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伊勢原の自由民権運動家山口左七郎
島口
健次
伊勢原の自由民権運動家に山口左七郎がいた。山口は明治十一年大住郡の郡
長(初代)に就任しながら、自由民権運動を指導した。また最初の結社の湘南
社代表を務めた。山口は明治二十三年の第一回衆議院選挙に出馬し代議士とな
り、国政の場でも活躍した。山口は福沢諭吉、板垣退助、植木枝盛、中島信行
(神奈川県令を務めその後衆院議長を務めた)らと交流を結んでいた。山口は
短歌、書道に長けた文人であり、知識人であった。福沢諭吉が相州の国会開設
運動に対して請願書の草案を起草するなど、少なからぬ支援を与えたことはよ
く知られているが、その理由の一つは彼の交詢社の会員に相州の有力な民権家
が加わっていたからである。特に山口は福沢とはかなり早くから親交があり、
福沢は相州の民権家の中では最も山口を信頼していたと言われている。大磯に
中川良知という民権家がいた。中川は県議や初代の大磯町長を務めたが、中川
は山口の湘南社の相談役として山口を支えた。中川は松本順(軍医総監)のす
すめで大磯に海水浴場を整備し、明治のリゾート町大磯町の基礎を作っている。
山口は政界引退後は伊勢原銀行の創設や善波村の牧場建設など実業界でも活躍
した。山口家は江戸時代六代将軍家宣と七代将軍家継の側用人として活躍した
間部詮房の弟詮之がこの地を領するようになり、山口家は間部家の家政に深く
関っていたと言われている。山口家は平成十一年に母屋と離れが国の登録有形
文化財になっている。その住宅を保存・継承するため地域を中心にNPO法人
が立ち上げられ活動を行っている。同家は伊勢原市粕屋にある。山口は「雨岳」
をペンとし、雨岳文庫として書籍を併存している。厚木歴史研究会では一月の
講演会で山口をテーマーにして山口の功績を偲んでいる。