中田研究室活動記録「The Book 2」

東日本大震災を経て、 社会を取り巻く状況は大きく変わりまし
た。私たちは現場に足を運び、人に寄り添い、あるべき色や形、
出来事を実現することがデザインの本質であると改めて感じてい
ます。宮城県本吉郡南三陸町長清水の人々は、壊滅的な被害を受
けた直後からつよい団結力をもって復旧に取り組み始めました。
そんな彼らに対して、私たちは労働を支えるデザインや専門的な
知識によるサポートを行ってきました。そうすることで、地域シ
ステムのデザインを共に考え、生まれたアイディアを実践できる
環境を実現しています。
この” A Book for Our Future, 311” を通じたコミュニケーション
から多くのデザインのきっかけが生まれ、それに応えるべく実践
を繰り返して辿り着いたかたちが、ネットワークを介して世界中
に共有されていきました。 その後プロジェクトは多方面に拡大
し、そこにはたくさんの知恵が蓄積されています。この蓄積が、
これからの発展の礎となり、手助けとなることを願っています。
A Book for Our Future, 311
東日本大震災以降に蓄積される地域再生の為の様々な手法、発想、戦術としての
知恵の集積を図る方法について
中田千彦
1 はじめに
この長清水という集落は、被災前の世帯数がおおよ
状況に驚かされた。こうした困難な状況において、
方宮城県沖で発生した巨大地震とそれに伴う津波に
加工を中心とした小さな漁村で、集落内には寺が 1
毎日このような悲惨な状況を目にしていると、未来
2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災。東北地
よる東北地方沿岸部の被害は、沿岸部地域の生活圏
への壊滅的被害とともに、多くの尊い人命を奪うこ
ととなった。震災による死者、行方不明者は 18483
人 1、関連死は 3194 人 2 にのぼっている。
この未曾有の震災被害は、福島県東京電力福島第一
原子力発電所の事故も含め、21 世紀における日本
への大きな影響を及ぼし、その根幹となる思想、社
会 制 度、 経 済 制 度 な ど に 大 き な 変 革 を 迫 る 状 況 と
なっている。そのような中で大きく様相を変えた世
そ 30 世帯、人口が 100 人程のワカメの養殖と収穫、
件、神社が 1 件、民宿と雑貨店がそれぞれ 1 軒存在
していた。(内、寺と神社、民宿は津波による被災
流出をのがれ現存。民家も 4 軒残っていたが、その
後災害危険区域の指定と防潮堤の建設工事に伴い 2
軒が撤去。)地震に伴う津波により、集落北端を東
西 に わ た る 国 道 398 号 線、 な ら び に 高 潮 を 防 ぐ た
めの水門などの港湾施設も押し寄せた津波の引き波
によって破壊された。(p.14)
界観の中で、20 世紀的な経済理論やものづくりへ
2-2 被災地における被災者との最初の接触
あることを痛感し、さらには後世にしっかりとした
握、学生、教職員、卒業生ら関係者の安否確認と復
の取り組み方に、あらたな指向性を模索する必要が
社会機構や文化、文明を継承していくために建築関
係者が何をすべきかを真摯に考えるとき、従来の建
築業界的な発想の大きな転換と、領域を横断したよ
うな事象を総合的にデザインすることのできる専門
家としての職能の開発が重要視されていることを痛
感する。
経済の閉塞感、人口増加と、それに反動するかのよ
うな先進諸国における人口減少と縮小していく社会
の存在は、長く環境や都市の設計に深く関与してき
た建築家という職能のあり方に大きな問題提起をし
ていると言えよう。
2 復興支援の背景
2-1 震災直後の被災地の様子(宮城県南三陸町戸倉
地区長清水)
宮城大学事業構想学部デザイ ン 情 報 学 科 中 田 千 彦
研 究 室 で は、 発 災 直 後 よ り 被 災 地 の 一 つ で あ る
みやぎけんみなみさんりくちょうとぐらちくながしず
宮 城県南三陸町戸倉地区長清水への災害復旧、復興
支援活動を開始し、以降3年 10 ヶ月の間、継続的
に地域再生のための様々な活動を展開している。 3
震災直後は本務地である宮城大学の被災状況の把
旧活動に注力していたが、その後、宮城大学と連携
協定を結んでいた南三陸町より行政支援の依頼が宮
城大学にあり、急遽復旧復興支援活動の体制を整え
ることとなった。また、自身の研究室活動において
おいかわひろみち
関係のあった宮城大学の卒業生である及 川博道氏の
親戚が経営する民宿「ながしず荘」に被災者が集まっ
て臨時避難施設となっており、生鮮食料品や燃料な
どの物資が不足しているという状況を知らされた。
宮城大学による公式の南三陸町への復旧 • 復興支援
活動に並行し、震災発生より約3週間経った 2011
年 4 月 6 日、仙台市内にて調達した支援物資をもっ
て南三陸町に及川博道氏を初めて訪ねた。臨時避難
所となっている民宿「ながしず荘」では、複数の客
室に老人から子供まで寄り添って共同生活をしてい
る状況であった。海に近い高台にある「ながしず荘」
被災地で直接復旧活動に取り組む及川博道氏から、
がどうなるかを想像することが出来ずに失望し、そ
の失望が繰り替えされるといつの間にか絶望になっ
てしまうという言葉があった。その絶望を回避する
為に建築家やデザイナーの描く絵が自分は好きであ
るとも、瓦礫の重なる風景を眺めながら語ってくれ
たことが、その後の一連の活動の出発点となってい
る。
2-3 大学としての活動の開始
大学としての本格的な復旧、復興支援に先立ち、研
究室として取り組んだ活動が建築家やデザイナーの
為の被災地視察の支援である。復旧、復興支援のボ
ラ ン テ ィ ア 活 動 も 増 え る 中、 建 築 家 や デ ザ イ ナ ー
の視点で未曾有の大災害のあとに何をすべきかを
考える機会をなるべく多く提供し、今後の展開に役
立ててもらうことを意図して、問い合せのあった建
築家やデザイナーに同行して被災地の現状と問題を
認識してもらうことに注力した。その中に建築家の
あおきじゅん
にしざわてつお
青 木 淳 氏 4、 西 澤 徹 夫 氏 ら の グ ル ー プ が あ っ た。5
月 18 日に南三陸町を訪問した一行に、及川博道氏
による現状の説明を受け、建築家としてこうした事
態にどのように関わるか議論を重ねた。こうした建
築 家、 デ ザ イ ナ ー 達 に よ る 臨 機 応 変 で 咄 嗟 の 活 動
は、その後の新しい世代の建築家たちの活動の柔軟
性をあげ、様々な斬新な設計思想に繋がることとな
る。 5 また、日本の建築界をリードしてきた建築家
きしん
達による「帰 心の会」(伊東豊雄、内藤廣、山本理顕、
は奇跡的に津波による被害を避けることができた
妹島和世により発足)の一連の活動、みんなの家プ
生活に憔悴し、被災者自身が今後どのような状況に
にとって重要な役割を果たすこととなる。(p.58)
が、その高台から壊滅状態の集落を日々眺める避難
なるのか全く見当がつかない状況での共同生活は、
精神的にも身体的にも被災者に大きな負担を強いる
ロジェクトとも協調する形で震災の復旧、復興活動
こうした経験を通して、建築家やデザイナーの果た
すべき役割は、被災地への物資の搬送や瓦礫処理へ
A Book for Our Future, 311: Stock of Ideas, Methods, and
Strategies since the Great East Japan Earthquakes
Senhiko Nakata
1 Introduction
period of time.
received a request for administrative support from
and the subsequent tsunami caused destructive
2 Background of our reconstruction aid
had a cooperation agreement, we organized a
Japan and took many lives. The number of deaths,
the earthquake disaster: Nagashizu, Togura,
The Great East Japan Earthquakes of March 11, 2011,
damage along the Pacific coastline of northeastern
including the missing, was 18,483,1 and the deaths
related to this disaster counts 3,1942.
This unprecedented earthquake disaster and the
damage it caused, including the accident at the
Tokyo Electric Power Company’ s First Fukushima
Nuclear Power Plant, has greatly influenced Japan,
prompting, for instance, changes to the social and
the economic system that became the root and
trunk of major change in the 21st century.
As a result of an event that altered our aspect of
perceiving the world, it has become necessary to
find new economic theories and manufacturing
systems to those of our 20th century. When we,
in the field of architecture, seriously consider our
role, we should realize that the development of the
professional ability of the expert responsible for
designing the physical phenomena of our world,
must be totally reconstituted, to take into account
matters such as social structure, culture, and
civilization. This will create a transformation in the
domain of the conventional building industry to
allow more keenly attuned design.
The population decline in the developed nations is
contrary to, and seems to be a reaction against, the
2-1 Situation in the stricken area just after
Minamisanriku-town, Miyagi Prefecture
The Nakata Laboratory of the Department of Spatial
Design and Information Systems, the School of
Project Design of Miyagi University has undertaken
restoration work and reconstruction aid activity
for the disaster victims in Nagashizu, Togura,
Minamisanriku-town, in the Miyagi Prefecture.
For three years and ten months 3 we have been
developing various activities that can be reproduced
locally. Nagashizu was a small fishing village with a
population of 100 people in about 30 households,
in which people’ s livelihood mainly depended on
the harvesting of seaweed. There was a temple, a
shrine, a grocery shop, and a hostel in the village.
The shrine, the temple, the hostel, and four houses
survived the tsunami; however, two of the surviving
houses were later demolished to make way for the
construction of a water barrier. The tsunami that
followed the earthquake totally destroyed national
highway No. 398 at the north end of the village, and
the harbor facilities, such as water gates designed
to prevent high tides, were overwhelmed by a
dilatational wave. (p.14)
population growth in the developing nations. There
2-2 First contact with victims in the stricken area
society, a lack of definition and identity. This calls
to grasp the situation in terms of the extent of the
is a feeling of entrapment or hopelessness in our
into question the professional responsibility of the
so-called architect who participated deeply in the
design of the environment of the city over a long
Just after the disaster, Miyagi University made efforts
suffering. First, we had to spend time confirming the
safety of students, staff, and graduates and begin
the initial restoration of school buildings. As we had
Minamisanriku-town, with which Miyagi University
team to conduct restoration and reconstruction aid
activity very quickly.
A typical Japanese hostel run by a relative of
H i ro m i c h i O i ka wa , N a ga s h i zu - s o, b e ca m e a
temporary refuge facility providing food and lodging
for victims. Hiromichi Oikawa is a graduate of Miyagi
University and he had been working with us on a
design project since before the earthquake. We
received a message from him that the shortage
of fresh food and fuel had become very serious.
On April 6, 2011, three weeks after the disaster,
w e v i s i te d N a ga s h i zu - s o, a n d ca r r i e d re l i e f
supplies purchased in Sendai. It was a private
aid activity parallel to the official support given to
Minamisanriku-town by Miyagi University.
At Nagashizu-so, victims stayed together in several
rooms according to age, from children to the elderly.
The hostel had survived the tsunami because it
is located on a hilltop above the shore. We were
surprised to see that the victims became exhausted
and nervous from looking at the village filled with
debris, from the refuge center all day every day.
They were tired out from thinking about their
future. At that time they had been given very little
information about the reconstruction plans by the
local and central government. Hiromichi Oikawa
told us “the victims kept looking at the horrible
situation from the refuge facility every day, which
never changed. As they could not imagine what they
would do in their future, they became disappointed.
This continual disappointment made them totally
discouraged.” He then asked our architects and
のボランティアにとどまらず、専門家としての建築
設けた。
う住民からのヒアリングの成果が反映されたもので
の最前線に立つことが求められているということを
が被災現場を訪問して行うワークショップの期日を
な作業小屋を建設するという案も、多くの漁業関係
やデザインへの取り組みを介して、復旧、復興支援
確信することとなる。地震による宮城大学における
被害は軽微であったものの、大学の運営業務を再開
するには発災よりおおよそ 8 週間の時間を要し、そ
の 間 に は 南 三 陸 へ の 行 政 支 援 を 進 め な が ら、2011
年 5 月初旬に宮城大学における授業を含む運営が再
開された。
3 宮城大学における南三陸町戸倉地区長清水にお
ける復旧、復興支援
3-1 大学業務再開と研究室活動による復旧、復興支
援の初動について
宮 城 大 学 事 業 構 想 学 部 デ ザ イ ン 情 報 学 科、 研 究 科
は、情報システム系領域を専攻する学部学生、院生、
建築、空間デザイン系領域を専攻する学部学生、院
生、そしてメディアデザイン系領域を専攻する学部
学生、院生が在籍しており、研究室の配属において
も垣根のない横断的な研究環境が提供されている。
中田千彦研究室にも建築や空間デザインを志向する
学生とともに、メディアデザインを志す学生が多数
在籍し、この混成状況を活用しつつ、東日本大震災
以降のあらたなデザインの可能性の模索と実践を必
須とする被災地の復旧、復興支援活動を展開するこ
とが急務となっていた。
大学再開直後の研究室配属学生を集めたゼミナール
において、南三陸町戸倉長清水における復旧、復興
支援に従事することを研究室活動の最優先方針とし
て定め、学生の得意とするそれぞれの学問領域を活
かしながら地域社会の再生と発展の為に尽力するこ
と を 在 籍 学 生 と 確 認 し た。 そ の 中 で う た わ れ た ス
ローガンが「A Book for Our Future, 311」である。
被災地に実際に足を運び、眼前の状況を直視しつつ
デザインでできることとは何か、建築設計でできる
ことは何かを考え、それを被災した地域住民のため
に披露して直接的な批評をうけ、さらにそれを展開
し実装することができるような知恵と知識の蓄積を
構築することを目指すことに取り組むこととした。
その知恵や知識の蓄積はいつでも被災者が自由に閲
覧、選択ができるようにする自由な思想の宝庫とす
ることを志し、いつでもページを開いて情報をとり
だすことのできる媒体を意識して、未来の為の一冊
の本「A Book for Our Future, 311」というテーマを
被災した地域の住民の皆さんとの協議の末、学生達
2011 年 6 月 4 日と定め、 それまでの期間はワーク
ショップに向けた事前の準備を大学研究室にて行う
こととした。
6 月 4 日、第1回の「A Book for Our Future, 311」ワー
クショップは、臨時避難所となっていた「ながしず
荘」を拠点として、宮城大学ほかの学生,教員の約
30 名が参加して開催された。 6 参加学生達は各自ス
ケッチブックを持参し、被災地域をフィールドワー
ある。(p.30) また、 養殖漁業の収穫と加工に必要
者からも注目された提案であった。
ワークショップの参加者によって描かれた数多くの
スケッチはどれも興味深く、被災した地域住民の皆
さんからの関心を引きつけるものであったが、特に
このてぬぐいと番屋建設の提案は、その後互いに相
乗効果を生みながら、地域再生のための主要なプロ
ジェクトとして大きく発展することとなる。
クしつつ、この地域の将来を展望する為のアイデア
3-2 他領域の活動と同調し展開する新しいデザイン
その後、「ながしず荘」の広間を会場として、参加
宮城大学のデザイン情報学科は、単一なデザイン領
を描く作業を行う。(p.18)
者が描いたスケッチを披露するワークショップを被
災住民の皆さんを招いて開催した。この時期は、被
災された住民の中の高齢者は一時避難先である鳴子
温泉に滞在しており、このワークショップ開催を機
に、長清水に戻ってくるという段取りとなっていた
ことから、子供から高齢者まで、幅の広い年齢層の
住民の方々に学生のフィールドワークの成果として
のスケッチを見ていただくことができた。また、事
前に用意していた被災地域の模型(1/1000)を使っ
て、震災前の生活から被災後の新たな地域再生に向
けた、地域住民の復旧、復興活動に対する意識の確
認を行うワークショップも開催された。聞かれた声
の多くは、どのような形であっても長清水地域集落
の 再 生 を 目 指 し、 そ の た め に は 生 活 の 糧 と な る 産
業、おもに養殖によるワカメの再開が重要であるこ
とも議論された。
学生からの発表の中には、養殖漁業再開に際し、国
道の再整備に合わせて加工品を販売する商店の建設
計画や、地域に流れる川の護岸を再整備し、地域交
流のための橋を再建、川沿いには桜や梅の木など観
葉の樹種を植えて賑わいを復活させるという提案も
あった。(pp.24 - 25)中でも地域の人々から注目さ
れたアイデアは波の形を模式化した図案であるを
使ったてぬぐいをデザインするというアイデアであ
る。これから本格化する瓦礫撤去処理や農地復旧に
向けて揃いのてぬぐいで汗を拭い、頭に被って日差
しをさけることをイメージしたその提案は、津波に
よって甚大な被害を受けた人々にとっても、海は決
して忌み嫌う対象ではなく、これまで多くの恵みを
届けてくれた敬意をもって接すべき対象であるとい
の取り組み
域による学科構成でなく、様々な話題に関心のある
学生と多様な専門性をもつ教員が教育を展開する学
科 で、 私 自 身 も 建 築 家 で あ る と い う 専 門 性 と と も
に、編集デザインや企画、プロデュース等にも関わ
る総合クリエーションと呼ばれる領域での活動も多
いことから、今回のワークショップで提案された多
様なアイデアを統括し現状に合わせたかたちで実現
する道筋を考えていくことは難しくはなかったが、
それを実践するための資金的な課題が大きく道を阻
んでいた。
その頃、震災以前より関わっていた UIA2011 TOKYO
第 24 回 世 界 建 築 会 議 ( 以 下 UIA2011 TOKYO)7 の 実
行委員会の中で、大会の開催が可能かという議論が
発生していた。東京電力福島第一原子力発電所の爆
発放射能漏れ事故の影響から、世界規模の国際大会
を日本で開催することができるかが多くの外国から
の関心事となっていた。議論を重ねる中で、被災地
を抱える日本において、世界各地から建築家が参集
し、これからの未来を考える建築家会議を開催する
ことは世界の建築界においても大きな意味をもち、
この機会であるからこそ UIA2011 TOKYO を実施す
べきとの結論となった。その結論にいたる経緯の中
で、UIA2011 TOKYO の 企 画 も 東 日 本 大 震 災 か ら の
復旧、復興を主題とした企画に転換していくことが
求められ、その一端として私たち宮城大学の中田研
究室が取り組む活動を紹介する展示ブースを設ける
ことが決定した。
被災地への直接的支援に多忙ではあったが、世界の
建築家に向けて情報発信と意識の共有をすることが
できる好機を得ることは、これからの日本における
designers to create some images to show the
designers would be to act directly on the edge of the
and presentations about what we are planning then
field of debris and dream of the future. The story
damage to Miyagi University by the quakes was not
like a book that local people can quote from. That is
victims which might help them to rise up from the
that Hiromichi Oikawa told became the motivation
for our upcoming activities in Nagashizu from that
moment on.
2-3 The beginning of the university’ s activities
The university’ s activities began when our
laboratory invited architects and designers to the
front line with constant dedication. Although the
so bad as elsewhere, it took eight weeks to restart
our curriculum. While the university was being
restored, we worked on the support project for the
government of Minamisanriku-town, and we were
finally able to begin the first semester of 2011 at the
beginning of May.
area where the tsunami had struck. We supported
3 Miyagi University restoration and
or survey the area, as we believe such research by
Minamisanriku- town
as much as possible anyone wishing to investigate
architects and designers to be really meaningful
for the development of ideas for the design of our
future society. Jun Aoki4 and Tetsuo Nishizawa came
to Miyagi and wished to visit the area with us. On
May 18 they visited Hiromichi Oikawa and did some
research on the effects of the tsunami in that area
by listening to victims, including Hiromichi Oikawa
himself. An important discussion took place about
how architects should react and get involved in the
situation. (p.58)
A series of activities that were undertaken by
architects and designers just after the quakes is
sometimes considered to have been a disorganized
knee-jerk reaction. However, the flexible and
dynamic actions of these creative people were
motivated by a sense of impending crisis and
produced results beyond expectation. The situation
allowed architects to design guerrilla architecture
in a totally different way.5 Established and leading
architects in Japan, Toyo Ito, Hiroshi Naito, Riken
Yamamoto, Kengo Kuma, and Kazuyo Sejima
formed a group called Kissin. This group realized
some important projects including “Home for all.”
Collaboration meant architects and designers were
able to become more positive about their experience
of the disaster, and it has continued to play an
important role in post-disaster reconstruction.
Because it was so meaningful to help as volunteers
to carr y belongings and remove debris in the
damaged area, we became convinced that a very
important aspect of the role of architects and
r e co n st r u c t i o n a i d i n N a g a s h i z u , To g u ra ,
3-1 Our first restoration and reconstruction action
followed the recommencement of the educational
management of the university.
After the Great Earthquakes we discussed how
to organize our team for the reconstruction and
restoration of Minamisanriku. The Department
of Spatial Design and Information Systems of the
School of Project Design and the graduate school
includes students from various areas of study
enrolled for research and development in a wide
range of design fields. Our laboratory accepts
students of architecture, graphic design, media
design, interior design, and so on. Thus, because
our school consists of professors and students from
various fields, we were able to set up a special task
force for our purpose.
At the first meeting of our laborator y in the
beginning of May 2011, we decided that the project
of the reconstruction and restoration of the area
damaged by the earthquake and tsunami would be
the main focus of our activity. It was expected that
the talents and ability of the faculties and students
involved would enable this special mission to be
taken forward. Our theme was then decided. We
called it “A book for Our Future, 311.”
As architects or designers, I believe it is important
to identify anything that needs to be done when we
visit and survey a site. It is also very important to
show local people who used to live at the site the
kinds of things we design and produce in order to
receive a direct reaction from them. The discussions
become an accumulation of ideas and knowledge,
why we call this project “A book for Our Future, 311.”
We decided to have the first workshop for Nagashizu
on the 4th, June 2011 since we discussed with the
victims of Nagashizu. For the workshop, members
of our laboratory started preparation.
On June 4, 2011, the first workshop of A Book for Our
Future, 311 was held at the Nagashizu-so temporary
refuge center. More than 30 students of Miyagi
University and other institutions, such as Tohokju
University, gathered to attend the workshop.6 Each
student carried their own sketchbook and surveyed
the field affected by the earthquake and tsunami.
They made several sketches inspired by the actuality
of the situation as they observed it. This fieldwork
gave the students an understanding which allowed
them to envisage images of a future there.
The students then presented their sketches and
ideas in front of victims. During that period some
victims, mainly elderly people, were staying in
hotels in Naruko-onsen at a government-prepared
temporary refuge center, and many had gathered
that day to participate in the workshop. They were
very excited to see the students’ presentations
and visualizations of the future of the village.
The students had made a scale model(1/1000)
showing the scene before the earthquake, which was
also presented to the victims during the workshop.
This helped them to explain what life had been like
before the tsunami, and what, for them, were the
most important issues for the future and thus for
the reconstruction and restoration project. They
worried, for instance, about the recovery of seaweed
harvesting, which had been the most valuable local
industry in the area.
Some interesting proposals from students were
presented, including a sketch of an idea to make
a small shop selling fishing products. This was an
example of the students’ expectations of revitalizing
the life of the local people. Another sketch proposed
the reconstruction of the riverside environment, to
include a small bridge for the local community and
建築によ る展開の可能性を拡 げ る こ と に も つ な が
UIA2011 TOKYO で の デ モ ン ス ト レ ー シ ョ ン の 為 に
ま た、「 な が し ず て ぬ ぐ い 」 プ ロ ジ ェ ク ト は、
達にとっても、理想の実現のための重要な鍛錬とし
ジェクトを「ながしずてぬぐい」と名付けることと
業し、そのプロジェクトを同じ研究室内の後輩に託
り、また将来に建築設計やデザインを志す若い学生
て展示を実施することが非常に重要であると考え、
大学として参加することを決意した。
展示は主要会場となった東京国際フォーラムのガラ
スアトリウムにブースを設け、DAAS 建築空間デジ
タルアーカイブスコンソーシアム 8 と共同での開催
となった。
「A Book for Our Future, 311」ワークショッ
プの様子や被災地域の模型を 使 っ た 被 災 状 況 の 説
明、デジタル技術を活用した震災に関するアーカイ
ブコンセプトのプレゼンテーション、デジタルアー
カイブの専門家による連続トークイベントの開催な
ど、 多 岐 に わ た る 企 画 を 実 施 し た が、 そ れ に 先 立
デザインされ、製作されたてぬぐいのデザインプロ
なった。 このてぬぐい製作と UIA2011 TOKYO への
参加を機に、長清水地域への復旧、復興支援活動の
輪が飛躍的に広がることとなる。
UIA2011 TOKYO に 参 加 し て い た 米 国 の 設 計 事 務 所
の日本支社であるゲンスラー アンド アソシエーツ
インターナショナル リミテッド(以下、ゲンスラー
社)から、復旧、復興活動に関わる資金の支援の申
し入れがされることとなった。一連のプロモーショ
ンへの関心と共感が、次なる活動を展開させる要因
となったのである。
ち「A Book for Our Future, 311」ワークショップで
3-3 被災地域の現状に密接したプロジェクトの発案
TOKYO のイベントに相応しいデモンストレーショ
ゲ ン ス ラ ー 社 か ら の 支 援 は、「A Book for Our
提案されていたてぬぐいの話題を用いて、UIA2011
ンを企画した。インターネットを活用したクラウド
ファンディングを活用し、てぬぐい制作のための資
金を募る企画を立ち上げ、そのプロモーションのた
めのキービジュアルやウェブのバナーデザインなど
も学生のデザインによって実施されている。多様な
学域が混成する研究室体制であるからこそ実現でき
た企画であるが、こうしたコラボレーションの発想
と実践が、今後の建築デザインの世界においても重
要 な 役 割 を 担 う こ と と な る。 こ う し た 実 践 を 通 じ
て 体 感 す る こ と と な っ た こ と は、 大 き な 意 味 を 持
つ。インターネットを活用したクラウドファンディ
ングでのコンセプトは、支援者からの資金により学
生がデザインしたてぬぐいを 4 本製作することが
でき、その 1 本を支援者に、1 本を被災した地域の
人 た ち に、 残 り の 2 本 を UIA2011 TOKYO に 参 加 す
る外国からの建築家、デザイナーに手渡すというも
のである。その外国からの建築家、デザイナーにて
ぬ ぐ い を 手 渡 す に あ た り、 私 た ち が 6 月 に 実 施 し
た「A Book for Our Future, 311」ワークショップと
同様にスケッチブックにアイデアを描いてもらい、
復旧、復興支援のための知恵や知識の集積としての
「A Book for Our Future, 311」のページを増やしても
らうということが条件となる。この主旨をクラウド
ファンディングでのコンセプトとしたことで、ワー
クショップ開催の段階では単なるスケッチでしかな
かった思いが、様々な人たちのクリエイティブな発
想を巻き込むことで実現することとなる。(p.42)
へ
Future, 311」ワークショップの際に学生から示され
た養殖漁業の収穫と加工に必要な作業小屋である番
屋を建設するための資金として活用され、また日本
国 内 の 建 設 企 業 で あ る 株 式 会 社 シ ェ ル タ ー(山 形
県)から資材の提供を受け、2011 年の秋より設計、
2012 年の 3 月 4 日には、 株式会社シェルターより
提供をうけた番屋の基本構造が完成、地域の人たち
UIA2011 TOKYO で の デ ザ イ ン を 担 当 し た 学 生 が 卒
す と い う か た ち で 意 識 の 継 承 が 始 ま る。2012 年 3
月の上棟式に向け、青海波の図案を用いた新しいデ
ザインが考案され「ながしずてぬぐい春」として上
棟式を祝う人々に頒布された。また、2012 年 11 月
には「A Book for Our Future, 311」の一連の活動が
評価され、グッドデザイン賞 2012 を受賞し、多様
な活動と人材のコラボレーションが生み出す活動そ
のものがひとつのデザインのかたちであるという、
非常に重要な教訓をプロジェクトに関わる多くの人
たちに示すことができる結果となった。このグッド
デ ザ イ ン 賞 2012 の 受 賞 を 機 に、「な が し ず て ぬ ぐ
い春」の色違いバージョンである「ながしずてぬぐ
い冬」も、同じ学生のデザインによって製作されて
いる。
この地域にとって最大で、もっとも親近感のある養
殖ワカメ漁の再開とそれに関わる諸産業の復活が、
被災地域の現状に密接したプロジェクトの発案と実
践というかたちで成し遂げられたことは、被災地に
おける地域再生のための一つのモデルとなると言え
るであろう。
を招いての上棟式が執り行われた。(p.76)その後、
4 地域に密接な産業再生支援とともに、 新しい
には番屋建設の最終工事が終了し、その年の養殖ワ
業再生から歴史に学ぶ新しい地域再生の兆しを捉え
地域住民の積極的な建設工事が展開した結果、6 月
カメ漁の活動拠点として地域産業の復活を見届ける
こととなる。(p.82)
その頃被災地では、外からの支援に甘えてしまう感
覚が地域の人たちの自立意識を妨げ、また支援者へ
の遠慮から自身で考え、適切な活動に踏み出すこと
ができないという問題が指摘されていた。すべて与
えてもらうことが、結果として地域の自主的な再建
を阻害する一つの要因となっているという論点であ
る。今回の番屋建設プロジェクトでは、専門家とし
て提供すべき内容、主に建物の構造やその建設に関
わる法令の問題などを専門家としての建築家が取り
扱い、地域の人たち自身で遂行できる分野について
はその力を最大限に活かして一つのプロジェクトを
完成させることに注力した。その結果、長清水で漁
業に関わる人たちの意識が大きく前向きに転換し、
その結果関係者全体の、地域再生へのモチベーショ
ンが大きく変化したと言われるようになった。
価値の創成にむけた取り組みの必要性と従来型の産
る試み
2013 年に入り、新たに地域再生の要として注目さ
れていたのは津波での浸水被害による災害危険区域
内の耕作放棄地の活用である。災害危険区域は都道
府県が災害危険区域条例によって定めるもので、東
日本大震災の被災地においては、主に津波浸水域が
広く指定され、長清水集落のほぼ全域が災害危険区
域に指定され居住等が制限されている。一方、耕作
が放棄された農地ではあるものの、住宅建設など居
住が制限されている土地の活用方法として注目され
た の は、 農 地 に 類 似 し た 環 境 で の 栽 培 が 望 ま し い
しぼく
四 木の栽培である。四木とは茶、漆、桑、コウゾの
四種の樹木で、江戸時代より五穀についで重要とさ
れた生活必需品目である。 9 その中の漆は、近年貴
重な天然資源として注目されている。国産の漆は非
常に生産量が少なく高価であり、国内の文化財修復
など、国産の素材を使うことが必要な事業において
the planting of cherry or plum trees along the river.
me to plan an event for the main entrance hall in
building construction company in Yanmagata called
pure water river) community.(pp.24 - 25)One
was to be held. We decided to hold an exhibition
the main wooden structure, called a KES11.We had
It represented the revival of the Nagashizu (long
of the most fascinating ideas presented was for a
Japanese towel (tenugui) designed by student Risa
Komuro, who said, “I would like to introduce the
spirits of local people. They were damaged by the
the Tokyo International Forum where the UIA 2011
and promotional event explaining the situation
been developing the design for this shed since the
We collaborated with DAAS (Digital Archives for
2012, funded by Gensler. On March 4, 2013, we built
in the disaster areas along the coast in Tohoku.
Architecture and Design).7 As a main presentation,
tsunami. However, they never forget that the sea has
we planned to introduce our project A Book for
the traditional graphic pattern representing waves,
designed to aid victims in the stricken area. We
given them so much. They respect the sea. So I used
called ‘seigaiha.’” She proposed the idea that people
could wear it like a hat or a sweatband by the sea
in the strong summer sunshine. She hoped that the
colorful graphic would become a symbol of recovery.
(p.30) There was another proposal to make a shed
by the sea, called a ban-ya, for the fishing industry.
The Nagashizu locals loved this idea as they had
lost all their fishing equipment in the tsunami and
dreamed of a fishing revival.
All the sketches drawn by the students were
interesting. The Nagashizu victims looked at them
very seriously, and were particularly interested in the
ideas of making tenugui and a shed for the fishing
industry, which became important in allowing them
to begin the next step in reconstruction of this small
community.
3-2 Endeavors of new design: collaboration
between and synthesis of different fields of design.
At that time, I was a member of the working group
which had been organizing the UIA (International
Union of Architects) 2011 Tokyo Congress for several
years. The committee discussed whether the UIA
conferences and events could still be held in Tokyo
after the earthquake. The committee members
were also concerned about the situation with
the nuclear plants in Fukushima. After discussion
and reassurances from the Japanese government
Our Future, 311, and show the series of activities
also planned to introduce the tenugui project and
collaborated with a company that runs a web-based
fundraising system8 in order to get the budget to
realize it. This enabled supporters to make online
donations to fund the making of four tenugui.
One of the tenugui would go to the supporter,
another to a victim in Nagashizu, and the two
remaining would act as invitations to encourage
architects and designers attending the UIA 2011
Tokyo to add some sketches to A Book for Our
Future, 311 at the promotional event, which was
held on September 28, 2011. This idea was quite
successful. We received more than 100 sketches and
additional pages for A Book for Our Future, 311.
We named the tenugui project after the site,
“Nagashizu Tenugui.” The success of the promotion
at the UIA 2011 Tokyo helped to accelerate the
reconstruction and restoration process in Nagashizu,
Minamisanriku.
An architecture design office in Japan, Genslar and
Associates International Limited , was in attendance
9
at the UIA 2011 Tokyo and became our supporter
throughout the event. We received funding from
Gensler to realize the project to make the shed
for the local fishing industry, the idea for which
had originally been proposed by a student at the
workshop in Ngashizu.
regarding safety, they decided to hold the UIA
3-3 Supports for the project concerned with the
decided on an additional theme for the conference.
enhanced.
conference in Tokyo as planned. However, they
This was to be matters of reconstruction and
restoration and ideas for the future after the Great
East Japan Earthquake. The working group asked
Shelter10. Shelter supported the project by providing
present conditions of the disaster area have
We established a strong connection with the Gensler
company through its support of our UIA 2011 Tokyo
event. The company also invited the support of a
summer of 2011. Construction began at the start of
the basic structure of the shed working together
with local people, and held a framework completion
ceremony beside the sea at Nagashizu. Local people
then worked hard to complete the exterior walls and
facilities in order to recommence the harvesting and
production of dried seaweed by June.
During that time the victims’ mentality began to alter
slightly. Support from outside was very important
in helping them to restore their life in the disaster
area. However, gradually it became a burden to
them. We found that it was not beneficial to their
mental state for everything to be completed through
support from outside. We therefore left some
aspects of the construction for local people to do by
themselves. This allowed the victims to realize that
they, themselves, could do the most valuable and
important things necessary to their own recovery.
We concentrated on jobs that required the skills of
professional architects, such as the solving of legal
problems, and left other tasks to local people to
undertake. This made them motivated and helped
them to resume their local activities.
The student who had designed the Nagashizu
Tenugui graduated in March 2012 and the project
succeeded to the next generation of students
of the university. At the framework completion
ceremony, the new design for the Nagashizu
Tenugui was launched. This had been designed by
a next-generation student, Eri Stao, and was called
“Nagashizu Tenugui Spring version.” The spirit
of creating something for the victims had been
successfully captured. The tenugui were distributed
to the people who had gathered to celebrate a new
era for the village. In November 2012, a series of
our design activities were highly evaluated and we
received the Good Design Award 2012. This award
was important in representing the value of design
work that involved a continuous effort begun in
も十分な入手が困難で、文化財保護の観点からも問
題となっている。東北地方は古来漆を使った伝統産
業が多かったが、漆の需要の低下により生産量も減
り、漆文化も衰退の傾向を見せている。他方、東北
地方太平洋側の沿岸部は温暖湿潤な気候から漆の栽
培に適しているとも言われている。
こうした条件が揃う中、津波による浸水域の耕作放
棄地を活用し、漆の苗木を植樹して育て、将来的に
は国産漆の生産量を上げることを目指し、これを地
域の産業に成長させていくというプロジェクトが始
動した。
2014 年 3 月、 東日本大震災から 3 年の節目に、 漆
の 苗 木 100 本 を 長 清 水 の 耕 作 放 棄 地 に 植 林 す る イ
ベントが開催された。宮城大学事業構想学部助教の
土岐謙次 氏が中心となった宮 城 な が し ず 漆 研 究 会
1
東日本大震災に伴う警察措置(2015 年 1 月 9 日発
2
東日本大震災における震災関連死の死者数、2014
が、一般社団法人日本漆総合研究所と共同で始めた
行、警視庁プレスリリース)
東日本大震災の被災地で、日本の伝統芸術文化を支
年 9 月 30 日現在調査結果(2014 年 12 月 16 日公開、
財修復の実践、新たな伝統工芸、文化、芸術を展開
3
プロジェクトである。(p.110)
える貴重な素材を生産し、それを使った正当な文化
し、新しい時代の相応しい地域産業の生成と発展を
復興庁、内閣府(防災担当)消防庁)
4
2014 年 10 月 11 日現在。
青木淳(あおきじゅん)建築家、1956 年(昭和 31 年)
促すことができる六次産業の新たな取り組みが可能
10 月 22 日生まれ。青木淳建築計画事務所主宰。日
より被った被害を克服し、後世に継承することがで
大学客員教授。代表作に青森県立美術館(2005 年)
であると考えている。それをもって東日本大震災に
きる文明につながる一つの小さな活動を展開するこ
とを期待している。
本建築学会賞、 吉岡賞など受賞。2013 年より宮城
などがある。
5
ア ー キ エ イ ド 活 動 年 次 報 告 Archi-Aid Annual
6
ア ー キ エ イ ド 活 動 年 次 報 告 Archi-Aid Annual
7
UIA2011 TOKYO 第 24 回 世 界 建 築 会 議 2011 年
Report 2011、2012、2013
Report 2011 に掲載記事
9 月 25 日 か ら 10 月 1 日 ま で、 東 京 国 際 フ ォ ー ラ
ム を 中 心 に 東 京 都 内 丸 の 内 地 区 に て 開 催。http://
www.uia2011tokyo.com
宮城大学と DAAS 建築空間デジタルアーカイブスコ
ンソーシアムによる共同開催のイベントは会期中の
9 月 28 日に東京国際フォーラムガラスアトリウム
にて開催。
8
DAAS 建築空間デジタルアーカイブスコンソーシ
アム 日本の建築資料を収集し、 活用することを目
指すプロジェクト。国土交通省による補助事業とし
てスタートし、現在では建築資料 2481 件、関連資
料 8580 件をデジタル化して収蔵、公開を行ってい
る。http://www.daas.jp
9
大辞林 三版より
a desperate situation, which kept on developing
national heritage such as historical sculptures,
it fostered a positive attitude in the minds of the
northeast Japan.12 The Tohoku area was known as
throughout much trial and error on site. As a result,
and architecture such as old temples or shrines, in
people who had suffered in the disaster. It is now
an area of urushi culture but the custom of using the
and restoration project where the involvement of
was in danger of disappearing. We soon realized that
considered to be a prototype of the reconstruction
the local community becomes vital from the very
beginning and throughout the process of design to
the actual revitalization of the local industry.
4 A trial to get significant action of new
reproduction learning from the history.
In 2013, we began to focus on a new strategy to use
tsunami-damaged, abandoned areas for farming.
technique for the tools and facilities of everyday life
this project would be the next step in reactivating
this region.
On March 9, 2013, three years after the earthquake,
Professor Toki organized volunteers from all over
Japan and students from Miyagi University to plant
100 urushi tree saplings in the abandoned areas of
Nagashizu village. (p.110)
The national government and prefecture had
5 Conclusion
prevent the risk of tsunami. Almost the entire area
colleagues working together in a terrible
restricted the use of certain areas along the coast to
of Nagashizu village had become restricted land. It
was not possible to build houses and so it became
impossible to live there. It was, however, sometimes
possible to build a non-domestic structure, such as
storage for farming. It therefore became necessary
to plan how to use this land. Farming, such as
harvesting vegetables or rice, was no longer suitable
for most of the victims because they could not live
close to the area. They were required to move to
a new government housing development on the
hillside, away from the coastline. We discussed the
problem of what the field could be used for with
a colleague, Professor Kenji Toki of the Research
Institute of Nagashizu Urushi. Professor Toki is an
urushi artist who uses the traditional Japanese
lacquer as a craft material. Traditionally urushi is
harvested from the sap of trees grown in forests
and woods. Professor Toki introduced a method
of harvesting urushi sap from trees planted in a flat
field. However, this way of harvesting is neither
rational nor economical. Therefore, the price of
urushi is high and has, Professor Toki says, become
difficult to use frivolously. Planting urushi trees in
the abandoned areas of Nagashizu and harvesting
the sap would be a completely novel way of using
the land. It would also provide the opportunity
to use domestic materials to restore artifacts of
We began with small trials with students and
situation under the huge pressure of the risk of
further earthquakes. Some chain reactions and
The measures necessary for the inquiry by the
1
synchronicities followed, which helped to improve
National Police Agency (published on April 22, 2014,
to understand the social, economic and political
2
the situation. Workshops we held helped victims
circumstances. The series of tenugui projects
allowed people in damaged areas to imagine some
kind of bright future. A series of presentations
press release from the National Police Agency).
Report of the dead and missing of the Great East
Japan Earthquake on March 31, 2014 (published on
May 27, Reconstruction Agency, Cabinet Office, Fire
and Disaster Management Agency).
and exhibitions about the project promoted
3
areas who knew little about the situation. The urushi
University since 2013; born in 1956, designed
understanding among many people from other
project introduced a new industry, the so-called
sixth industry, to the area.
4
Architectural Institute of Japan prize.
It has been said that the role of the architect has
effect on the younger generation and has influenced
7
thinking on ne w methods of reconstruction
Jun Aoki, Architect, Visiting Professor of Miyagi
Aomori Prefectural Art Museum in Aomori, received
5
changed since the disaster. It has had a particular
Date, October 11, 2014.
6
Archi-Aid Annual Report 2011、2012、2013.
Archi-Aid Annual Report 2011.
DAAS Digital Archives for Architecture and Design
http://www.daas.jp .
architecture.
8
use of insight to imagine how things might work and
http://www.gensler.com/offices/tokyo .
We rediscovered the circulations of our abilities, the
9
https://readyfor.jp .
Gensler and Associates International Limited
how to act effectively. We realized that such methods
10
believe, to teach such notions to students as part of
for beams and columns.
help to move the situation forward. It is important, I
good practice.
11
12
Shelter http://www.shelter.jp/index.html .
KES is a structural system using laminated wood
Although using domestic material should help to
We expect the ideas, methods, and knowledge
restore the national heritage, it has become difficult
disaster to be passed on to the next generation.
costs.
developed through our trial and error since the
to use because of a shortage of supply and high
092
068
058
094
058
010
028
070
081
030
042
056
057
142
108
142
120
2013.07.16-
136
130
084
2013.05.30-
138
2014.10.17-
050
053
2013.03.06
054
2013.07.17
116
110
2013.06.27-28
148
146
058
2015.01.01
144
128
2013.09.27-
014
2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災は東北地
方 沿 岸 部 に 壊 滅 的 な 被 害 を 与 え、 宮 城 県 南 三 陸 町
もその甚大な被害を免れることはできませんでし
た。宮城大学は、震災以前より南三陸町との包括連
携協定を結んでいたことから、発災以来、復旧復興
の全面的な支援を開始します。復興計画の策定や住
民からの意見を集める地区民懇談会の実施など、町
からの要請に応えて多岐にわたる活動を行ってきま
した。町内の被災地域のひとつである戸倉長清水地
域は、志津川湾南岸に面する小さな漁村集落です。
37 軒あった家屋のうちの 35 軒が津波によって流さ
れ、集落の人々は奇跡的に難を逃れた民宿、寺、神
社などに避難し、その後、民宿を臨時避難所とした
共 同 生 活 を 始 め ま す。 も と よ り 集 落 の 団 結 力 が 強
かった長清水地域では、復旧作業の初期段階から主
体的に集落の再建に動き、将来像を考え始めていま
した。そのなかで、専門知識に基づいた明確なビジョ
ンを求める声が高まり、震災直後からの支援物資の
搬送をきっかけに、集落の人々と宮城大学中田研究
室によるプロジェクトがスタートしました。
015
016
避難所でヒアリングをした際に、地元の若手後継者
から託されたのは、目前の瓦礫の広がる光景の中か
ら絶望を回避し、未来を思い描くビジョンを、デザ
インを教え学ぶ立場から示してもらえないかという
ものでした。その問いかけに応えようと始まったの
が「A Book for Our Future, 311」です。被災地の現
場に実際に足を運び、個人がその状況をしっかりと
見 据 え、 地 域 の 未 来 を 思 い 描 く ス ケ ッ チ を 一 枚 一
枚 重 ね て い く。 そ し て、 い つ で も そ の 発 想 や ア イ
デアを自在に引き出すことのできる「一冊の本:A
Book」 をつくることを、 プロジェクトの主旨とし
て掲げました。
2011 年 6 月 4 日、 中田研究室と有志の学生たちが
初めて長清水を訪れ、集落の人々とのワークショッ
プ が 開 催 さ れ ま し た。 長 清 水 の 光 景 か ら 描 い た ス
ケッチと、持参した浸水地域を含む集落の復元模型
(1/1000 スケール ) をもとに、 集落再生に向けたプ
レゼンテーションと意見交換を実施。この日を起点
に、プロジェクトは現在に至るまで多方面に展開し
ていくことになりました。
017
018
019
020
021
スケッチを描くために、まだ瓦礫の残る長清水集落
い」という思いがひしひしと伝わってきて、当事者
いっぱいいっぱいで、なかなか手が進まない状態で
立場のギャップを感じました。
の中を歩いたとき、目の前の情報を整理することに
した。
震災が起きたとき宮城にはいたけれど、海沿いの地
域を訪れるのはその日が初めてという学生がほとん
どでした。長清水に向かう道中、どんどん情景が変
わっていったのを覚えています。そんな状況でも何
かを描こうと、橋だったり浮きだったり、瓦礫の風
景からみんな何かしらのモチーフを探してスケッチ
に書き起こしていました。
な が し ず 荘 で 行 っ た 意 見 交 換 会 で は、 私 た ち の ス
ケッチをきっかけに集落のみなさんの意見が次々と
引き出されてきて、提案というよりも話のトリガー
を提示していたと思います。
佐藤 絢香
Ayaka Sato
022
スケッチに描かれた未来の長清水の姿はきれいでは
あったけれど、当時遠く離れた場所に移り住むこと
を強いられていた彼らにとって、とにかく長清水に
住むこと、この土地に戻ってくることが何よりも重
要でした。「早くここに戻ってきたい、また住みた
である長清水集落のみなさんと自分たちの客観的な
ワークショップの提案の中で、的外れなものや気に
さわる提案もきっとあったと思います。でも、長清
水集落のみなさんはどの提案にも理解しようという
姿勢で受け止めてくれて、スケッチを介してたくさ
んのお話をしていただくことができました。
津波によって集落が丸ごと無くなってしまうという
前例のないことが起きていて、自分たちも誰も正解
がわからないし、地震の揺れは体験したけれど、津
波や大きな被害を受けてしまった人たちに対して踏
み込めない心情がありました。そのような思いの中
で初めて長清水を訪れて描いたスケッチは、おっか
なびっくりではあったけれど、その後の活動につな
がる会話がうまれた必要な過程だったと思います。
023
a
b
d
e
f
g
c
h
i
j
024
k
l
m
n
o
r
s
p
q
t
u
a,t ー 益田佳奈 『いつか311を語る日の為に、』
『あの日と共に復興を目指す』
『祈りの為の穏やかな場所』 b,d ー 佐々木詩織『長清水 WS no.1』 c ー 小室理沙『な
がしずてぬぐい』 e ー 佐々木愛 f,h ー 佐藤絢香『そばにおく〜忘れないために。語り継ぐために〜』『高台の物見小屋』 g ー 坂口貴彦『Theme. —経年変化に
よるまちづくり』 i ー 中木亨『風景になるもの・食べられるもの・きっかけになるもの』『住む場所』 j ー 新田祥吾 k,l ー 森翔太『nontitle』 m ー 富沢綾子 n - 浅野純平『他のどこにもない、一本の道』 o,u ー 中田千彦 p ー 堀江亮『川の上に大きな橋を渡して新た川の表情をのぞく』 q ー 恋水康俊『春夏秋冬×大
きな家族×収穫』 r ー 武田恵佳 t ー 萬代景子『「カケラ」の再利用の提案』
025
026
A Book for Our Future, 311 WorkShop
June 4, 2011 at Nagashizu
Toru Nakaki
Shiori Sasaki Ayako Tomizawa Yasuka Takeda
Junpei Asano Risa Komuro Takahiko Sakaguchi Ai Sasaki Ayaka Sato
Shogo Nitta Ryo Horie Kana Masuda Keiko Mandai
Shota Mori
Yasutoshi Koimizu
And the people from the Nagashizu
027
028
震災という「事実」の展示
2011 年 11 月 2 日より 12 月 24 日まで、東京の TOTO ギャラリー間にて「311 失われた街」展が開催されました。
この展覧会では 3.11 が引き起こした「事実」の展示により東日本大震災を多様な観点から見つめ、「この震災
で何が起き何が失われたのか、そしてそこから何を学ばなければならないのか」を伝える場となること目的と
していました。会場では地震と津波により失われた 14 地域の街並みを 1/500 スケールで復元した模型が並び、
中田研究室はその中の宮城県南三陸町志津川の町並みの模型を製作しました。
その後、東京都現代美術館で第2弾となる「失われた街 ー三陸に生きた集落たちー」の開催が決定。長清水
地区の模型を幅 2 メートル、長さ 3 メートルの規模で制作、他の集落の模型とともに、美術館のエントラン
スホールにて展示が行われました。
029
032
初回のワークショップで描かれた多くのスケッチの
Many things have been washed away by the
engineers, researchers, and students. Joining in
の制作です。津波は沢山のものを奪い、長清水集落
as peaceful as it used to be. But, many people living
attending the congress the tenuguis. We’ d like to
中 か ら 最 初 に 実 現 し た の が、「な が し ず て ぬ ぐ い」
には以前のような穏やかな風景はありません。しか
し、以前と変わらず海と共に生きていきたいという
想いから、長清水の人々は自分たちが主体となって
集落再建に取り組んでいました。そんな方々の頭や
首にカラフルな手ぬぐいを巻くことが、長清水集落
を彩るひとつの復興のサインになると考え、学生に
よる企画・デザインが行われました。
「津波はあったけど、海があるから離れられない。」
これは長清水集落に住む方の言葉です。津波は沢山
のものを奪いました。しかし、いつも一緒にいた海
をきらいになれる人はいません。海があるからこの
土地に戻り、復興のために汗を流しています。これ
までの人生を共に過ごし、笑い、時には喧嘩もする、
まるで兄弟のような存在である海と一緒に手をとっ
て復興していくために、そしてこの日を忘れない為
に日本の伝統的な文様である青海波をモチーフにし
ました。
tsunami, and the scenery of Nagashizu village is not
there and supporters have started reconstructing the
village by themselves in hopes that they can restart
their life in the village, withthesea. SoIsuggested
“Nagashizutenugui” , thinking that the people living
in Nagashizu can wrap the colorful tenugui around
their neck or head as a symbol of reconstruction.
We planned the project for the reason that we’ d like
to widen a circle of movement for reconstruction
through the tenugui. We appealed for money in units
to make tenuguis, and collected 127 units, from 59
the event, we’ re planning to give 254 architects
thank them supporting us. And we expect that they
will indirectly give us something in return in their
own way, which means, for example, they might be
designing great architecture, and giving us a warm
heart through their works. The project will connect
us, and lead people to take action for Nagashizu.
We keep on working, hoping that Nagashizu village,
many supporters, and many people around the
world can be united together.
people and 2 groups, enough to make tenuguis. We
can make 4 tenuguis with a unit of the donation,
one tenugui is for each supporter, the other one is
for people living in Nagashizu, and the other two are
sent to some architects in Japan and overseas.
There is UIA2011 TOKYO, The 24th World Congress
of Architecture, which will attract 10,000 architects,
033
初回のワークショップが決まったとき、デザインを
かなければならないという気持ちがあったからで
のはないかなと考えていました。
と感じていました。ながしずてぬぐいには、ワーク
学ぶ立ち場として、何かモノとしてお土産になるも
ワ ー ク シ ョ ッ プ が 始 ま る 前 に、 長 清 水 で T シ ャ ツ
を作っている方がいて、その人たちと協力して何か
できないかというお話をいただきました。
せっかく作るのであれば、みんながいつも使えるも
のがいい。そんな思いから、手ぬぐいの制作を決め
ました。
しかしその一方で不安に感じていたのが、被災した
ばかりの集落のみなさんにとって、デザインが今は
必要ないと思われるんじゃないかということでし
た。
ワークショップで提案したながしずてぬぐいのス
ケッチは、そんな不安をよそに、身近ですぐにでき
小室 理沙
Risa Komuro
034
る案として長清水のみなさんから好意的に受け入れ
てもらうことができました。
ながしずてぬぐいに使われている青海波の図案は、
波を表す日本の伝統模様です。波をモチーフにした
理由には、これから海と対面して一緒に復興してい
す。ただ、当時は青い色をのせるのはまだ早いかな
ショップの日に見た山に残る豊かな森と、太陽の色
をテーマに明るくポップな色を展開しています。
大学を卒業して宮城を離れると、震災のニュースは
全く聞かなくなってしまいました。これからの復興
支援活動は、被災地に長く関わってきた人たちと新
しく関わり始める人の間の理解のズレが、どんどん
大きくなると思います。そんな風に認識がさまざま
な人たちの気持ちを繋ぎ止める手段として、ながし
ずてぬぐいは有効になるのではないでしょうか。震
災以降、更新されて続けているデザインプロジェク
トとして、震災を忘れないためにも、広く発信され
ることを望んでいます。
ながしずてぬぐいを通じて長清水集落復興の輪を広
げ て い き た い と い う 思 い か ら、 制 作 資 金 を ク ラ ウ
ド フ ァ ン デ ィ ン グ サ ー ビ ス「READYFOR?(https://
readyfor.jp/)」にて募ることを決めました。1口に
つき4本の手ぬぐいが作られ、完成品の1本を支援
者に送付して長清水集落の復興に参加して頂き、も
う1本は長清水集落の人々へ、そして2本をイベン
トにて配布するというかたちをとり、78 口 60 名の
支援が集まる結果となりました。
多くの人の支援を経て完成したながしずてぬぐい
は、長清水集落の人々と支援者の手にわたり、復興
のシンボルとしての役割も果たしています。
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Nagashizu Tenugui Project
Since June 4, 2011 -
Risa Komuro
Junpei Asano Risa Komuro Takahiko Sakaguchi Ayaka Sato
Tomomi Nakashita Shogo Nitta Nozomi Hosoda Ryo Horie
Kana Masuda Keiko Mandai Shiori Sasaki Yuki Onomatsu Eri Sato
Takashi Yoneyama Ayako Tomizawa Yasuka Takeda
And the people from the Nagashizu
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UIA 東京大会
東 京 国 際 フ ォ ー ラ ム に て 開 催 さ れ た UIA2011 東 京
大 会 世 界 建 築 会 議 に、 建 築 空 間 デ ジ タ ル ア ー カ イ
ブスコンソーシアム:DAAS ブースへ共同出展をし
ました。国際建築家連合(Union Internationale des
Architectes)による「建築のオリンピック」とも呼
ばれる世界最大級の建築のイベントです。「Design
2050- 災害を克服し、一丸となって、新しい未来へ -」
をテーマに 2011 年 9 月 25 日から 10 月 1 日まで行
われ、そのうちの 28 日に参加しました。全世界か
ら 1 万 人 以 上 の 建 築 家 や 研 究 者、 学 生 が 集 い、 講
演会やワークショップなど様々なプログラムを通じ
て、多様な視点から建築や都市を探っていきます。
「A Book for Our Future, 311」のブースでは来訪者に
長清水集落へのメッセージや復興のアイディアをス
ケッチブックに描いてもらい、そのお礼として未来
への希望と復興のシンボルであるながしずてぬぐい
を贈るワークショップを実施。世界各国から訪れた
建 築 家、 デ ザ イ ナ ー に よ る お よ そ 100 枚 の ス ケ ッ
チ が 集 ま り、 長 清 水 へ と 持 ち 帰 る こ と が で き ま し
た。
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ながしずてぬぐい 春
2012 年 の 春、 長 清 水 で は わ か め の 養 殖 が 再 開 し、
漁業の拠点や人々の集会所となるような番屋の建設
も行われました。人々の活気の溢れる特別な春には
一層気持ちを盛り立てるような手ぬぐいが似合うと
考えて制作した、二つの新しい絵柄です。「ながし
ずてぬぐい」の強いアイデンティティである青海波
を引き継ぎ、鮮やかな色と龍が昇っていくようなラ
インで見た人に力強さや晴れ晴れしさを印象づけら
れるように、という願いを込めています。
051
ながしずてぬぐい 冬
「ながしずてぬぐい 春」と同じ図案を使って新し
いバージョンを制作しました。東北の寒い冬は長く
厳しいですが、同時に澄んだ夜空を見る事ができ、
その下には人々の営み、そしてその暖かみがありま
す。「春」のデザインと表裏のようにその強さを表
現しました。
052
ながしずてぬぐい 漆と杜
「ながしずてぬぐい 漆と杜」は、復興が進みつつ
ある長清水に漆を植樹するプロジェクトが発足した
ことを記念し、人々の気持ちを盛り立て、新たな地
域再生を目指すシンボルとして制作しました。漆に
まつわる色を用い、色のグラデーションで一歩一歩
確実に前へと進んでいる長清水を表現しました。
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ながしずてぬぐい 雲
「ながしず手ぬぐい」シリーズのアイデンティティ
である青海波は、復興のシンボルとして浸透しつつ
あります。毎年、その年にふさわしいデザインがさ
れてきましたが、今年はながしずで様々に活動して
いる学生たちへ向けて制作しました。
丸が連続したかたちの青海波は、動き続けているプ
ロ ジ ェ ク ト や、 人 の つ な が り な ど を 表 現 し て い ま
す。
その力強い形は空を覆う雲のようにも見えます。晴
れの日ばかりでは植物は育ちません。時には雨を、
雷をもたらす雲が必要です。言うなれば学生たちは
雲のように、良くも悪くも被災地に影響を与えられ
る存在だと思います。
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未来へ歩みつづけるデザイン
仙台を中心とする東北のデザイン団体が集結して
始まった、ユーザー視点のデザイン啓蒙活動です。
2011 年度は「不屈 デザイン 未来 ー歩みつづけ
る力ー」をテーマに、震災からの復興と新生に向け
て歩み続ける東北の力と地域の誇りを全国と世界に
発信する活動が展開されました。私たちは学生プロ
ジェクト部門に「ながしずてぬぐい」を展示し、プ
ロジェクトのプレゼンテーションを行いました。
056
屋台が記録する東北の姿
2012 年 5 月、ロンドンの建築教育機関の AA スクー
ルによるワークショップが開催されました。お祭り
の際に日本でよく見られる屋台をモチーフに、AA
スクールでユニットマスターをつとめる日本人建築
家、江頭慎氏がキュレーションを行うインスタレー
ション「YATAI HERE YATAI THERE」を制作。「遊び」
という媒体を通して街の姿を記録していきます。
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長清水集落は南三陸町志津川湾南岸の、典型的なリ
アス海岸が続く戸倉地区の東端に位置する、海、山、
川に囲まれた自然豊かな土地です。新たな居住空間
となる高台の造成計画は復興の要であり、計画策定
には地域住民と行政との綿密な意思疎通や慎重な検
討を必要とします。このプロジェクトでは高台への
移転計画を具体的に進めるため、青木淳建築計画事
務所の協力を仰いで「TAKADAI PROJECT」がスター
トしました。
建築家の青木淳氏や西澤徹夫氏らとともに現地視察
を行い、そこで出会ったのは、津波によって失われ
てしまった集落の景色と、自分たちの未来のために
懸命に活動する長清水集落の人々の姿でした。
そんな彼らの姿を受けて、このプロジェクトは第三
者的に高台移転のプランを提案するのではなく、集
落の人々が、これからの生活の場を考えるための道
具となるアイデアを提供することを目的としまし
た。その後も長清水集落の皆さんとイメージや情報
の共有を行い、模型やスケッチ、ワークショップな
どを介しながらサポートを続けてきました。
063
1
長清水集落は、南三陸町の南部、典型的なリアス海
岸をもつ志津川湾に面する戸倉地区の東端に位置し
ており、海、山、川に囲まれた自然豊かな土地です。
このプロジェクトでは、居住空間となる高台にどの
よ う な 造 成 の 仕 方 が あ り 得 る の か を モ デ ル・ ス タ
ディするものです。
( 左 ) 既存森林の伐採量が少なく、 なるべく勾配
の少ない場所(土を動かす量に対して平地を広くと
れるよう) で造成を行うプランにしました。 その
結 果、50 m -60 m の 高 さ に 緩 い 勾 配 の 場 所 が あ っ
た の で、そ こ に も 宅 地 を つ く る プ ラ ン に し て い ま
す。 ( 文・大石雅之 )
2 ベーシックな案を作ってみました。
等高線に沿って、海抜 30m と 40m レベルで平地を
つくり、尾根にあたるところに道路を通します。各
敷 地 は、 そ れ ぞ れ 約 250 〜 300 坪 程 度 の 大 き さ に
なるようにしながら、等高線に沿って横長の区画割
にしています。 ( 文・西澤徹夫 )
064
2
3
4
3 - 4 考え方を考えてみました。
解説:造成工事の進捗や移住可能世帯の時間的ばら
最終的にすべての世帯が移住しても、必ず造成地に
事、二期工事となるように平地をつくる。
期に分けます(①)。
界の抜けをつくり、初期復興が終わった後の将来的
①海抜30m と40m の場所に、 それぞれ一期工
②等高線に沿って道をつくる。
つきが発生すると考えられるので、工事を大きく二
③道に囲まれた範囲内を、各敷地に分割する。その
前回造成案では、道が行き止まりになっていて、コ
200-300 坪程度。
てしまうので、周回することができるようにしまし
際 に、 必 要 区 画(35) よ り も 多 め に 分 割 し て お く。
④順番に各区画へ移住し、空いたスペースはオープ
ンスペースとして利用していくが、③により、必ず
余剰区画が残る。
オープンスペースがいくつか残ることで、適度な視
な余裕として共有しておくことができます(④)。
ミュニティの中で「奥」になってしまう区画が出来
各世帯の住宅の置かれ方、庭や畑の置き方がすべて
た。これによって、どの区画も等しくつながるよう
し変形したものにしています。同時に、残余となる
になります(②)。
あらかじめすべての区画に各世帯を割り付けるよう
な計画は、将来的な計画変更に対応しづらいし、む
しろどの区画がどう埋まっていくか、というプロセ
違ってくるようなきっかけとして、敷地の形状を少
オープンスペースも各区画を奇妙につなげることに
なり、オープンスペース自体の使われ方にも変化が
生まれれば楽しいのではないかと考えました。( 文・
西澤徹夫 )
ス自体が育ち続ける風景となるようにするのが望ま
しいだろうと考えました。
そこで、まだ移住していない区画はオープンスペー
スとして活用(例えば、宮城大益田さんの花壇など)
しながら、新しい造成地にとって、移住時期のばら
つきがうまく集落のコミュニティスペース、各種作
業場所などに使えるようにします(③)。
出典 http://takadai.blog.aokijun.com/
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066
areaA:
areaB:
移転先候補地が、 海側神社近辺(造成案 _3) から
planned along a ridge that is between 30-50m above
cultivating rice, vegetables and fruit, which result
集落の古いお墓が山の中腹に点在しているため、そ
During the first phase of construction, a road is
sea level.Views of the sea and the old village are
strategically placed in strict abidance to the rules of
the "Spacial Financial Support for Promoting Group
Relocation for Disaster Mitigation".
The scape within this zone could be used for
in a pixelated landscape of local food production.
Farming and fishing storages are scattered on the
open ground, creating an image of low-density
settlements from the past.
山側へ移動したことに伴う変更。
れを避けるかたちでの変更となった。
国 道 か ら は 遠 く な り、 一 見 不 便 に 見 え る が、 造 成
案 _3 では海側に置くことで山側への展開が現実的
にはしづらい一方、造成地を山側にすることでそこ
までの宅地内道路を長く引くことになり、結果とし
a:Road in housing area. The straight road is
f:Storage for new farming
also pitched according to the undulations in the
line c. The soil that is removed from development is
a:宅地内道路。各種インフラの敷設には直線の道
damaged from salty water as a countermeasure to
するので、立体的なビューを得ることができる。
not only functional for laying infrastructure but
landscape, providing three-dimensional view.
b : Develop the site at a height between 30-
50m above sea level. The maximum developable
area is preliminarily decided to avoid shotgun
development, taking into account the hamlet's
future potential.
c:Property line
d:Housing area. Allocate an area of 330m2 for
each residential land scape along the line c The
irregular site line allows each house to have various
configurations and figures.
e:stairs
g:Vegetable field. Regain the former field along the
spread to a depth of 30cm on the ground, which is
salt damage.
h:Undamaged building
て、将来の宅地造成がしやすくなると考えられる。
路が合理的であるが、造成地の勾配に合わせて上下
b:海抜 30m-50 mの範囲に造成する。 開発行為が
むやみに広がっていかないよう、集落の将来性を考
慮しながら、予め最大造成範囲を決定する。
c:敷地境界線。
d:宅地。c の敷地境界線に沿って住宅のための敷
地 を 330 ㎡ づ つ 設 定 す る。 敷 地 の 形 を 不 定 形 に す
ることによって、住宅の配置や形態はすべて違うも
のになる。
e:階段。
f:新しい農作業のための倉庫。
g:畑。c の敷地境界線にそってかつての畑を取り
戻す。造成で出た排出土を海水で浸された平地に約
30cm 敷き詰めることで、塩害対策とする。
h:津波被害から逃れた建物。
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震災に備えた地図をつくる
「逃げ地図」とは、東京の大手建築設計の日建設計に所属する若手建築家が組織するボランティアチームの活
動の一つで、東日本大震災の津波被害を受けた沿岸部浸水域の避難リスクを可視化するプロジェクトです。
対象地域の白地図を用意し、それに浸水域と避難に適した箇所を記載。その避難可能箇所への距離を手作業で
測りながら、到達までの時間を算出します。 その時間を目処に、浸水域の特定の箇所から安全な場所までの
必要時間を求め、その安全度をもとに「逃げ地図」を制作していきます。2012 年 5 月、民宿ながしず荘にて
地図作成の概要のレクチャーを実施。地区ごとにグループにわかれ、白地図を用意し、地元の人たちからのヒ
アリングを行いながら色鉛筆で避難街路の塗り分けを試みます。実際に地図をもって現地をフィールドワーク
し、記載した内容とのズレや新たな情報を確認しながら長清水版「逃げ地図」の制作を行いました。
069
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長清水番屋Ⅰ
漁村再生を目指して、2011 年 9 月より港に面した
共有地に養殖産業の活動拠点となる「長清水番屋」
の建設プロジェクトを始動します。沿岸部で再開さ
れつつあるワカメなどの養殖漁業の漁業倉庫と、そ
の収穫物を加工する機器の設置スペースとして、中
田研究室在籍の大学院生を中心に設計が行われまし
た。建設費の支援者探しや構造システムの検証など
も同時に進められ、ゲンスラー社によるプロボノと
資金提供、山形に拠点を置く株式会社シェルターか
らの構造部材提供の支援を受けることが決まり、長
清水での施工が始まります。
建設現場では地域住民による地鎮祭、自営の基礎工
事、建て方への住民参加、上棟式の実施など、地元
と支援者が一体となった建設工事が進んでいきまし
た。2012 年 3 月には基本構造が竣工し、 漁業作業
活動の拠点として利用されています。
073
番屋スケジュール
2011.7
2011.10
高台や平地プロジェクト計画スタート
にともない、産業復興の拠点の作業所
建設プロジェクトとしてスタート
基本設計開始
協 力 企 業・ 集 落 の 方 々 へ の プ レ ゼ ン
テーション
実施設計開始
2012.01
2012.02
構造に関する打ち合わせ
協力企業、現場視察
現場造成スタート
地鎮祭
基礎工事
2012.03.3-4
2012.03.22
建方・上棟式
構造部竣工・完了検査
以降集落の方々によって随時カスタム
074
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2012.3.4
建方・上棟式
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長清水番屋オーナメント
長清水番屋は、長清水で震災以降初めて完成した屋
根のある建物でした。集落にとって希望であるこの
出来事を記念したオーナメントのデザインを、宮城
大 学 ク リ エ イ テ ィ ブ グ ル ー プ dezajiz.(デ ザ ジ ズ)
が担当。2012 年 6 月に集落の方々へ贈呈されまし
た。番屋を漁業活動の拠点とし、長清水は復興を目
指して歩んでいきます。それを見守ってゆく象徴と
なるようなものを作りたいという思いから、番屋の
特徴的な構造そのものを大木の幹とみたて、大きく
枝が広がっていくイメージを持たせました。また、
「ながしずてぬぐい」と同じく長清水の豊かな海を
青海波模様に例えることで、共に長清水の日々の景
色のひとつを作り、寄り添い続ける存在であること
を願っています。
081
私にとって長清水番屋建設プロジェクトは、「建築」
前は普通だった光景を取り戻すこととなりました。
繋がりを生み、これからを創造するものだというこ
中、それは集落の方々にとって小さな一歩だったか
が “もの” としての形をつくることだけではなく、
とを、あらためて実感させ、その後の自分と「建築」
との関わり方を方向性づけてくれる機会となりまし
た。
地震直後、直接の津波被災地域に暮らさない私は、
建 築 に 携 わ る 多 く の 人 た ち 同 様、 何 も で き な い こ
とへのもどかしさを感じていました。そんな中、A
Book for Our Future, 311 と し て 長 清 水 集 落 と の 交
流がスタートし、私はその中でも建物を建築すると
いう長清水番屋プロジェクトに深く関わっていくこ
ととなりました。
漁業活動を再開させる為の活動拠点を創出する。そ
れは単純に作業する場を作るということだけではな
富沢 綾子
Ayako Tomizawa
082
い重要な一歩となったのではないかと思っていま
す。地震後、4箇所の仮設住宅でバラバラに暮らし
始めた集落の方々が、2011 年の 7 月から番屋建設
の為の相談や建設作業も含め浜に再び集うことは、
長清水の浜に以前のように自然に人が集まる、地震
他にも解決しなくてはならない多くの問題がある
もしれませんが、これからの集落の復興の出発点と
しては大切な一歩だったのではないかと思います。
「一生懸命準備してきたので、こんな形になってい
るのは嬉しい。多くの方々に協力していただいて心
から感謝している」
2012 年 3 月番屋上棟日に、その日入っていた取材
に対して、そう話したのを覚えています。私たちの
活動をいつも暖かく受け止めてくれる長清水集落の
方々を始め、学生や資金協力・構造部材提供等でサ
ポートしていただいた企業の方々、多くの専門家な
ど、これまで時間をかけて一緒に準備してきた沢山
の人が長清水の浜に集い、作業に取り組み、これか
らの地域再生を一緒に考える大切な一歩を踏み出し
ました。
私はこれからもそんな場に立ち会っていけるように
建築と付き合っていきたいです。
083
084
長清水番屋Ⅱ
長清水番屋の完成後、養殖作業のための新たな仮設
作業空間を必要とする声が上がりました。番屋Ⅰへ
のデッキ追加プランとして始まり、検討を重ねた結
果、別棟としての「長清水番屋Ⅱ」の建設が決まり
ま す。 集 落 の 方 々 へ 番 屋 Ⅱ 建 設 プ ラ ン の プ レ ゼ ン
テーションを行い、建設敷地を番屋Ⅰに近接するバ
ンガロー跡地に決定。番屋と同じく基本の木構造は
株式会社シェルター、屋根部分にあたる膜の施工を
太陽工業株式会社にお願いし、さらにオーストラリ
アにて活動を展開する After Images 等の支援を受け
て 2012 年 12 月に主構造の工事が完了します。
当初の番屋Ⅱは、海浜の船着き場近くに静かにたた
ずむ、集成材のフレームに木製の床をはったシンプ
ルな構造物でした。
そ の 後、 再 び 集 落 の 方 々 と の 追 加 工 事 が 行 わ れ、
2014 年 11 月にすべての工事が完了しました。
085
086
番屋Ⅱスケジュール
2012.07
2012.08
長清水番屋への外壁加工が欲しいとの
2012.12.18
地縄張り
ディを開始
2012.12.26
建方
要 望 を 発 端 に、 追 加 造 作 計 画 の ス タ
夏期に行われる漁業作業の様子から、
-27
ブロック基礎施工
2013.01.18
幕施工/竣工
であると判断し、別棟として作業場建
2013.6
壁面・屋根の追加工事
番屋Ⅱの建設決定
2013.9.11
南面ルーバー施工
2014.11.8
西面ルーバー施工
新たな作業スペースに必要なのは屋根
設を行うことへ変更。
現地調査・スタディ・基本設計開始
2012.10.15
2012.12.21
長清水の秋の例祭にて長清水番屋Ⅱに
ついてのプレゼンテーション
かつて集落の共有施設であったバンガ
2012.10.31
ローがあった場所に敷地を決定
最終敷地測量
087
088
089
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Nagashizu Hat
August 20, 2011 at Nagashizu
Ayako Tomizawa
Toru Nakaki
Tomoaki Todome
Ayako Tomizawa Yasuka Takeda Shiori Sasaki Takahiko Sakaguchi
Ayaka Sato Ryo Horie Takahiro Aono Kotaro Usugami Takeshi Kato
Yuki Sakuyama Eri Sato Shino Takada Hanako Tsunatori Ryuki
Nagahora Kei Yagihashi Kenta Yamauchi Yuka Ootsuki Yuichiro Kado
Miki Kohata Dai Shoji Kazuki Chiba Risa Tsukuda
And the people from the Nagashizu
091
092
復興への新たな基盤
ライカジオシステムズ社のデジタル計測機「ビルダー」「ディスト」の2機種を活用し、津波被害で浸水した
長清水の平地部分の地形を測量するフィールドワークを実施しました。このプロジェクトは、新しい生活の基
礎となる情報として、震災後に津波によって変化した地形を記録するもので、土地の高低差を復興の基礎情報
として実測していきます。この実測作業は業者に委託せず、長清水に関心があり、関わっていく意思のある人
たちと手を取り合って行うことを主旨に、中田研究室との共同作業がスタートしました。
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初めて行われたワークショップからちょうど1年が
経った 2012 年 6 月の節目に、私たちは再び現地を
訪れてワークショップを開催しました。今回の内容
は、建築家青木淳氏とともに集落再生プランを考え
た「TAKADAI PROJECT」 や、 中 田 研 究 室 が こ れ ま
で浸水域の今後の活用として考えてきた「平地プロ
ジェクト」などに加え、UIA 東京大会 2011 でプロモー
ションを行った「ながしずてぬぐい」の成果や日建
設計ボランティアチームと共に考えた「逃げ地図」
プロジェクト、 さらにはライカ ジオシステムズの
協力で行った LDSP(ライカ デジタル スケーリング
プロジェクト)2 で実測した長清水地域の地形デー
タを活用したマップ制作などの情報を統合するかた
ちで、集落の方々に高台の移転と低地の利用方法に
ついての意見交換の場を設けることになりました。
当日は提案模型に集落の方から直接意見を受けて各
チームがブラッシュアップを行い、夕方からプレゼ
ンテーションと意見交換会を実施。集落の方々から
は前向きで気持ちのこもった意見が数多く寄せられ
ました。
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1
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3
4
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平地デザイン
1. 以前まではどのように外部から人の活動を呼び
3. 長清水での生活に欠かせない、漁業のための作
が、より長清水の生活に密着した提案とするため、
海産物や農産物を販売する道の駅という構想も含め
込むかということにデザインの重点がありました
平地と高台、海との接続の仕方を考えました。
平 地 を 集 落 の 土 地 と し て 共 有 す る た め に「逃 げ 地
図」の考え方を引用して、主要道路から安全が確保
できる地点まで最短距離で結ぶ、避難経路にもなる
道路を設定しました。この道路は葉脈のような形を
平地に描いています。平地を、全てが流れてしまっ
た悲しい思い出のある場所だけでないように、眺め
てほっとできるようなデザインを心掛けました。
2. 国道に面した北側の敷地にキャンプ場の管理施
設をメインとした施設の配置をしました。東側には
キャンプ場やコテージ、広場を配置し西側は主に農
地に利用します。北から南にかけての敷地割りを考
え、北から順に農地、貸し農地、水田とします。
貸し農地は、普段都市部などで生活している人が体
験的に農業をする場として利用します。キャンプ場
は、人々がかつて生活をしていたことを忘れること
のないよう設置。キャンプをきっかけに山、川、海
が一体となった長清水の地形を体感してほしいと考
えました。また、堤防のもつ圧迫感への対策として
堤防の表面を自然の土手のようになだらかに整備し
ます。
業場・農地・広場と、わかめをはじめとした地元の
た配置計画を、高台造成や「逃げ地図」と照合しな
がら検討しました。漁業のための作業小屋は海との
アクセスが最も良いポイントに、外部の人が多く訪
れる道の駅は最も高台へ逃げやすい二渡神社の麓に
配 置 し ま し た。 農 地 や た ま り 場 は 高 台 か ら の ア プ
ローチを重視し、道路の拡張を想定して設定しまし
た。
4. 生活の拠点となる高台から農作業が中心となる
平地を最短でつなぐ地点に作業小屋兼展望台を設置
しました。ここはみんなで集まれるような憩いの場
に も な っ て い ま す。 避 難 時 の ラ ン ド マ ー ク に も な
り、「逃げ地図」で考案された結果から避難に最も
時間のかかるとされる地域をカバーしています。
平地の海に近いエリアに、ワカメをはじめとする長
清水で採れる海産物の加工場を配置し作業の様子が
うかがえるようにします。道の駅と加工場を隣接さ
せ、集落で採れた海産物や農作物の直売、また農業・
漁業体験の斡旋を行うなど、集落と外部をつなぐ観
光の拠点とします。地域の中で重要な役割を持つと
ころに植栽をします。神社から広場への道への植樹
に示したように、ランドマーク、逃げ道としての目
印になります。また、神社の祭事、道の駅と連携し
てのイベントなどを催す広場も配置しました。
099
長清水集落再生の提案
長清水集落での防潮堤防建設の計画が進み、浸水域
の有効活用を考えるべく土地区画整理を行う必要性
が高まってきています。集団移転先の高台住居地域
や、現存する家屋、津波の浸水域の平地とを繋げ、
コミュニティの再生をめざした提案を行います。
震災以前に主要道路として利用されていた南北に抜
ける道路は集落のシンボルでもあります。その町道
の位置に新たに南北を結ぶ道を計画。浸水した住居
地は、共有地もしくは公共施設用地として集約され
活用します。堤防から平地への入り口にあたる箇所
には、高台と平地とを繋ぐ入り口などの接点に公共
性の高い機能を設けます。元々の農地は新たに集約
整理され、私有の農地として使われますが、一方で
貸し農地として集落外の人も農地利用をできるよう
な土地区画も設けていきます。
南北を抜ける主要道路から、津波の流出を免れた家
屋へと避難経路を確保するため、直線にして『逃げ
地 図 』 の 概 念 を 援 用 し、300m 圏 内 に 標 高 10m 地
点へと移動できる道を整備。また、堤防に突き当た
る道は袋小路とならないように畦道や共有地を配置
して繋ぎます。新たな漁港となる堤防より海側の土
地には、作業小屋や船着き場が設けられ産業の再生
を促進します。集落へ新たに堤防ができても、弊害
なく豊かな暮らしが送ることができ、更に外に開け
た環境により新たな長清水集落が形成されることを
願っています。
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Nagashizu Scape
June 2, 2012 at Nagashizu
Yasuka Takeda Ayako Tomizawa Ayaka Sato Takahoro Aono
Kotaro Usugami Yuki Onomatsu Eri Sato Hanako Tsunatori
Ryuki Nagahora
Yuka Ootsuki Saki Kagaya
And the people from the Nagashizu
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「みんなの家」建設作業に参加
宮城県陸前高田での「みんなの家」プロジェクトは、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の国別参加部門で
最優秀賞の金獅子賞に選ばれました。長清水番屋プロジェクトで支援をいただいた株式会社シェルターが施工
を担当しているということ、また伊東豊雄氏をはじめ、設計を担当された建築家の方々とアーキエイドの活動
等を通じて復興支援に共に取り組んできたという経緯から、この「みんなの家」建設作業に研究室有志で参加
しています。2012 年の 5 月の杉丸太の皮むき作業に始まり、7 ヶ月後となる 11 月に竣工式をむかえました。
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日本は漆の国と呼ばれたほど良質な漆を生産し、多
くの文化財を残してきました。しかし、今では国産
漆の生産量は激減し、99%が輸入に頼っている危機
的状況に瀕しています。かぶれるなどの理由から人
里から離れた山林へ追いやられてきたウルシ * の木
ですが、本来は平地に適した性質を持っています。
これ以上の国産漆の減少と価格高騰を防ぐため、ウ
ルシが植樹可能な人里から少し離れた広い平地が必
要とされていました。
一 方、 震 災 に よ っ て 耕 作 放 棄 さ れ た 沿 岸 部 の 農 地
は、住民の高台移転に伴い人の営みから離れつつあ
ります。しかし、かつての賑わいを取り戻したいと
いう集落の方々の思いの中で、浸水域の活用方法は
大きな問題になっていました。そこで、循環型の資
源としてウルシ栽培を通して被災地に将来的な雇用
を生み出し、漆産業と被災地の両者を発展につなげ
るアイデアがうまれました。
その後、日本漆総合研究所・山形森林研修センター・
宮城大学による合同組織「宮城ながしず漆研究会」
を発足し、100 本のウルシを植えることができまし
た。 植 栽 か ら 漆 の 採 取 が で き る ま で に は 15 〜 20
年の歳月が必要とされ、このプロジェクトは地域に
根ざした活動としてまだ始まったばかりです。
* 樹木としての漆はウルシと書きます
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J-POP サミットフェスティバル
アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコで毎
年開催されている「J-POP サミットフェスティバル
2013」 に、 長 清 水 で の 漆 産 業 支 援 活 動 の プ ロ モ ー
ションとして参加しました。「J-POP フェスティバ
ル」とは日本のサブカルチャーを紹介するイベント
で、土岐謙次助教の制作した漆アートワーク「鎧ふ
かたち」とともにプロジェクトを出展。今回のため
に新たにデザインされた、「ながしずてぬぐい 漆
と杜」も披露されることとなりました。
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支援活動のネットワーク化
東日本大震災をうけて発足した「ArchiAid」は、建築家による復興支援ネットワークです。毎年作成されるア
ニュアルレポートでの情報発信のほか、神戸、金沢、ロザンゼルス、韓国や台湾など国内外各所での展覧会に
参加しています。中田研究室では、宮城大学が推進している南三陸町が復興の過程で抱える問題の解決を支援
し、住民主体の復興を後押しする「専門家ネットワーク構築事業」の一環として、南三陸町を広く情報発信を
行っています。
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リアスアーク美術館は宮城県の気仙沼・本吉広域圏
における文化施設として開館しました。東日本大震
災による長期休館以降は「東日本大震災の記録と津
波の災害史」 を常設展示しています。2014 年 9 月
に開催された「震災と表現 BOX ART 共有するため
のメタファー」は開館 20 周年の記 念展であると同
時に、震災から 3 年というタイミングにおいて「震
災とは何か」を問う美術展となりました。宮城大学
中田研究室は、震災以降の長清水集落での活動を通
して読みだされたテキストを造形にした作品「対話
のジュークボックス」を出展しました。作品のテー
マである「対話」は、言葉を交わすことから始まる
様々な思考や行為全てが長清水と私たちの対話であ
り、その対話をつくりだすためのデザインを続けて
きた、という思いから導かれました。モチーフとし
たテキストは 、3 年分の活動が記録されたあらゆる
媒体—本や漫画、ワークショップの議事録、SNS で
の投稿など—から集めたものです。積層した対話の
中に込められた発想や想いが音楽のように奏でら
れ、未来の創出に働きかけていく様子を表す作品を
制作しました。
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An Architecture of Relationships – CASS School of Architecture Diploma Unit 10
London Metropolitan University
16 proposals for Higashimatsushima, Miyagi Prefecture, Japan
CASS School of Architecture Diploma Unit 10
HOPE is not just to repair and restore, but to build
interventions across a range of scales and ambitions,
about the longer term future of the areas that are
is concerned with developing and designing
and seek as far as possible to develop authentic
proposals in socially, economically, politically and
environmentally challenging contexts. Central to the
philosophy of the unit is the notions of tolerance,
generosity, an economy of means and time.
A group of 16 Postgraduate Architecture students
travelled to the Miyagi Prefecture, one of the areas
now deemed unsafe for housing, and to develop
strategies for future employment, security and
land use. We travelled to Tokyo to meet with Toyo
Ito, who’ s initiative ‘Home for All: Is Architecture
Possible Here?’ inspired Unit 10 to make the journey.
These proposals were also inspired by the incredible
bravery of all the people we met.
worst hit by the Earthquake and Tsunami in March
With Thanks to:
students at Miyagi University in Sendai, and staff at
University
2011. We were welcomed to meet with staff and
the Planning Office of Higashimatsushima and the
local NGO HOPE. After extensive walking, observing
and discussions the students chose three sites,
Omagari to the East of the City, Nobiru and Miato
Island to the West. The aim of the city officials and
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a better city. We were encouraged to speculate
In Miyagi: Professor Senhiko Nakata, Miyagi
Staff and Students, Miyagi University
Yuko Odeira, HOPE Higashimatsushima
Shintaro Tsuroda, HOPE Higashimatsushima
Staff at Higashimatsushima Town Hall
In Tokyo: Toyo Ito, Mariko Abe
16 Box titles:
and Community Spirit
weaving a connective education thread into the
Nambu Tekki craft facility
Fiona MacDonald: ‘Learning through Renga’ patchwork landscape of Nobiru, Japan to breathe
new life into the community
William Le Gresley: Spatial Setting: Re-imagining
Higashimatsushima
Kathryn Harris: Homes Possible Here? Reusing the
Conveyor Belt in Nobiru
Ayesha Khan: Growing Nobiru
John Kirwan: The Re-invention of Nobiru Station
Sophie Greene: Opportunity in an Accidental
Landscape: Work-homes for Nobiru
Yu-Pin Chan: Re-imagining Omagari Village, a
Emma Gibson: Integrating ecological diversity into
Ishinomaki Bay to re-establish lost traditions
Cassandra Vaz: Ishinomaki Bay, Facilities for Metal
Salvage. Foundry. Auction.
Zana Ziad: Re-engaging with Seasonal Crafts,
Research Station for Silk and Paper production,
Omagari
Zakiya Umar: Re-introducing the traditional craft of
Ceramics for post-tsunami development in Omagari
Mirsad Krasniqi: Revitalising Nobiru Coast, A
T h e B OX i s d e s i g n e d a n d c u rate d b y S i g n y
Wall Promenade
of School of Architecture & Associate Dean, CASS
Proposal for a Sea Wall Hotel, Public Lido and Sea
Alexandra Reed: ‘A Modern Midden’ Recycling Plant
and Public Park, Nobiru
Charlotte Perkins: Umi No Bon(Festival of the Sea)
Svalastoga, Diploma Unit 10 Unit Master, Head
Faculty of Art, Architecture & Design, London
Metropolitan University, and manufactured by
CASSWorks.
,Miyato Jima
Emily Broom: Miyato Nori Sento + Guest House
Demetri Zacharia: Re-vitalising Omagari: Biomass
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ロンドンメトロポリタン大学
今回の BOX ART 展に参加したロンドンメトロポリ
タン大学は、東松島や石巻を中心に被災地を訪れて
フィールドワークを行っています。2014 年 11 月に
来日した際には、宮城大学大和キャンパス亀倉ギャ
ラリーにて成果物のプレゼンテーションが開催され
ました。プレゼンの場には宮城大学の学生も聴衆と
して参加し、会場にピンナップされた多様なドロー
イングに刺激を受けながら、互いの交流を深めまし
た。
ロンドンメトロポリタン大学は 2014 年 9 月に宮城
大学と交流協定を結んでおり、これからの活発な関
わりが期待されています。
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河北(二子)団地まちづくり協議会
石巻市の河北(二子)団地は、東日本大震災で被災した市内3地区(河北・北上・雄勝地区)から自力再建、
公営住宅と合わせ約 400 世帯が移転する、半島部における最大規模の防集団地です。それに伴い、各地区の
代表者が集ってまちのあり方を検討する「河北(二子)団地まちづくり協議会」が 2013 年 9 月に設立されま
した。中田研究室では、石巻市役所、東北大学災害科学国際研究所とも協力し、設立から月に一度のペースで
開催される協議会にて、移転後の新しい住宅地とそこでの生活を住民の方々と共に考えるワークショップにも
ファシリテーターとして参加しています。ワークショップのテーマは、「二子団地をどんなまちにしたいか」
というコンセプトから道路計画や公園の計画、コミュニティ形成等の具体的な内容まで多岐にわたり、模型や
図面を前に住みたいまちをイメージしながら議論を重ねています。
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復興への道のりは長く、被災地の再建は未だ遠い状
況にあります。被災直後から現地の様子を見てきた
宮城大学は、このような被災地の現状を変えるべく
芸術活動を通じて復興と再生を力づけていく活動
「海嘯に祈む(かいしょうにのむ)」をスタートさせ
ました。2012 年に金沢市で開催された「五芸大震
災シンポジウム」において宣言された声明文である
「東日本大震災の記憶を風化させず、文化芸術の力
を生かし、今後の活動を行っていくこと」「文化芸
術を通じて、被災地の方々の想いに寄り添う行動を
目指すこと」を受けて、五芸術大学より教員・学生
を被災地である南三陸町に招き、現地の情景や自然
の観察、被災者との対話・交流を行い、被災地にお
いて住民の心に寄り添う芸術・創作活動を展開。そ
れによってアートを架け橋とした文化・人的交流を
促進するとともに、被災者の心の安らぎや潤いのあ
る生活の実現に寄与していくことを目的としていま
す。2013 年 9 月にはこの活動の第一歩となるワー
ク シ ョ ッ プ が 京 都 市 立 芸 術 大 学、 金 沢 美 術 工 芸 大
学、宮城大学によって共同開催されました。
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ワークショップスケジュール
1日目 志津川の防災庁舎跡周辺を視察
さんさん館にて工藤真弓さん製作の
「紙芝居」を鑑賞
2日目 気仙沼リアスアーク美術館見学
南三陸町歌津地区寄木にて地元漁師の方か
ら津波被災時の様子のお話
志津川さんさん商店街を見学
さんさん館にて宮城大学理事で芸術家の高
山登氏より自身の作品「遊殺」の講義
芸術での復興について意見交換
3日目 南三陸町戸倉折立(とくらおりたて)の瓦
礫処理プラントを見学
戸倉地区神割崎(かみわりざき)仮設住宅
を視察
神割崎見学。
石巻市北上、大川小学校跡地を見学
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サイン計画
南三陸町入谷に位置する「さんさん館」は、廃校と
なった木造校舎を再活用した宿泊施設です。南三陸
町への来訪者が集まる場所として充分に機能するべ
く、道しるべとなる看板が求められていました。
金沢美術工芸大学と宮城大学の共同プロジェクトと
してさんさん館のサイン計画が始動し、豊かな緑に
囲まれた入谷地区の魅力を伝えるようなサイン・モ
ニュメントを作るべく、2014 年 7 月には現地調査
を兼ねたヒアリングを実施。2015 年春の施工にむ
けて、たくさんのスケッチと議論を重ねています。
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長清水番屋・改
防潮堤工事によって、漁業作業活動の拠点である長
清水番屋の解体・移築が迫られています。新しい作
業拠点は防潮堤工事が完了し港の形態が確立してか
らそれに合わせ再建されるべきですが、それまでの
間、集落の人々は地域の風景を再び失うこととなっ
てしまいます。本作品はこれを防ぐため、人々の心
の拠り所という長清水番屋の機能を一時的に預か
り、将来新たな作業拠点が再建される際にこの機能
が継承されることを展望としたアート作品です。東
京藝術大学のトム・ヘネガン研究室とともに現地を
訪れ、新たな番屋の姿を検討しています。
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海嘯に祈むプロジェクトは、2015 年 2 月に数ある
プロジェクトを一堂に会した展覧会を宮城大学大和
キャンパスにて開催することが決定。今後も被災地
に寄り添った芸術活動を展開していきます。
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Kaisho ni Nomu WorkShop
September 25 - 27, 2013 at Iriya "San-San Kan"
Toru Nakaki
Yuki Onomatsu Yuichiro Kado Dai Shoji Yudai Itamiya Eri Sato
Kanazawa College of Art
Kyoto City University of Arts
And the people from the Nagashizu
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活動の総括とプロモーション 学内においても積極的にプロモーション活動を行い、長清水の現状を発信し続けています。宮城大学オープン
キャンパスではプロジェクトのアーカイブを制作し、研究室の学生が来場者一人ひとりに活動のプレゼンテー
ションを行いました。また、毎年年度末に行われる全学部を対象としたエキシビジョンである「PRACTICE」
展への参加も行っています。2014 年度は「海嘯に祈む」と「PRACTICE」の展示が宮城大学大和キャンパスに
て同時開催されることが決定し、さらなる盛り上がりを見せています。
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コミック誌 掲載 "Good Design"
「A Book for Our Future, 311」の活動が月刊エレガンスイブ 2013 年 1 月号(秋田書店)にコミックとして掲載
されました。作画はあしだかおるさん。出版後あしださんから研究室宛てに執筆当時の思いを綴るメールが届
きました。漫画は「ながしずてぬぐい」や、
「 長清水番屋」高台、平地のプロジェクト、その他数々のワークショッ
プや地域の皆さんとの交流、恊働の様子が 80 ページにわたり紹介されました。多岐にわたる活動を一覧でき
るコミックとして今後の活力に繋がるものになりました。
「<シリーズ震災> 3.11 あの日を忘れない」
絶望からの再生を目指す人々を描く、迫真の長編ドキュメンタリー、カラー 80P "Good Design"
●あしだかおる 取材協力/宮城大学・中田千彦研究室
津波で壊滅的被害を受けた南三陸町・長清水集落。集落の高台移転に大学の研究室が取り組むことに…!!
144
お世話になります。お忙しいなか丁寧なお便りあり
漫画のお仕事をして20年目になりますが、初め
と出来ませんでしたが、 家族で是非 長清水の美し
身から出た錆なのですが、、、とにかく描く!絶対仕
いた手ぬぐいをして。(一つは地元でとても発信力
がとうございました!恐縮です。
て原稿を落とす恐怖を味わいました。
いては自分の稚拙な文章に出すこと出来ずまだ途中
上げるとおばさんパワーの意地だけで仕上げた感も
お恥ずかしい話ですが、何度も中田先生にお手紙書
のまま鞄の中で、もう構えて書こうとするとまた失
礼してしまいそうなので取り急ぎメールでの乱文で
すがお許しください。
今回の作品、喜んで頂き本当に心から嬉しい気持ち
でいっぱいです。取材の際も貴重なお時間有難うご
ざいました。
実は中田先生に初めてお 会 い し て お 話 聞 か せ て 頂
き、ネットなどで調べた被災地である長清水の町の
思いや A Book for Our Future,311 の活動に尽力され
てる方々の想いが私の想像していた以上に深い、強
いもので…
私では力不足なのは明白で皆さんの想いや期待に答
えられるのか…大変だ、どうしようと頭を抱えて帰
宅しました。
想いを伝え言葉を紡ぐ難しさを改めて痛感した次第
です。中木様にも沢山の的確なアドバイスを頂きま
した。青木先生、日建の谷口様にも羽鳥様にも、、、。
ネームチェックのお返事を頂くたびに、自分のなか
で消化出来なかった靄が消えていきました。全てを
否めず、画力や構成共にデザインのプロの方々に見
て頂くには粗末だとは思いますが、エレガンスイブ
の読者層の40〜50代の方々の高校生や大学生に
なるだろう息子さんや娘さんとの話題にのぼったら
いいなあ。。。もしかしたら南三陸の被災地へのボラ
ンティアに行かれたかもしれない。。。なんて想いを
馳せてにんまりしています。
漫画を描くたび出会いがあり、描く職業につけた私
い海を見に行きたいと思っています。中田先生に頂
のある農作業とおしゃべりの大好きな校長先生にお
譲 り し ま し た。 漫 画 を 読 ん で 頂 い て い た こ と も あ
り、大変感動されて喜んで頂きました。きっと冬で
も首に巻いていろんなところで発信してくれると思
われます。(*^_^*))
長々と稚拙な文章を綴ってしまいましたが、この度
は本当にお世話になり有難うございました。
は幸せだなぁ といつも感じていますが、そのなか
被災された方々に心癒される未来が描かれること心
しい気持ちでいっぱいです。
私に出来ることがあれば是非何でも仰って下さい。
でも今回はとびきり素敵な御縁頂け本当に光栄で嬉
A Book for Our Future, 311 は共存の絆。
希望の光に導かれ(手繰り寄せ)確実に一歩ずつ前
に進んでいる長清水の町や人の姿は躍動的で描き進
めるほどに私も励まされ勇気づけられました。
から祈っています。
微力ながらお力添え出来ることがあれば嬉しいで
す。
今後とも幾久しく、どうぞ宜しくお願い致します。
頂いた写真資料も作画作業上描き易いようにアレン
本日こちらでは雪が降りましたが小6の息子は半袖
たってなければよいのですが…漫画に登場して頂い
体 感 温 度 は 変 え ら れ る そ う で す。(競 泳 選 手 で す。
ジ し て 描 か せ て 頂 い た 部 分 も 多 々 あ り、 失 礼 に あ
た皆様にもくれぐれも宜しくお伝え下さいますよう
お願い申し上げます。
で外を走り回り、プール練習に行きました。気合で
専 門 は バ タ フ ラ イ。 先 生 も 泳 が れ て い る ん で す よ
ね? (*^^)v)
想像で描くお話とは違い、進んでは戻りの作業で進
加 え て、 現 地 へ の 取 材 の 際 に は 研 究 室 の 皆 様 は じ
それでは、寒さ厳しい冬の到来。ご多忙だとは思い
した。直接お会いしてお礼をいう事も出来ずで失礼
感謝の限りです。
行も大幅に遅れた不安のなか、本当に助けて頂きま
していますが、どうぞ宜しくお伝え下さい。
め、及川様、須藤様、佐藤様にも大変お世話になり
日程と諸事情で駒林さんと共に長清水の町に伺うこ
ますがくれぐれもお身体ご自愛下さいませ。
あしだ かおる
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The Book 編集
Good Design Award 2012 の応募に際して「A Book for Our Future, 311」のアーカイブを行うために、多種多様
なプロジェクトを総括する概念としての「a book」を実際の 1 冊の本というかたちにしました。その後新しく
"The Book" を製作することになり、ゼミ生も共にページレイアウトなどに参加し、2013 年 1 月に発行されま
した。
そこから1年後、"The Book 2" の編集がスタートし、2011 年から 2014 年までの活動を収録した再編集が行わ
れることとなりました。
146
グッドデザイン賞の展示に向けてプロトタイプであ
さや、学生の真摯なようすが、私にはとてもまぶし
スタートしてから約 1 年後の 2012 年春。長い復興
やデータはもちろんですが、その人々のようすこそ
る “a book” を編集し始めたのは、プロジェクトが
計画の途中、枝葉を伸ばし始めていたプロジェクト
を一度とりまとめて、どこまで歩みを進めたのかを
知る時期でした。編集の担当を任されたときは、自
分に全うできるかの不安はありましたが、ただ、や
るしかないなという気持ちでもありました。
ゼミ生に協力してもらいながら、なんとかひとつず
つを形にしていった様子はこれまでの活動のプロ
セスをトレースしているようにも感じていました。
“The Book” の編集活動は、いわば情景の記録だと
思っています。
“A Book for Our Future, 311” の活動は、その理念や
動機はシンプルですが、実際の内容は複雑で、なか
佐藤 江理
Eri Sato
なか説明が難しいプロジェクトです。実際に「復興」
はいちいち、答えがありません。必然的になにを選
く思えていました。各プロジェクトにまつわる説明
“The Book” にまとめるべきであり、そして、それ
らは少なくない人にエネルギーを与えられるとは予
感がありました。
一 度 ざ っ と “The Book” を 見 て い た だ い て「 よ い
教育を受けたね」と言っていただいたことがありま
す。海外の人に見せて、強い共感をもらったことも
ありました。渦中では自分たちの行っていることが
どう具体的に波及するかまでは気づけないかもしれ
ませんが、このプロジェクトで繰り広げられてきた
ことの意義を確信できる日が来ると思います。そう
いった意味でも、“The Book” はマイルストーンと
し て の 役 割 を 果 た し て い る と、 今 で も 思 っ て い ま
す。
択すべきかを一つずつ確かめていくことの連続にな
らざるを得ないと思います。その過程はとうぜん苦
難に満ちているとはいえ、長清水のみなさんの逞し
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Good Design 賞 受賞
宮 城 大 学 中 田 研 究 室 や 長 清 水 の 皆 さ ん を は じ め と し た Team A Book に よ る プ ロ ジ ェ ク ト「A Book for Our
Future,311」が 2012 年にグッドデザイン賞を受賞いたしました。
たくさんの方々が真摯に、そして誠実に関わってくださった出来事が、栄えある評価を頂くことが出来ました。
そして、首都大学東京渡邊英徳先生研究室の「東日本大震災アーカイブ」がグッドデザイン賞 2013 復興デザ
イン賞を受賞しました。
宮城大学中田研究室も南三陸町長清水集落における証言のバイノーラル録音データや写真データを提供して制
作のお手伝いをさせていただき、今回は共同受賞という栄誉をいただきました。
ここにご報告をさせていただきますと共に、みなさまに改めて感謝申し上げます。
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受賞対象名 |
受賞対象名 |
[A Book for Our Future,311]
[ 東日本大震災アーカイブ ]
地域再生復興プロジェクト
事業主体名 | 南三陸町戸倉地区長清水契約講
分類 | 都市づくり、地域づくり、コミュニティづくり
受賞企業 | 宮城大学 Team A Book ( 宮城県 )
受賞番号 | 12GC31052
プロデューサー | 中田千彦
デジタルアーカイブ
事業主体名 |首都大学東京 渡邉英徳研究室
分類 | 公共のためのメディア・ソフトウェア・コンテンツ
受賞企業 | 首都大学東京 渡邉英徳研究室 ( 東京都 )
宮城大学 中田千彦研究室 ( 宮城県 )
受賞番号 | 13G141146
ディレクター | 中木亨、武田恵佳、富沢綾子、青木淳(青
プロデューサー | 渡邉英徳
デザイナー | 小室理沙、佐藤絢香、佐々木詩織、佐藤江理、
デザイナー | 佐々木詩織、太田裕介、佐々木遥子、野澤万
木淳建築計画事務所)
大槻優花、dezajiz.
ディレクター | 渡邉英徳、中田千彦
里江、田島佳穂
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2011
3
4
5
6
7
8
4 A Book for Our Future,311 ワークショップ
9
30 -31 宮城大学にてオープンキャンパス展示
11 NHKラジオ
「渋マガZin仙台」公開生放送
22 UIA Tシャツ 納品
28 UIA 2011東京大会
第24回世界建築会議 23 -25 早稲田大学にて日本建築学会大会(関東) パネル展示
4 A Book for Our Future,311 ワークショップ
13 READY FOR? 訪問
「ながしずてぬぐい」
プロジェクト提案
12 READY FOR?
(オーマ株式会社)
訪問
17 ながしずてぬぐいプロジェクト成立
16「ながしずてぬぐい」初回打ち合わせ
ながしずてぬぐい
4 長清水集落契約講寄合にて贈答
30 目標金額50%達成
29 デザインコンセプト公開
3 志津川少年自然の家仮設住宅にて贈答
28 READY FOR?登録 (ながしずてぬぐいリリース)
30 宮内氏(青木淳建築計画事務所) 2 宮内氏、吉田氏(佐藤総合)、森氏(日本設計)
4 A Book for Our Future,311 ワークショップ
長清水視察
長清水視察
18 - 19 青木淳氏 視察
28 UIA 2011東京大会
第24回世界建築会議 29 ながしずてぬぐい 納品
1 ながしずてぐい 梱包完了
11 TAKADAI PROJECT 発足
TAKADAI PROJECT
4 A Book for Our Future,311 ワークショップ
平地デザイン
20 基礎実測
24 ゲンスラー社と打ち合わせ
30 シェルター社と打ち合わせ
ナガシズハット
11 東日本大震災 発生
16 2012年度中田研究室初ゼミ
緊急災害対策本部設置(国土交通省)
1 Yonsei Index Design School 開始
20 ハーマンミラーにて支援オークション
19 Archi Aid 発足
21 原田氏(マウントフジ)視察
22 震災後 及川氏と初コンタクト
23 及川氏に仙台にて救援物資を渡し 長清水支援の依頼を貰う
31『DECADE EXTRA』打ち合わせ
27 及川氏に仙台にて中田千彦を紹介
30 復興基本方針制定(政府)
24 青木淳氏特別講義
15 中田千彦 栗原市細倉佐野住宅被害状況の確認
17 日建設計特別ODブレインストーミング
29 京都工繊シンポジウム
「応急から復興へ」
150
28 戸倉地区町民復興会議
6 中田千彦 初長清水入り
13 東北大学にて報告会
30 Archi Aid 法人化
26 戸倉地区町民復興会議
3 せんだいメディアテークにて重松氏(OMA)被災地視察
7 宮城大学機関誌 DECADE+4再始動
8 - 9 江頭慎氏(AA school)視察
16 東北六魂祭
5 山形スポーツセンター視察
坂茂氏仮設間仕切り
(シェルター施工)
1 バイノーラル収録
10 山代悟氏(ビルディングランドスケープ)視察
23 宮城大学植樹祭
25 松田達氏被災地視察
Yonsei Index Design School 終了
5 長清水集落契約講寄合
12 宮城大学にて灯籠流し
15 仮設住宅必要戸数5万2000戸中
9割の4万7000戸が完成
26-9/4 金の卵オールスター
デザインショーケース
10
11
2012
1
12
1-14ブラジルRIOPPRETO Shoppingにて日本現代建築展
「RESET 11.03.11 #New Paradigms」巡回展
11「JA」掲載版図版 作成作業開始
2
3
2 パシフィコ横浜にて「東京ガス暮らしのデザイン展」
A Bookプレゼンテーション
4
5
6 東北大学にてNHK『復興カレッジ』
テレビ収録
8-31 カタルーニャ建築家協会の展示スペースにて
日本現代建築展「RESET 11.03.#New Paradigms」巡回展
13 ローズファンド インタビュー
3 3331 Arts Chiyoda 102号室にて
「ADcafe 3.11 vol.4」 A Bookプレゼンテーション
13 JA YEAR BOOK 発行
2 東京大学安田大講堂にて
「失われた街」シンポジウム
- ゼロ地点から考える
「『建築』に何が可能か?」はいかに共有出来るか
28 ながしずてぬぐい産經新聞に掲載
31「ながしずてぬぐい春」初回打ち合わせ
23 ながしずてぬぐい
デザインウィーク せんだい 学生部門展示
24 中木亨、佐藤絢香 青木淳建築計画事務所へ
ゲンスラー社との打ち合わせ
13 - 17 PRACTICE展示 出展
13 JA YEAR BOOK 発行
6 青木淳建築計画事務所にて彰国社取材
8 青木淳氏 長清水訪問
TAKADAI PROJECT 掲載
27 青木淳建築計画事務所にて打ち合わせ
18 - 22 中木亨 青木淳建築計画事務所へ
13 JA YEAR BOOK 発行
平地デザイン 掲載
19 東京都港区外苑にて
5「ながしずてぬぐい春」納品
17「ながしずてぬぐい春」入稿
2 - 18 国際交流基金巡回展
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
18 名称変更:
「ゲンスラー小屋」→「長清水番屋」
11 長清水にて
ゲンスラー小屋プレゼンテーション
19 建築確認申請 合格
27 地鎮祭
19 計画変更
13 - 17 PRACTICE展示 出展
8 展示のための初回打ち合わせ
28 シェルター社との打ち合わせ
29 長清水にて施行打ち合わせ 17 コンクリート打ち
14 - 15 ゲンスラー社一行視察
5 基礎着工
3 - 12/24 TOTOギャラリー・間にて
「311 失われた街」展
22 完了検査済証発行
16 屋根取付け
4 長清水番屋 上棟式
3 番屋土台
1 dezajiz.オーナメント初回打ち合わせ
13 - 1/15 東京都現代美術館にて
「失われた街 -三陸に生きた集落-」展
21 完了検査
30 プロトタイプ作成1回目
4 オーナメントデザイン発表
28 取付けのための小屋の採寸
11 山梨氏(日建設計)視察
23『逃げ地図』
ワークショップ
打ち合わせ
13 長清水集落契約講寄合
24 土木コンサルと打ち合わせ
28 - 30 Leica Digital Scaling Project 2 長清水にて実測
18 YATAI HERE YATAI THERE 初回打ち合わせ
10 Leica Digital Scaling Project 2 宮城大学にて実測演習
13 YATAI HERE YATAI THERE 打ち合わせ
19 陸前高田市「みんなの家」
杉の皮むきワークショップ
22 宮城大学にてYATAI 打ち合わせ
15 集団移転促進事業説明会
7 - 8 長清水契約講 山散策
23 役所移転候補地視察
10 高台移転と住まいに関する説明会
18 長清水集落契約講寄合
27 地鎮祭
5 長清水集落契約講寄合
30 ドイツ大使館南三陸視察
22 鶴岡慎太郎氏(AASchool)視察
25 長清水集落契約講寄合
25 日建設計シンポジウム
26 YATAI HERE YATAI THERE
in 長清水 with AAschool
27 逃げ地図ワークショップ
志津川+長清水 with 日建設計
17 - 26 韓国の慶星大学校第一美術館にて
「3.11- 東日本大震災の直後、
建築家はどう対応したか」出展
26 - 6/24 ロシアのシューセフ名称国立
建築博物館別館「ルイーナ」にて
「3.11- 東日本大震災の直後、
建築家はどう対応したか」出展
151
6
7
2 第2回ワークショップ
「ナガシズスケープ」
8
10
9
2 在英日本大使館にてYATAI オープニング、A Bookレクチャー
23 Good Design Award 2012 2次審査
11
17 A Bookコミック化「Good Design」打ち合わせ
12
7『東日本大震災復興における芸術における役割』
28 A Bookコミック化取材
1 Good Design Award 2012 受賞
19 建築ノートによる取材
五芸大震災支援シンポジウム金沢21世紀美術館にてA Book講演
22 Good Design Award 2012 受賞式
super delaxでのpechakucha nightにて
12 mosaki事務所にてThe Book打ち合わせ
A Bookプレゼンテーション
25 日本デザイン振興会による取材
26 月刊エレガンスイブ1月号 発行
5 高台造成地1/100模型のプロトタイプを制作
2 第2回ワークショップ
「ナガシズスケープ」
9 高台造成地1/100模型を制作開始
2 第2回ワークショップ
「ナガシズスケープ」
15 長清水番屋Ⅱについてのプレゼンテーション
5 - 6 長清水の阿部氏と打ち合わせ
14 太陽工業の山内氏と番屋Ⅱの
屋根部分に関する打ち合わせ
31 番屋Ⅱ敷地測量
26 - 27 番屋Ⅱ建て方
21 番屋Ⅱ基礎着工
17 オーナメント設置
2「ナガシズスケープ」にてオーナメント完成品贈呈
20- 10/24 イタリアのローマ日本文化会館にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
7 陸前高田市の
「みんなの家」上棟式
17 Leica Digital Scaling Project 2 追加測量
27 陸前高田市「みんなの家」作業
29「みんなの家」
ヴェネチアビエンナーレ
金獅子賞 受賞
20 the book 初回打ち合わせ
21 土木コンサルと打ち合わせ
5 気仙沼の合同庁舎にて防潮堤の打ち合わせ
1 長清水浸水区域の一部を除き災害危険区域に指定
5- 22 韓国のソウル歴史博物館にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
14 高台造成についての説明会
15 長清水例祭
24 Jクリストファー パーヴィス様
フィリダ パーヴィス様(Links Japan 代表)
ローズファンド支援対象地域視察
契約講が立ち会い
20 復興事業推進課と打ち合わせ
27 石巻にてドイツサッカー連盟による
宮城県女子サッカーチームの
コーチング支援のボランティア
152
29- 12/18 中国の清華大学建築学院にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
(The Japan Scoety, UK : 英国 日本協会 名誉副会長)、
19 河川堤防工事による土地境界線に
6- 12 韓国の麗水市鎮南文芸会館にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展 30 お月見総会
14- 2/2 ドイツのケルン日本文化会館にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
16 防潮堤についての打ち合わせ
14 地権者打ち合わせ・長清水水道山散策
16- 6/15 アルメニアのアレクサンドル・タマニアン・
リサーチ・インスチチュート・ミュージアムにて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
18 陸前高田市の
『みんなの家』竣工式
3 陸前高田市『みんなの家』作業
マルコ・インペラドーリ教授(ミラノ工科大学)視察
27 ヴェネチアビエンナーレ オープニング
2 長清水集会
30 測量設計業者、復興事業推進課が
長清水水道山視察
9 防災集団移転促進事業(高台移転)
参加確認書(長清水地区)提出締切
19- 11/7 中国の香港中文大学建築学院エキシビジョンゾーンにて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
2013
1
1 the book発行
2
3
4
5
6
7
8
17 NHK「TOMORROW 生まれ変わる伝統のデザイン
~ウルリカ・ハイドマン・ヴァリーン/デザイナー~」放映
13「建築ノート No.9 未来のまちづくり」掲載
6「ながしずてぬぐい冬」納品
6「ながしずてぬぐい漆と杜」
テーマ決定
10「ながしずてぬぐい漆と杜」最終図案
18 - 24 PRACTICE展示 出展
17「ながしずてぬぐい漆と杜」納品
20 - 21 PRACTICE オープンキャンパス展示 出展
2 番屋Ⅱ追加工事
27-28 サンフランシスコ「J-POPサミット」出展
ながしず漆研究会
30 海嘯に祈む
(かいしょうにのむ)ー復興にアートの力をー」がスタート
海嘯に祈む
27- 3/19 ハンガリーのブダペスト建築センターにて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
8-6/12 米国のノースイースタン大学インターナショナル・ヴィレッジにて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
11-22 中国の西南大学美術学院美術館にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
17-5/14 ドイツのバイエルン州最高建築局エントランスホールにて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
7-25 イスラエルのエルサレム市役所内
シティモデルハウスにて
「3.11- 東日本大震災の直後、
建築家はどう対応したか」出展
27-9/27 メキシコのイベロアメリカ大学にて
「3.11- 東日本大震災の直後、
建築家はどう対応したか」出展
16-8/11 メキシコのオアハカ現代美術館にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
153
10
9
11
2014
1
12
2
3
9 仙台ロフト
「デザインで繋がろう!東北商品 with 宮城大学」にて販売
4
5「ながしずてぬぐい漆と杜」春バージョン納品
17 - 20 PRACTICE展示 出展
11 番屋Ⅱルーバー施工作業
8 整地のための立木伐採、除草作業
9 植樹祭
21 ADOX社にてJ-POPサミットフェスティバル参加報告会
7 サイン計画現地視察
25 - 27 海嘯に祈む 初回ワークショップ
12 長清水視察
14-16 釜石みんなの家
ワークショップ
20 釜石みんなの家
ワークショップ
4 - 24 兵庫県神戸市のKII+O:にて
「EARTH MANUAL PROJECT」展
6 ロンドンメトロポリタン大学来訪
17 第4回河北(二子)団地まちづくり協議会
12 第3回河北(二子)団地まちづくり協議会
8-9 南三陸町漆植樹に山本先生参加 フィールドワーク
27 京都市立芸術大学 山本麻紀子先生 企画書再提出
30 宮城大学復興支援コンサート
「第九」演奏会会場装飾
25 - 11/28 ドイツ・ベルリンのアエデスギャラリーにて
「The Great East Japan Earthquake
ArchiAid: Rethinking-Reconstruction」展
27 第1回河北(二子)団地 16 第2回河北(二子)団地
まちづくり協議会
まちづくり協議会
24 skypeで各大学間をつないでの全体ミーティング
1 加美町にて
「上多田川小学校の子供たちがそそいだ
まなざしの花をさかせよう」
プロジェクト ワークショップ
18 宮城大学大和キャンパス交流棟前にて
「遊殺」追加制作
23 第5回河北(二子)団地まちづくり協議会
21-6/20 米国のハワイ大学マノア校建築学科にて
「3.11- 東日本大震災の直後、
建築家はどう対応したか」出展
7-11/8 メキシコのモンテレイ大学芸術・建築・デザイン棟ギャラリーにて
26-3/18 英国の在英日本大使館展示会場にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
17-11/15 スペインのカサアシアにて
21-2/9 スペインのセントロセントロ・シベレスにて
21-2/9 カナダのモントリオール大学展示センターにて
6-23 米国のウェイン州立大学学部生用図書館にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展 「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展 「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展 「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
154
5
6
7
8
10
9
16 初回ミーティング
震災と表現 BOX ART
10 作品搬入
11
12
19 ロンドンメトロポリタン大学と展示視察
17 - 11/3 リアスアークにて展覧会
30 新デザイン初回打ち合わせ
2015.2
新デザインを
「ながしずてぬぐい雲」
に決定
25 - 1/4「Groundswell: Guerilla Architecture In Response To
The Great East Japan Earthquake」展 出展
2015.2
宅地引き渡し予定
2015.2
宅地引き渡し予定
10 番屋Ⅱルーバー塗装作業
17 番屋・改 東京藝術大学にてトム・ヘネガン研究室と顔合わせ
8 番屋Ⅱルーバー施工完了
21 東京藝術大学トム・ヘネガン研究室と長清水視察
11 - 10/23 ウェスティンホテル仙台「The Westin Art Showcase Exhibition」
「Tele-Flow」を出展
19 - 8/8 東京芸術大学美術館にて
「マテリアライジング展Ⅱ 情報と物質とそのあいだ」
「Tele-Flow」を出展
26-29 山本先生南三陸町フィールドワーク
6 入谷にてサイン計画のためのヒアリング
13-15 山本先生南三陸町フィールドワーク
26-29 山本先生南三陸町フィールドワーク
22 山本先生ワークショップの
チラシ配りのため南三陸町入り
7「上多田川小学校の子供たちがそそいだ
まなざしの花をさかせよう」展示準備
30 第6回河北(二子)団地まちづくり協議会
24 第7回河北(二子)団地まちづくり協議会
16 第8回河北(二子)団地まちづくり協議会
3 第9回河北(二子)団地まちづくり協議会
11-28 ウルグアイの共和国大学建築学部にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
20 映像上映
25-26 ワークショップ実施
10 Fab自遊工房(仮称)開所式
8-12「上多田川小学校の子供たちがそそいだ
まなざしの花をさかせよう」学内展示
5 フィリピンのダイヤモンドホテルにて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
2015.2
宮城大学大和キャンパスにて展覧会
1 金沢21世紀美術館にて
「ジャパン•アーキテクツ 3.11以後の建築」展
13 学内亀倉ギャラリーにてロンドンメトロポリタン大学の
ディプロマ ユニット 10のプレゼンテーション
20 宮城大学復興支援コンサート
「第九」演奏会会場装飾
6-16 ペルーの日本ペルー地震防災センターにて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
9-7/14 フィリピンのフィリピン大学アジア・センター
29-10/5 ニュージーランドのカンタベリー博物館にて
GT トヨタ・ホール・オブ・ウィズダムにて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
「3.11- 東日本大震災の直後、
30-8/20 ニュージーランドのヴィクトリア大学ウェリントン・テアロキャンパスにて
建築家はどう対応したか」出展
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
21-31 ペルーのペルー国家防災庁アレキパ支部にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
17-11/21 ニュージーランドのオークランド大学建築学部にて
「3.11- 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」出展
155
2011
2014
東日本大震災から 4 年が経ちます。2011 年の 4 月初旬に南三陸
町を発災ご初めて訪ねた時は、津波に襲われた地域には累々と瓦
礫が積み重なり、その合間を縫うように長清水の集落へ向かいま
した。途中、多くの人が避難していた高台の体育館を訪ね、及川
博道さんに出会いました。以降、目前の状況に無我夢中で向き合
い、被災した地域の復旧、復興のお手伝いをさせていただいてい
ます。宮城大学の私の研究室の学生達は、必死にこうした一連の
活動に取り組んでくれました。地域の人たちとの共同作業は、彼
ら彼女ら、若い学生達の真摯な取り組みの積み重ねにより、また
それを先輩から後輩に受け継ぎ、様々に変化する状況に一つ一つ
応答しながら続けられました。いま、被災地域を訪ねてみると、
かつての町並みの面影を残していた街区の痕跡すら消失し、防潮
堤や集団移転のための土木工事が大規模に行われています。瓦礫
が撤去されて夏草が茂っていた時期の荒涼とした風景とはまた違
う、 茫漠とした情景が眼前に広がります。 そしてこの眺めもい
つしか違う光景に変わっていくことでしょう。4 年という時間の
経過の中で、私たちの取り組みは、復旧・復興支援という活動か
ら、「震災によってもたらされたその後の状況への誠実な対処の
連続」というものに徐々に意味合いを変えつつあるように感じて
います。課題、問題の本質見抜く洞察力、どのようなことが起こ
りうるのかをしっかりと考えられる想像力、そしてよりしなやか
で臨機応変、機敏な行動力をもって一連の事態に向き合う力を備
えた人たちの勇気ある行動に、多くを頼らなければなりません。
そうした彼ら彼女らにエールを送り、勇姿を讃えることを、この
本が担ってもらえたらと思います。
2015 年 春 中田千彦
A Book for Our Future, 311
宮城大学 Team A Book
中田千彦
中田研究室
dezajiz. |
A & A エーアンドエー株式会社
龍生 八木橋慶 山内健太 米山貴士
援ネットワーク
薄上紘太郎 加藤健志 作山悠貴 佐藤江理 長洞
2011 年度卒|
宮城大学機関誌 DECADE 編集部|
美 新田祥吾 細田望 堀江亮 益田佳奈 萬代景
鈴木美咲 武藤夕依
浅野純平 小室理沙 坂口貴彦 佐藤絢香 中下知
子 佐々木詩織
2012 年度卒|
青野孝裕 伊藤千晴 薄上紘太郎 小野松由紀 佐
伯花恵 佐々木琴乃 佐藤江理 髙田詩乃 綱取は
石 田 芳 芦 立 香 織 加 賀 谷 咲 後 藤 沙 紀 藤 井 藍 東 京 藝 術 大 学 | ト ム ヘ ネ ガ ン 佐 藤 時 啓 金 泰 範 崔在弼 堀内万佑子 添田昂志
な こ 文 屋 泰 斗 山 内 健 太 米 山 貴 士 武 田 恵 佳 京都市立芸術大学|山本麻紀子
2013 年度卒|
金沢美術工芸大学|安島諭 鈴木僚 秋山朝子
佳根 庄司大 鈴木啓太 曽根由宇美 高橋恵祐
首 都 大 学 東 京 | 渡 邉 英 徳 太 田 裕 介 佐 々 木 遥 子 富沢綾子
大槻優花 角悠一郎 久慈康太 木幡美樹 斎藤亜
千葉和樹 佃理紗 山口美紀
2014 年度卒|
野澤万里江 田島佳穂
板宮雄大 大塚麻希 大友あかり 小嶋美香 川口
日建設計|
松原理恵
太郎 谷口景一朗 長尾美菜未 穂積雄平
麻衣 齋藤杏菜 佐々木涼子 佐藤絵理 鈴木実訓 2015 年度卒|
羽鳥達也 梅中美緒 小野寺望 小松拓郎 今野秀
安 部 ひ ろ 子 大 沼 紗 也 香 窪 田 千 夏 坂 本 い ず み AA School |江頭慎 鶴岡慎太郎
るか 原田菜央
株式会社 秋田書店|駒林歩
中木亨
株式会社 笹氣出版印刷株式会社|
神知輝 菅原悠太 鈴木理紗 武山加奈 馬場は
小野寺志乃 込山絵美 佐々木愛 桑島莉奈 相田
茉美 酒井拓実 相原奈央子 荒川香奈 酒井香織 あしだかおる
吉田誠吾 平井麗夏
小山田裕樹 納富洪司 横田千乃 森翔太 貝沼泉
mosaki |大西正紀 田中元子
恋水康俊(撮影協力) 小林俊之(撮影協力)
伊東豊雄建築設計事務所
土岐謙次
藤本壮介建築設計事務所
実 鈴木香織 青柳めぐみ 伊藤寿幸 阿部優理江
茅原拓朗
赤坂惟史
家村珠代
西澤徹夫
大石雅之
小池宏明
乾久美子建築設計事務所
平田晃久建築設計事務所
畠山直哉
げん氣ハウス
菅原みき子
熊谷秀一(銚子林業)
長清水の皆さん
ArchiAid 東日本大震災における建築家による復興支
DAAS 建築・空間デジタルアーカイブス コンソーシ
アム daas.jp
Emergency Architects Australia
After Images Exhibition(supported by the Faculty of
Architecture, Design and Planning at the University
of Sydney)
ゲンスラー建築事務所
Japan Society of the UK ローズファンド
オーマ株式会社
株式会社環境・建築研究所 阿部裕茂
株式会社 Shelter
A Book for Our Future,311 アーカイブ
the book
2015 年 1 月 1 日 発行
監修・発行者|中田千彦
発行 | Team A Book
編集 |小嶋美香、宮城大学 Team a Book
発行所|〒 981-3298 宮城県黒川郡大和町学苑1番地1
宮城大学事業構想学部デザイン情報学科中田千彦研究室
印刷・製本 | 笹氣出版印刷株式会社
©Team A Book 2015