脱皮を試みている。
じて製造量を減少する、酒蔵から軽トラックで直接酒販
人気の獺祭はいわば特殊例に位置付けられる。獺祭は、
店に届ける、そして、最後は酒蔵に見切りをつけ、不動
一度経営破綻を経験し、事業再生の段階で杜氏、卸・酒
産を活用して商売を始めたらいいという、保守的な企業
販店とも従来の関係を断ち切ってゼロからスタートした。
体質が残されていことも大きな原因となっている。
アル添(安価な醸造アルコールの添加による増量)に批
【引用・参考文献】
判的立場から、純米大吟醸酒のみの生産販売を強調する
兵庫酒米研究グループ編著(2010)
『山田錦物語』神戸新
ことによってブランドイメージを高めるとともに、卸を
聞総合出版センター。
通さずに直接販売することによって相対的な低価格を実
鈴木芳行(2015)
『日本酒の近現代史』吉川弘文館。
現し、一つのビジネスモデルを創り上げた。ただ、獺祭
国税庁 HP(2015)「酒のしおり」
4