おわりに: 本書を執筆することになったきっかけは、2014 年の夏頃

おわりに:
本 書 を執 筆 することになったきっかけは、2014 年 の夏 頃 、東 日 本 大 震 災 学 術 調 査
(日 本 学 術 振 興 会 、2012 年 度 から 2014 年 度 )の報 告 書 の一 部 として、中 川 雅 之 さんと
顧 濤 さんと一 緒 に準 備 をしていたディスカッション・ペーパー「東 日 本 大 震 災 の社 会 経 済
的 な影 響 について」(齊 藤 他 (2014a))のかなりの部 分 が、『震 災 と経 済 』(齊 藤 (2015))とし
て出 版 されることになっていた研 究 書 に収 まりきらなかったからであった。東 日 本 大 震 災
学 術 調 査 の研 究 書 シリーズは、8 巻 から構 成 される予 定 であったことから、各 巻 の分 量 制
限 が大 変 に厳 しかった。
私 としては、3 年 間 、地 道 に取 り組 んできた研 究 テーマだったので、非 常 に残 念 であっ
た。そこで、中 川 さんと顧 さんの承 諾 をいただいて、『震 災 と経 済 』に収 めることをできなか
った部 分 を中 心 にかなり膨 らませて、震 災 復 興 に関 する一 般 向 けの書 籍 を著 そうと思 っ
た。
一 般 向 けの書 籍 として本 書 の出 版 を決 心 したのには、政 治 学 者 が中 心 の東 日 本 大
震 災 学 術 調 査 において私 たちの経 済 学 的 な論 考 が必 ずしも好 意 的 に受 け取 られなかっ
た経 験 も影 響 していた。
たとえば、本 書 の第 3 章 で議 論 してきたような「復 興 予 算 総 額 の根 拠 となったストック
被 害 額 の政 府 推 計 が過 大 であった」という実 証 的 な含 意 については、「震 災 直 後 にどれ
だけの規 模 の復 興 予 算 を提 出 すれば、『国 民 』が十 分 に納 得 するかが政 治 的 には最 重
要 の課 題 であって、ストック被 害 額 推 計 の精 度 は本 質 的 な問 題 ではない」と批 判 された。
「ストック被 害 の過 大 推 計 が明 らかになった時 点 で下 方 修 正 して、当 初 決 定 した復 興 予
算 規 模 を見 直 すべきであった」という政 策 的 な含 意 についても、「政 府 がいったん“19 兆
円 ”という数 字 を出 してしまえば、増 やすことはできても、減 らすことなど政 治 的 には絶 対 に
不 可 能 である」と再 び批 判 された。
現 実 の動 きは、政 治 学 者 たちのいう通 りであった。第 8 章 で見 てきたように、復 興 予 算
をできるだけ大 規 模 にしようとする動 きは、政 権 交 代 をもたらすほどの強 力 な政 治 的 勢 力
となった。また、政 権 が交 代 するやいなや、「復 興 の加 速 」というスローガン以 外 にさしたる
実 証 的 根 拠 もないままに、5 年 19 兆 円 の復 興 予 算 が 25 兆 円 に拡 大 された。
しかし、社 会 科 学 の研 究 目 的 は、現 実 の政 治 プロセスで選 択 された政 策 を正 当 化 し
たり、追 認 したりすることではなく、実 際 の政 策 をできる限 り客 観 的 に分 析 して、その政 策
の長 期 的 な帰 結 を予 測 し、最 終 的 には、政 策 の妥 当 性 を評 価 することであろう。経 済 学
の場 合 であれば、効 率 性 という基 準 によって政 策 を実 証 的 に評 価 し、衡 平 性 という基 準
によって政 策 を規 範 的 に評 価 していく。
そうした社 会 科 学 的 な分 析 姿 勢 は、震 災 復 興 政 策 の研 究 においても貫 かなければな
らないのでないだろうか。いわんや、ときに政 治 的 な配 慮 から、ときに被 災 者 への同 情 か
ら、ときに特 定 の利 害 や利 権 から、現 実 に選 択 された震 災 復 興 政 策 が正 当 化 されるよう
なことはあってはならない。
当 初 、本 書 では、震 災 復 興 に関 わる政 策 だけを取 り扱 う予 定 であった。それが、原 発
危 機 への政 策 対 応 も含 めようと決 心 したのには、2014 年 秋 に福 島 を訪 れたことがきっか
けとなった。原 発 事 故 からずっと一 部 不 通 となっていた国 道 6 号 線 は、2014 年 9 月 15
日 に全 線 開 通 した。その月 の末 に、レンタカーで福 島 市 から飯 館 村 を経 由 して南 相 馬 市
に出 て、そこから 6 号 線 で南 下 していわき市 まで運 転 した。途 中 、福 島 第 一 原 発 や福 島
第 二 原 発 を左 手 に見 渡 すことができた。
当 時 、避 難 指 示 解 除 準 備 区 域 については、一 般 車 でも進 入 することができた。平 日
だったこともあって、飯 館 村 では、住 民 に出 会 うことがなかった。表 現 することが難 しいが、
私 が訪 れた区 域 は、人 々の息 吹 が完 全 に奪 われてしまった空 間 のように感 じられた。富
岡 町 の海 岸 側 は、大 津 波 で損 壊 した建 物 や瓦 礫 がそのまま放 置 されていた。あたかも、
2011 年 3 月 11 日 の大 津 波 到 来 以 降 、時 間 の進 行 がまったく止 まってしまったかのよう
であった。
そのような殺 伐 とした風 景 に接 して、あまりにも悲 しい事 態 をもたらしてしまった原 発 事
故 への政 策 対 応 についても、本 書 であらためて書 き下 ろしてみようと心 に決 めた。
当 時 、私 は、法 学 者 と経 済 学 者 からなる研 究 グループで、「非 常 時 における適 切 な対
応 を可 能 とする社 会 システムの在 り方 に関 する社 会 科 学 的 研 究 」(日 本 学 術 振 興 会 に
よる課 題 設 定 による先 導 的 人 文 ・社 会 科 学 研 究 推 進 事 業 、2013 年 度 から 2015 年 度 )
に取 り組 んでいた。
私 は、その研 究 プロジェクトにおいて、原 発 事 故 直 後 の現 場 対 応 が非 常 時 対 応 マニ
ュアル(事 故 時 運 転 操 作 手 順 書 )に忠 実 に従 っていたのかどうかを調 べていた。仮 に、実
際 に取 られた手 順 とマニュアルの手 順 に大 きな乖 離 があって、そのことが事 故 拡 大 に結
び付 いていたとすれば、そこに、原 発 事 故 に対 する「過 失 責 任 」(かならずしも法 的 責 任 と
いうことはできないが)を問 えるように考 えたからである。
右 述 の研 究 プロジェクトでも、原 子 力 損 害 賠 償 や原 賠 機 構 については、とくに法 学 的
な視 点 から多 角 的 に研 究 されてきた。しかし、原 発 事 故 の「過 失 責 任 」については、棚 上
げにされたままであった。仮 に、原 発 事 故 の「過 失 責 任 」について、社 会 科 学 的 に整 理 を
つけることができれば、原 賠 機 構 を基 軸 とした原 子 力 賠 償 のありようについても、合 法 性
や適 法 性 とはまったく別 の観 点 で、規 範 的 な評 価 ができるのでないかと考 えた。第 7 章 で
詳 しく述 べたように、紆 余 曲 折 を経 て公 開 された事 故 時 運 転 操 作 手 順 書 、東 電 テレビ会
議 記 録 、「吉 田 調 書 」の厖 大 な資 料 を前 にして、政 府 事 故 調 の中 間 報 告 と最 終 報 告 を
精 読 するという途 方 もなく時 間 のかかる作 業 に取 り組 んだ。
そうした分 析 作 業 を通 じて得 られたことを一 般 向 けの文 章 として書 き下 ろし、本 書 に収
めることにした。
本 書 が出 版 されるまでには、多 くの方 々からサポートを受 けてきた。
東 日 本 大 震 災 学 術 調 査 では、鈴 村 興 太 郎 先 生 、村 松 岐 夫 先 生 、恒 川 恵 市 先 生 か
ら、数 多 くの貴 重 なアドバイスやコメントをいただいた。東 日 本 大 震 災 学 術 調 査 の研 究 メ
ンバーの先 生 方 、とくに共 同 研 究 者 であった中 川 雅 之 さんと顧 濤 さんとは、まさに二 人 三
脚 で研 究 プロジェクトを進 めてきた。
また、「 非 常 時 における 適 切 な 対 応 を可 能 とす る社 会 システムの 在 り 方 に関 する社 会
科 学 的 研 究 」では、研 究 メンバーの先 生 方 、とくに野 田 博 先 生 に大 変 にお世 話 になった。
一 橋 大 学 の時 計 台 棟 にあるプロジェクト室 で 2012 年 度 から 2015 年 度 にかけてリサー
チアシスタントとして研 究 プロジェクトに貢 献 してくれた泉 谷 将 登 、岩 佐 丈 、木 澤 諒 平 、武
藤 蔵 、張 瑩 、中 村 京 介 、サインバヤル・サランゲレル、野 津 謙 一 郎 、福 田 彩 乃 、岩 崎 有
希 子 、鈴 木 瑞 洋 の 各 氏 、プロジ ェクト 室 の 事 務 補 助 をしていた だいた 関 節 子 さんと 伊 藤
すみれさんに謝 辞 を申 し上 げたい。また、大 部 の原 稿 を丁 寧 に校 正 して いただいた山 崎
幸 恵 さんに感 謝 申 し上 げたい。
2012 年 後 半 からは、原 発 事 業 に関 わっている電 力 会 社 の方 々や原 発 関 連 のメーカー
の方 々に面 談 して、数 多 くの貴 重 な意 見 をうかがう機 会 に恵 まれた。とりわけ全 国 の原 発
施 設 の責 任 者 の方 々が責 任 感 と緊 張 感 をともなって語 る言 葉 には、学 ぶところが多 かっ
た。
本 書 で論 じてきたように、現 在 の原 賠 廃 炉 機 構 を中 核 とするスキームでは、福 島 第 一
原 発 の廃 炉 事 業 はおろか、東 電 の事 業 全 体 が頓 挫 してしまう可 能 性 さえある。一 方 、東
電 株 主 や経 営 者 、投 資 家 や金 融 機 関 、規 制 当 局 を含 めたステイクホルダーたちの責 任
のあり方 を再 考 することなしに、全 国 の電 力 利 用 者 や納 税 者 たちにさらなる負 担 を目 立
たない形 で転 嫁 しつつ、現 行 のスキームをなし崩 し的 に拡 大 することも、限 界 に達 しつつ
あるように思 えた。
そう考 えたときに、もう一 度 、福 島 第 一 原 発 事 故 の原 因 を見 つめ直 し、原 点 に戻 って
みるという作 業 が私 には必 要 であった。原 発 事 業 に関 わる多 くの人 々と直 接 面 談 し、真
剣 に議 論 できた機 会 は、そうした作 業 にとって貴 重 であり、必 要 不 可 欠 であった。私 の
数 々の愚 問 に辛 抱 強 く答 えていただいた方 々に深 く感 謝 申 し上 げたい。
本 書 の出 版 については、日 本 評 論 社 の守 屋 克 己 さんに相 談 したら、快 く引 き受 けてい
ただいた。守 屋 さんの勝 手 な(?)心 積 もりでは、前 著 の『原 発 危 機 の経 済 学 ―社 会 科 学
者 として考 えたこと』(齊 藤 (2011))から将 来 書 くと約 束 していた『続 ・原 発 危 機 の経 済 学 』
に続 く三 部 作 のうち、本 書 が第 二 作 という位 置 付 けであった。しかし、正 直 なところ、今 の
私 に は、第 三 作 の 出 版 ができる かどうかま った く自 信 がな か った。む しろ 、「 最 期 の 一 冊 」
になってもかまわないというぐらいのつもりで本 書 の原 稿 と格 闘 してきた。守 屋 さんには、出
版 の最 初 から最 後 までお世 話 になり通 しであった。
ここに本 書 の出 版 に至 る までにさまざまな形 で支 えていただいたすべての方 々にあらた
めて謝 辞 を申 し上 げたい。
最 後 に、本 書 の執 筆 期 間 、必 ずしも体 調 のすぐれなかった私 を勇 気 づけてくれた晶 子 、
肇 、茜 に本 書 をささげたい。
2015 年 8 月 15 日 、戦 後 70 年 目 の終 戦 記 念 日 に
齊藤 誠