添付資料③―2 シラバス作成例2「プロジェクト科目」

添付資料③-2 シラバス作成例2:コーディネーターとして企画した科目の例
科目名
プロジェクト科目(※プロジェクト科目とは、一つのテーマに沿って文学部の各専門分野が創造的に交わ
り、外部講師をお招きして新しい可能性の探求を企画する科目です。)
科目目的・到達目標
プロジェクト科目のテーマは「歩く学問/フィールドワークから学ぶ」です。フィールドワークは、「見知らぬ明
日」に立ち向かい、<臨機応変に、現に今起こりつつある小さな事実をよくみて、かすかな声とまなざしに耳
をすまし、意味付け、再解釈し、新たな枠組を練り上げる>ことを使命とする「歩く学問」です。受講者のみな
さんが、「歩く学問」が持つ“臨場・臨床の智”にふれることで、「3.11」以後の“惑星社会の諸問題(グロー
バル・イッシュー)”に立ち向かい、日本の地域社会/コミュニティの「再生」「復興」に寄与する“社会のオペ
レーター”になっていく「きっかけ」となることを講義の目標としています。
授業概要
いま私たちは、「見知らぬ明日」に直面しています。事故や災害、病気などに直面したとき、私たちは、たった
一人で“異郷/異教/異境”の地に降り立つような感覚を持たざるを得ません。「3月11日」の大震災では、
中央政府や巨大企業が混迷する一方で、地域で暮らすひとたちの“応答力”が顕著に現れました。まさにい
ま、<自分の足で歩き、ひとが見落としたものをよく見て、聴こえない声を聴くことの力、“生身”のひとにきち
んと出会い、ともにじっくりと考える力>が求められています。講義の場には、「専門家として対処」するという
枠から、あえて“ぶれてはみ出し”、人間としての根本的な問題を大切にして、“臨場・臨床の智”を蓄えてこ
られた方をお招きして、対話を試みます。本の書き手、TV番組の制作者、写真家、新しい生き方を実践する
ひとなど、それぞれのフィールドで、そこにある事柄をていねいにくみとり、表現されてこられた方たちの“智
慧”にふれることで、《地域生活者の渾然一体とした要求の真意をつかみ、他の「専門家」にもわかる言葉に
「翻訳」して地域社会の形成に寄与するひと、様々な「専門領域」をつなぐひと(“社会のオペレーター”)》へと
成り行くための道を開ければと思います。
授業計画
第1回 授業概要説明(講師の紹介) [コーディネーター]
第2回 “旅/フィールドワーク”のすすめ [大学教員(社会学)]
第3回 「見知らぬわが町」の発見 [編集者]
第4回 歩く・見る・聴く・撮る [民俗学者・学芸員]
第5回 自然の風景、人間の暮らし(1) [カメラマン(NHK)]
第6回 自然の風景、人間の暮らし(2) [写真家・映画監督]
第7回 ひとびとと裸で向き合う [大学教員(地域研究)]
第8回 中間的なまとめ [大学教員(社会学、文化人類学、環境論、地域研究)、編集者など5名参加]
第9回 すべては出会いのなかに [フェアトレード運動家]
第10回 紛争地帯と裸で向き合う [写真家]
第11回 都市の「内なる異郷」への旅 [大学教員(文化人類学)]
第12回 歩く学問 [大学教員(社会学)]
第13回 『サティシュ・クマールの 今、ここにある未来』上映&ワールドカフェ
第14回 ラウンドテーブル [大学教員(社会学、文化人類学、環境論、地域研究)、編集者など5名参加]
第15回 総括・まとめ――“生存の場としての地域社会の探究/探求”へ [コーディネーター]
評価方法
「参加」の質を最重視します。リアクションペーパー(40%)、最後に最終レポート(60%)/評価方法は加点主
義/最終レポート(「作品」)は必須です。
テキスト・参考文献
《テキスト》
新原道信『旅をして、出会い、ともに考える』(中央大学出版部,2011年)
《参考文献》 新原道信『境
界領域への旅』(大月書店,2007年)/A.メルッチ『プレイング・セルフ』(ハーベスト社,2008年)/W.F.ホ
ワイト『ストリート・コーナー・ソサエティ』(有斐閣,2000年)/宮本常一『忘れられた日本人』(岩波書店,1984
年)/鶴見良行『東南アジアを知る――私の方法』 (岩波新書, 1995年)。これに加えて、毎回、講師の方々
より参考文献を提示していただきます。
授業外活動状況
授業外活動状況 講義で提示された事実とその解釈に触発される形で、自らが想起した断片的な事実や理
論をいっしょに並べ、調べ、解釈し、多方向に対比し考察することを、講義時間外の「フィールドワーク/デイ
リーワーク」としておこないます。
その他特記事項
「歩く学問」の先達であるA.メルレルさんは私にこう言いました。「君にだって、よく探せば、『どうしてもそのこ
とを“識りたい”、そのことを探求しないと生きている意味もない』というぐらいに切実な問いがあるはずだ。そ
れをまだわかっていないとしても、勇気をもって、『自分の殻』から這い出して、『前人未踏の地』への扉を探
すんだよ。たしかに、扉がどこにあるかはすぐにわからない。でも自分から声を発して動いていかなければ、
君は、やせ細った『骨と筋』でしか世界を『理解』出来ないだろう。それでは、この世界に“息づいて”いる、本
当に豊かで生々しい『血や肉』にふれることは出来ないんだよ。」
A.メルッチさんからは、「謙虚に、慎ましく、自分の弱さと向き合い、おずおずと、失意のなかで、臆病に、汚
れつつ、貧相に、平凡に、普通の言葉で、ゆっくりとした動きのなかで、“臨場・臨床の智”を私たちの身体に
染みこませていこう。そのためには、私たちの存在のすべて、個性のすべて、身体のすべてを賭けて、具体
的な生身の相手とかかわりをつくるしかないのだよ」と言われました。