三田評論、そして福澤先生「英学発心の地」横浜物語を振り返る 安政 6 年(1859 年、福澤先生が築地鉄砲洲の中津藩中屋敷の長屋の一戸に、蘭学塾を開 設した翌年)、いわゆる安政の 5 ヵ国条約の締結を受けて、幕府は、この年 6 月 2 日に横浜 を開港しました。波止場ができ、居留地が開かれ、交易が始まり、江戸に近い玄関口として 内外の人々で賑わい、発展するようになったとのことですが、福澤先生も開港後の横浜を見 学に行きました。「福翁自伝」 (以下、 「自伝」という)の中にも記述がありますが、今回は、 三田評論から、いくつか関連する記事を、ご紹介します。 はじめに、2010 年 8・9 月の「現代に生きる福澤諭吉のことば」です。当時数えで二十六 の蘭学者、福澤先生は前年 10 月に大坂から出てきて以来、江戸の蘭学事情を知ることに努 め、・・・・・・「まずこれならば江戸の学者もさまで恐れることは」。横浜開港の情報に接 したのは、そんな自信も具わった頃のことだった。開港場を見よう―――先生は同年開港さ れたばかりの横浜を見物することにした。築地鉄砲洲にある中津藩邸から横浜の居留地まで 出かけたのである。「屋敷の門限があるので、前の晩の十二時から行ってその晩の十二時に 帰ったから、ちょうど一昼夜歩いていた」(自伝)という。子(ね)の刻前に出て丸一日後 に戻るという、相当な強行軍だった。歩き通して着いたのは、午前中であったろうか。だが 先生は、そこで大きな衝撃を受けることになる。「そのときの横浜というものは外国人がチ ラホラ来ているだけで、ほったて小屋みたような家が諸方にチョイチョイできて、外国人が そこに住まって店をだしている。そこへ行ってみたところが、ちょいとも言葉が通じない。 此方のいうこともわからなければ、彼方の言うことももちろんわからない。店の看板も読め なければビンのはり紙もわからぬ。何を見てもわたしの知っている文字というものはない (自伝)。 (途中略)それでもキニッフルというドイツ人商人の店に辿り着いた先生は、そこ で「蘭語蘭文がわかる」その人と筆談を交えて言葉を交わし、買い物をすると再び歩いて江 戸に戻った。その時の見物の顛末が、「横浜から帰て、私は足の疲れではない、実に落胆し て仕舞た」(自伝)と記されていました。しかし、先生はそれで終わらなかった。横浜で使 われている言葉、書かれている文字は専ら英語に違いない。今後は英語が必要になるに違い ない、と当たりを付けると、「洋学者として英語を知らなければ、とても何にも通ずること ができない」と腹を括られたそうです。落胆から新たな志へ、大胆な方向転換に、 ・・・・・・ そしてこの転換こそが、福澤という英学者、慶應義塾という英学塾が誕生する発端となるの である、と紹介されていました(義塾年表によると、英学発心は 1859 年、蘭学塾から英学 塾への転向は 1863 年)。 次に、三田評論 2010 年 10 月号です。ここでは、同じ「現代に生きる福澤諭吉のことば」 シリーズで、福澤先生の当時の回想が、明治 10 年 4 月に書かれた「三田演説第百回の記」 の一節から紹介されていました。『福澤諭吉も安政五年大阪緒方先生の門より始て江戸に来 り、横浜にて英蘭対訳の一小冊子を買ひ、辞書に由て之を研究したり、其苦心は今に至て自 ら忘るゝこと能はず』です。当時は、英語を教えてくれる先生も見つからず、辞書も英蘭対 訳の辞書しかなく、英学の友を求めるのにも苦労され、「字引と首っぴきで、毎日毎夜ひと 1/2 り勉強、またあるいは英文の書を蘭後に翻訳してみて、英文に慣れることばかり心がけ」た そうで、自伝の中では、英学塾転向に漕ぎ着けるまでには、現代では想像さえできない、い ろいろなご苦労をされたことが書かれています。 三田評論では、これらの記事より先に、1995 年 4 月号の三人閑談で、 「横浜物語」を掲載 し、横浜に縁の深い三人の塾員の方々(横浜シウマイ創業会社社長さん、全国でも珍しいレ ース専門店を横浜で営む経営者の方、慶應文学部の女性の先生)が出席し、横浜「シウマイ」 の生い立ちの話や、開港で新たに拓かれた「開かれた街」横浜の進取の精神(外国人に挟ま れた商店街を形成、西洋館やクリーニング店、パン屋さんなど、横浜元町が発祥の地と言わ れている)、 「中華街の秘策」の話や、質実剛健なところはフランス的であるとか、東京のレ ストランでは店の前にメニューを出さない店もあるが、横浜では絶対それはダメだとか、興 味深い話が満載されています。東京と近いと言っても、歴史の長さも、町の成り立ちも異な り、福澤先生の時代とは異なりますが、文化・風俗の違いもあり、今でも興味をそそられる 点が多々あります。 義塾は、2008 年に創立 150 年を迎えましたが、その際、福澤諭吉展は横浜会場でも行わ れました。横浜は、義塾の 150 年式典の翌年、「開港 150 年」を迎えました。話はそれます が、「横浜市開港記念会館」には、義塾三田図書館にあるような歴史上価値の高い、貴重な ステンドグラスがあります(2 階ホール)。ボランティアのガイドさんの説明によると、確 か作者は、三田図書館の作者と同じであったように聞いています(関東大震災で被害を受け、 現在は復元されています)。 (石川 武) 2/2
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