*ある人々は、その信仰を告白しますが、現実には、その経験をもって

(ヨハネ3:34)“神が、御霊を無限に与えられるからである”
あなたは、御霊を無限に量りなしに受けることができるのです・・これ
は、実に驚くべきステートメント〔事柄〕です。しかし、私たちは、今、
人類が始まって以来の豊かな聖霊のときに住んでいるのですから・・・
(使徒の働き2:17)“神は言われる、終わりの日に、私の霊をすべ
ての人に注ぐ。、、、今の、この時は、天から御霊が雨のように注がれ
る時です、少量ではありません、大雨のようにです、そして、それを多
くの人が知りません。
*ある人々は、その信仰を告白しますが、現実には、その経験をもってはい
ません。
人々の中には、聖霊のバプテズマを受けていると言いながら、人のか
げぐちや、神の仕事に対しての文句、または、神のいやしの力に対して
非難したりする人がいます。これらの人々は、聖霊の力を、量りなしに
与えられているとは考えられません、私は、彼らがその経験を受けたこ
とがないと言っているのではなく、その経験、聖霊のバプテズマを受け
ていながら、その後に何かが起こり、御霊が彼らに無限に注がれるとい
うことが、彼らの生活の中におきていないという事です。誰でも、聖霊
のバプテズマを受けるならば、その人は、御霊を量りなしに与えられる
状態を受けるのであって、もし、彼らが神を信じること、また、みこと
ばを信頼することをおこたれば、彼は御霊に限界を与え、彼の生活、人
生の中に御霊の限界、また、量りなしに与えられるべき御霊は注がれま
せん。
*イエス・キリストは、御霊を無限に受けていたのです。
イエスは、偉大な力をもって来られた。ヨハネは、彼・イエスには、
量りなしに無限に御霊は与えられたと書いています。何とすばらしいこ
とでしょう! 彼は、みことばを,それ以前に誰ものべ伝えたことのない
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道で説教しました、病気をいやし、悪霊を追い出し、すばらしい神のみ
わざを人々の中で行いました、この地上でイエス・キリストが示された、
この神の力である力は、今日、わたしたちのものです。彼が天に昇られ
た時、彼は、私たちにとってもそれが現実のものとなるために、彼とと
もに、“キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせて、ともに天
の所にすわらせてくださいました”(エペソ人2:6)神は、あなたに
御霊を与えることを量られません、しかし、キリストとともに、キリス
トのように、御霊を無限に与えられます。あなたの不従順を通してのみ、
御霊は限界を受けます、キリストは、すべての点において天の父に従順
であり、神のみこころを実行されたのです、今日、その人が、それと同
じように実行されるならば、御霊は、無限に与えられるということです。
*キリストの弟子たちは、御霊を量りなしに受けたのです
(ヨハネの福音14:12)“まことに、まことに、あなたがたに告げ
ます、わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、また、それより
もさらに大きなわざを行ないます、わたしが父のみもとに行くからで
す”。イエスは、弟子たちに、彼がしているわざをするだけでなく、も
っと大きなわざを行うと言っています。さて、それは、いつでしょう
か!彼らが、聖霊を無限に受けた時です。(ルカの福音24:49)
“さあ、私は、私の父の約束してくださったものを、あなたがたに送り
ます、あなたがたは、いと高きところから力を着せられるまでは、都に
とどまっていなさい”キリストが天に昇られてから、弟子たちは、エル
サレムに行き、御霊を量りなしに与えられるまで待ちつづけていたので
す。それから、そのことが現実におきたのです、何とすばらしい神のみ
ことばをペテロはのべ伝えたのでしょう!3000人の魂が、神の御国
へ帰ってきたのです。
何という神のいやしの力のリバイブルがおきたのでしょう。使徒たち
は、彼らの時を、祈りと断食とみことばを与えることに費やして、病気
の人々は、数多くいやされたのです。(使徒の働き6:4)“私たちは、
もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします”イエスは、弟子た
ちにこう言われています。(マルコの福音9:29)にあって、特別の
タイプの汚れた霊について、“この種のものは、祈りと断食によらなけ
れば、何によっても追い出せるものではありません”と言っておられ、
これらのことを、現実に弟子たちが、聖霊を受けたのちに、祈りと断食
を実行した後、この種の汚れた霊を追い出す力を得ているのです。
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*彼ら、弟子たちは異言を語っています、あなたも、それと同じものを受け
るのです。
聖霊が量りなしに降りてきた時、何という騒ぎがおきたことでしょ
う!(使徒2:12)“人々は、みな驚き惑って、互いに「いったいこ
れはどうしたことか。」と言った。ペテロは、それが、聖霊が量りなし
に降りてきている時であることを示しました。弟子たちが聖霊を量りな
しに受けた時に、彼らは異言を語りました。(使徒2:4)”すると、
みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに他国のことば
で話しだした“なぜ、今日、ある人々は、聖霊を量りなしに受け入れる
ことをしないのでしょう!それは、彼らが、聖書に従ってペンテコスト
の日と同じように御霊を受け入れようとしないからです。あなたは、肉
体的なしるしである、初めの証し、異言を語ることなくして、御霊を量
りなしに受けることは、決してありません。あなたは異言を語ったこと
がありますか? 彼らは(弟子たちは)ペンテコストにあって御霊を量
りなしに受けた時に異言を語っています、なぜ、あなたには、それが受
け入れられないのでしょう! 恐れが多くの人から、この神の力を受け
入れることを遠ざけます、また、うたがい深い人から、、、ペンテコス
トの経験は、今日では不可能であると言っている人々に耳を貸すことや、
異言を話すことは、今日の私たちのものではないとする人々、しかし、
真実を知っておられますか! 何百万という人々が、今日、この経験を
受けているのです。
*聖霊のバプテズマ・・・それが、御霊を量りなしにうける鍵なのです。
あなたは、救われ、主の霊を、あなたの人生の中にもっておられるか
もしれません、しかし、異言を語ることを初めの証しとして聖霊を受け
ておられないならば、御霊を無限に量りなしにもつことはできません。
あなたが、イエスの血を通して信仰によって救われている時、あなたは、
主の霊を、その時点では、量られて受けているのです。しかし、聖霊の
バプテズマをもって聖霊を無限に受けることができるのです。バプテズ
マのヨハネは、真理を、このように伝えています。(マタイの福音3:
11)“私は、あなたがたに悔い改めるために水のバプテズマを授けて
いますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です、
その方は、あなたがたに聖霊と火のバプテズマをお授けになります。”
ヨハネのバプテズマは、主が、後の時に、彼の子どもたちに与えられる
べく経験を、今は受けることができないけれども、受けることのできる
時が来ることを語っているのです。また、主ご自身も、弟子たちが、後
の日に受けるべき経験を今は受け入れられないけれども、受けるように
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なると言っておられます。(ヨハネの福音7:37~39)“さて、祭
りの終わりの大いなる日に、イエスは立って大声で言われた,「誰でも渇
いているなら、私のもとに来て飲みなさい、私を信じる者は聖書が言っ
ているとおり、その人の心の奥底から生ける水の川が流れ出るようにな
る、これは、イエスを信じる者が後になって受ける御霊のことを言われ
たのである、イエスは、まだ栄光を受けておられなかったので、御霊が、
まだ注がれていなかったのである。”
弟子たちは、ペンテコストの前に力を受けています。(ルカの福音
9:1)しかし、イエスは、彼らに彼らがすでに受けた力とは、ちがう
道で受けるように、エルサレムで待つように命じられています。聖霊の
バプテズマとともに来るべき力、神の力のことを示しておられるのです。
*御霊を、無限に量りなしに受けてください。
あなたの人生にとって必要である、この聖霊の力をうけることを誰か
らも止められることがないように、今日、今・・・あなたが得ることが
できるのです。おそらく、あなたは、神からもっと力を与えられること
を求めていたことでしょう、あなたは、その力を量りなしに無限に受け
ることができるのです。ここグレースカシードルの教会にあって、初期
の教会の人々が使った方法(やり方)で、手を置くことを通して、神か
ら数え切れない人々が、このすばらしい神の力を受けています。(使徒
8:17)“彼らが、彼らの上に手を置くと、彼らは、聖霊を受けた”
何をも、あなたを止めることがないように、決して悪魔や人々が、こ
の偉大な力からあなたを遠ざけることがないように、量りなしに、無限
に聖霊を受けてください・・・・御霊を、無限に量りなしに受けてください、
今日という日に。
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