Queen of Scienceの系譜

第 79 回(2002)日本生理学会大会若手の会シンポジウム
Queen of Science の系譜
東北大学生命科学研究科
八尾 寛
生理学会というのは不思議な学会です.このように一堂に会しているからには,
何らかの共通項があるはずなのですが,それがよくわかりません。参加の目的
はおそらく個人個人で異なるのではないでしょうか.以前に生理学会の各セッ
ションを脳,心臓,呼吸器,消化器などの臓器別にオーガナイズしてはどうか
という提案がありました.これに対しては,
「生理機能は臓器の属性と捉えるべ
きでない」という強い反対意見があり,現在のような機能と臓器をまぜこぜに
した分類に落ち着きました.しかし,セッションが異なるとほとんど共通の話
題がありません.自然と1,2のセッションだけに顔を出すことになってしま
います.そうすると,ほとんどの人が顔なじみなわけです.
「去年聞いた話とほ
とんど同じだ」
「彼は質問しても逃げるから質問はやめよう」などということに
なってしまい,学会そのものの活気が低下してしまいます.一方,新規参入の
人にとっては敷居が高い印象を与えています.印象だけではなく,事実そのよ
うな閉鎖的なクラブになっているのではないでしょうか.私なんかでも,質問
の手を上げると座長から「八尾先生」と呼ばれてしまうわけです.私が座長の
場合は名指しをしないように心がけていますが、このようなことを意識してい
ない人が多いように思われます。
そのような閉鎖性を生み出した責任は,もちろん私を含めた古手に原因があ
ります.閉鎖性を打破し,学会に活気をもたらそうというのがこの若手の会シ
ンポジウムの目的であるならば,非常に建設的なことだと思います.ただ,こ
の「若手」という言葉が,いかにも卑屈ではありませんか.このような言葉を
皆さんが平然と使用するところにも問題があります.
さて,生理学会に何らかの共通の理念があるのでしょうか?それぞれの参加
者の理念を各論併記的に並べ上げれば、共通の理念が見えてくるのでしょう
か?それとも、トップダウン的に理念を提唱する必要があるのでしょうか?私
のお話が、何らかの手がかりになればよいと考えています。
生理学の研究をはじめた動機もまた人それぞれに異なっています.私の場合、
大学院にはいるときに「記憶のメカニズムを知りたい」とか「理論的な研究を
したい」などという具体的な目的を持っていたわけではありません。京大の学
生時代に感じた生理学の面白さ、楽しさというか、あるいは魅力といった方が
よいでしょうか、そういうものが「生理学の研究をやりたい」という強い衝動
を引き起こしたのです。これには、もちろん、当時の井上章教授の講義の影響
があります。井上先生が「物理学が King of Science ならば、生理学は Queen of
Science なんでしょうか」と話されたとき、私は心の中で「その通り」とうなづ
いたものです。当時の私は、この「生理学」という女神に恋をしたようなもの
でした。というのは、全く理性的ではなかったからです。この女神にどのよう
な美点や欠点があるのか、その魅力はどこから来るのか、それから、これは非
常に重要なことなのですが、他と比べてどうなのか、などと冷静に考えること
はありませんでした。ただ、ひたすらに、少しでも近くにありたいと願ったも
のです。しかし、30年近いつき合いのうちに、女神の魅力が何に由来するの
かがようやく見えてきたように思います。
ここにお見せした図は、Ganong の教科書から借りてきたものですが、生理学
の魅力を代表するといえるものです。これは、皆さんよくご存じだとおもいま
すが、血液中のグルコース濃度のホメオスターシスのメカニズムを表していま
す。血液中のグルコース濃度が低下すると、膵臓からのグルカゴンの分泌を促
進し、肝臓におけるグルコースの産生を高め、血液中のグルコースを増加させ
ます。反対に、グルコース濃度が上昇すると、インシュリンが分泌され、血液
中のグルコース濃度を低下させます。この結果、血液中のグルコースは、80 mg/dl
付近に安定に維持されます。この図1枚で、グルコースホメオスターシスを物
語ることができます。実に美しい図です。しかし、Molecular Biology of the Cell
などのテキストには、この図はありません。
では、この図のどこが魅力的なのでしょうか。それは、見るものをして予測
するという行為に駆り立てるところにあります。グルコース濃度が増えたらど
うなるのか、もしインシュリンの分泌能や感度が低下したらどうなるのか、頭
の中で予測する楽しさがあります。この、
「予測する楽しさ」というのが生理学
の魅力なのではないかと考えます。別の例を見てみましょう。
これは、Ca2+電流の電流—電圧関係を示したものです。イオンチャネルの研究
に必ず出てくるもので I-V curve と呼んでいます。ヒト染色体の核酸配列の研究
報告に何ページにもわたる DNA が掲載されるように、I-V curve はイオンチャネ
ルの性質を記述するものと思われがちです。ここにおられる皆さんもそのよう
に考えておられるかもしれません。あるいは、指導教官から I-V curve をつくる
必要があるといわれたからつくった、という人もいるかもしれません。しかし、
この図には記述以上の価値があります。例えば、静止膜電位からある程度脱分
極すると内向きの電流が流れます。これが膜をさらに脱分極させる。さらに大
きな内向き電流が流れる。さらに脱分極する。といったように、条件次第では
活動電位が引き起こされることが予測されます。ここにも「予測する楽しさ」
があります。この図1枚から、さまざまに予測する楽しさが生まれてきます。
そのような予測を引き出すところに I-V curve の意義があります。次の図を見て
下さい。
これは、NMDA 型グルタミン酸受容体電流の I-V curve です。Mg2+ブロックに
より内向き電流が抑制されています。この性質が、海馬の長期増強を引き起こ
す要因になっています。しかし、ここで注目していただきたいのは、この曲線
が、Ca2+チャネルや Na+チャネルの I-V curve に類似しているところです。ここ
から、NMDA 受容体による活動電位があるのではないかと予測し、それを証明
した報告が最近ありました。つまり、グルタミン酸が存在するときに樹状突起
に NMDA 受容体を介する活動電位が生じます。単に記述するだけではなく、デ
ータに基づいて予測することにより、生理学が形づくられています。
*
私自身が生理学の研究を始めたときに、研究のどこが面白いのかと尋ねられ
たとしても、
「よくわからないがとにかく面白い」としか答えるすべを持たなか
ったのですが、今から振り返ると、つねに「予測する楽しさ」を追い求めてい
たことがわかります。例えば、次の図は、20 年ほど前の学位論文のものです。
これは、ゴキブリの巨大軸索を切断したとき、その断端が修復されるメカニ
ズムを調べた研究です。断端の近くから膜電位と入力抵抗を測定すると、切断
と同時に膜電位が減少し、入力抵抗が小さくなります。しかし、10分後には、
回復します。これは、断端が修復されたことを意味しています。しかし、最初
からねらった研究ではありませんでした。最初は、Ca2+の流入が神経の変性を引
き起こすという理論仮説を検証していました。この理論仮説の検証のため、神
経に Ca2+を注入したところ、この図のような変化が引き起こされたのです。そ
こで、神経が切断されたときにも、断端から Ca2+が流入して、同様の反応が引
き起こされるのではないかと予測しました。そのように、仮説を設定し直して
おこなったのがこの実験です。予測は的中しました。もし、Ca2+が修復に必要な
らば、Ca2+がなければ修復しないはずです。実験の結果は次のようになりました。
Ca2+を取り除くと修復は起こらないし、Ca2+濃度が低いと修復が不完全でした。
軸索の中に EGTA を注入したときも修復が抑制されました。
最初の実験結果を見ると不思議な現象に気が付きます。回復後の入力抵抗が
切断前よりも大きくなっているではありませんか。これは、どう説明すればよ
いのでしょうか。ここで一つのモデルを考えてみました。
切断前の軸索は、長さ無限大の円筒で近似することができます。このとき、
入力抵抗は、length constant λと次の関係にしたがいます。
ここで ri は軸索の内部抵抗です。λはもう1本の電極を離れたところに刺入する
ことにより測定することができます。R から ri が求まります。このモデルから、
軸索を切断すると解放端の入力抵抗は次の式にしたがいます。ここで、Lは断
端と測定部位の距離です。また、抵抗無限大の膜で修復されると3番目の式に
したがいます。これを先ほどの実験結果に当てはめた結果が次の図です。
これも予測通りになりました。すなわち、断端が高抵抗の膜により修復される
ことが裏付けられたのです。私が、この研究をきっかけとして、ますます深く
生理学にとらえられていったのは、まさにこの「予測する楽しさ」にあったと
いえます。
*
生理学の魅力は「予測する」ところにあるというのが私の考えです。今まで
の実例から、
「予測する」という行為には、大から小までさまざまなレベルがあ
ることに気づきます。例えば「断端の修復は Ca2+の流入により引き起こされる
のではないか」という大まかな予測があります。この理論仮説を検証するため
に、「断端の修復に Ca2+が必要ならば、Ca2+を除くと修復しないはずだ」といっ
た小さな予測が派生してきます。これは、一般に作業仮説と呼ばれており、実
験により検証することが可能です。モデルというものも作業仮説の一つの形態
と考えられます。さらに理論仮説に基づいて、どのような生命現象が起こるの
かを予測する行為があります。これはシミュレーションと名付けるのがよいと
思います。さらに、論理の明確でない予測があります。これを「夢」と呼びま
す。これらさまざまな予測が階層的な構築をしているのが「生理学」であると
いえます。もっとも、それぞれの区別は実際には曖昧ではありますが。
みなさんのなかから「これはサイエンスそのものの構造ではないか」という
声が聞こえてきます。その通りです。生理学に固有の理念などというものは存
在しません。なぜなら、生理学は Queen of Science だからです。あえていうなら
ば、サイエンスの結果よりはむしろプロセス、
「予測する」という行為やその構
造にこそ生理学の本質があります。
「予測する楽しさ」を追い求めていると、時々それでよいのかなという不安
に駆られます。「お前は遊んでいるだけではないか」「役に立たない研究をして
いる」
「研究に目的のないオポチュニティストだ」という声がどこからか聞こえ
てくる気がします。しかし、
「お前のやっている研究は推理小説とどこが違うの
か」という疑問に対しては、
「同じです」と答えるしかありません。ドイルのシ
ャーロックホームズシリーズに「赤毛連盟」という名作があります。ここで、
ホームズは、初対面にもかかわらず、依頼者の職業や経歴を次々と言い当てて
いくのですが、このプロセスはサイエンスのプロセスと同じです。ホームズは
また、事件の解決よりは解決するプロセスを楽しんでいるようにも見受けられ
ます。推理小説は立派な文化であり、これに対して代価を払うことに躊躇する
人は少ないでしょう。
「予測する楽しさ」というのは、人類共通の価値であると
考えて良いと思います。
*
「予測する楽しさ」になぜ価値があるのでしょうか?生理学者の Llinas 博士
の最近の著書に”i of the vortex”という非常に示唆に富んだ本があります。この本
の中で、Llinas 博士は、「こころ」(mind)の起源について論じています。彼によ
れば、生物が行動を起こすとき、その行動の結果を予め予測することから mind
が進化したとしています。彼は、ホヤの幼生を例に挙げて次のように説明して
います。
ホヤは発生の研究によく使われていますが、ドラマチックな変態をすること
で知られています。ホヤの生体は海底の岩などに定着しています。食べて、排
泄して、生殖をしてというだけの生活をしています。しかし、幼生の時期には、
ちょうどオタマジャクシの様な形をしており、活発に動き回ります。幼生には、
立派な脳や感覚器や筋肉があります。しかし、ひとたび定着すると、脳や筋肉
は失われてしまいます。定着生活は、単調ではありますが、安全でもあります。
これにひきかえ、運動は常に危険にさらされています。お化け屋敷での経験を
思い出してみて下さい。真っ暗闇の中では、私たちは一歩踏み出すのが大仕事
です。手探りをし、足場を確かめていかなければなりません。すなわち、行動
を起こす前にその行動の結果を予測する必要を再認識します。「脳や感覚系は、
予測するための器官として生まれた」と Llinas は説明します。
「定着生活を送る
ホヤの生体に脳は不必要である」。われわれ脊椎動物は、ホヤから見れば幼生の
ホヤホヤの段階で止まっていると言えます。
「活発に動き回るために脳神経系を
発達させ、速く精度の高い予測を可能にしてきた。行動の結果を予測するイメ
ージを形成する機能が mind だ」。Llinas はこのように思索を展開していきます。
生命は、このように「予測する」ことにより、その棲息領域を拡げてきまし
た。
「予測する」という行為は、われわれの生物学的な行動であるととらえるこ
とができます。また、棲息領域を拡げるという生命の使命に必要不可欠なもの
です。予測が的中した場合は棲息領域を拡大し、子孫を多く残すことができま
すが、予測がはずれた場合は死に至ります。したがって、予測が的中したか否
かは、脳の報酬系と結びついて判定されているのではないかと考えられます。
ここから「予測する」ことそのものを楽しむようになったのだと思われます。
そして、サイエンスが生まれました。サイエンスそのものは「予測する楽しさ」
を追求しているにすぎませんが、
「予測する行為」そのものは棲息領域を拡げる
機能を持っています。したがってサイエンスの後にはテクノロジーが残されて、
結果的に人類の棲息領域を拡げていく機能を果たしてきました。Queen of
Science としての生理学の発祥を尋ねていくと、そこには生命の巧妙な戦略がみ
えてきます。
漠然とした予測、これは「夢」です。まず、研究に夢を持っていろいろなこ
とに挑戦することが第一です。挑戦の数が多いほど新しい棲息領域を獲得する
ことができるからです。次に理論仮説を立てることにより「夢」を具体化しま
す。作業仮説やモデルを検証することにより、予測が正しかったか否かを判定
します。さらにシミュレーションにより理論仮説でどこまで生命現象が説明で
きるか考察します。このようなプロセスを楽しむことが生理学を作り上げてい
くのです。生理学会という集いは,おのおのの研究を持ち寄って,予測のプロ
セスの楽しみを共有する場であると考えることができます.