政治学および政治教育における「対立=敵対」概念の

福岡教育大学紀要,第64号,第2分冊,55   66(2015)
政治学および政治教育における「対立=敵対」概念の重要性
Importance of the concept of《opposition = antagonism》
in political science and in political education
谷 本 純 一
Junichi TANIMOTO
社会科教育講座
(平成26年 9 月30日受理)
はじめに
現行教育基本法第 14 条は次のように定めている
良識ある公民として必要な政治的教養は,教育上尊重されなければならない。
政治的教養を身につけることの尊重,政治教育を行なうことの重要性がうたわれているわけだが,ここで
問題になるのは,政治を教育するにあたり,「政治」そのものをどのようにとらえるべきかということであ
る。
「政治」概念理解の潮流は大別して 2 つに分けることができる。杉田敦は,従来前提とされてきた 2 つの
政治観について,一つは「ある範囲の人々の間で一定の合意をつくり出す」政治観であり,「合意論的な政
治観」であり,もう一つは「政治とは人々の間の対立を指す」もの,つまり「対立論的な観方」であると論
じる 1。このことについて論じた『境界線の政治学』においては,杉田はこの二つの政治観の共通項について
論じているが,ともあれ,政治には大別して 2 つの見方が伝統的に存在したことは認識すべきだろう。『シ
ティズンシップ教育論』の著者バーナード・クリックは,「政治とは,相異なる利益の創造的調停である」2
と述べ,また,関口正司によって,「『政治の弁証』以来,『シティズンシップ教育論』に至るまで,クリッ
クは一貫して,『政治(politics)』の本来的意味を,多様な諸利益の間に創造的妥協をもたらす営み,と捉
えている」3 という指摘がなされている。『クリック・レポート』作成中心人物が合意論的政治観に基いて立
論していることは,政治のもう一つの要素である「対立」という観点が教育においても軽視される可能性を
秘めているのではないか?
こうした,政治における「対立」概念が軽視されるのはいかなる要因によるのか,そしてそれはどのよう
な結果を招くか,現代社会の特徴や理論的背景から論じていきたい。
1.近代教育の特質
政治教育を行なうこと,これ自体は新旧教育基本法共通に定められている。しかし,「政治」を教育する
1 杉田敦『境界線の政治学』岩波書店,2005 年,8 頁。
クリック(関口正司監訳)『シティズンシップ教育論』法政大学出版局,2011 年,58 頁。
3 関口正司「バーナード・クリックの政治哲学とシティズンシップ教育論」,『政治研究』九州大学法学部政治研究室,
第 60 号,2013 年 3 月,43 頁。
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というのは一体どういうことであろうか。
近代以降の国民国家における教育はアンシャン・レジーム以前の教育とは意味が異なる。現代日本におい
ては,国公私立様々な公教育機関が存在し,それぞれ,性質は異なるが,他方で,教育基本法,学校教育法
といった一連の教育関連法は国公私立問わずすべての公教育機関に適用される。つまり制度的には単一の教
育法体系が存在し,児童・生徒・学生はその出自その他を問わず(皇族でさえ!),単一の教育法体系の下
での教育を受けているのである。しかし注意すべきことは,こうした単一の教育法体系というものはあくま
で近代市民国家成立以降のものにすぎないということだ。例えば封建制においては,「社会集団はきわめて
閉鎖的」であり,「職業と身分とがほとんど同一であ」り,「したがって,それぞれの社会集団に属している
親たちは,その子どもにたいして,職業や身分を固定したものと考え,その分の中で,自己の属している社
会集団の文化に同一化させようとする要求をもちつづけることができたし,それ以外の要求を子どもにさし
向けることはなかった」のであり 4,これは百姓であれ下級武士であれ共通していた。こうした封建的教育は,
身分や社会集団ごとに異なった,いわば特殊的なものである。これに対比されるのが,ヨーロッパにおける
教会による「普遍人間的な内容」の教育であった 5。しかし,この教会による教育は普遍的というより多分に
コスモポリタニズム的傾向を持たざるを得ず,主権者としての市民・国民の養成を行なうことはできない。
ここに教育一般と政治教育との矛盾が発生せざるを得ない。
封建制においては,各国内部においても,身分・社会集団ごとの教育が行われ,また反対に教会教育はあ
まりにコスモポリタン的に過ぎる。現代的意味での公教育は,社会集団ごとでも教会によるものでもないも
のとして捉えられる必要がある。そしてそれは近代的国民国家において一応完成する 6 が,国民国家内部で
も矛盾が発生する。資本主義国における教育はブルジョアジーのイデオロギーの影響下にあるか?もちろん
イエスである。ただし条件付きで。
経済活動において,総資本の利益と個別資本の利益とが矛盾するのと同様,ブルジョアジー総体にとっ
ての教育と個々のブルジョアジーの親にとっての教育もまた矛盾せざるを得ない。近代国民国家において,
「ブルジョアジーの親は,自分の子どもたちには,本質的に統一的な公教育を必ずしも望んではいなかった」
のであり,「かれらは,支配者として,当然,自分たちの支配する国家にたいして同一化する傾向を直接的
に示す上に,封建的な教権にたいしては,教育の自由と私的性格を要求していた」が,他方で,「被支配者
の子どもたちにたいしては,かれらが直接的には国家と自己を同一化していないことを前提として,統一的
な公教育を要求する」が,「被支配者としての国民の側からいえば,親たちは,直接的な欲求を反映しない
公教育と,親として子どもに対してもつ直接的な教育的要求との矛盾を感じざるをえない」のである 7。
このことから一つの結論を見出すことができる。公教育は,支配層であれ被支配層であれ,親の直接的要
求内容に基づいて構築することはできないということである。つまり,「親たちがもっとも切実に要求する
教育の目的と学校教育という公的な教育の矛盾」8 があるのである。もちろん,常に,いかなる分野において
も矛盾が発生するということではない。勝田は,「国民的関心が統一に近づいているばあいには,公的な教
育の名において,親たちの直接的な要求を越えた教育目的は,その必然性を承認」されるとし,その代表と
して「国語の読書能力や一定水準の科学的知識や技術の基礎」を挙げている 9。
この点から見ると,教育とは,人びとの直接的要求の対極にあるという点では,各家庭や社会集団に任せ
ることはできないだろう。
政治教育が政治的国民を養成することにあるにしても,それは公教育の場のみにはとどまるものではな
い。公教育における政治教育とは,あくまでも全国民的単位での政治教育の一部として位置づけられなけれ
ばならないのであり,政治教育論は全国民的単位でまず論じられなければならないのである。しかし,国民
という一体性が擬制されている場において,どのように政治を教育するかは,常に大きな矛盾の中にあると
いうことを忘れるべきではないであろう。
4 『勝田守一著作集 4』国土社,1972 年,7 頁。
同上,8 頁。
6 同上,9 頁。
7 同上。
8 同上,10 ~ 11 頁。
9 同上,11 頁。
5 政治学および政治教育における「対立=敵対」概念の重要性
57
2.大衆社会と政治教育
政治教育を行なうにしても,現代社会の特徴を認識したうえで行われなければならない。では現代社会と
はいかなる社会か。それは大衆社会である。
まず大衆がいかなるものかを見ておく必要がある。古典的著作として,スペインのオルテガを挙げるこ
とができるだろう。オルテガは『大衆の反逆』において,「ヨーロッパ人の現在の社会生活のなかには,よ
かれあしかれ,なによりも重要な事実が一つある」とし,その事実とは,「大衆が社会的勢力の中枢に踊り
でたことである」と述べる 10。では大衆とは何か。オルテガにとって,大衆とは量的概念ではなく,質的概
念である。大衆とは,「みずからを,特別な理由によって─よいとも悪いとも─評価しようとせず,自分が
《みんなと同じ》だと感ずることに,いっこうに苦痛を覚えず,他人と自分が同一であると感じてかえって
いい気持になる,そのような人びと全部」11 である。そうして,こうした大衆が政治的支配権を持つように
なったとし,オルテガは,民主主義の意味が転換したと考えた。
ごく近年の政治的な革新とは,大衆が政治的支配権をもつようになったことにほかならないと思う。古い民主主義に
は,自由主義と法にたいする熱情がたっぷりと盛りこまれていた。これらの原理に服するために,個人はきびしい規律
をみずからに課したものだった。自由の原理と法的な規制の庇護のもとに,少数派は行動し生活することができた。民
主主義と法,つまり民主主義と,法のもとにおける共同生活とは,同義であった。今日,われわれは超民主主義の勝利
を目撃しているところだ。超民主主義のなかで大衆は,物理的強制手段によって自己の野望と趣味とを押しつけながら,
法の外で直接に行動している…歴史のなかで,群衆が現代ほど直接に支配するにいたった時代があったとは,考えられ
ない 12。
このように,現代政治を考える際には,大衆社会状況を前提としなければならない。この「大衆」という
ものが出てきた背景とはどのようなものか。
松下圭一は,まず,
「20 世紀における欧米資本主義の独占段階への移行」13 を挙げる。これは,
「生産の社
会化を基礎とする資本主義の産業資本段階より独占資本段階への移行は,資本と労働との基本的矛盾を止揚
することなく,石炭にたいする石油・電気のあたらしいエネルギー源の開発とあいまって,大量生産 mass
production ならびに大量伝達 mass communication をうみだし,これまでおもに直接的な生産過程の内部
において発達をみていたテクノロジーを社会過程の内部にまで進出せしめ,社会の組織技術に革命的変革を
もたらした」14 ということである。そして,こうした「生産の社会化は,同時に労働の社会化をももたらし
ており,人口量の圧倒的なプロレタリア化─伝統的な生産手段からの乖離と労働力の商品化─を必然化」す
るものであり,こうしたプロレタリア化は,「一方においては膨大な人口量を伝統的生活半径から離脱せし
めることによって流動化するとともに,他方においては旧来の社会層別の再編成を強行していく」ことにな
る 15。
こうした状況下,教育制度も,かつてのイギリスのような,公立学校とパブリック・スクールとに区分さ
れたようなものから,少なくとも制度的には単一の教育制度が必要となってくる条件が生まれるのである。
こうした大衆社会においては,人間像も変らざるを得ない。具体的には「資本主義生産様式における生産の
個別性を前提とする私的所有を基礎に,デカルト的理性の明晰性とロック的経験の直接性を理論史的背景と
して構築された市民的人間像の原型はここに崩壊する」16 のである。
このことは,一般に考えられる以上の意味を持っている。つまり,大衆社会への移行とは,教育の性質の
市民教育から公民教育への転換をも意味しているということである。これについては堀尾輝久の研究が参考
10 『世界の名著 56 マンハイム オルテガ』中央公論社,1946 年,387 頁。
同上,390 頁。
12 同上,393 頁。
13 松下圭一『現代政治の条件』中央公論社,1959 年,10 頁。
14 同上。
15 同上,10 ~ 11 頁。
16 同上,11 頁。
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になろう。
17
堀尾は,ヘーゲル,マルクスの市民社会理論
から,「近代社会は,政治国家と市民社会に分裂し,近代
ネイション
社会の成員は,抽象的公民(国家の成員=国民)と具体的市民(市民社会の成員)という二面性において把
握される」ということ,それゆえに「近代社会の主人は公民としての人間ではなく市民としての人間にほか
ならなかった」のであり,「市民革命の目標であった市民的自由(liberté civique)とはまさしく以上のよう
な意味における市民の自由であり,国家生活とは区別された特殊社会の人間の自由であり,その内容に「『国
家からの自由』を基本的なものとして含む」ものであり,そして「liberté civique と liberté publique とは
区別され,後者は前者の手段価値として,その維持のための『国家への自由』を内容とした」ということで
ある 18。
こうした社会段階においては,公民教育というよりむしろ市民教育が行われる。かつ,ここで言う「市
民」とは,国家の成員=国民全員を指すものではないのである。ここでは,「公民とは区別された意味での
市民に対応する市民教育は,市民的自由を基本とする人間の教育」だったのであり,「この人間の教育が特
権をもつ子弟に限られ,Civics が Public School において行われたこと,さらにまた私立学校がパブリック・
スクールとよばれた」ということは,「古典的近代社会の論理の矛盾の,教育における象徴的表現」なので
ある 19。それゆえに,この古典的市民社会における市民教育は,現代における公民教育やシティズンシップ
教育においてそのまま導入できない。この段階の市民教育はあくまでも紳士(ジェントルマン)階級の教育
であり,国民的な意味での公民教育とは程遠いものなのである。
しかし,独占資本主義段階になるとこの状況が変化してくる。独占資本主義以前は,確かに資本主義段階
ではあるが,人口の相当数は松下がいう所の「伝統的生活半径」のなかに存在し,プロレタリアートは未だ
少数にとどまっていた。しかし,独占段階に入ると,プロレタリアートは圧倒的多数の人口を占めるように
なり,政治過程に参入する。彼らは,「かつて第三階級がすべてのものの名において獲得した『人間の権利』
を,自らもまた人間の一人として,すべてのものの一人としての要求」,「普通平等選挙権,教育機会の拡
大,市民的権利の延長としての労働者の団結権,言論,集会の自由等の要求」20 を行なう。
もはやこの段階においては,プロレタリアを存在しないものとして扱うことはできず,従来の市民社会の
論理は通用しない。この中でブルジョアは「公民性=抽象的公民・国民の原理=ナショナリズム」を押し出
し,その中で「市民性と公民性はその主客を置換 され,市民的権利(自由)は公民的義務(国民)へ従属
せしめられる」ことになる 21。この点は松下の論考とも一致する。それまで,
「市民」から排除され,同時に
政治からも排除されていた膨大なプロレタリアが政治過程に参入する。しかしそれは第三身分的「市民」と
してではない。それは「従来,資本主義の論理的前提であった労働者階級は,社会内部の存在になることに
よって,〈大衆〉として定位されるにいたった」ということ,そして「これまで体制外在的な労働者階級は,
あらたに蓄積された新中間階級とともに,体制内在的な〈大衆〉へと転化」したということである 22。概括
すると,大衆社会状況におけるシティズンシップは,岡野八代が言う,次のような近代シティズンシップの
特徴を示すものとなると言えるだろう。
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近代のシティズンシップとは,一方では自律的,あるいは自足的な諸個人が,互いの個人的な欲求を満たすための行
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為に先立ち,各人が従うべき諸条件の権威を承認することを誓い合った契約によって構成される成員資格である。した
がって,諸条件,すなわちここでは国家の管轄領域内の法体系に従うことを認めた個人は,そのシティズンシップを得
ることができる。他方において,近代のシティズンシップは…文化的,ときには宗教的同質性さえも要請されるような
成員資格である。つまり,国家が差し出す共通の実質的目的に対し,構成員は「忠誠」を誓い,国家という統一体への
17 ヘーゲルの市民社会論については『法の哲学』(『世界の名著 35 ヘーゲル』中央公論社,1967 年,149 ~ 604 頁)を,
マルクスの市民社会論については『ユダヤ人問題によせて』(邦訳『マルクス=エンゲルス全集①』大月書店,1959 年,
384 ~ 414 頁)を参照。
18 堀尾輝久『天皇制国家と教育』青木書店,1987 年,188 ~ 189 頁。
19 同上,189 頁。
20 同上,192 頁。
21 同上,193 頁。
22 松下前掲,11 頁。
政治学および政治教育における「対立=敵対」概念の重要性
59
《帰属意識》を持つことが要求される 23。
ここには,契約論的シティズンシップあるいは自由主義的シティズンシップの特徴と限界が見事に表現さ
れている。つまり,契約による平等な個人と同質性をもつ構成員という擬制である。こうしたシティズン
シップ理解は,構成員の平等と同質性を強調する一方で,内部における対立関係が軽視される可能性をもっ
ている。にもかかわらず,少なくとも諸個人の平等を保障した以上,内部では,平等な主体間で政治闘争が
行われる制度的な条件は存在する。この点は,戦前日本とは異なっているのである。
3.「政治的国民」養成あるいは政治教育のための制度的条件
ウェーバーが『新秩序ドイツの議会と政府』において正しくも指摘したように,「国家技術上の変更それ
自体は,一国民を有能にも,幸福にも,価値多いものにもしはしない」のであり,技術的変更は「機構的障
害を除去」するものであるに過ぎない 24。にもかかわらず,国民が代表を選出することができず,議会が実
質的機能をもたない政体において,「政治的国民」を養成することが夢物語にすぎないということは,容易
に理解できることである。
この意味において,日本における政治教育の前提としての,大日本帝国憲法体制から日本国憲法体制への
移行を挙げる必要がある。言うまでもなく,政治教育が可能となるためには,政治と政治学とが存在しなけ
ればならない。丸山真男は,1945 年 8 月 15 日以前の日本には政治学という学問が成立する余地はなかった,
と論じている。つまり,「一般に,市民的自由の地盤を欠いたところに真の社会科学の生長する道理はない
のであるが,このことはとくに政治学においていちじるしい」ということ,そして「経験科学としての政治
学は主として英米(political science として)及び仏(sciences morales et politiques として)のごときいわ
ゆる西欧民主主義国家に発展」してきたということであり,それゆえに「一般に『政治』がいかなる程度ま
で自由な科学的関心の対象となりうるかということは,その国における学問的自由一般を測定するもっとも
正確なバロメーターといえる」のである 25。
しかし,大日本帝国憲法の制定は,こうした条件を失わせる。神聖にして侵すべからざる天皇を中心とす
るこの憲法体制においては,「国家権力の正統性の唯一の根拠は統治権の把持者としての天皇にあり,立法
権も司法権も行政権も統帥権もすべては唯一絶対の『大権』から流出するものと理解された」のであり,そ
れゆえに「近代国家におけるようにそれ自身中性的な国家権力の掌握をめざして,もろもろの社会集団が公
的に闘争するといつた意味での『政治』はそこには本来存在の余地がなかった」ということになるのであ
る 26。
ここで注意すべきは,「公的」な意味での「政治」の存在余地がなかった,ということである。「政治」闘
争は存在しないが,闘争そのものが存在しないわけでも,単一政治勢力によって運営されるということを意
味するものでもない。
大日本帝国憲法下の帝国議会は同時期の英米仏の議会のような機関ではなかった。
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議会は西欧のそれのように,こうした闘争を通じて統一的国家意志を生み出す機関ではなかった。議会にはこうした
政治的統合の役割を果すほど強大な地位は最初から与えられなかったのである。その結果国家意志の重大な決定は,議
会の外で,法的あるいは超法規的な政治勢力の間における,舞台裏の妥協,駈引きを通じて行われることとなった。議
会における「政争」はかくして,政治的なるものの持つあらゆる真摯さを失った。特に民党と藩閥との急速な妥協吻合
23 岡野八代『シティズンシップの政治学』白澤社,2003 年,46 ~ 47 頁。
『世界の大思想 23 ウェーバー』河出書房新社,1965 年,310 頁。
25 丸山眞男『増補版 現代政治の思想と行動』未来社,1964 年,344 ~ 345 頁。
26 同上,346 頁。
この意味で,国内「政治」より先に国際「政治」の方が出現した,ということができよう。たとえウェストファリア
体制というものが実際には 19 世紀以降に主張されるようになったものであるにしても,1648 年に教皇権と皇帝権を否
定し,主権国家間の平等,国際社会の「中性性」を宣言したウェストファリア条約については,こうした視点からの再
評価が必要であろう。
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の後は,もはやヨーロッパにおけるような明確な国民的階層分化に基いた闘争,乃至は根本的な世界観的価値に関する
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闘争は見出されず,そこに繰りひろげられるのは政権に随伴する種々の利権のわけ前をめぐつての私的な─激烈なだけ
にますます醜悪な─争いでしかなかった 27(傍点は原著)。
「中性的国家権力」の獲得のため諸社会集団が「公的」に闘争するという意味での「政治」が不可能な状
況下で発生することは,ここで丸山が述べたような意味での「私的」な争い以外の何ものでもない。戦前天
皇制日本のみならず,帝政ロシアのような専制体制,ナチス・ドイツやスターリン体制下ソ連のような全体
主義体制においても,体制の内実が一枚岩であったことなどありえない。しかしそうした体制の下で発生す
るのは,派閥対立に代表される「私的」闘争以外にはありえず,闘争は公的なものとはなりえないのであ
る。
ここで,なぜこうした状況が生まれたのかを見ておく必要があろう。いかに明治維新を主導した「志士」
たちに水戸学に代表される尊王思想があったとはいえ,明治政府初期の天皇制と終戦直前のそれとが同一の
形態を持っていたわけでもないこともまた事実である。教育との関連で言えば,堀尾は,明治維新を次のよ
うに表現する。
…明治維新というのは,ヨーロッパ列強の帝国主義的な圧力のもとでいかにして一国の独立を維持するか,他方でい
かにして国内的な統一を維持するかという,一国の独立と国内的な統一を課題としていた,と言えます 28。
この段階では,一国独立と国内統一といういわば純政治的目的のみが追求されていたわけであり,終戦直
前のような発想にはならない。なぜなら,一国独立と国内統一という目的達成のためだけならば,自由主義
的手法もありうるからである。だから,明治初期においては,「民権が確立することと国権を対外的に主張
することとはワンセットだった」29 ということになるのである。
では,天皇制国家はなぜ出来上がったのか。堀尾は,丸山を引きながら,天皇制的「正統性」は明治 22,
3 年ごろに成立したとする。そのプロセスは,「自由民権運動を権力的に抑圧し,そのうえで帝国憲法をつ
くり,市町村制を整え,そして教育勅語を出した」ということ,しかし教育勅語や憲法がつくられたからと
いって,それは民衆の信条体系(belief-system)にはならないがゆえに,教育が使われることになる 30。
この天皇制国家を理解する上で,帝国憲法,教育勅語,軍人勅諭は一体のものとして理解する必要があ
る。
帝国憲法は天皇の位置を,一つは統治権の総攬者としているのです。天皇は統治権をもっている主権者である,と。
もう一つは,天皇は軍隊の頂点に立ち,軍隊を統括する力をもっている。これが統帥権です。これを帝国憲法と軍人勅
諭で規定しているわけです。そしてもう一つ,教育勅語が精神的な領域における権威者としての天皇を規定していると
いうことです。政治および軍事をとおしてのまさに世俗の権力の保持者としての天皇が,同時に,国民の精神的な領域
における権威者でもあるということ。この両方をもっているのが天皇制国家における天皇なのです 31。
ここでは教育勅語そのものについて詳細に論じることはできない。にもかかわらず,一般に英米に対比さ
れる,統一・近代化の遅れた日本,ドイツ,イタリアという括りは,かなり乱暴なものと言わざるを得な
い。ここにも,明治 20 年前後の複雑な日本の国内事情からみる必要がある。言うまでもなく,明治政府の
一つの大きな課題に,治外法権撤廃と関税自主権回復を中心目標とする条約改正があった。つまり,明治政
府は,条約改正問題をにらみながら近代的な法体系をつくらなければならないという課題を負う一方で,そ
れが伝統破壊につながりかねないという問題があった。それゆえ「一方で外向きに前へ進みながら,他方で
27 丸山前掲,346 頁。
堀尾『日本の教育』東京大学出版会,1994 年,33 頁。
29 同上,36 頁。
30 同上,37 頁。
31 同上,39 頁。
28 政治学および政治教育における「対立=敵対」概念の重要性
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古い秩序をどう維持するかということが,当時の政治家たちのいちばん大きな課題だった」のであり 32,そ
のためにつくられたのが教育勅語だったというのである。
そしてこの問題が,近代国家としてはいびつな構造をもたらす。大日本帝国憲法第 28 条に「安寧秩序ヲ
妨ケス及ヒ臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」思想・信条の自由が認められていた。堀尾は,この規定の
意味について,「この規定にはもう一つ意味が含まれていて,日本の国体の弁証(正統性の論証)にとって
不可欠な神道は『宗教にあらず』ということがある」ということ,「もし神道も宗教の一つであるならば,
それを信じるかどうかは自由ということになるわけですが,そうでなくて,神道は国民のすべてがそれに服
さなければならないものと考えるかぎりにおいて,それは宗教でないと言わざるをえない」ということにな
り,「そういうフィクションを含んで,ある意味では矛盾を含んで,天皇制国家は擬似宗教国家であると言
え」るということになるのである 33。こうした体制の下では,平等な主体間の政治闘争は不可能なのであり,
契約論的シティズンシップさえ成立する余地はない(この点にこそ,大英帝国臣民と大日本帝国臣民との決
定的相違が存在する)。
では,国家としての道徳的価値をもたない,少なくとも平等な主体間での政治闘争が制度的には可能であ
る,英米型自由主義諸国においては,常に健全な政治闘争が行われるかといえば,ことはそう単純ではな
い。
近代国家の原理とは,国家と宗教・道徳とが分離することにある。権謀術数の思想家としてのイメージの
強いマキアヴェリが政治と宗教・道徳とを区別したことは画期的なことであった。近代市民国家の原理は,
「国家は世俗国家(secular state)になる,国家は人間の内面にかかわる領域には介入しない,という意味
での中性国家(natural state)である」34 ということであり,マキアヴェッリによる政治と宗教・道徳の区別
はこの中性国家に結実したのであり,これこそマキアヴェッリが近代政治学の祖と言われる所以なのであ
る。そして,こうしたマキアヴェリの理論は「対立としての政治観」と関わってくる。このことを次章で論
じたい。
4.近代政治のジレンマ
クリックがいかに古典的民主政すなわち市民的共和主義を重視するにしても,市民的共和主義と近代民主
政との間には大きな落差があることを認めないわけにはいかない。通常,両者の差異は,その規模の差に
よって語られることが多いが,シャンタル・ムフは,「古代民主主義と近代民主主義の差異は,その規模で
はなく,その本性のうちにあ」り,「決定的な差異は,近代の自由民主主義を構成する多元主義の受容のう
ちにある」と述べている。この多元主義という問題は,常に民主主義を論じる際のジレンマとなりうる。例
えば,市民間の同質性が高かった古代ギリシアや,第三身分こそすべてと考える近代市民国家は,大衆社会
に比べはるかに同質性が高い。他方,大衆社会においては,膨大なプロレタリアが政治過程に参入するため
に,同質性が低く,他方で国民の原理が押し出されることにより,実質的な多元性と抽象的な一体性が同居
せざるを得ない。逆に言えば,国民という抽象的一体性の内部においては,非常に多元的な要素が存在する
のである。ムフは,多元主義そのものを否定するのではない。ムフが否定するのは,「異他性と非共約性を
強調する極端な多元主義」35 である。この多元主義の危険性についてムフは,次のように指摘する。
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そうした極端な多元主義は自由主義にきわめて批判的な傾向を示すものの,「われわれ」を構成しようとする,すな
わち従属とのさまざまな闘争をつうじて諸要求を接合するいかなる集合的同質性の構築の試みも拒否するために,それ
は政治的なものを自由主義的に回避してしまう。そうした集合的同一性の構築の必要性を拒否すること,自らの権利を
主張する利益集団やマイノリティの多様性の闘争という点からのみ民主主義政治を捉えることは,権力の諸関係に盲目
のままでいることになるのである。それは,既存の諸権利が,他者の排除や従属のうえに構築されており,諸権利の領
32 同上,42 頁。
同上,48 頁。
34 同上。
35 Chantal Mouffe, The democratic paradox, Verso, 2000, p. 20. 葛西弘隆訳『民主主義の逆説』以文社,2006 年,33 頁。
33 62
谷 本 純 一
域拡張に制約を課すことに無知なのである 36。
既に述べたように,現代大衆社会は確かに多元的であるが,それはあくまでも特定の範囲において多元的
であるという限定をしておかなければならない。我々は,様々な例外状態が,ヒトラー,ムッソリーニ,朴
正煕,スハルト,ピノチェト等の全体主義者や権威主義者によってだけでなく,ジョリッティ,クレマン
ソー,ウィルソン,F. ローズベルトのような自由主義者によって発令されてきたことを忘れてはならない。
これは戦時であるという理由で説明はできない。ムフが言うように,「除去不可能な抗争性〈antagonism〉
という性質を否認し,普遍的で合理的な合意を目標とすることこそ,民主主義への真の脅威」であり,そう
した抗争性の否定とは,「『中立性〈neutrality〉』のふりをしながら,排除という必然的な領野と形式を隠蔽
する」37 ことになるのである。
その例としては,フランスにおけるイスラム教徒のスカーフ事件があるだろう。これは「フランスの基
本的価値(特に『政教分離』と『男女平等』)とイスラームの基本的価値(特に『政教一致』と『男性に対
する女性の劣位』)という構図で政治的社会的に問題化された」38 ものである。言うまでもなく,政教分離は
自由主義の基礎の基礎とも言うべきものであるし,男女平等は現代の自由主義者にとって当然の概念であろ
う。しかし,現代自由民主主義国家において,こうした自由主義的概念を否定することは,多元主義による
保護の対象とはならない。まさに「中立性」のふりをしてムスリムは排除されたのである。
多元主義を採用しようがしまいが,民主主義のためには一定の同質性が必要であることを否定することは
できないだろう。ムフはシュミットを引きつつ,「彼(シュミット)の主張に拠れば,同質性とは,それが
実質的平等でなければならないかぎりにおいて,民主主義的な平等概念の核心に刻印されている」39 と述べ
る。ところで実質的平等とは,逆に言うと,同質性をもたない者の排除をはらんでいるのである。シュミッ
ト自身,「民主主義の政治的力は,国外的異質者と国内的異質者,すなわち同質性を脅すものとを排除ない
し隔離しようとする点に示されるのである」40 と論じている。事実,これまでのあらゆる民主主義体制は,
「排除」というものと表裏一体のものであったと言ってよい。
むしろ一般に民主制には,これまで常に奴隷,野蛮人,非文明人,無神論者,貴族あるいは反革命分子のごとく,何
らかの形態で全部のまたは一部の権利を剥奪され,政治的権力の行使から除外されている人間が常に附きものになって
いたのである。アテネの都市民主制においても,イギリスの世界帝国においても,国家の領域の全住民は政治的には必
ずしも同権ではない…平等な普通選挙権および投票権は,当然ながら,平等者の社会内部における実質的平等の結果と
して生まれたものであって,この平等以上に出るものではない。こうした平等の権利は同質性が存在するところでは,
十分な意味をもっている 41。
民主主義が成立するためには,一定の同質性が必要であるということは,大衆社会におけるシティズン
シップ教育を考えるにあたって,大きな矛盾とアポリアをうみ出さざるを得ない。なるほど確かに現代で
は奴隷は存在せず,国内において「非文明人」と法的に定義される人々も(少なくとも先進国では)存在
せず,無神論者や貴族や反革命分子とされるような人々も法的には普通選挙制の下に存在している。つま
り「少くとも近代の民主主義国家の内部においては,一般的な人間的平等が実現されているかのように見え
る」のであり,「もちろん,ここにおいても,外国人,無国籍人が依然として排除されているが故に,それ
は,すべての人間の絶対的平等では決してないが,しかし国籍を有する者の範囲内において,総体的に拡大
された人間的平等」である一方で,「この場合には,大抵民族的同質性が,それだけいっそう強調されてい
るのであり,国家内における相対的一般的な人間的平等も,国に属さないで国の外部に止まるすべての者を
36 ibid., p. 20. 同上,33 ~ 34 頁。
ibid., p. 22. 同上,36 頁。
38 浪岡新太郎「フランスにおけるシティズンシップ教育とイスラーム―ムスリムによるシティズンシップ教育の(不)
可能性―」,『国際学研究』,第 39 号,2011 年 3 月,36 頁。(http://hdl.handle.net/10723/1483)
39 Mouffe, op. cit., p. 38. 前掲『民主主義の逆説』,61 頁。
40 カール・シュミット(稲葉素之訳)『現代議会主義の精神史的地位』みすず書房,1972 年,15 頁。
41 同上,15 ~ 17 頁。
37 政治学および政治教育における「対立=敵対」概念の重要性
63
決定的に除外することによって再び揚棄される,ということに注目しなければならない」のである 42。そし
てムフは,シュミットが「表むき,政治的平等が存する場合には,実質的不平等を含む他の領域,例えば今
日においては,経済的なものが,政治を支配することになる」43 と述べていることを引き,シュミットの議
論には「グローバリゼーションの過程は世界規模での民主化の基礎と,コスモポリタン・シティズンシップ
の確立の基礎となると信じている人びとへの重要な警告が含まれている」44 と言う。なぜなら,
「コスモポリ
タン・シティズンシップでは,自分たちの自由主義的権利が侵害される場合に,それを擁護するためにトラ
ンスナショナルな法廷に訴えるのがせいぜいであ」り,「そうしたコスモポリタン民主主義は,もしそれが
実現したとしても,民主主義的形態における統治の現実的な消滅を偽装し,自由主義的な形態における統治
の合理性の勝利を指し示す空虚な名前以上のものにはならないだろう」からである 45。
こうしたシュミット的な民主主義理解を前にして我々は絶望しなければならないのか?そうではない。シ
ティズンシップ教育の一つの目標として「政治リテラシー」がある以上,「政治参加」の問題を考える必要
があるからだ。この問題を考える際に,シュミットの議論をそのまま取り入れる必要はない。何故なら,
「彼(シュミット)の主要な関心は民主的参加にはなく,政治的統一のほうにあるから」46 である。先に挙げ
た浪岡は,フランスにおけるムスリムへの差別について,「問われるべきはアイデンティティではなく,市
民としての平等を保障できない国民国家型シティズンシップの危機である」47 と述べているが,もしシュミッ
ト的な民主主義理解にとどまるのであれば,まさに国民国家型シティズンシップは危機に陥らざるを得な
い。しかしムフは,「普遍性ならびに『人間性』への言及を措定する自由主義的平等の『文法』と『われわ
れ』と『彼ら』との差別という政治的契機を必須のものとする民主主義的平等の実践とのあいだに対立があ
ることは疑いない」が,それゆえに民主主義は自己破壊に至るとするシュミットに反論し,「自由主義の平
等概念と民主主義の平等概念との決定的な差異を承認し,この接合とその帰結を異なる方向へと描き出すべ
きだということを提起したい」と述べる 48。
政治的リテラシーを教育する場合には,政治的な位相においてそれがなされる必要がある。将来の目標に
おいてではなく,現況の政治状況からスタートしなければならない。「我々」と「彼ら」の間に境界線が引
かれ,「我々」内部での同一性が強調される。大衆社会の成立は,国民国家内部での多元性と対外的な統一
性=ナショナリズムとの成立に導いた。そしてシュミットは,この多元性によって,同質性が失われること
を怖れた。
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シュミットがもっとも恐れているのは,共通の諸前提の喪失と,そこから帰結する政治的統一の破壊であり,彼はそ
れを,大衆民主主義に付随する多元主義に内包されるものと考えている。たしかにこうしたことが起こる危険性は存在
し,彼の警告は真剣に考慮する価値がある。けれども,そのことはあらゆる種類の多元主義を拒否する理由にはならな
い。私は,民主主義には何らかの「同質性」が必要だというシュミットの議論を認めたうえで,彼のジレンマを拒否す
ることを提案したい。つまり,私たちが直面している問題は,シュミットが「同質性」として言及したものを,いかに
して異なる方法で想像するかということになる 49。
大衆社会プラスグローバリゼーションの現代においては,国内的であれ国際的であれ,確固たる同質性
に基いたシティズンシップを確立することはできるか,というのは一つの難問である。それゆえにムフは,
「共通性 commonality」という用語を提案し 50,「複数主義と自由民主主義の両律可能性についての解答を─
断固としてシュミットとは異なる方法で─提示するためには,実質的な同一性をともなう,所与としての
42 同上,19 頁。
同上,20 頁。
44 Mouffe, op. cit., p. 42. 前掲『民主主義の逆説』,66 頁。
45 ibid. 同上,67 頁。
46 ibid. 同上。
47 浪岡前掲,57 頁。
48 Mouffe, op. cit., p. 44. 前掲『民主主義の逆説』,69 ~ 70 頁。
49 ibid., p. 55. 同上,86 頁。
50 ibid. 同上。
43 64
谷 本 純 一
『人民』という理念自体を疑問に付す必要がある」51 と述べる。「人民」あるいは「国民」という概念そのも
のを無効化せよというのではない。「同質性」の内容そのものが複数存在すると認めるべきだということな
のである。つまり,「そうした同一性が十全に構成されることはけっしてなく,複数的で競合する同一化を
つうじてのみ存在しうる」ということ,「自由民主主義とは,人民とその多様な同一化とのこうした構成的
な不一致の承認にほかならない」ということである 52。
実の所,近代政治学そのものが,複数性を前提としている。近代政治学の祖ともいうべきマキアヴェリの
『君主論』における次の言葉が重要である。
一つの悪徳を行使しなくては,自国の存亡にかかわるという容易ならぬばあいには,汚名などかまわずに受けるがよ
い。というのは,全般的によくかんがえてみれば,たとえ美徳のようにみえることでも,これを行なっていくうちに自
分の破滅に通ずることがあり,他方,一見,悪徳のようにみえても,これを行なうことによって,自分の安全と繁栄と
がもたらされるばあいがあるからである 53。
マキアヴェリは,政治的目的に応じて手段を決定するべきであり,それが善か悪かによって決定すべきで
はないとするのである。決して道徳的価値が無意味であると考えたわけではない。もし美徳によって政治的
目的が達成できるならそれはそれでよいのである。同時に,政治的目的に応じて手段を決定するのは自分た
けではなく敵も同様である。だから敵はあくまでも政治的な敵であって道徳的なそれではない。だから敵
は本質的悪ではないし,自分は本質的善ではない。ところが,20 世紀後半から 21 世紀に至る歴史において
は,マキアヴェリのこうした理論に反する行動が頻発した。ムフは,オーストリア極右政権成立時の EU 諸
国の態度について,政治が「道徳化」していると主張する。これはどういうことかというと,「『われわれ』
/『彼ら』の敵対〈opposition〉が,政治的な見地からではなく,いまでは『善』対『悪』という道徳的な
範疇にしたがって構築されている」54 ということである。既述したように,敵はあくまで政治的な敵に過ぎ
ない。本来ならば,政治的闘争は政治的言説において行われるべきだが,それが道徳的言説において行われ
るようになったのである。
すると,政治はいかなるものとなるか。
政治が道徳の作用領域において実践されるならば,敵対性〈antagonisms〉は闘技的な形態をとることができない。
事実,敵対者たちが政治用語ではなく道徳用語で定義されるとき,その者たちは「対抗者」ではなく「敵」とみなされ
るのである 55。
ここでムフは,「敵」と言っているが,実際には「敵」どころではなくなる可能性さえ存在している。も
ちろん「敵」が政治的な存在であるなら,それは政治的な闘争相手に過ぎない。しかし,「敵」が道徳的な
存在となるや否や,それは競争相手でさえなく,抹殺の対象でしかない。それは刑事被告人でもなければ戦
時国際法上の捕虜でもない,グァンタナモのタリバン兵の如き扱いを受けるべき存在となるであろう。政治
を認識する際には,「敵対性」という観点を無視することはできない。さもなければ,それは排除を伴う政
治を正当化することにしかならないであろう。
まとめ─ 敵対性の軽視は何を招くか ─
「政治」を「価値の権威的配分」と定義したのはデヴィッド・イーストンであるが,なぜ「権威的」に配
分しなければならないかといえば,第一に「価値」が有限であることが強調されるが,他方で,「配分」の
51 ibid. 同上,87 頁。
ibid., p. 75. 同上,88 頁。
53 『世界の名著 16 マキアヴェリ』中央公論社,1966 年,106 頁。
54 Mouffe, On the political, Routledge, 2005, p. 75. 酒井隆史監訳・篠原雅武訳『政治的なものについて』明石書店,2008 年,
113 頁。
55 ibid., p. 76. 同上,114 頁。
52 政治学および政治教育における「対立=敵対」概念の重要性
65
方法についての対立があるということも同時に強調されなければならない。「価値」が無限ではない以上,
「価値」の有限性を強調することは殆ど意味をもたないであろう。政治にコミットするということは,「価
値」の配分方法の決定にコミットすることである。そして,この配分方法についての意見の違いは,しば
しば激烈な政治的敵対関係をうみ出すのである。こうした「敵対関係」が政治の本質であるということは,
17,8 世紀の市民革命以降,特に西欧自由主義の文脈においては忘却される傾向が強かったと言ってよい。
もちろん,西欧自由主義国家において,敵対関係が存在しなかったはずはない。名誉革命後の当初の議会政
治は「革命が大ブルジョワと地主層の妥協の産物であったことを反映して,特権階級が支配権力を実質的に
独占するという性格をもっていた」し,それゆえに 18 世紀後半以降,「政治的・社会的改革を求める運動が
新興ブルジョワジー層を中心にして広が」った 56。また,19 世紀における産業革命の進展と,社会問題の発
生によって,マルクス主義に代表される社会主義の階級闘争論が発展してきた。
しかし,選挙権の拡大と大衆社会化,福祉国家化,テクノロジーの発達は,「国民的伝統,国民的利益,
国民的使命において国民的公分母を確保し,ここに〈大衆〉の同調性が亢進」57 するという事態も発生させ
た。こうした条件がファシズム・ナチズム登場の背景にあったことは詳述するまでもない。第二次世界大
戦後においては,冷戦下において,東西の敵対性が発生したが,冷戦終結によって,いわゆる「左右対立
〈left/right opposition〉の消滅」が叫ばれ,またも敵対関係が否定されることになった。ムフはその代表的
現象として,多くの社会主義政党が中道化した 58 ことを挙げている。これによって,トニー・ブレアの新労
働党は「誰も彼も『人民』へと包摂するふりをすることによって,それが代弁し,擁護すべき当の人びと自
身の服従を再生産することに貢献」59 することになってしまった。この背景には何があるか。1990 年代後半
以降,西欧では,新自由主義政権にかわり,イギリス,フランス,ドイツ,イタリアなど主要国において社
会民主主義政権あるいは中道左派政権が誕生し,特にフランス・イタリアでは共産党や旧共産党勢力までも
が政権に参加した。表面的には,新自由主義勢力は確かに政権の座からは転落したが,しかしだからといっ
て,新自由主義勢力のヘゲモニーは崩壊しなかった。ムフが「逆説的なことに,左翼が政治的には勝利する
ようになってきた─多くのヨーロッパ諸国で権力を握っている 60 ─ 一方で,イデオロギー的には完全に負け
つづけている」61 と言う通りである。
筆者はここで,ムフが指摘するような状況を彼女自身も言うような「政治の終焉」という言葉で表現する
ことは,間違いではないが不十分であると考える。なぜなら,対立関係や敵対性が顕在化することを防ぐこ
とも十分に政治的だからである。これについては,アントニオ・グラムシによる指摘が興味深い。つまり,
「大きな政治(高度な政治)は,新たな国家創設につながる問題,特定の有機的な経済的─社会的構造の破
壊,防衛,保守のための闘争につながる問題を含む。小さな政治は,すでに固定された構造内部で,同じ政
治階級の様々な分派の間の優越性の闘争のために提示される部分的で日常的な問題を含む。大きな政治を国
家生活の内部領域から排除し,すべてを小さな政治に縮小しようとすることは,大きな政治である」62 とい
うこと,あたかも敵対関係が存在しないように政治そのものを縮小することもまた政治なのである。このよ
うな「小さな政治」に政治が矮小化されている責任は,言うまでもなく,一般大衆にではなく知識人の側に
ある。
ルネサンス,ロレンツォ・デ・メディチについて等々。《大きな政治と小さな政治》の問題,創造的政治と均衡,保
守-たとえこの保守が悲惨な状況の保守であったとしても─の政治の問題。移り気であるという,フランス人への(そ
してゴール人へのユリウス・カエサル以来の)非難等々。この意味において,ルネサンスのイタリア人は全く《移り気》
56 川崎修・杉田敦編『現代政治理論』有斐閣,2006 年,51 ~ 52 頁。
松下『現代政治の条件』,27 頁。
58 Mouffe, The democratic paradox, p. 108. 前掲『民主主義の逆説』,165 頁。
59 ibid., p. 121. 同上,183 頁。
60 本稿執筆時(2014 年 9 月),この状況が変わっていることは言うまでもない。
61 Mouffe, The democratic paradox, pp. 118-119. 前掲『民主主義の逆説』,179 ~ 180 頁。
62 Q(Antonio Gramsci, Quaderni del carcere, edizione critica dell’Istituto Gramsci, a cura di Valentino Gerratana,
Einaudi, 1975)13, §5, p. 1563-1564. 山崎功監修『グラムシ選集4』合同出版,1963 年,69 頁。必要に応じ独自訳を行なった。
この引用文は,近代イタリア政治の特徴を読み解く上で重要である。この問題については,田口富久治・中谷義和編『現
代の政治理論家たち』法律文化社,1997 年所収の,松田博による第 3 章「グラムシ」該当部(48 ~ 51 頁)を参照のこと。
57 66
谷 本 純 一
ではなく,逆におそらく,イタリア人がコスモポリタン的勢力として(コスモポリタン的役割が続く限り)《外国》に
対して行った大きな政治と,国内での小さな政治,小さな外交,計画の不足等々,それゆえに国民的意識の微力との間
を区別する必要があるだろう。この国民的意識は,人民的-国民的勢力における大胆で信用できる活動を要求した。コス
モポリタン的役割の時代が終わり,国内の《小さな政治》の時代が残った。あらゆるラディカルな変化を阻止するため
の巨大な努力がなされた。現実には,19 世紀の人々を非常に責めた《家の足〈piede di casa〉》,手を汚さない等々とい
う言葉は,伝統世界でコスモポリタン的役割の終わりという意識,人民-国民に働きかけて新たなものをつくり出せない
無能力にほかならなかった 63。
同様に,大衆社会状況の発生以降,いかにして「大きな政治」を発生させず,「小さな政治」にとどめる
かという意味での「大きな政治」がなされ,それは今も続いているということは,知識人が,人民に働きか
け,新自由主義にかわる新たなものを提起し,新たな対立関係を形成できていないということを示してい
る。もちろん,今現在も様々な異議申し立ては行われているのであり,それは左右対立にとどまるものでは
ない。シリアやイラクにおける「イスラム国」でさえ無視されるべきではない。西欧諸国は「イスラム国」
をテロリストとして排除しようと必死である。しかし,彼らを「テロリスト」として,政治的ではない,道
徳的な敵として排除することは,また別の問題を生むことにしかならない。ヘーゲルの有名な言葉「理性的
であるものこそ現実的であり,現実的であるものこそ理性的である」64 は,現代において再認識されるべき
ものであろう。
さらに,現実の政治における対立関係・敵対関係は,たとえそれが顕在化していなくとも,それを顕在化
させないという意味での対立関係に基づく政治が行われているのである。ムフのもう一つの問題点として,
杉田敦が指摘したように,ムフが「何が真正の敵対性であり,何は虚偽の敵対性であるかといったことにつ
いて,無造作とも見えるような形で議論している」65 ということを挙げることができる。どのような敵対関
係が顕在化するかどうかさえ,ヘゲモニー関係の中にある。
政治を教育する際には,これらのことが認識されなければならない。さもなければそれこそ,クリックが
警戒するところの「コンセンサスの強要」とそこから発生する「抑圧的で脆弱な」国家 66 を現出させること
にしかならないであろう。
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Q15, §72, pp. 1832-1833. 前掲『グラムシ選集4』,71 頁。必要に応じ独自訳を行なった。
ヘーゲル『法の哲学』序文。前掲『世界の名著 35 ヘーゲル』,169 頁。
65 中野勝郎編著『市民社会と立憲主義』法政大学出版局,2012 年,181 頁。
66 クリック前掲,60 頁。
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