高齢者の歩行障害や認知症改善による在宅 医療の推進・寝たきり防止の

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高齢者の歩行障害や認知症改善による在宅
医療の推進・寝たきり防止のための特発性正
常圧水頭症(iNPH)診療の普及
現状
者転倒骨折の危険因子とされる歩行障害は、最も改善する
国を抜いて高齢化先進国となった日本は、2010年には65歳
し、ひいては寝たきり予防につながる重要な意味をもたらす。
急速な少子化とともに平均寿命が劇的に延び、2005年に各
以上が人口の23%を越え、先進諸国に先んじてWHOが定義
する超高齢社会に入った。これに伴い介護保険費用の問題
1
や医療費といった社会保障費のさらなる上昇など、解決の難
症状であり、その改善は、すなわち高齢者の転倒骨折を予防
高齢者の転倒による大腿骨頸部骨折は生存率に影響する重
大な疾患とされるが、骨折と骨粗鬆症の治療のみで転倒危険
因子としての原因疾患の認識が薄いのが現状である。6院内
しい問題に直面している。
転倒や介護施設内事故の大多数が高齢者の転倒に起因する
一方、医学の発展によってもたらされた大きなメリットが期待
至るケースも多く、毎年1,000件を越える医事関係民事訴訟
できる疾患がある。その疾患は認知症や歩行障害といった徴
候に特徴づけられる特発性正常圧水頭症(iNPH)であり、高
齢者の転倒の主な原因となっている。超高齢社会を背景に専
門医(脳神経外科医、神経内科医)の医学学会を中心にその
診療の重要性が叫ばれている。しかしながら専門医以外の
もので、骨折治療の経済的損失も多い。医事関係民事訴訟に
が起こっている。7, 8, 9このようにiNPHの診療は認知症や歩行
障害、尿失禁の改善効果と併せて、介護保険費用や医療費の
抑制・適正化につながり認知症改善、転倒骨折・寝たきりの
予防に直結するものと考えられる。
医療関係者の認知度が低く、認知症疾患医療センターであっ
iNPHの診療は直接効果をもたらすものから副次的なものま
ごしたり、他の疾患と混同されてしまったりしているのが現状
数に対して現在は約6,700症例の治療に留まっている。これ
ても、認知症・歩行障害・尿失禁といったiNPHの症状を見過
である。現在、診断については2011年にiNPH診療ガイドラ
イン第2版が制定されたことによって、専門医レベルではほぼ
普及しており、治療においても脳神経外科であれば、どこの
施設でも実施されている、基本的な髄液シャント手術によっ
で、大変メリットが多い診療でありながら、35万人の罹患者
は疾患の認知度が低いことに起因すると考えられる。実際の
認知度調査では、ケアマネジャーのiNPH認知度は58%、一
般の認知度は11.9%となっており、
「歳のせい」とされて受診
していないケースが、非常に多いことが推測される。10, 11また、
てなされる。近年、厚生労働省難治性疾患克服研究事業に
専門医である脳神経外科と神経内科での診断率はそれぞれ
改善度が判明し、同疾患の診療価値が明らかにされている。
る。1260歳以上を対象にしたiNPHに関する意識調査によれ
おける研究班や研究グループによりその有病率と診療による
iNPHとして適切に診断されれば、その症状である認知症・歩
行障害・尿失禁の改善率は80%となる。2
iNPHの有病率については近年の研究のメタアナリシスによっ
て高齢者の1.1%にiNPHの疑いがあることが分かっている。
3
2013年の高齢者人口を勘案すると、日本のiNPH患者は35
万人以上となる。よく知られた高齢者疾患であるパーキンソ
ン病の2倍である。また、認知症全体の5%にあたるともいわ
れ、26万人から35万人に及ぶ患者数は、早期に発見できれ
ばシャント手術によって重介護状態を防ぐことのできる実数
でもある。 患者100名の臨床研究の結果からこれら症状の
4
58%と48%、その他精神科7%、かかりつけ医7%となってい
ば、認知症の兆候があった場合、57%が専門医ではなく、か
かりつけ医を受診すると回答していることからみても、見逃
されることが多い状況と推察する。老健施設や特別養護老
人施設などの入所者もこの疾患が見逃されているケースが多
く、ケアマネジャーやへルパー、クリニック等のプライマリー
ケアにおいても疾患認知度の向上を促す必要がある。そして
一刻も早く治療対象を発掘し、早期に治療をすることで、患
者の自立度や生活の質が向上し、介護の負担の軽減も見込
まれ、在宅の推進や寝たきり防止によって、社会的・経済的コ
ストを下げることに大きく貢献すると考えられる。
改善に伴って47.3%の介護保険費用の削減が可能とされ、治
現行政策
算されている。5推定患者数35万人で換算すると介護保険費
患克服研究事業や日本正常圧水頭症研究会による多施設共
療費を含めても2年後には5,300万円の黒字となることが試
用と治療費などの総額が5年間で約400億円削減できる試
算となる。
iNPH診療がもたらす効果として、患者自身と介護者双方の生
活の質の向上をもたらすことは言うまでもない。中でも高齢
同疾患の病態と診療に関する研究は、厚生労働省難治性疾
同研究でつづけられており、手術適応の検査と手術法が確
立している。認知症全般に対する制度も発展をみせ、全国
に270カ所の認知症疾患診療センターの設置が進められて
いる。民間でのサポートシステムを構築する「認知症サポー
ター育成事業」が地方自治体で進められている。歩行障害や
健康寿命の延長による日本経済活性化 | 97
尿失禁に関する現行政策には特筆するものはなく、介護保険
をはじめとする諸サービスを利用することで対応している。
政策の進捗状況:進展なし
iNPH疾患の取扱いについて、東京都議会本会議一般質問や
相模原市議会一般質問の答弁として、都としての積極的な疾
••
要介護認定時の認定調査・医師意見書に追加して別途、
••
iNPHの画像診断ポイントを周知させる取組みも必要で
••
映されていない。iNPH診療を通した転倒骨折予防と寝たき
り予防におけるセイフティーネットの構築は無策な状況であ
る。
政策提言
•• iNPH診療に対する医学的取組みは進んでいるものの、
罹患者の2%足らずの診療率であることは、
「歳だから仕
方がない」といった一般市民の認知度の低さからくるあ
きらめや、医療サイドの見逃しや誤診に因ると考えられ
あり、医師会への指導を考慮する必要がある。
要介護認定の連動性を考慮して、包括支援センターや認
知症疾患診療センターへもiNPH診療を再認識するべく
明確に指示する必要がある。要介護認定時の頭部CT/
患啓発および改善する認知症としての医療機関への指導につ
いて言及されたが、それ以外には行政の取組みにほとんど反
頭部CT/MRIによる画像診断を実施する必要がある。
••
••
••
MRIは、そのコストを助成金の対象とする必要がある。
高齢者の転倒骨折患者に対する頭部CT/MRI冠状断の
画像検査と治療により歩行障害の改善に因る再転倒の
防止と寝たきり防止、生存率の伸展を図る必要がある。
高齢者の転倒骨折時の頭部CT/MRIは、そのコストを
DPCに加算として費用の償還を受けられるようにする必
要がある。
政府は一般市民へのiNPH疾患に関する広報活動を積極
的に実施する必要がある。
る。そして一般市民への啓発に先行して高齢者疾患に関
わる医学・社会福祉に携わる人々への疾患認知度向上・
啓発と地域連携・院内連携で診療していくシステムの構
築が必要な現状である。iNPHの診断・治療は多くの社
会的なメリットを生み出すだけに、そのメリットを十分に
享受すべく、iNPH診療の活性化に行政が関わっていくこ
とを提言する。
参考文献:
1. 国立社会保障・人口問題研究所「人口資料集2009」、国連“2008年改訂国連推計” 2. Hashimoto et al. Diagnosis of idiopathic normal pressure hydrocephalus is supported by MRI-based scheme: a
prospective cohort study. Cerebrospinal Fluid Research 2010, 7:18.
3. 特発性正常圧水頭症診療ガイドライン第2版 日本正常圧水頭症学会 2011
4. 新井一 脳21Vol.14 No. 2 2011.
5. 石川正恒 「iNPH治療における医療経済効果の検討」脳21Vol.14 No.2 2011. Ishikawa M. Evaluation of the medicoeconomic
effect of the treatment of iNPH. Brain 21 Vol. 14 No. 2 2011.
6. Tsuboi M, et al: J Bone Joint Surg Br 89(4):461, 2007.
7. 「福祉サービス事例集」全国社会福祉協議会 H12長寿・社会福祉基金助成事業
8. 「介護サービスと介護商品にかかわる消費者相談」国民生活センター 2000
9. 福島正紀「医療事故ケースファイル」南山堂 2011
10. 「iNPHに関する意識調査」ケアマネジメント・オンライン 2011
11. 「iNPHに関する意識調査」GFシニアデータベース電話調査 2011
12. 「iNPHに関する診療調査」m3 2010
98 | 健康寿命の延長による日本経済活性化
24. 超高齢社会の到来: 約30万人が特発性正
常圧水頭症(iNPH)の可能性
l 日本は超高齢社会。日本の高齢化率が7%から14%へ上昇するのに要した時間は、
フランスの125年に比べ、25年であった。
l 日本のiNPH有病率31万9千人(65歳以上の高齢者、総人口の23%、2千9百万人の
うちの1.1%)
65歳以上の人口割合の推移・将来推計
フランス
ドイツ
英国
イタリア
スウェーデン
韓国
米国
日本
日本
フランス
出典: 国立社会保障・人口問題研究所「人口資料集2009」、国連“2008年改訂国連推計” 24.iNPHは認知症や尿失禁や歩行障害の原因の
ひとつであり、治療可能
l  iNPHとは、何らかの原因で髄液の循環が障害され、脳室に髄液がたまって拡大
した脳室が脳を圧迫して発症する病気。
iNPH推定患者数
iNPHの主な症状
パーキン ソン病
150,000
iNPH 310,000
アルツ
ハイマー病
1,000,000
20万
40万 60万 80万100万人
(東北大学 森悦朗 2009)
症状
画像診断
検査
80%に
改善
歩行障害
認知症
尿失禁
髄液タップテスト
l 
治療
シャント手術
13%に
自立
iNPHの治療(髄液シャント術手術) (推計)年間 3,000症例
健康寿命の延長による日本経済活性化 | 99
24. 髄液シャント手術による自立度改善により、
介護保険費用は47.3%の削減が可能
◆iNPH診療による重症度の変化に伴う介護保険での介護費用の変化
m RS
要介護度
介護保険1カ月利用限度額
S tudy登録時人数
介護費用(
1年)
grade0:
非該当
術
年間削減金額
後
S tudy結果年間削減額
m
grade1:
要支援1
R
介護費用削減額基準
S
S tudy結果年間削減額
grade2:
要支援2
介護費用削減額基準
S tudy結果年間削減額
grade3:
要介護1
介護費用削減額基準
S tudy結果年間削減額
grade4:
要介護2
介護費用削減額基準
S tudy結果年間削減額
grade4'要介護3
介護費用削減額基準
S tudy結果年間削減額
grade5:
要介護4
介護費用削減額基準
S tudy結果年間削減額
grade5':
要介護5
介護費用削減額基準
S tudy結果年間削減額
フォローアップ人数合計
年間削減金額
年間削減率
術前mR S
grade0
非該当
0
-596,400
0
grade1
要支援1
49,700
7
596,400
3
596,400
1,789,200
4
0
0
-1,989,600 -1,393,200
0
0
grade2
要支援2
104,000
31
1,248,000
6
1,248,000
7,488,000
17
651,600
11,077,200
5
0
0
3
-741,600
-2,224,800
-2,337,600 -1,741,200
0
0
-1,089,600
0
-3,210,000 -2,613,600
0
0
-1,962,000
0
grade3
要介護1
165,800
23
1,989,600
3
1,989,600
5,968,800
6
1,393,200
8,359,200
8
741,600
5,932,800
3
0
0
0
-348,000
0
2
-1,220,400
-2,440,800
-1,248,000
0
-651,600
0
-3,672,000 -3,075,600
0
0
-2,424,000
0
-1,682,400
0
-1,334,400
0
-462,000
0
462,000
0
0
0
0
-4,299,600 -3,703,200
0
0
0
7
0 1,789,200
-3,051,600
0
31
16,340,400
-2,310,000
0
22
17,820,000
-1,962,000 -1,089,600
0
0
0
34
0 44,836,800
-627,600
0
0
0
0
0
0
grade4
要介護2
要介護3
194,800
267,500
35
2,337,600 3,210,000
0
1
2,337,600 3,210,000
0 3,210,000
0
3
1,741,200 2,613,600
0 7,840,800
0
11
1,089,600 1,962,000
0 21,582,000
0
10
348,000 1,220,400
0 12,204,000
0
0
0
872,400
0
0
9
-872,400
0
0
0
grade5
要介護4
306,000
4
3,672,000
100 | 健康寿命の延長による日本経済活性化
4,299,600
3,672,000
0
0
3,075,600
0
0
2,424,000
0
4,299,600
0
1
3,703,200
3,703,200
1
3,051,600
3,051,600
1,682,400
0
2,310,000
0
1,334,400
0
1,962,000
0
1,089,600
0
0
627,600
0
2
0
0
4
6,754,800
注:mRS:脳卒中や頭部外傷で一般的に使用される評価法。グレード0~5があり、数字が低い方が軽症。
出典:石川 正恒 「iNPH治療における医療経済効果の検討」脳21Vol.14 No.2 2011
要介護5
358,300
100人
185,127,600
13
18,456,000
31
30,980,400
25
30,566,400
16
9,979,200
0
0
11
-2,440,800
0
0
2
0
98
87,541,200
47.3%