2015年6月11日 衆議院憲法審査会 発言内容

○國重委員 公明党の國重徹でございます。
まず、冒頭申し上げたいのは、昨年七月一日の閣議決定によっても、他国の防衛そ
れ自体を目的とするいわゆる集団的自衛権の行使は認められない、武力の行使が認めら
れているのは、あくまで自国防衛、自国民防衛に限られているということでございます。
その上で、先ほど北側幹事、平沢幹事からもありましたが、昨年の閣議決定で示さ
れた新三要件は、一九七二年、昭和四十七年の政府見解の基本的論理を維持したもので
あること、このことを私からも再度強調したいと思います。
昭和四十七年の政府見解の基本的論理の根幹部分は何かといいますと、それは、第
三段落の第二文で示されている、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由、幸福追求
の権利が根底から覆される急迫不正の事態に限って自衛の措置が認められるというこ
とでございます。
この基本的論理を変えるというのであれば、それは憲法を改正する以外にありませ
ん。昭和四十七年見解では、この基本的論理を「そうだとすれば、」という接続詞で受
けて、当てはめによる結論を示しております。
具体的には、武力の行使が許されるのは、我が国に対する武力攻撃があった場合、
つまり個別的自衛権に限られるとし、いわゆる集団的自衛権の行使は認められないとし
ております。これは、当時の日本を取り巻く安全保障環境に先ほどの基本的論理を当て
はめた結論でございます。
ただ、昭和四十七年から四十年以上がたち、我が国を取り巻く安全保障環境が大き
く変化し、厳しさを増している。そういった中で、憲法解釈の基本的論理を維持しなが
ら、国民を守るための自衛の措置はどこまで認められるのか、その限界はどこにあるの
か、このことを突き詰めて検討した結果が、昨年七月の閣議決定の新三要件です。
そして、この新三要件においても、他国の防衛それ自体を目的とするいわゆる集団
的自衛権、丸ごとの集団的自衛権の行使は認められておりません。
新三要件のもと自衛の措置が許されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場
合、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が
国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危
険がある場合のみ、要は、自国防衛、自国民防衛に限られるということでございます。
このように、昭和四十七年の基本的論理である根幹部分をしっかりと維持した上で
新三要件を定めておりますので、これは従来の憲法解釈の基本的論理の枠内であること
は明らかであると考えます。
なお、昭和四十七年政府見解の第三段落第三文の、武力の行使が許されるのは個別
的自衛権に限られ、
いわゆる集団的自衛権の行使は認められないという部分が当てはめ
であって、基本的論理でないということは、
「そうだとすれば、」という接続詞が使われ
ているということのほか、文言の違いによっても裏づけられると考えます。すなわち、
立法する上での大原則、近代法の大原則として、国民の予測可能性を担保するために、
同じ事柄は必ず同じ文言で表現しなければならない、違う文言を使うということはその
意味内容が異なるという原則がございます。これは、政府見解を示す場合においても同
様と考えられます。
昭和四十七年政府見解を見ますと、基本的論理とされる第三段落第二文の「外国の
武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるとい
う急迫、不正の事態」と、
「そうだとすれば、」の接続詞で続く当てはめ部分とされる第
三文の「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」を見ると、「急
迫、不正の事態」と「急迫、不正の侵害」で異なる文言が用いられている。このように
あえて異なる文言を用いているということは、第二文と第三文の間に、基本的論理と当
てはめの分水嶺があると捉えるのが合理的でございます。
しかも、事態という文言は侵害を包含する概念であると考えますので、この第三段
落第二文の基本的論理で示す「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求
の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」というのは、第三文の当て
はめで言う「わが国に対する急迫、不正の侵害」、すなわち個別的自衛権の場面以外の
ものを含んでいると考えます。そう解釈することが、第二文の「外国の武力攻撃によっ
て」の後に、我が国に対するという文言を入れずに、「国民の生命、自由及び幸福追求
の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」としたこととも合致します。
以上のように、昭和四十七年見解の第三段落の第二文までが基本的論理であって、
末尾の第三文は当てはめです。そして、この昭和四十七年政府見解の基本的論理は、昨
年の閣議決定の新三要件にしっかりと維持されている、従来の憲法解釈との論理的整合
性はある、このことを再度強調して、私の発言とさせていただきます。