田辺モデル ←城下町の基本構造 仙台城下 の町割 ↓明治以降の変容 ↓概念モデル 寺社 足軽 門前町 下級 職人 家臣屋敷 上級 商業中心 中級 城 大手門 職人 上級 札の辻 中級 足軽 下級 <維新後の変化> ・武家地は畑地に戻ったり, 移住・離散も。 ・旧町場(黒い部分)は残存。 新たな仙台の骨格に。 職人 (田辺,1958)による 鉄道開通後の変化 空地の多い武家地 旧武家地 ・近代以降,都市構造形成の原動力は 経済立地競争へ 旧城地 ・鉄道開通後,駅前が新たなアクセシビ リティー最大地点に。 商業中心 市街地 駅 ⇒商業機能は駅前を志向 ・二ノ丸(川内) に軍が進駐 ⇒III・IV 型では,中心商業地に大き な 変動をきたし,都市構造も大きく変 化 ・城跡地が「駅裏」になったII型では, 城が都市景観の視野外に。 ・Ⅰ型では,駅からの距離が,商業地の 盛衰に影響。 ・上級武家地に 官公署,学校 が立地 仙台,白石,米沢, 福島,会津若松 山形,白河 <近代化期> ・増える仙台の人口を,旧武家地が 切り売りされて吸収。 ・都心部,駅前に民間会社が進出。 CBDの拡大が始まる。 仙台1905 I´弘前? 盛岡,鶴岡 秋田 1 盛岡の変化 大町と七日町通 りが,中心商業 地として存続。 駅⇒ 会津若松の変容 神明通りが, 中心商店街に 内山下 菜園 戊辰戦争で武家地は消失,武家は離散。 跡地に官公署,学校が立地。 城 1931 高度経済成長期,ようやく武家地 が市街化。城復元で大観光地に。 1976 市街地の東~南にバイパス。 中心市街地は空洞に直面 ・城下町初期の商業中心は,大手門北側 の本町。北上川水運の発達後,河岸に 近い中ノ橋・呉服町が繁栄。 ・近代,鉄道駅は商業地から離れて立地。 昭和初期(1928~31),菜園の宅地化と 大通り開削で,新商業地を形成。 1953 ・業務地区と中心商業地が近接して発展。 秋田の変化 1991 戊辰から85年後も不変。この時期,城跡に競輪場が。 ・丘陵の端に城・武家地,旭川西側の低地に町場と,両者は完全分離。 ・駅は武家地の東側に。東西をつなぐ広小路を開削し,新中心商業地に。 中心商業地の移動 仙台駅 ・大型商業施設は, 国分町・芭蕉の辻 から,東側の一番町, そして仙台駅前へ。 芭蕉の辻 城下町時代 大正1年 2
© Copyright 2024 ExpyDoc