「生活協同組合・農業協同組合の現状と課題」

山形大学人文学部「連合山形寄付講座」
2014年度後期 「労働と生活」
第 12 回(2015.1.22)
協同組合とは何か、協同組合の取り組み
「生活協同組合・農業協同組合の現状と課題」
大 友 廣 和(山形県生活協同組合連合会 専務理事、山形県労福協 理事)
後 藤 新 一(山形県農業協同組合中央会 教育部長)
山形県生活協同組合連合会 専務理事
大友 廣和
1.生協の発祥は 19 世紀のイギリス、ロバート・オーエンの協同の思想が源流。
最初に「第1節 生活協同組合の誕生の歴史と理念」です。生協の発祥は 19 世紀のイギリスまで遡ります。
イギリスでは世界に先駆けて産業革命が起こります。
この中で労働者と資本家という階級が確立していきます。
労働者は低賃金、長時間労働で常に失業の不安にさらされていました。そして、不健全な住宅に住み、当時の
悪徳商人に劣悪な商品を高い価格で買わされておりました。例えば小麦粉に石灰石が混ざっていたりしたとい
うことで、まがい物の商品が高い価格で売られていた。これに対抗するかたちで生協が出来てきます。
この生協が出来てくる上での思想の背景となったのが 1771 年に生まれたロバート・オーエンの協同の思想
です。ロバート・オーエンは、まず最初にみんなが利用する協同の店をつくり、生活物資を供給し資金を貯め
よう。資金が貯まったら住宅を建てて次は工場を建設する。更には土地を購入して農場を作る。それを基盤に
協同のコミュニティを作ろうと考えました。これがロバート・オーエンの協同の社会づくりの思想で、協同組
合の思想の源流となっています。これに賛同した人達が当時オーエン主義者と呼ばれていました。このオーエ
ン主義者を中心にして最盛期にはイギリス全土で 200 を超える協同の店が開店しています。しかし、この協同
の店は経営の未熟さからうまくいかずに 1830 年代後半にはほとんど閉店に追い込まれました。
2.世界で最初に成功した生協、ロッチデール公正開拓者組合の始まり。
そういうなかで、世界で最初に成功した生協のお店が出てきます。それが 1844 年ロッチデールというイギ
リスの地方都市で作られた生協です。このロッチデールの町では低賃金、劣悪な労働で労働者が大変苦しい生
活に陥っていました。何とか自分達で生活を改善しようということで、フランネル工場の織物工達 28 人が中
心になって生活協同組合を創立しました。1844 年 12 月 21 日にロッチデールのトードレーンにある倉庫の1
階に最初のお店を開設しました。これがロッチデール公正開拓者組合の始まりになっています。創立宣言の最
初にこんな言葉が掲げられていました。
「本協同組合の目的と計画は、組合員の金銭的利益と社会的および家庭
的状態の改善のための制度を形成することにある。
」
このロッチデールがなぜ成功したのかと言いますと、実はこのロッチデール以前にも生協のお店がいっぱい
ありました。それがほとんど潰れていったということで、そこでの教訓を生かしながら、組合員自身がどうや
って運営をしていったらいいのかという討論を重ね、自分達で運営の規則を編み出していったというのが成功
の原因になっています。その時にまとめられたのが7つあります。1つは、購買高による剰余金の分配。普通
は株式会社では利益と言っていますけれども協同組合では余ったお金ということで剰余金という呼び方をして
います。この剰余金を組合員の購買高によって分配しよう。2つ目には、商品については品質の良い物だけを
扱うということで、まがい物の商品は扱わない。公正開拓者組合の“公正開拓者”というのは自分達で公平を
切り拓いていくんだということで名前を付けました。正に純良な商品だけを扱うというのが名前の由来です。
3つ目に価格については市価と同じ価格ということで、商人からの妨害を跳ねのけるため「安売り」競争はし
1
ないということを入れています。4つ目には掛け売りはやめる。これ以前の協同組合は掛け売りをやっていた
ために資金繰りがつかず経営が破綻していったということがあったので現金販売のみにするということを入れ
ています。5つ目には組合員は平等ということで出資高にかかわらず1人1票制。6つ目には思想・信条での
差別はしない。7つ目に協同組合は教育重視だということを運営の原則にしました。これは後にロッチデール
原則と呼ばれ、今日の協同組合原則のもとになりました。
ロッチデール公正開拓者組合が成功したものですから、当時のジャーナリストでジョージ・ヤコブ・ホリヨ
ークという方がロッチデール公正開拓者組合のことを新聞や書物にしました。これが各国に伝えられていき、
イギリス全土、イギリスだけではなくヨーロッパから世界中に広がって生協が次々と設立されていったという
経過をたどります。
3.1895 年にロンドンに国際協同組合同盟(ICA)を設立。
協同組合が世界中に広がっていきましたので、協同組合としての連携を作ろうということで 1895 年に国際
協同組合同盟(ICA)がロンドンに設立されました。世界各国の農業、消費者、信用組合、保険、医療、漁
業、林業、労働者、旅行、住宅、エネルギー等の協同組合の全国組織が加盟している組織です。日本の生協で
は日本生活協同組合連合会が加盟しております。私がおります山形県生協連は地方組織ですのでICAには加
盟しておりません。2012 年3月現在のICA加盟組織は世界で 96 カ国、266 団体。傘下組合員は全世界で 10
億人というのがICAの組織です。NGOの中では世界で一番大きい組織ということになります。
4.日本で最初に生協が出てきたのは明治時代、1879 年に東京に共立商社設立。
日本で最初に生協が出てきたのは明治時代です。明治初期にイギリスでの協同組合が書物によって紹介され
ます。特に著名なのが 1878 年に郵便報知新聞に載りました「協力商店設立ノ義」という記事でロッチデール
公正開拓者組合を紹介しています。それがきっかけになり、1879 年に東京に共立商社、同益社、大阪に共立商
店が設立されます。この東京にできた共立商社の呼び掛け人に当時の東京市長、今で言えば都知事、弁護士、
ジャーナリストの方々が名前を連ねておりました。この当時の生協は西洋の新しい思想を日本でも取り入れよ
うということで始まったもので、
結局経営的にはうまくいかなくて数年で活動が停滞して消滅をしていきます。
日清戦争(1894 年~1895 年)を経て、産業の近代化が進み、そのなかで労働問題を契機に、1898 年にロッ
チデール公正開拓者組合と同様に労働者を主体とした生協が出来ます。これが“共に働く店”ということで共
働店と言います。日本の生協運動にとって先駆的な意味合いを持つものでした。共働店は東京、横浜、仙台、
札幌など全国で 15 組織ほど設立されております。
5.日本政府は 1900 年に産業組合法を制定し、協同組合を育成。
次々と生協が設立されてきましたので、明治政府は協同組合に対して法律的な基盤を作らなければいけない
と考えました。ドイツに協同組合法の模範を求めて 1900 年に産業組合法を制定しております。元々のドイツ
の法律は「産業及び経済組合法」という名前だったのですが、日本では「経済」という言葉が省略されて「産
業組合法」という法律になりました。
組合の種類は、この法律で信用組合、購買組合、販売組合、生産組合と4つ規定されています。この産業組
合法を根拠にして消費組合や医療利用組合なども作られました。
先ほどご紹介した共働店は、第一世界大戦に突入する中で労働組合への弾圧が強まって労働組合と共に解散
または活動休止に追い込まれていきます。第一次世界大戦が終わってから大正デモクラシーと呼ばれる社会情
勢の中で生協運動の再生がはかられました。この大正時代に3つのタイプの消費組合運動が生まれてきます。
1つ目は「労働者消費組合」で労働組合運動のなかから出来てきた生協。2つ目は「市民型消費組合」で市民
のお母さん方を対象にした消費組合です。これは賀川豊彦の「神戸購買組合」とか「灘購買組合」が有名です。
3つ目は「職域型消費組合」で官庁や会社、工場で働いている人達を組合員として購買組合が出来ております。
6.日本の生協運動の父、賀川豊彦。
ここで賀川豊彦についてご紹介いたします。賀川豊彦は日本の生協運動の父と呼ばれています。賀川は生協
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運動だけではなく幅広く社会運動に取り組んだ方です。1888 年に神戸に生まれました。クリスチャンとして若
くから貧民救済運動に取り組んでおります。アメリカに留学して帰国後に労働運動、農民運動、普通選挙運動
など社会改革運動に取り組みました。生協関係に限って彼の活動を紹介しますと、1919 年に大阪に「共益社」
という消費組合を作りました。1921 年には神戸と灘に生協を設立。1926 年には東京で「東京学生消費組合」
、
1927 年には地域の「江東消費組合」
、1928 年には「中郷質庫信用組合」ということで今日の信用組合に繋がる
ものを設立しています。更に 1931 年には「東京医療利用購買組合」ということで、医療生協の原型を作りま
した。戦後、日本生協連が結成されますけれども、賀川は日本生協連の初代会長を務めております。
7.終戦後に、再度、市民運動として生協運動が再生されました。
大正デモクラシーでできた生協も、第二次世界大戦の勃発で、国家総動員体制の中で活動ができなくなって
活動中止状態に追い込まれました。1945 年に終戦となり再度、生協運動の再生がはかられております。
ポイントだけ紹介しますと、
終戦直後の 1946 年から 1947 年にかけて町内会生協が出来ました。
全国に 6500
組合を超える町内会生協が出来ております。戦後、物資統制が敷かれて、配給を受け取るために生協を作った
というのがこの当時出来た生協です。ただこの町内会生協は物資統制が緩和されますと役割を終えほとんど消
滅をしていきます。1950 年代には労働組合を中心にした「地域勤労者生協」が出来ます。これもなかなか経営
的にはうまくいかず、ほとんど消滅しました。
1960 年代後半から市民生協づくりということで、
今の日本全国で活躍している生協はこの時に出来た生協で
す。1980 年代には1県1生協にしようという全国方針のもとで県内の中小の合併を進め、拠点生協づくりが始
まりました。1990 年代には県域を超えた事業連合づくり。生協法で実は生協の活動範囲は1つの県を超えては
駄目だという法律になっていました。ですから事業連合については県域を超えて、例えば東北であれば東北6
県の主要生協が集まって事業連合を作ったという経過です。その後、2008 年に生協法が改正されて県域を超え
て生協を作ってもいいということになったので 2013 年には首都圏で複数の県の生協が合併して「コープみら
い」が出来ています。
8.日本の法律で掲げている「生協の目的」
。
次に「第2節 生活協同組合運動の方向と課題」に入ります。先ほどご紹介した消費生活協同組合法。生協
についてどの様に規定しているのでしょうか。このように書いてあります。
「この法律は、国民の自発的な生活
協同組織の発達を図り、もって国民生活の安定と生活文化の向上を期することを目的とする」と。生協は生活
を協同する組織です。
「生活」というのを辞書で調べてみますと、
「生活というのは、人が生きている限りその
命を維持し育むために行っている必要不可欠な活動のことである。基礎となる衣・食・住の他に働くこと、学
ぶこと、余暇を楽しむこと、コミュニケーションをとることなど生きていること全て」これが生活です。この
生活を協同しようというのが生活協同組合の目的です。そして、この生協の発達を図るというのがこの法律の
目的だということを言っています。その発達を図ることによって「国民生活の安定と生活文化の向上を図りな
さい」
、
「日本国民全体の生活に寄与しなさい」ということを日本の法律では規定しています。
9. 生協と株式会社の違い。生協は、三位一体の組織。
生協と株式会社との違いはどこにあるのか。生協はスーパーマーケットを運営しています。株式会社のヤマ
ザワさんもスーパーマーケットを運営しています。お店に商品を並べて売っているという行為は株式会社でも
生協でも同じです。山形大学生協でも書籍を供給していますし、食堂も運営しています。本を売ったり食事を
提供したりしています。これは普通の本屋さんなり食堂と形態としては同じです。何が違うかと言うと中身が
違う。中身は何かと言うと運営の形態です。生協は組合員の願いを実現する組織です。その願いを実現するた
めに組合員が出資し、利用し、運営する。これを三位一体と言っています。株式会社の場合は、出資は株主が、
利用はお客様、
運営は経営者ということでバラバラです。
ここが生協と株式会社の大きな違いということです。
ですから、組合員の協同したパワーが生協発展の原動力です。
生協はこの組合員の願いを実現するために2つの手段を持っています。1つは事業活動を通してです。安全・
安心な商品が欲しいということで、日本生協連なり大学生協連を中心にしてコープ商品を開発しています。ま
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た、自分達の町にお店や病院が欲しいということで、お店なり病院を建設します。もう1つは、いろいろな運
動を通してということで、安全・安心な食品というのは単にコープ商品を作るだけではなくて、行政やメーカ
ーに働き掛けて食品表示、添加物等をなくす取組み。ガソリン・灯油については行政や元売りに働き掛けて安
価な価格を実現します。このように2つの手段を通じて願いを実現しています。
この運動と事業の関係ですが、組織・運動は「主体・基礎」で、事業はその上に立つ「機能」です。ですか
ら事業というのは住宅を供給する事業もあるし、商品を供給する購買事業もあるし、病院を運営する医療事業
もあるしいろんな事業があります。この事業が土台の上に立つ機能だという捉え方をしています。
10.レイドロー博士の警鐘。協同組合の 4 つの優先分野。
協同組合が発展してくる中で一部に経営主義的な傾向が現れてきました。それに対して、カナダのレイドロ
ー博士という方が「そもそも協同組合とは何者であるのか、他の企業と変わりはないのか」ということで警鐘
を鳴らして、1980 年のICAモスクワ大会で、協同組合が今後力を入れる優先分野として以下の4つの活動分
野を提案しました。
1つ目は「世界の飢えを満たす協同組合」ということで、食糧・農業の問題に対して取り組みなさい。2つ
目は「生産的労働の協同組合」ということで、生産分野に協同組合は進出しなさい。3つ目は「持続可能な社
会のための協同組合」ということで、環境問題、資源、地球温暖化の問題に対して協同組合はもっと力を入れ
なさい。4つ目は「協同組合コミュニティの建設」ということでロバート・オーエンが掲げた理想、これを再
びきちっと取り組むべきだということで4つの優先分野を提言しました。
11. 1995 年に協同組合原則が大きく改定。協同組合の世界標準の規則。
これらのレイドロー博士の論議を踏まえて、ICA100 周年にあたります 1995 年に協同組合原則が大きく
改定されました。この時に協同組合のアイデンティティに関する声明が発表されております。このICA声明
というのは、定義・価値・原則という3つの部分から構成されています。定義とは「協同組合とは何か」を規
定しています。価値というのは「協同組合らしさ」を説明しています。原則は、協同組合がその価値を実践に
移すための活動指針ということで7つの原則をあげました。これを満たさないと自分達は協同組合だと言って
は駄目だという世界標準の規則として設けられました。ですから世界中にいろんな協同組合があります。協同
組合はいろいろあるんですけれども、では本当に協同組合というのは何なのかというのをこの世界の連合体で
あるICAが規定したということです。
12. 生協と地域の関わり。共生の社会づくり。
次に「第3節 地域との関わり、共生の社会づくり」です。地域というのは私達が日常生活を送る重要な空
間です。地域には実にいろんな課題があってもちろん生協だけでは解決出来ないことがいっぱいあります。い
ろんな団体と協同しあいながらも住民一人ひとりが解決の方向をめざしていく連帯が大事だというのが基本的
な姿勢であり立場です。
これまで地域の課題でどんなことに取り組んできたのかということですが、山形県の鶴岡市に鶴岡生協があ
りました。これは現在、生活協同組合共立社ということで組織名称を変更しております。鶴岡生協は 1955 年
に設立されて今年で 60 周年になります。設立当初から、ベトナム写真展、平和の取り組み、水道料金値上げ
反対運動、小児マヒ対策、ゴミ処理問題等々、平和の取り組みや地域の生活者が困っている課題について果敢
に取り組んできたという歴史があります。
13.鶴岡灯油裁判の取組みと教訓。
そのなかで特に大きな取り組みになったのが鶴岡灯油裁判です。今から 42 年前、1973 年に第4次中東戦争
が起きました。日本に石油が入ってこないという事態になりました。その時に石油元売り 12 社がヤミカルテ
ルを結んで千載一遇のチャンスということで、灯油やガソリンについて生産調整、価格調整を行って物価をど
んどん吊り上げました。洗剤やトイレットペーパーは店頭から無くなる。高校の時、社会科で習ったかと思い
ますけれども「狂乱物価」という言葉が飛び交いました。その時に、国会で石油元売りが「諸悪の根源」とい
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うことで指弾されました。
公正取引委員会も動いてヤミカルテルを結んだということで摘発しました。
しかし、
この時に被害を受けた消費者については一銭も戻ってこない、そういうことはおかしいのではないかというこ
とで、鶴岡生協の組合員が裁判に立ち上がって損害賠償請求を行ないました。
1974 年に山形地裁鶴岡支部に提訴。組合を中心に 1654 名が原告団になりました。地裁では、不当判決。門
前払いですね。仙台高裁秋田支部に控訴して、高裁では逆転勝利判決を勝ち取りました。元売り側は最高裁に
控訴しましたので、それに対抗して原告も控訴して最高裁判所で争われました。最高裁では 1989 年に不当判
決がでました。なぜ不当判決なのかと言いますと、
「ヤミカルテルによって灯油価格が上がったということを消
費者側が立証しなさい」というのが最高裁判所の判決だったわけです。そんなことは立証しようがないという
ことで当時のマスコミも含めて最高裁の判決はおかしな判決だということになりました。弁護団の辻弁護士は
裁判の終結にあたって「私達は勝利したし、今も勝利しつつある」ということで結んでいます。この判決が出
てから9年後、民事訴訟法が改正されました。第 248 条に消費者が被害を被った場合についてその損害額が明
らかでない場合については、裁判所が損害額を認定しても構わないと法律が改正されました。ですからもう一
度灯油裁判を闘えば、今度は法律が変わったので勝利できると思っています。最高裁判所は法律が不備なので
仕方ないということで不当判決を出したということです。
私達はこの灯油裁判についてこんな風に教訓として受け止めております。組合員との信頼関係がなければ何
も出来ない。正しい思想なり理念がなければ運動は進まない。信頼なり理念があっても共感を得られなければ
動きは作れない。信頼を基礎に協同が図られてこそ大きな運動が出来る、このことを生協運動を進める上での
教訓にしようということで取り組んでいるところです。
14.
「いつまでも住み続けられるまちづくり」と「FEC自給圏構想」
。
現在、山形県生協連では「いつまでも住み続けられるまちづくり」をテーマに活動しています。先ほど紹介
しました 1995 年の新しい協同組合原則ですが、その時に付け加えられた原則が2つあります。1つは第4原
則の「自治と自立」
、2つめに第7原則「地域社会への関与」ということで地域社会の持続的な発展のために協
同組合は活動しようという原則が付け加えられました。
今から3年前になりますけれども、国連は 2012 年を「国際協同組合年」と定めました。協同組合が果たし
ている役割を積極的に評価して「各国の政府に対して協同組合を育成しなさい」と呼び掛けました。日本でも
日本政府に対して協同組合憲章を制定するように運動をしております。残念ながらまだ協同組合憲章は出来て
おりません。この時に「協同組合がより良い社会を築きます」というスローガンが掲げられました。ロゴは右
上にありますけれども、人間が7人、つまり7つの原則を中心にしながら協同組合の目的を達成しようという
ロゴになっております。
協同組合年の全国実行委員会の委員長は経済評論家の内橋克人さんでありました。一昨年、山形県生協大会
で内橋さんをお呼びして講演していただきました。その時に「FEC自給圏構想」を提唱しました。FECの
Fはフード、Eはエネルギー、Cはケアで、このFとEとCを自給できる地域の共同体を日本全国にいっぱい
作っていこうというのが内橋克人さんの提唱です。
昨年の8月2日に山形県で置賜自給圏推進機構が作られました。山形大学の工学部の高橋教授が代表になっ
ています。地元の生活クラブやまがた、生協共立社も参加しています。置賜の3市5町を一つの地域ととらえ
てエネルギーと食、住の「自給圏」を作ろうというものです。内橋さんが提唱する「FEC自給圏」の一つの
取り組みなのではないかと思っています。
15.モンドラゴン、世界を驚かせる。
世界中を見渡してみますと、
「地域協同体」の一つの典型例になっておりますのが、スペインにありますモン
ドラゴンの協同組合企業群です。スペインのモンドラゴンについては、話よりも映像を見ていただいた方が分
かりやすいと思っております。2011 年に韓国のテレビ局が 55 分のドキュメンタリー番組を作りました。その
予告編で3分弱の映像です。どうぞご覧下さい。
(DVD鑑賞)
全世界で活動している協同組合の一例として、モンドラゴンをご紹介させていただきました。どうもご清聴
ありがとうございました。
5
山形県農業協同組合中央会 教育部長
後藤 新一
はじめに
JA山形中央会で教育部を担当しております後藤と申します。山形市の北西部郊外に、私たちの教育研修施
設「協同の杜」JA研修所があり、いつもはそこでJAの役職員の教育研修を担当しています。
先ほど大友専務から協同組合についてお話がありましたように、私たちJAも協同組合であります。はじめ
にJAに関係する 2 人の人物をご紹介したいと思います。
先ほど二宮尊徳という名前が挙げられていましたが、
この画像が二宮尊徳(1787~1856 年)です。たぶん小学校に銅像や肖像画があったのではないかと思いますが、
薪を背負って本を読んでいるという彼ですね。幼い頃、金次郎といいます。彼は、小田原の農民で、
「報徳仕法」
という助け合いの仕組みを工夫しました。また、この画像の人物は平田東助(1849~1925 年)といい、山形県
米沢市、米沢藩出身の人です。明治 33 年(1900 年)産業組合法が制定されましたが、彼が起草しました。東
京の町田市にJA全国教育センターという研修施設があり、その入り口に平田東助の立派な銅像が鎮座してい
ます。彼は、全国産業組合中央会の初代会長に就任しています。皆さん、山形県立図書館「遊学館」に行った
ことがあるでしょうか。遊学館の入口を入って左側に、
「縣人文庫」というコーナーがあります。そこには、平
田東助を始め、
建築家の伊藤忠太、
民法学者の我妻栄など様々な分野で活躍した山形県人が紹介されています。
是非、覗いてみて下さい。
さて、今日私が話したいことは、まず、JAの事業・組織・経営の仕組みを概観していただき、その後で、
JAの現状と課題、そしてその課題への対応、最後に、今盛んにマスコミ等で取り上げられている農協改革、
私たちは「JA批判」と呼んでいますけれども、JA批判に私たちはどのように立ち向かおうとしているのか、
このような流れで話を進めていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
1.JAの組織・事業・経営の仕組み
最初にJAの組織・事業・経営の仕組みについて、ざっくりと全体を押さえていただきたいと思います。お
手元に流れ図の資料が配布されています。流れ図に番号をふっていますが、その番号とスライドの番号を合わ
せています。まず真ん中に協同組合の理念、一人では解決できない共通の願い悩みや課題を、人と人々が助け
合い、力を合わせることで解決するという理念があります。JAは、この協同の理念に賛同する人の集まりで
す。理念に賛同する人が、出資してJAの組合員になります。組合員になると総会に出席して、JA運営の意
志決定に参画します。その決定に基づいて、選ばれた理事が業務を遂行します。理事は具体的な事業を提案し、
組合員はその事業を利用します。
JAでは事業以外にも、
組合員が主体となり様々な協同活動もやっています。
例えば、食生活改善運動とか健康管理活動とか文化活動とか食農教育の取り組みとかもやります。そういった
事業と活動に取り組むことによって、農業経営の安定、地域農業全体の振興、暮らしやすい地域社会の実現を
めざすというのが協同組合、私たちJAです。そして、県段階や全国段階に、市町村段階のJAを支援・補完
する連合会を組織しています。これらをまとめてJAグループと呼んでいます。
次に、JAは、農業協同組合法にもとづいて設立された法人であります。緑色の三角形のデザイン、これが
JAマークです。先ほど、世界共通の協同組合原則についてお話がありました。私たちJAグループは、原則
をより具体化したものとして、
「JA綱領」を定めています。綱領の前文では、協同組合原則にもとづき行動す
ることを宣言し、主文では、5つの取り組む項目を謳っています。組合員は自分の願いをかなえるために協同
組合を組織しており、事業の利用者としての自分のために、協同の成果つまり経済的メリットを確保しようと
いうのが主目的であるはずですが、私たちは、それを3番目に置いています。1番目は「我が国の食と緑と水
を守ろう」
、そして2番目は「安心して暮らせる豊かな地域社会を築こう」と、そういった広くみんなのために
活動していくぞというのを1番目、2番目に置いています。自分達のためにというのは3番目です。JAグル
ープは、そんな組織です。
2.JAの現状
現在、県内には 17 のJAがあります。山形県のJAグループでは、平成 3 年(1991 年)に「7広域JA構
想」を決定しました。構想当時 50 くらいのJAがありましたが、これを7つにしようというものです。いまだ
6
完遂していない所もありますが、私たちの組織は、強制しない、組合員の意思を尊重する組織です。議論を継
続しているというのが実態です。
次に正組合員数ですが、組合員数ごとJAを並べてみました。小さい所は 500 人ぐらいから大きい所はJA
山形おきたま、置賜一円3市5町を管内としていますが、2 万 2,000 人ぐらいの組合員で組織しています。17
JA合計で 102,500 人の組合員がいます。山形県は同居率が高いですから、その家族を考えれば県人口 120 万
人のうち相当の比率でJAにかかわりを持っているといえます。
JAの事業取扱高、まず先ほど購買という言葉が出てきましたが、組合員が物を買うというのが購買事業で
す。生産資材と生活物資があります。それぞれ、500 億円、140 億円という金額です。またJAは、農業を基盤
にした協同組合ですから、肥料や農薬などを買うというだけではなくて、栽培した農産物を売るというのもJ
Aの事業になります。それが 1,200 億円。農畜産物の販売事業といいます。共済事業や信用事業もやっていま
す。
生協さんの方ですと別法人で全労済とか労金がありますけれども、
JAの場合一つの法人でやっています。
17JA合計のバランスシートをお示ししています。貯金、銀行で言う預金は 9,200 億円ほどあります。山形
銀行さんが2兆円ほどですからその半分近くあります。
JAの貸借対照表には大きな特徴があります。
それは、
固定資産が大変多額になっていることです。資産合計に占める固定資産の比率が、JAは6%台になります。
銀行などと比べ固定資産の比率が大変高い。何故かというと、例えば皆さんこれ分かりますか? 田園地帯を
ドライブしていると田んぼの中にドーンとそびえる大きい建物に気がつくと思います。カントリーエレベータ
ーと言います。これは、おコメの乾燥・貯蔵施設です。これ1つで何十億円となります。こちらはスイカの選
果場です。組合員が選果場に収穫したスイカを持ってくる。今のスイカはハズレが無いというか、買ってくる
スイカは全部甘いですね。それはスイカを割らなくても甘さ(糖度)が分かるセンサー(非破壊糖度計)があ
るからです。持ち込んだスイカをベルトコンベヤーで流して、そのようなセンサーを使って選別し箱詰めして
います。これだって取得するには何十億円とかかります。このような大きく高額な施設は、皆で共同して利用
しようということで、JAが代表して取得をする。したがってJAの固定資産の額が大きくなっている。これ
がJAの大きな特徴になります。
もう一つの特徴として、外部出資が多額になっています。JAは、県段階に別法人の県連合会を組織し、更
には全国の連合会を組織し、皆でまとまって事業をやろうということでやっています。そういう協同組合の仲
間である連合会に出資する額が非常に多額になっています。固定資産と外部出資の額が大きいというのがJA
のバランスシートの特徴になります。
3.JA運営の課題と対応
次に、JA運営の課題と対応についてお話します。私たちは3年ごと「JA大会」を開催しています。平成
24 年(2012 年)に開催した第 26 回JA大会では、組合員の世代交代がJAグループの大きな課題であると認
識し、
「次代へつなぐ協同の実践」というスローガンを掲げて事業展開しています。この図は、左側が正組合員
(農業者である組合員)
、右側が准組合員(農家以外の組合員)で、世代ごとの人数をグラフにしています。問
題は、
左側の正組合員の年齢構成です。
第一世代というのは 70 歳以上の方、
農協法が制定された昭和 22 年
(1947
年)当時、中学生や高校生あるいは就農したばかり、JAの草創期、設立に携わった方々がこの世代です。こ
の世代がいずれリタイヤすると、残るのは、生まれた時からJAがあった世代となる訳です。JAが協同組合
であることを十分理解していない、そういう方々がいっぱい出てくるのではないか、協同組合の理念が希薄化
するのではないか、それが私たちの組織の大きな課題になっています。
そのため、3 つの戦略の実践により「次代へつなぐ協同の実践」の取り組みを進めようと決議しました。J
Aに出来ること、農業振興は当然ですけれども、豊かで暮らしやすい地域社会の実現に向けて、ライフライン
の機能も担っていきますし、生活文化活動などもやることとしています。世代交代が進む中、いかに協同組合
の理念を継承していくかが大きな課題です。
また、一般の株式会社とJAや生協といった協同組合で何がどう違うのか。一般企業は、経営者が優秀で、
また職員も有能であればうまく運営できるのだろうと思いますが、協同組合の場合には、加えて組合員がいる
ということがキーポイントになります。組合員がいるからこそ、私たちの組織はうまく回る。組合員の声が事
業に反映される、参画する、俺たちの組合だという意識を持つ。これが協同組合の競争力の源泉です。協同組
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合で大事なことは、要は、地域経済循環を作ることにあります。理念に共感し出資して組合員になる。必要な
事業を提案する。皆でやろうよとなれば、出資したお金をそれに使うことを具体的に総会で決めます。そして
事業化し、ここで調達、雇用が生まれる。事業を利用して良かった良かったと満足することになります。その
結果、剰余金、見積もった経費を切り詰めた結果、組合員が支払った料金が余ったという話になりますので、
これを組合員に返す(利用高配当)
。または地域で新たな事業を展開するために活用する。このように地域でお
金が回るというのが、協同組合の事業運営の特色です。地域の外に、お金が流れていかないということです。
これが地域活性化のために重要なことだと思います。
そのため、
組合員が参画した事業運営をいかに進めるか、
これも大きな課題です。
それでは、協同組合は遭遇した課題をどのように解決するのか、その手法についてお話したいと思います。
JAは、昭和 22 年(1947 年)から 60 年余存続してきましたが、その間、様々な課題がありました。一つ一つ
説明しますと長くなりますので説明はしませんが、例えば、支店数の見直しという課題があります。昭和 24
年(1949 年)の段階で、独立したJAは 255、だいたい小学校の単位ぐらいにひとつあったはずです。それが
合併して支店となるわけです。その支店の数は、平成 3 年(1991 年)の段階で 259 ありましたが、平成 23 年
(2011 年)には 152 に減らしています。経営環境として、車社会の進展やIT化、組合員数の減少、金融機関
として少人数の店舗というのは認められないとか、採算性が確保できないなどなどの理由があります。支店統
廃合を進めるとき、通常の株式会社であれば、経営者(社長)が、あの支店は閉めろとか、こことあそこをま
とめて1つにしようというような経営判断をすれば、トップダウン(上意下達)で決まってしまいます。でも
協同組合ではそうはいかない。協同組合は1人1票、ボトムアップ(下からの意見を吸い上げて全体をまとめ
ていく)で物事を決定します。地元の支店が廃止され遠い隣の支店まで出向くのは不便だ、承服できないとい
う意見が出てきます。このように利害が対立するとき、協同組合では、徹底的に組合員と議論をして合意を得
ないと前に進めない。徹底して議論をすること、それが私たち、協同組合の課題解決の手法です。
議論が私たちの課題解決の手法ですが、しかし満場一致で決まるというのはまず無い話ですので、最後まで
反対の組合員もいる。最終的には多数決で決めざるを得ない場合があります。そんなとき、先ほどロバート・
オウエン(1771~1858 年)の名前が出てきましたけれども、彼はこんなことを言っています。
「もしみんなの
意見を統一できないのであれば、せめて心を合わせるように努めようではないか。
」
。登山をするのに、山の頂
上は一つでも、ルートはいっぱいある。今回はこっちのルートで行こうと決まれば、分かった一緒に行くよと
いう話ですね。メンバーシップを大切にする、多様性を認め合う、違いを対立にしないというのが、私たち協
同組合という組織の課題解決のルールです。
4.JA批判に立ち向かう
今、新聞・テレビ等々では、農協改革とかJA全中などとか頻繁に出ています。JAグループは、政府の規
制改革会議などから、農業が成長産業にならないのはJAのせいだとして批判を受けています。これまでもJ
A批判はいっぱいありました。しかし今回は、これまでにない、総合JA(販売事業や購買事業に加え、信用
事業や共済事業などを兼営しているJA)の解体を狙う過激なものです。
彼らが何を言っているかというと、市場原理や株式会社が最も優れているシステムだ、全て市場競争に委ね
れば全部うまくいんだという話です。JAは、農業だけに専門化すべきで信用・共済なんかやめろ、分離しろ。
中央会は地域JAの自由な経営を阻害しているからなくしてしまえ、全農を株式会社にしろ、准組合員、農業
をやっていない組合員の事業利用は制限しろ、そういうことを言っています。規制改革会議で昨年 6 月に提言
をまとめ、政府がその内容を「規制改革実施計画」に織り込み閣議決定し、この通常国会で農業協同組合法を
改正するとしています。
批判の真意は何か、彼らは何を狙っているのか。私たちJAグループの総合事業を分断して、農村の経済を
「組合員による統制」から「市場による統制」にしてしまおうと狙っているんだと思います。要は、大企業の
ビジネスチャンスの拡大だと私たちは思っています。地域経済の主権者である私たち市民・組合員を、単なる
顧客に陥れるものであると思います。結果、JA事業への企業参入、これは信用共済事業の資金、先ほども山
形県で 9,000 億円とか話をしましたが、あの資金ですね。あの資金に触手を伸ばしているんだと思います。企
業によるJA株式の取得。これはさっきの地域経済循環の話しをしましたが、循環している資金や生み出され
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る成果(利益)を地域外に、大資本のところに持ち去ろうとしているんだと思っています。
“あっと驚く”と書きました。在日アメリカ商工会議所という団体が、昨年6月4日に、
「JAグループは日
本農業を強化するよう組織改革すべき」という意見書を出しています。お手元に別冊資料でお配りしています
ので、後でじっくり読んでいただきたい。このタイトルの右側に、保険委員会、銀行・金融・キャピタルマー
ケット委員会とこの意見をまとめた委員会名が書いてあります。アメリカの商工会議所と言っていますがグロ
ーバル企業、大資本、ファンドというか、そういう人達がJAグループはこうあるべきだと提言しています。
資料の右下5行目「JA共済は日本の第3位の規模」
「JAバンクは日本で第5位の規模」と紹介しています。
JAの信用・共済事業の資金ですね。今の農業協同組合法の仕組みでは、ファンドというか大資本は、JAに
出資できませんから、これに手をつけられない。また、准組合員制度があるから、顧客が大資本の企業に集ま
らない。それはおかしいということで、JAは解体しろと言ってきていると思っております。その意を受けた
形で規制改革会議が動いている。外から投資家が入ってくると、お金の循環が地域の外に、投資家のほうに流
れてしまいます。それでは地域のためにならないと私たちは考えています。
また、JAとは直接関係ないですが、株式会社に対する農地所有の完全解禁も指摘されています。おそらく
平場の将来宅地転用が見込めるような優良農地しか取得せず、手間のかかる中山間地の農地など目もくれない
でしょう。
JA批判に対する、私たちの考え方を 4 点だけ紹介します。JAは、総合事業でやっていますが、これは農
村地域における最も適したビジネスモデルだと思っています。また、准組合員という制度があります。何も加
入を強制しているわけではなくて、事業を利用したいという地域の方々が自らの意志で加入し、事業を利用し
さらには正組合員と一緒になって地域を守ろうと取り組んでいるわけです。なんら事業利用を制限する必要は
ないと思っています。
さらに、JAの事業方式、例えば共同計算販売があります。規模の小さいリンゴの農家がいっぱいあって、
バラバラにリンゴを市場に出せば買い叩かれてしまう。ならばまとめてロットを大きくして、市場と対等に価
格交渉をしようという話です。これを共同計算販売と言います。このやり方は協同組合の本来の姿です。逆の
流れになりますが、市場から物を買う時、生協でも同じで、個々の消費者がメーカーと交渉したのでは高く売
りつけられる懸念がある。皆でまとまって買おうということをやっています。これを共同購入といいます。共
同購入や共同販売というのは協同組合の本来の姿です。独占禁止法という法律があります。独禁法では、今の
ような協同組合の事業方式は適用除外にすると明記されています。協同組合の本来の姿ですから当然です。で
も、この適用除外がおかしいのではないかと批判を受けています。ただ協同組合といえども何でもOKではな
くて、例えば、不公正な取引はダメとされています。
そして今、強く批判を受けているのが中央会によるJAの監査です。上場会社は、公認会計士の監査が義務
付けられていますが、JAグループは、JA全中に設置した「全国監査機構」という組織が公明正大に監査を
行っています。その他、JAでは、山形県の常例検査、農林水産省や金融庁の検査も実施されています。そも
そも、協同組合であるJAは、利益を出し株式配当することが目的ではありません。株主への配当を目的とす
る株式会社の監査制度と一致させる必要はないと考えます。しかし、これはダメ、おかしいと言われています。
これがダメと言われると、
中央会というのは農業協同組合法にもとづく組織でなくてもよいということとなり、
JAグループの崩壊が始まることが懸念されます。なんとしても死守しなければならないということで頑張っ
ているところです。
これから改正法案が出されると思います。法律をどんなに変えられ、たとえどんな結果になろうとも、私た
ちは真剣に地域におけるJAの「あるべき姿」を議論し、協同組合であるJAの理念、
「相互扶助」という活動
によって、
「あるべき姿」の実現に向かって頑張っていきます。
最後に、皆さんの頭の片隅にとどめておいてほしいことがあります。これ(老婆と若い女性の絵)何だか分
かりますか?多義図形、だまし絵とも言います。これ何に見えますか?分かる人。私には、素敵な若い女性に
見えるんですが、見える人?それ以外の人何に見えます?お婆さんに見える人いますか?要は、同じ1つの物
を見てもいろんな見方があるということです。
桃太郎という話を知っていますね? お伽噺です。桃太郎がキジとサルとイヌを連れて鬼ケ島にいって鬼を
退治し、めでたし、めでたしという話です。けれども本当にそうなんだろうかと考えてみてください。
「ぼくの
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お父さんは、桃太郎というやつに殺されました。
」このコピーは、平成 25 年(2013 年)の新聞広告大賞の作品
です。こういうショッキングなコピーが掲載されていました。お伽噺の桃太郎は、表面上は、めでたし、めで
たしなんだろうと思いますが、その陰では、純真無垢な子供の鬼が孤児になってしまったのかもしれない。あ
るいは、高畠町の浜田広介記念館に行ったことある人はいますか?浜田広介も縣人文庫に紹介されています。
浜田広介が書いた「泣いた赤鬼」という童話に登場するような、心優しい赤鬼さん、青鬼さんも無残にも殺さ
れてしまったのではないかとか想像してみてください。要は、一方的な、めでたし、めでたしで終わるのでは
なくて、少し角度を変えて、視点を変えて物事を見ていただきたいという話であります。
今回の農協改革ですが、現状が悪いから正すという意味で改革という言葉を使っていると思いますが、改革
の対象である私たちから言わせてもらえば、すべてが悪いとは思っていない、農業振興や地域社会に貢献して
きたという自負もあります。また、当然、改革すべきところは自己改革していきます。
ここ数週間が、政府・与党との交渉の山場かと思っています。マスコミを通じてJAバッシング等々があろ
うかと思います。皆さんからは、鵜呑みにしないで、一面で捉えるのではなくて、ちょっと待てよ、JAの役
割ってこれだけなのかと、是非いろいろな視点から考えていただければなと思います。
ご静聴ありがとうございました。
【追記】
平成 27 年(2015 年)2 月 9 日、政府与党は、農協改革法制度の骨格を取りまとめた。それによれば、
①JAの会計監査は、公認会計士による会計監査を義務付けるとともに、JA全国監査機構は監査法人
として独立させ、監査は選択性とする。
②JA全中を一般社団法人に移行させ、都道府県JA中央会は、農協法上の連合会に移行させる。
③JA全農が株式会社に組織変更することを可能とする。
④准組合員の利用量制限は、今後の農協改革の実行状況の調査を行い慎重に決定する。
とされた。
今回の農協法改正では、准組合員の利用量制限は見送られた。しかし、平成 26 年(2014 年)6 月に閣議
決定した「規制改革実施計画」では、今後 5 年間を農協改革集中推進期間とするとしており、准組合員の利
用量制限をはじめとして、JA解体の議論が再燃する恐れがある。
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