2 0 1 6 年の経済展望

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2016年の経済展望
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2016年の経済展望
日本銀行 長崎支店長 佐 藤 聡 一
昭和62年 3月 東京大学経済学部卒業
4月 日本銀行入行
平成16年 7月 名古屋支店 営業課長
平成18年 7月 金融機構局 企画役
平成19年 7月 システム情報局 企画役
平成21年 7月 預金保険機構 審理役
平成24年 7月 調査統計局 地域経済調査課長
平成26年 5月 長崎支店長
1.はじめに
その他の新興国も、全体として減速した状
態が続いています。中国での調整の影響や過
新年あけましておめでとうございます。
剰設備・債務の重石が続いているほか、資源
日本経済、長崎県の経済ともに緩やかな回
価格の下落はブラジルなど資源国の景気を下
復が続いています。本稿では、海外経済情勢
押ししています。
を概観したうえで、昨年までの動向も踏まえ
先進国では、米国は、家計支出に支えられ
ながら、今年の経済を展望したいと思います。
て回復しています。雇用が引き続き堅調に拡
図表1 IMFによる世界経済見通し
2.海外の経済情勢
海外経済は、新興国が減速していますが、
先進国を中心とした緩やかな成長が続いてい
ます。
新興国では、中国は、製造業の過剰設備や
在庫の調整圧力が根強いもとで、製造業部門
を中心に減速した状態が続いています。こう
した状況のもとで、当局は景気の下支えに向
けた施策を積極的に講じており、工業生産や
固定資産投資は鈍化傾向にありますが、公共
投資の増加や自動車購入支援策の効果もみら
れています。
ながさき経済 2016. 新年号
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大し、消費者コンフィデンスも高水準で推移
考えられます。その他の新興国は、当面、国・
する中、個人消費が着実に増加しています。
地域によるばらつきは残るものの、先進国の
こうした状況下、FRBは昨年12月に7年間
景気回復の波及や景気刺激的な財政・金融政
続いたゼロ金利政策を解除し、9年半ぶりに
策などを背景とした内需の持ち直しにより、
利上げを実施しました。この間、ユーロ圏は、
減速した状態から脱していくとみられます。
緩やかな回復を続けています。輸出は新興国
もっとも、高インフレや過剰設備・過剰債務
の減速の影響などから弱めの動きとなってい
といった問題を抱えている国が相応にあるほ
ますが、個人消費が労働市場の改善などに支
か、資源価格の下落は資源国の所得形成を下
えられて引き続き増加しています。
押しするため、持ち直しのペースは総じて緩
こうした情勢を背景に、IMFの昨年10月の
やかなものにとどまるとみられます。
世界経済見通しでは、2015年の世界経済の成
リスク要因として、新興国・資源国経済の
長率は3.1%と、2014年の3.4%を僅かに下回
動向、欧州における債務問題の展開や景気・
る見通しとなっています。
物価の回復のモメンタム、米国経済の回復
本年2016年は、先進国の景気回復の好影響
ペースなどが挙げられますので、今後の展開
が新興国にも徐々に波及するもとで、成長率
に注目していきたいと思います。
は緩やかに高まっていくと想定され、IMFで
は、3.6%となる見通しを示しています。
地域別にみますと、米国は、ドル高や新興
2
3.日本経済の動向
国の減速の影響などにより鉱工業部門は力強
我が国の経済は、一昨年四月の消費税率引
さを欠くものの、緩和的な金融環境のもとで、
き上げ後の逆風を概ね克服し、緩やかな回復
堅調な家計支出を起点として民間需要を中心
基調を続けていますが、勢いがなかなか高ま
に成長が続き、2.8%と僅かに伸びが高まる
らない状況にあります。その背景としては、
見通しです。ユーロ圏も、昨年12月の追加緩
中国をはじめとする新興国経済の減速など、
和などによる緩和的な金融環境のもとで、雇
海外情勢における「視界不良」の状況が、輸
用・所得環境の改善などを背景に、1.6%と
出・生産面に影響を及ぼしていることが挙げ
緩やかな回復が続く見通しです。
られます。また、アベノミクスを当初牽引し
中国は、政府首脳が「今後5年間の平均成
てきた内需部門でも、公共投資が緩やかに減
長率は6.5%以上が必要」と発言しており、
少しています。一方、個人消費、住宅投資な
財政・金融両面での政策対応の余地も比較的
ど家計部門は、消費税率引き上げに伴う駆け
大きいと考えられます。このため、製造業部
込みの反動減の調整をほぼ終え、雇用・所得
門を中心に幾分減速しつつも、当局の下支え
環境の着実な改善を背景に、底堅く推移して
策もあって概ね安定した成長経路をたどると
いるほか、企業部門でも設備投資が緩やかな
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図表2 実質GDPの推移
増加基調にあります。
増加しているのがせめてもの救いです。
物価面では、消費者物価は、原油等のエネ
しかしながら、日本経済のファンダメンタ
ルギー価格下落の影響から、前年比0%程度
ルズはしっかりしており、企業や家計を取り
で推移していますが、エネルギー価格を除け
巻く環境は数年前に比べて好転しています。
ば伸び率はむしろ高まってきています。とは
物価の基調も着実に改善しており、
「量的・
いえ、物価安定目標の2%に達するには、な
質的金融緩和」はデフレ脱却に向けて所期の
お時間を要する状況です。
効果を発揮していると考えられます。
期待されている成長戦略や地方創生の取り
先行きは、この「視界不良」の海外情勢の
組みも、いまだ経済を牽引していくほどの力
帰趨によるところが大きいのですが、国内経
強さを発揮するには至っていません。インバ
済には原油価格下落の恩恵が広がっているほ
ウンド観光客が、年間二千万人に迫る勢いで
か、輸出も持ち直しの兆しが出てきています。
図表3 消費者物価の推移
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国内需要面でも、雇用・所得環境の改善傾向
本年の我が国経済は、1%台前半から半ば
のもとで、前向きの循環メカニズムが維持さ
程度の実質成長率を続けると予想されますが、
れていくとみられます。そうした中で、来年
これは0%台前半ないし半ば程度とみられる
4月の消費税率の再引き上げに耐えられるだ
潜在成長率を上回るペースです。マクロ的な
けの自律的な回復のモメンタムが強まってい
需給ギャップは改善傾向を辿り、物価の上昇
くことが大切であり、賃金の増加基調が高
率が高まりやすい状況が続いていきます。
まっていくか、設備投資に厚みが出てくるか、
に注目していきたいと思います。そのために
も、成長戦略や地方創生の推進は重要な鍵を
4.長崎県の経済動向
握っています。
(2015年の動向)
図表4 経済・物価見通し(展望レポート)
当地の経済情勢も、全体としては、全国と
−政策委員見通しの中央値、対前年度比、%
ほぼ同様の状況で緩やかな回復基調で推移し
てきましたが、世界遺産登録などを契機に観
光関連の勢いが増してきたこと、人口減の影
響もあってか人手・人材不足感が強まったこ
と、が特徴的だったと考えられます。
日本銀行長崎支店が実施した長崎県・企業
短期経済観測調査(いわゆる短観)において、
全産業(140社)ベースの業況判断D.I.(「良い」
−「悪い」
、%ポイント)をみると、昨年3
図表5 短観 業況判断D.I.(全産業)
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月に+15と消費税率引き上げ前のピークの一
船の性能、品質への評価、信頼性の高さは、
昨年3月+12を上回る水準まで改善しました。
相対的に有利な状況をもたらしています。
その後は6月+11、9月+10と再びやや悪化
この間、鉄鋼や窯業・土石等の資材関連で
しましたが、12月に+14と若干持ち直すなど、
は、市況悪化や公共投資の弱さの影響を受け
プラスを維持したまま推移し、一昨年12月の
て業況が冴えない先がみられました。
+8よりも高い水準で越年しました。
また、当地には、広い意味で食に関連する
以下では製造業、非製造業に分けて、昨年
事業者が零細規模まで含めて多数存在してい
の動きを振り返りたいと思います。
ます。恐らく、人手不足、事業承継、設備の
老朽化、コストアップ、販路などの問題に悩
(1)製造業
んでおられるのではないか、と考えられます。
製造業では、
「視界不良」の海外情勢の影
こうした動向を反映して、短観の製造業の
響を間接的に受けている先があるほか、円安
業況判断D.I.は、昨年6月に▲4と6期振り
や人件費上昇に伴うコストアップに直面して
に悪い超に転化した後も、9月▲9と悪化が
いる先もみられるため、操業度・繁忙度は相
続き、12月も▲9のマイナス水準のまま越年
応に持続していますが、利益が高まっていか
しました。
ない状況にあります。
当地主力の造船業では、中小造船を含め、
(2)非製造業
先行き二年以上の受注残を確保しており、当
非製造業では、とくに観光関連事業が勢い
面の操業に問題はありません。客船の建造に
を増し、好調に推移しています。昨年7月に
は手間取っていますが、出来上がれば世界に
軍艦島、旧グラバー住宅などの明治日本の産
誇れる素晴らしいものになるでしょうし、天
業革命遺産の世界遺産登録が決定しましたほ
然ガス運搬船やばら積み運搬船、漁船、内航
か、ハウステンボスにおけるロボットを活用
図表6 短観 業況判断D.I.(製造業)
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図表7 短観 業況判断D.I.(非製造業)
した「変なホテル」という名のスマートホテ
自動車販売は弱い状況が続きましたが、中に
ルの開業や各種の「王国」関係の施策の奏功、
は下げ止まりから持ち直しの兆しもみられつ
国際クルーズ船の寄港数の倍増、さらには客
つあります。
船建造のための県外からの滞在者増加等も
建設関連では、公共投資が総じて弱い動き
あって、観光施設の入場者数やホテル等の宿
に転じたことで、県庁舎移転や九州新幹線西
泊施設の宿泊者数・宿泊単価は増加していま
日本ルート工事等の大型継続案件に関連する
す。土産物の売れ行きも、総じて良いと聞い
受注が取れている先とそうでない先とで差が
ています。
生じました。この間、住宅着工は下げ止まり
小売関係も、全体としては、消費増税の影
つつあります。建設業界では、人手不足やコ
響を克服しつつ総じて底堅く推移しました。
ストアップの影響を受けて、引き続き業況の
図表8 短観 雇用人員判断D.I.
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図表9 短観 生産・営業用設備判断D.I.
厳しさを訴える先がみられています。
はまだ限界的にとどまっているように見受け
こうした動向を反映して、短観の非製造業
られます。
の業況判断D.I.は、昨年3月に+20と直近の
ピークを更新した後も、6月+18、9月+20、
(2016年の見通し)
12月は+25と高い水準で推移しました。
本年の長崎県の経済は、当面、前向きの循
昨年の特徴としては、短観の雇用人員判断
環メカニズムを維持したまま、緩やかな回復
D.I.にみられるように、県内で人手不足感が
基調を続けるとみられます。現時点で、短期
根強い状態が続いてきただけでなく、人手・
的に大きな調整圧力を抱えている分野等はあ
人材の確保に向けて、企業、行政、学校の意
りませんので、人手・人材の問題に対処しつ
識が急速に高まったことが挙げられます。知
つ、中長期的な観点からの取り組みを推進す
名度や財務基盤に劣る中小企業にとって、
る環境が整っていると考えられます。年後半に
様々な知恵を絞った人材の活用・育成もみら
なると、消費税率の再引き上げを意識した駆
れています。
け込み的な動きがみられると予想されますが、
また、短観の生産・営業用設備判断D.I.の
直近の引き上げ時の経験を活かして乗り切っ
動きからも読み取れるように、設備の稼働率
ていくことが期待されます。
が高い状況が続いていることが挙げられます。
ここで、中長期的な観点からの取り組みの
もっとも、投資判断には総じて慎重な姿勢が
推進について、3点、述べたいと思います。
貫かれているように見受けられ、老朽化対策
第一に、ものづくり関連が挙げられます。
のための小振りの維持・更新投資は手掛けて
当地では、造船・重機・重電の分野において、
も、将来の事業に向けての本格的な新規投資
協力会社・下請け企業を含めた産業クラス
ながさき経済 2016. 新年号
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ターが既に形成されており、その生産性や収
の企業の努力はもちろん重要ですが、それだ
益性を高めつつ、継承、発展を如何に図って
けでなく、産業界、教育界、行政、金融が連
いくかが、大きな課題となっています。大手企
携して取り組むことが重要であり、その必要
業の分社化や組織再編に合わせて、協力会社・
性は一段と高まっていると考えられます。
下請け企業も対応していく必要がありますが、
こうした状況の中で本年の長崎県の経済は、
今のところ懸念すべきような事態には至って
① 地域経済の趨勢的な人口減少に対して、
いません。さらに、海洋再生エネルギーの産
先行きを客観的に見据えて、需要面、供給
業クラスター化の推進も着実に前進しており、
面、とくに人手・人材面への対応を強力に
海洋関連という当地の強みを活かした取り組
推進していく年、
みだけに、大いに期待したいところです。
第二に、観光関連、より広い見地からいえ
に対して、着実に成果に結び付けていける
ば、交流人口に関することが挙げられます。
よう、待ちの姿勢ではなく、自ら具体的な
昨年後半の観光の好調振りは少し出来過ぎの
アクションを起こしていく年、
感は否めませんが、今年も長崎の教会群とキ
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② 成長戦略や地方創生に関連する取り組み
③ 内外での事業環境や競争環境が変化する
リスト教関連遺産の世界遺産登録を控えてお
下で、各企業レベルでの対応はもとより、
り、年後半にはデスティネーション・キャン
競争環境を維持しつつも、同業者や産官学
ペーンも実施されるなど、引き続きチャンス
が連携しての適切な対応を進めていく年、
に恵まれた年になると考えられます。また、
になると考えられます。
国境離島新法が成立し、五島・壱岐・対馬等
さらに言えば、「新結合」=新たな組み合
との間の交通費が半額となれば、アクセスが
わ せ(New Combination) の 発 想 で、 従 来
しやすくなり、訪問観光客の増加が見込まれ
にない新たな動きも創り出していって頂きた
ます。県内各地における宿泊施設の老朽化へ
いと思います。昨年と同様、座して待ってい
の対応や新設を含めた環境整備を進めていく
ては厳しい状況が予想される一方、動くこと
必要性が高まっていると考えられます。当地
で新たなチャンスを捉えられる大きな可能性
の観光分野の今後のさらなる発展に向けて、
のある年になるとみられます。
マーケティングを進めるほか、ハード・ソフ
最後に、本年の干支は申(さる)です。「申」
ト・インフラの整備を推進するなど、今年は
は、草木が伸びきり、実が成熟して香りと味
間違いなく基盤固めの年になるでしょう。
がそなわり堅くなっていく状態、を意味する
第三に、人手・人材の確保・育成に関する
そうです。本年は「申」の意味するとおり、
取り組みの推進が挙げられます。企業活動の
局面を昨年からさらに進めて、景気回復や
主体は人であり地方創生・地域経済の活性化
個々の企業の取り組みの果実を実感できる実
を支えるのも人の力です。そのためには、個々
り多い年になって欲しいと、期待しています。
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