NO.40 生徒会の思い出(H27.3.5)

生徒会の思い出
自分自身が生徒の頃,生徒会の仕事をしていたことがある。当時のことで浮かんでくる
のは,どちらかというと辛い,あるいは嫌な記憶が多い。生徒会役員選挙の時,自分のポ
スターにいたずら書きされたこと,放課後,間近に迫った体育祭の打ち合わせ会を開くと,
「大会前なのに部活動に行かずに来ているんだから早く終わらせろ!」,球技大会の準備
の為に体育館で作業をしていると,「部活動の邪魔!」などと言われた。球技大会の抽選
方法のトラブルから,街で上級生数名にとり囲まれたこともあった。
にもかかわらず,自分が教員になってからは不思議と生徒会担当になることを希望した
(実際に,生徒会は4年間担当した)。やはり,生徒会をやることの意義を何となく実感
していたのだと思う。生徒たちに,生徒会活動の意義や素晴らしさを言葉で伝えることは
ほとんどできなかったが,生徒会の生徒たちと一緒に仕事をしていると,私自身が言いよ
うのない充実感を感じることができた。生徒会室で生徒たちと膝を交えて様々なことをし
ゃべった。プライベートな内容もかなり多かった気がする。それでも,そういう会話の中
から様々なアイディアも生まれた。『長岡花火の翌朝,生徒会で信濃川河川敷のクリーン
作戦をしよう!』,『せっかくアルミ缶の回収をしているのだから,アルミ缶を使って巨大
アートを作り,文化祭で展示しよう!』,『体育祭で,全校合唱しながらメッセージ付きの
風船を飛ばそう!』『不要物の持ち込みをなくすために,毎週全校アンケートをとろう』
等々。信濃川クリーン作戦は,元々は《長岡花火の翌朝は、会場で見物客が落としたお金
を拾える》という話題からスタートした(詳細は,校長コラム13号「信濃川クリーン作
戦」に掲載)。アルミ缶を数千個を使った巨大アートは,制作に手間取り,夜九時まで生
徒を学校に残した。生徒会担当としての思い出は,一転して不思議と〝忙しかったが充実
していた〟〝楽しかった〟思い出ばかりだ。それは,生徒の頃に面倒くさいという気持ち
をもちながら,あるいは「自分は一生懸命やっているのに,なぜ文句言われなきゃならな
い!」という理不尽を感じながらも,理屈ではうまく説明できない何か大切なものを得て
いたからに違いない,と今は思える。
私自身が生徒の頃そうであったように,多くの生徒は,生徒会活動に対して,「面倒だ
な。」「こんなこと自分の為になるのかな?」という思いをもってしまうかもしれない。し
かし,『自分は,ちっぽけでも集団や社会の役に立っている』という思いをもてる人間に
ならないと,様々な挫折や劣等感を感じながらも社会を生き抜いていくエネルギーは生ま
れない。
~平成25年度生徒会誌『蛍群』より~