クロム鋳鉄の残留オーステナイト量に及ぼす 恒温保持の影響

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鋳 造 工 学 第 87 巻(2015)第 9 号
研究論文
クロム鋳鉄の残留オーステナイト量に及ぼす
恒温保持の影響
藤 尾 和 樹* 山 本 厚 之*
Research Article
J. JFS, Vol. 87, No. 9(2015)pp. 642 ~ 646
Effects of Isothermal Treatment on Amount of Retained
Austenite in Cr Cast Irons
Kazuki Fujio* and Atsushi Yamamoto*
Four types of alloys were prepared, in which C and Cr contents were about 2 and 8 %, respectively, while Ni contents
were changed in the range of 0 to 2 %, and Mo contents were 1 or 2 %. The previous paper showed that there exists a window between pearlite and bainite transformation at around 773 K in the TTT diagrams for these cast irons. The specimens
were heat treated at 1273 K for 7.2×103 s, cooled down to the temperature of 773 K with a cooling rate of 0.3 K/s, and then
isothermally tempered various times. The hardness of the specimens increased with increasing holding time and then decreased after peaking at 24.5×104 s. The increase in hardness was mainly attributed to the formation of martensite.
Although the amount of retained austenite decreased with the holding time, the increase in the area fraction of pearlite
was observed in the prolonged treatment specimens. The addition of Ni and Mo led to increased hardness with suppression
of pearlite transformation during treatment, while the amount of retained austenite also increased.
Keywords : white cast iron, retained austenite, isothermal, heat treatment, hardness
著者らは,これまでに圧延ロールとして使用されている
1.緒 言
9)
クロム鋳鋼(1.6%C-11.8%Cr-1.4%Mo) およびクロム鋳鉄
圧延用ワークロールに使用される素材についての解説
論文
1, 2)
10)
(1.5~2.0%C-6.0~8.0%Cr-1.0~2.0Mo) について研究結果
によれば,1990 年代前半までは,鋼製のロールが
を報告してきた.これら合金も上述の多合金系白鋳鉄と同
用いられ,Cr 濃度を増加させる傾向が見られ,1980 年代
様に,焼入れ後に残留オーステナイトが存在するが,焼入
には高クロム鋳鉄も使用されるようになった.その後,高
れの途中でパーライト変態温度とベイナイト変態温度の
速度鋼系白鋳鉄が適用されてきた.主に耐摩耗性の向上を
間で恒温保持することで,通常の焼入れよりも硬さが高く
1)
図るためとされる .2000 年以降は,松原らの研究に代表
3, 4, 5)
10)
なり,焼戻し回数を減少させ得ることを示した .これは,
が注目されている.これら合
恒温保持中に Mo 系二次炭化物が析出して基地中の炭素濃
金では,Cr,Mo,V,W などをそれぞれ 5% 程度含有して
度が低下し,その後の冷却時にマルテンサイトを生成する
おり,鋳造時に各合金元素に起因する炭化物 MC,M7C3,
ためと考察した.しかし,残留オーステナイト量の変化に
される多合金系白鋳鉄
6)
M2C,M6C を晶出させる .この合金系では,焼入れ後の
ついては詳細に示していなかった.硬さの変化は,残留
残留オーステナイトが多いため,焼戻しによって炭化物を
オーステナイト量の変化と必ずしも一致せず ,炭化物の
形成させ,その後の冷却でマルテンサイトあるいはベイナ
析出,基地の変態などの複合的な因子による.そこで,本
7)
7)
イトを生成させて基地の耐摩耗性を向上させる .しかし
研究では上記クロム鋳鉄と類似組成の試料について,残留
ながら,この合金をロールとして実工程で使用する際には
オーステナイト量の変化を定量的にとらえ,硬さ及び金属
8)
複数回の焼戻しが必要とされ ,大型厚肉の製品では熱処
組織との関係を調査した.
理時の昇温 ・ 冷却に非常に時間がかかるため,コスト面で
さらに,焼入れ性を向上させるために Ni を添加した試
も納期においても不利となる.
料も作製した.Ni は焼入れ性を良くする元素であるが,
受付日:平成 27 年 1 月 27 日,受理日:平成 27 年 6 月 4 日(Received on January 27, 2015; Accepted on June 4, 2015)
*
兵庫県立大学大学院工学研究科 Graduate School of Engineering, University of Hyogo
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クロム鋳鉄の残留オーステナイト量に及ぼす恒温保持の影響
組成や熱処理条件によっては残留オーステナイト量を増や
す傾向にあることも知られている
11)
ため,その影響につ
定した X 線回折のピークのうち,α(200),α(211),γ(200),
γ(220),γ(311)の解析ピークを用い,相対積分強度比か
ら 5 ピーク法
いて調査し,従来材との比較を行った.
12)
によりオーステナイト量の定量を行った.
晶出炭化物の面積率は,SEM の反射電子組成像が Cr を
2.実験方法
多く含む M7C3 及び M3C は黒く写り Mo 主体の M2C は白
2. 1 実験試料
く写ることを利用して,画像解析ソフトで 2 値化を行い,
本研究に用いた試料は種々の組成に配合した原材料を高
測定した.画像解析ソフトは日鐵住金テクノロジー株式会
周波誘導炉において 1773K で溶解し,φ30×250mm の珪
社製の粒子解析ⅢVer.3.0 を用い,500×500μm の範囲を 5
砂型に注湯し作製した.各供試材の化学組成を Table 1 に
視野測定し,平均した.
示す.
パーライトの面積率は 3% 硝酸アルコールで腐食後,光
2. 2 熱処理
学顕微鏡でパーライトは黒く写り,それ以外の箇所が白く
溶製した試料はφ30×20mm の大きさに切り出し,熱
写ることを利用し,上記の炭化物面積率の測定と同様の方
処理を行った.試料の酸化及び脱炭を防止するため Ar ガ
法で測定した.
ス雰囲気中で熱処理を行い,熱処理後の試料は表面から
5mm 切り落とした面を評価した.熱処理パターンは Fig. 1
3
3.実験結果及び考察
に示すように,1273K まで加熱後 7.2×10 s 保持し,冷却速
3. 1 恒温保持時間と硬さ
度 0.3K/s で 773K まで冷却し,773K で恒温保持を行った.
それぞれの試料で,恒温保持を施さない焼入れ及び恒温
4
4
恒温保持時間はそれぞれ 7.2×10 s,15.1×10 s,24.5×
4
4
保持焼入れを行い,硬さを測定した結果を Fig. 2 に示す.
10 s,50.4×10 s とし,その後 0.03K/s で室温まで冷却した.
いずれの試料も恒温保持を施さなかったものと比較して,
比較材として恒温保持を施さずに常温まで 0.3K/s で冷却
恒温保持時間が長くなるにつれ硬さが上昇し,24.5×10 s
した試料も作製した.
で最大硬さに達する.さらに長時間の 50.4×10 s 保持では
2. 3 評価
硬さは低下する. 各熱処理による組織変化は,#1500 までエメリー研磨,
Fig. 3 に,Iron No. 1 について,773K での恒温保持時間
ダイヤモンドバフ研磨を施し,塩酸ピクリン酸を用いて腐
と組織の関係を示す.(a)は,恒温保持なしで焼入れた試
食後 SEM を用いて組織観察を行った.硬さは SEM 観察
料である.矢印 A で示す明るいコントラストの組織はパー
を行った試料の研磨面についてロックウェル C スケール
ライトであり,暗いコントラストの B は M7C3+M3C 共晶
で測定した.
炭化物である.中間色の C はマルテンサイトとオーステ
4
4
残留オーステナイト量の定量は X 線回折測定で行った.
試料はダイヤモンドバフ研磨後,過塩素酸エタノールを用
いて電解研磨し,表面の加工層を除去した.試験装置は,
株式会社リガク製の RINT-2200X を使用し,ターゲットに
は Cu を用い管電圧 40kV,管電流 30mA で測定した.測
Fig. 1 Schematic illustration for two step quenching.
Fig. 2 Effects of isothermal treatment time on
hardness of specimens.
二段焼入れの熱処理履歴.
硬さに及ぼす恒温保持処理の影響.
Table 1 Chemical compositions of chromium cast irons (mass%).
クロム鋳鉄の化学組成(mass%).
Iron
No.1
No.2
No.3
No.4
C
1.99
1.93
2.03
1.98
Si
0.93
0.91
0.94
0.94
Mn
0.78
0.78
0.81
0.81
P
0.018
0.019
0.018
0.018
S
0.007
0.009
0.006
0.006
Ni
0.05
0.05
1.07
2.06
Cr
7.99
7.81
7.80
7.76
Mo
0.95
2.1
0.97
0.97
Fe
bal.
bal.
bal.
bal.
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鋳 造 工 学 第 87 巻(2015)第 9 号
(a)
(b)
B
C
A
20μm
20μm
(d)
(c)
20μm
20μm
(e)
20μm
4
Fig. 3 Microstructures of Iron No. 1 isothermally heat treated at 773K for various times.(a)0s,(b)7.2×10 s,(c)
4
4
4
15.1×10 s,(d)24.5×10 s,(e)50.4×10 s.
4
4
4
4
各保持時間で恒温熱処理を施した試料 No.1 の微細組織(a)0s,(b)7.2×10 s,(c)15.1×10 s,(d)24.5×10 s,(e)50.4×10 s.
ナイトの混合組織である.(b)~(e)は,773K で,7.2×
4
4
4
4
10 s,15.1×10 s,24.5×10 s,50.4×10 s 保持した試料であ
4
る.恒温保持時間 24.5×10 s(d)まではパーライトの量は
恒温保持しなかった試料(a)と比較して大差ないが,50.4
4
×10 s 保持(e)ではパーライトの生成量が急激に増加して
いる.
Fig. 4 に,Iron No. 1 ~ 4 の恒温保持によるパーライト
4
量の変化を示す.Iron No. 1 以外の試料でも 50.4×10 s 保
持でパーライトの生成量が急激に増加している.
前述のように,本研究で用いた試料の組成は,前報
10)
と類似である.そこに示した TTT 図と Fig. 3 及び Fig. 4
の結果を考え合わせると,本研究試料についての TTT 図
は,Fig. 5 のようになると考えられる.773K はパーライ
トノーズとベイナイトノーズの間の温度である.そのた
Fig. 4 Effects of isothermal treatment time on amount
of retained perlite.
恒温保持のパーライト量に及ぼす影響.
め,ほとんど相変態しないが,Cr や Mo を含有するため
恒温保持時間の増加とともに炭化物が析出していき,基地
と Fig. 3(e)に示すように 773K でもパーライト変態が起
中の炭素濃度が低下して Ms 点は上昇し,マルテンサイト
こり硬さは低下する(Fig. 2).
量が増え,残留オーステナイト量が減るため硬さが上昇す
る.しかし,恒温保持が一定の時間を超えて長時間になる
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クロム鋳鉄の残留オーステナイト量に及ぼす恒温保持の影響
Fig. 5 Schematic TTT diagram and isothermal treatment at 773K for illustrating effects of isothermal
treatment time on phases in matrix of specimens.
TTT 図と基地の変態に及ぼす 773K での恒温処理時間の
影響.
Fig. 6 Effects of isothermal treatment time on amount
of retained austenite.
恒温保持の残留オーステナイト量に及ぼす影響.
3. 2 恒温保持時間と残留オーステナイト
各熱処理後の残留オーステナイト量を Fig. 6 に示す.
全ての試料で残留オーステナイト量は恒温保持時間が長
くなるにつれ減少する.
Fig. 7 に残留オーステナイト量と硬さの関係を示す.白
4
矢印で示した 50.4×10 s の恒温保持でパーライトの生成量
が急激に増えた試料以外は,残留オーステナイト量と硬さ
に高い相関が認められる.これを利用すれば,残留オース
テナイトの測定が難しい形状の製品においても,硬さを測
定するだけで,容易に残留オーステナイト量を推測するこ
とが可能である.
3. 3 Ni 及び Mo 添加量の基地への影響
Table 1 に示したように,Iron No. 1 を標準組成とすると,
No. 2 は Mo 添加量が多く,No. 3 は Ni の添加量が多い.
Fig. 7 Relationships between hardness and amount of
retained austenite.
硬さと残留オーステナイト量の相関関係.
No. 4 はさらに Ni 添加量が多い.Fig. 2 に示した硬さの変
化を見ると,高 Mo の No. 2 が最高硬さを示しており,高
オーステナイト量は多くなった.
Ni の No. 3,4 がそれに次ぐ.標準試料の No. 1 が最も低い.
3. 4 Ni 及び Mo 添加量の炭化物への影響
残留オーステナイト量を示した Fig. 6 でも,高 Mo の No. 2
硬さは基地組織の他に炭化物の影響を受けるため,Ni
が最も多く,No. 3, 4 は標準の No. 1 よりは多いが No. 2 よ
及び Mo 添加による炭化物量の違いを考える必要がある.
りは少ない.
炭化物面積率を測定した結果を Table 2 に示す.
通常,残留オーステナイト量が少ないほうが硬さは高い
本組成では,Cr を 8% 程度含有するため Fe 及び Cr 系
7, 13)
が,今回の 4 試料においては逆の結果となっ
炭化物である M7C3+M3C が炭化物面積率の大部分を占め,
た.これは,Fig. 4 に示したパーライトの生成量の違いに
1 ~ 2% 程度の Mo は,そのほとんどが基地中に固溶され,
よるものであると考えられる.Iron No. 1 では 14% 程度の
Mo 系炭化物 M2C はほとんど晶出しない.最も M2C の晶
パーライト量に対し,Mo 添加量が多い Iron No. 2 及び Ni
出量の多い試料 No. 2 においても 0.3% しかなく,硬さに
の添加量の多い Iron No. 4 ではパーライト量は 5% 以下で
影響するような炭化物の増加はない.
と思われる
ある.Ni の添加量が少ない Iron No. 3 ではパーライト量は
10% 以下である.
Fig. 5 では便宜上,恒温保持無しで焼入れた場合,およ
び恒温保持の前段階の焼入れでは,パーライトノーズに達
しない模式図としたが,Iron No. 1 では,ノーズが短時間
側に移動し,No. 2 ~ 4 では長時間側に移動していると考
えられる.Ni や Mo を多く含む程,パーライト変態を遅
らせ,焼き入れ性は改善されて硬さは高くなるが,残留
Table 2 Area fractions of eutectic carbides obtained
from SEM images(%).
電子顕微鏡写真から得た共晶炭化物の面積率.
Iron
No.1
No.2
No.3
No.4
M7C3+M3C
1.90
1.94
1.81
1.52
M6C
0.08
0.30
0.00
0.01
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鋳 造 工 学 第 87 巻(2015)第 9 号
Ni は炭化物を作らないが,Mo の基地への固溶度を上げ
少であり,硬さへの影響は無視できる.
るため,Ni の添加量が増えれば Mo 炭化物の量を減らす
と考えられるが,これも 1 ~ 2% 程度の Mo 量では,硬さ
参考文献
1)S. Iwadoh and T. Mori: ISIJ Int., 32(1992)1131
に影響するほどではない.
2)M. Hashimoto, T, Tanaka, T. Inoue, M, Yamashita, R.
4.結 言
Kurahashi and R. Terakado: ISIJ Int., 42(2002)982
Cr 系鋳鉄において,焼入れの途中で,パーライト変態温度
とベイナイト変態温度の間で恒温保持する熱処理を施し,硬
3)松原安宏,横溝雄三,笹栗信也,橋本光生:鋳造工学
72(2000)471
さ及び残留オーステナイト量に及ぼす恒温保持時間の影響に
4)山本郁,宮川昇,大城桂作:鋳造工学 72(2000)163
ついて以下の結論を得た.
5)笹栗信也,山本郁,横溝雄三,橋本光生,松原安宏:
1) 本実験で用いた試料組成では,恒温保持を行うこと
4
で硬さが上昇した.保持時間が 24.5×10 s で最大硬さ
4
に達し,さらに長時間の 50.4×10 s 保持では硬さは低
鋳造工学 80(2008)571
6)笹栗信也,横溝雄三,牟田口達也,橋本光生,松原安
宏:鋳造工学 77(2005)629
7)笹栗信也,山本郁,横溝雄三,橋本光生,松原安宏:
下した.
4
2) 恒温保持時間 24.5×10 s まではパーライトの量は恒
4
鋳造工学 80(2008)475
温保持しなかったものと大差ないが,50.4×10 s 保持
8)平田克己,前川敏郎:特開 2001-181795
ではパーライトの生成量が急激に増加する.
9)藤 尾 和 樹, 山 本 厚 之, 西 川 進: 鉄 と 鋼 100(2014)
3) 全ての試料で残留オーステナイト量は恒温保持時
4
間が長くなるにつれ減少し,24.5×10 s までは硬さと
の相関を示す.
4) Ni および Mo 添加量の多い試料においては,パー
ライト変態が遅れ硬さは高くなるが,残留オーステナ
イト量は多い.
5) 本実験で用いた試料組成では,Ni 及び Mo の添加
量の違いによる Mo 系共晶炭化物の面積率の違いは微
1408
10)K. Fujio, A. Yamamoto, S. Nishikawa: PRICM-8, Hawaii
(TMS)
(2013)803
11)日本熱処理技術協会:熱処理ガイドブック 4 版(大河
出版)
(2013),10
12)円山弘:熱処理 17(1977)198.
13)日本金属学会:鉄鋼材料(丸善)
(1985)36