第2章 後藤電子と後藤電子 (上海) 有限公司

第 2章 後 藤電子 と後藤電子 (上海)有 限公司
上 つている。土地15,000ぷに工場 は4,500ボの 3階 建てある。
2007年7月 31日現在 の社員数は中国人2,335人に 日本人 2名 で ある。 うち女性
従業員 は2,173名、率 に して93%で ある。 また、内陸出身者、 い わゆる 「出稼 ぎ
(1)中 国進 出 の 経 緯
組」 は1,750名に上 り従業員 の 4分 の 3を 占めてい る。工 業団地に立地 して い る
1980年代か ら山形県内では人手不足 の状況にあ り人集めが先行 き不安な状況に
ので寮はない (人は住んではいけない)。上海では家賃が600元かか り4、 5名 で
地元 よ り100円高 い賃金」 を謳
あった。例 えば、当時中央か ら進出 した企業は 「
シェアして も120∼150元かかる。 これでは手取 り1,000元ないと生 活が困難であ
い文旬 に人集めに走っていた。 また、労働者側 には 「
仕事があ って当然」 とい う
る。そ こで工員は上海郊外 にた くさんある農家 を借 りて一緒に住 んでいるようだ。
意識があ り仕事へ の愛着心が薄 れていた。 このような状況 ではもはや県内で工場
大 きな会社 であれば、団地 を買 い取 って宿舎 とす ることもで きるが、定員が埋 ら
新設に伴 う100∼200名の人員 を確保することは期待 で きなか った。
ず コス ト割れ した り、辞めた者が居座 り問題 になった りした話 を聞 いているので、
周囲 には中国進出について不安 を指摘す る者が沢山いたが、話 を聴 いてみると、
会社 としてはどこか らでも通勤可 としている。 しか し、工会関係者には、上海の
必ず しも実体験に基づいた ものではなかった。そ こで、1985年社長 自ら上海に渡っ
工業が内陸出身者 を前提 にして成 り立っている以上、政府が彼 らの住宅確保 に責
てみた ところ (当時 は北京便、上海便の 2本 しかなかった)、現地では 「
仕事が
任を持 つべ きだと繰 り返 し訴えて きた。
後か ら付 いて来 た」 (社長)。北京 ではな く上海
ない」 とい う。 コス トのことは 「
職種別構成 を示 す と、製造職2,133名、品質管理 (出荷検査 ・巡回検査)41名 、
管理 スタッフ92名、技術職22名、倉庫係14名、電工 ・運転 手 。清掃員23名であ り、
を選んだ理由は温暖さ、政治 との距離の 2つ である。
1985年に委託生産を始めているが、社長が個人的に友人を頼 って興 した事業で
あ り、会社設立は1990年7月 31日の ことで ある (委託生産工場 は1995年に売却)。
その他 に長期休暇が10名いる。学歴別に分けると、院卒 1名 、大卒15名、短大 (高
専)34名 、高校 (専門学校)111名 、中卒2,174名となる。
当時 は合弁会社 しか認め られず、 日本49%、 中国51%の 出資比率 であ った。後藤
電子は山形県内では最 も早 い時期 に中国に進出 した企業であったため、すべ てが
初体験 となった。 当初 は日通 も第一貨物 も部品を中国に運 び、製品を中国か ら輸
B . 業 務
出するノウハ ウを有 さなかった (当時 はすべ て中国政府 を通 して輸出す ることに
拡大 して い る。 現在 で もボイス コイルの生産が依 然 と して 第 1の 柱 であ る ことに
なっていた)。また山形銀行か らは直接送金がで きず、旧三菱銀行 を通 して送金
は違 い ない ものの、 第 2の 柱 と して cD、 DVD、 ブル ー レイ用 の ビ ックア ップ コ
していた。山銀の外為取 り扱 いは1991年であ り、 さらにその後、中国銀行 ともコ
イルの生産 、第 3に 保温用発 熱半導体 の材料生産及 び組立加 工、 さ らに 自動機 、
ル レス契約 を結ぶに至った。2002年には合弁会社か ら独資に転換 した。
省力化機械 の組 立が加 わってい る。 最後 の業務 は上記諸商 品 を作 るため に必要 な
当初 は専 らス ピー カー用 ボイス コイ ル を生産 して いたが 、その後、業 務 内容 を
機械 の 内製化 で あ る。
② 現 在 の業容
A . 規 模
C . 販
に
資本金3 0 万ドル、社員数6 4 人で始め、現在ではそれぞれ4 0 0 万ドル、2 , 3 0 0 人
― `δ 一
路
製 品の販路 は当初全 数 日本 向 けだ ったが 、現在 日本 向けはlo%を 割 り、 中国国
内が5 0 % 以 上、その他 を米国、ベ トナ ム、 タイ、欧州に向けて売 り捌 いてい る。
。
そこで後藤電子ではい くつかの対策をとった。まず品質管理を中国型から日本
欧米や台湾の同業他社 と渡 り合 うには価格以外 の面、品質の確か
型に改めた。「
さ、安心感を売 りにするしかない」( 社長) : 1 9 9 9 年
にはI S 0 9 o o 22、
0 0 2 年I S 0 9 0 0 1 ・
D . 原材 料
当初はすべ て日本か ら輸入 していたが、原材料会社が中国に進出 した こ ともあ
2000年
版、2 0 0 4 年にはI s o / T s 1 6 9 4 92、
0 0 5 年にはI s o 1 4 0 0 1 を
取得 した。
り、原材料調達先を品 目によって中国国内 。日本 とハ ッキリ分けている。現地で
調達 しているのは、エ タノー ル などの補助材料、梱包材、 (一般的な)電 線、ハ
企業か ら独資企業へ の転換 を図 り、2002
ンダ、機械精密加工 品、印刷品、剥離剤、作業着である。他方、細電線、特殊電
年 には実現 した。 さらに販路 も拡大 した。
線、アル ミ、ガラス繊維、和紙、接着剤、精密プラスティック基板、電装 部品 は
当初 は全数 日本向けであったが、2000年
日本か ら輸入 してい る。
には香港10%、 アメリカ10%、 中国国内
アメリカ向けがそれぞれ30%に 上が り、
の周囲を巻 く紙。 スピー カーではこの辺 りがかな り熱を帯 びるが、燃 えては困る。
中国国内 は38-39%、 日本向 けはlo%未
も使ってい るデュポン製ノーメ ックスは過熱すると解けるが燃えない。
¨
70%と した。 さらに2005年には香港 向け、
ド。中国で も同 じものは作 っているが、デ ュポン製を使 っている。 また、 コイル
NASAで
︱
日中の大 きな違 いは 「
基礎力」 にある。例 えば、ボイス コイルの素材 ポリイミ
次いで、配 当の過半が中国に渡る合弁
満 になった。2006年か らは単位当た りの
=
喜
垂轟基量:墓墨圭
青柳総経理 と高木 団長
「中国は素材 を使 い切れてい ない し、安心 して使 い続け られるか疑 間が残 る」の
人件費を抑えるために工員数 をこれまでの倍 にした。 また2006年には賃金がさら
で使用 していない。そ もそ も日本 のユ ーザ ー企 業 は電線 で もЛS規 格 の 1ク ラス
に安 い安徽省 に工場用地を取得 し今年か ら労働 集約性が下層高 いボイス ■ィルの
上の規格 を当然のように求めて くる。それに対応する基礎力があるか ら金型 も精
生産を移す予定 である。 こ うした努力 によって、1998-2002年 トン トンだった収
確 に作れている。
支 は2006年には微増 した。 しか し、現在では再び トン トン状態に戻 っている。主
な原因は後に触れる労務費の一層 の高騰 と人民元上昇である。
E.収 益の状況
ライバルが少ない初期 ほど収益が上が った。たとえて言えば 「
10円で作 って20
円で売 っていたよ うなものだ」。 しか し、同業他社、大企業が進出 し、台湾 メー
F.本 社 との関係
カー も進出して きたので、それ らと競争 しなければならな くなった。例 えば、ボ
産 していたが、近々ではそれぞれ自国で製造するに適 したものを開発 し、製造 し
イス ・コイルの競争相手は台湾企業及 び ロー カルメー カー で あ り、 ビックア ッ
ている」 とのことであったが、現地を預かる総経理の話では 「
試作 ・製造 とも現
プ ・コイルは日系企業、具体的には 3社 が競争相手 である。上海工場 の収益は、
地でおこなっているの はピックアップコィルだけ」であ り、他の製 品は未だに「日
工場運営が軌道に乗 り、 ビックアップ コィルヘの進出に成功 した1992年か ら97年
本本社で開発 ・試作 を行なっている」 とのことである。中国で製造す るのが適 し
にかけて大 きく伸びたものの、その後台湾企業や中国 ロー カル企業 と競合する よ
ているのは、技術的にそ う高度ではな く、人出がかかる量産品 とい うことになる。
うになると減 り始めた。
つい最近 までは日本で開発か ら試作段階まで担当 し、中国で量
社長によれば 「
販路 に関 しては、 「
棲み分け」ではな く、 どち らが顧 客 の要望、例 えば 「
元で
― イθ ―
―`′ ―
なくドルで買いたい」「(三角取引のようにインボイスを日本経由でなく)上 海工
年数 も若千考慮 して い る」。評価 を細 か く設 定 し、賃金 に直接 反映 させ る点 は我 々
場か らから直接 イ ンボイスが欲 しい」等 々に応 じられるかによる。
経営面では、配当を本社に送 る、あるいはその額を加減す るなど助け合 う面 も
が訪問 した中国工 場 に共通 す る特徴 であ る。
あるが、基本的にはそれぞれ独力で経営す るとい うのが基本方針である。例えば、
本社 は一番苦 しいが、その中で発熱半導体 のような新 しい製品を生み出した。
C.動 続年数
雇用 は 1年 契約 である。勤続年数10年以上の者が500人以上 しる し、設立 当初
か ら勤続 している者 も100数名 い る。 しか し、平均すれば勤続年数は 2年 を切 る。
契約 は必ず しも更新 されるわけではない。「
思 い切 って切 る時は切る」(総経理)。
③ 労 務管理
人はやる気 のあるときとない ときが あ り、放ってお くと全体が弛緩するか らだ と
A.人 員確保
一般職工の場合、人材紹介会社 に依頼する と全国より外来人職工が集め られる。
い う。歳 をとって細かい仕事がで きない場合にはローテー ションで対応 している
技術員 はイ ンター ネッ トの人材紹介会社 、事務員はそれに加 え知人の紹介な どに
が、欠勤が多 い場合 には契約解除の対象 となる。労働法上、病気 の際は解雇で き
より集 めている。
ない等種 々保護 されてい るので、欠勤が多 い者 は人事部が何 力月 も前か らビック
アップ してお きタイ ミングを見計 らってクビに して い る。 「
そ こに同情 の余地は
B . 賃 金
ない」。上記の査定によってハ ッキ リ数字 に出ているので本人にも説明で きる。
企業が負担す る賃金総額 は上海居民 と外省労働者で異な る。前者 には賃金に養
老金、住宅積 立金、労災 ・失業 ・健康 の各種保険 の掛金が加 わ り平均2 , 0 8 4 元で
また対象者全員 について工会 と相談 しなが ら契約解除を行なう。
あるのに対 し、後者は外来人総合保 険、管理費 しか加わらないので平均 1 , 1 5 4 元
D.職 務分担
勤続が短 いため職種間も職種内 もローテー シヨンはない。多能工化 してはない。
である。
賃金 には能率給 と品質給 を設けている。基本給 の2 0 ∼2 5 % を 占める。能率給 は
30∼40ある工程 の うち 「1つ 覚 えればよい。あるい は 2つ 」。人 を指導す るため
目標以上でプラス 1 、 未達 でマ イナ ス 1 。 品質給 は品質を維持 して1 0 0 % 、維持
には種 々の仕事に習熟する多能工化が必要 とされ ないか と総経理 に問うてみたが
不良を作らずに数を作れJと 指示しているとい
できなきなければマイナス2。 「
うのが社長の説明であった。つまり、業績主義 とのことであつた。しかし、現場
それは不可能ですね」 と言下に否定 された。従業員 も現在の 「
「
仕事がな くなっ
一
て他 の仕事 に移 る時 は辞めてい く」「 つ の仕事 を覚 えるのだけで精 一杯 なのに
の総経理の話では、より日本的な能力主義の面もあった。もちろん、能率や品質
2年 以内で辞める人が多 いですか ら」 と。
賃金 は社員が最 も気 にす
も重要だが、担当す る製品が異なれば比較 は難 しい。「
もちろん幹部クラスは単 一職務では済 まない。 しか し、職務分担の広 さについ
るところなので主 期的 にした くない」。そ こで 6つ か 7つ の観点で毎月評価 し、
コンピュー ターで集計 して いる。「品質 もあ る し生産性 もある し、現場監督者ヘ
ては、聴 き取 りの結果、正負両面があった。プラス面 は積極的関与である。先 に
の協力的 な態度 も評価 してい る。製造業なので出勤率 もす ご く大切。 また作業者
の中には高卒、専 門学校卒 もいるので学歴 も率は低 いが加味 してい る。あと勤続
―」θ―
紹介 した自動機、省力化機械は、当初 日本か ら輸入 していたが、ここ10年の うち
に中国人従業員が「
見 よう見 まねで」中国内で部品を調達 し組み立てるようになら
た。それは加工機械が欧州か ら入 り精密な加工が可能になったこともあるが 中国
経営者 の魅力」であ り、言 い換
人従業員 の熱心 さに よる。それを引 き出す のは 「
えれば会社 が 「自分 たちの ことを考えて くれている」 とい う受け止め方をして く
幹)地 域住 民 や行 政 との関係
れているか らだと、総経理 は胸 を張って語 っていた。
ない。 ところが、工会は種 々の会社 と交流があ り、例えば工会が率先 して道路清
地域 との関係面 で も経営者は地域住民や近隣の会社 との直接的交流はほとんど
れば、「中国人 は発想が欧米的 で、当初定 めた仕様 よりも安 い部品がある と断 り
掃等に参加 してい る。地域住民 との親睦 とい う面 では、
地域の10社が主催 してサ ッ
カー大会を開催 している。主催者 は持ち回 りで、担当になった年にはその会社 の
変更 が生 じ
もな く勝手 に使 う」。ISOを 取得 しているので勝手 に変更 で きない。「
後藤杯」 と銘打 っている。
名前、例 えば 「
マ イナス面 は現場 レベ ルで勝手な仕様変更が行なわれることであ る。社長によ
た場合 には連絡する約束 で しよう」 と諭す。事故が起 きて反省、また問題が出て
工会は役 に立 っているか とい う問い に対 しは 「ものす ごいですね」。工 会 の首
席が くも膜下で倒れたときには 「身内の人が倒れたときと同様心配 し、退院 した
反省、 の繰 り返 しだ とい う。
ときには涙が出た」 との答が総経理 よ り返って きた。
後藤電子は比較的早期に中国に進出 した企業であるため、浦東地区の工会、上
E.職 場の士気
「
現場 はものす ご く難 しい」。現場 を支 えている直 ぐ上の班長、組長 は 「ライ
ンにいる人たちの生活、金銭面 も含 めてかな り面倒 をみているようだ。17時になっ
海の工会 とも 「
仲が良 く」、上海工 場 は地域 における調停 の窓口と もなっている。
たか らといって帰れ るわけではない。そ こで、10年以上経験があ り、優 しい人を
多 くあ った鎮が政策により整理統合 される ことになった。上海工場 に合同出資 し
選んで置 いている」。
工会が二般労働者 と会社 との接点になってい る。例えば、週 1回 、部長会 を開
て い た鎮 は50もの郷 鎮企業 を持 って
いているが、その際、工会 の首席 も来 てもらっている。その場 で、末端 の人たち
者 に金 を返す必要が 出て きた。鎮 は
の意見 を教 え得て もらっている。「問題 が大 きくなる前 に (1つ ひとつ)潰 して
いる」。例 えば 「
最近食事 が美味 しくな くな っている。量が少ない等 々。食事 は
合弁会社 の解散 ・清算 を求 めて きた。
凄 く大事」。ちなみに福利厚 生における食事 の優先度 の高 さは訪問 した どの企 業
で も指摘 された ことである。その他、進出時 か ら17時以降に日本語教室 を開 き、
資本 の減資 を認 めてい なか った。 他
方で従業員 の 中にはその鎮 の者 もい
50名以上は日本語検定 1級 、 さらに裁判 の通訳がで きる レベ ルが 5名 くらいいる。
たので 、解散 して しま う と生 計が成
幹部 は全員 日本 に派遣 して い るし、米国 にも何度か行かせた。 「自分 たちがや ら
なけれ ばこの会社 は動かないJと い う意識 になっている、 と。その他、職場 では
り立 たな くなる面 もあ った。 そ こで 、
中国側 の主 な出資であ る建物 を別途
毎年旧正月前 日に忘年会 を開いている。会社 と工会が費用分担 して毎年200名ず
日本側が建 て企 業 の規模 を維持す る
つ社員旅行 に連れて行 ってい る。
こ とを条件 に一 時的 に減資 を認 めて
党や工会 との関係 の深 さを示す格好のエ ビソー ドがある。 ある時、浦東地区に数
い たが、 統合 の対象 な り、鎮 の 出資
しか も当時 の出資法 は一 旦 出資 した
後藤電子 (上海)で の会談
もらい、その直後に増資して元の出資額に戻すとい う形で独資へ の転換を経済委
員会に申請 したところ認めて くれた。小さい会社ながらもかなりの配当を出す合
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弁会社 を中国側が手放すはず もない。 また上の例では交渉が決裂 して強制解散 も
あ りえた。鎮 の方が多数派なので。全 国的に見れば、裁判になって10年を要する
B.コ ス トア ップ
収益 は P惨愴 た る ものが あ る」 (総経理)。一 般 に売上 高利益 率 は、任 天堂 な ど
例 も珍 しくない独資へ の転換 を後藤電子が交渉期間 1年 で切 り抜けた点について、
総経理は 「うちの社長 の運が良か った」 の一言 で済 ませてい るが、党や行政 との
超優 良企業が10%で あ るの を除 い て、せ いぜ い 5%で あ る。 ところが、2005年7
関係 の深 さを窺 い知ることがで きよう。
usド ル建 てであ る。 さ らに昨年 くらい か ら最低 賃金 を引 き上 げ る動 きが あ り、
月 か ら 2年 間 で元 は対 ドル9.5%も 上 昇 した。 ち なみ に上 海 工 場 は販 売 の95%が
賃 金が高 い地域 は 2桁 くらい上 が って い る。 「で は上 海 工 場 に余力 が な くなった
(5)現 在 の 課題
か といわれれ ば、本社 に配 当 を送 らない とい う手 も残 されて い るが、 いず れ に し
A.中 国企業 との取引
一番の問題は現地産原材
て も大変 な時代 になった」 (総経理)。
料 の品質に対する信頼感である。 日本 の電線 メー カー
が上海に進出 したので、購入 したことがある。外見上違 いはない し、抵抗値等検
C.中 国 工 場 の今後
査上の数値 には異常が認め られなかった。 しか し、それを用いて製造 した コイル
を卸 した音響 メ●カーが試 しにスピー カー を鳴 らしてみたところ 「
音が異 なる」
電子 内部 で もい ろい ろ検討 した。 そ の結果、1)後
とい う。調べ てみると、現地産 の銅 を使用 してお り、鋼の溶解、伸線過程 で不純
大 き く飛躍 で きたの は 中国 の友人 や社 員 のお かげであ る とい う考 えに立 っている。
物が混 じったようだ。 もちろん一般的な電線 としては使 えるが、音響 には不適切
2)中 国 よ り齋 され た収益 は中 国 に貢献す るのが道理 であ る、3)中
であった。そこで、現地産の銅 と日本産の銅 とを使 い分けない限 り、契約 しない
治 は比較 的安定 してお り、今 後 も安定が期 待 で きる、 4)中 国国内か らの調達 部
と通告 した。同様の理由でアル ミも日本か ら送っている。 「中国にもいい製品は
品が増 え、生 産準備 が 容易 であ る、5)ベ
ある、値段 も半分以下、お客 さんか らもoKと 承認 をもらう。 しか し、安定 して
る と、 今後給与が上昇 し中国 と同等 になる と予測 で きる。結局、 中国国内 での生
供給できるかが不安 であ り、何年 もや らないと安心 して使えない。 日系企業でさ
産 を考 えた方 が、人 口、土 地 な どで リス クが 少 ない との判 断 に達 した。
元高や賃金上昇 で ベ トナ ム に工 場移転 す る動 きもあ る。 この作 に関 しては後藤
藤電子 は、 この 17年もの 間 に
国国内 の政
トナム も、 そ の労働 人 口規 模 か ら考 え
え品質維持 とい う観点か らは不安がある、 ましてや地元企業 は」 と社長は力説 し
ていた。
( 6 ) と
ま め
現地企業は支払 い も良 くない。社長によれば、中国では 「カネはなるべ く払わ
ない方が偉 い」 とす る風 潮がある。 日本 の代表的家電 メー カー Mで も当初、現
中国 に進 出 した 日本企業 はお しなべ て 「2つ の制約」 に直面 してい る。人の制
約 と技術 の制約 であ る。
地合弁企業 の支払が 1年 近 く滞 っていた。そ こで 日本本社 に苦情を伝 えて改善 を
後藤 電子 は、 その来歴 か らは早 期 に中国に進 出 した企 業 としての苦労や党 。工
約束 してもらったが、やは り半年近 く遅れた。合弁企業では中国政府側が支払 も
会 との濃密 な関係 が 目立 つ が、我 々が訪 問 した企業 の 中 で は、 東北 パ イオ ニ ア と
握っていたか らだ。最終的には、 日本本社が支払 を保証することになってようや
並 ぶ 労働 集約型企業 に分類 で きる。両社 は ともに賃金昂騰、人集 めの 困難 を動機
く解決 した。
と して中国に進 出 している。 したが って、 この場合 、人の制約 とは圧 倒 的多数 を
占め る工 員 の賃金 上 昇であ る。 労働 集約型企業 は現在 の賃金上昇、元 高 に苦 しめ
-5`―
-55-
られてお り、ベ トナム等 さらに賃金 の安 い地域へ の転出が懸案 となっている。 し
か し、ベ トナムヘ の工場転出が続けばいずれは賃金 も昂騰する と考えられる。「ア
センブラー (組み立てメー カー)と しての根本的問題 は焼 き畑農業 をいつ まで続
け るか」 とい う点 にある (東北パ イオニ ア本社高橋康之人事部長)。 しか も、県
内企業 の中で も比較的早期 に申国に進出 した後藤電子は、行政や党 と密接な関係
を築 いてお り、合弁会社 の独資へ の転換 を短期間で果 たす とい う恩恵に浴 した り、
上海地区の総工会の顔役的存在 になった りしているため、容易 には他国に転出で
きない。
技術的制約 とは、 中国企業の技術力 に全幅の信頼 を置けないため、基幹部品は
日本か ら輸送するな り、 日系企業や欧米企業か ら購入 している。後藤電子 も主力
製品であるボイスコイルの素材 はデ ユポン製を用 いているし、ボイス コイルに用
いる電線は日本産の銅使用 を指定 した上で 日系企業か ら購入 している。原材料 に
関 しては コス ト圧縮 の余地 は限 られている。
残 された途は、 コス ト面 では 1人 当た りの生産性 を高める、価格競争以外 では
品質や環境対策 でアピールす ることであろう。 しか し、そのためには、末端工員
の技能伸長あ るい は多能工化、 さらに彼 らを直接指揮す る班長、組長 クラスの多
焼 き畑農業」へ の誘因か ら
能工的素養 が欠かせ ない。それが果たせ ない限 り、「
抜 け切 れないであろう。
註 1)ち なみに日本本社 の製品販売先は60%超が米国であ り、国内向けは30%未 満で
ある。例えば、東北パイオニア向けは売上 2億 円超の うち 2-300万 円程である。
(安 田
-5δ ―
均
)