礼拝説教 (2015年5月31) 飯川雅孝 牧師 聖書 創世記12章1-9節

聖霊降臨後 第1主日
聖書
説教
礼拝説教 (2015年5月31)
飯川雅孝 牧師
創世記12章1-9節
『主がアブラハムに与えた祝福の伝播-フランス人の友人から学ぶこと』
(説教)以前の教会にフランス人の友人を案内した時、海外での勤務経験はないの
に、なぜ親しくなれたのかと聞かれました。その交友体験の中から感じたこと、とく
に南フランス・プロヴァンスを旅行したことをご紹介しつつ、神にある交わりを感謝
してお伝えします。
会社務めも5年を残す時、世の中はリストラが始まっていたので、新しい仕事を覚
えるためベルギーにある会社の教育センターに行きました。その中にいたフランス人
の友人は年齢が近く、温かい人柄から仲良くなりました。少し年齢の離れた若いドイ
ツ人の親切も忘れられません。彼らにはキリスト教国の持つ人間性を感じました。別
れ際にフランス人が“今度はパリで会おう。”と言われ、2年後に私たち夫婦は初め
てのヨーロッパ旅行の三都:ローマ、パリ、ロンドンに行き、2日間彼のパリの自宅
に泊まりました。その後、彼が定年し奥さんの故郷の南フランスのプロヴァンスに移
ったので、去年は妻と二人で南フランスのプロヴァンスに行ってきました。そこには
世界の歴史的に有名な名所旧跡が数か所、重なってありました。初めて行った時、神
がアブラハムに約束した「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」という
印象をまさに感じました。
本日の聖書箇所は神のアブラハムへの選び、彼の従順な態度と全人格的な応答を伝
えております。彼はこの出会いにより、主のこれから与えられる祝福を信じたのであ
ります。聖書に従えば歴史上私たちの信仰の原点はここに始まると言っていいでしょ
う。まず、「神に出会うということ」は、この世のものではない神の崇高の世界の一
端に触れることです。
聖書はこの畏るべき出来事を、アブラハムが神から、父の家から、あなたの故郷か
ら
あなたの土地からと、現在の身の安全を保証することから「離れて」が3箇所あ
ります。心理描写はありませんが、神が言われるままに放浪の旅に出る。神との出会
いは妥協がゆるされないことです。祝福が2節から4節の間に5回出てまいります。
祝福とはその生涯が全能の方の御手の中にあるということ、暗い人生を導かれ、困難
な時、神の愛によって励まされ、正しい道を歩ませていただける。アブラハムはその
ための用意周到な準備をしました。主のため祭壇を築きます。祭壇とは遊牧民が家畜
を屠る場所であります。罪を悔いる儀式を執り行い、神に対するささげものをして、
主に礼拝する心構えをしたのです。8節のベテルとは神の家という意味です。アイは
古代の滅びを意味します。アブラハムは神の家(東)と滅び(西)の間に住む家(天幕)
を構え、祭壇を築いて神を礼拝し信仰を守りました。その後、アブラハムは生涯の一
番ともいえる試練、愛する一人子イサクを献げることまで神に迫られますが、神の救
いに与ります。このことは信仰の祖としてイスラエル民族の模範とされました。主イ
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エスのアブラハムへの思いを新約聖書で見てみましょう。イエスは間もなくエルサレ
ム入場、つまり十字架の死を前にして、ローマの手下となって同胞から税金を取り立
てる悪名高いザアカイが気になっていたのでしょう。「今日あなたの家に泊まること
にしているから」と声を掛けます。彼は「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に
施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返しま
す。」と。イエスに会ったザアカイは回心したのです。「今日、救いがこの家を訪れ
た。この人もアブラハムの子なのだから。」ここには救われた者(祝福された者)が他
者に仕える者となる。という旧約から新約へ、神がアブラハムを祝福されたその恵み
を異邦人が受ける。という異邦人世界への福音の伝播を意味しているわけです。
さて、南フランスの旅行をした時、そこで感じたことを述べてみたいと思いま
す。わたしには、堆積した地層が露出するようにキリスト教が伝わってからの20
00年に渡る人の息吹、生の営みが多層的に見えたわけです。そしてそこに伝わる
神の祝福の伝播と同時に人間の傲慢な罪も見なければなりませんでした。
➀ガール水道(Pont du Gard):2000年前、キリストの時代のローマ人は大規
模な水道橋をガール川にかけました。乾燥地帯で水の無い人の住むところに、
水を引くための大工事をやりました。生きるためのフランス大変な工事です。
フランス人の友人は‘The Romans did a god job.’と驚いていましたが、それ
はキリストと同時代の人であり、そのローマ帝国はパレスチナのユダヤ人を支
配していたのであります。
②アヴィニョンの法王庁遺跡
13世紀初頭から80年間、ローマ教会の政争の中で、ローマからこのアヴ
ィニョンに法王庁が移されました。荘厳豪華な神殿、慈愛溢れるマリア像が高
く聳える場所から人々の住む場所に目を向けている。古めかしい宮殿の中にも
往時の法王たちが凝らした教会の権威を標榜すると同時に神への憧憬に向けた
壮大な建築物が残されている。しかし、そこは政治と宗教権力の闘争の中でロ
ーマからフランス・アヴィニョンに法王庁が移されたことを象徴するものでも
ありました。それでは、本来的信仰は誰によって伝えられたか。政治と宗教の
表面的な華やかさとは関係ない、虐げられた素朴な庶民が継承したと考えざる
を得ません。あのマリア像を見上げて天国を思ったのでしょう。
③アヴィニョンの橋(サン・ベネゼ橋:Pont St.Benezet)
「橋の上で踊るよ、踊るよ」という有名な歌はここ日本にも聞こえてきます。
アヴィニョンは文化・商業交流を望んだ民の夢であったのでありますが、若い
羊飼いが巨岩を動かして天使のお告げを実証したという伝承は当時の人たちの
素朴な信仰を伝えている感じを受けました。
④村のアスパラガスの祭り
村には、20-30件の店が並んだ場所があります。買い物はここだけで、
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周辺から
人々は買い物にやって来ます。毎年、5月の初めに村を挙げて祝う祭りは、店
の通りに縁日が繰り出します。中世の素朴な農民の姿をした人々が通りを練り
歩きます。
⑤セナンク大修道院(Abbaye de Senanque)
12世紀に建てられ、人里離れたシトー派のこの修道院は、黙想と祈りに明
け暮れた質朴な感じを与えております。往時はプロヴァンスの人々の信仰を培
った権威をもっていました。歴史の試練は、ユグノー戦争中の1544年、修
道院の修道士たちは絞首刑にされ、建物はワルドー派に焼かれ、破壊された建
物は打ち捨てられたと伝えております。
礼拝堂、回廊、共同寝室などを修道層の案内で薄暗がりの建物の中を巡回でき
ます。建物の二階当たりに空と直結した真ん中に泉のある庭がありました。建
物とは不似合いなのはここから天国に行く。ということです。往時の修道僧の
神への渇望を感じた次第です。
⑥ユダヤ人の礼拝するシナゴーグ
アヴィニョンはほとんどのフランス人がカトリックであるのに数少ないプロテス
タントのいるところです。国家の迫害に対して抵抗した歴史を持ちます。だか
ら、14-15世紀に東ヨーロッパから逃げて来たユダヤ人をプロヴァンスの人
は受け入れました。会堂の正面はエルサレム神殿に向けられ、荘重なカーテンと
仕切りは至聖所を、また十戒を刻したヘブライ文字はエルサレム神殿で行われる
礼拝を彷彿させます。
帰郷後、日本の友人に南フランスの旅のことを紹介しましたら、海外経験のある
二人の友人から「そんな短期間にすばらしいところをたくさん見れてうらやまし
い。貴兄はいい友人をもっている。」と言われました。南フランスの旅を通じて、
友人夫妻の持つ精神性は現代のフランスをどこまで反映するかはわかりませんが、
それは友人の私に教えてくれた‘旅人や隣人に仕える’というイエスの教えそのも
のであります。私が牧師になった時、先輩の婦人牧師から、「神に仕え、人に仕え
ること。それをあなたの出来るやり方で行って下さい。」という励ましの言葉をい
ただきました。フランス人の友人には、ヨーロッパで長い間に培われれた、「仕え
る」というキリスト教精神が、先祖から与えられたDNAの中に自然と組み込まれ
ている。そのような感じを抱きます。また、以前教会にいた先輩はわたしの話を聞
いて、娘さんがキリスト者になったのは、彼女がドイツに留学した時、ドイツ人に
染み込んだそのようなキリスト教精神に触れたからであるとうことにも裏書きされ
ております。わたしたちもキリスト者であることを標榜する者として、神と人に仕
える信仰を人々に伝える者となりたい。そう考えるのであります。
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➀ガール水道
②-1アヴィニョン法王庁正面
③サン・ベネゼ橋
②-2アヴィニョン法王庁:マリア像
④アスパラガスの祭り
⑤セナンク修道院ー1 正面
⑤2階の庭
天国へ
⑤セナンク修道院ー2 礼拝堂
⑥ユダヤ教のシナゴーグ:正面:エルサレム神殿向き
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