北方領土はなぜ返ってこないか

北方領土はなぜ返ってこないか
クリミアとともにロシア愛国主義の最前線に
延命が至上命題のプーチン政権は譲歩せず
目 次 ︵
月号︶
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北方領土はなぜ返ってこないか ・・・
名越 健郎⋮
︻海外情報︿欧州﹀
︼
小林 恭子⋮
BBCの将来はどうなるか ・・・
原野 和夫⋮
﹁戦後 年に想う﹂︵8︶ ・・・・・・・
吉岡 良⋮
特派員リレー報告 カイロ ・・・
︻メディア談話室︼
﹁個人情報保護法﹂にかまけてサボっていないか 井内
・・・ 康文⋮
首相、経済で支持率回復狙う ・・・
小渕 敏郎⋮
︻海外情報︿米国﹀
︼
オンライン記事の販路開拓に注力 ・・・
津山 恵子⋮
︻プレスウオッチング︼
一過性の国民、メディアも一過性? ・・・
小池 新⋮
国分 俊英⋮
日記で読む昭和史︵ ︶ ・・・・・・・
︻海外情報︿中国﹀︼
メディア不振の責任は学界にも ・・・
西 茹⋮
︻放送時評︼
佐賀・伊万里CATVがグランプリ ・・・
音 好宏⋮
マスメディア関連の裁判を見る︵ ︶ ・・・
佐藤 英雄⋮
書評﹃アメリカに女性大統領は誕生するか﹄ 上坂
・・・ 昇⋮
編集後記・読者の声 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
調査会だより ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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る。プーチン大統領は8月、メドベージェフ首相
とクリミアを訪れ、愛国主義団体の会議に出席し
たり、クリミア開発を協議したりした。同様の会
議は択捉島でも行われており、クリミアとクリー
ルが祖国を守る愛国主義の最前線となった形だ。
日ロ関係は5年置きに悪化する宿命にある。
( 1 )
名 越 健 郎
︵拓殖大学海外事情研究所教授、元時事通信社仙台支社長︶
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26 24
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5年置きに悪化
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11 - 2015
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毎月 1 回 1 日発行
1963年 1 月 1 日
新聞通信調査会報
として発刊
発 行 所
公益財団法人
新聞通信調査会
電話 03(3593)1081
http://www.chosakai.gr.jp/
は、戦勝 周年で愛国主義が高揚し、﹁戦利品﹂
である北方領土を要求する日本への反発が強まっ
たことがある。
ロシアは5年ごとの節目の年に戦勝記念日を盛
大に祝うことを決めており、 周年の2005年
にはプーチン大統領が﹁四島領有は第2次大戦の
結果だ﹂と初めてソ連時代のレトリックを採用。
周年の 年には、事実上の対日戦勝記念日を制
定した。今年の 周年は過去最大規模の式典とな
り、改めて北方領土がやり玉に挙がった。
加えて、ウクライナ危機で欧米の経済制裁を受
けるロシアは、原油価格下落に直撃され、経済危
機が進行している。延命を至上命題とするプーチ
ン政権は、愛国主義によって危機突破を図ってい
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日ロ関係
ロシアはこの夏、北方領土問題で強硬姿勢を鮮
明にした。メドベージェフ首相は8月 日、択捉
島を訪れ、﹁クリール︵千島︶はロシアの一部で
あり、今後も訪問を続ける﹂と強調。ロシア政府
は7月、今年で期限切れとなるクリール社会経済
発展計画を 年延長してインフラ建設を進めるこ
とを決めた。ラブロフ外相は﹁敗戦国の日本には
返還を求める権利はない﹂と述べた。モルグロフ
外務次官は﹁日本と領土問題は協議していない。
この問題は 年前に解決された﹂と過去の交渉を
全否 定 す る よ う な 発 言 を し た 。
ロシアが領土問題で態度を硬化させた背景に
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権下での日ソ交渉再開に尽力し、退陣後の 年1 は伝統的に、硬軟両様で揺さぶるところがあり、
月には、末期がんを押してモスクワを訪れ、ゴル 最初に強圧姿勢を見せて日本の譲歩を引き出す狙
バチョフ大統領と会談した。日ロ正常化は政治的 いもあろう。
だが、現在の逆風下では日ロ両国が国境画定で
遺言でもある。また、安全保障関連法制の審議に
批判が高まったことから、リベラルな外交で支持 合意できる可能性は小さい。この点では、ロシア
率挽回を図っているのかもしれない。日ロ正常化 のメディアでも悲観論が圧倒的だ。例えば、8月
と北朝鮮の日本人拉致問題解決は安倍氏の二大外 の日ロ外相会談を受けて、独立新聞は﹁ロシアは
交悲願であり、平和条約を締結すれば、歴史に名 従来通り貿易、経済協力の進展を期待し、日本は
ロシアが交渉しないと言った領土問題を強調し
を刻むことになる。
安 倍、 プ ー チ ン 両 首 脳 は こ れ ま で に 回 会 談 た。日本はプーチン大統領の決断だけに期待し、
し、 保 守 派 同 士、 ケ ミ ス ト リ ー が 合 う と い わ れ 首脳会談で打開を狙うが、見通しは極めて暗い﹂
る。パワーポリティクスを信奉するロシアが、歴 と書いた。コメルサント紙も、﹁領土問題解決の
代の日本政府と違って、安定政権を築き、官邸主 チャンスは恐らくない。双方の隔たりはあまりに
導外交を推進する首相に一目置いているのは間違 大きく、いかなる歩み寄りも予想できない﹂との
いない。首相の腹心、谷内正太郎安保会議事務局 専門家の見方を紹介した。日本のメディアや識者
長と、大統領の腹心、パトルシェフ安保会議書記 の間でも、悲観論が支配的だ。
は、数回相互訪問を繰り
米国も訪日反対
返しており、首脳会談を
平和条約交渉は、結局は国境画定問題であり、
補う重要なパイプとなっ
ている。両者の会談内容 交渉を進めても線引きの段階で紛糾する。日本は
は一切公表されず、機密 ﹁四島返還﹂、ロシアは﹁決着済み﹂と双方の公式
が守られている点も、従 姿勢は正反対だ。最後は首脳同士の政治判断とな
来の日本外交と異なると ろうが、これを決着させるのは至難の業だ。
プーチン大統領は就任後、周辺国との国境画定
ころだ。
底 が 見 え な い 経 済 危 を進め、中国、カザフスタン、ノルウェーなどと
機、頼みの中国経済の減 の領土問題を折半の原則で政治解決してきた。し
速など苦境に直面するロ かし、これらは国民に知られていない技術的な国
シアが、日本経済に期待 境問題であり、第2次大戦の結果が絡む北方領土
を抱いているのは間違い 問題とは異なる。歴史認識が絡むバルト諸国との
ない。ロシアの対日外交 領土交渉では、プーチン政権は﹁固有の領土﹂返
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安倍首相の執念
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こうした逆風にもかかわらず、安倍晋三首相は
プーチン大統領の訪日を実現させ、領土交渉を進
めようとしている。日本政府はメドベージェフ首
相の択捉島視察を、﹁日本の立場と相いれず、極
めて遺憾だ﹂と抗議したが、岸田文雄外相は8月
日、モスクワで日ロ外相会談を行い、日本企業
トップらが参加する日ロ貿易経済委員会を開催し
た。1年 カ月ぶりの外相会談はぎくしゃくした
印象で、ラブロフ外相は記者会見で、﹁領土問題
は討議していない。平和条約問題を協議した﹂と
述べていた。安倍首相は9月 日、ニューヨーク
でプーチン大統領と会談し、平和条約交渉で前進
を図ることを確認。大統領の年内来日に関しては
﹁ベストなタイミングを探る﹂ことで一致した。
安倍首相は9月 日、インター
ネッ ト 番 組 で 評 論 家 の 田 久 保 忠 衛
氏の 質 問 に ﹁ 年 内 の し か る べ き 時
期に プ ー チ ン 大 統 領 に 来 日 し て も
らい た い ﹂ と 年 内 訪 日 実 現 の 意 向
を表 明 し て い た 。 首 脳 会 談 で は 、
﹁ 最 適 の 時 期﹂ と 年 内 に こ だ わ ら
ない 立 場 を 示 し た が 、 日 ロ 関 係 や
国際情勢がこれほど困難な中で、
大統 領 訪 日 を 実 現 さ せ よ う と す る
安倍 首 相 の 意 欲 は 尋 常 で は な い 。
それは、一つには父・安倍晋太
郎元外相の遺志が影響していよ
う。安倍元外相はゴルバチョフ政
( 2 )
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日ロ首脳会談でロシアのプーチン大統領(右)と
握手する安倍首相(EPA=時事、2015年 9 月28日、
ニューヨーク)
還を求めるバルト側の要求を拒否して押し切った。
北方領土問題の場合、ロシアではすっかり国民
周知の劇場型となり、世論調査では %前後が返
還に反対する。資源収入で国民を富ませる従来の
バラマキ型手法も崩れつつあるだけに、政権延命
のためには、国民の反発を買う領土問題の譲歩は
難しい。大幅に妥協すれば、過去の強硬発言との
整合性が問われよう。ロシアは来年秋の下院選、
2018年の大統領選に向け、内政の季節に入り
つつ あ り 、 交 渉 の タ イ ミ ン グ も よ く な い 。
プ ー チ ン 大 統 領 は 領 土 問 題 で﹁引 き 分 け﹂や
﹁相互に受け入れ可能な解決策﹂に言及したが、具
体策はまだ考えていないようだ。大統領の現状で
の腹案は恐らく、日本側にロシアの四島領有が大
戦の結果であることを認めさせた上で、1956
年の日ソ共同宣言に沿って、歯舞、色丹2島を平
和条約締結後に引き渡すというものだろう。2島
引き渡しなら法的根拠もあり、国民を説得できる。
しかし、2島だけなら北方領土総面積の7%に
すぎず、日本としては受け入れられない。この方
式なら、 年前に決着できたわけで、屈辱的な解
決策となる。﹁3島﹂﹁面積折半﹂といったシナリ
オがあり得るとしても、ロシアの現状ではそこま
で譲歩できないだろう。安倍首相はプーチン大統
領訪日後に、自ら訪ロし、相互訪問で一定の妥結
を図りたいようだが、交渉を進めるほど、両首脳
の政 治 的 リ ス ク が 高 ま り か ね な い 。
日ロ交渉をめぐる国際環境も好ましくない。米
国務省は9月、﹁ロシアがウクライナ東部で停戦
合意を守っていないことを考えれば、ロシアと通
常の関係に戻る時ではない﹂と述べ、大統領訪日 し、 ハ イ パ ー イ ン フ レ で 国 民 生 活 は 疲 弊 し て い
しゅうえん
に反対した。米国は同盟国に一致した対ロ政策を た。バブル終焉を迎えていたとはいえ、ロシア人
求めており、日ロの突出は主要7カ国︵G7︶の にとって最先端技術を持つ日本は﹁夢の国﹂だっ
結束を弱めると憂慮している。米ロ関係は、ロシ た。ロシアを準同盟国扱いした米政府は、日ロ正
ア軍が9月末からシリアで空爆を行ったことでさ 常化を支持し、双方に交渉強化を促していた。
らに険悪化した。
エリツィン大統領も日本に思い入れがあり、領
ロシアと交渉し、平和条約を締結しようとする 土問題解決に意欲を見せていた。スターリンが大
安倍首相の姿勢自体は評価すべきだろう。ロシア 嫌いなエリツィンは、﹁勝者が敗者の領土を奪う
は基本的に島を返したくないわけで、日本側から のは誤りだ﹂﹁スターリン外交の過ちを正す﹂と
働き掛けないと進展はあり得ない。日本にとって 公言していた。ソ連崩壊前の 年 月、﹁国民へ
は次第に、ロシアより対中関係の方が難しくなり の手紙﹂という形で声明を出し、﹁近い将来にお
つつあり、長期的にロシアと安定的な関係を築く いてわれわれが解決すべき問題に、日本との最終
ことは戦略的に重要である。日ロ平和条約締結、 的な戦後処理の達成がある﹂﹁日本との国境画定
北朝鮮との国交正常化により、わが国の戦後処理 問題は正義と人道主義に沿って、島民の利益と尊
が終了することになる。だが、北方領土問題の解 厳を守る﹂と強調した。暗に、返還後に立ち退く
決は難度が高く、いばらの道であることは疑いない。 島民への補償を約束したとも読める。
ソ連を継承したロシアとの最初の首脳接触は、
千載一遇の機会
冷戦終結を記念した 年1月末の国連特別総会で
の宮沢喜一首相とエリツィン大統領の会談だっ
た。エリツィンは﹁スターリン主義は否定され、
ロシアは法と正義に立脚する。北方領土問題を必
ず解決したい。その準備を開始したい﹂と熱っぽ
く 説 い た。 宮 沢 首 相 は 会 談 後、 領 土 問 題 は ﹁潮
時﹂と語った。
その際驚いたのは、日本外務省幹部が﹁次はエ
リツィンが来る番だ﹂と述べていたことだった。
前 年、 ゴ ル バ チ ョ フ 旧 ソ 連 大 統 領 が 来 日 し て お
り、日本の首相が訪ロする順番のはずだが、日本
側はエリツィンの訪日を求め、時期の設定も任せ
た。当時ロシアでは、飢餓の到来も懸念されてお
長年、日ロ関係を取材してきて、日本外交はチ
ャンスに動かず、難しい時に動こうとする奇妙な
欠点があるように思える。歴史的なモメンタムを
察知できず、対応が遅れ、解決の窓口をみすみす
閉ざしてしまうのである。1991年のソ連邦崩
壊と急進改革派・エリツィン政権の誕生は、長年
の領土問題解決を進める千載一遇のチャンスだっ
たが、日本側は動かなかった。
筆者はソ連崩壊前後に時事通信記者としてモス
クワに駐在したが、当時のロシアには、社会主義
せんぼう
への嫌悪感と西側への羨望、欧米型民主主義への
志 向 が 充 満 し て い た。 社 会 主 義 経 済 体 制 が 破 綻
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ィンによる﹁クラスノヤルスク・プロセス﹂があ
り、双方は 世紀中の平和条約締結を目指すこと
を決めた。しかし、エリツィンの健康不安や政治
力低下で交渉のモメンタムは既に失われており、
案の定、ロシアは日本が提案した﹁川奈提案﹂を
拒否した。
2000年に登場したプーチン政権が国粋主義
を強めると、領土返還機運はまた遠ざかった。プ
ーチン大統領は政権初期、 年宣言に沿って平和
条約を結ぶ方針を決め、2島引き渡しを決断した
形 跡 が あ る が、 日 本 側 が ﹁四 島﹂ に 固 執 し た た
め、裏切られたと失望したもようだ。日本側関係
者は﹁森政権時代、日本側の誰かが2島返還で手
を打つとの誤ったメッセージをプーチン政権に送
った。小泉政権が﹃四島﹄に戻ったため、プーチ
ンにとってはちゃぶ台返しと映った﹂と話してい
た。プーチン政権の領土問題への対応は次第にレ
ト リ ッ ク 中 心 と な り、 二 国 間 交 渉 も 実 体 の な い
﹁儀式﹂の様相を呈していく。
小沢剛腕外交
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56
ソ連時代末期のゴルバチョフ政権は、領土問題
の存在を認めたため、両国の交渉が久々に再開さ
れた。しかし、新思考外交は米ソ関係やドイツ統
一、 東 欧 改 革 を 優 先 し、 ア ジ ア は 後 回 し と な っ
た。日本との首脳交渉は、中ソ正常化を経て一番
最後となり、ゴルバチョフ訪日は1991年5月
にようやく実現した。ソ連崩壊に伴うゴルバチョ
フ退陣の7カ月前で、左右両翼に挟撃され、政治
基盤が弱体化したゴルバチョフは2島返還も認め
( 4 )
り、首脳会談直後に宮沢首相がモメンタムを逃さ
ず、大型援助を抱えて訪ロしていたなら、歴史は
動い た か も し れ な か っ た 。
ロシアでは急激な市場経済移行で経済が混乱し、
保守派が国民の不満を吸収して徐々に復活。同年
7月には漁業利権を持つ漁業マフィアらが主導し
て日ロ関係の議会公聴会を開き、領土返還反対論
を唱えた。7月のミュンヘン・サミット︵主要国
首脳会議︶の政治宣言に、日本側が強引に領土問
題を明記させたことも、結果的にロシアを硬化さ
せた。案の定、エリツィンは 年9月に予定され
た訪日を﹁日本側から圧力を受けた﹂としてドタ
キャンし、領土問題解決機運は急速に遠のいた。
秘密提案を拒否
元外務省欧州局長の東郷和彦・京都産業大教授
は日本側が提案を無視した背景について、﹁取り
過ぎの誘惑に勝てなかったのだろうか。これは交
渉上、最も陥りやすい誘惑である。相手が究極の
譲歩をして来た時に、それが相手の限界であるこ
とを認 識でき ず、﹃も うひと押しする﹄という 誘
惑から抜け出せないことがある﹂
︵
﹃北方領土交渉
秘録﹄新潮社︶と書いた。あるいは、当時の外交
当局は、日ロの国力、経済格差がますます拡大し、
放置してもさらに歩み寄ってくると考えたかもし
れない。実際には、日本経済はその後長期停滞に
陥り、ロシアはプーチン政権登場後、原油価格高
騰で高成長に入り、両国の格差は接近していく。
懸案のエリツィン訪日は、 年 月に実現し、
﹁四島の帰属問題を法と正義の原則で解決する﹂
とした東京宣言が調印された。しかし、東京宣言
は漠然とした努力目標であり、コズイレフ提案の
方が具体的だった。この
時の首脳会談は、過去
年の交渉史で日本側が相
対的に最も優位に立った
公式首脳会談であり、日
本は四島の﹁潜在主権﹂
を認めさせるなど、攻勢
に出るべきだった。好機
に果敢に攻められないこ
とも、日本外交の致命的
欠陥といえよう。
その後、 、 年には
橋本龍太郎首相とエリツ
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この間、コズイレフ外相とクナーゼ外務次官が
年3月に訪日し、渡辺美智雄外相に秘密提案を
行っ た 。 提 案 は 、 ① 歯 舞 、 色 丹 に
つい て は 年 宣 言 に 沿 っ て 日 本 に
引き 渡 す ② 国 後 、 択 捉 に つ い て は
帰属 問 題 を 協 議 す る │ │ が 柱 で 、
返還 交 渉 と 帰 属 協 議 を 同 時 に 進 め
る内 容 だ っ た と さ れ る 。 し か し 、
日本 側 は ﹁ 四 島 返 還 で は な い ﹂ と
して 、 事 実 上 拒 否 し た 。 今 か ら 思
えば 、 こ の 提 案 は 領 土 交 渉 史 を 通
じて 、 ロ シ ア 側 か ら の 最 大 の 譲 歩
だっ た 。 拒 否 す る 場 合 で も 、 日 本
側か ら 対 案 を 出 し 、 本 格 交 渉 に つ
なげ る べ き だ っ た 。
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ロシアのクラスノヤルスク郊外のエリツィン
大統領の家の前で肩を抱き合う橋本首相
(右)と エ リ ツ ィ ン 大 統 領(AFP= 時 事、
1997年11月 2 日)
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ず、 首 脳 交 渉 は 不 調 に 終 わ っ た 。
ゴルバチョフ時代に一度だけ領土問題が舞台裏
で動き掛けたことがある。それは小沢一郎・自民
党幹事長による剛腕外交だった。小沢氏が 年3
月、モスクワでゴルバチョフと会談、大型援助と
引き換えに四島を返還するよう提案し、ゴルバチ
ョフが却下したことは知られているが、近年、ゴ
ルバチョフ財団などの公文書解禁で、全容が明ら
かになってきた。ロシア人学 者、セルゲイ・ラド
チェンコ・ノッティンガム大学寧波校准教授らが
米誌﹁冷戦研究﹂
︵MITプレス、2013年春季
号︶に掲載した論文﹁ゴルバチョフと小沢。失敗
したバックチャンネル交渉﹂や、北海道新聞の本
田良一編集委員が今年5月から同紙に連載中の﹁証
言・北方領土交渉﹂に交渉の内幕が描かれている。
それによると、1990年春、大統領から﹁日
本との関係改善の条件を探れ﹂との密命を受けた
ウォリスキー・ソ連科学産業同盟議長は通訳のサ
プリン共産党中央委国際部員とともに、有力政治
家の小沢氏に目を付け、小沢氏との交渉に着手す
る。両国の外務省を外したバックチャンネルの交
渉となり、ロシア側はヤナエフ副大統領、ヤコブ
レフ党政治局員、チェルニャエフ大統領補佐官ら
が関与した。日本側は、小沢氏の側近、熊谷弘議
員や杉森康二対外文化協会専務理事、それに毎日
新聞 政 治 部 記 者 ら が 加 わ っ た 。
通産省OB の熊谷議員は通産省を使って、﹁四
島と経済援助の取引﹂に関する秘密構想をまとめ
た。それは、日本側が①緊急支援として平和条約
締結前に 億㌦のアンタイドローン供与②最初の
5年間で民間企業が 億㌦の対ソ投資③総額10
0億㌦の長期借款供与④島民移住経費など 億㌦
の供与││という総額260億㌦︵当時のレート
で約3兆5000億円︶の支援を行う見返りに、
ソ連側は、①日ソ共同宣言に沿って公式発表から
1年以内に歯舞、色丹を引き渡す②国後、択捉へ
の潜在主権を認め、 年内に返還する││との二
段階返還を骨子としていた。
熊谷氏らは 年1月初め、モスクワで訪日準備
委員長のヤコブレフらにこの構想を提示。ソ連側
で は、ヤ ナエフ、ウォリス キ ー ら が 支 持 し、﹁島
とカネの取引﹂が動きだすかに見えた。しかし、
その直後に起きたリトアニア独立運動へのソ連軍
出動を機に、ゴルバチョフは急速に保守派に寝返
った。また、実業家のタラソフ議員が1月末に記
者 会 見 し、﹁ゴルバチョフ は 南 千 島 を 2000 億
㌦で日本に売り渡す秘密合意を行おうとしている﹂
と爆弾発言し、大統領府が﹁名誉棄損で告訴する﹂
と全否定するに及んで、構想は頓挫したという。
日独外交格差
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な状況ではなくなった﹂と指摘した。
タラソフ発言は反日グループが仕掛けた可能性
があるが、左右両派の攻撃を受ける政権末期のゴ
ルバチョフが、領土で全面的に譲歩できるタイミ
ングではなかった。歴史のIFだが、260億㌦
構想を修正してソ連崩壊直後にエリツィン政権に
提示していれば、返還交渉が動いていたかもしれ
ない。
日本外交の迷走と対照的に、同じ敗戦国・ドイ
ツのコール首相はゴルバチョフと素早く交渉し、
ドイツ統一、統一ドイツの北大西洋条約機構︵N
ATO︶加盟をソ連に認めさせ、戦後処理を一気
に完了した。そのコストは、ソ連軍の撤退経費、
帰国後の住宅建設など120億㍆︵1兆800億
円︶で、ソ連保守派は﹁東独を西独に売り渡すバ
ー ゲ ン セ ー ル﹂ と 皮 肉 っ て い た。 冷 戦 終 結 前 後
は、日独の外交力格差が際立った。
町 村 信 孝 元 外 相 は 生 前、B S フ ジ の 番 組 で、
﹁ソ 連 崩 壊 の 頃、 永 田 町 で は 選 挙 制 度 改 革 に 伴 う
区割り法案作成に躍起になっていた。もっとドイ
ツのように、国際情勢の激変に目を向け、北方領
土 問 題 に 精 力 を 注 ぐ べ き だ っ た﹂ と 自 省 し て い
た。歴代政権が外交を外務省に丸投げし、外務官
僚が外交を独り占めしたことにも問題があった。
冷戦終結の立役者の1人、ベーカー元米国務長
官は回想録で﹁外交はタイミングが全て﹂と強調
したが、戦後 年を経ても北方領土が1㌢も戻っ
てこない現実は、モメンタムを読めず、好機に果
敢に攻められなかった日本外交の稚拙さも示して
いる。
( 5 )
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ラドチェンコ論文は、﹁ゴルバチョフはタラソ
フ発言の火消しに追われた。エリツィンは﹃われ
われは誰とも取引しない﹄とゴルバチョフ攻撃を
行い、サハリン州でも非難の大合唱となった。世
論調査では圧倒的多数が島の返還に反対した。ゴ
ルバチョフ側近のシャフナザーロフは﹃タラソフ
発言があらゆる取引の可能性を打ち砕き、大混乱
を招いた﹄と振り返った。ゴルバチョフは四方を
包囲され、島を日本に引き渡す合意が結べるよう
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欧州
BBC の将来はどうなるか
「特許状」更新に向け政府とバトル
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イバル視する新聞各社にとって、BBCは「民業 500 万 ㍀ (1 ㍀=182 円 で 、 約 6800 億
円)。これで国内の活動を賄う。この他に商業活
を圧迫する存在」だ。
そして、今年5月に発足した現政権の与党・保 動 (出 版、 販 売 な ど) に よ る 収 入 と 政 府 交 付 金
守党は、もともと「小さな政府」を望み、財政出 (国際放送の「ワールドサービス」運営用)とし
動ではなく企業の経済活動を促進することで国を て入ってくる金額が 億7000万㍀。合計する
回すことを信条とし、BBCを敵視する民放や新 と約 億㍀に上り、民放最大手ITV( 億96
00万㍀、昨年末)に大差を付けている。
聞社の期待を背負う位置にいる。
現在のライセンス料は年間145・ ㍀。 年
BBCの「独立性」は「編集上」のことであっ
て、活動形態については議会(ひいては政府)、 以降、凍結されたままだ。
日々の活動は経営陣が面倒を見る。一方で、新
ライセンス料の値上げ率については時の政府(所
轄の省庁)の意向で大きく変わる状況だ。現状維 規サービスの開始や規制・監督は、視聴者の代表
持か、できれば影響力を拡大させたいBBCと、 としてのBBCトラスト(NHKの経営委員会に
そ の 翼 を 切 り 取 り た い 政 府 側 と の 戦 い 方 を 追 っ 当たる)が担当している。
た。
政府案と対抗するBBCトラスト案
BBCの巨大さ
7月 日、BBCを所轄する文化・メディア・
改めてBBCの構造や規模を確認してみると、 スポーツ省が特許状更新に向けての提案書を発表
その存立と業務を規定する基本法規は国王の「特 した。
㌻ に わ た る 提 案 書 の 概 要 は 以 下 で あ っ た。
許状」
(または「王立憲章」
)と、BBCと担当大
サービスの内容や規模を見直す」、
臣との間で交わされる「合意書」による。後者は 「BBCの目的、
、「B
随時更新されるのに対し、王立憲章は 年ごとに ライセンス料制度は「時代に逆行している」
BCトラストは十分な仕事をしていないので、改
更新される。
最 新 の 年 次 報 告 書 (2014 ─ 年) に よ れ 変するか別組織にする」(トラストが批判の対象
ば、BBCの従業員は約2万1千人(国内業務で となったのは、元人気司会者による何十年にもわ
は約1万8千人)。英国の成人の % がBBC の たる性犯罪を検知できなかったこと、調査報道番
テレビ、ラジオ、オンラインのコンテンツのいず 組で誤報を連発したこと、巨額のデジタルプロジ
ェクトが途中で停止されたことなど、複数の要因
れかに毎週接している。
。
収入の内訳は、視聴家庭から徴収するテレビラ があった)
同省のウェブサイトを通じて提案書への意見を
イセンス料(NHKの受信料に当たる)が 億3
( 6 )
在英ジャーナリスト
ぎん こ
20
小林 恭子
BBC(英国放送協会)が、英国内で最大手の
公共放送としてこのまま影響力を発揮し続けるの
か、それとも大幅に縮小され、国内の放送局の一
つ(「ワン・オブ・ゼム」)として埋没してしまう
のか──。BBCの今後の 年、 年を決定する
枠組 み づ く り へ の 議 論 が 続 い て い る 。
き っ か け は、B B C の 存 立 と 業 務 を 規 定 す る
「特許状」(ほぼ 年ごとに更新)が、2016年
で失効すること。次の特許状更新に向けて、政府
とBBCとの間で交渉が行われている最中だ。
不偏不党、独立したジャーナリズムを貫くBB
Cは政府や権力者側にとっては煙たい存在だ。同
時に、予算面から太刀打ちできないほとんどの民
放やデジタルニュースの発信においてBBCをラ
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月8日まで受け付けた。来春には結果をまとめ フレ率との連動はBBC経営陣の悲願だった。ラ
イセンス料体制の5年後がどうなるのかは不明で
た文 書 を 出 す 予 定 だ 。
場合によっては廃止となる可能性もあるBBC も、体制自体が維持され、しかもインフレ率との
トラストは、早速、政府の提案書への見解を発表 連動という実利を政府に約束させることに成功し
た 経 営 陣 だ っ た が、 そ の 代 わ り に 引 き 受 け た の
した 。
「情報を与え、教育し、楽しませるBBC」「さ が、 歳以上の高齢者のライセンス料支払い分の
まざまな人にさまざまな番組を提供するBBC」 負担であった。この年齢以上になると、ライセン
「政府からの独立を維持するBBC」故にこそ、 ス料を支払う必要がなくなるが、その分をこれま
国民から支持を得ていると述べ、「BBC は政府 では国庫が負担してきた。
月8日、トラストは政府提案に対する正式な
にも、そして経営陣にも所有されていない。ライ
センス料を払う国民が所有している」と続けた。 回答書を発表した。先に、視聴者から今後のBB
BBC は「常に万人のために存在する」「独立 Cについての意見募集を開始しており(受け付け
している──国営放送でもなければ、商業放送で 締め切りは 月5日)、それまでに寄せられた4
もない」。この「二つの原則を満たすように存立 万人の意見や独自の調査に参加した3000人の
意見を反映した回答書である。視聴者を味方にし
し、資金が提供されるべきだ」。
規模についての箇所では、「BBC のサービス ながら政府に対抗してきたといってよいだろう。
リリース文書には、「 % がBBC を支持して
の将来の規模やスコープについての決定がなされ
る場合、必ず国民に意見を言う機会が与えられる いる」「 % がもっとBBC に触れたいという」
べ き だ」 と し て 、 政 府 と B B C 経 営 陣 と の 「 密 「 % が B B C は 政 府 や 政 治 家 か ら 独 立 し て い る
べきだと考えている」「3分の2が、BBC は新
約」 に 対 し 、 強 い 異 議 を 申 し 立 て た 。
「密約」が分かったのは、文化・メディア・ス たなオンラインのプラットホームを開発すること
ポーツ省による提案書が出る前、つまりは正式に を支持している」などと市民の声を入れた。
BBC存続の命綱ともいえるライセンス料体制
交渉 が 始 ま る 以 前 の 7 月 上 旬 だ っ た 。
財務相が予算案の発表時に、一時は停止されて については、「近代化は必要」としながらも、サ
いた、ライセンス料の値上げをインフレ率と連動 ブスクリプション制(希望者が視聴料を払う形)
すること、今後5年はこの体制が維持されること への移行には反対した。「全ての人に同じサービ
スを届けるというBBCの公共放送としての原則
を表 明 し た 。
過去5年凍結状態となっているライセンス料は に合わない」からだ。また、ライセンス料を他の
実質的には額が減少していることを意味し、イン 放送局と分ける案にも反対した。そして、再度、
運営資金のシステムについて政府が民意を問うこ
となく決めてしまったことは「BBCの独立性」
や「視聴者」を「傷つける」として、意思決定の
透明化を訴えた。
今後、BBCがライセンス体制の変化という形
で縮小化される方向に進むのか、少なくとも向こ
う5年間の経営はより安泰となるのか、現在のと
ころ、予断を許さない。政府側もBBC側も世論
やメディアの論調が頼みの綱だ。これからも、ど
ちらかに意見が動くよう、縮小方向に傾く与党保
守党議員や現状維持か拡大を緩やかに支持する野
党労働党議員らがメディアやイベントを通じて、
それぞれの主張を表明していくだろう。
BBCが視聴者の支援を当てにする一方で、政
府側にはメディア環境の激変という追い風が吹
く。 国 民 の 中 で B B C へ の 愛 着 が 強 い の は 確 か
だ。しかし、テレビを見る人はネット時代でも多
いものの、動画投稿サイト、ユーチューブ、ソー
シャルメディアのフェイスブック、それに長編ド
ラマをオンデマンドで提供する「ネットフリック
ス」が人気を高めており、BBC以外の新規サー
ビスが力を付けてきている。BBCはデジタルメ
ディアとしても国内で圧倒的な位置を占めるが、
メディア利用の個人化(個々の利用者が好みのメ
ディアを好きなように消費)が進む中、「誰にも
同じサービスを提供する」がモットーのBBCを
視聴するために税金のような形でライセンス料を
支払うやり方がいつまで通用するかという疑問が
残る。
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平和の持続、政党とジャーナリズムの責任
明治維新以上の歴史大変の時代
原 野 和 夫
︵元時事通信社社長、元プロ野球パシフィック・リーグ会長︶
親戚の軍人さんが時々、馬に乗って家に来た。
馬の番の兵隊さんは門のそばで何時間も待たされ
た。軍服のほこりと汗の臭いが残った。近所に共
産党の人がいるとかで憲兵が辺りにちょくちょく
現れて気持ちが悪かった。
もともと気弱で内気だったからとても兵隊には
なれない、なりたくないと思った。兵隊に行かな
いで済ますには理科に進めばいい。理科の学生に
は大学を出るまで徴兵が猶予される制度があった。
高校︵旧制︶受験は迷わず理科を選んだ。そう
いう連中は結構多かった。もし大学を出る時に戦
争が続いていたとしても、兵器などを研究開発す
る﹁技術将校﹂になれば第一線に行かされること
はあるまいと考えた。
国民総動員令、そして敗戦
昭 和 ︵1942︶ 年、 高 校 に 進 ん だ。 そ の
夏、ミッドウェー海戦。後で分かったが大本営発
表と違ってこの海戦は日本の負けだった。戦争の
雲行きは怪しくなっていた。
それでも高校のキャンパスは世間と違って伸び
やかな気分があった。﹁自治と自由﹂が案外残っ
ていて、大学での配属将校は座学でクラウゼビッ
おう か
ツ を 教 え て く れ た。 そ れ な り の 青 春 を 謳 歌 で き
た。ただ、寮でかわいがってくれた先輩が召集を
受け、黙々と帰郷の荷造りをしながら﹁しっかり
勉強しろよな﹂と逆に励ましてくれた時は何と言
っていいのか、言葉が出なかった。
高校2年、1945年の3月、ついに国民総動員
( 8 )
昭和の子供、軍国主義の浸透
骨をお迎えに行くのに変わった。
昭和 ︵1941︶年、中学2年の冬に大東亜
戦争が始まった。寒い校庭で校長先生の話を聞い
た。真珠湾攻撃、マレー沖海戦、大勝利の大本営
発表に先生も生徒も浮かれたような雰囲気だった。
中学2年からよくできる子は幼年学校へ行っ
た。4年になると陸士、海兵に行く仲間も少なく
なかった。当時、中学校以上の学校には配属将校
といって現役か退役かの陸軍将校が教官として派
遣されていた。
週 に 2 回 く ら い 教 練 が あ っ た。﹁目 標 ! 前 方
ほ ふく
の一本松! 匍匐前進! 突撃に前へ!﹂と大声
の号令に従って戦争の練習のような戦ごっこをさ
せられた。
重い銃を担いで一晩中歩く夜行軍もあった。木
銃で相手を突き合う銃剣術でたまに本当に突かれ
るとまさに死ぬ思いだった。
体験入隊というのか、地元の歩兵連隊に行かさ
れた。兵隊さんは案外親切だったが、兵舎は南京
虫とシラミの巣。1週間ほどで帰る時は足が腫れ
上がって編み上げ靴が履けなかった。﹁かわいそ
うに﹂と母親が嘆いた。
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戦後70年に想う(8)
学 校 へ 上 が る 前、 家 の ラ ジ オ か ら ﹁昭 和 の 子
供﹂の歌がよく聞こえた。昭和に改元されてすぐ
に、NHKが制作した歌の一つ。
〝僕 た ち は 姿 も き り り、 心 も き り り、 山、 山 な
ら富士の山〟と調子が良くて、新しい昭和の時代
に希 望 を 託 す よ う な リ ズ ム だ っ た 。
昭和9︵1934︶年、小学校に上った私たち
昭和2、3年生まれには、私も含めて昭か和の付
く名前の子が多かった。新しい国定の国語教科書
はサクラ読本。﹁サイタサイタ、サクラガサイタ﹂
の後に﹁ススメススメ、ヘイタイススメ﹂とあっ
た。 教 科 書 に 軍 国 色 が 入 っ て き た 。
3年生の夏、盧溝橋事件。﹁支那事変﹂│日中戦
争 が 始 ま っ た。教 室 の 壁 に﹁支 那﹂︵中 国︶の 地
図が張られ、〝皇軍〟が占領したところへ日の丸
の印 が 付 け ら れ て い っ た 。
その暮れに南京陥落。手をつないでちょうちん
行列に行った。戦が進むにつれて先生に連れられ
て駅に出征兵士を送りに行った。万歳々々と日の
丸の小旗を振った。それが6年生の頃になると遺
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令が出た。小学生︵国民学校と改称されていた︶を
除いて中学生以上は一人残らず工場へ動員された。
私たちは山口から下関の近くの島の亜鉛製錬工
ようさい
場へ行った。当時は要塞地帯で駅には憲兵がいて
リュックの中の本を検閲した。ドイツ語の本なら
OKだった。高校の寮の飯はイモかイモの茎だっ
たが、工場の寮では麦飯にありつけた。炎暑の工
場で三交代勤務。トロッコを押したり、溶けた亜
鉛を か き 出 し た り の 重 労 働 は き つ か っ た 。
下関も空襲された。日本の戦闘機がB に次々
と挑んで行ったが次々に撃ち落とされて海峡に沈
んだ。工場の寮の屋根に上ってそれを見ながら、
﹁俺 た ち も 本 土 決 戦 に な っ た ら ど こ か の 海 岸 に 行
かさ れ る の か な あ ﹂ と 話 し 合 っ た 。
夏、広島に﹁新型爆弾﹂が落とされ、広島はも
う 年住めない、広島より向こうから来ている人
はもう家に帰れない、といわれた。続けてソ連参
戦。タブロイド4㌻の新聞を見ながら﹁もう駄目
だ、終わりだな﹂とみんな口をそろえた。その1
週間後に玉音放送。﹁もう空襲はない。負けたの
だ﹂ と 自 宅 へ 帰 っ て 母 と 話 し た 。
1カ月ほどで高校は再開された。生気を取り戻
し次々に学友が帰って来た。戦争のため2年制に
よししげ
短縮されていた高校は安倍能成さんが文部大臣に
なる と 、 真 っ 先 に 3 年 制 に 戻 し て く れ た 。
時事通信の創業
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理科に進んだため大学受験の段になって迷っ
た。文系に受かる自信はない。理系でなるべくつ
ぶしの利くところ、と考えて農学部を選んだ。と
ころが根気の要る実験が途中で嫌になった。とて
も研究者やもの作りはダメと自分を見限って科学
記者を目指そうとしたが、戦後間もなくでどこも
科学記者の募集がない。困っていたら親戚の一人
が﹁時事通信で2、3人採るらしい﹂と教えてく
れ、その紹介のおかげで採用してもらった。
時事通信社は共同通信社とともに同盟通信社の
後 身。 戦 争 中 ︵昭 和 年 以 来︶ 政 府 の 助 成 を 受
け、アジア各地にも多くの社員を派遣して情報活
動をしてきたので、戦後すぐに連合国軍総司令部
︵GHQ ︶から解散命令が出た。形式上は自主解
散して、同盟がやっていた新聞向けのサービスを
共同が、その他の出版や個人、会社向けのサービ
スと外地から引き揚げてくる旧同盟社員受け入れ
を時事が分担して継承することになった。
同盟の解散手当を出し合って資本金 万円の時
事通信社が発足したものの商売はみんな素人。稼
ぐ手だてがない。幸い戦争中の紙の割り当てが残
っていた。読むものがなくて﹁白い紙を黒くすれ
ば売れる﹂といわれていた。徳田球一・志賀義雄
の﹃獄中十八年﹄とか野坂参三の﹃亡命十六年﹄
とか、やや際物の本や雑誌を出したり、和文タイ
プ印刷の﹁速報﹂や活版刷りの専門通信を出した
りしたがなかなか売れない。経営は危機の連続。
入社した1950年、朝鮮戦争が始まるとGHQ
がマスコミ界の共産党員追放を指令した。 社、
約700人が職場を追われた。時事の優秀な先輩
人が辞めさせられた。
初 期 の 社 史 に は﹁創 意 努 力﹂﹁自 主 独 立﹂な ど
さん たん
の言葉とともに、﹁苦心惨憺﹂などの四字熟語が
たくさん出てくる。給料が安いので﹁時事地獄﹂
とやゆされた頃もあった。通信社だから人材はも
ちろん内外の専用線網を整備しなければならない
し、送稿手段もレベルアップしなければならない。
一応の形ができるまでは給与も上げられなかった。
そういうところへレッドパージがあった。労働
組合ができた。当時は﹁全新聞労働組合時事通信
支部﹂といったが、やがて会社側の息のかかった
組合ができ、一時は二つの組合が並立した。
奮励努力の末、創業 年後には専用線網、ファク
ス通信網も何とか形が付いて通信社らしくなった。
私自身も出版局から編集局の政治部や海外部で
修業した。米軍政下の沖縄駐在は貴重な経験だっ
た。軍政はGHQ よりも厳しかったが、 年、ケ
ネディ大統領の行政命令で民政官が文民に代わ
り、初の日本政府調査団が訪問して一時明るい期
待を持たせた。沖縄の人たちと喜び合ったが、そ
の後も基地はなかなか減らず、事故も絶えなかっ
た。 年以上たったが、基地負担の苦しみはまだ
当時とあまり変っていない。嘉手納基地移転はい
つ実現するのだろう。
時移って今やメディア界の変貌は予想もできな
かったほどだ。IT革命で内外ともにメディアは
革命的に進化して、私には理解しにくくなった。
国際的な情報競争はさらに厳しくなりそうだ。日
本のメディアがその中で確固とした存在になり影
響力が大きくなるのを祈るばかりだ。
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﹁失われた 年﹂、野球で充実
首位打者となるなどニュースメーカーとなった。
年にはJ リーグがスタートした。競争してスポ
ーツ人気を高めたが、2000年、イチロー選手
は大リーグへ。私もこの年でバトンを渡した。
1990年にバブルが崩壊し、リストラがはや
るなど世紀末の 年間は﹁失われた 年﹂といわ
れたが、私自身はスポーツのおかげで実り多き
年だった。
歴史に学ぶ
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スポーツも〝国際化〟して、日本の選手が海外
で活躍し、海外の選手も日本で活躍、国際ゲーム
もうんと増えた。国際交流を促す文化となった。
もうスポーツ省ができてもいいのにと思っていた
ら、ようやくスポーツ庁が今年発足した。良かっ
たがちょっと遅まきだ。
1920年のオリンピックのための新国立競技
場建設計画が白紙還元、仕切り直しとなった。エ
ンブレムもやり直し。国を挙げてのイベントにし
ては決定、合意形成に至るまでの当事者の責任が
あいまいだった。
民でも官でもトラブルが浮上するとこの頃はと
か く 〝第 三 者 委 員 会〟 で 検 証 す る と い う 例 が 多
い。衆知を集めて会議を重ねて決めたはずでもプ
ロセスに責任感が欠けているためだ。
例証とはいえないが教訓はある。昭和の戦争は
軍部の力によってずるずると戦火を開いた。満州
事変の時、横田喜三郎や石橋湛山らが反対したの
に世論とはならなかった。国際連盟脱退の時は政
界も多くのメディアも傍観ないしはあおるような
論調だったという。
日露戦争後、大正デモクラシーの運動が起こっ
たものの、政党が熱意を示さず運動は分解した。
五・一五事件で犬養内閣がつぶれて政党内閣が
しゅう えん
終 焉、 軍 が 政 治 力 を 増 し て い く の を 政 党 も 世 論
もチェックできなかった。言ってみれば二・二六
事件も開戦も終戦も、最後は〝聖断〟によって結
末が付いた。民主制の今とは時代が違うが、例え
ば大正デモクラシーの時代に政党と言論界がもっ
と力を出していたら歴史は変わっていたのでは、
とはかないことを考える。
新安保関連法が成立して限定的とはいえ集団的
自衛権が容認された。理屈を言えば憲法を改正す
るのが先だろうがそれはいつのことやら分からな
い。周辺の情勢が変化してきたから憲法解釈を新
たにして抑止力を高める手だてをする。やむを得
ないと見るか否か。いずれにしろ法律が成立した
以 上、 問 題 は そ の 運 用 だ。 チ ェ ッ ク す る の は 国
会、そしてジャーナリズムだ。
天皇2代、昭和のほぼ全部と平成の 年を生き
てきた。明治維新以上に日本歴史大変の時代。自
分は戦場に行かずに済んだが、何百万の人が昭和
の戦争で亡くなった。この痛みが消えることはない。
戦争を知る世代も残り少ない。戦争を知らない
で済むに越したことはないが、昭和の戦争を風化
させてはならぬ。歴史を検証し、後世に伝え、歴
史に学ばねばならぬ、それをジャーナリズムは担
っている。
( 10 )
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平成3︵1991︶年、時事通信を卒業したら
思いもかけずプロ野球から口が掛かった。イチロ
ー選手と同期でパシフィック・リーグのお世話に
なることになった。ニュースを取材する側から取
材される側になるとは思わなかった。話があった
時、スポーツ界にも政界にも詳しい先輩と話した
ら、﹁スポーツの世界も政界に似て案外古いとこ
ろが あ る 。 苦 労 す る ぞ ﹂ と 言 わ れ た 。
でも案に相違して野球界は明るく楽しかった。
何しろ野球好きばかりが集っているのだから足を
引っ張るようなことはない。かつては暴力団が介
入して良からぬ問題もあったが、すでにクリーニ
ング さ れ て い た 。
球団同士は勝った負けたで争っているが、リー
グあるいは組織全体としてはいかに観客を増や
し、人気を上げ、収入を増やすかの目的の前には
一致団結だ。フランクに意見を言い合える雰囲気
で知恵を出し合った。観客動員も徐々に増えた。
5年目の1995年1月、阪神淡路大震災が起
きた。2月1日のキャンプイン直前だ。予定通り
公 式 戦 に 入 れ る か、 入 っ て い い の か と 危 ぶ ん だ
が、こういう時だからこそ元気を取り戻すために
やるべきだと球団が一丸となった。﹁がんばろう
神戸﹂の掛け声高く開幕した時は選手も球団幹部
も観 客 も 充 実 感 い っ ぱ い だ っ た 。
イチロー選手は前の年に年間安打210本の歴
史的記録を作り、3年連続MVP、7年連続パの
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●特派員リレー報告 ︵ ︶
1600人圧死にも怒らぬアラブ世論
メッカ巡礼事故、抑制反応の背景
く非難した。
しかし、サウジ側は﹁悲劇を政治利用すべきで
ない﹂︵ジュベイル外相︶と批判を一蹴し、取り
合わなかった。イラン国内では、サウジ側の遺体
の扱いなどについても批判が高まり、首都テヘラ
ンのサウジ大使館前では﹁サウジ王室に死を﹂と
叫ぶ抗議デモが行われ、国内メディアでもサウジ
ちイラン人巡礼者が460人以上に達しており、
ところが、アラブ世界では、こうした批判の高
岡 良
サウジアラビアのイスラム教聖地メッカで9月
突出して多い。イランの最高指導者ハメネイ師は
まりが見られない。イランに次ぐ規模の170人
時事通信社カイロ特派員 吉
日、イスラム暦で年に1度の大巡礼︵ハッジ︶
事件発生直後、サウジ当局の運営が不適切だった
以上が命を落としたエジプトのシシ大統領は
の対応を非難する報道一色となった。
に参加していた1600人以上が圧死する悲惨な
と指摘し、﹁全世界の遺族に謝罪すべきだ﹂と強
月
事故が起きた。 月中旬時点で、死者に地元サウ
ジ人が含まれていたとの情報はなく、いずれも遠
路は る ば る や っ て 来 た 外 国 人 だ っ た 。
ハッジでは、ピークの日には1日に200万人
以上の巡礼者が特定の場所で儀式を行い、混乱に
よる圧死事故が相次いでいる。規模が多いケース
では、1990年に約1400人が命を落とす事
故が起きたほか、2006年にも300人以上が
犠牲になった。今年の事故はこれらを上回り、過
去最 悪 の 規 模 と な っ た
しかし、悲劇を繰り返す形でこれほどの数の犠
牲者が出たにもかかわらず、アラブ世界でサウジ
当局による運営を批判する声はあまり聞かれな
い。その背景には、宗教や政治に巡礼者の懐事情
も絡 ん だ さ ま ざ ま な 理 由 が あ る よ う だ 。
た﹂︵9月
日付のアラブ圏紙アッシャルク・ア
わずに順路と逆方向に動き始め、圧死事故を招い
は﹁イランの巡礼団300人が行程表の指示に従
逆に、エジプトを含むアラブ諸国のメディアで
非難するのは﹁フェアではない﹂と擁護に回った。
いる。感謝すべきだ﹂と訴え、サウジを一方的に
5日の演説で﹁サウジは毎年ハッジを受け入れて
10
的な構図からサウジ側を擁護する向きが多い。
ラブ世界では、事件の分析うんぬんよりも、政治
こうした状況から、スンニ派が多数を占めるア
支援し合うなど、鋭く対立している。
も内戦が続くシリアやイエメンで敵対する陣営を
革命以降、長年にわたって緊張関係にあり、現在
と、シーア派の大国イランは1979年のイラン
イスラム教スンニ派の盟主を自任するサウジ
に混乱の原因があるかのような報道が目立った。
ルアウサト1面記事︶といった、あたかもイラン
26
( 11 )
47
批判と擁護、政治的背景色濃く
メッカ近郊メナに設置された巡礼者用のテント。ハッジ参加者は
出身国別に分けられ、テントで宿泊する(巡礼者提供)
10
24
犠牲者の出身国は カ国以上に及ぶが、このう
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困難な運営、擁護論の背景に
況が生まれてしまう。
ば、たちまち次々と人が押しつぶされるような状
であれ、一つの問題で人波の流れに停滞が生じれ
けに生じたかは分かっていない。ただ、何が原因
時期を変えることはあり得ない﹂というわけだ。
ハンマドの行いに倣い、特定の日に行うものだ。
ぜんとした表情を浮かべる。﹁ハッジは預言者ム
散してはどうか﹂と尋ねると、決まって相手はあ
いった形で定められている。今回の事故は﹁石投
﹁ 石 拾 い﹂ を 行 い 、 3 日 目 に ﹁ 石 投 げ﹂ を 行 う と
の う ち 最 初 の 3 日 間 は、 メ ッ カ 近 郊 で 2 日 目 に
人の数は加速度的に増えていった。
から人波が押し寄せ続けたため、押しつぶされる
識だった。ところが、現場に向かって複数の方向
時点で、当局は﹁数十人程度が死傷した﹂との認
かし、 世紀も後半になると、メッカへの旅客機
一握りの富裕層にしかなし得ないものだった。し
で長い時間をかけてメッカを訪れるという、ごく
の遠隔地からの巡礼は、旅団を組み、船やラクダ
7世紀以降のイスラム教の歴史の中で、かつて
げ﹂ を 行 う 3 日 目 に 発 生 し た が 、 こ の 儀 式 は 時
圧死が最初に発生した9月 日午前7時ごろの
24
ハッジはイスラム暦 月8日︵西暦2015年
では 9 月 日 。 イ ス ラ ム 暦 は 太 陰 暦 で 1 年 が 日
11
12
ほど短い︶から5、6日かけて行われる儀式。こ
22
サ ウ ジ 当 局 は、 過 去 に 圧 死 事 故 の 教 訓 を 踏 ま
齢者を中心に熱中症や脱水症状を起こす人々も出
前後に達していたという。動きが取れない中、高
人も多い。一方、地球上でイスラム教徒の人口は
が大幅に短縮された結果、繰り返しハッジを行う
届くようになった。また、富裕層では、移動時間
て押し合いへし合いになる状況を完全に防ぐのは
とか確保されていたが、今年のハッジに参加した
た。その頃になると、倒れた負傷者の搬送路も何
とって一生に一度のハッジは宗教上の重要な義
の歯止めを掛けている。しかし、イスラム教徒に
けビザ発給を制限するなど、巡礼者の増加に一定
サウジ当局は、同一人物への複数回のハッジ向
飛躍的に増加し続けている。
てくる。道路は人で埋め尽くされ、救急車が現場
最初の発生から 時間ほどたっても混乱は続い
極めて難しい状況だ。今回の事故でも、圧死者が
エジプト人ジャーナリストによると、あまりの数
続出 す る 状 況 が 生 ま れ た 。
を極端に制限する方針は取っていない。
こういう情報に接すると﹁200万
を落とすなら、その運命を受け入れるべきだ﹂と
ところで、イスラム教徒の間では﹁ハッジで命
﹁メッカで死ねれば光栄﹂
人以上が1日に決まった行程で定めら
の考え方も根強い。それは、ハッジが宗教的に極
ハッジ経験のあるエジプト紙記者は、今回の事
れた巡礼儀式を行うことに、そもそも
る。ただ、イスラム教徒の人々に﹁混
故を受けた責任の所在に関し、
﹁悲しい出来事で、
めて重視されているからだ。
乱回避のため、巡礼儀式を数日間に分
無理があるのではないか﹂と思えてく
運ぶ光景が見られたという。
機で遺体をまとめて掘り起こすように
事態を防ぐ必要もあったことから、重
務。厳格なイスラム国家であるサウジは、ハッジ
12
に救急車による作業が間に合わず、感染症拡大の
努めてきた。ただ、数が数だけに、人々が殺到し
え、この投石について巡礼者の出身国別に時間を
での往来が容易となり、ハッジは多くの人に手が
20
に駆け付けることもできなかった。
さらに、メッカではこの日、日中の気温が 度
45
定めたり、スペースを拡張したりして混乱防止に
う状 況 下 で 起 き た 。
間の間に200万人以上が投石場所を訪れるとい
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今回の事故も、圧死者が出る状況が何をきっか
メッカ近郊メナで起きた圧死事
故現場で、白い布をかけて置か
れたままの遺体= 9 月24日撮影
(巡礼者提供)
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メ デ ィ ア 展 望
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巡礼者を受け入れるということで運営に全力を尽
サウジは事故原因の分析を進めているし、大量の
ことなどを指摘すると、インターネット上で﹁う
のテレビ番組で、当局の交通整理が不十分だった
ジー・ゲナディさんはその1人。ただ、エジプト
遺族らの苦しみは大きい。しかし、これは運命だ。 トの雑誌副編集長で、今年ハッジに参加したスー
り少なくとも7000㌦︵約
のレベルによって大きく異なるものの﹁1人当た
なったとはいえ、コストは渡航元の地域や宿泊先
援の存在だ。大巡礼が人々にとって身近な存在と
万円︶はかかる﹂
くしていると思う。例えば、あなたがオフィスに
向かう際、無事にたどり着けるかは分からない。
者﹂といったバッシングの嵐が吹き荒れた。
そつき﹂
﹁
︵イランの国教である︶シーア派の回し ︵ハッジ経験者︶というのが実態。そのため、富
ものだ。ただ、シシ大統領も先に触れた演説の中
ラム教徒でない日本人にはなかなか理解しにくい
こうしたある種、達観した受け止め方は、イス
最悪だ﹂と訴える。ただ﹁悲劇を繰り返さないた
するのは良くない。悲劇を政治的に利用するのは
付けたり、サウジ当局を人殺しのように言ったり
ゲナディさんは﹁イランの巡礼者に責任を押し
ンド︵約 万円︶程度だったという。
によると、自己負担額は2万3000エジプトポ
援が行われている。今年支援を受けた巡礼者の話
エジプトでは毎年、巡礼希望者に対する公的支
行為﹂︵同︶であるのが実情だ。
で、会場にいたエジプトのイスラム教最高権威機
めにも、事実に対して沈黙することは良くない﹂
によみがえる。その時、ハッジをしていることに
た人は、命を落とした時の状況で世界の終末の日
﹁犠 牲 に 対 し て 哀 悼 の 意 を 表 す る。 命 を 落 と し
摘。雑踏管理や事故発生時の対応の在り方を大幅
が生まれたことなどは﹁大きな問題だった﹂と指
せようとして現場で人々がさらに圧迫される状況
ゲナディさんは、救急車を無理に現場に向かわ
決める。毎年希望者が殺到するため、当局側は将
者の数は、エジプトとサウジの両当局が協議して
3000人が公的支援を受けたという。支給対象
渡航したのは約6万2000人。このうち、2万
今年の場合、エジプトから巡礼目的でサウジに
なる で は な い か ﹂
突然の死を迎えたことは悲しい出来事であるも
関する批判を避けている。エジプト国民の間では
を支えているという事情も背景に、政府が事件に
を減らしたり、減額したりするのも方策の一つと
ッジ参加者を制限したいなら、この支援の対象者
サウジにとってみれば、混乱を避けるためにハ
いる。
今回の犠牲者の家族の中には、遺体を祖国に送
2013 年 の 事 実 上 の ク ー デ タ ー 以 降、﹁政 府 方
なる。毎年、選ばれるのを心待ちにしている人々
のの、その舞台が聖地であったことを前向きに捉
り返さず、あえてメッカで埋葬することを選ぶ人
針に反する余計なことを言うべきではない﹂とい
える べ き だ と の 発 想 だ 。
も多いという。遺体搬送は個人負担にはならない
にとってみれば、サウジに批判を加える人々に対
う風潮は変わらない﹂と話した。
らい豊かにならないと、批判してはいけないとい
は﹁結局のところ、皆が支援なしで巡礼できるく
募るとしても不思議ではない。エジプト人の知人
う空気が広がっている。ゲナディさんへの批判に
公的支援削減への懸念も影響か
ようだが、経済的な理由ではなく、﹁メッカで葬
異論を封じる社会の風潮
このほか、批判が抑制的であることに影響して
して﹁余計なことをしてくれるな﹂という思いが
一方、そんなアラブ世界でも少数派ながら、事
いるとみられるのが、メッカ巡礼に対する公的支
も、こうした傾向が表れているように映る。
エジプト政府は、サウジがエジプトの国家財政
来のチャンスが限られた高齢者を優先的に選んで
と強調する。
関アズハルのタイイブ総長の方を見ながら、以下
裕層を除くと﹁一生に一度の夢をかなえるための
人はいつ死ぬか分からないのだ﹂と話していた。
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に改める必要があるとの考えを示した。
のよ う な 宗 教 的 な 発 言 を 行 っ て い る 。
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られ る こ と は 光 栄 ﹂ と の 考 え か ら だ 。
件を批判的に分析する知識人が存在する。エジプ
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人無
事、1人は虚偽通報﹂と発表したが、これはミス
日 午 前 に﹁
さをカバーする記者クラブの圧力団体としての良
リードだった。﹁虚偽通報があった﹂というのは
な が ら、 速 報 し な か っ た。
い意味での権能が生かされていないのではない
勘違いだった。県警からの指摘で 日にやっと訂
理論武装が足りない。その上、取材力も弱い。弱
か。各現場の記者会見でまとまった追及、発表要
正発表した。
事態である。
い。匿名とか実名発表をうんぬんする以前の非常
求はしていたのか。報道を見る限りそれが見えな
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どうしてこうなるのか。報道記事を点検した。
すると﹁行方不明者の氏名は最初から発表されて
人不
被害情報などは﹁要配慮個人情報﹂とされ、取得
いうのは﹁あんこのないまんじゅうを食う﹂とい
明﹂と発表されるままに報道していたのか。こう
いない﹂ことが分かった。驚きである。﹁
する場合に本人から同意を得ることを義務付けら
日午後の記者
察は発表内容をほしいままに決められる。犯罪被
﹁第2次犯罪被害者等基本計画﹂の規定では、警
ろ う。 さ ら に ﹁犯 罪 被 害 者 等 基 本 法﹂ に 基 づ く
報保護法も同市の条例も﹁本人の同意がなければ
報、人格を尊重したい﹂と言い訳をした。個人情
とには慎重にならざるを得ない。あくまで個人情
会見で﹁人命に関わる情報なので個人名を出すこ
報道によると、高杉常総市長は
害者等は匿名発表を望むものと決め付けているか
公的情報の退蔵、私物化が目に余る。鬼怒川の
大氾濫に注意喚起もせず、なすすべがなかった
個人情報を外部提供してはならない﹂と規定して
条には﹁生命、身体または財産の
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人を出した伊豆大
年4月の選挙
がら島外に出張していた。そのため避難勧告を出
で落選︶、副町長が大型台風接近の予報を知りな
島の土石流災害では、大島町長︵
年 月、死者、行方不明
例外規定を持ち出して追及したのか、どうか。
無視した。記者たちは記者会見の場で、これらの
とき﹂は本人の同意は不要という規定があるのに
例も同じで﹁緊急かつやむを得ないと認められる
保護のために必要な場合﹂の例外規定がある。条
しかし同法
らだ。この﹁計画﹂も取材・報道の自由を脅かし
日の鬼怒川の決壊では行方不明者の数が
鬼怒川大氾濫の情報混乱
置すれば﹁報道の自由﹂は廃れる。
城県や常総市、警察署へ任意同行した外国人不審
5W1Hの必須要素をますます発表しなくなるだ
うのではないのか。
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れた。施行は2年先とはいえ、警察は報道記事の
﹁個人情報保護法﹂は9月に改正された。犯罪
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ている。
﹁犯罪被害者等基本法﹂に基づく﹁計画﹂ いる。これが根拠らしい。
の 言 い 訳 は ﹁ 個 人 情 報 保 護 法﹂ で あ る 。 そ し て
﹁個別 事 案 は 説 明 で き な い ﹂ と 繰 り 返 す 。
常総市の行方不明者 人は﹁個別事案﹂ 件の
9月
二転三転した。常総市の発表では 日未明には一
人﹂ と い う ト ー タ ル の 数 字
だけでは真偽は不明だ。中身の発表を拒否した常
時的に 人にも達した。その後は午前9時に 人
に減り、その数字が続いた。ところが 日になっ
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積み重ねである。﹁
総市の高杉徹市長は記者会見で﹁個人情報をあく
まで尊重して発表しない﹂と言い張った。対する
て突然、一気に﹁ゼロ﹂になった。
城県は 日
報道側はそれを論破できないでいる。﹁人命より
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夜までには県警から﹁ 人は無事﹂と連絡を受け
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者を逃亡させた失態を情報公開せずに6人殺害を
井内 康文
の規定見直し期限は来年3月末に迫っている。放
元共同通信社社会部長
招いた埼玉県警││。いずれも9月に起きた。そ
「個人情報保護法」
にかまけてサボって
いないか
も個人情報保護が重要とは変だ﹂と誰でも思う。
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者の氏名を発表していた。情報公開では常総市よ
せずに批判を受けた。それでも大島町は行方不明
浸かっている様子をテレビで見たが、自衛隊の情
た。駐車場で陸上自衛隊の救援車両が何台も水に
県警担当がこの動きをつかめなかったのも残念だ。
せず、住民にはもちろん知らせなかった。各紙の
県警は﹁ 日朝の時点で市教委に対し、口頭で
報力も低い。
埼玉県警の大失態
りは 上 か 。
城県警は 日正午すぎに﹁9人無事﹂を確認
し午後7時すぎには残りの6人の生存を確認して
防災無線による注意喚起を依頼した﹂と発表して
日に訂正
日の捜査本部の会見で
いたが、熊谷市は﹁事実と異なる﹂と
を申し入れた。しかし、
も訂正されず、翌 日に熊谷署から﹁訂正前の情
日午後3時半、埼玉県警熊谷署に不審者
として任意同行、事情聴取中のペルー国籍のナカ
9月
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報が発表されてしまった﹂と説明があったという
22
︶が 逃 走 し
ダ ・ L ・V ・ ジ ョ ナ タ ン 容 疑 者︵
た。その後、逮捕された 日までに熊谷市内で3 ︵9月
日付埼玉新聞︶。
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県の対策本部に伝えた。記者クラブや常総市には
連絡しなかった。マスコミは 日午前の県の発表
まで記事にできなかった。疑問が浮かぶ。 日の
段階で各紙の県警担当はどうしてこの新事実をキ
ャッ チ で き な か っ た の か 。
15
ら早く広報したくなる明るい情報なのにどうした
こと か 。
帯 電 話 や 財 布 を 放 置 し て い た。 入 管 難 民 法 違 反
件、計6人を殺害した。逃走時にパスポート、携
たのではないか。県警は情報を握り込んだ理由を
素早く広報していれば一連の殺人は未然に防げ
捕状を取らなかったばかりか、逃走情報を抱え込
事案ではなかった﹂﹁殺人事件に発展するとは思
日に身内から殺人警官を出したばかりの県警
走情報を私物化してしまい、結果的に特異重大事
かしパトカー到着前に姿を消した。その後 日夕
ナカダ容疑者は逃走直後に熊谷市内の物置に隠
報を抱え込んだのはヘマを隠そうとしたのか。逃
社会の利害に関する重大な情報ではないか。情
のではないか、と素人でも想像できる。
い外国人が逃げ回っていたら何か悪いことをする
わなかった﹂などと釈明。携帯電話も所持金もな
和歌山県警は今年8月、イルカ追い込み漁を批
判する米国籍の作家リチャード・オバリー容疑者
城県防災・危機管理局長は﹁良いニ
ュースなので、翌朝まで待ってもいいと思った﹂
日付
を入管法違反︵旅券不携帯︶容疑で現行犯逮捕し
︵
わんや、だ。一連の情報運用の失敗は社会のため
に生かすべき﹁公的情報﹂を一部の幹部が独占し
それ以前に常総市には危機管理上の根本的な失
には田崎稔さん︵ ︶夫妻を殺害した。県警が
件を引き起こさせた。遺族や住民は納得すまい。
態 が あ っ た。 同 市 の 庁 舎 は 東 日 本 大 震 災 で 被 災
日の住居侵入事件で逮捕状を取ったのは 日にな
れていたのを住民に発見され110番された。し
し、機能喪失。昨年 月に同じ場所に3階建てで
て私 物 化 し た と い う こ と だ 。
ている。埼玉県警は頭が回らなかったのか?
城 新 聞︶ と 釈 明 し た と い う 。 何 を か い
田中豊明
んで住民やマスコミに広報しなかった。
秘密ではない。県警の努力で無事を確認したのな ︵旅券不携帯︶の容疑者だ。それなのに県警は逮 ﹁住居侵入は泥棒などでなく、一般的に周知する
安否情報は﹁逮捕状を取った﹂とかいう捜査の
30
30
の、さらなる大失態で善良な市民が6人も無残に
殺害されてしまったのだから⋮⋮。新聞も警察も
新築された。鬼怒川の決壊を想定したハザードマ
求しない。これは別件の逮捕状だろう。というこ
ってからだ。単純な住居侵入程度では逮捕状は請
け金高雅仁長官が﹁市民を守るため、警戒や防犯
一体どうしたのか。不思議でならない。警察庁は
ップには﹁庁舎周辺は1∼2㍍浸水する﹂と明記
とは田崎さん殺害を覚知した段階で県警はナカダ
に必要な情報発信の徹底が求められる﹂と遅まき
日に全国会議を開いた。6人殺害事件を受
されていたのに、1階に執務室を置いた。非常用
容疑者の犯行を疑っていたと言える。ところが県
ながら訓示したが、どうなることやら⋮⋮。
月
発電機、太陽光発電用の蓄電池も水没。停電で固
警は内外の警察に内部手配をしただけで指名手配
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定電話はつながらず、災対本部機能を数日間失っ
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﹁経済回帰﹂で支持率回復狙う
日ルール問題﹂、与野党思惑に違い
明けに訪米した際の議会演説で公約していること
でもあり、何としても通常国会での成立にこだわ
ったとみられる。
﹁
60
来夏参院選向け野党再編の行方も焦点
小 渕 敏 郎
︵共同通信社 政治部長︶
60
い わ ゆ る ﹁ 日 ル ー ル 問 題﹂ と い う の も あ っ
た。衆院で可決して参院に送った法案が参院で
日を経てなお採決されない場合、これを否決され
たと見なし、衆院で議席の3分の2以上をもって
再可決し、法案を成立させることができる、とい
うのが憲法上の規定だ。9月の 日以降、既に
日を過ぎて衆院で再可決できる期間に入った。し
かし与党としては何とか参院で採決したい。民主
党関係者が﹁徹底的に抗戦して、せめて 日ルー
ルを使わせたい﹂との認識を示したことがある。
なぜそういう考え方をしたかというと、それによ
って﹁数の横暴﹂を国民に印象付け、ひいては成
立後の各種世論調査での内閣支持率の下げ幅をよ
り大きくしたいという思惑が込められているので
はないかと思う。
与党としてはそんな思うつぼにはまるわけには
いかない。日本が直接攻撃を受けていなくても、
武力行使、つまり戦争に参加することができると
いう、これほど重要な法案を衆参二院制の中での
一院だけで決めてよいのかという、そもそも論も
あ る。し か も、﹁ね じ れ 国 会﹂で も な い。参 院 で
は与党が過半数を持っているのに、採決に至らず
衆院で再可決させるのでは参院不要論に直結して
しまう。参院議員のメンツから考えても、 日ル
ールは使わず、参院で採決しようという運びにな
( 16 )
60
60
目下、最大の焦点は安全保障関連法案だ。この
法案は審議を重ねれば重ねるほど国民の間に異論
が広がっていったことは各種世論調査でも裏付け
られている。衆院で審議入りして最初に提起され
たのは、﹁自衛隊員のリスクが増大するのではな
いか﹂との疑問だった。これに対して、政府側は
﹁リ ス ク が 増 え る こ と は な い。 し っ か り 安 全 対 策
は講じるので﹂という答えだった。明らかに自衛
隊の活動範囲が広がるのに、リスクが増大しない
という理屈はなかなか理解し難いところがあっ
た。こうしたことを言い募る答弁の姿勢自体が問
われるところから国会審議が始まった。︻編注
安保法案は9月 日未明、参院本会議において賛
成多 数 で 可 決 成 立 し た ︼
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憲法学者の違憲発言に衝撃
局面は大きく変わり、そもそも論に入っていく。
そもそも論とはどういうことか。﹁集団的自衛
権﹂について、
﹁憲法解釈上、認められない。
﹃必
要 最 小 限 度 の 武 力 行 使﹄ の 範 囲 か ら 逸 脱 し て い
る﹂というのがこれまでの政府見解だった。とこ
ろが去年の7月1日、﹁安全保障環境の変化﹂を
理由に﹁いや、これは認められるんだ﹂と政府見
解を変える閣議決定を行った。このこと自体がま
ずもって問われる論戦に変質したということだ。
そこから国民の目も次第にこの法案の在り方自
体に向いていった。5月からの世論調査の推移を
見ると、﹁法案反対﹂の見解が広がっていった。
8月の世論調査では、﹁ 年談話﹂が穏当な内容
になったと受け止められたこともあって、衆院通
過段階で下落した内閣支持率は若干回復したにせ
よ、いまだ﹁政府の説明不十分﹂が国民の8割前
後に上っている。
これだけ重要な法案であり、国民の理解がなか
なか広がらないことを踏まえれば、1国会だけで
こ れ を 押 し 通 す こ と へ の 懸 念 も 拡 大 し た。 し か
し、安倍晋三政権は当初から﹁決められる政治﹂
ということを意識し、首相がゴールデンウイーク
60
60
安倍政権の課題と展望
﹁本当に戦争に巻き込まれる危険性はないのか﹂
という論戦が国会で繰り広げられていく中で、与
党が衝撃を受けたのが憲法学者による違憲見解だ
った。野党推薦の学者ならまだしも、与党推薦の
憲法学者まで、衆院憲法審査会の場で﹁違憲法案
だ。違憲立法だ﹂といった考え方を示し、ここで
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った わ け だ 。
デモ、 年安保以来の高揚
ば、そういう形で民意をくみ取っていくのが国会 必要なのではないか、こういう世論も﹁決められ
での議論であり、だからこそ言論の府と言える。 る政治﹂を求める土壌をつくったのではないか。
ところが、昨今の政治はまず多数決ありきとい
﹁千万人といえども我ゆかん﹂という政治
う感が強い。選挙で議席が決められ、政府提出法
そこで登場してきたのが安倍政権であり、確固
案には全く指が触れられないまま与党の多数で成
立するケースが多い。これでは議会の役割・機能 たる信念があれば、反対者が﹁千万人といえども
が形骸化し、国民の間では国会も政治も遠い存在 我ゆかん﹂という政治だったといえる。安保の問
になってしまう。あまり切実感のない法案なら、 題を考えるに当たって現状の政治の在り方でよい
仕方ないなと政治不信に向かうだけだが、平和の のかどうか、もう一度深く掘り下げる仕事も必要
問 題、 戦 争 の 問 題 に 直 結 す る よ う な 法 案 に な る なのではないかと思っている。
と、一般の人々もやむにやまれぬ気持ちで国会周
年安保で言えば、あの運動が高揚した後、ラ
辺もしくは全国の街頭で意思表示をすることにな ジカルに動いたブントが解体して革共同などに流
る。だから今回、これだけの民意の盛り上がりが れ、大衆運動も終息し、3カ月後に行われた池田
あったのではないかと私は思っている。
勇人政権下での安保解散は自民党が圧勝し、あの
安倍首相は﹁民主主義だから最後は数だ﹂とい 時の民意は高度成長期の波に押し流されていった
う趣旨の発言をしている。だが、﹁多数決主義= という感がある。民主主義を担う主体の登場みた
民主主義﹂ではない。1回の選挙で勝てば、後は いなものを見いだしたのは、個の確立を唱えた近
何をやってもいいのではなく、民主主義とは絶え 代主義、戦後民主主義派の学者たちだったと思う
ずその時々の民意の移り変わりをくみ取る形で動 が、その期待通りにはならなかった。
いていくダイナミズムの中にこそあるわけだ。多
今表れている現象がこの安保国会が終了して、
数決ありきの発想が、現在の政治と国民の乖離現 どういった形で選挙なり今後の政治に反映されて
象として表れているのではないかと思う。
い く の か。 学 生 団 体 の S E A L Ds の 人 た ち は
第 2 次 安 倍 政 権 発 足 後 の 参 院 選 で 解 消 さ れ た ﹁リベラル勢力の結集﹂を野党側に求めていると
が、それまで﹁ねじれ国会﹂が断続的に続き、衆 いう動きもあるが、次の参院選で今回の運動がど
院と参院で多数派が違う。参院を握った野党が政 う結実もしくは形を成していくのか、私たちも見
局優先対応をして、参院が﹁政争の府﹂になって ていかなければならないと考えている。
しまい、必要な法案さえ前に進まない。自民党政
1強体制の背景は対抗勢力の不在
権末期から民主党政権に至る過程で﹁決められな
い政治﹂が続いた。決められない政治というのは
なぜこれだけ安倍首相が1強体制を築いている
いかがなものか。やはり政治には強いリーダーが のかといえば、当初はアベノミクス期待だった。
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私が政治部に来て以降、原発反対デモもあった
が、これだけの人が国会周辺で大規模なデモを行
うのは見た経験がない。この間、ある官僚も﹁入
省後、安全保障の課題でこれだけの規模のデモは
見たことがないね。恐らく 年安保以来だろう。
もちろん 年安保の方が国会周辺に集まる人の数
は圧倒的に多かったようだが﹂と話していた。
安全保障、戦争に直結するテーマでこれだけ政
かい り
治と民意が乖離するとどうなるか。党派色の強い
デモというより、やむにやまれぬ気持ちで国会周
辺に集まってきた人たちが多かったのではない
か。昨今、注目されている若い学生たちの話を聞
いても、旧来の新左翼の流れとか共産党系の流れ
などとは別に、一般学生が動いているという印象
がある。この点は特筆されていいのではないか。
多少青臭い話になるが、議会制民主主義の原点
に立ち戻って考えてみたい。議会という公開の場
での討論を通じて政府提出法案の問題点が明らか
になっていく。法案が閣議決定された時にメディ
アもその法案の問題点を指摘するが、公開の場で
与野党と政府側が討論することによって、おのず
とその問題点が浮き彫りになる。国民はその討論
を見て、ある一定の民意というものが形成されて
くる。その形成された民意をくみ取って、法案審
議の過程で修正なり法案審議時間なりに反映させ
ていくことで、国民の間の政治に対する参与感が
深まってくる。民主主義というのが国民主権なら
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首相が1年交代の使い捨て状態で、﹁もう政治の
混 迷 は こ り ご り だ。 民 主 党 政 権 も 真 っ 平 ご め ん
だ﹂という中で登場した安倍首相が真っ先に掲げ
たのがアベノミクスで、それに対する世論の期待
感は大きく、内閣の高支持率を支えてきた。それ
が日を追うごとにアベノミクス期待がじりじりと
後退し、いま内閣支持の理由を聞くと、﹁他に適
当な人がいないから﹂が一番多い。当初は﹁経済
政策に期待が持てるから﹂だったのが、いつの間
にか逆転して、8月の共同の世論調査では、﹁他
に適当な人がいないから﹂が %、﹁経済成長に
期 待 が 持 て る﹂ を 挙 げ る 人 は ・ 9% に す ぎ な
い。アベノミクスも手詰まり感が出てきた、さり
とて他に適当な人がいない。自民党を見渡しても
安倍首相に代わる人はいないし、自民党総裁選で
手を挙げようともしない。野党は相変わらずてん
で ん ば ら ば ら だ し、 民 主 党 は ア ピ ー ル 力 に 欠 け
る。こういう現状も﹁安倍1強﹂を支えている要
因になっていることが世論調査からもうかがえる。
対抗勢力が不在であることが自分の政権基盤を
支えていることを安倍首相はよく分かっているの
ではないか。だからこそ、昨年秋の自民党役員人
事や内閣改造で、自分のライバルになりかねない
石破茂氏を閣内に取り込み、安倍カラーとは対極
の自民党リベラル派の代表格とされている谷垣禎
一氏を幹事長として取り込むという形で周到に布
石を 打 っ て き た 。
そして野党はずっとばらばらでいてもらいた
い。 特 に 国 政 選 挙 で は、 衆 院 選 は 小 選 挙 区 制 だ
し、参院選のカギを握るのは改選1人区だから、
共産党以外の野党に複数立ってもらった方が相対
的に自民党に有利だと、野党分断工作のカードと
して維新に秋波を送り続けてきたのではないか。
フリートーキングする。﹁この問題はちょっとヤ
バイんじゃないか﹂
﹁じゃこういう手を打とう﹂
、
そういう官邸における政治判断が機動的にできて
いる感じだ。
新国立競技場の建設計画見直し問題にしても、
政治判断として遅きに失したといえようが、あの
段階で﹁一気に白紙に戻そう。総理として決断し
なければ、血税の話をこのまま放置していたら安
保よりまずくなる﹂とパッと判断する。このよう
な政権運営にたけた官邸の存在も、抵抗勢力の不
在とともに安倍体制の強さにつながってきた、と
いうのがここまでの話だ。
首相が1人で﹁疑似政権交代﹂を狙う
それでは向こう3年間、安倍政権は巡航速度で
政権運営を続けていけるのか。今回の安保法案で
恐らくまた内閣支持率は下がるだろう。それをど
う立て直すのか、官邸はこの夏前から周到に考え
てきた。それが﹁1人疑似政権交代﹂で、一言で
言えばもう1回アベノミクスに回帰しようという
ことだ。官邸がそう言っているわけではないが、
政権の中ではかなり話されているようだ。
年安保の時に、当時の岸信介首相が衆院で採
決を強行し、アイゼンハワー︵元大統領、愛称ア
イク︶の来日日程に合わせる形で自然承認に持っ
ていく。ところが、訪日日程を協議するため来日
したハガチー大統領報道官がデモ隊に包囲され米
海兵隊のヘリコプターで救助されたハガチー事件
などでアイク訪日が中止になり、責任を取る形で
岸氏が退陣した。
( 18 )
強さの源は先手先手の政権運営
もう一つ、この政権の強さとして挙げられるの
は先手先手の政権運営で、その最たるものが去年
年末の衆院解散だったと思う。
ではなぜあの時期に解散したのか。今年の今の
時期を見据えていたのではないか。昨年から見れ
ば、安全保障関連法案をこの通常国会で通し、夏
には原発再稼働をやり、 月1日に消費税増税を
迎えるというのが一連の政治日程だった。解散を
せず、増税を先送りせず、この時期に突っ込んで
いたら政権はもたないと思ったからこそ、消費税
増税を先送りすることを考えた。そのためには、
財務省と与党の中の増税派を抑えなければならな
い。単に増税先送りだけではさまざまな意見が与
党内からも出てしまうし、財務省は相当の巻き返
しに動くはずだ。だとするならば解散するしかな
いということで、先手を打った解散だった。首相
の政治判断で一番大事なのは解散の時期だが、こ
の点でも結果的には選挙で大勝して異論を封じる
ことができた。
政局の先を見て、先手先手を打っていく。これ
は安倍首相が1次政権で迷走を繰り広げた反省に
基づくものであると同時に、今の官邸は意思統一
に優れていて、菅義偉官房長官を中心に、総理、
首相秘書官などのミーティングの回数が非常に多
い。案件がなくても、取りあえず寄り集まって、
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その後に登場した池田勇人氏は﹁政治から経済
へ﹂﹁寛容と忍耐﹂﹁所得倍増論﹂を打ち出し、局
面転換を図る。それで安保のほとぼりが冷めたこ
ろに安保解散に打って出て勝利し、完全な局面転
換を図ることができた。これも一政党内の疑似政
権交代だったわけだ。田中角栄内閣が﹁金権﹂で
退陣すると、議会の子の﹁クリーン三木﹂を次の
首相に押し立て、振り子のように自民党イメージ
が変わる。そういう形で長期政権を築いてきたの
が自民党の強さの秘訣だった。これまで﹁政治﹂
で 押 し 通 し て き た 安 倍 首 相 も、 今 度 は も う 一 回
﹁経済 ﹂ で や っ て く れ と い う こ と だ 。
少し前、池田元首相の宏池会に長く身を置いた
谷垣禎一幹事長が安倍首相と会った時、首相にこ
んなことを進言したという話をしていた。﹁あな
たのおじいさんは安保条約をやった。批判も多か
ったが、今ではアメリカと同盟をして平和を保っ
てきたことに対して多くの日本人が評価してい
る。 し か し な が ら、 あ の 時、 岸 総 理 に 賛 成 す る
しゅん べつ
人・反対する人、敵・味方を峻別して、そして退
陣した。池田総理は﹃寛容と忍耐﹄を打ち出して
国民統合を図った。安倍さん、あなたはおじいさ
んの役だけではなく、池田さんの役も果たしてく
ださい。次は国民統合を考えるべきです﹂││と。
官邸も分かっていたのだろう。この秋の臨時国
会は﹁TPP︵環太平洋連携協定︶国会﹂でいこ
うという戦略を立てていたようだ。アベノミクス
の第一の矢、第二の矢に続く第三の矢の成長戦略
を明確に打ち出すために、その核となるTPPの
承認案件を秋の臨時国会に出し、その討論を通じ
て安倍政権の成長戦略をもう一度国民に印象付け
地方は疲弊したままで手詰まり感
ようというわけだ。
経済成長もうまくいっていない。この間の4│
総裁選で、立候補を届ける時には﹁政見﹂とい
う政策集を出す必要がある。これは自民党の機関 6月期のGDP︵国内総生産︶も年率1・6%減、
紙に載るものだが、安倍首相の﹁政見﹂には﹁ア 3四半期ぶりにマイナスで、消費税増税の落ち込
ベノミクス、いよいよ第二ステージへ﹂と大きく みが思うように回復できていない。内容をよく見
書かれている。もう一度﹁経済の安倍﹂で売って ると個人消費が落ち込んでいる。ではまた第一の
いこう、それで参院選につなげようという、政権 矢、第二の矢というわけにもいかないだろうと、
アベノミクスには手詰まり感が漂い始めている。
の戦略がここでも浮き彫りになっていた。
中国経済の影響で、株も乱高下してきた。2万
秋の臨時国会では﹁TPP国会﹂にして、もう
一度﹁経済の安倍﹂に戻って、来年5月末の伊勢 円が当たり前だったのが、一時期1万8000円
志摩サミットで首脳外交をアピールし、参院選に 割れもした。外的な要因だけでなく、内的にも円
なだれ込んで、もう一度参院選でも圧勝しよう。 安で原材料が高騰している。﹁景気回復の波を全
でき得れば﹁おおさか維新の会﹂にも勝ってもら 国津々浦々へ﹂というのがこの前の衆院選での常
って、憲法改正に必要な3分の2を確保したい、 とう句だったが、地方は疲弊したままで、﹁物価
上昇2%目標﹂も達成できていない。この状況で
という戦略だったのではないか。
ところが、夏前にそういう戦略を打ち立ててい ﹁アベノミクス∼いよいよ第二ステージへ﹂とい
たのが、この間の安保以外の動きを見ると、どれ う物言いが果たして来年の参院選で国民に通用す
もこれも全て誤算の連続だったのかもしれないと るのかという問題もある。
思わざるを得ない。
首脳外交でアピール
まず、TPPは7月末のハワイでの閣僚会議で
秋は首脳外交のシーズンで、首脳外交でいろい
妥結するかと思ったら、ニュージーランド、カナ
ダなどがバイの関係で妥結に至らずとなった。T ろアピールしようという算段も考えられていた。
PPの承認案件を秋の臨時国会に提出するのは難 その第一弾が9月初めの北京訪問だったが、見送
しい情勢になったし、年内に妥結したとしても通 られた。首相は北京に行きたかったらしい。アメ
常国会に回すしかない。これは農協票に影響して リカが顔をしかめる、その意を踏まえた外務省が
くるので、参院選直前の﹁TPP国会﹂が政権に ﹁や め て お い た 方 が い い﹂ と 言 っ て も、 首 相 は
とっては大きな誤算になってしまう。︻編注 T ﹁いや、北京には行った方がいいんじゃないのか﹂
PP交渉は最終的に大筋合意に至ったが、臨時国 と前のめりの姿勢だったと聞く。
これには前段があって、4月に中国の習近平国
会は召集見送りの方向になった︼
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家主席とインドネシアで会談した時、﹁9月の抗
日 年記念式典に安倍さんも来ていただきたい﹂
と求められた。これを一定の和解の場にすること
にも前向きな姿勢を示したことから、乗り気にな
ったようだ。安倍首相としては、8月 日に﹁戦
後 年 談 話﹂ を 出 し て 、 9 月 の 初 め に 北 京 に 行
き、そこでの首脳会談で和解の演出ができれば、
長く懸案であった歴史認識問題の一定の区切りに
なると踏んだのではないか。9月の初めといえば
安保法案もヤマ場を迎えている。﹁政権は抑止力
一辺倒ではないんだ。こういう形で平和外交も一
生懸命展開しているんだ﹂という姿勢をアピール
していこうとの思惑もあったのかもしれない。
8月の﹁戦後 年談話﹂は、北岡伸一座長代理
の有識者会議でつくった報告書を官邸が受け取
り、それを参考に首相がつくったものだが、その
報告書の中をつぶさに見ると、近隣外交について
こんなことを言っている。欧米とは和解できてい
る。だが、中国、韓国を念頭に﹁和解の道を歩ま
なかった国々﹂もある。それはなぜかというくだ
しん し
りだ。﹁加害者が真摯な態度で被害者に償うこと
は大前提であるが、被害者の側もこの加害者の気
持ちを寛容な心をもって受け止めることが重要で
ある﹂。つまり、ドイツがフランスやポーランド
と和解したのも、フランスやポーランドも寛容な
気持ちでドイツの謝罪を受け止めたからではない
か。中国や韓国も日本のおわびに対してそれなり
に寛容な心で接してもらえないとなかなか和解は
難しいよね、という趣旨のことが書かれている。
一方、首相の﹁ 年談話﹂は違っていた。中国
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残留孤児の問題を念頭に﹁中国に置き去りにされ
た3000人近い日本人の子どもたちが、無事成
長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を心
に留めなければなりません。戦争の苦痛をなめ尽
くした中国人の皆さんがそれほど寛容であるため
には、どれほどの心の 藤があり、いかほどの努
力が必要であったか、そのことに私たちは思いを
致さなければなりません﹂と、逆に中国人の寛容
さに対して感謝のメッセージを送っている。これ
はやはり、9月初めの北京での日中首脳会談で習
近平主席がこの﹁ 年談話﹂を評価することによ
って、歴史認識問題に区切りを付けたいという思い
が込められていたのではないかと私は受け取った。
その安倍首相の思いとは裏腹に、その後の日中
首脳会談に向けた事務レベル折衝では中国側の和
解に向けた演出も見られない。﹁おかしいな、な
しのつぶてだ。インドネシアでの話は国内向けに
敗戦国のリーダーを迎えたいだけだったのではな
いか。安倍首相が来れば天安門広場前の軍事パレ
ードにももっと大勢の外国首脳が集まる、そうい
う思惑だけで招いたのではないか﹂という疑念が
湧き起こり、最終的には訪中見送りの決断に至っ
たのではないかとみられている。
月末から 月初めに日中韓三カ国首脳会談が
韓国のソウルで行われる。そこで日中のバイ会談
も行われると思う。ただ、ここに来るのは多分、
李克強首相なので、安倍│習近平会談が国際会議
の場でやれるかどうか。これまでの国際会議の場
を活用して双方が会談するという形から、首脳の
相互訪問という形にまで発展していくモメンタム
はまだ生まれておらず、対中外交で政権がポイン
ト を 稼 ぐ と い う 目 算 も、 今 の と こ ろ 見 え て こ な
パク ク
い。韓国も同様で、日中韓首脳会談で初めて朴槿
ネ
恵│安倍首脳会談が行われるだろうが、従軍慰安
婦問題のハードルは依然として高い。
対ロシア外交は誤算続き
もう一つ、この間の外交面での誤算は対ロ外交
だ。選挙で負けなければの話だが、自民党総裁の
任期を全うしたとして、安倍首相が今後3年間で
一体何をやりたいのか。憲法改正だと言われてい
るが、参院選で発議に必要な3分の2のハードル
をクリアするのはなかなか難しい。憲法改正をめ
ぐるリアリティーが見えてこない状況の中で、首
相がやりたいことの第一に挙げられるのが日ロ平
和友好条約締結だといわれている。
北方領土問題について自分の任期中に道筋を付
けて歴史に名を残すこと、これが今後3年間でこ
だわっている最大のものだという見方があり、そ
の第一歩として考えてきたのが年内のロシア・プ
ーチン大統領の訪日だ。ところが、メドベージェ
フ 首 相 が 北 方 領 土 の 一 つ、 択 捉 島 に 行 っ て し ま
う。
アメリカのけん制を振り切ってまでプーチン大
統領を呼ぶほどの成果が出せるのかどうかも見通
せなくなってきつつある。来年はG7の議長国だ
から、対ロシア外交では下手に動けないかもしれ
な い。 年 内 に 大 統 領 を 招 く こ と が で き な い な ら
ば、サミット後の来秋まで大統領の来日はお預け
という可能性もある。
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北朝鮮の拉致再調査、成果見えず
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北朝鮮の拉致再調査問題も、 年の9月 日に
﹁ 再 調 査 は 1 年 程 度 を 目 標 に し て い る﹂ と 説 明 し
ていたが、その期限である9月 日を迎えるに当
たって、いまだに芳しい回答がなさそうだ。﹁拉
キム ジョン
致 被 害 者 人 。 8 人 死 亡 、 4 人 未 入 国﹂ が 金 正
イル
日 時 代 以 降、 回 答 し て き た 北 朝 鮮 側 の 見 解 で あ
り、日本側が﹁そうではないだろう。もう1回調
査してくれ﹂と言って拉致再調査が始まった。こ
の夏の間も中国で月に1、2回、水面下での協議
を行ってきて、もう調査報告書ができかけている
んだと北朝鮮外務省が発信し始めた。しかし、芳
しくない内容では受け取るわけにはいかない。こ
の水面下での駆け引きがどうなっていくのか。
月 日には朝鮮労働党創建 周年の大きな節
目を迎え、北朝鮮がまた相当足の長いミサイルを
打ち上げるのではないかともいわれている。そう
すると国連での制裁という話になり、日朝協議は
また長い間頓挫しかねない。ここでも外交的な成
果を 上 げ ら れ る か ど う か 見 え て こ な い 。
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月 日 の 大 阪 府、 大 阪 市 の ダ ブ ル 選 挙 に 勝 ち 抜
き、もう一度、橋下純化路線で大阪府民を振り向
かせて、再度都構想の実現に努力したい、という
ことなのではないか。
5月に都構想が否決されて、﹁ああ、もう俺は
政治家を引退する﹂と言ったものの、
﹁おいおい、
橋下徹、何を言っているんだ。これだけの人間が
いるのに、ほっぽり出すわけにはいかんだろう﹂
という話になってきつつある。松井一郎大阪府知
事が﹁橋下氏の政界引退は一時的なものである﹂
えいごう
という趣旨の話をしており、本当に未来永劫、引
退するかどうかは眉唾ものになってきている。
維新の党で残ることになる非大阪系の中には、
今度の選挙で生き残るためには野党再編で一固ま
りになることが大事だと考えている人が多い。江
田憲司氏や松野頼久氏は﹁この指止まれ新党﹂だ
と言っている。維新の党も民主党も解散する。で
き得れば生活の党も解散し、社民党も解散する。
いったん各野党が解散した上で、一つの理念を打
ち立てて、この指止まれで、そこにみんながはせ
参じて新しい野党をつくろうという考え方だ。
それに対して民主党ではさまざまな意見があ
る。﹁そもそもあなたたち、野田佳彦氏の衆院解
散の際に、民主党に後ろ足で砂をかけて出ていっ
た よ う な 人 た ち が、 維 新 が 分 裂 す る か ら と い っ
て、また民主党と一緒にさせてくれというのは、
ちょっと虫がよ過ぎやしませんか﹂という意見だ。
さりとて、野党がばらばらのままで参院選に突
っ込み、次期衆院選にも突っ込んでいくと、民主
党も衆院選で3桁はおぼつかない。やはり衆院で
100人程度の固まりをつくった方が大局的には
よいのではないかということで、通常国会終了後
に、民主・維新の協議機関を設置して、当面は参
院選に向けた選挙協力、それから政策のすり合わ
せが行われる。
注目点は新しい合流政党の党名を﹁民主党﹂と
するかしないかだ。民主党と小沢一郎氏の自由党
が合流した民由合併があったが、あの時も名前は
﹁民主党﹂のままだった。菅直人氏は﹁ 長連合
だ﹂と言っていたが、実体は自由党が解党して民
主党が吸収するというのが手続き上の形だった。
今回も、維新に残った人たち、生活の党の人たち
が単に民主党に吸収合併されていくだけなのか。
それとも、手続き上は吸収合併だが、党名を変え
るのか、この点はまだ見通せない。
﹁もう民主党は真っ平ごめんだ﹂という世論は
根強いものがあって、党名を変えてイメージチェ
ンジしないことには﹁民主党﹂についた迷走のイ
メージは拭えないと言う人が民主党内にもいる。
ここで党名を変えるのか。民主党の解党まで進む
のか。いま比例議員の政党間移動は禁止されてい
るが、民主党が解党すればその人たちも入ってく
ることができるので、解党して﹁この指止まれ新
党﹂みたいな形になるのか。最終的に岡田代表が
ど う 考 え る の か。 そ の 時 間 軸 も、 年 内 に あ る の
か。それとも、まずもって選挙協力で参院選を戦
っ た 上 で、 次 の 衆 院 選 前 に 野 党 再 編 が 起 き る の
か。ここは今しばらく、動きを見極めていく必要
があると思っている。
︵本稿は9月 日に行った講演内容を要約した︶
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民主党の党名変更の有無も焦点
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最後に野党の話で締めくくりたい。維新の分裂
を 導 火 線 に し て、 野 党 再 編 が ど う な っ て い く の
か、 こ れ も こ の 秋 以 降 の 焦 点 だ ろ う 。
国会閉会を受けて大阪市長の橋下徹氏が新党
﹁ お お さ か 維 新 の 会﹂ と い う 国 政 政 党 を 立 ち 上 げ
て、維新の党の中の大阪系の人たちがはせ参じる
のではないかと言われている。それもこれも、
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米国
オンライン記事の販路開拓に注力
NY タイムズに見るマネタイズ戦略
デジタル版の筆頭デスクやグラフィックスなども
参加した「編集会議」は、ウェブサイト、モバイ
ル・アプリで、どの記事をトップにし、どんな順
で記事を並べるのか決める会議となった。
編集会議の位置付けを「新聞の1ページ目を決
める」ことから、「デジタル版の記事の優先順位
を決める」ことに変えたのは象徴的だ。しかし、
新聞の発行部数は110万部(今年4─6月期)
であるのに対し、移民の労働搾取や劣悪な衛生環
境などネイルサロンの実態を暴いた、最近の調査
報道の記事は、世界中から800万以上のアクセ
スがあったという。読んでもらえる記事を、いか
にして読者にアピールするかに傾注するのも、無
理もない。
また、デジタル版であれば、ウェブサイトとス
マートフォンのアプリ、タブレット端末のアプリ
では、トップ記事を変えるということも可能だ。
モバイル端末の読者は、新聞やウェブよりも、年
齢層が若くなるからだ。また、米国よりも早く夜
が明けるアジアや欧州の読者向けに、米国の読者
が寝ている間は、より国際的なニュースを前面に
出すこともできる。朝刊用に決めていたページ・
ワン用の記事を端末や時間に応じて、幾つものパ
ターンに分けて決めるのがタイムズの現在の編集
会議だ。
今年4─6月期決算で、デジタル戦略がどうい
った効果を上げてきているのか、見てみよう。
まず、広告収入は前年同期比5・5%減の1億
4859 万 ㌦ と、 縮 小 傾 向 が 続 い て い る。 し か
し、内訳を見ると、新聞広告が同 ・8%減少す
る中で、デジタル広告収入は ・2%増と大きく
伸びている。デジタル広告が広告収入全体に占め
る割合は、 ・5%で、前年同期の ・9%から
伸び続けている。こうした傾向は長く続いている
が、新聞の減少分をデジタルの増加分が補うよう
になるのが、いつになるのか見えない状況だ。
一方、購読収入は、0・9%増の2億1165
万㌦と増収。米国の新聞社は、売上高に広告収入
の占める割合が、購読収入より多いというのが伝
統的だった。しかし、ニューヨーク・タイムズで
は、これがすっかり逆転している。これが大きな
変化の一つだ。
購読収入が堅調に伸びているのは、デジタル版
購読者が増え続けているためだ。従来は無料で読
めたオンライン記事を2011年に有料化してか
ら約4年目の今年7月 日、デジタル版購読者が
100万人の大台を突破した。これは、紙の新聞
の 購 読 者 (無 料 で デ ジ タ ル 版 を 読 む こ と も で き
る)の 110 万 人 に、「純 増」と し て 加 わ る 収 入
につながるため、購読収入が広告収入を上回ると
いう、日本の新聞社と同じような安定的な収入構
造に近づいた。単純計算では、1年間に 万人ず
つデジタル版購読者が増えたことになり、この意
味は大きい。
ただ、購読収入を増やすために、漫然とオンラ
イン版を作っているわけではないし、紙の宅配も
いろいろな工夫をしている。
度重なる値上げをしているが、現在、宅配の購
読料は以下の4通りに分かれている。月曜日〜日
曜日(月額 ㌦)
、木〜日曜日( ・6㌦)、金〜
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ニューヨーク在住
ジャーナリスト ニューヨーク・タイムズが、「デジタル・ファ
ースト」を徹底する戦略を宣言してから、1年半
が過ぎた。タイムズに先立って、デジタル版課金
を始め、成功しているウォールストリート・ジャ
ーナルや、英紙フィナンシャル・タイムズに比べ
ると、やや後れを取ったが、四半期決算やプレス
リリースを見ると、大きな変化が起きている。デ
ジタルの世界での「マネタイズ」のため、どんな
戦略 を 取 っ て い る の か 、 検 証 し た い 。
ニューヨーク・タイムズが今年5月、 年の伝
統があり、新聞の1面トップを決めていた「ペー
ジ・ワン会議」を取りやめたことは、以前ここで
も紹介した。もちろん、1面トップを決める会議
は、 参 加 す る デ ス ク の 人 数 を 縮 小 し て 続 け て い
る。しかし、「ページ・ワン会議」の後継であり、
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津山 恵子
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2、ソーシャルメディア経由(フェイスブック、
日曜日( ・8㌦)、土・日曜日( ㌦)。
ツイッター、インスタグラムなど)
このうち、最近になって増えたコースが、木〜
日曜日と、土・日曜日だけの配達だ。以前は、週 3、無料のモバイル・アプリ
7日と、金〜日曜日のコースだけだった。ニュー 4、デジタル・アド・オン(有料のモバイル・ア
プリ)
ヨーク・タイムズは、木、金曜日から、週末のイ
ベント情報や、アートの充実した記事などが掲載 5、レプリカ
され、ページ数が増えてゆき、土・日は駅売りが 6、インターナショナル・ニューヨーク・タイム
ズ(宅配、およびデジタル版)
一部5㌦で売られるほど、内容もページ数も充実
する。1週間かかって長文記事を楽しむ「ニュー 7、アラート、ニューズレター(e メール)
ヨーク・タイムズ・マガジン」も挟み込まれ、駅 8、マイクロペイメント(記事のバラ売り)
売りを買う人がマガジンがきちんと入っているか 9、データ分析による「お勧め記事」
、スターバックスやホテルでのデジタル版サー
確かめるほど、週末版は人気だ。この週末版、そ
ビス
して週末直前の週日版の需要に応えるためにも、
まさに、ありとあらゆる術を使い、オンライン
宅配コースを二つ増やし、少しでも紙を読んでも
記事をクリックさせて、読ませる仕組みを仕掛け
らう 努 力 を し て い る 。
一方で、デジタル版の購読料は、ウェブ・スマ て い る。 こ れ は 見 習 う と こ ろ が あ る。 一 般 的 に
ートフォン版(月額 ㌦)、ウェブ・タブレット は、ソーシャルメディアの活用や国際展開が挙げ
端末版( ㌦)、ウェブ・スマートフォン・タブ られるが、それ以外に注目できるサービスが幾つ
レット端末版(=オールデジタル、 ㌦)と3コ もある。
まず、モバイル・アプリの豊富さだ。iOS、
ー ス だ。 こ れ も、 ウ ェ ブ サ イ ト、 タ ブ レ ッ ト 端
末、スマートフォンの順でユーザーの年齢層が若 アンドロイドなどモバイル端末の各OSに対応し
くなっていくのに対応し、異なる価格のコースを たものだけでなく、「リアルエステート(不動産
情 報)」、「ク ッ キ ン グ (料 理 レ シ ピ の ア ー カ イ
設け て い る 。
それでは、 ・2%増というデジタル広告収入 ブ)」、「クロスワードパズル」などが独立したア
の増収、つまりオンライン版の読者を常に増やし プリとしてある。紙の新聞の頃から人気のあるコ
続け、広告単価のアップにつなげるためにどんな ーナーをアプリ化した。
デジタル・アド・オンは、有料アプリで、新聞
努力をしているのか、調べてみた。それには、次
やデジタル版に載らない長文記事・ビデオが載る
の多 岐 に わ た る 「 読 者 誘 導 策 」 が あ る 。
(月額 ㌦)などがある。
1、宅配(オールデジタルが抱き合わせ)、デジ 「タイムズ・インサイダー」
また、アラートは、スマートフォンの番号など
タル購読
を登録すると、速報や週末のお勧め特集記事が、
リアルタイムで知らされる機能。同様に、e メー
ルを使ったニューズレターも数え切れないほど種
類 が あ る。「き ょ う の 出 来 事」「投 資」「ア ー ト」
といった新聞の面(米国ではセクション)ごとの
ニューズレターもあれば、ノーベル賞受賞の経済
学者ポール・クルーグマンなどの有名コラムニス
トがコラムやブログを更新すると送られてくるも
のもある。
マイクロペイメントは、以前にも紹介したが、
記事1本を ㌣で切り売りするもので、オランダ
のベンチャー「ブレンドル」と提携し提供してい
る。 ㌣のうち、 %がニューヨーク・タイムズ
の収入につながる。
ま た、「お 勧 め 記 事」は、デ ジ タ ル 版 購 読 者 が
最も読んだ記事のセクションを分析し、ある記事
を読んでいる最中に、「次にこれはどうですか」
と、興味がありそうな記事を推奨するポップアッ
プだ。
最後に、日本の新聞社でもすぐに実行できそう
なサービスが、カフェやホテルでのデジタル版提
供だ。スターバックスのアプリを使ってデジタル
版を申し込むと、購読料金がコーヒーを無料で飲
んだりできるポイントになる。また、ニューヨー
ク・タイムズとフィナンシャル・タイムズはこの
ほど、ホテルの客が、宿泊時に無料で両紙のデジ
タル版を読めるサービスを始めると発表した。
新聞は、販売部門が涙ぐましい努力をして販路
を開いてきたが、デジタル版も同様に、今やあら
ゆる販路を切り開く時代が来ている。
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一過性の国民、
メディアも一過性?
〝ほとぼりを冷まされて〟しまうのか
ジャーナリスト
小池 新
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そ、本当の「戦後 年報道」ではないか。
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新聞の対立で読者=国民に深い亀裂
らなかったかもしれないが、ムードを裏支えする
理論構築が必要だったと私は思う。
9月 日の東京社説は「さあ、選挙に行こう」
の見出しで「流れを止めるには投票で民意を示す
しかない」と呼び掛けた。手段はそれしかないと
私も思う。でも、法律が来年施行され、南スーダ
ンでの「駆け付け警護」が適用されたとしても、
すぐには何の動きもないかもしれない。そんな中
で、一過性の度を増している国民=有権者の民意
が、果たして来年夏の参院選まで持つだろうか。
9月 日、毎日夕刊「特集ワイド」でアニメー
ション映画監督・高畑勲氏は「仮に安保法案が成
立しても『ほとぼり』を冷ましちゃいけない」と
述べた。安倍晋三首相は渡米中の同月 日、
「(こ
れ か ら は)経 済、経 済、経 済 だ」と 強 調。「一 億
総活躍社会」「新たな三本の矢」を打ち出した。
内閣改造も主要閣僚留任の「安全運転」で、安保
法の〝ほとぼりを冷まそう〟という狙いは明白。
メディアが一過性でない腰を据えた取り組みをし
なければ、首相の思惑通りになってしまう。
「先住民族の自己決定権」という視点
月 日、沖縄県の翁長雄志知事が、米軍普天
間飛行場の移設先である名護市辺野古沖の埋め立
て 承 認 を 取 り 消 し た。 こ の 前 後 の 同 知 事 の 発 言
は、歴史を踏まえた地域の主体性を表現していて
興味深い。9月 日、知事は国連人権理事会で約
2分間演説。「沖縄の人々は自己決定権や人権を
ないがしろにされている」と訴えた。国連の人権
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参院特別委で安保法案審議が大詰めを迎えた9
月 日から、本会議で可決成立した 日まで、在
京各紙は連日大々的な報道を続けた。主張がこれ
まで通り二分されたことは、 日の特別委採決に
朝 日 ・ 毎 日 ・ 東 京 が 「強 行」 の 語 句 を 付 け、 読
売・日経・産経が付けなかったことだけでも一目
瞭然。自社の論調と異なる意見や動きは無視・批
判し、相互に対立したまま。ひいては、読者=国
民の間の亀裂もこれまで以上に深く広がった。
反対派の大群衆が包囲した国会前に、私も2度
行った。自発的に集まった個人が目立ち、若者主
体の新しい運動の息吹は感じた。しかし、国会1
安全保障関連法が成立してから1カ月余り。新 周の間に会ったのは、ほぼ私と同年代の知人4、
聞では関連の記事がめっきり減った。この間、環 5人。数的な中心はやはり中高年だった。歩きな
太平洋連携協定(TPP)大筋合意のほか、ラグ が ら 胸 に 抱 い た の は 「こ う し た 動 き を 支 持 し た
ビーW杯での日本代表チームの善戦、ノーベル賞 い」という思いと「一過性で終わるのではないか」
2日連続受賞など、国民が関心を寄せる話題はあ 「多分、そうなる」という〝失望的観測〟だった。
それには理由がある。政府・与党の姿勢は明ら
ったものの、あのころの連日の騒ぎがウソのよう
な紙面。だが本当は、今こそ新聞が取り上げるべ かに強引で理不尽だったが、対する反対派の態度
きことがあるのではないか。醜態をさらしたあの はどうか。特定秘密保護法の時と同様、ムード先
「戦争法案」
国 会 で 何 が 論 議 さ れ、 何 が 論 議 さ れ な か っ た の 行で非論理的だったことは否めない。
か。日本の平和と安全はどうあるべきなのか。若 と い う キ ャ ッ チ フ レ ー ズ は 確 か に 分 か り や す い
者を中心に「歴史的」といわれるほどの盛り上が が、法案が通ればすぐにも戦争が起き、徴兵制が
りを見せた反対運動の意味と今後は……。冷静さ 敷かれて若者が戦場に向かわなければならないと
を取り戻した現在、長期的な展望を基に、大型企 いう筋書きはいかにも非現実的だ。そうやって問
画その他で総括と検証に取り組むべきだ。それこ 題を単純化しなければ、運動はあれだけ盛り上が
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機関は2008年と 年に「琉球・沖縄の人々を の危険性を指摘しているが、現実に特定秘密保護
特別な権利と保護を付与される先住民族として明 法が昨年施行された。新聞は過去の歴史を踏まえ
確に認めるべきだ」「軍事基地の不均衡な集中は、 て問題点を報道すべきではないか。
スポーツ面でも注文がある。日本代表が3勝を
住民の権利の享受を妨げている」として改善を勧
挙げたラグビーW杯。1次リーグでの「4トライ
告。 知 事 の 主 張 は そ れ を 前 提 に し て い る 。
月 日の在京紙社説は、朝日がその点に触れ 以 上」「7 点 差 以 内 の 負 け」で 各 1 点 と い う「ボ
て、 毎 日 ・ 東 京 と と も に 知 事 の 決 断 に 理 解 を 示 ーナスポイント(BP)」に疑問がある。勝てば
し、日経も同情的だった。読売は「国際社会に誤 勝 ち 点 4 だ か ら、 4 戦 全 勝 な ら 計 点。 と こ ろ
ったメッセージを送る恐れ」、産経は「国益を損 が、3勝1敗でもBPが最大限加われば 点に。
なう行為」とそれぞれ批判したが、先住民族の自 実際にそうした例はなかったが、1敗のチームが
己決定権という視点は、沖縄以外に住むわれわれ 全勝チームを上回るような方式は常識的におかし
の心情に、強い力で迫ってくるように私は感じる。 い。メディアが取り上げないのはなぜだろうか。
プロ野球セ・リーグのクライマックスシリーズ
新聞は必要なことを書かない
で、2位巨人に敗れた3位の阪神は、レギュラー
シーズン 勝 敗。負け越しチームでも日本一に
なる可能性があるのは理屈に合わない。メディア
が規定の改善などを提起すべきではないか。
軽減税率では〝呉越同舟〟
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16
私が、新聞が書かない最大の問題と考えるのは
軽減税率の適用だ。 月 日、安倍首相は消費税
再引き上げ時の軽減税率導入検討を指示した。財
務省が提案した還付金方式を白紙撤回した上での
決断。在京紙は 、 日の社説で取り上げたが、
読 売 ・ 産 経 は 明 確 に「賛 成」「当 然」を 主 張。朝
日・毎日は「是認」のニュアンスだった。 日付
朝日朝刊の総合面記事の見出しは「世論を優先」。
さて、世論とは何を指しているのだろう?
新聞協会は9月 日、財務省案に反対する声明
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17
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を公表。新聞への軽減税率適用を求める請願・意
見書が全国401地方議会で採択されたと発表し
た。 月 日の新聞大会も適用を求める特別決議
を採択。新聞業界は自分たちの利益のために、還
付金方式を否定して軽減税率を支持し、国や地方
で陳情などの圧力をかけているわけだ。
思えば、特定秘密保護法が成立した一昨年 月
6日、自民党の「新聞販売懇話会」は党税制調査
会に、同党議員の半数を超える署名を添えて新聞
への軽減税率適用を要請した。激しく対立した法
案審議の陰で、反対派も含めた新聞業界と自民党
の間に何があったのか。新聞同士、争い合ってい
る一方で、軽減税率では〝呉越同舟〟。私も新聞
への適用そのものに反対はしないが、「世論」を
名目に、政権や与党の裏に隠れて動くようなやり
こ そく
( 25 )
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方は姑息と言われても仕方がない。
新聞が書かないことは他にも。7月 日に開か
れた「安保法案に反対する学者の会」の会合。刑
事法専攻のある大学教授は、安倍首相とメディア
幹部の会食を取り上げ「業務妨害や贈収賄など、
刑事罰の対象になる可能性もある」と発言した。
昨年7月の安保法案閣議決定まで、政権の〝メデ
ィア懐柔工作〟はすさまじく、多くのメディア幹
部がそれに対応した。もちろん、教授の言葉に現
実性はないが、そう指摘されること自体、報道機
関として反省に値する。私は、メディアのトップ
が首相と会食することを否定はしない。ただ、時
と場合によるし、立場と責任を自覚し、現場に配
慮して報道の基本姿勢を明確に表明すべきだ。
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今の新聞は、必要なことを書かない。
国民一人一人に番号を割り当てる「マイナンバ
ー制度」の通知カードの配達が 月 日から始ま
った。税と社会保障の一体改革のためとされ、新
聞各紙は制度の説明記事を掲載。私は、1970
年代初めに国民の反対で頓挫した「国民総背番号
制」を連想し、二つの制度はどう違うのか知りた
かったが、その点をきちんと説明した記事は見当
たらなかった。2012年刊行の岩波ブックレッ
ト「『マイナンバー法』を問う」(清水勉・桐山桂
一共著)を読んで「番号を付けることだけに着目
すれば実質的に同じ」だと分かった。では、なぜ
今回は、強い反対もなく実施されてしまうのか。
新聞を読んでいるだけでは分からない。同書は、
秘密保全法制との相乗効果による国家の情報統制
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生かせなかったブレ
ーンの提言
近衛首相と昭和研究会
『外務省公表集』に記録されている「総理大臣
声 明」に よ る と、近 衛 は「東 亜 新 秩 序 ノ 建 設」、
じ へん
しょ り
「支那事變(日中戦争)ノ處理ヲ完遂スルト共ニ
世界新秩序ノ建設ニ指導的役割ヲ果ス」ために、
こくぼうこっ か
「高度國防國家」の体制を整えなければならない、
そのためには政治、経済、教育、文化など「アラ
おけ
たい せい
ユル國家國民生活ニ於ル新體制確立ノ要請ガア
ル」と、次のように表明する。
ばん みん
いわゆる
「萬 民 翼 賛 ノ 所 謂 國 民 組 織 ノ 目 標 ハ 國 家 國 民 ノ
そうりょく
まっとう
總力ヲ結集シ大政翼賛ノ臣道ヲ完セシムルニアル」
「國 民 組 織 ハ 國 民 カ 日 常 生 活 ニ 於 テ 國 家 ニ 奉 公
スル組織ナルガ故ニ(中略)全國的ナル組織カ作
クラレネハナラヌ。(中略)カカル組織ノ下ニ於
テ始メテ、下意上達、上意下達、國民ノ總力カ政
治ノ上ニ結集サレルノテアル」
「國 民 組 織 ノ 運 動 ハ 政 党 政 治 ヲ 超 克 セ ン ト ス ル
運動デアッテ(中略)政党運動ノ形ヲ取ルノデハ
また
ナイ。所謂一國一党ノ形ヲトルコトモ亦到底許サ
みだれ
レヌ。(それは)一君萬民ノ我カ國體ノ本義ヲ紊
い
ルモノト謂フヘキテアル」
近衛通じ政策実現の期待
この声明を書いたのは東京帝大教授の矢部貞治
で あ っ た。『矢 部 貞 治 日 記』
──
「僕 の 書 い た 文 章
ほとん
しか
が多少変わってはいるが、殆どそのまゝで、而も
根本の思想と原理は殆ど皆僕の頭から出たものだ
から何となく妙な感じで(声明を報じる)新聞を
見、放送を聞いた。僕も歴史的な文章を一つ書い
たことになる」。矢部が近衛のブレーントラスト
「昭和研究会」に加わったのは 年5月のこと。
気 鋭 の 政 治 学 者 だ っ た こ と か ら、 三 木 清 (哲 学
りゅう
者)、佐 々 弘 雄、笠 信 太 郎(い ず れ も 朝 日 新 聞)
と共に幹事陣に加わる。
矢部は再登板目前の近衛やその側近から新体
制・新党運動への協力を求められ、「近衛が新し
い国民運動を展開して行くとなると、少しは政治
うれ
が動くかも知れぬ。非常に嬉しい気がした」と考
え全面協力に踏み出す。軍部の独走と政党不信で
行き詰まった政治を打破できるのではないか、と
の期待であった。矢部は何度かひそかに近衛に会
い、新体制の大綱、組織図、綱領などの案を作成
し、近衛に届けた。大学を辞めて、新体制組織の
幹部入りを打診されたが、これは断った。
それまでの日本の政治史上、ブレーンがこれほ
ど集まった政治家は近衛以外なかった。「昭和研
究会」は一高・京大で近衛と同窓生の後藤隆之助
が 年に主宰してつくられた。将来の「近衛内閣」
誕生を想定し、内外政策を検討・準備しておく目
的であった。中心となる座長は近衛と後藤が相談
ろう やま
し、東京帝大教授の蝋山政道とする。発足当初か
ら事務局役を務めた酒井三郎(戦後、民間放送連
盟会長)の著『昭和研究会~ある知識人集団の軌
跡』によると、
「
(研 究 会に参 加した)委 員たちは
研究成果や意見が、近衛を通じて実現できるかも
しれない、いや実現させてみせるという期待と意欲
が、各自の心中にうつぼつとしてあった」という。
発起人会には蝋山のほか河合栄治郎(東京帝大
教授)、前田多門(朝日新聞OB)ら自由主義者
( 26 )
共同通信社社友
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国分 俊英
第2次内閣を発足させた近衛文麿首相は194
0(昭 和 )年 8 月 日、「新 体 制 準 備 会」の 初
会合を首相官邸で開いた。近衛は貴族院議長を辞
任して新体制運動に乗り出しており、その実現を
掲げて再登板していた。近衛には公爵という名声
と国民的な人気はあったものの、確固とした政治
基盤は皆無であった。そのため第1次内閣では、
日中戦争の勃発・拡大を終息させる有効な手を打
てなかったという反省があった。「近衛新党」的
な国民組織をつくり、それをバックにして軍部に
対抗できる強力な政治を行おうとした。初会合に
は同盟通信社の古野伊之助社長はじめ各界から選
ばれた準備委員と全閣僚が出席、近衛は新体制に
つい て の 見 解 を 発 表 す る 。
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しげあき
が名を連ねた。その後、研究テーマも拡充するに 池田成彬、郷誠之助、政界から町田忠治、前田米
従って、委員は各界に及び、矢部が加わった 年 蔵ら政友会、民政党各2人ずつの計 人で構成し
ご ろ は 新 進 気 鋭 の 学 者 ・ 知 識 人、 ジ ャ ー ナ リ ス た。風 見 章 著『近 衛 内 閣』に よ る と、「も っ ぱ ら
ト、経済人、官僚などに広がった。報道界では現 日華事変(日中戦争)処理のために、首相の相談
役・OBも含め朝日新聞が圧倒的に多く、同盟通 相手になってくれるものを、内閣の内輪にもって
信社からは古野と松本重治が名を連ねていた。全 いたいということで、設けられた」という。
体の顔触れは当時としては、そうそうたるもので
翌 年には内閣改造を機に「五相会議」を設け
あった。研究会の基本方針は「現行憲法の範囲内 る。 戦 争 に つ い て は、 ま ず 首 相、 陸 軍 相、 海 軍
で国内改革をする」「既成政党を排撃する」「ファ 相、外務相、大蔵相の5人で協議することにした
シズムに反対する」の三つだった(酒井『昭和研 ものである。英国のインナーキャビネットを擬し
究会』)という。
たものだった。風間は記す──
「こ の 会 議 の 活 用
あい て
近 衛 周 辺 に は、 こ の 「昭 和 研 究 会」 以 外 に も によって近衛氏は『(国民政府を)対手にせず』
「朝飯会」グループと呼ばれたブレーン集団がで 声明の訂正と、これに伴う政戦両略一体化の実現
きていた。 年の第1次内閣発足直後につくられ が、うまくできるだろうと、胸いっぱい希望をも
た も の で、 近 衛 の 首 相 秘 書 官 の 牛 場 友 彦、 岸 道 やしたのであった」
。
三、朝日新聞出身の尾崎秀実、西園寺公一、蝋山
残ったのは失望感
政道、笠信太郎らがメンバーで、後に同盟通信社
の松本重治、松方三郎それに犬養健と矢部貞治が
新体制構想は政府内部、ナチス流の一国一党も
加わった。近衛はこれには顔を出さなかったが、 叫ぶ陸軍、解党しなだれ込む既成政党の思惑が入
内閣秘書官長の風見章が出席していたという。元 り乱れて次第に変質。国民組織で軍部を押さえ込
老 ・ 西 園 寺 公 望 の お い で あ る 『西 園 寺 公 一 回 顧 も う と い う 当 初 の 思 惑 と は、 似 て も 似 つ か な い
録』で「ここで謀議をこらすとか、具体的な方針 「大政翼賛会」になってしまった。総裁は近衛だ
を出して、実行に移すようなことはなかった。一 が、綱領は「臣道実践」とあるだけ。位置付けも
言で い え ば 情 報 交 換 だ 」 と 記 し て い る 。
政治結社ではなく公事結社となり、「政治活動は
き いち ろう
ブレーンも含め近衛は「陣立て」には熱心であ 厳重に取り締まる」(平沼騏一郎司法相)と禁止
った。日中戦争への対応のため、近衛は 年末、 されてしまった。そして、軍と官僚が支配する戦
諮問機関として「内閣参議」を設ける。待遇は国 争遂行機関の一つになった。
務大臣と同じとして、陸軍から宇垣一成、荒木貞
年1月3日、近衛と話し合った矢部は「問題
きよかず
ふ しゃく しん みょう
夫、海軍から末次信正、安保清種、経済界からは は要するに近衛自身の不 惜 身命の決意に在るの
に(略)、人のふんどしで相撲を取ろうとすると
ころに(近衛の)弱点がある」と日記に記す。さ
かか
らに「僕が近衛に関係したにも拘わらず、それを
絶対秘密にすることに細心の注意を払ったのは、
非常に賢明であった」(3月 日)とまで書く。
酒井も研究会内に高まった近衛への失望を記録
する。最初は例の「国民政府対手にせず」声明に
ついてである。研究会は、蒋介石を相手に交渉で
戦争を解決すべきだと提言していただけに「私た
ちは失望も、また憤慨もした」。第2次近衛内閣
が日独伊三国同盟の締結に踏み出す際も研究会と
して「事変の即時解決、日独伊軍事同盟反対とい
う線を一層強く確認」し、それを近衛に文書で出
していたという。しかし、その効果は全くなかった。
強力な軍部主導で進む戦争の流れを、近衛の手
で止められるものではなかったかもしれない。し
かし、昭和研究会に参加した学者、知識人、言論
人、経済人などのブレーンたちは、それが可能か
もしれない、そう思って新体制運動をはじめとし
た近衛の構想に活路を見いだそうとした。それは
甘かった。
ブレーンの献策は実現されず、内閣に自ら設置
した機関・制度も有効に機能させられなかった。
後藤隆之助は戦後「近衛さんは実行力に欠けてい
た。 い い と 思 っ た ら や る 気 は あ っ た が、 粘 り 強
く、頑張り強く、どこまでもやっていくというこ
とにおいて強くなかった。(関白家の出で)群雄
が せい
の上に立っていた人だから、群雄を駕制していく
力はなかった」と語る。
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メディア不振の責任は学界にも
波紋投じた編集人の直言
北海道大学大学院
准教授 西 茹
る発言は、メディアの公共性を改めて問い直す機
想だ。それだけに、学界の姿勢に疑問を投げ掛け
な報道が歓迎される。ニュースと文章に対する基
④内容といえば感情過多で、センセーショナル
本連載がたびたび指摘している当局のメディア
本的な要求と規範が抜け落ちている。
発 言 の 主 は、「石 扉 客」の ハ ン ド ル ネ ー ム で、
統制が現在のメディア不振を生み出す大きな背景
会となった。
歳)。瀋氏
時代の一蓮托生』だ」と断った上で、メディア業
氏はまず「本日の発言の主なテーマは『二重喪失
ィアグループ出身の硬骨派ジャーナリストだ。同
はもともと調査報道で有名な広東の南方新聞メデ
る。学界自身も当局にひれ伏し、当局からの資金
行為や金銭目当ての〝取引〟に堕してしまってい
ース腐敗〟がある。報道の倫理が地に落ち、売名
メディア側にも当局の統制に口実を与える〝ニュ
となっているが、実は瀋氏が指摘しているように
ネ ッ ト 上 で 人 気 を 集 め る 瀋 亜 川 氏(
界の陥っているさまざまな問題を指摘し、その責
や人的支援を受け入れ組織の拡大を図っている。
いちれんたくしょう
任の一端は学界にもあると述べた。シンポジウム
瀋氏のコメントはその上で、「学界のわれわれ
そして、昨年末上海のメーンストリート、外灘
と学界を批判した。
る大事な時に口を閉ざし、発言しようともしない
と矛先を変え、記者が公権力から打撃を受けてい
業界に対する声援はますます小さくなっている」
の席上でのわずか5分間の発言だったが、その衝
撃は強烈だった。
けいちょう
同氏の発言を要約すると、こんな具合だった。
軽 佻 浮薄の傾向強まるメディア業界
集長が、中国人民大学新聞(ジャーナリズム)学
せっ さ たく ま
①メディア業界内の関係が、切磋琢 磨の関係か
み こし
院の建院 周年シンポジウム(9月 日)で行っ
あり、業界と学界の人事の往来も頻繁だ。党の統
ディア従事者のほとんどがメディア学院出身者で
な波紋を投じている。日本と違って、中国ではメ
がなく、まるで芸能人の売名行為だ。
上げるだけでなく、手記まで書き上げるが、中身
取材に行けばもう有頂天で、一本の記事をデッチ
②記者たちはパフォーマンスを競い合い、現場
うに倒れ、 人が死亡した。当局の事故防止策の
ダウンに集まっていた多数の若者が折り重なるよ
校)の対応にも言及した。この事故ではカウント
ら一緒に御輿を担ぐ〝なあなあ〟の関係に変わった。 で発生した転倒事故の際の復旦大学(上海の名門
制下、厳しい現状に置かれているメディア業界の
た率直な発言が、中国メディア業界と学界に大き
19
ア学院との接近も目立つ。本来なら、業界と学界
発言となった。近年、共産党と主要大学のメディ
があるとする指摘は、学者先生たちにも耳の痛い
いるが、それには業界だけでなく、学界にも責任
動向については、本欄で毎回のように取り上げて
する。
ページビューを獲得したかを競って大々的にPR
は、どれほど人手、資金、時間を投じてどれだけ
励 む。 例 え ば 天 津 の 爆 発 事 故 や 軍 事 パ レ ー ド で
じられないような数字や指標を掲げて自己宣伝に
③特にニューメディアときたら、本人でさえ信
れに対して、復旦大学の学生団体(官製)はミニ
はソーシャルネットワークからの転載だった。こ
りで詳しく報道した。その中の幾つかの個人情報
った復旦大学の学生について、その悲劇を写真入
事故後の報道の中で、ある新聞が事故で亡くな
ブログで、報道は扇情的であり、死者に対するプ
のタッグマッチで、強力な政府に抵抗するのが理
手抜かりも取り沙汰された。
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ルー
シー
中国最大のポータルサイト「新浪網」の副総編
中国
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ライバシーの侵害だと、記者を非難した。大学当
南京大学に、第1期の資金供与として500万元 「業界に対する支持や声援は業界自体やニュース
された。この連携で、例えば江蘇省党宣伝部から
こ れ に 対 し、 人 民 大 学 新 聞 学 院 の 陳 絢 教 授 は
局のミニブログも死亡した学生の写真を掲載すべ
またメディア関連の学院の幹部に宣伝部からの
与しない原因は、そもそも学院の目的はジャーナ
は、メディア関連の学院がそうした支援活動に関
従 事 者 の 組 織 の 問 題 で あ る」 と 明 言 し た。 彼 女
出向も目立つ。これでは、権力を監視するどころ
リストや編集管理の人材の養成にあり、主要な職
きでないと呼び掛け、メディア業界、学界そして (約1億円)が贈られた。
メディアの在り方を論議するのは結構なことだ
か、権力の言いなりになるメディア人を輩出する
責が業界の求めにかなった人材を送り込むことに
市民 も 巻 き 込 ん だ 論 争 に 発 展 し た 。
が、その結果、事故に対する当局の責任追及の論
ことにつながるだろう。瀋氏の発言は改めてメデ
シャルメディアでも意見表明したらとの瀋氏の呼
議は 、 そ れ に 隠 れ て 頓 挫 し て し ま っ た 。
彼の発言に対して、多くの業界関係者は支持の
び掛けに対して、「メディア学者はソーシャルメ
あるからだとの見解を表明した。その上で、ソー
声を表明したが、学界の方は冷めた反応しか返っ
ディアを使いこなしておらず、わたしたちが声援
「先生方も、研究ばかりに没頭せず、もう少し、 ィアの公共性を問う議論に発展した。
公共の問題にも発言してもらいたい」と、瀋氏は
くぎ を 刺 し た 。
てこなかったようだ。
そ の 大 ど こ ろ の 大 学、 例 え ば 人 民 大 学 や 復 旦 大
ィア学院があり、約 万人の学生が学んでいる。
今や中国の大学には大小合わせて975のメデ
当の問題を研究するよう望み、業界が権力の圧迫
けと要求しているわけではない。学界がもっと本
は決して学界とメディア業界が1着のズボンをは
報」のメディア研究院副院長の朱学東氏は、「彼
かったという。
教授のこの発言には瀋氏も開いた口がふさがらな
も声を上げない学界。開き直りとも受け取れる陳
ジャーナリストの養成も駄目な上に報道統制に
を送れるとしたら、こうした学術討論会を開催す
学、南京大学などでは、実は党中央宣伝部や地方
を受ける時には業界の正当な権利のために声援を
シ ン ポ ジ ウ ム に 同 席 し た 北 京 の 都 市 報 「新 京
の党宣伝部の資金援助を得て、学院の運営やサイ
送ってほしいと言っているだけだ。それは学界が
党宣伝部と連携深めるメディア学院
ドビジネスの展開に力を入れている。くだんの復
本来やるべきことではないのか」と語る。
今年初め、教育相は通達したばかりの「さらに
題は、マルクス主義メディア学であれ、目下導入
ラムニスト、劉波氏は「学界の抱える基本的な問
英フィナンシャル・タイムズ中国語サイトのコ
の中で教育相は、「党の指導に対するさまざまな
し、その徹底を図るために開いた座談会だが、そ
の 幹 部 と 座 談 会 を 開 い た。 通 達 の 趣 旨 を 明 確 に
関する見解」をめぐって、北京大学など重点大学
一歩、大学における思想宣伝活動の強化、進展に
復旦大学と上海市党宣伝部のこの連携モデルは
しつつある西側のメディア理論であれ、転換途上
攻撃、誹謗は断固として許さない。大学の教室で
月、 党 中 央 宣 伝 部、 教 育 省 の 幹 部 が 復 旦 大 学
( 29 )
ることだ」と述べた。
旦大学には、市宣伝部との共同出資の高級ホテル
20 0 1 年 に 協 定 を 締 結 し て ス タ ー ト し た 。 年
にある中国社会の現実との齟齬にある。意見の表
は、社会主義を否定する言論の出現は断固として
13
まで 建 設 さ れ 、 運 営 さ れ て い る 。
で、「現 場 検 討 会」を 開 き、そ の 成 果 を「部 校 共
明には広い視野と深い思考だけでなく、敏感で誠
許さない」などと「断固許さず」を連発した。
統制の波が押し寄せている。
メディア業界だけでなく業界を支える学界にも
ひ ぼう
建(宣伝部と学校の共同建設)」と総括し、全国
実な心情が求められるが、ある種の理論に浸り切
そ ご
への拡大を宣言した。検討会の当日、北京市党宣
っている学者は、記者に声援を送る精神的余裕さ
えない」と語る。
伝部と人民大学、江蘇省党宣伝部と南京大学など
20
の省、市の宣伝部と大学の「部校共建」が締結
12
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経営者の地域チャンネルを見る目に変化か
40
された。
ちなみに、今年のエントリー数は、コンペティ
ション部門124本、エキストラ部門 本で、合
計216本となり、これまでで最多のエントリー
数となった。このことからも分かるように、CA
TV業界の中でも、このケーブルテレビ大賞番組
アワードのプレゼンスがより高まっているのは確
かだろう。
このアワードの審査に、私も審査委員会メンバ
ーとして関わっているが、実際、この審査の作業
に携って感じるのは、エントリーされる番組の質
が 近 年、 急 速 に 向 上 し て お り、 そ れ ら の 番 組 か
ら、今のケーブルテレビのありようを実感できる
ことである。
では今回、どのような番組が受賞したのかを見
てみよう。
伊万里CATV、原爆の恐怖を映像化
92
今年のコンペティション部門でグランプリを受
賞したのは、佐賀・伊万里ケーブルテレビジョン
の「天の川が見えたら~忘れない 伊万里商業学
徒報国隊」という番組である。
戦時中の1945年に佐賀・伊万里商業学校か
ら長崎三菱兵器製造所に動員されていた生徒 人
が、8月9日の長崎への原爆投下に巻き込まれ、
大多数の生徒が被ばくした。この番組は、その生
徒の中の一人、蓮池和之さんが残した手紙をベー
スにしつつ、生き残った同級生や遺族の証言など
を基に、伊万里の被ばく史をたどる力作だ。戦後
年という節目の年に、今に続く原爆の問題を伊
万里という地域にこだわりながら、丁寧に追いか
けた番組である。原爆というテーマを大上段から
問うのではなく、ケーブルテレビらしい低い目線
で長期にわたって追い続け、それを映像化したこ
とで、原爆の恐怖を説得力を持って視聴者に示し
ていた。過去を描きつつも、現代の日本の状況を
厳しく批判した番組となっているところが高く評
価された。
他の受賞作も紹介しておこう。
準グランプリは富山・新川インフォメーション
センターが制作した「水の恵 輝くいのち~魚津
の水循環」が受賞。この番組は、地元の水資源を
多角的に取材、検証したリポート。富山の美しい
自然と豊かな水資源の映像とともに、その自然に
忍び寄る環境問題にメスを入れた。
審査員特別賞には、宮崎・都城市をエリアとす
るケーブルテレビであるBTVケーブルテレビが
南 太 平 洋 に あ る バ ヌ ア ツ と の 交 流 を 描 い た 「桟
橋」が受賞。BTVケーブルテレビは、海外との
交流を地元目線で捉えた番組を多数制作し、中央
から日本のグローバル化が叫ばれる中で、「地域
からの国際化」を問う試みを続けている。
この他、優秀賞には、J :COMイーストが制
作したアップテンポで新鮮な地域広報番組「これ
ってナンダイ!? 市立研Q 所」、娘の心臓病を
治すために米国での心臓移植にかけた母と娘の映
像記録を再構成して番組化した富山の射水ケーブ
ルネットワーク制作の「心臓病と闘う 母と子の
( 30 )
音 好宏
41
上智大学教授
月 、 日の2日間にわたって、日本ケーブ
ルテレビ連盟(J CTA)が主催する第 回日本
ケーブルテレビ大賞番組アワードの贈賞式が、東
京・世田谷の二子玉川ライズで開催された。同ア
ワードについては、以前にもこの欄で紹介したこ
とがあるが、ケーブルテレビ(CATV)が自主
制作し、地域チャンネルであるコミュニティー・
チャンネル(「コミ・チャン」)で放送された優れ
た番 組 を 顕 彰 す る 賞 で あ る 。
このアワードも昨年で 回を迎えたこともあ
り、今年からは新たな出発として、大きく二つの
部門に整理し、単発の企画番組などを中心にエン
トリーするコンペティション部門と、日常番組な
どを中心にエントリーするエキストラ部門が設置
80
佐賀・伊万里ケーブル TV
がグランプリ
23
No.647
メ デ ィ ア 展 望
2015.11.1
70
659日の記録」、横浜のケーブルテレビYOU
テレビが、1945年の横浜大空襲を生存者の証
言と資料で再現した「横浜大空襲5・ ~街が燃
えた 日 の 記 憶 」 の 3 本 が 受 賞 し た 。
これらのケーブルテレビ大賞番組アワードを受
賞するレベルの作品となると、地上放送のように
有名タレントこそ起用してはいないものの、質的
に地上放送で流しても遜色のないものが多い。ジ
ャンル的に言えば、特にドキュメンタリーの領域
で、地域にまつわる問題を地上放送以上に地域に
こだわり続けることで、問題の本質に迫ることに
成功 し て い る 番 組 に 出 く わ す 。
今回、グランプリに輝いた「天の川が見えたら
~忘れない 伊万里商業学徒報国隊」などは、そ
の一 例 で あ ろ う 。
ケーブルテレビの自主制作番組の現場には、長
らく地上放送番組に対するコンプレックスがあっ
たことは確かだ。しかし、少なくとも、画質や音
声といったテレビ技術的には、ほとんど遜色のな
い も の を 提 供 で き る よ う に な っ て い る。 加 え て
今、ケーブルテレビでは、業界を挙げて現行のH
D(高精細度)テレビの倍の画質を提供できる4
K 放送に力を入れている。
この 月1日には、日本のケーブルテレビ業界
共通の4K専門チャンネル「ケーブル4K」がサ
ービスを始めることになっている。この「ケーブ
ル4K」には、全国で110を超えるケーブルテ
レビ事業者(9月末現在)が参入を表明している
そう だ 。
他方、現在の地上放送では周波数帯域が足りな
いため、地上放送で4K放送を実現するめどは立
っ て い な い。 同 じ く 4 K 放 送 に 積 極 的 な B S 放
送、CS放送の動きを考えると、画質的には地上
放送より、ケーブルテレビや衛星放送が先行する
状況が生まれつつある。ケーブルテレビや衛星放
送からすれば、4Kという新たな放送規格で地上
放送が手を付けられないでいるうちに先に進み、
地上放送に対する媒体価値的な劣位性に一矢報い
るとともに、そのメディアとしてのブランド力の
向上を図る狙いがあろう。
コミ・チャン、低収益が悩みだったが…
ケーブルテレビの経営者からすると、コミュニ
ティー・チャンネルで提供する自主制作番組を維
持することは、制作費、人件費を含め、大きな支
出項目を抱えることになる。コミ・チャンの番組
が地域住民に支持され、それが加入者獲得や解約
防止につながったり、CM枠が高収益をもたらす
のであれば、何ら問題はない。しかし、実際のと
ころ、ケーブルテレビのチャンネルラインナップ
の中で、映画やスポーツ、音楽といった番組供給
業 者 か ら 提 供 さ れ て い る チ ャ ン ネ ル に 比 べ、 コ
ミ・チャンの方が収益率は低いケースが多く、い
きおい経営者にとってリスキーなサービスと捉え
られがちである。
今回のケーブルテレビ大賞番組アワードの贈賞
式で興味深かったのは、この贈賞の式典後に行わ
れた「経営から見た地域コンテンツ・コミュニテ
ィーチャンネル」と題するパネルディスカッショ
ンであった。
ケーブルテレビの経営者4人が登壇してパネル
ディスカッションを行ったのだが、そのうちの一
人、倉敷ケーブルテレビの坂本万明社長は、ケー
ブルテレビの経営にとっても、また、ケーブルテ
レビの営業にとっても、コミ・チャンが不可欠で
あることを力説していた。
つまり、コミ・チャンの存在がケーブルテレビ
への加入を促進するし、そのケーブルテレビのブ
ランド力を高めるとの見方だ。もちろん、それを
支えるのは、コミ・チャンで提供される番組の質
だ。その意味においても、番組力の強化は、ケー
ブルテレビ経営にとって不可欠と力説された。
パネルディスカッション後の懇親会で、長年、
コミ・チャンに力を注ぎ、日本のケーブルテレビ
の中でも優良のコミ・チャンを持つとされる鳥
取・米子の中海テレビの高橋孝之専務が、「以前
はコミュニティー・チャンネルはもうかると言っ
ても、うなずいてくれる経営者が少なかったが、
潮目が変わってきたのかもしれない」と話してい
たのが印象的だった。
パネルディスカッションに話を戻すと、もう一
人のパネリストである東京・世田谷区にあるイッ
ツ・コミュニケーションズの高秀憲明社長が、ケ
ーブルテレビの将来に触れ、ケーブルテレビが地
域のジャーナリズム機能を高めることができるの
か が 重 要 な ポ イ ン ト と 指 摘 し て い た。 同 感 で あ
る。
( 31 )
No.647
メ デ ィ ア 展 望
2015.11.1
12
29
)
中学校用歴史教科書には著作権がない
マスメディア関連の裁判を見る(
)
平成 年
(ワ)
第9673号
書籍出版差止等事件
(
く教科書改善を進める有識者の会」の代表世話人。
かみ合わない原告、被告の主張
原告の主張は、①被告扶桑社が原告書籍の本文
データを保有していたのを利用して、原告書籍の
本文のうち原告が著作権を有する記述を大々的に
流 用 し、 被 告 書 籍 を 制 作 し た。 こ の 流 用 は 意 図
の歴史教科書と一般向けの歴史書の2冊の書籍
出版社の扶桑社と育鵬社が販売した中学生向け
書」(検定済み)の代表執筆者で、その本文を書
した中学校用歴史教科書「改訂版新しい歴史教科
社(東京都港区)が、平成 年2月に初版を発行
いることは明らかである。
書籍の制作・出版行為が原告の翻案権を侵害して
的、確信的な盗作行為であり、被告らによる被告
は、原告が執筆に加わった扶桑社刊の中学校用歴
いた一人である。
案 権 と 著 作 者 人 格 権 (同 一 性 保 持 権 と 氏 名 表 示
として、出版元2社と執筆者ら3人を相手に、翻
史」を平成 年5月に発行し、翌年同じ内容の教
に 「こ ん な 教 科 書 で 学 び た い ~ 新 し い 日 本 の 歴
被告の㈱育鵬社(東京都港区)は扶桑社ととも
な表現内容においても、同じ事実を記述しながら
歴史認識においては顕著な違いが見られ、具体的
実の選択・配列の大半で異なっており、歴史観・
を発行した。この2社はいずれもフジサンケイグ
科書「中学社会新しい日本の歴史」(検定済み)
照して、事項の選択と配列が大きく異なっている
に、他社の教科書が原告書籍および被告書籍と対
も似ても似つかないものとなっている。このよう
万余 円 の 損 害 賠 償 を 求 め た 事 件 。
ループに属する会社で、育鵬社は扶桑社の百㌫子
いが自ずと事項の選択および配列に表れた結果で
東京地裁(東海林保裁判長)は平成 年 月
日、原告、被告双方の創作性を否定した上、「被
被告Bさん(埼玉県所沢市)は「つくる会」の元
あ る。 原 告 各 記 述 は、 ま さ に 創 作 的 な 事 項 の 選
のは、表現の視点(歴史観・歴史認識など)の違
ない」として原告の請求を棄却。控訴審の知財高
理事で、同会脱退後は、
「日本教育再生機構」の立
年9月
日、「請求
裁 ( 清 水 節 裁 判 長) で も 同
択・配列であるなどと主張。
一方、被告らは、①被告書籍を制作するに当た
める」という目標に沿った歴史教科書を推進する
学習指導要領の「我が国の歴史に対する愛情を深
原告のAさん(東京都文京区)は文部科学省の
会員で、同会脱退後は、前記再生機構の立ち上げ
告Cさん(神奈川県横浜市)は、
「つくる会」の元
て、その理事 長に。被告 書 籍の執 筆 者の1人。被
同会を脱退。その後、前記の再生機構を立ち上げ
ものではなく、これを創作的に表現したものは著
保護の対象とならない。この点、歴史的事実その
史上の事実、人物に関する事実等は、著作権法の
は感情を創作的に表現したものではないから、歴
②そもそも、事実や事件そのものは、思想また
り、原告書籍の本文を流用した事実はない。
目的で平成9年1月に設立された「新しい歴史教
に参画し、同機構傘下の「改正教育基本法に基づ
だが、原告や他の主要理事らと路線対立がもとで
科書をつくる会」の理事で元会長。被告の㈱扶桑
出版はフジサンケイグループ2社
Dさん(東京都大田区)は、
「つくる会」の元会長
ち上げに参画した、被告書籍の執筆者の一人。被告
19
権)侵害で、同書籍の廃棄と被告各自に6031
②原告各記述は、他社の教科書の記述とは、事
史教科書(平成 年2月初版)を流用したものだ
18
佐 藤 英 雄
25
77
会社である。
12
13
告の各記述は原告各記述を翻案したものとはいえ
26
10
( 32 )
18
はい ず れ も 理 由 が な い 」 と し て 退 け た 。
27
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2015.11.1
列、歴史上の位置付けなどが本質的特徴を基礎付
作物性が肯定される場合があり、事実の選択、配
現が平凡かつありふれたものである場合には、筆
約があるため他の表現が想定できない場合や、表
が、他方、文章自体がごく短く、または表現上制
で収集したベルン裁判記録、英国外交文書、英国
原告と被告らはNHKの職員が番組にする目的
賠償などを求めて東京地裁に訴えた事案。
けることもあり得るが、原告が原告各記述と被告
の新聞記事などの資料を基に共同研究し、NHK
送した。この研究の成果を、NHK出版から出版
者の個性が表現されたものとはいえないから、創
③原告各記述の事項の配列を個別に検討して
物として刊行する予定だったが、原稿の内容が同
各記述につき同一性を有すると主張する部分は、
るありふれた認識を記載した内容にすぎず、表現
も、それらは、いずれも時系列に沿ったものであ
出版の方針に合わず中止された。原告はこの間、
は平成3年4月、番組の「旅順を売った男」を放
それ自体でない部分または表現上の創作性がない
るか、一般的でありふれた配列というべきもので
出版用の第2稿を作成して、これを被告の教授に
作的な表現とはいえない。
部分である。よって、本件に、翻案権侵害が成立
あって、そこに格別の工夫があるとか、著者の個
送っていた。
いずれも歴史的事実そのものか歴史的事実に対す
する 余 地 は な い な ど と 反 論 し た 。
性が表れているということはできない。
な い か ら、 著 作 権 法 の 保 護 の 対 象 と な ら ず、 ま
歴史上の人物に関する事実は、単なる事実にすぎ
東京地裁の判断(要旨)は、①歴史上の事実や
も適切な対比資料であり、他社の歴史教科書に同
科書が同等の分量を有する歴史書として、もっと
各記述の創作性を検討した。これは他社の歴史教
に同様の表現があるか否かの点を中心に、控訴人
一方、控訴審で知財高裁は、他社の歴史教科書
録、新聞記事、契約書など資料の翻訳、紹介、引
た。 教 授 ら は 原 告 の 著 作 物 性 に つ い て、 裁 判 記
告はこれを自作に対する著作権侵害として訴え
し、「壁の世紀」と題する書籍を出版したが、原
一 方、 教 授 も こ れ ま で の 研 究 成 果 を 基 に 執 筆
そ の 結 果 は、「縄 文 時 代」か ら「世 界 大 戦 の 時
ならないから、原告著作物の複製権を侵害したと
原告著作物の創作的な表現形式を利用したことに
侵害は退けたが、文献のデッドコピーを無断で発
( 33 )
歴史上の事実は保護対象外
た、歴史上の事実などについての見解や歴史観と
用、要約であり、創作性がないと反論。
日、「双方の著作物
様の表現があることは、当該表現がありふれたも
月
いったものも、それ自体は思想またはアイデアで
年
のであることの客観的かつ明白な根拠だからと考
東京地裁は平成
あるから、同様に著作権法の保護の対象とはなら
っても、その事実の選択や配列、あるいは歴史上
代と日本」までの各項目で、いずれも共通する部
「通勤大学法律コース」の著作物性が争われた事
一方、法律の専門家でない初心者向けの書籍、
の位置付けなどにおいて創作性が発揮されている
や歴史観をその具体的記述において創作的に表現
したものについては、著作権法の保護が及ぶこと
日判決)は、著作権
われた先行事例がある。その一つは、オーストラ
行・頒布したことは不法行為に当たるとして、損
案(知財高裁平成 年3月
②前記のように「創作性」または「創作的」と
リア在住の日本外交史研究者が、原告著作物にか
害賠償を一部認容している。
【後書き】歴史的事実に創作性があるか、で争
いうためには、厳密な意味で独創性が発揮された
かる複製権と著作者人格権侵害で、日露戦争専攻
があ る と い え る 。
ものであることは必要ではなく、筆者の何らかの
(朝日新聞社社友)
の日本現代史研究者である大学教授ら2人に損害
個性が表現されたもので足りるというべきである
15
創作性を否定された事例
評価することはできない」とした。
の間に、表現上の同一性が認められたとしても、
27
分に創作性が認められなかったという。
えたからだとする。
11
ものや、歴史上の事実またはそれについての見解
ない。他方、歴史上の事実などに関する記述であ
10
18
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メ デ ィ ア 展 望
2015.11.1
蓮見博昭 著 (日本評論社、1800円+税)
れて、選挙を戦う姿を見たいものだ。黒人が大
統領に選出されたアメリカのことだから、女性
同士が世界一強大な権力を求めて争うことは、
決して夢物語ではないと信じている。
このような背景を念頭において、女性大統領
誕生をテーマとする本の書評ができるのは幸運
である。書名からして、まさにグッドタイミン
グである。表紙にはクリントンの写真が使われ
ているので、読者はクリントン候補のことが書
かれている本と想像するかもしれない。
蓮見氏の研究をよく知っている評者として
は、アメリカの政治と宗教を絡めながら女性大
統領を論じているのだろうと思った。なにせ著
者は、アメリカ政治における宗教、とりわけ宗
教右派の役割や活動に関する研究では第一人者
だからだ。
しかし、内容は予想とは少々異なっている。
女性大統領が誕生するにはそれなりの土壌が必
要だが、著者はアメリカ社会に果たしてそのよ
うな歩みがどれだけあるのかを問うている。
一番重要なのは、第1章「アメリカの歴史に
見る女性の状況」で、これまでの女性の政治参
加を概説していて、女性大統領の誕生を考える
上で大変に参考になる。ナンシー・ペロシ(民
主 党) が 初 の 女 性 下 院 議 長 (大 統 領 死 亡 の 場
合、副大統領に次ぐ大統領継承権を持つ)にな
ったこと、女性の州知事・連邦議員が次々と誕
『アメリカに女性大統領は誕生するか』
2016年アメリカ大統領選挙は予備選挙ら
しい様相を呈してきた。民主党は、ヒラリー・
クリントンの独り勝ちの予想で退屈だったが、
バーニー・サンダース(バーモント州選出上院
議員)が、 月初めの世論調査でクリントンよ
り高い支持率を得るケースも出てきた。
女性大統領の誕生をめぐる話題も、現実味を
帯びてきた。民主党も共和党もいまだかつて女
性が大統領候補に選出され、大統領選挙を戦っ
たことはないが(副大統領候補はある)、ひょ
っとしたら今回はそれが実現するかもしれな
ほう まつ
い。しかも、当初は泡沫候補とみられていたカ
ーリー・フィオリナ(コンピューター関連製品
のヒューレット・パッカードの元CEO〈最高
経営責任者〉)が徐々に力を付け、 月初め発
表の世論調査では共和党のトップを走っていた
ドナルド・トランプ(不動産王)を上回っただ
けでなく、クリントンさえも抜いて世間をあっ
といわせた。
共和党はいまだ混戦模様なので、今後の見通
しは立てにくいが、女性大統領の誕生を語るに
は絶好の舞台が設定された。政治経験ゼロの候
補が、元ファーストレディーで上院議員・国務
長官の経験を持つ候補と一戦を交える可能性が
あるかもしれないのだ。
個人的な願望だが、両党の女性候補が大統領
候補に選出され、男性の副大統領候補を引き連
こうさか
生した背景、つまり女性の参政権獲得後に見ら
れる女性の地位向上などが平易に述べられてい
る。
第5章「2016年アメリカ大統領選挙を見
る眼」では、出馬が予想される人々を何人か紹
介しているが、共和党のフィオリナやトランプ
は入っていない(執筆時にその気配はなかった
ので当然)。クリントンとサンダースは紹介さ
れている。出馬を否定しているエリザベス・ウ
ォーレン(マサチューセッツ州選出上院議員)
も取り上げているが、リベラル派からはいまだ
に出馬要請が強い。この章で注目すべきは、著
者が次のように述べていることだ。
「女 性 の 進 出」を め ぐ っ て は、ア メ リ カ は、
日本を含む諸外国に比べて、むしろ遅れてきた
といわなければならない。筆者自身、アメリカ
では女性がもっと各分野に進出しているものと
思っていたが、必ずしもそうではなかった。
そこで、それを本書の主たるテーマにしてい
るわけである。
この部分を読んで初めて、なぜこの本はタイ
トルとは直接関係のない記述が多いのか納得が
いった(日本よりアメリカの女性進出が遅れて
いるという意見には賛成できないが……)
。
第6章「最有力視されるヒラリー・クリント
ン」で参考になったのは、イギリスの故サッチ
ャー首相とクリントンとの比較である。政治歴
や政策の違いなどは興味深い。
本書は、全体として、女性大統領との関連付
けがあまり感じられない部分もあるが、それも
女性を取り巻くアメリカ社会の断面であり、間
接的には女性大統領の誕生を論じることにつな
がっている。
(上坂 昇 =桜美林大学名誉教授)
( 34 )
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メ デ ィ ア 展 望
2015.11.1
10
10
今月号のトップは、ロシア問題専門家で
が湧き出ているところ(瀬石温泉)があり、一人
しました。知床半島の羅臼には海の岩礁から温泉
私事で恐縮ですが、札幌勤務の折、知床へ旅行
弊誌 月号で崇城大学教授の井芹浩文氏が「メ
▼中立的な世論調査機関
予定ですので、お楽しみに。
ら思えます。元外務省主任分析官で作家の佐藤優
こないのか。現状はほぼ絶望的のようにす
にお頼みしました。北方領土はなぜ返って
が 北 方 領 土 の 一 島 で あ る 国 後 島 で し た。 そ の と
隔てた指呼の距離に大きな島が見えました。それ
でその小さな秘湯を楽しみました。そこから海を
れました。世論調査報道をめぐっては新聞各紙・
聞、通信などを批評する「メディアウオッチ10
設 立 を 提 言 し た と こ ろ、 反 響 が あ り ま し た。 新
ディア談話室」で、「中立的な世論調査機関」の
▼北方領土のこと
ある名越健郎氏(元時事通信社外信部長)
氏も 月に開かれた弊会の特別講演会で極めて厳
き、「あ れ が ロ シ ア ? ど う 見 て も 日 本 だ ろ う」
という感想が拭えませんでした。
とし お
(倉沢章夫)
ないのだろうか。インドも中国との国境紛争が
あり、何度も戦っている。ただヒマラヤ山脈が
あるため、全面戦争は考え難い。日中間にも広
大な東シナ海がある。条件は同じなのである。
真実は、日本に戦略がない。戦略のある首相
がいないのである。日米安保条約は独立達成の
ため、やむを得なかった。にもかかわらず、ソ
連が崩壊してもアジアが興隆しても、日米同盟
を続け、米国追従を続けている。インドを見習
うべきである。
日本が「平和、繁栄、技術、文化といった特
性(ブランド)を大事にして」生きていくべき
と い う 主 張 は、 ま さ に そ の 通 り で あ る。 日 本
は、大陸国家、厳しい地政学条件の国とは異な
る。経済と文化に優れた国として平和に生きて
いけるのだ。
著者の説に一部不同意部分はあるものの、大
枠はまさにその通りと、深く感銘を受けた。
(東京都狛江市 相馬尚文 経済アナリスト)
声が出ています。 0」が取り上げ、「大いに同感した」と書いてく
しい現状を指摘されていました。シリアやウクラ
さい。また佐藤優氏の講演録は弊誌 月号に掲載
放送各局でバラツキが大きく、無視できないとの
10
なぜ現状は難しいのか。名越論文をお読みくだ
10
日本 。
12
イナで対立する米ロのはざまで、動きが取れない
編集後記
しれないが、経済制裁のリスクがあるため、小規
模衝突にとどめるであろう。
ロシアの「中国接近」説については、杉田氏も
日本の地政学
本誌8月号、杉田弘毅氏の「米国の相対的衰 「今起きていること」と限定しており、長期的な
退と地政学の逆襲」は、極めて重要な指摘であ ものではないだろう。
ロシアも米国同様、アジア重視を明確にしてい
る。中国、インド、東南アジア諸国などが高成
長を続け、他方、世界の中で相対的に米国が衰 るが、中国は米国と並ぶ潜在敵国であり、できれ
退し、各国が「地政戦略」で動くように変化し ば中国以外のアジア諸国に接近したい。日本が対
米従属を脱することができたなら、日ロ友好が急
ている。
本来アジアの興隆は日本に有利であるのに対 速に進むであろう。
イ ン ド に は 米 印 同 盟 説 と、 反 対 説 の 両 方 が あ
し、日本には地政戦略がなく、対米従属のまま
り、「地殻変動の国々の中では一番頭がいい」と
であり、改める必要があると思われる。
杉田氏の「中国はアメリカや日本とは戦う気 いう指摘も非常に重要だ。米国の最大敵国は中国
もないし、ぶつかる気もない」との説に同感で で、米国は日本とインドを加えて中国を包囲した
ある。軍事的に中国は劣勢(朝鮮半島を含む大 い。インドはそれが分かるし、利害も一致するの
陸とその沿岸は例外)の上、米国または日本と で米印友好を推進する。しかし同盟にしてしまえ
戦えば、改革開放の挫折(欧米の経済制裁)と ば、中国、ロシアなどとの関係が悪化する。それ
な り、 体 制 が 崩 壊 し か ね な い か ら で あ る。 な は避けるのである。
日本はなぜインドのような賢明な政策を採用し
お、「周りの小さい国とぶつかっていく」かも
( 35 )
No.647
メ デ ィ ア 展 望
2015.11.1
2015.11.1
メ デ ィ ア 展 望
No.647
調 査 会 だ よ り
田区など大まかな住所)と年齢を記載し奥付
◎ TPP で中川淳司・東大教授が講演
のメールアドレスへお送りください。
新聞通信調査会は11月18日(水)午後 1 時
◎作家の佐藤優氏が日本の外交で講演
半から東京都千代田区内幸町にある日本プレ
スセンタービル 9 階の講演会場で11月定例講
新聞通信調査会は10月14日(水)、東京都
演会を開催します。講師は東京大学社会科学
中央区銀座にある時事通信ホールにおいて作
研究所教授の中川淳司氏、演題は「環太平洋
家で元外務省主任分析官の佐藤優氏を講師に
連携協定(TPP)で日本はどう変わる」です。
迎え特別講演会を開催しました。演題は「最
入場は無料です。お聞きになりたい人は直接
近の日本外交~メディアに期待すること」で
会場にお越しください。
した。
中川教授は1955年広島県生まれ。東京大学
法学部卒、法学博士。東京工業大工学部助教
授、東京大学社会科学研究所助教授を経て
2000年 4 月より同研究所教授、現在に至る。
専門は国際経済法。『WTO 貿易自由化を超
えて』(岩波新書、2013年)など著書多数。
日経、朝日、共同通信など内外メディアに
TPP の解説記事を寄稿。NHK スペシャル
「TPP 交渉 どう攻めるどう守る」(2013年
4 月28日)など放送媒体でも解説している。
〉〉〉通信社ライブラリーだより〈〈〈
◎「読者の声」欄への投稿、お待ちしています‼
《購入書籍》
「読者の声」欄への投稿をお待ちしていま
す。記事への感想など何でもかまいません。
長さの目安は600~800字です。原稿を送って
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( 1 / 2 / 3 )(鈴木雄雅監修、教育画劇、55㌻、
3,300円)●
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いただいた方には薄謝をお贈りします。末尾
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合はそのようにします)、住所(東京都千代
伏肇著、日本図書センター、269㌻ 図版16㌻、
28,000円)●『概説マス・コミュニケーション』
(早川善治郎編著、学文社、6,367㌻、3,300円)
●
『実録朝日新聞水滸伝』
(宮下賢一著、講談社、
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いた平成日本の没落』(永野護著、バジリコ、
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〒100-0011 東京都千代田区内幸町 2 - 2 - 1
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☎ 03-3593-1081(代) FAX 03-3593-1282
E-mail:chosakai@helen.ocn.ne.jp
いずれかの方法で購読代金を前払いしてください
189㌻、1,000円)●
『新聞記者が本音で答える
「原発事故とメディアへの疑問」』(田原牧著、
クレヨンハウス、63㌻、500円)●
『原発とメデ
ィア~新聞ジャーナリズム 2 度目の敗北』(上
丸洋一著、朝日新聞出版、449㌻、2,000円)●
『図説日本のメディア』(藤竹暁編著、NHK 出
版、301 ㌻、1,200 円)●
『日 本 ジ ャ ー ナ リ ズ
◇郵便振替口座 00120-4-73467
ム・報道史事典~トピックス1861-2011』(日外
(通信欄に購読開始月も記入してください)
アソシエーツ編集部編、日外アソシエーツ、
7,481㌻、14,200円)●『メディアの破壊者読売
◇ゆうちょ銀行 〇一九 店 当座 0073467
新聞』(清武英利編著、佐高信編著、七つ森書
(振り込む際、必ず上記アドレスにお名前、郵便番
号、住所、電話番号、購読開始月を連絡ください)
館、158㌻、1,300円)●『メディアスポーツへ
の招待』
(黒田勇編著、ミネルヴァ書房、211㌻、
印刷所 株式会社 太平印刷社
ISSN 2187-2961 Ⓒ新聞通信調査会2015
2,500円)
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