「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」 (イザヤ書53;5) イエスは、彼の伝道、その使命、布教を語られます。 「私の上に主の御霊がおられる、主が貧しい人々に福音を伝えるよう にと、わたしに油を注がれたのだから。主は、わたしを遣わされた。捕 らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しい たげられている人々を自由に」 (ルカの福音4:18) 神はわたしが癒されることを求めておられますか! マルコの福音書、第1章、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお 願いにきて、「お心ひとつで、私は清くしていただけます」と言ってい ます。このらい病人は、このことに関して、今日、あなたや、私が神か ら受けている黙示を受けていません。彼は新約聖書を開いて、すべての 人に与えられている、いのちの救いといやしのメッセージを読むことは できなかったのです。しかし、彼は、主であるイエスが、もし望まれる ならば(主であるイエスのみこころであるならば) この恐れられる病気 は癒されると知っていたのです。 神のみこころであるのか!そうではないのか!ということだけが、 彼と病気との間にギモンとなっていただけでした。よく注意して読む と!心がゆれ動かされるように、主・イエスは,何も迷いも(躊躇)もなく 手を彼に向け「わたしの心だ、きよくなれ」と言われました、そして、 らい病は見えなくなりました。神の子を通していやしの力がわき出てい く時には、どのような病もとどまることはできません。 彼らをいやすことが、神のみこころであることを信じない人々がいま す。もし、それが真実であるなら、彼らが医学から治療を求めることは、 神のみこころに逆らっているのでしょうか? もちろんすべての人がい やされることは神のみこころなのです。しかしながら、多くの人はこの 考え方の矛盾に気がついていません。医者は、神の計画の癒しのために たいへんな援助をします、しかし、医学がもうどうすることもできない 1 時に、どうして、神が人々に約束された完全ないやしの救いを神に求め ないのでしょう! 神がエデンの園で、人の子を創り、そこに置かれた時に、彼の体には、 病、病気はありませんでした。神は人の子が病に落ちることは計画され ていなかったのです。しかし、人の子が罪を犯したのです、それで、病 気が入ってきたのです、病気は悪魔からきたものなのです。“すべての 良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上からくるのであって、、、 (ヤコブ1:17)、、、神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこ わすためです。“(1ヨハネの手紙3:8) 神は、罪と病をあなたの 人生から滅ぼすことを強く、 求められています、しかし、あなたは、そ れを、神がなされることを信じなければなりません。 もはや、あなたは、病気でいる必要はありません 病人に手を置けば病人はいやされます。(マルコの福音16:18) あなたがたのうちに病気の人がいますか? その人は、、、祈ってもら いなさい。(ヤコブ5:14) なぜ、あなたは、祈りを求め、助けを 求めるのですか? それは、あなたを助けることが、神のみこころであ り、神は祈りを通して助けを求めるように示しておられるのです、それ は神のみこころです。みことばを読み、そこにキリストの仕事が、いや しの仕事であることをはっきりと見出してください。彼は、さまざまな 所へ出かけ、病気をいやし悪霊を追い出しています。神は、キリストを 通して神のみこころが、いやしであり解放であることを示しています。 “イエスは、ガリラヤ全土を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、 民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさ はシリヤ全土に広まった。それで、人々はさまざまの病気と痛みに苦し む病人、悪霊につかれた人,てんかん持ちや(気違い)(精神異常者)中風 の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになっ た。”(マタイの福音4:23、24)、”彼が私たちのわずらいを身 に引き受け、私たちの病を背負った“ (マタイの福音8:17)、 ”そ して、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました、そ れは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち 傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(1ペテロ2:24) キリストが、あなたの罪を取り去られたので、あなたは、もはやその ために苦しむ必要がないのです。キリストが、あなたのわずらい、そし て、病気をも取り去られたので、あなたは、もはや、苦しみ、悩むこと は必要ありません。 2 神は癒すことができる!しかし、それを、してくださるだろうか? 多くの人は、神が病、わずらいをいやすことができると知っていても、 現実に、神は、それをしてくださるだろうかと質問します。 あなたは、絶対的にはっきりと、あなたをいやすことが、神のみここ ろであると、ほんとうに知るまでは、いやしのための信仰を現実に使う ことはできません。人々の中には、あなたの苦しみや病気によって神が 栄光を得られると考えられている人がいます、それは真実ではありませ ん。例えば、18年もの間、関節炎で悩まされていた女の人が、病気か ら癒されるまでは、神はその栄光を受けてはおられません。神は人類に いやしを与えようとされ、その贖いの一部を備えられています(いやし の約束のことです)。“彼の打ち傷によって私たちはいやされた”(イ ザヤ書53:5) その残酷なムチ打ちは、イエスの背中に深い傷あと を残しましたが、その一つ一つの打ち傷は、人類を悪魔の与える病気と わずらいから救い出すことができたのです。“まことに、彼はそれを負 われた(運び去られた)、、 私たちの病(病気とわずらい)、、、 私た ちの悲しみをになわれた(痛み)、、(イザヤ書53:4) 神はすべての地上にいる男、女、そして男の子、女の子すべてにいや しを与えられるのです。しかし、そのためには、それを受け入れるため の準備を必要とします。神は、もし、あなたが神の子であるならば、い やされるという約束をしておられます、すべての神の約束には祝福の条 件があるのです。“あなたがたの神に仕えなさい (条件です) そして、 私はあなたの間から病気を除き去ろう。 (約束です)、 (出エジプト記 23:25)。 神からの条件を満たしなさい イエスは、池のほとりで体が不自由な男に言われた “体がよくなり たいか!”主、イエスは、もし彼が真実に救いを望むならばよくなるこ とを知っておられたのです。主、イエスは、あなたにも同じように語っ ておられるのです、「体がよくなりたいですか!」 池のほとりにいた男 は、助けと救いが、どれだけむずかしいかを語り始めます、それから、 見よ!救いと助けを受け自由になることが、そんなにむずかしいことで ないことを再発見しています。あなたもそうです、もし、みことばを信 じて受け入れるならば、あなたを神のいやしから遠ざけるものは何もあ りません。そこには、もしとか!たぶんとか!望みとかのものはなく、 神の約束とは、まことに確かで絶対的です。主、イエスは喜んであなた 3 をいやされるのです、もし、あなたが、神の条件に満たされるならばで す、彼を信じて、すべての彼の神の道に従順であってください。 最も重要な条件は、あなたの魂が、神にあって正しく、義と認められ ることです。生まれ変わりの経験を受け入れ、型だけの教会に介入する とか!握手だけで教会のメンバーになるというのではなく、聖なるイエ スの血による、確かないのちの救いを受け取ってください。神のいやし は、あなたのただ中の魂から始まることをよく知って、あなたの魂が、 神にあって正しいならば、あなたは、みことばの中にある、すべての神 の約束を受けることができるのです。 神はご自身の子たちを愛され、決して、神に仕える人々には、神の良 い賜物を差し控えることはなさりません、しかしながら、多くの人は、 神のために人生をささげようとは、また、生きようとはしません、彼ら は健康で幸せでありたいにもかかわらず、同時にこの世の中の罪の生活 をすてることを望みません。神は、罪の道へ人々が行くために力や、い やしを与えられません、神は、ご自身の神の聖なる名が栄光を受けるた め,また,神の御国がほめたたえられるために、いやしをなされるのです。 救いの収穫の実を受け取ってください 神からのいやしは、子どもたちのパンです、“まず、子どもたちを満 腹にさせなければなりません”(マルコの福音7:27) 主、イエス はギリシャ人の女の人に話しておられます、神の癒しを信じて彼女の娘 をつれてきた人です、この人は、アブラハムの娘、子孫ではありません、 信仰を与えられた民族, 家系に属していないのです、しかし、彼女は拒 否されませんでした。彼女は、自分自身をへりくだらせ、神の奇跡の場 所に入り、彼女の娘のために、いやしを手に入れたのです。主であるイ エスは、彼女の一途な心を尊ばれたのです。「心を尽くし,思いを尽く し、力を尽くし、知性を尽くしてあなたの神である主を愛せよ」 (ルカ の福音10:27)、“また求めるものは何でも神からいただくことが できます、なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行 っているからです。”(1ヨハネの手紙3:22)、 “信仰は聞くこと から始まり、、、キリストについてのみことばによるのです”(ローマ 人への手紙10:17)、主は言われた,「あなたがたは、真理を知り, 真理はあなた方を自由にします」(ヨハネの福音8:32)、もし、あなた が収穫を期待されるならば、まず、あなたは種をまかなくてはなりませ ん、それで、あなたも、神のことばを、あなたの心にまくまでは、救い の収穫を受けることができないのです、神はそれを、みことばの中で約 束されているのです。 4 神のいやしを望まれますか! “主はすべての病気をあなたから取り除き、、”(申命記7:15) もし、神がモーセの律法の下で病気の人をいやされたのならば、どれだ け、主は十字架の上で私たちのために死なれて以来、人々を躊躇なく、 たやすく、いやすことができないことがありえましょう。 私たちの時代は恵みの時、人類の歴史の中で最も偉大な世代なのです、 主、イエスに心からの感謝を。 ルカの福音書の9章に、主は12人の弟子を呼ばれ、いやしのための 力を与えられておられます、そして、10章では、別に70人の者が定 められ、病のいやしのために遣わされています。それから、マルコの福 音書16章では、信じる者が病人に手を置けばいやされるとあります。 この約束は、今日の私たちのものでもあります、「私は、主、あなた をいやす者である。」(出エジプト記15:26)、 「主である、私は変 わることがない。」(マラキ書3:6)、もし、あなたが人の手によるすべ てのことを試みられたのであれば、今、神を求めてみてください、神は あなたを愛しておられるが故に,ひとり子、御子イエスを十字架の上で 死にまでも至らせたのです、あなたの魂のためのいのちの救いだけでな く、あなたの体のいやしのためにもです。、、、(イザヤ書53:5)、 そのすべてを受け入れ、いやされたいですか!と、主が、あなたに問い かけられます。 今日という日に、あなたの心にどのようなことがあろうとも、それを 決心してください、あなたの答えが、“はい”となるように。 5
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