401 自著「ノスタルジア鈴鹿の山」

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ササ枯れ調査スタートの頃
私は山のコラム第1集 45 編で「奥の平のササ枯れ」を取り上げた。1990 年ごろ御池岳奥の
平一帯は鈴鹿でもとくに猛烈なササに覆われ、人の頭を没するササの海の中、両手で泳ぐよう
に格闘したものだ。それが 2004 年にはササは枯れ無残な姿になってきた。
その後も枯れは進行し 2014 年ササは完全に消滅し裸地状である。僅かに残る表土にはコケ
が点々の無残な姿を晒す。 この現状を憂慮し私が朝日新聞全国版に「鈴鹿の山々の植物群に
異変」の投書をしたのは 2004 年 5 月だった。さっそく全国の人々からの反応は大きく、その
声を朝日新聞が私に転送してきた。 山形蔵王山 NPO の方は「蔵王の前山でも黒い雪が降り、
春に雪がとけて川に流れ込み魚が大量に死んでいる」。前橋市のMさんは「群馬でもブナの若
木やナラ、アカマツまで枯れている。原因は中国の石炭による亜硫酸、亜硝酸ガスだと推測し
ている」と。四日市の三重県自然観察指導員Tさんは、御在所岳山頂の動植物園学芸員に相談
して「ほとんどシカの食害と思います。シカが増えたのは温暖化」と云う。
こんなとき愛知労山も機関紙 382 号、383 号で私の投書を紹介、もっと地元の鈴鹿の山の変
化を知り、貴重な自然を守るには私たち登山者はどうすべきか、との問いかけがあった。
その結果、労山傘下の各山岳会が鈴鹿の山全部を対象に分担、5年間かけて植生の変化や土
壌を採取し Ph 値を計ることになった。 ふわく山の会も自然保護部が担当して定点観測を実
施した。当時、イブネ、クラシや藤原岳山頂、御池岳の鈴北岳、池の平、奥の平一帯がとくに
枯れが顕著だった。
私は臆面もなく森林総合研究所に「ササや竹生態研究での日本一の先生を紹介して」と頼み、
京都工芸繊維大学の渡辺政俊教授を紹介して貰った。
教授は「ササが 60 年周期の枯れる状
況ではなく、開花もなく実も付けずに前面枯死する、この原因は現地調査しないとサッパリ判
らない。私は老人なので若い弟子を紹介しますから」と、愛弟子の帯広畜産大学の紺野康夫助
教授、秋田県立大学の蒔田明史助教授を紹介してくれた。
蒔田先生は「恩師から聞いています。御池岳は京都
の大学生当時に登りました。写真を見ての原因特定は
無理、お招き頂ければ山に登ります」
、帯広の紺野先生
「私も御池岳は一度登りました。このササ枯れはたぶ
んシカの食害と思います。知床のシカによる被害と
似ています。来年春以降なら現地の調査に協力でき
ますが…」
。これらの申し出に私個人の力ではどう
しようもない。丁重にお断りしたのであった。
こんな状況のなか愛知労山での取り組みがスタート、
順調に軌道に乗り収集データも得られ始めた。同年 11 月、3者の意見交換会が開催された。
三重県から2名、いなべ市2名と清水実市議。愛知労山から五十嵐ふわく会長、私と春日井峠
の会の1名が出席。
①藤原、御池岳の野生シカ数は1平方 km 当り7頭。②土壌検査はときどき実施中。
③シカ食害はササのほか山野草や杉もひどい。④シカの駆除をどうするか三重も滋賀も困っ
ている。⑤愛知労山の定点観測に協力する。などの意見一致を見た。
その後、滋賀県連との合同調査も実施。こうして愛知労山による5年間の定点観測が終了し貴
重なデータが得られたのである。