⑱ 中陣・屋敷跡 馬返しの坂を登って行くと途中で 少し平らな場所に出ます。その先は 再び急坂になっています。この平ら なかじん な場所は「中陣」と呼ばれ、衣笠合 戦の時に太田和義久らがここを守っ たと伝えられています。三浦氏の館 も山の上ではなくこの辺リだったと いう考え方もあリ「屋敷跡」とも言 中陣・屋敷跡 われています。 ⑲ ぎゅうずかんのん 牛頭観音 屋敷跡より少し坂を登った左手の古い石垣の上に 「牛頭観音」があります。馬頭観音は各地で見るこ とができますが、牛頭観音はあまりありません。 し かし、これは、それほど古い物ではなく昭和 29 (1954)年に建てられたもので、平次郎坊近くの沼 地にはまって死んだ牛を供養するために建てられた もののようです。 ⑳ 旗立岩 急坂を登リきって平 らな道を少し進むと岩 牛頭観音 間氏の家があります。その裏に大さな岩があリ「旗 立岩」といわれています。この岩には、三浦一族の 慶弔の時に三浦氏の旗を立ててその意を表したり、 合戦の時には、のぼリ旗を立てたとも伝えられてい ます。1194(建久5)年に、義澄はこの岩をかぶと 塚として岩の上に父大介義明の霊をまつる祠を建て 旗立御霊明神と称したそうです。 旗立岩 - −56 −
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