今日の話題:自己犠牲の進化 1. どうして自己犠牲なのか 自然選択に

進化生態学(第11講)
今日の話題:自己犠牲の進化
1. どうして自己犠牲なのか
自然選択による進化の基本ルールは「他人よりもうまくやった奴が生き残る」である。
しかし、実際には私たちは他人のために自分を犠牲にする(利他行動)ことがある。ヒ
ト以外の生物にもアリやハチ、鳥、イルカ、サルなどにも自己犠牲の精神を見ることが
できる。今回の講義では利他行動の適応的意義(有利性)を説明するための拡張理論−
血縁選択説とよばれる−を解説する。
2. 社会性生物と血縁淘汰説
シロアリやアリにおいては繁殖に関する分業がおこなわれている。子を産むのは女王
のみでその他多くのメス(=働き蟻)は子の世話、巣のメインテナンスや餌集めなどを
するのみで自分では子を産まない。ハダカデバネズミでは女王のみが 12 年の生涯の間
に 900 匹もの子を産み、他の共同生活しているヘルパーメスは子を産まない。これを社
会性という。「より多くの子供を残す」のが適応進化の基本なのに、これはどのように
して理解することができるだろうか。どうしてこんな自己犠牲遺伝子が消えてしまわな
いのか。
Hamilton はこの問題を、「血縁選択説」という革新的なアイデアで解決した。利他的
行動を支配する遺伝子は、その利他行動によって利益を得る血縁者を通じて次の世代に
伝わる、というアイデアである。つまり働きアリと女王は血がつながっている(親子関
係)ので、働きアリの「自己犠牲遺伝子」は女王アリもある確率でもっていることにな
る。働きアリが女王を助けてたくさんの子供を産ませることによって、間接的に働きア
リの持つ「自己犠牲遺伝子」を次世代に伝えているというのだ。
しかし、自己犠牲にもいろいろある。どのような自己犠牲ならば進化しうるのだろう
か?
3. 血縁度と包括適応度:血縁淘汰説の理論予測
あなたから見て親戚はみんなどれくらい大事だろうか?何人の兄弟、いとこのため
になら自分の命を投げ出せるだろうか?進化学者のホールデンはある日、ロンドンのパ
ブで突然こう叫んだという:
「
人の兄弟か
人のいとこのためなら、私はいつでも命を投げ出す用意が
ある!」
これは血縁淘汰説に基づく計算から出た台詞である。ある個体とその個体の血縁者が
ある特定の遺伝子を共有している確率を血縁度とよぶ。血縁度は遺伝的な類似度を表し
ている。例えば一夫一妻性のヒト等の二倍体の生物では:
親子:子の持つある遺伝子は父または母のいずれかから来たものなので血縁度は 1/2
兄弟同士:兄弟のもつ遺伝子が父から来た場合(1/2)それが別の兄弟にも渡される
可能性は 1/2。母から来た場合(1/2)に、それが別の兄弟にも渡される可能性は 1/2。
したがって血縁度は(1/2)(1/2)+(1/2)(1/2) = 1/2 となる。
同様にして、血縁度は以下の方法で計算することができる:
1. 二人の間が何ステップはなれているか(= X)を調べる。
2. 1/2 の X 乗を計算し、それにもっとも近い共通する祖先の数をかける。
たとえばいとこ同士であるならば、二人の間
は4ステップ(本人−母−祖父&祖母−おば−い
とこ)離れており、共通の祖先は2人(祖母
&祖父)である。したがって、本人といとこ
の血縁度は(1/2)4 2 より 1/8 と計算できる。
つまりあなたといとこは 1/8 だけ同じ遺伝
子を持っているということになる。
この血縁度を用いると、ある個体から別の個体への利他的行動が進化する条件を以下
のように書くことができる:
rB " C > 0
!
r は利他的行動をしている個体から見た、利他行動の受け手との血縁度である。B は
この利他行動による受け手の利益(適応度の増分)、C は利他行動による行動者の損失
(適応度の減少分)を表している。この式が表しているのはこういうことだ:「本人の
適応度」と「血縁個体の適応度を血縁度で重み付けしたもの」の合計(=包括適応度)
が高くなるときに、その自己犠牲的行動は進化しうる。血縁者(含本人)すべてに1、
2、3と番号をふったならば、ある個体の包括適応度( Wˆ )は一般に次のようにかけ
るだろう:
!
Wˆ =
# [r W ] = r W
i
i
1
1
+ r 2 W 2 + r 3 W 3 ...
i"relatives
!
ri は本人とその血縁者 i との間の血縁度を、また Wi はその血縁者 i の適応度を表してい
る。
4. 「遺伝子の乗り物」としての生物
血縁淘汰説が本当だとするならば、生物個体はその行動を司る遺伝子が次世代に伝
わりやすくなるならば自分の命をなげうつことさえしてしまう、ということになる。こ
れまでの議論では進化すべき行動は自分の生存を高めたり、繁殖成功を高めたりする場
合のみであったことを考えると、この理論の進展はおおきな一歩といえるだろう。
この血縁淘汰説の登場によって、生物を「遺伝子が
自らを増やすために利用している乗り物」とみる考
え方が台頭した。生物は遺伝子を増やすためにコン
トロールされたロボットだというわけだ。これは血
縁淘汰説を理解する上でおもしろい「たとえ話」だ。
しかし、その言葉を額面通りに受け取ってはいけな
い。私たちは「生存し繁殖することを目的」として
生きているわけではないし、包括適応度を最大化す
..
るために生きているわけではない。ましてや、遺伝
子は次世代に残ろうという「意志」を持っているわ
けではない。
私たちの行動はたしかにこのような自然選択の力で形作られてきたかもしれない。し
かし、それは私たちがどう生きるべきかという問題とは別の話だ。鼻が進化してきたの
は眼鏡をかけるためではない。しかし、そこに眼鏡をかけてはいけないという法はない
のである。
以上