レジュメ

部員各位
平成27年3月2日(月)
法学部1年
戸田幸一郎
固有の領土論からの脱却
~領土問題を捉える思考の柔軟性を求めて~
目次
1. はじめに
2. 「固有の領土とは何か」
3. 各領土問題の検証
3-1.北方領土問題
3-2.竹島問題
3-3.尖閣諸島問題
4. 戦後の領土交渉から何がわかるか
4-1.北方領土問題
4-2.竹島問題
4-3.尖閣諸島問題
5.おわりに
6.参考文献・資料
1.はじめに
日本は、北方領土問題、竹島問題、尖閣諸島問題と3つの領土問題を抱えている。
2010 年、尖閣諸島沖で中国漁船による海上保安庁の巡視船との漁船衝突事故から端を発し、尖閣諸島国有化、
ロシアのメドベージェフ前大統領の国後島訪問、韓国の李明博前大統領の竹島訪問はメディアでも数多く取り上
げられ、領土問題に対する国民の関心は高まっている。
領土問題は時として、外交、経済、安全保障などに多大な影響を与え、特に尖閣諸島では緊張状態が続いてい
る。こうした領土問題から生じる問題や脅威を回避する為には、早期の領土問題解決が望まれる。無論、外交交
渉を行うのは政府であるが、その政府の外交交渉を支えるのは我々、国民の世論であるといっても過言ではない。
我々が領土問題を捉える際に、重要となるは対象地域における日本の領有の歴史的正当性である。
本研究では、紛争の対象地域における領有の歴史的正当性に関する主張を「固有の領土論」と定義する。この
「固有の領土論」を客観的に検証し、これまでの領土交渉を踏まえた上で、そこから領土問題を捉える思考の柔
軟性を提言することが本研究の目的である。
2.「固有の領土」とは何か
政府が領土問題において主張する「固有の領土」とは「いまだかつて一度も外国の領土となったことがない」
(われらの北方領土 2013 年度版p.4)という意味である。そもそも歴史上、いつから日本が領土という概念を
外国との関係において認識していたかということは、学者の間で様々な議論があるが、本研究では特別にそこに
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は触れない。北方領土問題、尖閣諸島問題、竹島問題においても当事国のどちらが、先に発見し、主権が及ぶ意
味での領土として認識していたかという議論も同様である。なぜなら、日本の最終的な国境画定はサンフランシ
スコ講和条約(以後 SF 条約)であり、3つの領土問題を国際法的に検討した場合、すべて SF 条約に制約される
からである。本研究では、上記の3つの領土問題を検証する上で必要な歴史上の軸は、初めて領土に関する国際
的な条約を結んだ時期とする。具体的に言えば、幕末~明治初期である。
3.各領土問題の検証
3-1.北方領土問題
北方領土問題とは、北海道の東側に位置する択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島の領有権をめぐってロシアと
対立している領土問題である。
北方領土問題発生の経緯
第二次世界大戦前
日本とロシアの最初の国境に関する取り決めは、1885年に締結された日露通好条約(図 a)である。日露
通好条約では、択捉島とウルップ島(択捉島の東にある隣の島)の間に国境線を引くことで合意した。これは、
ロシアの南下政策を受けて、江戸幕府が択捉島までを支配下に置いていたことに由来する。
続く1875年の樺太千島交換条約(図b)では、雑居地であった樺太をロシア領とする代わりに、ウルップ島
以北の島々を日本領とすることで合意した。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約(図 c)では樺太の北緯
50度以南の部分を譲り受けたが、千島列島の領有に影響はなかった。
(図 a)
(図 b)
(図 c)
(いずれも外務省 HP より引用)
第二次世界大戦中
戦争の早期終結を目指した F・ルーズベルトはスターリンに対して対日戦争への参戦を条件にソ連の千島列島
の領有を認める案を提案し、1945年にヤルタ協定を秘密裏に締結した。これにより、ソ連は1945年8月
8日に対日戦争に参戦する結果となった。これは、当時有効であった日ソ中立条約を破っており、明らかな国際
法違反である。
第二次世界大戦後
日本はポツダム宣言を受託し、終戦を迎えたが、ヤルタ協定に基づき、ソ連は8月18日から、突如南下し、
9月5日までに千島列島、北方領土の全ての島々を占拠が完了する。
日本は1951年にサンフランシスコ講和会議(以後、SF 条約)にて千島列島を放棄したが、その放棄した千
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島
列島には北方領土の4島は含まれないと主張し、ソ連と対立し様々な領土交渉を得て現在に至る。
日本側の主張
日本の北方領土問題に対する主張は大きく分けて3つに分類される。
① 千島列島の範囲の解釈について
千島列島の定義について、日本は日露通好条約と樺太千島交換条約)を根拠に挙げている。
日露和親条約
第2条
今より後日本国と魯西亜国との境「エトロプ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「エトロプ全島
は日本に属し「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島は魯西亜に属す「カラフト」島に至りて
は日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是迄仕来の通たるへし
→条約解釈上では、ウルップ島より北の島々を「クリル諸島」であると定義される
樺太千島交換条約
第二款 全露西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今
所領 「クリル」群島即チ第一「シュムシュ」島第二「アライド」島第三「パラムシル」島第四「マカ
ンルシ」島第 五「ヲネコタン」島第六「ハリムコタン」島第七「エカルマ」島第八「シャスコタン」
島第九「ムシル」島第 十「ライコケ」島第十一「マツア」島第十二「ラスツア」島第十三「スレドネ
ワ」及「ウシシル」島第十四「ケトイ」島第十五「シムシル」島第十六「ブロトン」島第十七「チェル
ポイ」並ニ「ブラット、チェルポエフ」 島第十八「ウルップ」島共計十八島ノ権理及ビ君主ニ属スル
一切ノ権理ヲ大日本国皇帝陛下ニ譲リ而今而後「ク リル」全島ハ日本帝国ニ属シ柬察加地方「ラパッ
カ」岬卜「シュムシュ」島ノ間ナル海挟ヲ以テ両国ノ境界トス
→条約解釈上では、個別に挙げている島々を「クリル諸島」であると定義される
日露和親条約と樺太千島交換条約からクリル諸島(千島列島)には、北方領土は含まれないという結論が導く
ことが可能である。
②対日参戦の正当性について
ソ連の対日参戦は当時有効であった日ソ中立条約違反(1938年)である。
③北方領土の領有について
1941年 F・ルーズべルト、チャーチルの米英両首脳は、 第二次大戦における連合国側の政策の指導原則
ともいうべき大西洋憲章に署名し、米英両国は戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにした。これは、
第二次大戦における連合国側の政策の中心的原則となった。(ソ連は後にこの憲章に参加を表明)
1943年のカイロ宣言は、この憲章の方針を確認し、日本については暴力及び貪欲により日本国が略取した
全ての地域から追い出されなければならないと宣言した。
カイロ宣言は、千島列島については述べておらず、千島列島は、樺太千島交換条約で平和的に日本が譲り受けた
もので、日本によって暴力及び貪欲により略取された地域ではない。そもそも、日本固有の領土である択捉島、
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国後島、色丹島及び歯舞群島が、カイロ宣言に述べられた「日本国の略取したる地域」に当たらない。
また、ヤルタ協定に日本は参加しておらず、これに拘束される根拠はない。
批判的検証(政府見解に関する検証)
日本の最終的な国境の取決めは SF 講和条約で決定した。
SF 講和条約第2条では
(c)日本国は、千島列島並びに日本国が 1905 年 9 月 5 日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太
の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
これにより、日本は、千島列島と南樺太を放棄した。
講和条約の席上で千島列島の定義について発言したのは、米国代表のダレスと日本の全権吉田茂であった。
ダレス 「千島列島という地理的名称が歯舞諸島を含むかのどうかについて質問がありました。歯舞を含まない
というのが合衆国の見解であります」
吉田茂
「千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張は承服いたし
かねます。日本開国当時、千島南部の2島、択捉島、国後両島が日本領であることについては、帝
政ロシアはなんら意義を挿さまなかつたのであります」
「千島列島および樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたの
であります。また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま
日本兵営が存在したために、ソ連軍に占領されたままであります」
→吉田は択捉島・国後島の2島は「千島南部」の島と定義し、これら2島が放棄した千島列島の一部であること
を認めている。また、ダレスは千島列島に歯舞諸島は含まれないとの認識を示した。
会議中、これらの発言に一切の反論はなく SF 条約は可決された。
講和会議時点の千島列島観
日本側
日本では1945年まで択捉、国後、色丹島が南千島をなし、千島列島の一部であると考えられていた。日本
外務省は SF 講和条約の準備の為に、アメリカに調書を提出した
“Minor Islands Adjact to Japan Proper .part 1.The Kurile Islands.the Habomais and Shikotran”
(『日本本土に隣接する諸小島』第一部
「千島列島、歯舞群島および色丹島」) (図d)
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(図d)左は表紙で右は千島を描いた地図 (和田春樹(2012)
「領土問題をどう解決するか」p85より引用)
(図d)では、
「クリル諸島(千島)
」は、ウルップ以北の「北クリル諸島」とエトロフ、クナシリ島からなる「南
クリル」に分けられると書かれている。
調書では、
「歯舞諸島と色丹島」については、これらの島は北海道の一部として扱われ、千島諸島と区別される
べきだと主張されている。
この調書は現在も日本とアメリカは非公開であるが、研究者の原貴美恵氏がカナダで発見し明らかとなっている。
ソ連側
1937年の「ソブェト大百科事典」では、クリル諸島の総数は36島で、イトッルプ、クシル、チコタン島
を含むと書かれている。ソ連・ロシアは一貫して北方領土の択捉、国後、色丹島は千島列島を構成するものと認
識している。
以上のように、千島列島の定義で問題となるのは、色丹島が入るか否かということだけであった。
国会答弁の移り変わり
SF 講和条約の批准国会でも、日本政府の答弁は明確であった。
1951年10月19日の衆議院の平和条約及び日米安全保障特別委員会において、高倉定助議員から千島列島
の定義を聞かれた際は以下のように答えた。
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西村熊雄条約局長 「条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。
しかし、南千島と北千島は、歴史的に見てもまったくその立場が違うことは、すでに全権
がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。・・・なお歯
舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました」
高倉議員は、千島列島とは、樺太千島交換条約によって、ウルップ以北の18の島々を指すのだと反論すると、
西村条約局長 「平和条約は1951年、9月に調印いたされたものであります。従ってこの条約にいう千島が
いずれの地域をさすのかという判定は、現在に立って判定すべきだと考えます。従って先刻申
し上げましたように、この条約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈
しています。但し、両地域について、歴史的に全然違った事態にあるという政府の考え方は将
来もかえません・・・」
1955年、保守合同により自由民主党が誕生した。時の首相であった鳩山一郎は日本の国際連合加入へのソ
連の支持を得る為に、日ソ国交回復に向けて推進していく。日ソ間にある最大の問題は北方領土問題であった。
こうした動きに、アメリカは警戒を強めていく。
アメリカが期待した戦後の日本の役割は、冷静体制の中で東アジアにおける自由主義陣営の一員として共産圏
の拡大を防ぐことであり、最大の敵であるソ連と国交を回復することは、その役割や日本にある米軍基地の存在
意義が希薄化し、東アジアにおけるアメリカの影響力を失うと恐れたからである。一方、ソ連は、こうしたアメ
リカの警戒をいち早く察し、日米関係にひびを入れる為に、色丹島と歯舞諸島の2島譲渡(※返還ではない)で
北方領土問題を解決し、日ソの国交回復をする案を日本側に提示した。
そこで、アメリカは北方領土の4島の日本の領有権の正当性を支持して、ソ連との国交回復に否定的であった親
米派(吉田派)を駆使して、日本の北方領土問題に対する主張を4島返還に固定化させると共に、これまでの日
本政府の見解を訂正させる工作を行った。また、アメリカは日本に対して、「日本が2島返還で妥協すれ、沖縄
を返還しない」とする圧力(ダレスの恫喝)をかけ、日ソ交渉の決裂を図った。ソ連との国交回復をし、悲願の
国際連合への日本の加盟を達成する為に、1956年に鳩山首相は日ソ共同宣言でソ連と平和条約締結後に色丹
島と歯舞諸島の2島を日本に引き渡すことで合意した。
日ソ共同宣言
9条:日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、
平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦
は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に
引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国
連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする
このように、アメリカの介入により北方領土問題に対する日本の主張が4島返還に変わると同時期に、政府側の
国会答弁も徐々に変わり、最終的には先程の西村条約局長の発言に対して以下のように答えた。
池田勇人
「私は条約局長の言っておることは間違っていると思います」
「私は、そんたくするのに、
・・・南千島とか北千島というものはないのです。
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千島というものは、クリール・アイランズというものは、今の18の島を言われておるのでござい
ます。
・・・」
以上のことから、SF 条約以降の日本の政府見解を無視して強引に4島返還論が導き出されたのである。
3-2.竹島問題
竹島問題とは、日本海、隠岐諸島の北西に位置する竹島(西島と東島の2島を指す領有権をめぐって韓国と対
立している問題である。
(下の図は外務省 HP より引用)
竹島問題発生の経緯
1900年代初期、島根県の隠岐島島民から、本格化したあしか猟事業の安定化を求める声の高まりを受けて、
日本は1905年の閣議決定により竹島を島根県に編入し、領有した。
(左下図は外務省 HP より引用)
第2次世界大戦後、日本の戦後処理を行った SF 講和条約の起草過程において、韓国はアメリカに対して、日
本が放棄すべき地域に竹島を加えるように求めたが、アメリカは、「竹島は朝鮮の一部として取り扱われたこと
はなく日本領である」として韓国の要請を拒絶した。SF 講和条約において、
第2項(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島
を含む朝鮮に対するすての権利、権原 及び請求権を放棄する。
と規定され、竹島は除外された。しかし、SF 講和条約発効の直前の1952
年1月、韓国は李承晩ラインを一方的に設置し、そのライン内に竹島を取り
込んだ。韓国はその後、竹島に警備隊員などを常駐させ、現在に至る。日本
はこれまで韓国に対して3度、国際司法裁判所への提訴を提案したが、全て
拒絶されている。そもそも韓国は日韓の間の領土問題が存在を認めていない。
日本側の主張
日本の竹島問題に対する主張は大きく分けて2つに分類される。
①第二次世界大戦後の米国の支持
第二次世界大戦後の米国の支持に関する代表的な例は、竹島問題発生の経緯で触れた
ラスク極東担当国務次官補から梁駐米韓国大使の書簡であり、また李承晩ラインは力による現状変更であり、国
際法違反である。
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「ドク島,または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては,この通常無人である岩島は,我々の
情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく,1905 年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄
下にある。この島は,かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。・・・」(ラスク書簡和訳)
→韓国は米国の一方的な解釈として認めていない。
②竹島の島根県編入の正当性
閣議決定は江戸時代から続く日本の領有権を再確認したに過ぎない。また、この閣議決定に対して、韓国は当
時、抗議をしていない。
批判的検証
本研究は、②竹島の島根編入の正当性について検
証を行う。ただし、本研究の「2、固有の領土とは
何か」の箇所で申し上げた通り、に軸を置いて検証
を行う。
1876年、日本は朝鮮と日朝修好条規を結び、朝
鮮を開国させたが、この条約では日朝の国境につい
ては触れられていなかった。その点を補ったのが、
1877年の太政官指令である。1867年に、日
本の内務省が島根県に「竹島(当時は鬱陵島を竹島、
竹島を松島と呼んでいた)の件について問い合わせ
を行っており、問い合わせを受けた島根県は調査を
行い、「日本海内竹島外一島地籍編纂伺い」を地図
と共に提出した。
「磯竹島略図」
(左図は和田春樹(2012)
「領土問題
をどう解決するか」p193より引用)と題されたその地図に「磯竹島」(鬱陵島)が記され、その島の南東、
隠岐との間に小さな「松島」が描かれている。
「竹島外一島」とは、鬱陵島と竹島=独島(韓国の呼び名)を意味
しているのは明らかである。内務省の方でも、独自に調査し、島根県の報告と合わせて、「この両島は朝鮮領で
あり日本のものではない」と結論を出した。そして、内務省は1877年に太政官にこの件で伺いを出し、太政
官の審査で、内務省の見解が正しいと判断され、次のような文章が起草され、次のような文章が岩倉具視以下の
承認を仰いだ。
別紙内務省の伺い、日本海内竹嶋他一嶋の地籍編纂の件
右は元禄5年朝鮮人入嶋以来、旧政府は該国と往復の末、既に本邦とは関係これなしと相聞こえ候段申し立て候
上は、伺いの重武器、お聞き置き、左の通りご指令相成りしかるべき哉、この段相伺い候なり
該国とはもちろん朝鮮国である。
そして、1877年に先程の太政官指令が出る。
「伺之趣、竹島外一島之儀、本邦関係無之儀ト可相心得事」
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→太政官は鬱陵島と竹島は日本領ではないと判断。
次に島根県編入の閣議決定がなされた1905年前後の韓国の状況を検討する。
日露戦争の開戦を受けて、1904年日本は大韓帝国に日韓議定書への署名を強要し、日本がこの国の外交権を
剥奪すると共に、
「軍事上、必要な地点を臨機に収容することができる」ことで合意した。
竹島はバルチック艦隊との海戦に備えて軍事上の拠点として日本海軍に収容された。
その後、1905年に竹島の島根県編入の閣議決定が行われたが、この事実を大韓帝国の上層部は知りえたのか、
知りえたとしても外交権が剥奪された状況下で日本に抗議できたのかと筆者は疑問に感じる。
3-3.尖閣諸島(下図 外務省 HP より引用)
尖閣諸島問題とは、東シナ海、南西諸島西端に位置する魚釣島,北小島,南小島,久場島,大正島などの諸島の
領有権をめぐって中国と対立している問題である。
尖閣諸島問題発生の経緯
1884年頃から尖閣諸島で漁業等に従事していた古賀辰四郎から国有地借用願が提出され、日本政府は、他国
の支配が及ぶ痕跡がないことを調査した上で、1895年に閣議決定を行い、尖閣諸島を日本の領土に編入した。
そして彼に借用の許可を与えた。
第2次世界大戦が終結し、SF 講和条約では、
第2条(b)日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
第3条 日本国は、北緯 29 度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原
群島、西之島及び火山列島を含む。
)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託
統治制度の下 におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提
案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、
立法及び司法上の権力の全部 及び一部を行使する権利を有するものとする。
SF 講和条約後には尖閣諸島はアメリカの施政権下に入った。1968年に ECAFE(国際連合アジア極東経済委員
会)レポートが尖閣諸島海域に石油の埋蔵量があることを指摘したことにより、中国と台湾が尖閣諸島の領有権
を主張し始めた。
1971年の沖縄返還協定の際には
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第1条
1. アメリカ合衆国は,2 に定義する琉球諸島及び大東諸島に関し,1951 年 9 月 8 日にサン・フランシスコ市で
署名された日本国との平和条約第 3 条の規定に基づくすべての権利及び利益を,この協定の効力発生の日か
ら日本国のために放棄する。日本国は,同日に,これらの諸島の領域及び住民に対する行政,立法及び司法
上のすべての権利を行使するための完全な権能及び責任を引き受ける。
2.
この協定の適用上,「琉球諸島及び大東諸島」とは,行政,立法及び司法上のすべての権力を行使する権利
が日本国との平和条約第 3 条の規定に基づいてアメリカ合衆国に与えられたすべての領土及び領水のうち,そ
のような権利が 1953 年 12 月 24 日及び 1968 年 4 月 5 日に日本国とアメリカ合衆国との間に署名された奄美群
島に関する協定並びに南方諸島及びその他の諸島に関する協定に従ってすでに日本国に返還された部分を除
いた部分をいう。
沖縄返還協定ではアメリカから日本に返還される対象地については具体的に上記の赤いライン内にある島々で
あることが日米合意の議事録からも読み取れる。以後、日本が実質的に占拠をしており、現在に至る。
日本政府は中国、台湾との領土問題の存在を認めていない。
日本側の主張
尖閣諸島問題に対する日本側の主張は大きく2つに分類される。
① 先占の法理
先占の法理とは領有に関する国際法の考え方であり、領有を正当化する理論である。
占拠の法理が成立する要件は
1、先占の主体は国家である
2、先占の客体は無主の土地である
3、先占の精神的要件として、国家の意思が十分に表明されている
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4、先占の実態的要件として、現実の占有が行われている
実際に国際司法裁判所で領土問題を扱った際に、この理論を使用して判決が出された。
この場合、日本は1895年に調査において、尖閣諸島がどの国にも属していないと判断し、閣議決定を行った
のであり、先占の法理に当てはまる。
② 尖閣諸島は対米交渉においてしか扱われていないこと
戦後、尖閣諸島の領有権をめぐっては、基本的に対米交渉の中で取りざたされた問題であり、中国や台湾は閣
議決定から ECAFE のレポート発表まで領有権を主張しておらず、尖閣諸島の戦後処理に関係していない。
批判的検証
後者に関しては、戦後の中国や台湾で出版された数多くの地図が尖閣諸島を日本の領土として明記しているこ
とや日本の領有に対する抗議のタイミングを考えると日本の主張に正当性があると考える。しかし、前者の先占
の法理に関しては、この理論はかつて西洋諸国が植民地支配の際の自国の領有の正当性に根拠を与える為に使用
された理論といえる。いわば西洋世界の理論が非西洋世界に適用することがどこまで妥当か疑問に思う。また、
アメリカは尖閣諸島に関する施政権の返還を日本にしたものの、最終的な主権の所在に関しては中立の立場にあ
る。
4.戦後の領土交渉から何がわかるか
4-1.北方領土問題からわかること
1955年の日ソ共同宣言以降の北方領土交渉は紆余曲折をえた。共同宣言当時のソ連の書記長であったフル
シチョフはその後一転して領土問題の存在を否定する。時の書記長によって領土問題の存在の認識が危ぶまれる
中、大きく前進するのは新思考外交を展開したゴルバチョフ大統領からであった。
北方領土交渉を前進させた三つの合意
国後・択捉交渉対象
歯舞・色丹引き渡し確認 国後・択捉実質交渉
1991年海部・ゴルバチョフ声明
○
×
ー
1993年東京宣言(細川・エリツィン)
○
△
ー
2001年イルクーツク声明(森・プーチン)
○
○
開始
現在は国後・択捉島の実質交渉の段階に入っているものの、戦後一貫してロシアは国後・択捉の返還を示唆し
ておらず、歴史的に見ても、ロシアの支配に対する正当性は高いといえる。また、「北方領土はロシアが不法占
拠している」といった趣旨の発言を政府側の人間が公言する度にロシアの北方領土問題に対する姿勢は柔軟性を
失ってしまう。
ロシア側が最も譲歩の姿勢を見せたソ連崩壊直前には、色丹・歯舞を先に返還した上で平和条約を締結し、そ
こから択捉・国後の交渉に入ることを呼びかけた提案をしたものの、歯舞・色丹島の返還により国後、択捉島の
返還が不可能になることを恐れた日本は拒否した。固有の領土論がこの結果を導いたのである。
その後、経済を立て直したロシアは上記のような譲歩を一切見せていない。
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4-2.竹島問題からわかること
1965 年の日韓基本条約により、日本は韓国と国交を回復したものの、領土問題に関しては深い溝がある。
韓国人にとって竹島とは日本の侵略の最初の犠牲地であるという認識が強いからである。韓国人に対して声高に
竹島に対する日本の固有の領土論を主張したところで、韓国人の被害者感情を逆なでするだけである。領土問題
以前に歴史認識の問題といえる。
4-3.尖閣諸島問題からわかること
1972 年の日中共同声明により、日本は中国と国交を回復した。その際の交渉のテーブルにおいて
周恩来
「日中は大同を求め小異を克服すべきである」
田中角栄 「大筋において周総理の話はよく理解できる。具体的問題については小異を捨て、大同につくという
周総理の考えに同調する」
田中角栄
「尖閣諸島についてはどう思うか?」
周恩来
「尖閣諸島の問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、
これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」
周恩来
「今回は話したくない。今、これを話すのはよくない」
と述べている。中国側は実質的に棚上げを提案し、日本は周恩来の提案を受け入れる姿勢を出していることが分
かる筆者は尖閣諸島問題に関しては、日本の領有の正当性を全面的に支持している。
しかし、現在の日本政府は日中間にある領土問題の存在を認めていないとし、2010 年の漁船衝突事故の際には
国内法に基づき船長を処分した。これは、いずれ中国も国内法に基づいて尖閣諸島に対応する可能性を生んでし
んまったといえる。棚上げを合意するということは現状の日本の尖閣諸島の占拠の事実を認めるということであ
り、
武力による解決を国際法的に抑制することが出来る。しかし、中国政府は沖縄を日本領とは正式には認めておら
ず、中国領と見なす考えを持った人が政府内部に数多くいることから、尖閣諸島の棚上げは沖縄の主権の問題に
発展するという懸念もある。中国人にとって尖閣諸島は韓国人にとっての竹島と同様、日本の侵略の犠牲地であ
ると認識をしている。尖閣諸島問題も歴史認識の問題といえる。
5.おわりに
筆者は固有の領土論を全面的に否定する考えをもっていない。領土問題を捉える上で自国の歴史的正当性を学
ぶことは大切なことであると考えるからである。現に筆者も初めて北方領土問題と向き合った高校生時代、日本
の領有の正当性を学ぶことから始まった。しかし、固有の領土論は相手国の主張を受け入れないという絶対的で
排他的な性質を持っている。固有の領土論から脱却し、当事国間の領有権に関する歴史的正当性を検証すること
によって平和的な解決を志すことが出来るのである。また、固有の領土論から脱却した上で、再び自国の主張に
賛同して固有の領土論へ回帰しても構わないとも考える。固有の領土論を脱却した先にあるもの、つまり領土問
題解決方法は様々である。棚上げ案、共同統治案、面積等分案、あるいは種々の領土問題を抱え、似たような歴
史的背景を持つ東アジア全体で領土問題を監督し解決を目指す第三者的機関を創設することなどがある。歴史認
識の問題を克服することもその解決策といえる。領土問題の外交交渉を判断し、決断するのは政治家の役目であ
り、その政治家を選出するのは我々国民である。国民の世論が領土問題を動かすといっても過言ではない。我々
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は領土問題において固有の領土論を絶対視することをやめ、思考の柔軟性を手にするべきである。
本研究が皆様にとって領土問題に関心を持つきっかけになれば幸いである。
6.参考文献・資料
孫崎享(2009)
「日米同盟の正体」講談社現代新書
孫崎享(2012)
「日本の国境問題―尖閣・竹島・北方領土」ちくま新書
東郷和彦・保阪正康(2012年)
「日本の領土―北方四島、竹島、尖閣諸島」角川 one テーマ21
和田春樹(2012年)
「領土問題をどう解決するか
対立から対話へ」平凡社
岩下明佑(2013年)
「北方領土・竹島・尖閣、これが解決策」朝日新書
初瀬龍平(2012年)
「国際関係論入門
思考の作法」法律文化社
松竹伸幸(2014年)
「13歳からの領土問題」かもがわ出版
松本健一(2006年)
「日・中・韓のナショナリズム
東アジア共同体への道」第三文明社
松井芳郎(2014年)
「国際法学者がよむ尖閣問題―紛争解決への展望を拓く」評論社
水間政憲(2011年)
「いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実
PHP 出版
「われらの北方領土 2013年度版」
外務省
外務省 HP
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国益を守る「国家の罠」