「将来の夢」 福島県立白河第二高等学校 三年 渡辺 美音里 私の祖父は、平成十八年、七十八歳でこの世を去りました。祖父は、とても優しくて、いつもにこに こ笑っている人でした。一緒に山登りをしたり、ボール遊びやしりとりをして遊んだり、祖父との思い 出は、数え上げればきりがありません。しかしその祖父は、私が小学三年生になった頃から、病気がち になって、体があまり動かなくなり、みるみるうちに寝たきり状態になってしまいました。その時には もう、一人でトイレにいくことも出来ず、おむつをして過ごしていました。思うように体が動かせず、 辛く、苦しかったはずですが、祖父はいつも笑顔を絶やさず、家族に接していました。病気で体が動か なくなっても、以前と変わらず元気な心を持っている祖父を見て、私は本当に強い人だと思いました。 仕事で忙しい父と、まだ幼い弟や妹の世話と家事で手がいっぱいの母に代わって、祖父の身の周りの 世話は、自然と私がするようになりました。おむつを取りかえたり、着替えをさせたり、薬を飲ませた り、動けなくなった祖父のために、手助けが必要なことは、たくさんありました。私が一生懸命手伝う 姿を見て、祖父も、他の家族より、私のお世話が上手だと喜んでくれ、とても嬉しかったことを覚えて います。 高校進学にあたって、白河第二高校を選んだ一番の理由は、私が働くことによって、両親の経済的な 負担を少しでも減らしたいと思ったからです。私は入学してすぐに、接客業のアルバイトを始め、今年 で三年目を迎えました。毎日色々なお客様がいらっしゃいますが、ときには、話すことが困難だったり、 自分がどうしたいのか、何が不満なのかをうまく伝えられずにもどかしい思いをしている方もいらっし ゃいます。そういった時に、お客様の表情や言葉、仕草などから、その気持ちを汲み取って、適切に声 をかけたり、必要なサービスをしたりして、喜んでいただけた時の嬉しさ、人の役に立てた喜びは、言 葉では言い表せないものがあります。 祖父の介護や、アルバイト先での経験を通して、私は、人と接する仕事や、困っている人、お年寄り、 ハンディのある人たちを助けるような仕事につきたい、と思うようになりました。三年生になって、進 路希望のアンケートを書いたり、担任の先生との面談で、卒業後のことについて話したりする中で、将 来の希望として頭に浮かんだのは、介護福祉士という職業でした。調べてみたところ、介護福祉士の仕 事の内容は、要支援・要介護の認定を受けた高齢者や障害者の食事や排泄、入浴などといった身体の介 護という、私がイメージしていたこと以外にも、買い物や洗濯、掃除といった生活介護、また、ヘルパ ーの方の指導や適切なケアプランの作成まで、多岐にわたることが分かりました。また、仕事をする上 では、コミュニケーション力や冷静な判断力、体力、忍耐力、協調性など、さまざまな資質が求められ るそうです。これからの学校生活やアルバイトで、身に付けることができるよう、意識して過ごしてい きたいと思います。 しばしば報じられる、福祉施設の職員による利用者への虐待のニュースには、とても心が痛みます。 虐待の事実を知った時の利用者の家族の苦しみや、頼りにし、信頼していたはずの職員から心ない言葉 を浴びせられたり、暴力を受けたりした利用者のショックは、相当なものだと思います。福祉施設は、 家族と離れて過ごす高齢者や障害者の方たちが、安心していられる場所でなければならないはずです。 私は、利用者の方から信頼され、第二の家のように快適に過ごせる環境を作れる職員になって、辛い思 いをする利用者や家族の方がいなくなるよう、力を尽くしたいと思います。 介護福祉士になるためには、専門学校や福祉系の高校で学ぶか、介護の現場で三年以上の実務経験を 経た後に、国家試験に合格しなければなりません。私の学校では、二年ほど前に卒業した先輩が二人、 介護福祉施設に就職して活躍しているということを先生から聞きました。私も、卒業後、老人ホーム等 に就職してみっちり経験を積み、基本的な知識と技術を習得して、三年後、国家試験に挑戦したいと思 います。そしていつか、祖父の墓前で、 「美音里は介護福祉士になったよ。おじいちゃんがきっかけをく れたんだよ。 」と報告できるよう、一日一日を大切に、夢に向かって頑張りたいです。
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