WIJC150301賛美する人生

●時:2015
●時:2015 年 3 月 1 日 ●題:「賛美する人生」
●聖書:
●聖書:歴代誌Ⅱ
書:歴代誌Ⅱ20
歴代誌Ⅱ20 章 -22節
22節
序
論
●昔、こんな話しを聞いたことがある。ある特別集会で、何かの理由で講師の到着が遅れ、会衆が彼の
到着を暫く待たなければならなかった。そのとき、司会者がこう言ったと言う。「みなさん、講師の
到着が遅れているので、ひとつ賛美でもして待ちましょうか?」と。
●うっかりすると、このように「賛美」は、待つ間の暇つぶし程度に扱われることがある。
●あるいは、「賛美」は、礼拝メッセージの前に、バラバラとみなが集まってくるのを待つ間に、よく言
えば、心の準備をするための、集会の前座的な役割程度に扱われれているのではないだろうか?
●しかし、聖書は、「賛美」を、私たちの礼拝と信仰生活と人生そのものにおいて、もっと重要な役割と
意義を持つものとして扱っている。
1.詩篇8篇 2 節は言う:あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。
それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐者とをしずめるためでした。
(1)英訳の方がもっとクリアーである。
From the lips of children and infants you have ordained praise because of your
enemies, to silence the foe and the avenger.
(2)すなわち、簡単に要約するなら、「神様は、敵や逆らう者をおし沈めるために、打ち負かすた
めに、幼子たちの口から湧き出る賛美を用いられたと言うことである。
(3)賛美は力である。しかも、単なる精神的な力という以上に、敵を実際に押さえつける力があ
るというのである。
2.更に、詩篇 22 篇3節:あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
(1)英訳:Yet you are enthroned as the Holy One. You are the Praise of Israel.
(2)原語のヘブル語に従って英訳にすると、You are enthroned on the Israel s Praises.
(3)主は、私たちの賛美の上に王として座しておられるというのである。
(4)賛美の中に主は臨在される。主の臨在は賛美の上にある。即ち、賛美は礼拝の中心である。
●多くの苦難を神様に支えられて乗り越えてきた聖徒たちの経験は、聖書さえ読むことのできない苦難
の中で、賛美が彼らを支えたことを証ししている。
●その良い例が安利淑と言う女性である。韓国のクリスチャンであるが、第二次世界大戦のとき、天皇
を神とすることを拒絶する信仰を貫いたがゆえに日本政府によって捕縛、投獄され、処刑寸前で終戦
となり助かった方である。彼女は、投獄を覚悟していたときから、どこでも心の中でそれを口ずさめ
るようにと聖書のみ言葉と賛美歌を暗記することを努めた。それが彼女を苦難の中で支えたのである。
●賛美は、信仰生活や礼拝・集会における付けたしやアクセサリーではない。
●すでに先ほどの詩篇のお言葉からも触れたように、賛美は礼拝の中心であり、クリスチャン生涯の力
の基礎である。即ち、賛美は、勝利あるクリスチャン生涯に必要不可欠なものである。
●今日の聖書箇所に記されている出来事は、そのメッセージを如実に私たちに伝えている実例である。
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<この物語の背景・状況>
●本論に入る前に、旧約聖書の歴史を含めて、少し今日の出来事の背景に触れたい。
●旧約聖書の歴史において、王様が登場する「王朝」時代というのは、サウル王からである。それも、サ
ウル、ダビデ、ソロモンの僅か三代だけで、いわゆる「統一王朝」という時代が終わる。
●それ以降は、北と南に分かれた「分裂王朝」時代に入る。「北王国」は、「イスラエル王国」と呼ばれイス
ラエル 12 部族の大半 10 部族がその中に加わった。
●一方、南王国は、ユダとベニヤミン部族が組して、「ユダ王国」と呼ばれる。
●基本的に、北王国であるイスラエル王朝のすべての王様は、誰もが神に従わなかった。すなわち一人
として神様の道に歩んだ王様はいなかった。その典型は今日の話にも登場するアハブ王であった。
●一方、ユダ、即ち南王国は、ダビデから始まったダビデ家が、一王朝を貫き保つ中、神に従う王と従
わない王とが、代わる代わる立つというような歴史であった。
●今日登場するヨシャパテ王は、途中で多少の失敗はあったが、神に従って歩んだ王の一人であった。
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●そのヨシャパテがユダの国の王であった時に、突然、周囲の諸部族であったモアブ人、アモン人等が
同盟を結び、連合軍として攻撃を仕掛けてきたのである。
●恐らく軍の力においても、特に 20 章 12 節に「このおびただしい大軍」と記されているように、その
数からしても、とても勝てる相手ではなかったのであろう。ヨシャパテ王と民衆は非常に恐れた、と
聖書は記している(20 章 1-3 節)。
●この苦境を、ヨシャパテ王、ユダ王国は果たしてどのように乗り越えたか? 答えは「賛美」だった。
まったく非戦争的、非軍事的なものであった。軍事の世界から言うなら、馬鹿にされるものだった。
●しかし、神は「賛美」を勝利のために用いられた、正に Ordain されたのである。それが、今日のテー
マであり、メッセージである。
本
論
Ⅰ.今日、最初に見たいことは、今申し上げた、この「賛美」による勝利の歴史的事実である。
A. そもそも、出来事の「初め」はどうであったか?
1.敵の大軍の攻撃の前に恐れわななくヨシャパテとユダ国民の惨めな、弱々しい姿がそこにあ
った。ただ敗北、惨敗を待つだけの姿であった。(20:1-3)
2.これは彼らだけの姿だろうか? 私たちの人生も恐れと心配、問題が一杯ではないか?
(1)だから、至る所で、ストレスのために胃腸を痛め、心臓発作があり、パニック症候群等で
悩まされる人が多いのではないか?
(2)実存主義の哲学者バートランド・ラッセルは言った「どっちを見ても不幸に出くわす」と。
(3)勿論、幸せなことも一杯ある。そうでなければ、やっていけない。
(4)しかし、同時に、新聞やテレビのニュースを見ても、周囲を見ても、自分自身の生活を見
ても、心配なこと、困ったこと、悲しいこと、つらいことが一杯である。
3.しかも、それは、一回や二回あるだけでなく、後を絶たない。
(1)1 節に「この後」(after this)とある。何の後か?
●前章を見ると、彼は自らの不信仰や配慮のなさもあって、もう少しのところでイスラエ
ルのアハブ王と共に命を落としそうになった。そんな中、戦争自体も当然のことなが
ら負け戦であった。
●しかし、その後、そのショックやダメージから回復し、ヨシャパテの信仰も、国の社会
情勢も落ち着き始めたところ、やれやれ、やっと落ち着いたと思ったところであった。
●正にそんな矢先に今回の戦争は起こったのである。それが「この後」の意味であった。
(2)まさに、それは、ヨシャパテにとって、「一難去ってまた一難」であった。
(3)私たちの知っているある姉妹の体験もそうであった。
(4)ある人は言う。「試練は歩兵のごとくではなく、連隊の如く来る」と。
4.そのような中で、ヨシャパテは、この試練を受けて、恐れ、崩れそうになった。
(1)そのようなとき、かつて彼は、ほかの国に助けを求めた。しかし、それで返って墓穴を
掘るように、問題を大きくした経験をもっていた。その良い例が、先に述べた、神様に従
おうとしないアハブ王と同盟を組んだときであった。
(2)だから、彼は今回は、人に助けを求めず、神様にだけ助けを求めた。
1.今日の出来事を記す聖書箇所の締めくくりの部分を見たい。18-22 節である。
(1)この箇所の最後 22 節で言われていることは、ユダの国の大勝利である。アモン人とモ
アブ人の完敗である。
(2)それは、敵も味方も含めたすべての人の予想を全く裏切る、全くの「番狂わせ」であった。
(3)「なぜ」、こんなことが起こったのか? 恐らく、「なぜ」と言う質問より、「いつ」と言う
質問に置き換えた方がよいかもしれない?
(4)ユダに勝利がもたらされた戦いの部分を記す、この 18-22 節の部分に、日本語訳では
「賛美」3 回、「歌う」1回(英訳では Praisex3、Singx2)が出てくる(19、21、22 節)。
(5)特に、22節を見たい:
B. その結果、即ち、この出来事の「終わり」はどうなったか?
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「彼らが喜びの声、賛美の声を上げ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たア
モン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた」とある。
2.敗北への恐れとおののきをもって始まったこの出来事の「終わり」「締めくくり」は、驚くべき
「どんでん返し」であった。
(1)即ち、ユダは大勝利を収めたのである。
(2)そして、それは、なぜ? いつ? どのようにして? 聖書は、それは、ユダが「賛美」
を始めたときであったと、明確に、強調的に告げている。
(3)正に、ここに序論で申し上げた「賛美」の力の歴史的証拠を見るのである。
Ⅱ.そこで次のポイントでは、このとき、ヨシャパテ王とその軍隊、「歌う者たち」とある礼拝式に携わる人々、その
他、ユダの民衆たち全員が、
1. いわゆる普通の、常識的な「戦略」ではなく、
2. なぜ、どのような経緯で、戦場での「賛美」に導かれたのか、
3. また、どのように「賛美」を捧げたのか、等々についてご一緒に考え、メッセージを頂きたい。
4. ここで言う、勝利をもたらす賛美は、「じゃ賛美しましょう」「歌うのが好きです。賛美集会しましょう」という
のとは少し違う。
A. まず最初に、勝利をもたらす「賛美」はどのようにして生まれるのかを見たい。
1.このような賛美は、「真剣に祈る」ことから生まれる。
(1)3節「ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告した」、4 節「ユダの人々は集まって
きて、主の助けを求めた。・・・主を求めた」。更には、12 節の終わり「ただ、あなた
に私たちの目を注ぐのみです」。彼らはとにかくまず祈り、主に頼ったのである。
(2)多くの場合、問題にぶつかっても、人々はとにかく祈らない。祈るのは食事のときくら
いというクリスチャンが余りに多い(時には食事のときさえ祈らない)。
(3)ここで捧げられた祈りは、気軽な、カジュアルな祈りではなかった。それは真剣な祈り
であった。
●それが「断食」と言う形で表されていた。
●また、その真剣さは「集まって来た」という事実にも表されていた。
●家で、個人で祈ることもできたであろう。しかし、集まって祈ることは、そこには犠
牲が伴うし、
●集まって祈るのは一人だけで祈っていても、とても担いきれない重荷を感じるからで
ある。その良い例は、ペテロが捕らえられ、明日にでも処刑されるという危機的なと
きに、みなが一箇所に集まり祈っていたときである(使徒の働き 12 章 5 節)。
2.これに密接に関係するが、このような勝利と力をもたらす「賛美」は、「自らの弱さの自覚と表
明」から生まれる。
(1)なぜ、真剣に祈らないのか? 自分でできると思っているからである。
(2)しかし、ここでヨシャパテはこのように祈った。「私たちに立ち向かって来たこのおびた
だしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしてはどうすればよいかわか
りません」と。
(3)こんなことを王様が言ったら、士気があがらないことになるから、指導者は自らの弱さ
をやたらに見せるべきではないという常識がある。しかし、彼は正直に自らの弱さを認め、
主を仰いだ。
(4)パウロも同様であった。彼ほど大胆で、迫害と困難を恐れず、勇気をもって主のために
生きた人はいなかった。しかし、彼は、自らの弱さを知っており、それを隠さなかった。
むしろ、「私が弱いときにこそ、私は強い」(Ⅱコリント 12:10)と告白、宣言した。
3.第三に、勝利をもたらす「賛美」は、「神様への信頼」から生まれる。
(1)信頼は恐れを追い出す。
●私たちの人生は「信頼」と「恐れ」の綱引きである。信頼が勝つか?恐れが勝つか?である。
●私たちが、神様を信頼するまでは、私たちは永遠に恐れの奴隷である。
●だからここでも、15、17 節で繰り返し、「恐れてはならない」と言われている。
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●パウロはエペソ 6:16 でそれを不信仰の火矢を消すことのできる「信仰の大盾」と呼ぶ。
(2)具体的には何を信じることか?
●まず、私のために、
ことである。15、17 節
★それは、ヨシャパテ王やユダの軍隊が戦いに行かないことを意味していない。彼らも
戦いに行くのである。しかし、実際に戦うのは神様であるというのである。
★神様が、かつて、モーセとイスラエルの人々が、前には紅海が行く手を阻み、後ろか
らはエジプト軍が迫って来るという挟み撃ちにあい、絶対絶命の危機に直面した時に
言われたことも同じであった。(出エジプト記 14:13-14)
★それが詩篇 127:1-2で言われていることである。自分はやるべきことはやる。
建築士として、護衛として、でも実際に家を建てるのは、町を守るのは神様である。
私たちは眠らなければ生きていけない。しかし、神様は私たちが眠っている間でさえ
働いておられる。戦っていてくださるのである。あなたはそれを信じるか?
●もう一つは、弱い私たちを励まし、力づけるために、
ことである。17 節。ヨシュア 1 章5、9節。詩篇 46:10-11。
1.彼らは「礼拝」の中で賛美した。
(1)18-19 節:「ひれ伏し」「礼拝し」という表現が出てくるだけでなく、更には「礼拝」のため
の奉仕者であるレビ人たちが登場する。これは明らかに「礼拝」の状況である。
(2)私たちも「礼拝」で歌う。礼拝での賛美は重要である。それゆえ:
●礼拝に遅れないで最初から歌って頂きたい
●礼拝で、気を散らすことなしに、集中して歌いたい。
●体全体で歌いたい(立って、座って、踊って、手を叩いて、・・・)
●音楽チームのために祈りたい
●音楽チーム、音楽プログラムの成長、発展のために努力したい。「民と相談し」「聖なる
飾り物を着けて」(21)
2.彼らは「現実の戦いの場」で賛美した。
(1)20-22 節にも、彼らが「賛美した」「歌った」という事実が報告されているが、それは戦場
でのことであった。即ち、彼らは「戦場」で賛美したのである。
(2)それは、「賛美」にはもっとも相応しくない場所である。
(3)戦場で、戦火の収まった夜にどこからともなく「賛美」が聞こえてきたというのを聞いた
ことはある。しかし、ここでは、今にも敵の弓矢が飛んでくるという戦場・戦争の真っ只
中での賛美であった。
(4)それは、私たちにあてはめるなら、職場、学校、毎日の生活の真っ只中での賛美である。
●家内(かおる先生)は、かつて音楽教師になる前、ある会社に事務員として勤めていたと
き、会社に賛美歌を持って行っていた。そして昼休みにビルの屋上で、時にはノン・ク
リスチャンの同僚と一緒に賛美したと言う。
●「賛美する者たちが武装した者の前に出て行った」(21 節)と言う事実は、あるいは、職
場等の戦いの場所に、これからいざ出て行く前に、まず、賛美してから出て行くことを
意味しているかもしれない。
●「武装した者の前に出る」ということは「命の危険」をも意味していた。それは、楽しいか
ら、好きだから、気分がよくなるから、・・・歌うを超えたものである。
●場違いで無視・反対をも覚悟して「命がけの主の証人」として歌うことをも意味していた。
●しかし同時にそれは私たちの感謝と喜びに溢れたものでなければならない(21-22 節)。
主が戦ってくださることを信じる
主がいつも共にいてくださることを
信じる
B. 彼らはどのように「賛美」を実行・実践したのか?
結
論
単に好きだから、プログラムだから「歌う」というレベルを超えた「賛美」に溢れた個人と教会になりたい。
霊的に、人生の戦いにおいて、悪魔との戦いにおいて、力ある賛美に溢れた個人と教会になりたい。
(付録:できれば「カラオケ」の集いの中に「賛美歌」「賛美」を入れる工夫をして行きたい。「賛美カラオケ」も)
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