日本史

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日本史
第1問 次の文(A 〜 D)の空欄
1
〜
3
,
7
〜
9
, 14 〜 16 , 20
・ 21 に適する語句を,後の語群ア〜ヤのうちからそれぞれ一つずつ選べ。また下の問い(問
1〜 13)に答えよ。
(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。
)
蘇我稲目の子として6世紀半ばころに生まれた。馬子は,用明,崇峻,推古
ⓐ
天皇といずれも蘇我氏と血縁関係のある大王をたてて実権を握り,推古天皇のもとでは,有力
A 蘇我馬子は,
な王族である厩戸王と協力しながら政治改革につとめた。また,603 年には厩戸王とともに
1
め,
を定め,従来からの氏族単位の政治組織を改めようとした。さらに,仏教の興隆につと
2
を建立して本格的な寺院として完成させた。その結果,
る飛鳥文化が栄えることとなった。
対外面では,朝廷は中国を統一した
ⓒ隋へ使節を派遣
学問僧を隋に送って先進文物の摂取につとめた。
日本最初の仏教文化であ
ⓑ
して国交を結び,
3
らの留学生・
問1 下線部ⓐに関連して,この時期の日本と東アジアの動きについて述べた文として正しいも
のを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
4
① 楽浪郡を滅ぼして朝鮮半島を南下する高句麗と交戦した。
② 高句麗との対立関係から,中国南朝の宋へ使節を派遣した。
③ ヤマト政権と密接な関係を結んでいた加耶諸国が滅びた。
④ 唐や新羅に対抗するため,渤海が通交を求めてきた。
問2 下線部ⓑに関連して,次の人物甲・乙と,その人物について述べた下の文Ⅰ〜Ⅳの組合せ
として正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
甲 鞍作鳥
乙 曇徴
Ⅰ 法隆寺金堂の釈迦三尊像をつくった。
Ⅱ 密陀絵の手法を使って法隆寺金堂壁画を描いた。
Ⅲ 高句麗僧で,彩色・紙・墨の技法を伝えた。
Ⅳ 百済僧で,僧侶の守るべき戒律を伝えた。
① 甲−Ⅰ 乙−Ⅲ ② 甲−Ⅰ 乙−Ⅳ
③ 甲−Ⅱ 乙−Ⅲ ④ 甲−Ⅱ 乙−Ⅳ
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5
問3 下線部ⓒに関連して,607 年に遣隋使として派遣され,隋の皇帝の煬帝に謁見した人物と
して正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
6
① 犬上御田鍬 ② 裴世清 ③ 阿倍仲麻呂 ④ 小野妹子
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B 後白河天皇は
7
の子として生まれ,1155 年に即位した。
戦乱では,平清盛らを動員して兄の
8
7
が死去した際に生じた
らを破り,その地位を固めた。かれは 1158 年に院
政を始めたものの,翌年に
近臣どうしの対立などから生じた平治の乱を鎮圧した平清盛と
ⓓ
しだいに対立を深め,1179 年,鳥羽殿に幽閉されて 院政を停止された。しかし,1181 年に
ⓔ
平清盛が没すると院政を再開し, 源頼朝と結んで平氏を滅ぼした。
ⓕ
その一方,かれは 仏教に深く帰依して造寺・造仏につくし,文化の興隆をはかるとともに,
ⓖ
庶民のなかで流行していた芸能にも通じ,今様を集めて『 9 』を撰集した。
問4 下線部ⓓに関連して,平清盛との関係について述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,その正誤の
組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 10 Ⅰ 藤原通憲(信西)が源義朝と結んで挙兵した。
Ⅱ 院政を主導していた藤原信頼は自害に追い込まれた。
① Ⅰ−正 Ⅱ−正 ② Ⅰ−正 Ⅱ−誤
③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正 ④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤
問5 下線部ⓔに関連して,このとき平清盛は当時の天皇に譲位させ,後白河法皇に代わって院
政を行わせた。このとき退いた天皇として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
11
① 高倉天皇 ② 安徳天皇 ③ 後鳥羽天皇 ④ 土御門天皇
問6 下線部ⓕに関連して,源頼朝の動向について述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古いものから
年代順に正しく配列したものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 12
Ⅰ 侍所を設け,和田義盛を長官に任じた。
Ⅱ 諸国に守護・地頭を設置することを認められた。
Ⅲ 征夷大将軍に任じられた。
① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ
③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ ④ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ
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問7 下線部ⓖに関連して,
平安時代末期の院政期の文化について述べた文として正しいものを,
次の①〜④のうちから一つ選べ。 13 ① 浄土信仰に基づいて法成寺の阿弥陀堂が建立された。
② 仏教にまつわる説話を集めた『日本霊異記』が著された。
③ 動物を擬人化して生き生きと描いた『鳥獣戯画』が作成された。
④ 東国武士の生活ぶりを題材として『男衾三郎絵巻』が描かれた。
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C 新井白石は 1657 年,
14
の大火で焼け出された江戸で生まれた。父は当時,上総久留里
藩に仕えていたが,1677 年,内紛に巻き込まれて藩を追い出され,父子とも
牢人となった。
ⓗ
15 が江戸城内で刺殺されたあと再び牢人に戻っ
1682 年からは大老 15 に仕えたが, ⓘ
た。その間,儒学者木下順庵に入門し,師の推挙によって 1693 年に甲府藩主徳川綱豊(のち
家宣)の侍講となった。その後 1709 年に家宣が6代将軍となって以降,1716 年にいたるま
で
幕政を主導した。
ⓙ
その一方で彼は,摂関政治にはじまり江戸幕府の成立にいたるまでの政治の移り変わりを儒
学の立場から論じた『 16 』を著した。
問8 下線部ⓗに関連して,江戸幕府が牢人の発生を抑えるために実施した政策の史料として正
しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。 17 ① 諸国の居城修補を為すと雖も,必ず言上すべし。況んや新儀の構営堅く停止令むる事。
② 殉死の儀,弥制禁せしむる事。
③ 五拾以上十七以下の輩末期に及び養子致すと雖も,吟味の上之を立つべし。
④ 大名小名,在江戸交替,相定る所也。毎歳夏四月中参勤致すべし。
問9 下線部ⓘに関連して,幕府首脳が襲撃された事件について述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,
古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 18
Ⅰ 老中安藤信正が坂下門外で水戸脱藩士らに襲われた。
Ⅱ 若年寄田沼意知が旗本佐野政言によって斬りつけられた。
Ⅲ 桜田門外で大老井伊直弼が水戸脱藩士らに殺害された。
① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ ② Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ
③ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ ④ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ
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問 10 下線部ⓙに関連して,新井白石が主導した政策について示した次の史料について述べた
文として誤っているものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 19 慶長年中定置れ候金銀の法,元禄年中ニ至て,始てその品を改められ,宝永の始ふたたび
銀の品を改められ候より此方,諸物の価も年々高直※ニなり来り,世の難儀ニ及び候ニより
て,先御代※御治世の始より,金銀の品慶長の法の如くになし返さるべきのよし,御本意ニ
候といへども,近世以来諸国山々より出来候金銀の数,古来のごとくにこれなき候を以て,
たやすく其御沙汰等及ばれず候処……(中略)……既に御不例※日々に重らせられ候ニ付て,
去々年辰十月十一日ニ,御書付を以て思召のほどを仰出され候,これによりて当御代※ニ至
せん ぎ
り候より此方,世の人の申し沙汰ニ候事共をも尋きはめられ,各僉議の上を以て,金銀の品
慶長の法のごとくになし返さるべき事に誠定せられ候
*注
「高直」…高値 「先御代」…前将軍の時代 「不例」…病気のこと 「当御代」…現将軍の時代
① 元禄年間には慶長金銀よりも品位を下げた金銀貨が鋳造された。
② 元禄金銀の鋳造によって物価が上昇し,人々の生活は圧迫された。
③ 新井白石が幕政を主導した頃には金銀の産出量が減少していた。
④ 新しい金銀貨の鋳造は,6代将軍徳川家宣のもとで行われた。
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D 浜口雄幸は,1895 年に帝国大学を卒業後,ただちに大蔵省に入り官僚としての経歴を重ねた。
その後,1913 年,桂太郎が結成をくわだて,その死後に成立した 20 に入党。1915 年に衆
議院議員に当選して以降,亡くなるまで衆議院議員をつとめた。
浜口は,
加藤高明内閣,第1次若槻礼次郎内閣で閣僚をつとめ,1927 年には立憲民政党
ⓚ
の結成とともに総裁に就任し,1929 年,民政党内閣を組織した。かれは 金輸出解禁を実施
ⓛ
して経済界の整理を進める一方,外務大臣に 21 を起用しⓜ協調外交を展開した。しかし
1930 年 11 月,東京駅で狙撃されて重傷を負い,翌年首相を辞任した後,死去した。
問 11 下線部ⓚに関連して,これらの内閣の政策や出来事について述べた次の文Ⅰ・Ⅱと,そ
れに関連する語句 a 〜 d の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
22
Ⅰ 国体の変革などを目的とする結社を取り締まるための法律を定めた。
Ⅱ 震災手形の処理を進めるなか,大蔵大臣の失言が取付け騒ぎを招いた。
a 治安維持法 b 治安警察法 c 片岡直温 d 井上準之助
① Ⅰ− a Ⅱ− c ② Ⅰ− a Ⅱ− d
③ Ⅰ− b Ⅱ− c ④ Ⅰ− b Ⅱ− d
問 12 下線部ⓛに関連して,浜口雄幸がとった経済政策について述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,
その正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 23
Ⅰ 金輸出禁止を解除することによって外国為替相場の安定をはかろうとした。
Ⅱ 旧平価で解禁したため円の実質的な切下げとなり,不況を拡大した。
① Ⅰ−正 Ⅱ−正 ② Ⅰ−正 Ⅱ−誤
③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正 ④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤
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問 13 下線部ⓜに関連して,第一次世界大戦後に展開した協調外交について述べた次の文Ⅰ〜
Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
24
Ⅰ 主力艦建造禁止の5か年延長などを内容とするロンドン海軍軍縮条約に調印した。
Ⅱ アメリカとフランスの提唱に応じ,戦争の放棄を宣言した不戦条約に調印した。
Ⅲ イギリス,アメリカ,フランスとの間で太平洋の平和に関する四カ国条約を結んだ。
① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ
③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ ④ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ
〔語群〕
ア 広隆寺
イ 憲政会
ウ 冠位十二階
エ 采覧異言
オ 法興寺
カ 菟玖波集
キ 田中義一
ク 閑吟集
ケ 興福寺
コ 平城上皇
サ 石井菊次郎
シ 立憲同志会
ス 大日本史
セ 堀田正俊
ソ 八色の姓
タ 保科正之
チ 明暦
ツ 立憲国民党
テ 寛永
ト 吉備真備
ナ 白河上皇
ニ 梁塵秘抄
ヌ 菅原道真
ネ 後嵯峨上皇
ノ 鳥羽上皇
ハ 慶安
ヒ 読史余論
フ 凌雲集
ヘ 元和
ホ 官位相当制
マ 崇徳上皇
ミ 幣原喜重郎
ム 順徳上皇
メ 柳沢吉保
モ 徳川光圀
ヤ 高向玄理
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第2問 次の文(A 〜 C ) を読んで,下の問い(問1〜8)に答えよ。
律令制度の原則に基づいた租税制度を維持することが困難となっ
ⓐ
た。そこで朝廷は田地を名に編成し,名の面積に応じて ア や臨時雑役を賦課するように転
A 平安時代中期になると,
換した。
一方,国衙の在庁官人らによって土地の開発が進められたが,耕地の荒廃も著しく,より
大きな資本を土地開発に投入する必要が生じてきた。そうしたなか,11 世紀半ば以降には天
皇家や摂関家,有力な寺社を領主として,
た。中下級貴族が
イ
ひとまとまりの領域をもつ荘園の設立がひろがっ
ⓑ
として荘園現地へ派遣され,地域の開発領主らを組織して土地開発を
イ
に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ
進めていった。
問1 空欄
ア
・
選べ。 25 ① ア−官物 イ−預所 ② ア−官物 イ−郡司
③ ア−公事 イ−預所 ④ ア−公事 イ−郡司
問2 下線部ⓐに関連して,律令制度下の土地・人民支配について述べた文として誤っているも
のを,次の①〜④のうちから一つ選べ。 26
① 6年ごとに戸籍を作成し,人びとを戸に所属する形で登録した。
② 戸籍に基づき,6歳以上の男女を対象に口分田を班給した。
③ 口分田などの田地から収穫の3%程度の稲を租として徴収した。
④ 調・庸を性別を問わずに課し,布や各地の特産品を納めさせた。
問3 下線部ⓑに関連して述べた次の文Ⅰ・Ⅱと,それに関連する語句 a 〜 d の組合せとして
正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 27
Ⅰ 荘園内の名に課せられる税の納入を請け負った。
Ⅱ 国衙の役人の立ち入りを拒否できる権利をもつ荘園が多かった。
a 名主 b 作人 c 不入の権 d 不輸の権
① Ⅰ− a Ⅱ− c
② Ⅰ− a Ⅱ− d
③ Ⅰ− b Ⅱ− c
④ Ⅰ− b Ⅱ− d
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B 天下統一を進めた豊臣秀吉は,直轄地や征服地で検地を実施する一方,1591 年には諸大名
から国ごとに
ウ
を書き上げた御前帳と国絵図を提出させた。江戸幕府もその政策を継承し,
諸大名の領地や村々の
ウ
を把握したうえで,諸大名には軍役を課し,
役を負担させた。
ⓒ村々には年貢・諸
江戸時代中期になると,
人やものの流通が全国的に活発化するなか,都市の問屋によって
ⓓ
同業者組合である株仲間を組織する動きが進んだ。それに対し,18 世紀後半に幕政を主導し
た老中田沼意次は,株仲間の結成を積極的に認める代わりに
エ
を上納させ,新たな財源と
してとり込んだ。
問4 空欄
ウ
・
エ
に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ
選べ。 28
① ウ−貫高 エ−倉役 ② ウ−貫高 エ−冥加
③ ウ−石高 エ−倉役 ④ ウ−石高 エ−冥加
問5 下線部ⓒに関連して,村々の負担について述べた文として正しいものを,次の①〜④のう
ちから一つ選べ。 29
① 田畑・屋敷地の高請地を基準に,高掛物が賦課された。
② 山野河海の利用や農業以外の副業などに小物成が課せられた。
③ 合戦の際には伝馬役がかかり,軍事物資の輸送にあたらされた。
④ 街道周辺の村々には人や馬をさしだす国役がかかった。
問6 下線部ⓓに関連して,当時の流通について述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古いものから年
代順に正しく配列したものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 30 Ⅰ 貨幣流通量の増加をねらい,元禄小判が鋳造された。
Ⅱ 幕府の命により,河村瑞賢が東・西廻り海運を整備した。
Ⅲ 幕府が,米価調節のため,堂島の米市場を公認した。
① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ
③ Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ ④ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ
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C 1871 年の
で中央集権体制の基礎を整えた明治政府は,1873 年,
ⓔ 地租改正条例を定
めて租税制度の改革に着手し,1881 年までにほぼ完了させた。これによって政府の財政基盤
オ
が安定したものの,日清戦争前後には酒税や営業税などが増徴されたため,地租の政府歳入に
占める割合はしだいに減少した。さらに,
資本主義の発達にともなって所得税収入が増加した。
第二次世界大戦後には,1949 年に来日した
カ
を団長とする税制調査団の勧告に基づき,
直接税中心の税制が整えられた。
問7 空欄
オ
・
カ
に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ
選べ。 31 ① オ−版籍奉還 カ−シャウプ ② オ−版籍奉還 カ−ドッジ
③ オ−廃藩置県 カ−シャウプ ④ オ−廃藩置県 カ−ドッジ
問8 下線部ⓔに関連して述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,その正誤の組合せとして正しいものを,
下の①〜④のうちから一つ選べ。 32 Ⅰ 政府はそれまでの年貢負担者に地券を交付し,納税者として確定した。
Ⅱ 地価に基づく金納制が導入され,納税額は物価変動とともに変わった。
① Ⅰ−正 Ⅱ−正
② Ⅰ−正 Ⅱ−誤
③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正
④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤
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第3問 次のⓐ〜ⓔは古代から近代までの事件・地域であるが,最も関係の深い場所を,下の
地図中のア〜タのうちからそれぞれ一つずつ選べ。
ⓐ 藤原京
33
ⓑ 安土城
34
ⓒ 天文法華の乱
35
ⓓ 高田事件
36
ⓔ 二・二六事件
37
ア
イ
ウ
コ
シ
ク
エ
カ
サ
オ
キ
ソ
セ
ス
ケ
タ
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第4問 次の文(A 〜 C) を読んで,下の問い(問1〜8)に答えよ。
朝廷は仏教による
ⓐ
を招いて戒壇を整備し,経典の研究を奨励する
A 7世紀半ば以降,律令制度の整備が進むとともに仏教の受容が進んだ。
政治・社会の安泰を期待する一方,唐僧
ア
など,仏教の興隆をはかった。そのうえで平安時代初め,唐から新しい仏教の導入がはかられ
た。最澄は
に基づく教学をつたえ,
ⓑ空海は本格的な密教を導入した。さらに,円仁が
伝えた念仏三昧の法は,のち浄土教の発展につながった。
問1 空欄
イ
ア
・
イ
に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ
選べ。 38
① ア−玄昉 イ−華厳経 ② ア−玄昉 イ−法華経
③ ア−鑑真 イ−華厳経 ④ ア−鑑真 イ−法華経
問2 下線部ⓐに関連して,こうした仏教政策について述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古いもの
から年代順に正しく配列したものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 39 Ⅰ 僧行基ら民間からの協力を得ながら,盧舎那仏の造立事業を開始した。
Ⅱ 恵美押勝の乱での死者を追悼するため百万塔を作り,陀羅尼を納めさせた。
Ⅲ 新都の造営に際して藤原京から寺院を移転させ,大安寺・薬師寺を建立した。
① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ ② Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ
③ Ⅲ−Ⅰ−Ⅱ ④ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ
問3 下線部ⓑに関連して,密教と浄土教について述べた次の文Ⅰ・Ⅱについて,その正誤の組
合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 40 Ⅰ 密教は,加持祈禱によって貴族らの現世利益の期待に応えた。
Ⅱ 浄土教は,阿弥陀仏を信仰し,来世での幸福を願う教えである。
① Ⅰ−正 Ⅱ−正 ② Ⅰ−正 Ⅱ−誤
③ Ⅰ−誤 Ⅱ−正 ④ Ⅰ−誤 Ⅱ−誤
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世俗化した有力寺院のあり方にあきたらず寺院を離れて活動する
ⓒ
風潮が広がり,寺院に所属せずに活動をくり広げた僧侶は,一般に聖とよばれた。鎌倉時代に
B 平安時代末期ころから,
は,そうした聖のなかから教学の復興をはかろうとするものが出現する一方, 宋から新しく
ⓓ
禅宗を伝えたり,信仰を内面的に深めようと試みる者も出現した。
これら鎌倉新仏教と総称される宗派は,
ていった。
室町・戦国時代にかけて人びとの間に広く浸透し
ⓔ
問4 下線部ⓒに関連して,
この当時の有力寺院のあり方について述べた次の文 a 〜 d について,
正しいものの組合せを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 41 a 下級僧侶を僧兵として組織し,朝廷に強訴を行った。
b 延暦寺の長講堂領など,多くの荘園を所有していた。
c 国家の安泰を祈る法会は,催されなくなっていた。
d 仏教保護策のもとで荘園領主として権力をもっていった。
① a・c ② a・d ③ b・c ④ b・d
問5 下線部ⓓに関連して,鎌倉時代の仏教について述べた文として誤っているものを,次の①
〜④のうちから一つ選べ。 42 ① 栄西は,宋に渡り,曹洞宗を伝えた。
② 道元は,ひたすら坐禅することを重視した。
③ 法然は,専修念仏の教えを説いた。
④ 日蓮は,南無妙法蓮華経の題目をとなえることを主張した。
問6 下線部ⓔに関連して,室町・戦国時代における鎌倉新仏教の動向について述べた次の文Ⅰ
〜Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜④のうちから一つ選
べ。 43
Ⅰ 禅僧夢窓疎石が後醍醐天皇の冥福を祈るため,天竜寺の建設をすすめた。
Ⅱ 加賀国で浄土真宗の本願寺門徒らが一揆を結び,守護の富樫政親を倒した。
Ⅲ 日蓮宗の僧日親が『立正治国論』を著し,将軍足利義教へ改宗をすすめた。
① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ ② Ⅰ−Ⅲ−Ⅱ
③ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ ④ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ
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C 江戸時代には,寺院の多くは幕府の統制のもとに組み込まれた。幕府はまず,宗派ごとに寺
院法度を定めて寺院社会を秩序づけていった。また,島原の乱以降,すべての民衆をいずれか
の寺院の檀那とし,寺院にキリスト教徒でないことを証明させる
ウ
を整えた。この結果,
寺院は幕府による民衆統制を末端で補完する機関となった。一方で教学の自由な発展はなく,
17 世紀半ばに明僧
エ
が来日し,新しく黄檗宗を伝えた程度であった。
明治時代になると,仏教は初め
政府の宗教政策のもとで打撃をうけたものの,島地黙雷ら
ⓕ
が,近代化に適合したものにしようとする革新運動をくり広げた。
問7 空欄
ウ
・
エ
に入る語句の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ
選べ。 44
① ウ−寺請制度 エ−隠元隆琦 ② ウ−寺請制度 エ−蘭溪道隆
③ ウ−本末制度 エ−隠元隆琦 ④ ウ−本末制度 エ−蘭溪道隆
問8 下線部ⓕに関連して,明治期の宗教政策について述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古いもの
から年代順に正しく配列したものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。 45
Ⅰ 大日本帝国憲法では法律の範囲内での信教の自由を掲げた。
Ⅱ キリスト教禁止の高札を撤去し,キリスト教の信仰を黙認した。
Ⅲ 神仏分離令を発し,古くからの神仏習合を禁じた。
① Ⅰ−Ⅱ−Ⅲ ② Ⅱ−Ⅰ−Ⅲ
③ Ⅱ−Ⅲ−Ⅰ ④ Ⅲ−Ⅱ−Ⅰ
(日本史の問題は終わり)
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