新米もまだ艸 の実の匂ひ哉 蕪村 千年を貫く心の文化 子どもたちの

国府小学校だより
赤 い 実
平成25年10月
~さいわいの しるしのように 赤い実が 赤い実が 約束される~
くさ
かな
新米もまだ艸の実の匂ひ哉
蕪村
◇千年を貫く心の文化
子どもたちの「明るい未来という時間」とおじいちゃん・おばあちゃんの「豊かな過去という時間」の融合
私はもとより、深いことといえば沼田が深いことぐらいしか知らないし、高く昇ることと
いえば棚田のあぜを昇ることぐらいしか知らない。そうしたなかにも、おおよそを知ってい
るといえるのは田畑を耕すことである。いまその知っているすべてを集めて『農具揃(のうぐ
せん)
』と題して書物にした。
慶応元年五月 秋寿斎 菊仙しるす
『農具揃』は、飛騨蓑輪村(現在の国府町蓑輪)の篤農家、大坪二市によって慶応元年(1865)
ころに著され、体験と見聞をもとに農家の使う道具を各月にまとめ、山仕事や山村の生活など
民俗も伝えています。
「稲の刈り入れが終わると“鎌納め”といって風呂を焚き、里芋汁をふる
まう。
」
「天保七年(1836)の飢饉ではおびただしい数の人が餓死し、幼い私は目を開いたまま
死んでいく人をまざまざと見た。その時の気持ちはとても筆では書きあらわせない。皆が米や
穀物のありがたみを知り、備えをするべきである。
」との記述もあります。
日本列島に稲を作る農業が始まって以来、その稲の収穫を祝い、神に感謝して行う稲の祭り
が、それこそ千年の歴史を貫いて受け継がれてきたことを忘れるわけにはいきません。毎年の
ように繰り返されてきた秋の収穫は、生活の奥深いところに根付いてきた心の文化です。稲を
作ることは、より効率的に安い自動車や電気製品を作ることとはやっぱり違います。
田植え以来、ずっと田んぼの世話をしてくださった下畑さん。毎日、朝の5時前から田んぼ
の様子を見てくださっていました。成長が思わしくない時期には、どうしたことやらと頭を抱
えていらっしゃる姿もありました。水温と水量の管理、ガス抜きのための中ぼし、草とり、病
気やイナゴやスズメから稲を守るために・・・これまでずいぶん助けていただきました。
9月6日、5年生が稲刈りを行いました。下畑さん、JA 室屋さん、保護者の村田さん・稲
垣さん・野村さんにご協力いただきました。加えて、稲刈りのお手伝いをお願いしたところ、
大勢の“おじいちゃん・おばあちゃん”が集まってくださいました。
作業の前に、子ども(孫)たちがおじいちゃん・おばあちゃんを紹介しました。
「何でも知っ
ているおじいちゃんです」
「いつも優しいおばあちゃんです」という子どもたちの話を、その隣
で聞いていらっしゃるおじいちゃん・おばあちゃん。その光景に心が温かくなりました。おじ
いちゃん・おばあちゃんたちも自己紹介をしてくださいました。にこにこしながら「子どもの
ころのことを思い出してなつかしい」と語ってくださるおじいちゃん。
「子ども(孫)たちと一
緒に稲刈りができて…こんなにうれしい…ことは…」と声をつまらせながら語ってくださった
おばあちゃん。子どもたちを、そして子どもたちとの時間を、とても大切にしていただいてい
ることに感激し、胸が熱くなりました。
稲刈りが始まりました。鎌を使って「刈る」ことを知らない(鎌を「切る」道具だと思っている)
子どももいました。田んぼのぬかるみに足をとられながらも子どもたちが刈り取った稲を、数
株ずつ手に取り、腰のあたりでくるっと回転させてわらで縛り上げる“職人技”に、 子どもた
ちはマジックでも見るかのような表情を浮かべていました。また、
「落穂」を丁寧に拾うおじい
ちゃん・おばあちゃんの姿を目の当たりにして、
“お米のありがたみ”を実感していました。
おじいちゃんたちの手であっという間に「はさ」が出来上がり、
「はさ掛け」までの作業を終
えました。作業が終わった田んぼの上を赤とんぼが軽やかに飛び交っていました。
学校と一緒になって「宝物」である子どもたちを大切にしてくださったことに、感謝の気持
ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
子どもたちには「明るい未来という時間」があります。おじいちゃん・おばあちゃんには「豊
かな過去という時間」があります。学校という場所で「子どもたちの時間」と「おじいちゃん・
おばあちゃんの時間」とが重なり合う、融合する時間が持てました。ありがとうございました。