村上春樹さん 村上文学を語る 物語、神話につながる 毎日新聞 2015 年 5 月 01 日 作家・村上春樹さんに東京都内で会い、村上文学についてインタビューした。作品を通底する物語と神話の力やデビ ュー作「風の歌を聴け」での新文体創造について。最近作の短編集「女のいない男たち」や長編「色彩を持たない多崎 つくると、彼の巡礼の年」について。さらに新しい長編に向けてまで。村上さんが率直縦横に語った。 「村上さんは神話を書いているんですか?」 。村上さんが読者の質問に答えるネットサイト「村上さんのところ」にそ んな質問がある。 それに対して村上さんは、世界中の神話には共通する部分が多く、言語や文化、時間の違いを超えて、意識の底の方 でみんなつながっているという考えを紹介している。 インタビューし、 「神話の力」について聞いてみた。 無意識的なもの 「自然な物語を書こうとするとき、最初からプランを作ってはいけないのです。森の中の獣を見るように、じっと目 を凝らして、その獣の動きに従って自分の動きを作っていく。そうすると、どうしても無意識的なものにならざるを得 ないのです」 その自然の獣の動きをじっと見るような物語の動きは、神話の動きとよく似ているという。 「神話は人間の集合的な潜在意識を形にしたもの。物語は僕が書く、僕の潜在意識。ところが僕の潜在意識をずっと 底の方までたどっていくと、集合的な潜在意識と重なってきます。神話と個人の物語は同じではないけれど、その動き は重なる部分が多いんです」 「村上さんのところ」では、米国の神話学者、ジョーゼフ・キャンベルの「生きるよすがとしての神話」 「神話の力」 を挙げている。 「 『生きるよすがとしての神話』は名著です。キャンベルにはすごく教えられるところが大きかった。世 界の神話に通底したものがあるのです」と言う。 立体的で深い 「1Q84」の刊行時に出た雑誌「考える人」の村上さんへのロングインタビューでも、そのキャンベルの本を挙げ ており、 「神話の再創成」について語っている。 今、混乱する世界が新しい秩序を生み出すには世界に共通な基盤を見つけなくてはならない。神話はその基盤となり 得るということなのだろう。 「村上さんのところ」には、柴田元幸さん責任編集の雑誌「MONKEY」で、村上さんが連載している「職業とし ての小説家」について答えるメールもある。同雑誌の2月発売号に「小説家になった頃」という作家デビュー前後のこ とに触れた文が掲載されている。 それには第1作「風の歌を聴け」を書いた際、一度、日本語で書いたものが自分で「読んでいて面白くない」ので、 その小説の出だしを試しに英語で書いたという有名なエピソードのことが詳しく述べられている。 その文体実験について「外国語で書くと、シンプルな構文を使い、シンプルな言葉でなるべく短い文章で分かりやす く書かなくてはいけない。でもそれを重ねていくことによって立体的で深いものが書けることを発見した」と村上さん は言う。 フォークロア的 さらに似たような作業で自分の文体を作って書いた作家を村上さんは1人挙げている。 「悪童日記」で知られるハンガ リー出身の作家、アゴタ・クリストフだ。彼女はハンガリーを出てスイスに移住。ハンガリー語で書いても読まれず、 フランス語を学んで書いた。 「短文で、シンプルな言葉で、どんどん修飾語を捨てて書いて行くと、フォークロア的な世界になっていく。一種の 神話的な世界になっていくんです。それがアゴタ・クリストフの謎めいた雰囲気にもつながっている」 そして村上さんの場合は外国語を媒介にして、新しい日本語の文体を発見したということだ。 「僕がやりたかったことは、文芸システム言語みたいなものを一回全部洗い流し、もう一回、日本語の言葉を立ち上 げて、新しい文学の言葉みたいなものを作っていくことでした」と村上さんは語った。 怒り、悲しみ 見て再生 昨年刊行された短編集「女のいない男たち」の「イエスタデイ」 「シェエラザード」が米誌「ニューヨーカー」に翻訳 掲載され、今年2月発売の号には「木野」も掲載された。 「木野」は同短編集まえがきに「推敲(すいこう)に思いのほか時間がかかった」 「これは僕にとっては仕上げるのが とてもむずかしい小説だった」とある作品。 「木野」は主人公の名前。木野がたまたま出張から1日早く戻ると、妻が自分の同僚と関係している姿に遭遇。彼は そのまま家を出て戻らず、会社も辞めてしまう。 そして、東京・青山で喫茶店を経営していた伯母が店から手を引くので、彼が店を引き継ぎ、バー「木野」を開くの だ。その店で、無口な木野は静かに暮らしている。 ふたが開いて 「彼は奥さんが浮気をしても傷つかないわけです。本当は傷ついているが、自分がどれだけ傷ついているかというこ とをうまくつかめない人。無感覚のままその後の人生を送っている人物です」 深く傷つき、妻に怒りを持っていることを木野は見ないまま、ふたをしてしまっている。 「でもそのふたが開いてくる んです。だんだんと。それがこの話の怖いところ」と村上さんは言う。 自分がふたをしめて見なくしていたものと直面することで、人と人との関わりというものが、また大事なものとして 復活してくるという物語。 「その孤独。断絶感。そして一種の恐怖を経て、再生してくるんです。この再生してくることが一番大事です。再生 がなければ、小説として意味がないと思うのです」 この作品には印象的な言葉がいくつか記されている。その一つは「正しからざることをしないでいるだけでは足りな いことも、この世界にはあるのです」という言葉。 「傷つきを見せない、見ない木野の生き方は一見、クールで格好いいわけです。でもそれだけでは人は生きていけな いのだ」と村上さんは言う。 ネガティブも つまり「何かを新しくつかみ取ろうとすれば、プラスの分だけ、必ずネガティブなものが生じるんです。プラスのも のを確保しようと思えば、ネガティブなものも代償行為として引き受けなくてはいけない。そうしないと、人は生きて いる意味がないと思う」と言う。 「木野」の店のまわりに、1週間に3匹もの蛇が出現するようになる。木野は伯母にそれを電話で告げるが、伯母は その店舗兼住宅に長く住んでいたが「蛇を見た覚えってないわね」と言う。 そして伯母は、こんなことを木野に話すのだ。 「古代神話の中では、蛇はよく人を導く役を果たしている。それは世界中どこの神話でも不思議に共通していること なの。ただそれが良い方向なのか、悪い方向なのか、実際に導かれてみるまではわからない。というか多くの場合、そ れは善きものであると同時に、悪(あ)しきものでもあるわけ」 この伯母の言葉に対して、木野も「両義的」と応える。この2人のやりとりも実に印象的だ。 蛇が人を導く 「木野は奥さんに対して、怒りを持たなくてはいけない。本当に怒りをもって、本当に悲しむこと。それを通して木 野はもう一度、再生してくる」と村上さんは言う。 「ネガティブなものに対抗するためには、ポジティブなものを自分で打ち立てなくてはいけない。そのためにはネガ ティブなものをはっきり見なくてはいけない」 蛇の出現は、そのネガティブなものを「ちゃんと見ろ」と蛇が木野に促しているようだ。ここにも村上作品の神話的 なつながりがある。 基本に問題重ねたい 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が昨年、米国で翻訳刊行され、米紙ニューヨーク・タイムズのベス トセラーリストのハードカバー・フィクション部門で一時、第1位になった。日本でも一昨年刊行され、文芸書として 最速で100万部を達成した。 フィンランド その長編の終盤近く、主人公の多崎つくるが、かつての高校時代の親友のクロ(黒埜恵理)を訪ねて、フィンランド まで行く場面がある。 このフィンランド行き、村上さんの中では「冥界へ行く感じだ」という。 「だから行く場所はフィンランドでなくては いけない。アメリカでは異界という感じがしてこない。フィンランドもさらに北のほうに行くという感じが大事なんで す」 同作品は名古屋の高校の女2人男3人の仲よし5人組の物語。主人公つくるだけが東京の大学に進むが、大学2年生 の夏休み、彼は他の4人から理由も分からないまま絶交されてしまう。つくるは深い傷を心に受けるが、絶交の理由を 探ろうとはしなかった。 だが36歳になったつくるは自分の人生をちゃんと生きるために、その絶交の真相を知ろうと、かつての親友たちを 巡礼のように訪ね歩くのだ。 もう1人の女性であるシロ(白根柚木)は既に死亡。男のアカ(赤松慶)とアオ(青海悦夫)は名古屋で生きていた。 フィンランドで16年ぶりに再会したクロとつくるがハグをする感動的な場面がある。あのクロは死者とは思えなか った。 森の中の女性 「もちろんクロは生きているのですが、でもイメージとしては死んだ人、あちらの世界に行ってしまった人なんです ね。シロは死者。クロもある意味では死者のほうに退いているわけです」 つまり男3人だけが生きているという世界。 「ねえ、あなたはときどきあの二人に会った方がいいと思うの。あるいは 三人で一緒に」とアカやアオと会うことをクロがつくるに勧める場面がある。 「生きている人たちは生きている人同士で、きちんとお互いに結びついていなくてはいけないということなんですよ」 確かに、男3人が一緒に会うとしても「私はそこに居合わせられないと思うけど」というクロの言葉も記されている。 フィンランドは森の国。クロも森の中にいる。そういえば「ノルウェイの森」にも森の中で死んでしまう直子と同室 で暮らすレイコさんという女性がいた。レイコさんも死者の側に属しているような人だった。シロとクロ、直子とレイ コさんが重なって迫ってくる。 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」も「ノルウェイの森」のように、主人公が冥界の森にいる女性を訪 ねて成長し、現実社会に帰ってくる物語なのだろう。村上さんの話を聞くうちに、多崎つくるの物語を再読したくなっ てきた。 世代的責任 どの村上作品を読んでも、人間には世界をもう一度作り直せる力があることが伝わってくる。 「そういう、人の心にと ってあくまでベーシックな小説を書いていきたい」と村上さんは言った後、さらにこう加えた。 「でもベーシックなものだけでは、なかなか伝わらないこともあるんです。原発やテロリズムの問題にしても、東ア ジアの問題にしても、ベーシックなものの上に、そういう問題を重ねていきたい、いかなくてはいけないという思いが あります。世代的な責任としても。あくまで気持ちとして、姿勢としてということですが」 そこで次の長い物語について聞くと「そろそろ長編に取りかかろうかなという気持ちはあるという感じですね」との 答えが返ってきた。 【共同通信編集委員 小山鉄郎】
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