第5章 1 21 世紀:人工知能と智慧の時代 2045 年問題とは 最近、2045 年問題が話題になっている。これまでのコンピュータ関係の技術の進歩からし て、2045 年頃までに、人間の知性を超えた人工知能が登場するという話である(厳密に言う と多少違った意味らしいが)。 そして、いったん人間の知性を超えた人工知能が現れ、人工知能が人工知能を作り出すよう になれば、その進歩の速度・程度は、指数関数的に急速なものとなるという。すると場合によ っては、人間の知性では想像できないような技術と世界を人工知能が作り出していく可能性も あるという。 2 人間のすべきこと(仕事)が大きく変わる それは、どういう結果をもたらすか。まず、2045 年を待たずとも、今現在人間がしている 仕事の中で人工知能が代行するものが出るのは明らかだ。たとえば、最近はすでに車の自動運 転技術の開発がよく言われているが、それは多くの人間のドライバーが必要なくなることを意 味する。 英国のオックスフォード大学の研究は、10~20 年のうちに、米国の仕事の半分弱が自動化 される可能性が高いという衝撃的な報告をしている。これまでの技術の発達は、主に人間の身 体機能を代行するものであり、単純作業に限られていたが、今後の人工知能の発達は、人間の 認知機能を代行するものであり、また、身体機能の代行もより複雑なものまで可能となる。 しかし、これは何も悲惨なことではなく、かつて人間が手作業で行っていた仕事を機械が代 行し、人類は、余った時間を使って新しい技術や知恵を創造して、発展してきた。 人工知能が人間の知能を代行できるようになったとしても、少なくとも当面の間は、芸術な どのクリエイティブな作業には向いていないため、人間は、より高次元でクリエイティブなこ とに集中できるようになるとも解釈できるかもしれない。 3 人工知能の危険:他の革新的な技術と同様に その一方で、人間の知能を超える人工知能は、核兵器よりも恐ろしい禁断の技術であると警 37 告する人たちもいる。確かに、科学技術は、その能力が高ければ高いほど、両刃の剣であって、 良く使えば恩恵をもたらすが、例えば、軍事用に使われれば人類に危機をもたらしかねない。 核技術も、アインシュタインがその原理を発見して以降、平和的な利用に限られず、広島・ 長崎の原爆投下をはじめとして、人類全体を滅ぼすことが可能なほどの米ソの冷戦下での核軍 拡があり、今現在も核を持つ国がじわじわと増えているという問題がある。 そして、この人工知能に関しては、単に人間が使い方を誤るだけではなくて、人間の知能を 超えるとされることから、何らかのきっかけによって、人間を逆支配してしまう、人間に敵対 的な存在になってしまうのではないかという懸念まで指摘されている。これは、未来の人類社 会を描いたSF映画で言えば、『マトリックス』や『ターミネーター』の世界である。 実際に、革新的な技術は、軍事技術に適用されるのが常であり、さらには軍事分野からこそ 革新的な技術が開発されることも多い。核技術やインターネットも、軍事研究によって生まれ たものである。これは、人間が戦争にこそ、最大の利害関係を見出すからであろう。その意味 では、人工知能が兵器に応用され、ロボット兵士・ロボット兵器が現れる可能性も否定できな い。 4 人間とコンピュータの融合 さらに、急激に進歩しているのは人工知能だけでなく、体の細胞の中に入り込めるほどのナ ノテクノロジーや、人間の体の仕組みの細部を解き明かす遺伝子工学なども同様であるという 見解もある。それによって、人間の脳が、直接コンピュータと繋がって、人間自体が新たな次 元に進化するという見方もある。 こうして見ると、人間の知能を超えて加速度的に進化した人工知能が、人間を助けるのか、 人間と対立するのか、という二項対立的な見方ばかりではなくて、人間が世界中のコンピュー タネットワークと繋がって、両者が融合する新たな世界もあり得ることになる。 これをわかりやすく言えば、人間とロボットやアンドロイドではなく、いわゆるサイボーグ の世界のイメージだろうか。それは、人間と機械の垣根が取り払われ、生物と物質が融合する 新たな世界である。 どうなるかはともかく、いずれせよ、21 世紀の技術革新は、産業革命以来の大きな変化を 私たちにもたらす可能性があるだろう。 5 東洋の叡智が説く人間の知性=智慧 こうした時代に対して、私が学んできた東洋の叡智の視点から、いくつかの点について述べ てみたい。まず、東洋の叡智を検討すると、人間の知性には、知識・知能・智慧という3つの 38 分野があると思う。 第一に、知識とは、言葉・数字・記号・映像・音声などの形を取る情報である。この分野は、 コンピュータが最も得意とする分野であり、知識の貯蔵と再生、すなわち記憶能力においては、 すでに人間をはるかに上回っている。 第二に、知能は、その知識を応用するなどして様々な問題を解決したりする能力であり、こ の分野に関係するのが、今まさに開発されている人工知能である。 しかし、智慧というものは、知識や知能とは違った側面を持つ人間の知性である。これは、 人の精神的な苦しみを取り除き、心の幸福をもたらすものとされてきた。そして、智慧は、人 工知能を含めたコンピュータの土台である言葉・知識を超越している一面がある。 6 智慧とは何か 智慧の世界から見ると、言葉や言葉による思考は便利な道具ではあるが、真の幸福である悟 りの境地とは関係がないか、もしくは矛盾する一面がある。 確かに、言葉は、高度な分業で成り立つ都市文明を運営するためには便利な手段である。し かし、実際は万物は繋がって一体で流動的であるにもかかわらず、言葉とそれによる思考は、 世界がばらばらな無数のもので出来ていると錯覚させる。つまり、世界の実相は一元的である のに、言葉によって二元的な世界観が現れる。 特に、自分と他人を別のものと認識して、他よりも自分に執着する意識を強化する。そして、 自分と他人の優劣を比較し、他との奪い合いが強まり、様々な苦しみが生じる。物は豊かな社 会の中でも、卑屈や怒りは収まらず、自分も他人も十分には愛せない心理状態が形成され、自 殺や他殺も絶えない。 そして、この錯覚と苦しみを解消するものが智慧である。それは、言葉で表現された教えで 説かれる部分もあるが、それは基本段階のものである。それに加え、言葉や思考とは異なり、 身体や環境の調整・気のエネルギーのコントロールなどの訓練も行われる そして、最終的な智恵の実現=悟りの境地には、言葉による思考は存在しないとされる。そ の境地は、言葉では表現できるものではなく、意識と体が直接的に感じるもの(直観するもの) である。よって、禅などでは、悟りの真理は、経典の外にあるまでと説く。 7 コンピュータ・人工知能には、智慧はない 言葉による思考に基づく人間の知能を模倣してできるのが人工知能である以上、それは、人 間の知識や知能と同じ限界・弊害があるだろう。人工知能が智慧を獲得したり、人間を智慧・ 悟りに導いたりすることはできないと思う。 39 そもそも、コンピュータを象徴とする西洋の文明は、言葉や論理を中心としたロゴスの文明 である。聖書は「はじめに言葉ありき。言葉は神であった」と説き、西洋哲学の祖であるデカ ルトは、「我思う、ゆえに我あり」と語り、パスカルも「人間は考える葦である」とした。こ うして、世界や人間存在の基礎に言葉がある。 そして、西洋の自然科学・科学技術は、言葉によって様々な事物を細かく分けて、分析する ことで発展してきた。人工知能の開発も、人間の脳の構造・働きなどを分析し、それを模倣し たハードやソフトを開発することで進められている。これは、コンピュータが1と0の二進数 で作動することとも、通じるものがあるかもしれない。 その科学技術は、主に物質的・物理的な幸福においては、画期的な成果をもたらした。とこ ろが、心・精神面の幸福に関しては、先ほども述べたように、現代社会は、行き詰まりを見せ ている。情報通信の分野で輝かしい実績を上げた故スティーブ・ジョブズ氏自身も、生き方に 悩み、禅などの東洋思想に深く傾倒していた事実がある。 8 西洋の分析の文明と、東洋の輪の文明 西洋の分析の文明に対して、東洋の文明の叡智は、繋がり=輪の文明である。確かに、この 世界は、様々な異なるものが存在している。しかし、それらは全て繋がりを持っていて、本質 的には一体として成立している。 万物が繋がりを持って一体であるから、万物は本質的に平等であって、万物に何かしらの価 値がある。それは、自分と他人の関係においてもそうである。具体的には、自分と他人の違い は、単純に優劣の違いではなく、個性・役割の違いである。 この平等主義的な世界観・人間観は、万物への尊重・愛・感謝などを育むことを助ける。様々 な心の苦しみを解消し、人々の間に調和・平和をもたらす性質のものである。 9 人工知能の弊害を緩和するためにも また、前に述べたように、人工知能の軍事転用や、人工知能と人間の対立的な関係が懸念さ れている。それゆえに人工知能を使う人類側の人格・精神性の向上が、ますます求められる時 代となるであろう。 また、仮に、いつの日か、人工知能が人間から何かしらの意味で独立して活動するような日 が来るとしても、そもそもが人間が作る人工知能の性質・性格は、当然人間の性質・性格を投 影したものになるはずだ。 そうした意味で、西洋文明の知性の究極ともいうべき人工知能の登場とともに、東洋の知 性・叡智による調和・平和の促進が、いっそう期待される時代になるのではないだろうか。 40 10 西洋と東洋の叡智の融合を 確かに、物事の違いを理解する言葉による分析は、人間に与えられた重要な知性である。し かし、それは、人間の知性のすべてではないし、幸福のすべてでもない。 心理学や脳科学においても、言葉・論理・分析の知性は、左脳の機能であり、繋がり・輪の 知性は、右脳の機能であるという説がある。 よって、違いとともに繋がりを理解する知性こそ、21 世紀に求められる人間の知性の進歩 であろう。それは、高度な技術力と調和・平和を兼ね備えた人類社会の形成である。それは、 西洋と東洋の融合であり、世界人類の輪、そして人間と機械の輪の実現に繋がるものだろう。 41 42
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